No.32 遊園地
電車には無事に乗る事が出来、待ち合わせ時間前に立花町に着いた。
今は立花町の駅前にある、待ち合わせ場所のバスターミナル近くのベンチに腰掛けている。
時刻は九時半になる少し前で、気温も上がり始めてきた。
「今日は暑くなりそうだな」
ベンチに座って真っ青な空を仰ぎ見て、眩しい日射しに目を細めながら呟く。
持ってきた風邪薬は、途中でペットボトルの水を買って飲んだ。
身体のダルさは今も少しあるが、気にする程でも無い。これ位なら、遊園地に着く頃には忘れているだろ。
「アイスうめぇか?」
空を仰ぐのをやめて、隣に座ってアイスを頬張っているモユに視線を移す。
「それは早めの十時の分だからな」
「……うん」
モユは俺の方を見もせずに頷く。
今モユが食べているアイスはチョコミント味のカップアイス。
十時頃は遊園地に居てアイスを買ってやれないかもしれないから、俺が水を買う際に一緒に買ってやった。
無表情だけど、相変わらず美味そうに食うな。しかも、その歳でチョコミントを選ぶなんて渋いねぇ、全くオタク渋いよ。
「あ、そうだ。そういや白羽さんから貰った茶封筒……いくら入ってるんだろ?」
待ち合わせまではまだ時間があり、モユはアイスに夢中になっている。する事も無く、暇をしていた所で思い出した。
ジーンズの尻ポケットに入れていた財布の中から、挟んでいた茶封筒を取り出す。
開けて中身を出してみると、おじさんが描かれた紙がこんにちは。
「ゆ、諭吉さんが出てきた……!」
それも二人も。
まさかこんな大金が入っているとは予想もしていなかった……。
しかも、これって白羽さんの自腹だろ。よくまぁ、こんな大金をポンと出せる。
真夏にホットコーヒーを飲むとか変わってる所があるけど、気前が良かったりする部分があるよな、あの人。
俺にバイトをやめる代わりに十万くれたりするし。
一体どっから金が出てくるんだ? 油田でも持ってんじゃねぇだろうな?
「ま、白羽さんが気を利かせてくれたんだ。有り難く使わせてもらうか」
諭吉さんを封筒に戻して、財布に挟む。
「……はぁ」
ベンチの背もたれに背中を預け、溜め息を吐く。駅前なだけあり、人が通る数は多い。
そんな人混みを眺めて、表情が強張る。
「……やっぱり、駄目だな」
耐えられはするが、気のいいものではない。視線を落として、コンクリートの地面を睨み付ける。
人混み、他人の声、賑やかな景色、立ち並ぶ数々のビル。腹の下がムカムカして、怠気とも吐き気とも違う感覚。
こうやって駅前で待ち合わせをしていると、昔を思い出してしまう。
会えなくなってしまった人を、自分が犯した罪を、忌々しいあの夜を。
雨と同じまではいかないが、俺のトラウマであるモノの一つ。
出来れば、待ち合わせ場所は他にして欲しかった。
昨日、白羽さんから遊園地へ行く許可を貰った事を沙姫に電話した際に、待ち合わせ場所を決めた。
個人的には駅前で待ち合わせするのは嫌で、一度沙姫の家まで迎えに行くつもりだった。だが、遊園地行きのバスは駅前のバスターミナルから出ている。
その為、家まで迎えに来る必要は無いと返され、更には『咲月先輩はともかく、モユちゃんも歩かせるつもりですか?』と言われたら何も返せなかった。
結果、必然的に待ち合わせ場所はこのバスターミナル前となってしまった。
駅前での待ち合わせはトラウマだから嫌だ……なんて沙姫に言える筈もねぇしな。
「はぁ……」
目を瞑り、視界をシャットアウトして溜め息を吐く。
誤魔化しに過ぎないが、視界に街並みが映らなくなっただけで気持ち程度は気分が楽になった気がする。
「……匕」
「ん?」
Tシャツの袖を引っ張られると同時に、隣のモユに呼ばれた。
落としていた顔を上げて、モユの方に向ける。
「……食べ終わった」
「そうか、じゃゴミを捨てて……って、口の周りにアイスが付いてんぞ」
駅前で貰ったポケットティッシュをポケットから取り、一枚だけ出してペットボトルの水で少しだけ濡らす。
「ったく、拭いてやるから動くなよ」
それでモユの口周りに付いたアイスを拭き取ってやる。
「……」
「これでよし……って、どうした?」
アイスを綺麗に拭き取ったのを確認していると、モユがこっちをジッと見つめていた。
「……匕、怖い顔してた。また嫌な事があったの?」
どこか心配するように俺を見上げて、モユが言った。
「怖い顔、してた?」
「……してた」
自分の顔を指差して聞いてみると、モユは首を縦に振って答える。
あーぁ、また顔に出ちまってたか……。
俯いていたし、モユはアイスを食っていたから気付かないと思ったんだけどなぁ……。
「その、なんだ。今日は暑くなりそうだなー、と思ってたら嫌んなってさ」
今から遊園地に行くってのに、昔のトラウマの話をしたらテンションが下がってしまう。
適当にそれっぽい事を言って誤魔化そう。
「……暑くなるの?」
「なるぞー。今日は全国的に晴れだからな。暑いのは嫌いか?」
「……嫌いじゃない。けど、少し苦手」
それって嫌いって事なんじやねぇのか?
……って、あれ? このトンチ染みた言い方、前にどっかで聞いたような……?
「そろそろ沙姫と沙夜先輩が来る頃だからな。ゴミ箱はあそこにあるから、アイスのゴミを捨ててこい。ついでにこのティッシュも頼む」
モユの口を拭いたティッシュを渡して、近くに置かれている円柱形のゴミ箱を指差す。
「……うん」
モユは座っていたベンチから下りて、ゴミを持ってゴミ箱の方へ向かっていく。
「っはぁ」
ゴミ箱へ駆けていくモユを少し目で追ってから、溜め息を吐く。
上手く誤魔化せたか。
にしても、今日は本当に暑くなりそうだ。
曇っていた昨日の分を取り返すように、太陽は青空に浮かんでギラギラ輝いて紫外線を放っている。
こりゃ日射病に気を付けた方がよさそうだ。
「咲月せんぱーい、お待たせしましたー!」
聞き慣れた声で名前を呼ばれ、空を仰ぎ見ていた視線を落として声がした方にやる。
そこには、こちらに向かって歩いてくる沙姫と沙夜先輩がいた。
「おはよう、咲月君」
「おはようございます、沙夜先輩。早いですね、時間まではまだあるのに」
「バスに乗り遅れたら大変だからね。早めに出てきたのよ」
沙夜先輩に挨拶を返す。
沙夜先輩は薄緑色のキャミソールに黒いデニムパンツと、遊園地に行くからか動きやすそうな服装をしている。
「ねぇ咲月先輩、モユちゃんは?」
「ゴミ捨てに行ってる。ほれ、今戻ってきた」
顎をつい、と前に突き出して、こっちへ戻ってくる最中のモユを指す。
「あ、いた。モユちゃーん! おっはよ!」
「……おはよう」
ハイテンションな沙姫の挨拶に対し、モユはローテンションで返す。
いや、ローテンションと言うか、いつも通りなんだけどな。
「あーもう! 朝から可愛いなぁ、モユちゃんは!」
顔をにやけさせて、モユの頭を撫でる沙姫。
沙姫は黒のTシャツに白いファスナー付き半袖パーカーを羽織り、下はホットパンツと前にも見た事がある服装だった。
「モユ、沙夜先輩に挨拶は?」
「……沙夜、おはよう」
「おはよう、モユちゃん」
モユに沙夜先輩へ挨拶をするように言うと、やはり端から見るとローテンションなトーンで挨拶する。
とても今から遊園地に行く子供とは思えねぇ。
「そうだ、咲月君。昨日のお米ありがとね。とても美味しかったわ」
「あ、食べたんですか?」
「えぇ、朝食にね。沙姫なんか朝から三杯も食べたんだから」
実は昨日、俺のマンションの部屋に余っていた米を沙夜先輩にあげた。一昨日、昨日とご飯をご馳走になったし、組手に付き合ってくれた沙姫にお礼という意味で。
今月の仕送りで母さんがくれた物だったが、前に貰ったのがまだある。
それに、今は白羽さんの事務所で暮らしているから米には困らない。何故かあそこは米だけは白羽さんが買ってくるからな。
だから、腐らすよりは、と思ってあげた。
「三杯も……朝からよく食うな、あいつは」
遊園地で何乗ろうか、なんてはしゃぎながらモユと話している沙姫を横目で見る。
「それだけ美味しかったのよ。でも、本当に良かったの? お米は高いから、一人暮らしには貴重でしょう?」
「あぁ、いいんですいいんです。余っていたのなんで、どうせそのままにしていたら腐らせてましたから」
「でも、十キロも貰っちゃって……」
「それに俺って今、白羽さんの所で住み込みしているから飯は出るんですよ」
ただし、白米だけだけどな。
しかし、十キロの米袋を俺のマンションから沙夜先輩の家まで運ぶのは大変だった。
着替えが入ったショルダーバッグに詰めて持って行ったはいいが、あまりの重さに肩が凄ぇ痛くなった。
「だから、気にしないでいいですって。飯どころか、アイスまで作って貰ったんだし」
「……はぁ、そうね。結局いつも、最後は受け取っちゃうんだものね」
沙夜先輩は呆れも含めた苦笑をする。
「それじゃ、お礼しないといけないわね」
「俺がお礼であげたのに、お礼をするんですか?」
「そうよ。だって私達、そういう仲でしょう?」
自分でも変な仲だと思っているらしく、沙夜先輩は笑いながら言う。
「ははっ、そうですね」
それに共感して、俺も釣られて笑ってしまった。
俺がSDCで沙姫を助けて、そのお礼に肉まんを貰った。
そして、その肉まんのお礼にと、沙姫とスーパーで会った時に荷物を持ってやったのが事の始まり。
それから事ある度に、お礼に対してお礼を返すようになった。今ではもう、どっちのお礼にお礼を返しているのか分からない。
それでもまだ続いているのは、それがもう習慣みたいになっているからだろう。
あとは、互いに意地っ張りな所があるから、かな。
「あ、話している間に時間になったみたいね。バスが来たわ」
沙夜先輩が向いている方を見てみると、こっちに向かって走ってくるバスがあった。
そのバスは目の前で止まり、プシューッと空気が抜ける音を出して扉が開いた。
「沙姫、バスが来たわよ」
「モユ、バスに乗るぞー」
二人を呼んで、ベンチから腰を上げる。
「モユちゃん、バスが来たって。行こ!」
「……うん」
沙姫がモユの手を引っ張って、こっちに歩いてくる。
「沙夜先輩、デジャヴーハイランドまでどれ位乗るんです?」
「そうねぇ、大体三十分位ね」
「三十分か……」
なんか微妙な時間だな。短くもなく、長くもなく。
別に車に酔いやすいって訳じゃないから大丈夫だけど、寝ちまいそうだな……。
「はいはい! 私モユちゃんの隣ね!」
「わかったから早く乗りなさい」
子供みたいに騒ぐ沙姫に、沙夜先輩は早くも疲れ始めた色を見せてバスに乗らせる。
今日は子供はモユだけだと思っていたけど、もう1人大きな子供がいたか。
こっちは扱いが大変そうだな、おい。
「さぁ、咲月君。私達も乗りましょ。」
「そうですね」
先に沙姫とモユをバスに乗せて、次に沙夜先輩と俺が乗る。
遊園地は楽しみではあるが、その分子守りが大変そうだ。主におっきい方のが。
期待と不安を胸に抱いて、バスは夢の国へと出発進行。
* * *
「おーおーおー、でっけぇなー」
左手は腰に、右手は日差し避けとして額にやって、そこに聳え立つ物を仰ぎ見る。
青い空をバックに、観覧車やらジェットコースターのレールが入場口の屋根からはみ出ていた。
「凄いですねぇ……このデジャヴーハイランドって、この辺りじゃ一番大きい遊園地なんですよ」
俺と並んで、デジャヴーハイランドを仰ぎ見ていた沙姫が俺の一人言に言葉を返してきた。
バスに揺られる事、約三十分。風邪薬を飲んだ副作用でかは分からないが、途中から睡魔が襲ってきて何度も意識が飛びかけた。
が、バスの窓からでかい観覧車やら絶叫系の乗り物が目に入ったら、意識じゃなく眠気が飛んでいった。
「へぇー。バスで30分そこらの所にこんなでかい遊園地があったんだなぁ」
あまり……と言うか、俺って殆ど遊びに出歩く事が無いから知らなかった。
そもそも、一緒に遊び歩く友達がいないんで。
「にしても、客の数が少なくないか? もうすぐ開園時間なのに」
見上げるのをやめて、今度は辺りを見回す。
開園前で入場口に並んでいるんだが、俺達以外の客はざっと百人いるかいないか。
今は夏休み真っ最中の上に、今日は休日でもある。学生に限らず、社会人も遊びに来れる日だ。
なのに、ここら辺じゃ一番でかい遊園地にしては客が少なくないか?
まだ開園前だって言うのを差し引いても。
「ほら、今日からお盆ですから、里帰りとかする人が多いんじゃないですか?」
「あ、そうか。世間じゃ今日からお盆なのか」
墓参りや里帰りなんかしない俺には全く関係無いから、忘れてた。
「それについ最近、別の所に新しいアミューズメントパークが出来たんですよ。だから、大体の人はそっちに行ってるんだと思います」
「アミューズメントパーク?」
「はい。巨大室内プールで、テレビで凄い取り上げられてましたよ」
「あ、知ってるわ、それ。この間テレビで見た」
でも興味無いからってスルーしたのも覚えている。
どうせ金も無いし、一緒に行くような友達もいないとか言って。
「なるほど、物珍しさでそっちに客が流れちまったのか」
「私も行ってみたいとは思いますけど、今は行っても混んでて余り遊べなそうですからね」
そりゃ新しく出来たばかりで、しかもテレビに取り上げられた所じゃ混みまくってるだろうな。
人がごった返してて満足に遊べなそうだ。
「あ、咲月先輩! 開園したみたいですよ!」
沙姫に言われて入場口の方を見ると、係員がゲートを開け始めていた。
「沙姫、入場券は? 忘れてきてねぇだろうな?」
「忘れる訳ないじゃないですか、ちゃんと持って来ましたよ!」
沙姫は背負っていた、薄桃色をした小さめのリュックを降ろして中を調べ始めた。
「はい、しっかり四枚ありますよ!」
じゃん! と自分で効果音を言って、勢い良く無料チケットを取り出す。
「って事で、はい。咲月先輩」
「なんで俺に渡すんだよ?」
「先頭は任せました」
「なんだそりゃ」
半ば強引に沙姫からチケットを渡され、沙姫達の一番前に立たされる。
まぁ、別にいいけどよ。
「沙夜先輩、モユを頼みますね」
後ろでモユと一緒に並んでいる沙夜先輩に振り向く。
「えぇ、大丈夫よ。モユちゃん、大人しいし」
モユと手を繋いで、沙夜先輩はにっこりと笑って答える。
「で、一番心配なのはお前だ。はぐれるなよ、沙姫」
「子供じゃないんですから大丈夫ですよ!」
「お、あそこに肉まん売ってるぞ?」
「えっ!? どこどこ! どこですかっ!?」
目の色を輝かせ、沙姫はあっちこっちと忙しく辺りを見回す。
遊園地に肉まんなんて売ってる訳ねぇだろ。だから心配だっつってんだよ。
開園すると並んでいた列はスムーズに流れ、真ん中辺りにいた俺達もすぐに中に入る事が出来た。
入場口で係員にチケットを渡す際、看板を見たら入場料は大人で千二百円もするらしい。
それを無料にしてくれるチケットを4枚もくれた新聞屋のおっさんは本当に気前がいいな。
しかし、入場料とアトラクションの乗車券は別というのが遊園地。
なんとも厭らしい商売方法をしなさる。
「ねぇねぇ、姉さん。買うのフリーパスの方がいいよね?」
「そうね。アトラクションは沢山あるし、その方が気兼ね無く遊べるわね」
アトラクションの乗車券売場前で、値段表と睨めっこして沙姫が沙夜先輩に聞いている。
「咲月先輩もそれでいいですか?」
「おう。お前の事だ、遊びまくるんだろ?」
「当然です! 今日は時間の限り遊びこけるつもりです!」
気合いを入れるように、沙姫はガッツポーズする。
「えーっと、学生は三千五百円で、十二歳以下の子供は二千五百円かぁ。結構するなぁ……」
値段表を睨んで、沙姫は渋い表情をする。
確かにまぁ、学生には高い金額だ。
「じゃ私、先に買ってきますね」
「あー沙姫、ちょっと待った」
「へ? なんです?」
リュックから財布を取り出して、フリーパスを買いに行こうとする沙姫を止める。
「全員分のフリーパス、俺が買って来るよ。奢る」
代わりに俺がポケットから財布を出して、売場へ歩き出す。
「ちょっ……咲月君、さすがにそれは悪いわ! 私と沙姫はそれぐらい自分で買うから!」
「そ、そうですよ、咲月先輩! 全員分のを買ったらいくらになると思ってるんですか!」
が、沙姫に腕を掴まれて止められた。
「バイトをしてるとは言え、咲月君は一人暮らしでしょう? お金はきちんと計算して使わなきゃ駄目よ。私達に気を使わなくてもいいから」
「そうですそうです! それに、格好付けないのが咲月先輩なんですから、そんな似合わない事はしなくていいですって!」
沙夜先輩は俺の心配をしてくれているらしく、真剣な顔で止めてくる。
ただし沙姫、お前は駄目だ。あとでしっぺ百発な。
「待て待て、待ってくれってば。俺の話を聞け」
真顔で詰め寄ってくる沙姫と沙夜先輩を落ち着かせてる。
「実は今日、出掛ける前に白羽さんからカンパを貰ってよ」
財布から挟んでいた茶封筒を出して、沙姫達に見せる。
「皆で楽しんで来い、って言われて渡された。だから俺の生活が厳しくなる訳じゃない。これは白羽さんからの気持ちだってさ」
ひらひらと封筒を揺らして見せて、沙姫と沙夜先輩を説得する。
「……はぁ、分かったわ。有り難く奢って貰うわ」
「姉さん、いいの?」
「白羽さんから渡された物だもの、咲月君に言ってもしょうがないわ」
納得してくれたようで、沙夜先輩は肩を竦ませながら微苦笑する。
「それに、結局最後には咲月君に根負けしちゃうんだもの。早く折れた方がいいでしょ?」
「確かに、それもそうだね」
腕を組んで、うんうん、と首を縦に降って沙姫が頷く。
沙姫と沙夜先輩を納得させたのはいいけど、俺はどこか納得出来ない。
「じゃ、納得してくれた所で買ってくる」
売場へ行って、窓口でフリーパスを買う。
「学生のフリーパスを3つと、子供のを1つ」
三千五百円が三つに、二千五百が一つ。計一万三千円。モユのアイスで換算すれば十五日分。
白羽さんからのカンパがあって本当によかったと染々思う。
「買ってきた。ほれ、沙姫」
「へー、フリーパスって腕に付けるんですか」
沙姫にフリーパスを渡すと、まじまじと眺めている。
フリーパスは腕時計みたいな形をしていて、アトラクションに乗る時に係員に見せればいいらしい。
「はい、沙夜先輩」
「ありがと」
「モユには付けてやるか」
沙夜先輩と手を繋いでいたモユの前でしゃがんで、モユの手を取る。
「……匕、これなに?」
「フリーパスって言ってな、遊ぶのに必要な物だ」
きつくもなく、緩くもない感じで、モユの右手首にフリーパスを付けてやる。
最後に自分のを右手首に付けて、準備完了。
「よし、これであとは遊ぶだけだな」
「はいはい、はーい! 私あれに乗りたい!」
綺麗な直線を描いて、沙姫が勢い良く挙手する。
「あれってどれだよ?」
「あれです!」
ビシィッ! と指差す先には、宙でくねくねと曲がった巨大レールの上を滑走していく物体。
乗っている人の悲鳴がドップラー効果で聞こえてくる。
「初っぱなジェットコースターかよ。飛ばしてんなぁ」
「だって乗りたいんですもん!」
「まぁ俺はいいけどよ、あれはモユには無理だろ」
看板には大きく『垂直落下&空中30回転! 時速100kmで滑り駆ける!』と書かれていた。
とてもモユが乗るようなアトラクションではない。
「……匕」
「なんだ、モユ? やっぱあれは恐――」
「……私もあれ、乗りたい」
って、はい?
「悪い、モユ。もう一回」
「……あれに乗りたい」
モユは沙姫と同じ物を指差して、俺を見てくる。
「だよねぇ、乗りたいよねぇ! モユちゃん、分かってるぅ!」
自分に賛同してくれて嬉しかったのか、沙姫がモユに抱き付く。
い、意外だ。モユが絶叫系マシーンに興味を示すとは……。
「モユも乗りたいって言うなら、最初はあれに乗るか」
「……うん」
「やたっ!」
そんなに乗りたかったのか、沙姫は嬉しそうに万歳している。
「沙夜先輩もいいですか?」
「私はここで待ってるわ」
「えー、姉さん乗らないのぉ? 一緒に乗ろうよー」
「咲月君達と行ってきなさい。荷物は持っててあげるから」
「ぶー」
沙姫は頬を膨らませて、沙夜先輩にリュックを預ける。
「沙夜先輩、本当にいいんですか?」
「えぇ。ほら、私って髪が長いから後ろの人の邪魔になっちゃうし。気にしないで行ってきて」
「そうですか」
「咲月せんぱーい! 早く行きましょうよー!」
「今行くっての!」
いつの間にか沙姫は、モユと一緒にジェットコースターがある施設の入口に移動して手を振っていた。
「じゃあ、乗り終わったらすぐ戻ってくるんで」
「そうだ、咲月君」
「はい?」
「頑張ってね」
沙夜先輩はにこやかに笑い、そう言ってきた。
何故に頑張って?
気のせいか、沙夜先輩の笑顔から同情が感じ取れたような気がしたんだが……。
「さーきーづーきーせーんぱーい!」
「わーってるって!」
痺れを切らせた沙姫に急かされ、沙夜先輩を置いてジェットコースターの入口へ走る。
* * *
「うおぉぉぉぉぉ!」
「きゃっほーっ!」
「……」
「ぬがぁぁぁぁぁ!」
「凄い凄ーい!」
「……」
* * *
「はぁ、はぁ、はぁ……」
ジェットコースターの施設から出て、沙夜先輩が座って待っていたベンチに俺も座る。
身体に力が入らなく、ベンチの背もたれに背中を寄っ掛からせる。
あぁ、世界かまだ回ってるよ。ぐるんっぐるんに回りまくってる。
「咲月先輩、ジェットコースターが苦手ならそう言ってくれればいいのに」
落ち着かない視界に映る沙姫が、情けないと言いた気に俺を見てくる。
「あのなぁ! 五回も乗らされりゃ気持ち悪くもなるわ!」
こっちは一回だけ乗るもんだと思っていたのに、沙姫の奴がまた乗りたいと言い出しやがった。
誰だって何回も乗れば具合も悪くなる。五回も乗ったら三十回転じゃなくて百五十回転だっつの。
「でも楽しかったよねぇ、モユちゃん?」
「……うん、楽しかった」
あぁ、そりゃ良かったな。俺も5回も付き合ってやったかいがあったってもんだ。
しかしなぁ、モユ。楽しかったならもう少し顔に表せ。ジェットコースターに乗っている時も無表情だっただろ。
周りが絶叫している中、一人だけ無言で無表情ってのはシュール過ぎる。
「次は何に乗ろっかなー。モユちゃんは何に乗りたい?」
なんて、沙姫はけろっとしてモユとパンフレットを眺めて、次に乗るアトラクションを物色している。
沙姫が何ともなく元気なのは納得出来るが、モユまで顔色を一つも変えずに平然としているとは……。
意外とお前ってタフなんだな。
「……これ、なに?」
「これはねぇ、コーヒーカップって言うアトラクションなんだよ」
モユはパンフレットに描かれたアトラクションを指差して、沙姫はその説明をしている。
「……コーヒー? じゃあ、白羽がいるの?」
「へっ? 白羽さん?」
モユから返ってきた言葉の意味が解らず、沙姫はポカンと口を開く。
「あっはっははは! モユ、白羽さんはいねぇよ」
モユが言った事を唯一理解出来た俺は思わず笑ってしまった。
同じ事務所に住んでいれば分かるが、あの人は本当にコーヒーを飲むからな。
むしろ、あの人はコーヒー以外を飲むのか?
「白羽さんは事務所で仕事中だろうよ」
今、少しばかり白羽さんがコーヒーを片手にコーヒーカップに乗って回っている姿を想像してみた。
……シュール以外なんでもない。
「じゃモユちゃん、次はこれに乗ってみよっか!」
「……うん、乗りたい」
興味をそそられたのか、モユは即答で返す。
あんだけジェットコースターで回っておきながら、まだ回るのかよ。
「よし、決まり! ほら咲月先輩、行きますよ!」
「うぇ!? 俺も!? まだ回すつもりかよ!」
「当然です!」
「勘弁してくれ……これ以上回ったらバターになっちまう」
それにまだジェットコースターのダメージが回復しきってねぇんだよ。
他のアトラクションならまだしも、連続で回転系は無理です。本っ当に無理。
「むー。姉さんは?」
「私もここで咲月君と待ってるわ」
「えぇー? ジェットコースターも乗っていないのに?」
「コーヒーカップって二人で一つのに乗るでしょ? 私が行ったら余るもの。モユちゃんと二人で行ってきなさい」
「んー……分かった。コーヒーカップはモユちゃんと2人で乗ってくる」
沙姫は少し渋々といった感じだが、俺が乗るのは諦めてくれた。
「モユちゃん、行こっ!」
「……うん」
沙姫はモユの手を引いて、コーヒーカップへと走っていく。
若いモンは元気だなぁ。
沙姫とモユがいなくなり、俺と沙夜先輩はその場に残る。
「……沙夜先輩」
「何?」
沙夜達の後ろ姿が小さくなってから、沙夜先輩に話し掛ける。
「こうなると分かっていたからジェットコースターに乗らなかったんでしょ……?」
「えぇ。沙姫の事だからね、調子に乗って何度も乗るのは簡単に予想出来たから」
「なんで教えてくれなかったんだよ……」
予想以上に三十回転はキツかった。
しかも客が少ないからサイクルが速く、待ち時間が短いこと短いこと。
一回乗ってまた並んでも体力を回復する間も無く、また順番が来やがった。
「でも、頑張ってねって言ったでしょう?」
「世の中には頑張ってもどうにも出来ない事はあるんですよ」
少なくとも、俺は5連続ジェットコースターには耐えられなかった。
「ふふっ、ごめんね。少し意地悪してみたくなっちゃって。だけど、何も5回全部、沙姫に付き合う必要は無かったんじゃない? 咲月君だけ先に抜ければ良かったのに」
「それはほら、あれ。男の意地ってヤツです」
男として一番先にリタイアするのは心が許さなかった。
が、身体は耐えられなかったというオチ。
「それとまぁ、初めての遊園地だからってはしゃぎ過ぎたかな」
空を仰いで、苦笑して自重するように溜め息を吐く。
「えっ? 咲月君、遊園地に来るの初めてだったなの?」
沙夜先輩は驚いた表情になる。
この歳になって一度も来た事が無いってのは、やっぱ珍しいか。
「ははっ、そうなんですよ。だから、ジェットコースターに乗ったのも初めてで」
初めてで五回連続で乗らされるっつー洗礼を受けたけどな。
「全然そんな風には見えなかったわ……」
「今は携帯があれば大概は調べられますからね」
来た事が無くても、調べれば大体の勝手は分かる。
ジェットコースターを5回も乗らされるとは予想だにしていなかったが。
「でも珍しいわね、高校生になってから遊園地に初めて行くのなんて」
「実は親父が結構変わった奴で、家族で遊びに出掛けるってのは昔から一度もした事ないんですよ、俺」
毎日毎日、飽きもせずに武術の修練ばっかりだったからな。
あのクソ親父の中には家族サービスの『か』の字もありゃしない。
「そうだったの……ごめんなさい、もしかして聞かれたら嫌な事を聞いちゃったかしら?」
「んな事ないですよ。俺は全く気にしてないし、嫌な事でもないですよ」
まぁ、小さい頃は気にしてたけど。なんで俺の家はどこにも連れていってくれないんだ、って。
けど、慣れちまえばそんな事も気にならなくなった。
期待するだけ無駄だったし、自分の家はそういう家庭なんだと考えるようにして自分を納得させた。
ただ、どこにも連れていってあげれない事を母さんだけは気にしていて、たまに謝られたりした事もあった。
泣きそうな顔で頭を撫でてきて、ごめんね……と一言。
母さんは悪くないのに、そんな顔をさせてしまう自分に腹を立てたのを今でも覚えている。
「だから、今日は人生初の遊園地を堪能しようと思って」
「そっか。じゃあ今日は遊びまくって良い思い出を作らないといけないわね」
「良い思い出と言うより、早くもトラウマが出来そうになりましたけどね……」
はは、と口の端を引き釣らせて渇いた笑いが出る。
「ふふっ、それじゃそれを忘れちゃう位に楽しまなきゃね」
そんな俺を見て、沙夜先輩はクスクスと笑っている。
本当だよ。初めて遊園地に来てトラウマだけ作って帰るのは御免蒙りたい。しかも高い金を払ってだ。
モユもよく平気だったな。乗った5回全て悲鳴をあげずに涼しい顔してんだもんな。
あんたは絶叫マシン泣かせだよ。
「ふーっ、回した回したー」
沙姫は額の汗を手の甲で拭いながら、コーヒーカップから戻ってきた。
モユはジェットコースターと同様、顔色を全く変えずに。
「意外と早かったな」
「はい。並んでる人が少なかったんで、すぐに乗れたんです」
沙姫は良い汗かいたと満足げな表情をしている。
「いやーもう、遠心力で掛かるGでブラックアウトを起こすと思いましたよー」
あっははー、と頭を掻いて大きく口を開けて笑う沙姫。
ブラックアウトって……どんだけ回したんだよ。
「モユ、大丈夫だったか?」
「……うん」
「モユちゃんったら凄いんですよ。私がいくら速く回しても顔色変えず微動だにしなかったんですから!」
俺、行かなくてよかったー。行ってたら絶対、今頃バターになってたわ。
「……んん?」
喧しく喋る沙姫の隣に立っている、モユの視線が妙に定まっていない事に気付いた。
よく見たら、足も少し震えてねぇか?
「モユ、これ何本に見える?」
人差し指だけを立てた右手を、モユの前に出して見せる。
「……」
モユはすぐに答えず、俺の手を凝視するように数秒間見つめる。
「……さん」
そして、返ってきた答えは二本増えていた。
「今すぐベンチに座って休め」
モユの手を引いて、無理矢理ベンチに座らせる。
ジェットコースターからコーヒーカップというコンボに、さすがのモユも耐えられなかったか。
と言うか、目が回ってるならもう少し表に出せ。
「こら沙姫、モユちゃん目を回してるじゃない!」
「えー? でもコーヒーカップってそういう乗り物じゃん」
「やり過ぎって言ってるのよ!」
ごすん、と沙姫の頭に沙夜先輩の拳骨が炸裂し、鈍い音が聞こえてきた。
「いったー!」
殴られた頭を手で押さえて、沙姫は涙ぐむ。
「……匕」
「なんだ?」
モユがTシャツの袖を引っ張ってきた。
「……三人」
「はい?」
モユの理解不能な言葉に、思わず首を傾げる。
「……匕が三人いる」
視点が定まらない目で俺を見て、モユが聞いてくる。
「モユ、今は休め。いいから休め」
お前が見ている三人の俺の内、二人は幻像だ。
少し休めば治まるから、今は黙って休みなさい。
「さーてっと、次は何に乗ろっかなー?」
早くも拳骨の痛みから復活した沙姫は、次なるアトラクションをパンフレットを見て選び始めた。
「あんたは少し落ち着きなさい」
それを見て、沙夜先輩は溜め息を吐く。
俺、体力持つかな……。




