No.37 甘いコーヒー
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――――快晴。
青々とした空間が天に広がって、太陽光を遮ってくれるような雲は殆んど見当たらない。
働き者の太陽は今日も、地上に向けて熱を放ってきている。
現在午前十時少し過ぎ。気温は尚も上昇中。近くの林からは油蝉の大合唱が聞こえ、肌はジリジリと紫外線が突き刺さる。
そんな中、俺は汗を垂らしながら日陰の無い道を歩いていた。
アイスの入ったコンビニ袋を持ち、一人で。
「あぢぃ……」
背中を丸め、暑さに項垂れながら事務所へ続く道を歩く。
こんな出来るなら外出するのは避けたくなる日中に、なんで外を歩いているのか。
今の時刻は十時過ぎ。右手にはアイスの入ったコンビニ袋。この答えとも言えるような大ヒントが2つあれば、皆まで言わなくても分かるだろう。
そうです、モユのアイスを買いに行った帰りの最中なんです。
朝飯を食べ終わり、モユと深雪さんと広間でのんびりしていると、ある事を思い出した。
給湯室の冷蔵庫に、買い置きのアイスが無くなっていたという事に。
昨日は遊園地で、一昨日は沙姫の家でご馳走になった。
というのもあって、買っておくのを忘れていた。そんな訳で、熱気漂い熱線降り注ぐ中、事務所とコンビニを往復している。
「なんであんなに好きなんだかなぁ、アイス」
もはやモユの代名詞と言ってもいい位だ。よくもまぁ、毎日二回も飽きもせずに食えるもんだ。
とか思ったが、朝昼晩、毎日毎日3食野菜炒めを食べている俺が言える台詞じゃなかった。
「でもまぁ、今日は俺にも嬉しい収穫があったからな」
ガサリ、と右手に持っていたコンビニ袋を軽く持ち上げて視線を向ける。
モユのおやつとして買ったアイスの中に、今回は珍しく俺の分のアイスも入っていた。
遡る事数日前。いつもの如く、モユと広間で暇をしながらテレビを観ていた。番組は適当に映していた物で、観たかった訳でも無い。
だが、その番組内でのCMにそれは映っていた。
「よもぎ饅頭ジェラート……買っちまった」
定価百五十円。通常のアイスと比べて少し割高。
ジェラートってのは果汁とか果肉を入れて作るアイスだが、何故よもぎ饅頭をピックアップしたのか謎でしかない。
コンビニでも他のアイスの中で一際異彩を放っていたし、山積みにされていた。一見地雷にしか見えない品物だが、なんでか気になって購入してしまった。
強いて理由を挙げるならば、俺の冒険心がくすぐられた。
コンビニを出てから数分。ようやく事務所が見えてきた。
アイスが溶けないようにと気持ち速く歩いていたから早く着いた。
「たーだいまっと」
ガラスのドアを押し開けて、中に入る。
事務所の中は涼しく、外の熱気と直射日光が無くなるだけで大分違う。
スリッパに履き替えて靴は靴棚に置き、廊下を歩いて広間に向かう。
コンビニへ出掛ける前は広間でモユと深雪さんとでテレビを観ていたから、そこにいる筈だ。
「……あれ? 白羽さん?」
しかし、広間に着いてみると、そこにモユと深雪さんの姿は無かった。
代わりに、黒スーツを身に纏った事務所の大黒柱がソファに座っていた。
……黒なだけに。
「うん? やぁ、咲月君。お帰り。外は暑かったろう?」
「あー、嫌ンなるぐらい暑かったよ」
Tシャツの胸元を掴み、バサバサと動かして服の中の空気を入れ換える。
白羽さんの格好も相変わらず暑っ苦しいけどな。
「モユと深雪さんは? 俺が出掛ける前はここに居たんだけど……」
「あぁ、深雪君は給湯室で私のコーヒーを煎れてに行ってくれている」
「コーヒー? そういや、白羽さんの部屋にあったポットが壊れたんだっけ」
「うん。自分で煎れようとしたんだがね、深雪君が用意してくれると言うのでここで待っている」
白羽さんと話ながら広間の入口から移動して、横長のソファに座る。
買ってきたアイスが入っているコンビニ袋はテーブルに置く。
「じゃあモユは?」
「深雪君と一緒に給湯室へ付いて行ったよ」
「ふぅん」
ソファの背もたれに寄り掛かって、熱くなった身体を冷ます。
てっきり、俺がアイスを買って戻ってくるのを動かず離れず、一心不乱に待ってると思ってたんだけどな。
まさか、毎日食ってたからアイスに飽きて興味が無くなったとか?
……ねぇな。
「あ、ほらモユちゃん、咲月君が帰ってきてるわよ」
声が聞こえ、広間の入口を見ると深雪さんが入ってきた。
「……本当だ」
そして、深雪さんの後ろからひょっこりと姿を現すモユ。
とててっ、と駆け足で俺の所へ向かってくる。
「……」
目の前で止まったかと思えば、おもむろに無言でTシャツの袖を掴んできた。
「わざわざ買いに行ってきた俺に、何か言う事があるんじゃねぇか?」
「……アイス」
「じゃなくて?」
「……おかえり」
「よし」
うん、とわざとらしく、腕を組んで頷いて見せる。
「テーブルの上にある袋の中に入ってる。いつもと同じく一つだけ選んだら冷蔵庫に入れておけよ」
「……うん」
モユはギブミー・アイス・ロックをほどき、後ろのテーブルに振り向いて袋の中を漁り始める。
「あ、緑色のカップアイスがあるけど、それは俺のだから食うなよ?」
「……わかった」
モユは後ろ向きで頷き、今日の日課を見定めている。
「あなた達、本当に仲が良いわね」
そんな俺とモユのやり取りを見て、深雪さんは微笑を浮かべていた。
「そうかぁ? アイスが貰えるなら誰でもいいんじゃねぇか、モユは」
自分の膝上に頬杖を立てて、半目でモユを見る。
「あら、そんな事は無いわよ。ねぇ、モユちゃん?」
「……うん」
こくん、とモユは頷く。
……が、両手にアイスを持ってどっちにするか迷いながらじゃ説得力ねぇよ。
せめて、演技でも俺か深雪さんの方を見ろ。
「咲月君も、コーヒー飲むでしょ?」
「へっ? あ、いや……!」
深雪さんに聞かれ、言葉を詰まらせて焦る。
確かに、今は暑い外を歩いてきたから喉が渇いている。
しかし、だがしかしだ……白羽さんの目の前に置かれているのは明らかにホットコーヒー。
つまり、この状況で出てくる飲み物は……高確率でホットなコーヒーと予測出来る。
まだ身体の熱が冷めやらぬというのに、ホットコーヒーを飲んだら汗だくになるのは必須。
摂取した水分以上に水分を流すのは極力避けたい。
「ふふっ、大丈夫よ。咲月君のはホットコーヒーじゃなくて、アイスコーヒーよ」
「あ、なら頂きます」
俺の心中を察してか、深雪さんは苦笑しながらコーヒーの入った透明のグラスを渡された。
正直、かなりホッとした。俺が飲むのはアイスの方だけど。
「うん? 咲月君は猫舌なのかい?」
「いや、そういう訳じゃねぇけど……」
猫舌どうこうじゃなく、暑い日にホットコーヒーを飲む気にはなれないだけです。
マイナす五度の部屋に薄着で放り出されたら飲みたくなるけども。
多分、もうそんな事は無いだろう。
「それとねぇ、そのコーヒーは私じゃなくてモユちゃんが作ったんだから」
「へっ? モユが?」
思わず、手に持っているグラスの中を覗いてしまう。
「そうよぉ、頑張って作ってたんだから」
「モユが、ねぇ」
まじまじとコーヒーを見ていると、カラン、とグラスの中の氷が鳴った。
「匕君のだけじゃなくて、白羽さんのもモユちゃんが作ったんですよ」
「ほぅ? それは楽しみだね」
白羽さんは興味深げに、テーブルに置かれていたコーヒーカップを手に取る。
「んじゃ、早速頂いてみるか」
モユが煎れたコーヒーとなると、俺も興味が湧く。
別に普通のコーヒーと変わらないし、特別って訳でも無い。
だが、煎れたのがモユってだけでこうも印象が変わるとは。
「どれ」
グラスの縁に口を付けて、ゴクリ。
冷たい感触が、口から喉へ、喉から胃へ流れていく。
…………って、甘ぇっ! なんだこれ、超甘ぇ!?
グラスの中身を再度確認してみるも、やはり黒い液体。コーヒーに違いない。
だが、コーヒーの苦味なんて一切無く、あるのは甘味だけ。甘味甘味甘味の甘味だらけ。
これ、コーヒーじゃなくて黒砂糖水じゃねぇよな? または炭酸が抜けたコーラとか。
ちらり、と横目で白羽さんを見てみると、白羽さんは平然とコーヒーを飲んでいる。
もしかして、こんなに甘いのは俺だけ……?
「ん?」
ふと視線を感じて、気が付くとモユがこっちを見ていた。
「……おいしい?」
モユは目を逸らさず、ジッと俺を真っ直ぐに見て聞いてきた。
「あ、あぁ。美味い、よ」
そんな純粋無垢な瞳で見つめられたら、そういうしかねぇよ。
せっかく作ってくれたのに、甘過ぎるなんて言えねぇ。
「……白羽は?」
「うん、初めてにしては中々のものだ」
そう言って、白羽さんはモユに微笑み返す。本当、この人はコーヒーを飲む姿が似合うな。
黒い長髪に黒いスーツ。黒いネクタイに黒いスリッパ。そして、黒い飲み物。
見事な黒尽くし。唯一白いのは名前だけか。
「食うアイスが決まったなら、残りは冷蔵庫に入れてこい」
「……うん」
やっと食べるアイスが決まったらしく、モユは1つのアイスを片手に、残りが入ったコンビニ袋を持って給湯室へ走って行った。
もう一口コーヒーを飲んでみるが、やはり甘い。
「あのさ、白羽さん。何て言うかその、コーヒー……どうだった?」
モユが広間を出ていったのを見計らって、白羽さんに聞いてみる。
「うん? あぁ……」
かチャリ、と白羽さんはコーヒーカップを丁寧にテーブルに置く。
至って普通に飲んでいたし、やっぱり俺だけのが甘かったのか?
「少々、甘いね」
白羽さんは目を瞑り、右手で眉間を押さえる。
コーヒーは甘かったのに、白羽さんは苦い顔。
いや、本来コーヒーは苦い物だから苦い顔をしても可笑しくはないのだが、今回ばかりは違った。
やはり、白羽さんのコーヒーも甘かったらしい。
俺はなんとか飲めるが、ブラック派の白羽さんには厳しいかもしれない。
「あー、やっぱり甘かったかぁ」
深雪さんは俺と白羽さんを見て、申し訳なさそうに苦笑していた。
「深雪さん、モユがコーヒーを作ってる時、一緒に居たんだろ? なんでこうなる前に止めなかったんだよ……」
「だって、モユちゃんが一生懸命に作ってるんだもの……それを見たら何も言えなくて」
まぁ、確かに。モユの一生懸命な姿を思い浮かべてみたら、俺も何も言えないわ。
背が低いから、台所で爪先立ちしながら作ったんだろうなぁ。
「あの、白羽さん。飲めないようでしたら……私が飲みましょうか?」
「いや、飲むよ。モユ君が煎れてくれたのだからね、全部飲まなくては失礼だ」
白羽さんは深雪さんの申し出を断り、コーヒーカップを手に取って飲み始める。
「そういや、モユの奴遅いな」
アイスを冷蔵庫に入れに行ってからまだ戻ってこない。
早くしないとアイスが溶けちまうぞ。
「……深雪君」
「はい、ちょっと見てきます。ついでに、お土産に貰ったクッキーも持ってくるわね」
そう言い、深雪さんは足早に広間を出ていった。
深雪さんの後ろ姿を目で送りながら、コーヒーを口にする。
やっぱり、甘かった。
「そうだ、咲月君」
「んぁ? なに?」
甘過ぎるコーヒーに少しばかりげんなりしていると、白羽さんに話し掛けられた。
「昨日の遊園地は……楽しめたかい?」
「あぁ、楽しかったよ。終始無表情だったけど、モユも楽しんでくれたみたいだったから、連れて行って正解だった」
ジェットコースターを5回乗っても顔色変えねぇし、コーヒーカップで沙姫に回されまくってグロッキーになっても無表情を貫いていたからな。
今考えてみても面白く、その時の事を思い出し笑いしてしまう。
「そうか……思い出は何よりも美しく、掛け替えの無いものだ」
白いコーヒーカップに口を付け、白羽さんは甘いコーヒーを一口飲む。
「だが、時に思い出は残酷なものに形を変える。コインが裏返るように容易く、簡単に反転してね」
「……それは、解っている。嫌ンなる位、痛い位に知っているよ」
強く目を瞑り、歯を軋らせる。
そして、俺にとっての大切で、残酷な思い出を握る。
首に掛けてある、形見の思い出を。
「どうなるにせよ……その思い出は確かに存在して、嘘偽りの無い本物だ。大切にするといい」
白羽さんは真剣な表情で、俺を見る。
ただ真っ直ぐ、その重さを知らせる為に。
「あぁ……思い出は笑えるような甘いものだけじゃなく、後悔しか出てこない苦いものもある事は……理解している」
手に持っているグラスに入っている氷が溶けて、ピキッ、とヒビが入る。
冷たいグラスとは対照的に、グラスを持つ手は熱い。
思い出を甘くするのも、苦くするのも……両方にするのも、自分自身。
瞼を開けて目に入ったのは、グラスの中のコーヒーに映った、小さな俺だった。
「……そうか。咲月君なら、大丈夫そうだ。しかし……」
白羽さんは手にしていたコーヒーカップをテーブルに置く。
「このコーヒー……やはり甘いね」
言って、困ったように微苦笑する。
「甘いと言うか、甘過ぎるだって、これは」
白羽さんの言葉に同意して、苦笑いして返す。
コーヒーという名の別もんだよ。
「お待たせ、クッキー持ってきたわよー」
今度はお盆にクッキーの入った皿を乗せて、深雪さんが戻ってきた。
「深雪さん、モユは?」
「ん? いるわよ、ほら」
深雪さんが身体を捻ると、後ろに隠れていたモユが出てきた。
「随分と遅かったな。何やってたんだ、モユ?」
「冷蔵庫の前で、またアイスを何にしようかなやんでたんだよねぇ、モユちゃん?」
「……うん」
深雪さんが代わりに答えると、モユは相づちを打つように頷いた。
アイスにどんだけ悩んでんだよ。
前みたいに十個ぐらい買ってきたなら悩むのも分かるが、今日は俺のを除いて4つしか買ってきていない。
選択肢が少ないのに長時間悩むな。
でも確かに、モユが給湯室に行く前に選んでいたアイスとは別なアイスになっていた。
さっきはモナカアイスだったのが、今はカップアイスになっている。給湯室で再び悩んだ結果、別のアイスにしたらしい。
「それが遊園地のお土産かい?」
深雪さんがテーブルにクッキーの皿を置くと、白羽さんが興味を向ける。
「本当はもっとマシなのを買ってこようと思ったんだけど、他になくて……」
「いや、構わないよ。買ってきてくれただけで十分嬉しい」
だって、まさかのうさバラし人形祭りなんてやってんだもんなぁ。
お土産コーナーがうさバラし人形一色になってて、むしろ普通のクッキーを探すのすら苦労した。
「では、一つ貰うよ」
「どうぞどうぞ。モユも突っ立って無いで、こっちに座ってアイス食え」
「……うん」
モユは俺の隣に来て、ぽすん、とソファに腰を下ろす。
「うん、クッキーにしては甘過ぎず、中々美味しいね」
白羽さんは満足といった表情で、クッキーを口に運ぶ。
多分それは、コーヒーの甘味が強過ぎて舌が麻痺して、クッキーの甘さが薄く感じているだけなんじゃ……いや、言わないでおこう。
「ん? モユ、何ボーッとしてんだ? アイスが溶けるぞ?」
隣でぽけーっとしているモユに、目の前で手をひらひらしてみる。
「食べないなら食っちゃうぞー?」
「……ッ、だめ」
モユが持っていたアイスを取ろうとした所で、ようやくこっちの世界に戻ってきた。
そして、いつもの如く、無言でアイスを食べ始める。
とりあえず、俺はコーヒーを飲むか。
……まだ半分以上あるけど飲み切れるかなぁ、これ。




