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No Title  作者: ころく
31/85

No.30 お誘い

8/12


「せいっ!」

「どあぁぁぁ!」


 相手の掛け声と同時に視界がぐるんと回り、身体は浮遊感に包まれる。

 しかし、その浮遊感もほんの一瞬。

 背中に衝撃が走り、回っていた視界は床と天井が逆さまな状態で止まった。

 ズダン、と大きな音を道場に響かせて。


「よしっ!」


 俺をブン投げた本人、沙姫は満足げな顔で胸元に握り拳を作っている。


「だぁー……やられた」


 仰向けに寝そべったまま、身体を大の字にする。

 いくら投げに気を付けても、当て身による牽制に気を取られた所を懐に入られて投げられてしまう。

 逆に攻めると、上手く捌かれて結果はご覧の通り。むしろ、こうも綺麗に投げられると心地良く感じてくる。

 約束通り十時頃に沙姫の家に来て、今日も組手をやっていた。


「どうも上手くあしらわれるなぁ」


 頭を掻きながら身体を起こして、渋い顔をする。


「何を言ってるんですか、咲月先輩だってなかなか触らせてくれないじゃないですか」

「そりゃ何度も投げられりゃ警戒もするっての」


 沙姫が差し出してきた手に掴まって立ち上がる。

 でも、警戒しててもやっぱ投げられちまうんだよなぁ。ちょい悔しい。


「二人とも頑張ってるわねぇ」


 道場の入り口から沙夜先輩が顔を出して、こっちに歩いてくる。


「お昼ご飯出来たわよ。そろそろ終わりにしたら?」

「あれ? もうそんな時間ですか?」

「一時をとっくに過ぎてるわよ。お腹、空いてない?」


 あら、そうだったのか。組手に集中していたからか全然気付かなかった。

 言われてみれば確かに、一時を過ぎたと知った途端に腹が減ってきた。


「じゃ咲月先輩、今日はこの辺で終わりにしますか」

「なんだよ、投げ逃げかー?」

「投げ逃げってなんですか。それに、今日は殆ど五分だったじゃないですか」

「まぁな」


 昨日は沙姫に大勝されたが、今日はなんとかそれは免れた。

 昨日の組手のお陰で、少しは勘が戻ったのなら嬉しいんだけどな。


「そんじゃ、今日はここまでにするか」

「はい。ありがとうございました」

「ありがとうございました」


 沙姫の礼に、俺も礼をして返す。


「姉さん、お昼ご飯なにー?」

「今日はざる蕎麦。それじゃ、台所に行きましょうか」


 蕎麦か、いいねぇ。よく考えたら蕎麦を食べるのは久しぶりかも。


「あ、待って姉さん。私、ご飯の前にシャワー浴びたい!」

「今シャワーを浴びたら皆を待たせるでしょ。食べてから入りなさい」

「えー? だって汗だくで気持ち悪いんだもん」


 汗で張り付いたシャツをいじりながら、沙姫が愚痴る。


「沙夜先輩、俺は構わないですよ。俺だって着替えないといけないし」

「ほら、咲月先輩もこう言ってる!」

「はぁ……分かったわよ、早く浴びてきなさい」

「はーい!」


 沙姫はシャワーを浴びに走って出て行き、喧しい根元がいなくなって道場は静かになる。


「全く、本当に子供なんだから……」


 頭痛を抑えるように額に手を当て、沙夜先輩は溜め息を吐く。

 沙夜先輩、気苦労が絶えなさそうだなぁ……。


「さてと、沙姫がシャワーを浴びてる内に俺も着替えるか。モユ、お前は沙夜先輩と先に行ってろ」


 視線を壁際にやり、そこに座っているモユに話し掛ける。


「……うん」


 本当に何が楽しいのか、モユは今日もずっと静かに組手を眺めていた。

 ただ、昨日とは違う点が一つある。

 昨日は観覧者がモユだけだったが、今日はもう一人……じゃなくて、もう一匹が追加された。

 モユの膝の上で丸まり、寛いでいる黒い物体。皆まで言わなくても、もう解るだろう。ニボ助である。

 なんでも俺とモユが沙姫の家に着く、ほんの少し前に来たらしい。

 まさか、昨日の会話を聞いていて、ニボ助も俺達が来る十時に合わせてやってきたとか?

 って、んな訳無いか。


「モユちゃん、先に行って待ってよっか」


 沙夜先輩は屈んで、笑顔でモユを呼ぶ。


「……うん」


 膝の上で寛いでいたニボ助を抱っこして、モユは沙夜先輩の所に駆け寄る。

 ニボ助もモユに抱っこされるのは嫌じゃないらしく、大人しくしている。

 昨日はニボ助の頭を撫でるのにも少し恐がっていたのに、今じゃ抱っこだもんな。モユも随分と慣れたもんだ。


「咲月君、先に行ってるわね」

「はい、着替えたら俺も行きますんで」


 道場から出ていく沙夜先輩とモユ、それとニボ助を見送ってから着替え部屋に入る。

 腹も減ったし、沙夜先輩達を長く待たせる訳にもいかないからな。

 ちゃっちゃと着替えて俺も台所に行こう。


 汗で濡れたTシャツやらジャージやらを、持ってきた別のに素早く着替える。

 あと少しでも汗臭さを無くす為に、ボディスプレーも忘れずに。


「ありがとうございました」


 しっかり感謝の礼をして、道場から出る。

 荷物を入れたショルダーバックを肩に掛けて、昼飯が待つ台所へと移動する。


「お待たせしました」


 台所の引き戸を開けて中に入る。

 沙夜先輩とモユは既に椅子に座って、テーブルには食器が並んで食べる準備は万端だと言った様子。

 ニボ助さんに至っては既に食べ始めているし。

 沙姫の姿が見えない所からするて、まだシャワーを浴び終わっていないようだ。


「さ、咲月君も座って。あとは沙姫だけね」


 椅子から立ち上がって、流し台に置いていた茹で終えた蕎麦を皿に分けていく。


「浴び終わったー! この速さなら咲月先輩よりも先に――!」


 廊下を走る音がすると思えば、喧しく引き戸が開けられて最後の1人がやってきた。


「よう、ビリっけつ」


 椅子の背もたれに片腕を回して、余裕を見せて沙姫を嘲笑うように唇を微かに釣り上げる。


「って、なんでもういるんですかぁ!?」


 またもやヘソ出しタンクトップで、首にバスタオル。

 恥じらいを知らないのか、こいつは。それとも恥じらう程に色気が無いと自分から言っているのか……。

 それと、人に指を差すな。


「なんでも何も、シャワーを浴びに行ったお前と違って着替えるだけなんだから早いに決まってるだろ」


「むー! 超速で浴びたから絶対に勝ったと思ったのにぃ」


 ちぇー、なんて舌打ちして、沙姫は自分の椅子に座る。


「なんで勝ち負けになってんだよ。って言うか、だったらシャワー浴びなきゃ良かっただろ」

「だって、汗の臭いが気になるじゃないですか。これでも、私だって一応女の子なんですよ」


 ぷーっ、と頬を膨らませる沙姫。

 自分で一応女の子、とか言って悲しくないのか?

 つーか、女の子だと言うんなら、まず男がいる前でその格好をやめなさい。


「毎晩毎晩、夕飯にご飯を三杯も食べる人を女の子と言えるかは怪しいけどね」


 沙姫に呆れた視線を送りつつ、沙夜先輩は蕎麦を持った皿を配っていく。


「あ、どうもです」


 大きめの皿に盛られた鼠色の麺に、刻み海苔がまぶしてある。


「べ、別にいいじゃん! 育ち盛りなんだからお腹が空くの!」

「育つのと太るのは違うのよ? 分かる?」

「な、分かるわよ! そりゃあ、ごにょ……キロは体重増えたけど、これくらいすぐに……」

「あーはいはい、分かったわよ。じゃ、いただきます」


 蕎麦を配り終えた沙夜先輩は自分の席に座って、沙姫を軽くあしらって手を合わす。


「いただきますー、っと」

「……いただきます」


 続いて俺とモユも、沙姫を無視して手を合わせる。


「ちょっと、咲月先輩とモユちゃんまで流さないでくださいよ! なんか私1人で馬鹿みたいじゃないですか!」


 はいはい、そうですね。

 腹が減っている時に、目の前に飯があるのにお前のコントに付き合う気は微塵もございません。


「もー皆して! 私にだってちゃんと女の子としての魅力が……」

「そうだよな、沙姫にも女の子らしい所あるよな」

「さ、咲月先輩……!」

「だから、そこのワサビ取ってくれ」

「むっきー!」




    *   *   *




「はー、満腹満腹」


 ポンポンと膨れた腹を軽く叩く。今日も腹一杯ご馳走になっちまった。

 こう何度もご飯を出されると、慣れてしまって遠慮するのを忘れてしまうな。


「咲月先輩、お茶です」

「お、サンキュ」


 沙姫にお茶を差し出されて、礼を言う。

 昼飯を食べ終わり、今はいつもと同じく客間に移動して一息ついている所。

 モユが蕎麦を食べるのが初めてで、食べるのに戸惑って一苦労したというエピソードがあったりする。

 まぁ、沙夜先輩が食べ方を教えてくれて無事に食べ終える事が出来たけど。

 さすが沙姫の姉だ。小さい子に教えるのは上手だった。


「モユちゃんはソーダでいい……のかな?」


 沙姫は少し戸惑いながらモユを見て、コップにソーダを注ぐ。

 そりゃ、戸惑うのは無理もないかもしれない。

 なんせ……。


「……」

「ニャア」


 俺の隣で、モユとニボ助が互いに向かい合って動かないからだ。

 昼飯を食う前までは抱っこする程仲が良かったのに、今は見つめ合って……というか、睨み合ってる?


「な、何をしているんですかね?」

「さぁ、俺にもさっぱり。子供って色んな事に敏感だって言うからな、ニボ助と意志疎通でもしてんじゃねぇか?」


 ニボ助は尻尾をゆらゆらと宙で遊ばせ、モユはただ黙っているだけ。

 読感術をもってしても、これを理解する事は出来ないだろう。


「ほら、モユちゃん。ソーダあるよー?」


 沙姫はモユを呼んで、ソーダを注いだコップをテーブルに置く。


「……ソーダ?」


 ソーダという言葉に反応して、ずっとニボ助とにらめっこしていたモユが沙姫の方を見る。


「だから、こっちおいで。今日は私が抱っこしてあげる!」


 沙姫は両手を大きく開いて、モユを招く。


「ニャア」


 すると、まるでモユを呼ぶようにニボ助が鳴いて、モユは再び視線をニボ助に向ける。


「……うん、わかった」


 またにらめっこが始まったと思ったら、モユはニボ助に頷き返してから立ち上がる。

 ……まさか本当に意志疎通してた訳じゃないよな?

 モユはテーブルを迂回して沙姫の所へ行き、すとん、と膝の上に座る。


「モユちゃん、ちっちゃくて可愛いー!」


 きゃー、なんて黄色い声をあげて、沙姫はモユを抱き締めて頬擦りする。

 身長が低く体型も小柄なモユは、女の子である沙姫の腕にもすっぽり入ってしまう。


「……ソーダ、飲んでいい?」

「いいよいいよ。っはー、本当に可愛いなぁ、モユちゃんは」


 今度はモユの頭を撫でて、沙姫は顔を緩ませて和んでいる。

 モユは若干、ソーダが飲みにくそうだが。


「そんなに抱っこしたかったのか?」

「こんなにお人形みたく可愛いんですよ!? そりゃしたかったに決まってますよ!」


 そのお人形とやらは、全くお前に興味無さそうにソーダを飲んでるがな。

 モユは沙姫に抱っこされに行ったじゃなくて、ただ単にソーダに釣られただけなんじゃないのか?


「昨日だって、咲月先輩ばっかり抱っこしてズルいです。たまには私にもさせて下さいよ」

「なんだその、まるで俺からモユを抱っこしたみたいな言い方は。お前の目は節穴か? どう見たら俺から進んで抱っこしたように見えるんだよ」


 ありゃ俺の意思なんて関係無く、モユが勝手に乗っかってきたんだろうが。しかも、さらにモユの膝の上にニボ助まで乗っかるし。

 抱っこって言うか、座布団代わりにされてたようなもんだろ。


「ニャア」


 ちょこん、とニボ助がまた、胡座をかいた俺の足の上に乗っかってきた。


「またか。今日はモユじゃなくていいのかー?」


 いいんです。なんて言うように尻尾を揺らして、ニボ助は身を丸くさせる。


「あれ? テレビのリモコンが無いな……咲月先輩、そっちの方にリモコンが入った箱がありませんか?」


 モユを抱っこしていてあまり身動きが取れず、沙姫はテーブルの下を手探りしながら聞いてくる。


「んー? リモコン?」


 お茶を一啜りして、俺もテーブルの下を手探りしてみる。

 すると、指先にコツンと何か固い物が当たった。


「これかな?」


 それを掴んで、テーブルの下から取り出す。

 が、出てきたのはテレビのリモコンではなく、白い外装でバイクのハンドルみたいな形をした物だった。


「なんだこりゃ?」


 なんか見慣れない物体が出てきたぞ。

 リモコンにしちゃデカイし、なんか中央に画面が付いている。


「あ、そ、それはリモコンじゃないです!」


 急に沙姫が焦りだして、俺から奪い取ろうと手を伸ばす。

 が、モユを抱っこしていてその場から動けない上に、テーブルを挟んでいるので当然手が届く事は無い。


「なんだよ、いきなり慌て出して」


 なんだ? これって見られたら恥ずかしい物だったのか?


「それは体脂肪計よ」

「あ、沙夜先輩。って、体脂肪計?」


 食器の片付けを終えた沙夜先輩も客間に来て、沙姫の隣に座る。


「沙姫ったら、昨日の夜に使ってたのよ。痩せたんじゃないかー、ってね」

「ちょっ、姉さん、言わないでよ!」

「一日やそこらで変わる訳が無いのにねぇ」


 沙夜先輩はテーブルに頬杖して、横目で沙姫を見る。


「う、五月蝿いなぁ! 私の勝手でしょ、もう!」


 知られたくない事をバラされて、沙姫は赤くなった顔を隠すように抱っこしているモユの頭に顎をくっ付ける。


「にしても、体脂肪計ねぇ……初めて見たわ」


 そもそも、俺のマンションの部屋には体重計すら無い。

 生きるのに必要な物以外は極力買わないようにしているからな。体重計なんぞあっても滅多に使わないし。


「咲月君、試しにやってみたら?」

「俺が?」

「そうですよ、咲月先輩もやってみて下さいよ!」


 沙夜先輩だけでなく、何やら楽しそうに沙姫までもが勧めてくる。

 そんなに人の体脂肪が気になるのか?


「まぁ、いいけど。でも、これってどう使うんだ?」


 使った事も触った事も無いから、使い方なんて分かる筈がない。


「えっとね、このボタンで年齢と身長を入力して……」


 テーブルを挟んで沙夜先輩に教えてもらい、言われた通りに入力していく。


「そして、最後に腕を前に伸ばして両端を握っていれば結果が出るわ」

「へぇ」


 バイクのハンドルのグリップ部分みたいな所を握って、少し待つとピピッと電子音が鳴った。


「お、結果出た」


 体脂肪計の画面には『体脂肪率16%、肉体年齢16歳』と表示された。


「あら、凄い。咲月君、実際の年齢よりも肉体年齢が若いじゃない」

「咲月先輩って意外と健康的な身体をしてるんですねぇ」


 体脂肪計をテーブルに置くと、沙夜先輩と沙姫が覗くように画面を見る。


「健康的って言うか、太れる程の余裕が無ぇだけだよ」


 金が無いから贅沢なんか出来ないし、毎日野菜炒めだし。

 いや、もしかしたらその野菜炒めのお陰でこの身体があるのかも。

 野菜炒めしか食べていないでバランスが悪いとしても、食ってるのは野菜だから身体に悪いって事は無いだろうからな。


「沙夜先輩はどうなんです? 見た目だと、俺よりも健康そうだけど」


 沙姫と違って太ったとか聞かないし、規則正しい生活を送ってそうだ。


「私? そんな事無いわよ。普通よ、普通」


 苦笑しながらテーブルの体脂肪計を取って、沙夜先輩も自分の体脂肪を計る。

 ピピッ、と計測終了の音が鳴り、体脂肪計をテーブルに置く。


「体脂肪率18%、肉体年齢は18歳……すげぇ、男の俺と殆ど変わら無ぇ」


 確か、平均体脂肪率って女性の方が高いんだよな。

 それなのに平均以下を保っているのは恐らく、体脂肪が無い代わりに筋肉が付いているのかもしれない。

 前に一人で素組しているって言っていたし、沙姫ともたまに組手をしているとも言っていた。


「うん、私は変化無しね」


 沙夜先輩は出た結果に頷いて、体型を維持出来ている事に満足している。


「で、流れ的に当然、次はお前だよな?」


 測定を終えた沙夜先輩から体脂肪計を受け取って、それを沙姫に差し出す。


「な、なんですか次って……その凶器を私に向けないで下さいよ!」


 ほほう、体脂肪計を凶器と申すか。なんとも表現豊かな子だ。


「いいからやってみ。今日も組手をしたんだから、幾らか減っているかもしれないだろ」

「むー……」


 沙姫は渋々と言った様子で凶器……じゃなくて、体脂肪計に手をやる。

 数秒後、ピピッと体脂肪計がなった。


「えーと、なになに? 体脂肪率が22%、肉体年齢は18歳……と。あら、咲月君よりも肉体年齢は上ね」


 計測する沙姫の隣から、沙夜先輩が体脂肪計を覗き込む。


「え、マジ? じゃあ、沙姫……先輩?」

「うっ、うわぁぁあん! 絶対いつか痩せて見返してやるぅー!」


 モユの頭に顔を伏せて、沙姫は声を上げて泣き出した。

 頭の上で泣かれているのに、モユは我関せずといった様子でソーダを飲んでいる。


「でもよ、そんなに気にする程太ってんのか? 今の計った結果を見ても、殆ど平均値と変わらないだろ」

「こんなにイジっておいて、今さらフォローされても虚しいだけなんですよ……」


 モユの頭から顔を少し上げて、沙姫はジト目でこっちを見てくる。

 あんだけイジったら当たり前か。


「ま、本当に今さらだけどさ。劇的に見て分かる位に太ったならともかく、微々たるモンでそんな必死にしなきゃならねぇのか? 女性が思ってる程、男はそんな細かい所まで気にしねぇと思うけどな」


 他の奴等は分からないが、少なくとも俺はそうだ。


「咲月君の言う通りかもしれないけど、その逆もあるのよ」

「逆?」


「男性が思ってる以上に、女性は気にしちゃうものなのよ。そうだと分かっていてもね」


 うーん……まぁ確かに、男性の視点と女性の視点が違えば、当然思考も違う。

 その立場にならないと分からないもんか。


「男の人ってさ、ほら、変に格好つけたがったりするでしょう?」

「あー……まぁ、そうですね」

「えっ!? 咲月先輩も格好つける事あるんですか!?」


 俺が肯定したのに驚いて、モユの頭に半分隠れていた沙姫の顔が勢い良く飛び出した。

 そんなに俺が格好つけるのが可笑しいか。


「悪かったな、普段から格好悪くて」

「あ、いえ、別にそういう意味で言った訳じゃ……」


 まぁ、なんだ。俺の場合は格好つけるんじゃなくて、見栄を張るって感じだけど。


「なんて言いますか、その……咲月先輩っていつも着飾らないじゃないですか。だから想像出来なくて……」

「あー、確かになんて言うか……俺って格好つけても決まらないからなぁ」


 エドは中身が残念だけど、ルックスは文句無しだからな。アイツは格好つけたらビシッと決まりそうだ。

 あと白羽さん。あの人は一つ一つの言動や動作が妙に格好良かったりする。

 と言うか、佇まいからして紳士! って雰囲気が醸し出されてるもんな。


「皆って訳ではないけれど……女の子もね、似たような部分があるのよ」

「へ? 女性も格好つけるんですか?」


 それはちょっと意外。


「格好つけるとは違うけど、綺麗だったり可愛く見せたがるって言うのかしら。男の子が格好つけるのと同じで、女の子も理由も無くやっちゃうのよ」

「あー、なるほど。本能みたいな感じか」


 ははっ、と沙夜先輩と苦笑する。


「でも咲月君って、沙姫が言った通り格好つける姿は想像出来ないわね」

「ま、俺は格好つけても決まずに痛いだけってのは分かってますからね。身の程ってのを知ってるつもりですから」


 そういうヒーロー的な役割は、学校のアイドルであるエドに任せるわ。


「なんて言うか、咲月君って常に自然体だから親しみやすいのよね」

「自然体……ですか?」


 自然体で親しみやすいなんて初めて言われた。

 でも、友達がいなくてクラスで浮いてる俺。


「それって良い事なのかどうか分からないな。なんか遠回しに格好良くないと言われた気が……」


 格好良くないのは分かってはいたけど、遠回しとは言え異性に言われると男としてはへこむ。


「そんな事ないですよ、咲月先輩。外見だけだったり、性格に裏表がある人よりずっと良いです」

「そうね。それに、咲月君の場合って少し特別で……変に格好良くない所が格好良いって感じね」

「うーん……それって褒められてるのか?」


 そんな微妙な言われ方をしたら喜んでいいのかどうか分からん。

 と言うか、友達いない、人望薄い、金がない、不真面目……と、パッと思い付いたのだけでこんなにマイナス要素があった。

 これじゃどうしようもねぇな。


「でも、外見だけだったり性格に裏表がある奴よりはマシ、か」


 さっき沙姫が言った台詞に思わず笑みが零れてしまう。

 おいエド、お前を完全に拒む奴がここにいたぞ。

 奴の八方美人が崩れ去る未来はそう遠くないだろう。


「ま、自分が残念な男ってのは自覚してるけどさ」

「そうですよ! 咲月先輩は格好良くないのがいい所なんですから!」

「……それは馬鹿にしてんのか?」


 テーブルに頬杖を着いて、沙姫を瞼を半開きにした視線を送る。


「ち、違いますって! 純粋な気持ちで褒めたんですよ!」


 沙姫はわたわたと焦って、誤解だと胸元で手を振る。

 純粋な気持ちで格好良くないのがいい所って言われてもな、逆にへこむんだけど。

 ……けど、事実だから何も言えない自分が哀しい。


「……匕」

「ん? どしたー?」


 ソーダを飲み干して空になったコップをテーブルに置いて、モユが俺を呼んできた。


「……三時」


「三時ぃ?」


 頬杖をしたまま客間にある時計を見て、ハッと思い出す。


「……アイス」


 いつもの日課の時間だと、一日のお楽しみを寄越せとお決まりの台詞を言ってきた。


「しまった、買って来るの忘れてた……」


 午前中は沙姫の家に来る前に、駅のホームで早めのおやつとして買ってあげたけど、午後の分はすっかり頭から抜けてしまっていた。


「……アイス、ないの?」

「待て待て、今から買ってくるから」


 だからそう落ち込んだ目で俺を見るな。

 近くでアイスが売ってる所って言ったら、いつもここ来る途中に寄ってるコンビニぐらいしか思い付かねぇな。

 しゃあない、ひとっ走りして来るか。


「あ、咲月君、買ってこなくて大丈夫よ」


 足の上のニボ助をどかそうとした時、沙夜先輩の言葉に止められた。


「モユちゃん、少し待っててね」


 そう言って、沙夜先輩は立ち上がる。


「沙夜先輩、買ってこなくて大丈夫って……?」

「まぁまぁ、咲月君も座って待っていて」


 ウインクして、沙夜先輩は客間から出ていった。

 もしかして、アイスの買い置きとかあったのかな?

 数分後、お盆を持って沙夜先輩が戻ってきた。


「お待たせ。はい、モユちゃん」


 さっきと同じ場所に座って、沙夜先輩はお盆に乗せていた手のひらサイズのプラスチックの容器とスプーンをモユの前に置く。


「……ッ!」


 それを見て、モユの目に光が灯る。


「咲月君と沙姫のも、はい」


 同じ物を目の前のテーブルに置かれ、容器を覗き見る。

 中には白と言うより、クリーム色をしたのが入っていた。


「私が作ったアイスなんだけど、食べてみて」

「えっ、沙夜先輩が作ったんですか!?」

「えぇ。クッキーとかケーキなら何度か作った事があるけど、アイスは初めてだから自信は無いけど……」


 へぇー、凄ぇな。見た目は普通に市販のアイスと変わらない。

 容器がプラスチックなのは冷凍庫で冷やすからか。


「どうかしら、モユちゃん?」

「……美味しい」


 こくっこくっ、とモユは頷きながらスプーンでアイスを口に運んで、夢中で食べている。


「んーっ、甘くて冷たーい」


 沙姫もモユと一緒に頬張っている。

 って、もうお前も食ってんのかよ。


「じゃ、俺も早速」


 スプーンで掬って、一口パクリ。


「咲月君、どう?」

「うわっ、うめぇ。文句無しに美味いですよ」

「本当? よかったぁ」


 味は市販のとは違って甘さ少し控えめって言うか、砂糖の甘さより牛乳の風味が強い。

 なんて言うか、良い意味で売られているのとは違う味。

 そもそも、アイスに限らず、市販されている商品の味とかって何故か家庭では再現出来ないんだよな。

 例えるなら、レストランとか店で売ってるカレー。あれはどうやっても無理。

 一人暮らしになってから何度かカレーを作る機会があったけど、いくら頑張ってもあの味は作れなかった。


「でも姉さん、いつの間にアイスなんて作ってたの? 材料だって無かったのに」

「あんたが組手をしている間にね。モユちゃんがアイス好きだって聞いてたから、作ってみようと思って。喜んでくれたみたいだから良かったわ」


 夢中でアイスを食べるモユを、沙夜先輩は笑顔で見つめて沙姫に答える。

 沙夜先輩がアイスを作ってくれたお陰で、俺はアイスを買いに行かなくて済んだし、モユが不機嫌にならずに済んだ。

 本当、感謝です。


「あ、そだっ! 咲月先輩、明日も暇してませんか?」

「明日? まぁ暇だけど……なんだ、明日も組手するのか?」

「ふっふーん、実はですねぇ……」


 沙姫は後ろに寄っ掛かっていた戸棚をガサゴソと漁り始めた。


「じゃーん、これです!」


 戸棚を漁っていた手を勢い良く前に掲げる。

 その手には、紙切れが4枚握られていた。


「なんだ、これ?」


 スプーンを口に啣えて、空いた右手でその紙切れを1枚摘まみ取る。


「デジャヴーハイランド入場券?」


 それは遊園地の入場無料券だった。


「はい! 実は今日、新聞屋のおじさんから貰ったんですよ!」

「へー、気前のいいおっさんもいるんだなぁ」

「だから、私と姉さん、咲月先輩とモユちゃんとで行きませんか?」


 んー……別に断る理由も無いし、沙姫には前に一度祭りの誘いを断ってるしな。祭りがやっていた神社で会ったけど。


「にしても、よくまぁ都合良く四枚くれたもんだな」

「それはですね。新聞屋のおじさんが、夏休みなんだから私と姉さんにか、彼氏と……一緒に、行ってくると……いいって、言われて……」


 沙姫の表情は段々と暗くなっていき、声も小さくなっていく。


「わ、悪かった! 今のは聞いた俺が全面的に悪かった!」


 どんよりと影を落としていく沙姫の余りのへこみ具合に、謝罪せずにはいられなかった。

 仲のいい友達には彼氏がいるって言ってたからなぁ……周りは彼氏と夏の思い出作りをしているのに、自分だけ男っ気が無いから余計敏感になってるんだろうな。


「咲月君、嫌なら断っても構わないからね? 使わないなら近所の人にあげればいいんだから」

「いや、そんな事はないですけど……」


 とは言え、俺だけの判断では決められない。

 今日の外出もそうだけど、白羽さんに聞いてみないと。


「モユちゃんは遊園地、行きたいよねー?」

「……遊園地?」


 アイスを食べて、ご機嫌を斜めにならずに済んだモユが沙姫の言葉に首を傾げる。


「面白い乗り物や楽しい物がいっぱいあるんだよ!」

「……楽しいのが、いっぱい?」

「そうだよ、いっぱい!」


 モユは視線を上にやり、少しの間黙りこくる。


「……うん、行きたい」


 そして、何を想像したのかは分からないが、いつものようにこくん、と頷く。


「ほら、モユちゃんも行きたいって言ってますよ! だから行きましょうよ、咲月先輩!」

「わかったわかった。けど、俺の一存では決めらんねぇからちょっと待ってろ。今白羽さんに電話してみるから」


 ジーンズのポケットから携帯電話を取り出して、白羽さんに電話を掛けてみる。

 だが、プルルルル、と発信音が鳴り始めるも電話に出る気配がない。


「取り込み中かな?」


 耳から携帯電話を離して、電話を切る。


「電話に出ねぇから、また後で掛けてみるわ」


 一応、電車の中とか車の運転中とかで電話に出られないのかもしれない。

 モユと外出して電話したから、何か問題があったのかと思われないように、一応メールで用件は伝えておこう。


「いつになったら行けるかどうか分かります?」

「さぁな、白羽さん次第だ。まぁ、多分大丈夫だとは思うけど」


 メールに文章を打って、ざっと誤字脱字が無いか確かめて送信する。


「ここにいる内に連絡が来なかったら、帰ってから聞いてみる」


 パタン、と携帯電話を閉じてポケットに戻す。


「明日が無理だったら、明後日とかに行けばいいだろ」

「その、明後日は私達が無理なんです……」

「なんか用事あるのか?」

「お盆ですから、お墓参りに行かないと……私達の家は親戚付き合いが多いので、挨拶にも行かなくちゃいけなくて」


 あー、そうか。今日は十二日だから、世間じゃ明日からお盆か。俺は全く関係ないから忘れてた。


「咲月先輩は独り暮らしですよね? 夏休み中に実家に帰ったりしないんですか?」

「んー、年に一度は地元には帰ってるけど、夏に帰る事は無いな。金も掛かるし」


 第一、実家に帰っても親父に勘当扱いされていて家に入れないからな、俺。

 それに、俺が帰るのは凛の命日だけ。それ以外は、帰る理由が無い。


「とりあえず、遊園地は一時保留だな。白羽さんから許可が出ないと予定も決められねぇし」


 先走って予定だけを立てていたら、結局は駄目でしたってなったらより落ち込むしな。


「あとは天気だな。今日は雨降ってねぇけど、曇ってるから怪しいな」

「ですねぇ……」


 出窓から覗く空は、厚い雲に覆われてどんよりと鼠色に染まっていた。

 もし遊園地に行けるのなら、明日は晴れて欲しいもんだ。

 ま、とにかく今は、白羽さんからの返事待ちだ。


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