No.2 壊幕
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夜二十三時半過ぎ。
学園の敷地内にある中庭の隅に座って姿を隠し、始まるのを待つ。
木に寄り掛かり空を見上げると、木と木の間から欠けた月が覗いていた。
満月でないものの、月明かりで明るく感じる。
初めてSDCに参加したのは約一年前、去年の五月。入学してから間もない頃、突然黒い手紙がきた。
そう、今日と同じように。
それはいい。俺の中にあった根拠がなく望みの薄かった『噂』が『事実』となり希望になった。
その時はずっと心にあった不安が、スゥッとなくなった気がした……。
だが、急に届いた黒い手紙。俺はSDCを調べたがなんも情報がなく、やはり噂は噂だと思っていた。
そんな時に手紙がきた。俺の行動を見透かしているかのように。
確かに俺はSDCを調べたが周りに気付かれるように調べていたつもりはない。そもそも『噂』だ。ほとんど調べる事がない。
やった事と言えば学園内を調べたり、図書室で学校の出来事や昔の新聞で過去の事件でSDCに関連してそうなモノがあるか、ぐらい。
どうやって俺がSDCをかぎ回ってる事を知った……?
一体、誰が俺に手紙を……いや、そこまで俺はバカじゃない。手紙を送ってくるのは、十中八九SDCを動かしている奴だろう。
SDC……正式名称は『Scramdle Desira Colosseum』。
初めて届いた黒い手紙には『Scramdle Desira Colosseumを全て総したモノにだけたった一つ願いを叶える。汝に請ける資格有り。明日の夜より壊幕する。願いを望むならば残るのみ』
あとはいつも通り指定された場所と時間が書かれていただけ。
「欲望(Desira)を奪う(Scramdle)、か」
全てを総したモノにだけ願いが一つだけ叶う……なんて都合のいい、非現実的な言葉。
今からここに集まる奴らは、これの為にここに来る。叶えたいモノは何百人。叶うモノはただ一人。
己の願い……欲望の為に他のモノの願いを潰し、自分が残る。
「ピッタリだね、皮肉な程に」
そう呟いて、乾いた笑いが出た。
叶うモノはただ一人。だから争う。自分の欲望を叶えたいが為に。
ただ『残る』だけなのに、血を流し、戦い、倒れながらも争う。エゴと欲望が人をそうさせる。
きっとあの黒い手紙に他の者を『倒せ』ではなく、『残る』と書いてあったのはこうなる事を見越していたから……。
これに参加する前から俺等は踊らされていたんだ。SDCの黒幕と、自分の欲望に。
「――――――ッ!!」
突然、誰かの声が聞えてきた。かなり遠くからかすかに聞こえる程度の声。
正しく言えば、声と言うより悲鳴。苦痛に悶えるような、生物の叫び。
「……始まったか」
おそらく何処かで、他の参加者達が戦り合ったんだろう。中庭にある時計を見ると既に一時を回っている。
「開始から一時間……相手を探して見つけるのには十分か」
だったら気を付けなければ。自分も見付かってやられては意味がない。
周りを注意しながら身を潜める。だから開始時間より早くここに来た。他に人がいないか確認し、人に見付かりに難く人を見付けやすい場所を探すために。
そして、俺はここにいる。ほぼ中庭全体を見渡せ、自身は身を潜められる、中庭の端にある茂みの中に。
「残りさえすればいいんだ。自分から仕掛けてやられるような馬鹿はしないさ」
ただ時間が過ぎるのを待てばいい。終了の合図が鳴るのを待つだけで。
終了の合図が鳴るのは開始から四時間後の朝四時。それが鳴れば今回のSDCは終わる。
隠れているだけと言っても楽ではない。常に周りを注意して気を張っていなければならなく、緊張感もあり疲れは半端じゃない。
――――ジャリ。
すぐ近くで砂利を踏みしめる音が聞こえてきた。
「――ッ!」
音のした方を木の陰から覗くと、中庭に立っている一つの影。
そして、よく見ると手からは赤い液体らしきものが滴り落ちている。
と言っても大量に出ている訳ではなく、少し付いている程度。もしかしたら自分の手を怪我したのかも知れない。
が、あの悲鳴がした後のこの場合じゃ間違いなく、今目の前にいる奴は『狩る』側の人間だ。
グッ――と息を飲む。
相手は人を一人をやっている。見付かれば戦る事になるのは間違いない。
息を殺して身を潜め、いなくなるのを待つ、バレないように……。
数分間、男は獲物をを探し、その場で軽く周りを見やった後、誰もいないと思ったのかその場を立ち去っていった。
時計を見ると、もうすぐ三時になろうとしているところだった。
「……ふぅ、なんとかやり過ごしたか。あと一時間隠れきりゃ今回もセーフだ」
あと少しで終わり、その一時の気の緩みが仇となった。
「みーっけ」
「――――ッ!!」
声と共に、顔に向かって蹴りが放たれた。
しかし、咄嗟に反射してそれを避ける。蹴りは激しい音をたてて木に当たった。
「っく!」
避けた勢いで一度地面を前転し、膝を着いた状態で元いた場所を見る。
「ヒュゥ、やるねぇ。今ので仕留めるつもりだったのに」
そこには、茶色に染められた髪を掻き上げながら、余裕の笑みを浮かばせた男が立っていた。
「クソッ、見つかっちまった……あと少しで終わりだってのに」
「運がなかったなぁ。一人でも敵は早めに潰しときてぇからよ」
ズボンの膝部分に付いた土を、手で払いながら立ち上がる。
「……しょうがない」
「お、逃げる?」
男は余裕の顔をしている。そんな男に対して、俺は渋々といった表情で溜め息を吐く。
「弱い奴とあまり戦り合いたくなかったんだけどな」
「……ハァ?」
弱い奴、という言葉に反応したのだろう。男の眉間に皺が寄っていく。
「――――戦るか」
「誰が弱いだ、あぁ? 隠れてた奴がデカイ口叩いてんじゃねぇぞ!」
挑発をした訳ではなかったが、嘗められた口調と言葉に煽られて、切れた男が走ってこちらへに向かってくる。
腰を落として身体は半身、肩幅程に足を開いて流れるように構える。
男は走りの勢いを乗せ、怒りに任せてパンチを放つ。
しかし、それを難なく横に避けて距離をとる。正しく言うとパンチと言うより、突き。
「空手か」
今の突きと最初の蹴り、見た限り型の基本は出来ている。
「今日でテメェはリタイアだ。よぇー奴がいつまでも残ってんじゃねぇよ」
「それはお前だろ」
この言葉で男は完全にキレた。眉間に皺を作り、こっちに向かって再び走り出す。
「死ね」
勢いをつけ、男は上半身を捻って背中を向けてから、一回転――――後ろ回し蹴りを放つ。
が、軽く避けつつ男の蹴り足の脹ら脛に手を当てて払い、蹴りの軌道を変える。
すると、鈍く大きな音を立てて勢い良く背中から地面に落ちる男。
ドッ、と。受け身も出来なく、男は背中を強く打った。
「……なっ!?」
男は何が起きたのかと言いたそうな顔で、視界がいきなり一転して、目の前にいた筈の俺が消えて不思議でならないんだろう。
「気分最悪だろ?」
「何、が……?」
確かに基本は出来ている。が、あくまで基本。
「あんな勢いよく走ってきたら単調な攻撃がくるのバレバレだ。ましてや回し蹴りなんて動作が大きい、単発で出されたなら簡単に避けれる。んで、蹴りの勢いを利用して軌道を変えちゃえば反動で後ろから地面に、ってこと」
「素人に、負け……る……」
背中から落ちて強く打ったんだ。呼吸がしにくくなり、男は喋りにくそうだ。
「言っとくけど、ド素人って訳じゃない。こういうのは小せぇ頃からやってたんだ、家庭の都合でな」
そして、男の鳩尾に一撃を当てて気絶させる。
「はい、リタイア」
気を失っている男の隣で一息つく。
「はぁ、気を緩んだとは言え見つかるとは……鈍ったなぁ」
時刻は三時半。あと三十分。
「あんまり音をたてたりしなかったし、周りに敵がいる『雰囲気』もない。このまま隠れてれば今日は見付かる事はないだろ」
地面に尻を着いて、胡坐をかく。
「先輩もそう思うっしょ?」
背中にある木に向かって話し掛けると、ガサリと枝葉が擦れる音が鳴る。
すると、木の上から人が飛び降りてきた。
「よっ、と。なんだ、気付いてたのかよ。人が悪ィな」
「後輩が襲われてる時に、木の上でただ見てた人には言われたくないんだけど?」
「ははは、バレてた? つーかよ、お前ならあの程度の奴、なんて事ねぇだろ」
腰を下ろして、俺の隣に先輩も座る。
「まぁ、鍛えられたから」
「なぁんでそんなに強いのに隠れてるかねぇ?」
「別に強いから戦うのが好きって訳じゃないし、何事もなく終わるのが一番楽だよ」
「ふーん……そんなもんか?」
そう言いながら、先輩は膝に肘を置いて頬杖をして空を見る。
「先輩は? 俺と違って好戦的だろ、何人と戦ったのさ?」
「あのね、そりゃ確かに俺は戦り合うの好きだけど誰彼かまわず仕掛けねぇよ、戦闘狂みてぇに言うな。俺は喧嘩を売ってきた奴としかやらねぇって」
空に向けていた視線を俺に向け、少し呆れが入って返してきた。
「そこでのびてる男みたいな奴?」
言って、隣で気絶してる男を親指で差す。
「そ。ま、お前と違う所は俺は隠れないって事ぐらいか」
「で、結局何人と戦ったんだよ?」
「……なんで戦ったって分かんだよ?」
「先輩から出てる雰囲気、かな」
「はっ、さすがだね。今日は一人だよ」
「へぇ、少ない」
「昼間に屋上に行かなかったからな。だから夜の空でも眺めるかー、ってのんびりとお月見してたら見付かっちまったんだよ」
「そういや屋上に来なかったな、先輩」
だから今日はずっと屋上で一人、昼寝をしてた。先輩が来てれば雑談とか出来たのに。
「それより、お前が感覚が分かるのが驚きだよ。なんだっけ? えっと……」
「“読感術”だろ」
「そうそれ! まさかお前も解るとはなぁ」
先輩が出てこなかった言葉を言うと、先輩は俺を指を差す。
「驚いたのはこっちだよ。武術とかやって鍛えないと身に付けらんないのに」
俺なんか、かなり苦労して身につけたってのに。
「なーんか気付いたら分かる様になってたんだよな」
「それに先輩、結構強いだろ? 戦ってる所見た時ないけど感覚で分かる」
「お前には負けるけどな。ま、俺は力や技じゃなくて器用さでアプローチする方だから」
そう言って先輩は笑って見せ、横に置いていたモノを持つ。
布に包んでいて何かは分からないが、長さは俺の頭身と同じ位ある。おそらく長剣や槍などの類だろう。
SDCのルールは『残る』事。それさえ守れば良く、それ以外に無い。
つまり、『残る』為に武器を使用するのは反則でも何でも無く、むしろ自分を有利にする為には当然の事でもある。
「いつもSDCの時持ってるけど、その中身はなんなんだよ? 先輩」
「それはいつか俺が戦っている時に確かめにきな」
「んな面倒くせぇ」
「それとも今、俺と戦るか?」
「断る。それこそ面倒くせぇ」
「ははは、俺も戦る気はないけどな」
ゴゥン、ゴゥン……そんな地に響くような鐘の音。普段学校で鳴る鐘とは違い、どこか気味悪い感じがする音が鳴った。
そして、これがSDC終了の合図。
「おっ、終了か。今回で何人落ちたかな? ま、元々何人いるのかも分かんねぇけど」
「んじゃ、先輩。気ぃ付けて帰れよ」
「そっちもな」
先輩は歩きながらブラブラと手を振る。そして、お互いに帰路に立つ。
終了の鐘が鳴ったからといって油断は出来ない。終わったと思い、安心していると帰り道で襲われる場合もある。
鐘が鳴った後に倒されてもリタイアにはならない。が、中には次のSDCに出れなくすればいいと考える輩も現われる。
SDCに出なければ自動的にリタイア、怪我したまま無理をして出ればカモにされリタイア。
どちらにしろリタイアになる可能性は高くなる。
「ま、見つかってもやられるつもりはないし戦るつもりもない。逃げればいいだけだし」
そう言って裏道を通って学校裏にある神社に出る。
「そういや久しぶりにこっこに来たな」
学校の屋上に並ぶ絶好のサボり場所。屋上と違って木陰が多くて涼しい、今の季節にはちょうどいい所だ。
「でも、こっちには先輩は来ねぇもんなぁ。ここに来たら寝るしかないし」
一人で喋りながら境内に向かう。
この境内から見える景色は好きだ。町を見下ろせて海が見える、ずっと見ていても飽きない。
「しっかし、今の時間でこんなに明るいとはね。いつもなら寝てっから分かんなかった」
時間は四時十分そこら。この景色を見て完全に緊張の糸が切れたのかドッと疲れがきた。
「はぁ、やっぱずっと気を張ってるのは疲れるわぁ。先輩と喋ってる時も気ぃ抜けねェからなぁ」
んんっ、と背伸びをするとパキポキと間接が鳴った。
「さて、と。今日は休みだし……」
境内をあとにして神社から出る。
「帰って寝るか」
* * *
ハァ、ハァ、ハァ……。
走っていた。真っ白く広がる中を、ただがむしゃらに。
息が苦しくなっても、雨で濡れても構わずに走っていた。
「何デ?」
人を探している。
「ドウシテ?」
わからない。
「誰カヲ探シテイルノ?」
誰だろう。
見付けるなくちゃいけない。だけど、見付けてはいけない。
「ナゼ?」
解っているから……自分は、知っているから。
「何ヲ?」
探している人を、そして見つかったモノを……。
見付けてはいけない、ソレは自分を悲しませるから。
でも。
見付けなければいけない。アイツを悲しませるから。
だから、走る。走って探す。
アイツは俺の大切な人……だから。
「デモ、ソノ人ハ見ツカラナイ」
見付ける、でないとアイツを悲しませる。
「デモ君ハ、コノ先ノ事ヲ知ッテイルンダロウ?」
知っている……たけど、思い出せない。
「ジャア、思イ出サセテアゲヨウ」
真っ白い中で、強い光が放たれ視界が奪われる。
「ソコニ倒レテイル“モノ”ガ、君ノ探シテイタ“ヒト”ダ」
気付くと目の前に人が一人倒れている。
――――あぁ、思い出した。
雨が俺と倒れている“モノ”を濡らしていく。
俺はお前を探していたんだった……。
◇ ◇ ◇
「凛っ――――!」
自分の声と共に目を覚ます。
「ハッ、ハッ、ハッ」
呼吸が荒い。心臓も張り裂けそうなくらいバクバクと鳴っている。
「ハッ、ハッ……ハァ」
手を胸にやり、荒くなっている呼吸を調える。
「あの時の……夢、か」
心臓はまだ落ち着かない。
「最近は見ることがなかったんだけどな……」
音が聞こえる。雨の音が。水が降り、落ち、滴り、流れる音。
ベットから下りて出窓から外を見る。雨が降っている。当たり前だ、雨の音がするんだから。
「雨は……嫌いだ」
ギュッと握り拳を作る。やり切れない気持ちとやり場のない怒りを抑えようとして。
『ソコニ』
「――ッ!?」
見ていた夢を思い出す。思い出したくないのに。
『ソコニ倒レテイル“モノ”ガ、君ノ探シテイタ“ヒト”ダ』
「……めろ」
『ソコニ倒レテイル“モノ”ガ』
「やめろ」
『“モノ”ガ、“モノ”ガ、“モノ”ガ、“モノ”ガ、“モノ”ガ……』
「もうやめろ! 喋るな!」
自分の声が部屋に響く。
シン、と静かになった部屋の外から雨の音が少しずつ入ってくる。
「ハァッ、ハァッ」
落ち着いたハズの呼吸が、また荒い。
「……クソッ、なんで目を覚ましてまで夢にうなさられなければならない!」
誰にでもなく向けた叫びが、部屋に響く。
「……なんでアイツが死ななきゃならない、なんで……」
窓に額と着けて、その場に崩れるように膝を着く。
『私は―――』
アイツを思い出す、聞き慣れていて懐かしい声。
『私は雨、好きだな。雨の音を聞きながら目を瞑るとね、違う空間にいるみたいなんだ。それに、なんか落ち着くんだよ。不思議だよね』
いつも隣にいてくれた。いつも一緒にいてくれた。こんな俺に。
でも……今はもう、会えない。
「凛……俺は雨、嫌いだよ」
首に付けていた水晶のついたペンダントを手に取る。
凛の形見。アイツが俺に残していった最後の思い出。
「凛……」
そのペンダントを、両手で包むように掴んで額に当てる。
「お前に、会いたい」
その言葉をかき消すように雨の音が部屋に鳴り響く。
本日の天気、雨のち―――『涙』。