No.41 The day when it rained by3
◇
「も、モユ……? おい、モユ……返事しろって。ほら、目ぇ開けろよ」
泥だらけで、血まみれになって汚れた服。
細くて、軽くて、小さな身体。
軽く揺らして声を掛けても、返事は無い。
「こんな時まで無愛想じゃなくていいんだって。ほら、起きろ」
もう一度、膝に乗せた身体を揺らしてやる。
だってほら、握ってる右手……まだ温かいんだぞ。
たった今まで、喋ってたんだ……。
今日だって普通に、人のアイスを食ってたんだぞ……!
「起きねぇとお前の、アイス……食っちまう、ぞ……なぁ、モユ?」
名前を呼んでも、身体を揺すっても、大好きなアイスを出しても。
何も、言わない。
「俺の分も、食っていい……から……」
こんなに汚れて。こんなに傷付いて。こんな姿になって。
これで、死んでるってのか……?
こんな簡単に、人が死ぬってのか……?
いつもとなんら変わらない表情で、モユは死んだって言うのか……!?
「モ、ユ……く、ぅぅ……!」
その小さい身体を、強く抱き締める。
こんなに小さい子が、まだ知らない事が一杯ある子供が……。
アイスが大好きな、他となんら変わりの無いモユが……。
なんで死ななきゃならないんだ!
「うわぁぁぁぁぁぁ!」
叫ぶ。ただただ、天に向かって咆哮ぶ。
まただ、また俺は間に合わなかった。
また俺は、一緒にいてやるべき時にいなかった。
何も変わっていない。
三年前から、俺は何をしてきた。何をしていた。同じ事を繰り返して、同じ事を悔やんで、同じように大切な人を失って。
ごめんな、モユ。
意味の無い事だと解っていても、謝るしかない。
モユの頬に付いた泥を拭き取って、せめて顔だけでも綺麗にしてやる。
「今夜は雨が降って静寂かじゃないから、安心しておやすみ」
そっとモユを寝かせて、優しく額を撫でる。
「ん? お涙頂戴劇は終わったんか? 長くて肩が凝ってもうたわ」
「ハッ、なら無視して横槍入れりゃ良かったじゃねェか」
コウは大剣をアクセサリーに変え、それをテイルに投げて渡す。
「何言うとる。俺はそないな野暮せんわ。特撮ヒーローの変身は終わるの待つのと同じや」
「んっだ、そりゃ?」
意味解んねェ、と呟いて、コウは根を肩に乗せる。
「……どっちだ」
「あァん?」
「どっちがモユを殺したァァ!」
立ち上がって、怒りを露に叫ぶ。
「あ、それ俺や、俺」
はいはい、と言いながら、テイルは挑発するように挙手する。
「てぇめぇぇぇ!」
怒気と敵意を剥き出しにした雰囲気を爆発させ、テイルを睨み付ける。
直後、奴に向かって疾走。
「ほっ! なかなかええ雰囲気しよるわ、ほんま!」
タバコを吹かせて、テイルは楽しそうに笑う。
その態度がまた、一層気に入らない。
人を殺して、モユを殺しておいて……他人事のようにしているこいつが、気に入らない!
「うぉぉぉっ!」
骨が軋む程に強く握り、テイルの顔面を目掛けてパンチを放つ。
実力差があろうが、コウも居ようが関係無い。
今はこいつを、モユを殺した奴を許せない!
「――――けど、甘いなぁ」
しかし、パンチは掠りもせずに外れた。
「ッ、あぁぁぁぁ!」
だが、だからと言って攻めるのは止めない。
モユを苦しめたこいつを、命を奪ったこいつを!
仇を取らなきゃモユも報われねぇ!
掌打、ボディブローと繰り出すも、それも軽々躱される。
「もうちょい鍛えてから出直してきぃ!」
その台詞の直後。
腹部に強烈な衝撃と、鈍痛は走った。
「ぶっ――――!」
後ろ回し蹴り。
しかも、ボディブローに合わせてカウンターで喰らわせてきた。
身体ごと大きく吹っ飛ばされ、社の前で転がり落ちる。
「がっ、ふ……」
中で内臓が暴れ回ってるんじやないかと思える程、激痛が腹に響いている。
胃液が逆流してきそうだ。
「く、そっ……!」
何も、出来ないのか……?
あの時と同じで、見ているだけなのか……?
事実を受け入れないで、現実から目を背けて、真実から逃げて。
また、大切な人を失って――。
「まだ、だ……まだやれ、る」
地面に伏せていた身体を起こして、左手で口元を拭う。
「俺は、まだ――――」
その、左手。
左手だけじゃない。右手も、そうだ。
べっとりと、赤いモノが付いていた。
塗りたくるように、染め上げるように。
「――――ぁ、あ」
赤い、紅い、アカイ、赤茶い。手が、視界が赤くなっていく。
全てが、見るもの全てが紅い。
「咲月ィィ、今日こそブッ壊す!」
「病み上がりの癖に何言うとる。今日はリハビリで出て来たんやろが。また返り討ちされて寝たきりなりたいんか?」
「関係ェ無ェ! 奴はブッ殺すって決めてんだ!」
「ええから、我慢せぇ。今日はリハビリなんやから無理は禁物や。それにどうせ、決着なら近い内に付くやろ」
「……ハッ、そういやそうか。解ったよ、二人同時に食ッた方が腹ぁ膨れるからな」
「やったら、早う散らばっとるモンを拾うで」
「あん!? あんなゴミ、捨てときゃいいだろうが」
「あかん。下手にモノを与えると、あいつに何を掴まれるか解らへんからな。俺はガキを回収するさかい、お前はあっちの二等分された二人頼むわ」
「チッ、わあったよ」
「っちゅう訳で咲月君、今日はここまでや。今度は……ん?」
赤い。暑い。紅い。熱い。アカイ。アツイ。
身体が、熱い。燃えるように、アツイ。
「――燃え、る……?」
視界が燃える。真っ赤に、燃える。
あの、夢のように……?
――――そうだ、燃える。
あの夢のように、燃える。
あの夢と同じで、燃え盛る。
「なんや……空気が、熱い? いや、ちゃう……これは、咲月君の雰囲気かっ!?」
木を焼いて、空気を熱して、地を焦がして、空を燃やして。
大事な人も、大事な物も、大事な思い出も……。
「……だ」
失ってしまうのも。
無くしてしまうのも。
居なくなってしまうのも。
「――――俺はもう、嫌だ!」
立って、叫ぶ。
ひたすら、天に向けての咆哮。
熱い、暑い、アツイ、赤い、紅い、アカイ。
その熱を、外に。その赤を、出して。
この暑さを、形に。この紅を、放って。
――――あの夢と同じく。
「あぁぁぁぁぁぁっ!」
その全てを、力として現す。
この全てを、形として放つ。
――――俺が、燃える。
「うぁぁぁぁぁぁっ!」
赤、紅、アカ、赤茶。
どれとも違い、どれとも同じ。
掌から盛るは、赤色の火。
闇を焼き、黒を燃やし、全てを焔る。
業々たる、その赤炎。
「スキルに目覚めよったか……! 具象化で、しかも炎ときよった!」
テイルは驚愕しながらも、この炎に興味を示す。
「テイルゥゥゥゥ!」
両手に炎を纏い、テイルに向かって疾駆する。
「コウ、お前は先に行っとれ! もうすぐ厄介な奴が来てまう」
「お前はどうすンだよ?」
「適当にあしらってからガキを回収して、すぐ追い掛けさかい!」
「ハッ、わあったよ」
コウは地面に転がっていた二人の遺体を持って、林の中へ消えていった。
「さぁて、咲月君! 新しい玩具を手に入れて、はしゃぎたい気持ちは解るけどな! 残念ながら、今日は遊んでやる時間はあらへんのや!」
テイルは腕を後ろに引いて、大きく振りかぶる。
ひゅん、という風切り音と共に、数本の細い光。
「そんな物ォォ!」
腕を横に薙いで、炎の波が飛来物を全て飲み込む。
カラカラと音を立て、炎に包まれたナイフが地面に転がり落ちた。
「……炎かと思たが……何か、違う?」
その様子を目に、テイルが驚愕と戸惑いの混ざった表情を見せる。
「しかも、なんや……あの胸で紫に光っとるんは……?」
「おぁぁぁぁぁあっ!」
地に転がって燃えるナイフを眺め、足を止めている隙に間を詰める。
同時に、右手へ炎を集中。
こいつは、許さない。モユを殺したこいつは、絶対に許さない!
毛も、肉も骨も影すら残さない。
全てを燃やしてやる。
全部を焼き尽くしてやる。
その存在を、灰も残さずに消してやる!
「っとぉ、考えとる時間はあらへんか!」
こちらに気付き、テイルは小さく腰を落とす。
その顔には、相変わらず余裕の笑み。
それが更に、俺の怒りを触発させる。
「おぉぉぉぉ!」
赤炎を纏った右手を、奴に向かって一気に轟払する。
ゴウ、と空気を飲み込み、闇を屠る。
「おーっととと!」
しかし、炎はテイルを捉えず、簡単に回避された。
「正直な話、近付かれたら厄介な力やで、ほんま……!」
空振った炎は誰もいない宙を舞い、ジュッ、と降り注ぐ雨を燃やす。
だが、回避される事は読んでいた。
そうそう簡単に攻撃を与えられない事は、百も承知。
回避されるのを読んでいたなら当然、次の手を仕込む。
「まだだァァァ!」
先程の攻撃の影に隠していた、左手。
無論、こちらも燃え盛る赤炎を纏う。
ゆらゆらと暗闇を照らして、めらめらと静寂を消し去る。
その炎を拳に宿して、透かさず二撃目を振り放つ。
「左、やと……!?」
今まで余裕を見せていたテイルに、初めて焦燥。
先程の攻撃が通常の攻撃ではなく、炎を放っていた為に気を取られ、失念していたのだろう。
――――が。
「それも躱しよるんが、俺の凄い所や!」
また笑みを浮かべて上半身を捻り、紙一重での回避。
俺が放った二発目は、奴が啣えていたタバコを掠っただけ。
「怒りで新たな力が目覚め、殺された奴の仇を取る……咲月君のスキルの通り、燃える展開ってか! やけどなぁ――――!」
常人よりも倍はありそうなその豪腕。
丸太を想像させるその腕を、テイルは握り拳を作って振り上げる。
「そっから大逆転ってのは、少年漫画の中だけや!」
次の瞬間、頭に大槌が思い浮かぶ程の強い衝撃が腹部を襲った。
ドム、という重く鈍い音。
ショートアッパー。
鋭角に鳩尾を捉えたそれは、容赦無く肉を抉る。
「ぶ、っふ――――」
激しい鈍痛が、波紋のように内臓へ広がる。
そのあまりの痛みに腹を手で押さえ、身体は『く』の字に曲がってしまう。
「が、ぁ……あ」
膝を地に着き、焼け付くような痛みに必死に耐える。
衝撃は肺にまで至って呼吸が上手く出来なく、開いた口から垂れ落ちる唾液。
辛うじて意識は保っている。
いや、意識がある分、腹を駆け回る痛みに耐えなくてはならない。
気を失ってしまえば、この悶絶してしまう激痛からは解放されるだろう。
「ぎ、ぃ……ぎ」
だが、それは出来ない。
この程度で、こんなもんで気絶して、倒れてはいけない。
あいつはもっとボロボロになって、もっと傷付いて、もっと痛い目に会っていたのに……。
俺がこの程度で倒れる事は、俺が許さない。
「がぁ、ぁぁぁあっ!」
まだ痛覚が腹の痛みを訴えてきても、膝が笑っていようと。
曲がっていた身体を無理矢理に起こし、あの野郎を――――。
「うっさいわ、ボケ」
見上げて睨むと、見えたのは奴の顔ではなく、黒い物体。
「がっ……ふ」
その正体は黒い靴の底。
押し潰すような形で顔面を強く蹴られ、口から空気が漏れ出す。
「戯れ合うとる暇はあらへんねん。大人しゅう……」
蹴りで視界が歪み体勢を立て直す暇も無く、人よりも大きなその手で額を鷲掴みされる。
指隙間から見えるは、口を釣り上げた金髪の顔。
「寝とれ!」
そして、奴の体重を乗せて後頭部を地面へ叩き付けられる。
ごっ、という鈍い音。
「かっ……!」
痛みを感じるよりも先に、視界が二重にぐるぐると回る。
脳が揺らぎ、吐き気に襲われ、気を失いそうになってしまう。
だが、殴られた腹の痛みがそれを許さない。
痛覚神経が脳に信号を送り、朦朧ながらも意識を止める。
「さて、面倒やけど回収せな五月蝿く言われるさかい」
ぱしゃぱしゃと水の音をさせて、声が少しずつ遠ざかっていく。
空から降り落ちる、雨の音が異様に五月蝿く感じる。
テレビの砂嵐のように、五月蝿い。
「よっこらせ……ったく、汚くて敵わんわ。っと、片腕ぇブッた切ったんやった」
まだ、ぱしゃぱしゃと水を弾く音。
五月蝿い雨音の中で、虫酸が走る雑音が声。
それが収まらぬ憤怒を煽り、白濁していた意識が覚醒する。
「テ、メェ……」
仰向けだった身体を俯けに変える。
意識はあっても、身体のダメージは無くならない。
未だに回復を見せず、満足に動かす事すら出来ない状態。
「モユ、を……返、せ」
それでも身体に鞭を打ち、身体を無理矢理に起こす。
「それは出来ひんわ。一度手放したとは言え、一応実験体や。死人に口無し言うても、喋らんだけで情報は持っとるさかい」
テイルはブレザーの襟元を掴み、モユを乱雑に運ぶ。
そして、地で雨に打たれていたモユの右腕を拾い上げる。
「それに、死んだら死んだで、ちょいと使い道があるんや」
プッ、とテイルは啣えていたタバコを吐き捨てる。
「……っと、もう来てもうたか! 思いの外、時間を食ってしもたわ」
何かに気付いた様子で、テイルの表情が強張る。
「これ以上の厄介事は勘弁や。さっさと帰らな」
そう呟き、一足飛びで社の屋根へと移動する。
「逃がす、かよ……!」
ぎしぎしと身体中が軋み、悲鳴を上げている。
腹の痛みは依然引かず、目眩もして、膝も震える。
だが、そんな事は知らない。関係無い。
「テメェだけは絶対、に……?」
がくん、と。
笑いながらも立っていた膝が、電池が切れた玩具のように力が抜けて落ちる。
いくら我慢しようと、いくら耐えようと、いくら感情は激昂していようと。
限界は疾うに、越えていた。
身体中は地を踏み締める支えを失い、バランスを崩して前のめりになる。
――駄目だ。ここで倒れたら、駄目だ。
倒れてしまったら、多分もう起き上がれない。
だから、駄目だ。だって俺は、まだ何もしていない……。
しかし、身体には重力に逆らう力は残っておらず、視界も雨で濡れた地面しか見えていない。
もう倒れてしまう。
そう、思った時だった。
「――咲月君!」
名前を呼ばれ、地面に向かっていた身体は途中で静止した。
肩を掴まれ、誰かに支えられて。
「大丈夫かい、咲月君!?」
聞き覚えのある声。
「白羽、さん……?」
僅かに首を動かして、その方を見る。
全身を黒に纏った男性が、そこにいた。
「思うたよりお早い到着やないか、白羽」
「テイル、貴様……!」
「いや、結果から見れば遅過ぎか」
テイルは社の屋根から見下ろし、小馬鹿にするように小さく笑いを吐く。
「アンタの探しもんは、これやろ」
テイルは襟首を掴み、その小さな亡骸を見せつける。
まるで、猫や犬を持ち上げるように。
「モユ君!」
声を荒くして、白羽さんは名前を呼ぶ。
が、返事は当然、無い。
「言っとくけどな、死んどるで。こいつ」
左右に腕を振り、モユの身体は抵抗無く揺らされる。
「雰囲気……せぇへんやろ?」
にんまりと、こちらの反応を楽しむかのように、テイルの口元が歪む。
「モユ、君……!」
白羽さんの双眸はテイルを睨み付け、歯を軋ませる。
「それとな、禁器……返してもろたで。どうしよか悩んでたんやけどな、楽に取り戻せてラッキーやったわ」
「……」
けらけらと笑いを見せるテイルに対し、白羽さんは静かに黙って睨み返すだけ。
「そのお礼……てな訳ちゃうけどな、ええ事を教えたるわ」
「折角の申し出だがね。今の私は、お前の話を聞く気はさらさら無い……!」
あの常に冷静沈着の白羽さんが、怒りを隠しもせずに眉間に皺を作る。
そして、放たれるは怒気を孕んだ敵意。
「俺かて、そない敵意剥き出しにされても戦り合うつもりはあらへんわ」
しかし、テイルはそんなのは気にもせずに受け流す。
「ええから聞き。アンタ等に……いや、咲月君にとってかなりの朗報や。聞いて損はせぇへん」
「なんだと……?」
ぴくん、と微かに眉を顰め、白羽さんは反応を見せる。
「SDCな……次で最後や」
「何……ッ!?」
金髪は闇夜を背中に、含み笑いを浮かばせる。
延々と降り注ぐ、雨の中で。
「ま、日時は決まっておらへんが、そう遠くはあらへん。詳しくはいつもみたく手紙を送るさかい」
「待、て……」
「さて、ちょいと長居し過ぎてもうた。俺はこの辺で帰らせてもらうわ。ほな……」
「モユを、返せ……!」
顔を上げて、テイルに目を向ける。
満身創痍だろうが構わず、右手の握り拳に炎を纏わせ。
ろくに動ける状態でないのに、身体の悲鳴も無視して。
「ばいばい、ってか」
切断されたモユの右腕を持ち、テイルはそれを小さく振って見せる。
そして、それを最後に。
「テイルゥゥゥゥゥ!」
赤茶い髪をした少女の亡骸と共に、黒の中へと消えて行った。
絶叫は虚しく闇夜に木霊し、向け場の無くなった怒りは、悲哀として胸を染めていく。
喪失感と罪悪感に襲われて、ただただ無情に――――。
大嫌いな雨が、降っていた。




