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No Title  作者: ころく
26/85

No.25 黒の長髪、金の三つ編み

8/10


 四角いタイルが綺麗に並ぶ、真白い天井。

 広間のソファに一人で腰掛け、その天井に向けて両手を伸ばす。


「んぁー……っと」


 出来る限り腕を天井に伸ばしてストレッチし、脱力と共に大きく息を吐く。

 時間は夜の九時になる少し前。見たい特番が始まるまで数分あり、テレビにCMが流れる間が暇で固くなった身体をほぐしていた。

 夕飯は約二時間ぐらい前に食べ終わって、今は食休みしつつのんびりと過ごしている。

 目の前のテーブルの上には湯呑みが一つ。夕飯を一緒に食べた深雪さんがお茶を淹れてくれたもの。

 しかし、すでに夕飯を食べ終わってから二時間近く経っている今は、すでに空だ。

 その深雪さんは部屋に戻って広間にはいない。

 しかも、それにモユが付いていって、俺一人で手持ち無沙汰状態。


 最近、モユが深雪さんと一緒にいる事が多かったりする。

 昨日の午前中は十時……通称アイスの時間以外は深雪さんの部屋に行ってた。現に今だって飯を食ったら深雪さんの部屋に直行だ。

 でも、最初は深雪さんをおばさんって呼んだりしたけど、ようやく打ち解けてくれたのかな。この前だって、俺が寝ている間に白羽さんとも話をしたみたいだし。

 あ、でもエドとだけは打ち解けてくれなくていいが。


「おっと、そろそろ始まる」


 テレビの上に置かれている時計を確認すると、もうすぐ九時になりそうだった。

 見たい特番は先程まで見ていた番組とは他局なので、テレビのリモコンを使ってチャンネルを変える。


「始まった始まった」


 照明が薄く、薄暗いスタジオがおどろおどろしいBGMと共に特番が始まった。

 その特番ってのは心霊怪奇物で、好きって訳じゃないんだが、他に見たい物もない。

 それと、あとで沙姫をからかうネタになるかと思って見ている次第である。

 こういうのは好きでも嫌いでも、いい暇潰しになったりする。


「あら、なになに? これ怖いヤツ? 心霊番組?」


 ひょこっと視界の横から、肩まで掛かる栗色の髪をした女性の顔が入ってきた。


「あ、深雪さん」


 いつの間にか広間に来ていたらしい。テレビを見ていて気付かなかった。


「と、モユもか」


 その隣にモユも立っていた。

 深雪さんの手にはバスタオルが握られ、モユはピンク色をしたプラスチックの桶を持っている。

 その桶の中にはボディソープやシャンプーの他に、ヒヨコの玩具も混ざっていた。

 風呂に入りながら遊ぶのか?


「今から風呂?」

「そうよ。モユちゃんと仲良く二人で」


 ねー? なんて深雪さんはモユに同意を求める。


「……うん」


 モユはいつもの無表情のまま、一言だけで返して頷く。


「でもちょっち失敗したかなぁ、心霊番組がやってるとは……」

「へぇ、深雪さんってこういうの好きなんだ」

「え? あぁ、うん。昔っから大好きなのよ。私って霊感とか全く無いから実際には見た事無いけどね」

「この手の話って結構詳しかったり?」

「そうねぇ……子供の頃からよく怖い番組を見てたし、それなりには」


 ほほう。これはいい事を聞いた。

 今度機会があれば、是非とも沙姫に聞かせてやりたい。


「だったら、これ見てから風呂に入れば?」


 深雪さんはこれから風呂だというのに、テレビを食い入るように見つめている。


「そうねぇ、うーん……」


 そんなに見たいのか、顎に手をやって唸りながら悩む深雪さん。


「あ、やっぱりいいわ」


 と思えば、すんなりと諦めた。


「へ? なんでまた急に?」

「だってこれ、ドラマでの再現だもの。こういうのって大して怖くないし、ハズレが多いのよ。視聴者から送られてきたビデオ映像とかなら面白いんだけどね」


 だから見なくていいわ、と深雪さんは期待外れからか溜め息を吐く。

 俺には違いがよく分からないが、そこまで知っている深雪さんはかなり心霊番組を見ているみたいだ。


「さ、モユちゃん。お風呂に行こっか」


 モユの片手を引いて、深雪さんとモユは広間から出ていった。

 出ていった二人を少し目で追ったあと、テレビに視線を戻す。


「ドラマでの再現だと怖くない、ねぇ」


 テレビでは、他の番組でも見た事がある女性タレントが映っている。

 ふざけて心霊スポットに行った、なんて実話をドラマで再現しているみたいだが……。


「俺にゃ違いがわかんねぇや」


 ま、俺はただ単に暇潰しで見てただけだしな。違いが分からなくても別にいい。

 お化けとか幽霊とかにも興味は無いし。


「深雪さんは風呂か?」


 深雪さんとモユと入れ替わるように、風呂場へ続く廊下を見ながらエドが広間へ入ってきた。

 普段の暑そうな学生服ではなく、半袖Tシャツにジャージのラフな格好。


「んー? あぁ、モユと一緒にな」


 ソファに座ったまま、首だけをエドへ曲げて答える。


「そうか。で、足の調子はどうだ?」


 エドはソファに腰掛けて、SDCの時に痛めた足を聞いてきた。


「深雪さんに診てもらって湿布貼ったし、痛みはもう引いた」


 右足を左太股の上に置いて、痛めた右足首の辺りをペシペシと軽く叩く。

 少し赤くなって腫れていたが、今はもう引いている。


「ここ二、三日は念の為あまり動かないようにしてたけど、今日からランニングを再開出来そうだ」


 日課となっていたランニングだったが、無理をして更に足を悪くしたら元も子も無い。

 コウとのケリがまだ着いてないし、SDCだってまた行われる。

 片足を壊したままじゃあ、絶対に生き残るのは無理だ。休む時は休む、区切りはしっかり付けないと。


「つーかよ、足痛めてんのに二駅も離れたここまで歩かせんなよ。電車が無くてもタクシーがあっただろうが」

「何を言ってる。タクシーなんて使ったらいくら掛かると思ってるんだ。深雪さんに経費は出来るだけ抑えろって言われてるんだよ」

「ケチ臭ぇなぁ」


 ソファの肘掛けに腕を置いて、頬杖する。


「それにお前だってタクシーなんて一言も言わないで歩いただろ。文句は言っていたけどな」

「うっ……」


 タクシーなんて高級なモンは一人暮らしをしてから使った事無いんでね。

 その時は選択肢にすら浮かばなかったんだよ。

 タクシーなんぞに金を使える程、うちの家計に余裕がある訳ない。


「大事には至らなかったんだろ? ならいいじゃないか」

「まぁそうだけどよ」


 けど腑に落ちないんだよな。

 足に貼られた湿布を剥がしながら、フン、と鼻を鳴らす。


「ん、動かしても全く痛くねぇ」


 右足を上げて、足首から先を上下左右に動かして痛まないか確認する。

 湿布を剥がした部分は少しスースーするが、それ以外問題無し。

 完治したと思って大丈夫だろう。


「よし、なら久々にランニングでもしてくっか」


 剥がした湿布をゴミ箱へ投げ捨て、ソファから立ち上がる。


「テレビを見ていたんじゃないのか?」

「暇だったから何となく見ていただけだ。別に見なくてもいい」


 沙姫へのいじりネタとして見ようと思っただけで、そんなに見たいという訳じゃない。

 それに、この番組よりも深雪さんの方がいいネタを持ってそうだ。


「最初は歩いて、一応足の調子を見てから走ろうと思って。いつもより時間が掛かりそうだから早めに出るわ」

「随分と頑張るな」

「まぁ、な。肝心な時にへばっちゃ意味無いからな」


 この間のSDCで二人を相手にしても、まだ余力があったのはランニングのお陰でもあったと思う。

 体力作りは基礎中の基礎。体力が無ければ何も出来ないからな。

 地道ながらも、こういうのは大事だ。


「さってと、ちょっくら着替えて行ってくるか」


 背伸びをしながら、広間から出る。

 ランニングに行く前に、自室に行って着替えないと。


「あ、エド。深雪さんが風呂から上がってきたら、一応俺がランニングに行ったって伝えといてくれ」


 廊下からエドにそう言うと、背中を向けたまま軽く手を挙げて返事してきた。

 よし、そんじゃ久々の夜の散歩に行こうかね。




    *   *   *




 今夜は湿気があるせいか、一層暑く感じる。

 黒いベールに包まれた夜の街。人気も無く、静けさが広がる。

 まだ時刻は深夜と言うには少し早い。それなのに街はただシン、と静寂を奏でている。

 コンビニやファミレス、二十四時間営業の店や自動販売機の灯り、僅かに道を照らす街灯。

 街に光はあるのだが、人通りはやはり少ない。


 街並みから少し外れた場所にある、河川敷。

 そこで走り始めてから三十分は経った。

 白羽さんの事務所から出て、最初は歩いて足の様子を見てから、少しずつペースを上げて慣らしていった。

 以前と同じペースで走るようになったのは、この河川敷に着いてから。


「はっ、はっ、はっ……」


 夏の気温よりも熱くなった息を吐きながら、一定のリズムを刻むように走る。

 時間が時間なので、自分以外に人はいない。

 近くで流れる川の音を耳にしながら、黙々と走る事に集中する。


「はぁ、はっ、ふぅ……」


 徐々に走るスピードを落とし、酸素を欲しがる身体を落ち着かせながら走りから歩きに変える。

 すると、全身に湯気でも浴びているみたいに身体が熱くなる。

 歩きを止めて、その場に立ち止まって膝に手をやって上半身を倒すと、走っている最中は気にならなかった汗が滝のように顎から滴り落ちていく。

 舗装されたコンクリートの道に、いくつもの円形の汗が落ちた跡が作られた。


「はぁ、は、ふぅー……足も順調。ま、元々大した怪我でも無かったから当然か」


 屈んだまま右足を見て、完治した事を確認する。

 体力も二、三日そこらランニングをしなかっただけで減る訳もなく、いつも通りに動けた。


「んんー、っと」


 膝にやっていた手を腰に当て、屈んでいた上半身を今度は後ろに反らす。

 背中を伸ばして空を仰ぐと、幾千の星がきらきらと輝いている。

 幾千の中に混ざる、唯一の月は、半月よりも少し丸かった。


「っはー、今日は慣らし程度だし、そろそろ帰るか」


 ジャージのポケットから携帯電話を取り出して、時間を確認すると十時半を回っていた。

 零時になると事務所の玄関の鍵を閉められてしまうから、それまでには帰らないと。


「……ふぅ」


 そして今、俺が立っているこの場所。

 すぐ右隣にある大きな階段。それの先を、一息吐いて無言で見据える。

 誰もいない階段の更に上の、土手に。

 そこは以前、ランニングをしていた最中にテイルが現れた場所。

 ――そして、コウも。


「次は……必ず出てくるだろうな」


 コウは以前神社で戦った時のダメージが大きく、この間のSDCには出て来なかった。

 なら、次は万全の状態で現れる筈だ。

 俺とエドを殺す為、そして壊す為に。

 肌が張り付く程に異様な殺意を持って、氷より冷たい異常な殺気を孕ませて。


「先輩は絶対に助ける。願いも必ず……叶える」


 土手にやっていた視線を自分の右手にやり、ゆっくりと強く握る。

 今自分が言った言葉を離すまいと、逃さないようにと。

 そして、必ず掴んでやると。

 強く強く、握る。


「うん? 休憩中かな?」


 思いに耽っていた時に、不意に聞こえてきた声。

 ビクッ、と身体を跳ねつかせ、首を階段の方へと向ける。


「し、白羽さん?」


 視線を向けた階段には、黒いスーツに黒いハット、そして長く黒い髪。

 闇に包まれた街並みに溶け込むかのように黒で統一された服装を身に纏った男、白羽さんがそこにいた。


「なんでここに?」


 ここ最近、不意に声を掛けられた場合は大概金髪を三つ編みした奴だったから少し焦った。


「街の方に少し用事があってね」

「こんな時間に?」

「うん。エドから咲月君がランニングをしに行ったと聞いてね、それでここにいるかと思って寄ってみたんだ」


 コツ、コツ、と革靴を鳴らしながら、白羽さんは階段を降りる。


「足はもう大丈夫なのかい?」

「あぁ、ご覧の通り。歩いても走っても問題無し」


 言って、二、三回右足の太股を軽く叩いて見せる。


「それは良かった。足を痛めると色々と不便だからね」


 白羽さんは小さく唇を釣り上げて微笑む。


「しかし、咲月君。君には感心させられるよ」

「感心?」

「うん。大概、周りより秀でていたり上回る力を持つと、慢心しやすくなって基礎を怠ったりしやすくなる」

「まぁ……でも俺は強いかって聞かれたらそうでもないし、かと言ってランニングやってるのも他にやる事が無いからだしな」


 右手の人差し指で頬を掻きながら白羽さんに答える。


「たが、街にいるような不良数人に襲われても勝てるだろう?」

「そりゃ、ね。一応武術の心得はあるから、そうそう負ける事は無いと思うけど」


 小さい頃からクソ親父にしごかれて、何年も鍛練したからな。

 普段は武術は使わないようにしてるが、鍛えられた動体視力や反射神経で十分に対応出来ると思う。

 あと読感術もあるし。


「それさ。君は自信を持っていても、それが自慢になる事がない。持ち過ぎる自信はやがて過信になり、自慢は怠慢を生む。適度な自信は戦闘での混乱を避け、気負けを防ぐ。それを持ち、保ち、備わっている君は中々のものだよ」

「いやいや、そりゃいくらなんでも過大評価だって」


 なかなかのものだ、なんて言われても自信無ぇよ。

 この間のSDCじゃ、スキルの実験体を相手に手こずったし、次は出てくるだろうコウは苦戦必須なのは簡単に予想出来る。

 そして、そのコウすらも上回る実力を持っているテイル。

 そんな常識外れの強さを持った奴等がウヨウヨいるってのに、自分を高く評価出来るかってんだ。

 加えて、テイルと渡り合える人が目の前にいるしな……。


「咲月君こそ過小評価だよ。その若さでその強さは舌を巻いてしまう。君はもう少し、自分を認めてもいい」


 白羽さんは微笑いながら右手でハットを押さえて、フフッ、と僅かに声を漏らす。


「……出来ねぇよ、俺は。自分を認めるなんて事」

「うん?」


 白羽さんから目を逸らし、視線を落として言う。

 ハットの鐔を少し上げて、白羽さんは視線をこっちに向けてくる。


「自分で自分を認めるのも、周りから認められるのも……」


 右手を胸元に当てて、服伝いに感じる小さな突起物。


「人を殺した奴に、そんな資格も価値も……無ぇよ」


 そして、ジャージの上から首に掛けてある水晶を握り締める。

 微かに声を小さくさせ、強く、ぎゅっと。


「……前から思っていた。君は自分自身に、必要以上の業を背負っている……いや、背負わせているね」


 白羽さんは一度目を瞑り、一呼吸置いてから口を開いた。


「それは……戒め、かい?」


 哀れむでもなく、同情するでもない。

 再び瞼を開き、何かを語りかけるような目で、白羽さんは聞いてきた。


「……そんな、格好良いモンじゃない。弱くて醜い自分が、無理矢理作り出した言い訳だよ」


 はは、と笑う。

 目は笑わず、口だけを小さく釣り上げた形だけの。


「――嫌な現実から逃れようとする、ただの言い訳」


 渇いた、嘲笑い。


「……でもね、咲月君。それでも私は、君を認めているよ。私個人として、一人の人間としてね」


 言いながら、白羽さんは小さく微笑む。


「人の価値は自分と、その周りで決められる。自分で決めた価値は自分で否定出来るが、周りが決めた価値は周りにしか否定する事が出来ない。自分自身が認めた事を、周りが認めない事だってある。また、周りが認める事を、自分だけが認めない事もね」


 言いながら、白羽さんは空を仰ぐ。

 ハットを落とさないように手で押さえ、微かに吹く夜風に長い黒髪を靡かせて。


「醜いアヒルの子さ。毛色の違うアヒルの子は、それが理由で他の子達に疎外されてしまう。自分も同じアヒルだと思って一緒に居たくても、周りがそれを否定する。自分で認めた価値を、周りは認めてくれなかったんだ。それでも毛色の違うアヒルの子は、自分を認めてもらおうとする。皆と同じ巣から生まれたという事から、自分も同じアヒルなんだと信じてね。けど、最後に自分というモノの価値を決めるのは、やはり自分だよ。アヒルの子も、最後は白鳥になった自分の価値を、自分の生き方を見付けて、自ら飛び去っていった」


 白羽さんは無表情のまま、俺を見る。


「咲月君、君は自分は認められる資格は無いと言ったが、それは君の価値観だ。だが、私には私の価値観がある。人の価値観を否定する事は君には出来ない。そうだろう?」


 つまり、自分がどう思っても、結局は周りは自分とは違うと。


「じゃあ俺はその、醜いアヒルだってか?」


 自分認めない俺は醜いアヒルで、そんな俺を認めてくれる白羽さんは周りのアヒルの子、って例えた訳だ。


「その逆もある、という話さ」


 白羽さんはハットを深く被り、目元を隠す。

 返ってきた言葉に一瞬だけ呆けると、段々と笑いが込み上げてきた。


「……っふ、は、はははっ。口が上手いな、白羽さんは」

「そうでも、ないさ」


 ハットを深く被ったまま、白羽さんは答える。

 思わず声を上げて笑ってしまった。それ程に、今のは俺のツボに入った。


「――――ッ、しっ!」


 白羽さんは何かに反応し、ハットを押さえていた右手の人差し指を立てて、自身の口元にやる。

 そのただならぬ反応と、白羽さんのジェスチャーで笑うのを止める。

 あの白羽さんが真剣な表情をしているのに加え、雰囲気がただ事ではないと物語っていた。


「…………」


 白羽さんは無言のまま、何かを探るように視線を左から右へと動かしていく。

 俺も読感術を使って辺りを探ってみるが、白羽さん以外の雰囲気は感じ取れない。


「ッ!」


 何かを見付けたのか、白羽さんは視線を右にやり、身体をピクリと動いた。


「――――こちらか!」


 弾けるように反応し、白羽さんはすぐ近くにあった階段の上へ目を向ける。

 釣られて俺も同じ方を向く。


「気を付けろ、咲月君。来るぞ……!」

「え?」


 白羽さんは階段の上。誰もいない土手を睨んだまま俺へ話しかけてきた。

 その方向を読感術で探ってみるも、俺は何も感じない。

 一体何が何なのか解らず、いきなり気を付けろと言われても対応出来なかった。

 ――――が、次の瞬間。

 全てを理解し、身体が動いた。それはもう、条件反射と言ってもいい。

 考えるより先に、思うよりも速く、それを感じた時には身構えていた。


「っく、ぁ……はっ」


 もう何度目か、これで。

 この押し潰される圧力感、そして精神が擦り切れてしまいそうな位に息苦しくなる雰囲気。

 何度目であろうが、何度身近で感じようが、決して慣れるものでは無い。


「はっ、は、はぁ……」


 ゆっくりと呼吸をして、自分を落ち着かせる。

 白羽さんと同じく、土手の上を……いや、正しくは土手のある方向を睨み付けて。

 読感術で感じ取った雰囲気、それは――――。


「……来たな」


 さらに表情を強張らせ、白羽さんが漏らした。

 夜風は微弱な筈なのに、辺りに並ぶ木々が異様にざわつく。

 何かを、誰かを、嘲笑うかのように。

 ――ざわり、と。


「おーおー、知っとる雰囲気がする思たら、やっぱりなぁ」


 土手の奥、暗い闇の中から奴は現れた。

 特徴の一つでもある、三つ編みに束ねた金髪を肩に掛けて。

 敵だと言うのに、まるで街で偶然友達を見付けたのかのように、姿を見せた。


「まさか、お前の方からやって来るとはね」

「……ふん、よく言うわ」


 テイルを見上げて睨む白羽さんに、テイルは鼻を鳴らす。


「ほっ、と」


 土手の上から飛び降り、数メートルはある高さからいとも簡単に着地する。

 まるで水溜まりを飛び越えるみたいに。


「よっ、咲月君。今日もランニングかいな。精が出るなぁ」


 俺と白羽さんから5メートル程離れた所に立ち、テイルはけらけらと笑う。


「こんな夜に会うって事は、また人材を集めに来たのか……?」


 見た限り、今日もテイルだけみたいだ。

 恐らく、まだコウは完全に回復していないんだろう。


「ちゃうちゃう、今日は休みや。この近くにおもろい店員がおるコンビニがあってな、そこにタバコを買いに行って来た帰りや」


 ひらひらと手を振り、俺の問いに答えるテイル。


「わざわざ、こんな夜中にかい?」


 白羽さんはいつもと変わらぬ口調で話す。

 が、発せられる雰囲気は普段とは異なる、突き刺すように鋭い感覚。

 穏やかな口調とは別に、その瞳には明らかに表面とは違うモノが秘められていた。

 怒りを孕み、敵意を剥き出しにしたそれ。

 闇よりも暗く。黒よりも濃く。何よりも深く。真っ黒に染まった、その瞳。


「あんなぁ……吸うとるタバコが切れたら買いに行く、愛煙家として当たり前な事やろ?」


 だが、テイルは相変わらずの口調で、白羽さんの視線や雰囲気など気にも止めない。


「さて、どうだか。お前は気まぐれだからね。舌の根が乾かぬ内に、発言とは異なる行動を起こしかねない」

「あっはっは、それは否定出来ひんなぁ。でもま、なんや。俺かて休みの日ぐらい、ゆっくりしたいんや」


 大口を開けて笑った後、首を左右に動かして関節を鳴らす。

 前髪に隠れて目は見えないが、疲れているといった表情をしているのは解った。


「まぁ安心しぃや。俺は気まぐれで気分屋やけど、嘘は言わへん。その辺は知っとるやろ? なぁ、白羽」

「……さて。お前とは付き合いは長いが、深くは無い」

「あーらら。嫌われとるなぁ、俺は」

「好意を持っていて敵対など出来はしないさ。勿論、敵意を持っていて友好にもね」


 くい、とハットの鍔を下げて、白羽さんは無表情でテイルを睨む。


「あーぁ、これだから公務員は頭が固くて嫌んなるわ。戦う時以外ぐらいは仲良うしてもバチは当たらんっちゅうに。なぁ、咲月君もそう思わへんか?」

「さぁね。人付き合いが下手なんで解らない……が、少なくとも俺は、お前とは仲良くなる気は全く無い」


 白羽さんと同様、俺も目の前に立つ金髪を睨み付ける。

 誰が、先輩をあんなにした奴と仲良くなんで出来るか。


「なんやぁ、咲月君にも嫌われとるなぁ。嫌われるような事しかしてへんから当然か」


 言いながら、テイルは後頭部を掻く。


「ま、そんな警戒せぇへんでいいで。二人の雰囲気がしはったんでな、外に出たついでに雑談でもしよ思ただけや」

「……お喋り好きなのは相変わらずか」


 ハットの鍔を掴んだまま、白羽さんは少し呆れ気味にテイルを見やる。


「せやせや、タバコ買ったついでに缶コーヒーも買ったんやった。手ぶらで立ち話もなんや、どや? 両方とも微糖やで」


 テイルはコンビニの袋から2本の缶コーヒーを取り出して、こちらに見せてくる。


「遠慮させてもらうよ。私はブラック派でね。それに、アイスよりもホットの方が好ましい」

「はっ、アンタも相変わらず、変な所が変わっとるなぁ」


 肩を竦ませ、白羽さんの変なこだわりに苦笑するテイル。

 奴とは敵ではあるが、その点だけは激しく同意してしまった。


「なら、ほれ。咲月君にあげるわ」


 テイルは缶コーヒーを1本、俺に向かって放り投げてきた。

 緩い放射線を描いて、宙を飛ぶ缶コーヒーを片手でキャッチする。


「俺もいらねぇよ」


 それをすぐに、テイルへ投げ返す。

 いくら俺が貧乏学生だと言っても、敵から物を貰う程落ちぶれてはいない。


「なんやなんやぁ、人が折角あげる言うてんのに。心配せんでも、缶コーヒーやから毒なんて入ってへんで?」


 返された缶コーヒーを受け取り、テイルは缶を手の上で遊ばせる。

 指先に缶の底を乗せ、器用にくるくると回してコンビニ袋の中に戻した。


「ふざけやがって……テメェは何がしてぇんだ!」


 テイルの飄々とした態度と、いつまでも話が進まない事に苛つきを覚える。


「やから、雑談しに来た言うたやろ。そう牙剥き出しに唸られたら楽しく話せへんから、まずは肩の力を抜かせてやろうっていう心遣いやったのに」


 やれやれ、と両手を軽く上げて、テイルは小さく顔を左右に振る。


「せやなぁ……じゃ大盤振る舞いして、二从人格にじゅうじんかくについて教えたるわ。どや? この話題は興味があるんとちゃうか?」


 にへら、とテイルは楽しそうに笑みを浮かべる。


「……確かに興味はある。だが、お前がそれを話す理由が解らないな」


 話してもデメリットこそあって、メリットが無い。

 テイルの言葉に、白羽さんは不審の目を向ける。


「ただのなんてない世間話をしよ思ても、二人の雰囲気からして付き合ってくれそうもあらへんからなぁ。だったら、興味を惹く話題を出すしかあらへんやろ」


 しゃあ無いやんけ、と漏らしながら、テイルはひらひらと手を振る。


「ま、加えて言わせてもらうなら、教えた所でどうにか出来るとは思えへんしな」


 まるで小馬鹿にするように、唇を斜めに釣り上げてテイルは笑う。

 いや、まるで、ではない。見た通り、小馬鹿にしているのだろう。


「ッ、テメェ!」


 その仕草、態度に、怒りを露にしてテイルへ向かって足を踏み出す。


「――――咲月君」


 が、一歩踏み出した所で、名前を呼ばれて制止された。


「今は耐えるんだ。抑えて欲しい」


 横目で見て、白羽さんは俺に語りかける。


「……くっ」


 白羽さんに言われ、頭に昇っていた血を無理矢理下げる。

 第一、俺がテイルに向かっていったって勝てやしない。


「すぅー、はぁー……」


 鼻から大きく息を吸い、口からゆっくり吐いて落ち着かせる。


「で、二从人格の何を話してくれるのかな?」


 白羽さんはハットの鍔から手を離し、両手をズボンのポケットへと入れる。


「お、なんや? お喋りに付き合うてくれはるんか?」

「遺憾ではあるがね。情報が得られるならそれ位は我慢するさ、情報はいくらあっても困らないからね」


 フッ、と白羽さんは含み笑いをするが、その目は笑っていない。


「本当は今すぐお前を拘束したい所だが……わざわざ相手が自らの情報をくれるというのなら、その間は大目に見るとするさ」

「おー、こわこわ。それが雑談する雰囲気かいな、もっと肩の力を抜いたらどうや?」


 両手をポケットに突っ込んだまま、テイルは肩を小さく上下させる。


「……十五分」

「ん? なんや、白羽?」


 白羽さんはポケットから手を抜き、右手で袖を捲って左手首にしてある、銀色に輝く腕時計に目をやっていた。


「それがお前の雑談に付き合ってやる時間だ」


 言って、両手を再びポケットへと戻す。


「なんやぁ、それっぽっちだけかいな。テレビやったらCMも挟めへんやんか」


 しけとるなぁ、とテイルは小指で耳の穴をほじっている。

 そのテイルに対し、白羽さんはキッ、と睨みを利かせた視線を刺す。


「わっとるっちゅうに、喋りゃええんやろ」


 はいはい、と言いたげに、小指を耳の穴から抜いてフッと吹く。


「せやなぁ、どっから話せばおもろいやろか」


 首をコキコキ鳴らしながら、テイルは呟く。


「とりあえず、咲月君の先輩君の回復にはまだ少し掛かりそうや」

「コウの事か……!」

「あんの馬鹿、身体が痛めつけられとるっちゅうのに構わず暴れ続けるもんやから、結構なダメージが溜まっとってなぁ。全部抜けるには時間を掛けな駄目みたいやわ」


 テイルは小さく溜め息を吐く。


「でもま、お陰さんで実験の方は好調や。最近は精神が不安定になる事は減ってな、毎日安定しとるわ」


 安、定……?

 前にコウが急に苦しみだして、悶えたのは先輩とコウの互いの人格が反発し合ったから。

 それが無くなり、安定していると言う事は、先輩は……。

 視界ががらんと暗くなり、思考が止まる。

 その事実を受け入れたくないと、この現実を信じたくないと。


「今までの実験やと、別人格を入れられた実験体は全員が廃人になってもうてなぁ。突っ込まれる別人格が強烈過ぎて、元の人格が耐えられずに精神が崩壊しもうたるんや」

「うん? 可笑しな事を言うね。その実験は被験者に別人格を刷り込み、侵食させて被験者の身体を乗っ取らせるのが目的なのだろう? なら、元の人格が精神崩壊を起こし、別人格に耐えられなかったのなら、別人格が被験者の身体を乗っ取れた事になり、結果的には成功しているんではないのかな?」

「それがそんな甘いもんちゃうんや。そんな簡単やったら苦労はせぇへんわ」


 常時睨み付ける白羽さんの視線など受け流し、喫茶店で本当に雑談するみたいにテイルは話を進めていく。


「外から突っ込む別人格は未完成なんや。戦闘に関しては一級品やけど、未熟で精神的にも不安定でな。すぐに気絶したり、気の動転、混乱、発狂、昏睡、記憶障害。色々と副作用があって、それが困りの種や」


 テイルは腕を組み、わざとらしくがっくりと肩を落とす。


「で、それを解決させるんには元の人格が必要になるんや。活きのええ、発達し成長した人格がな」

「何……?」


 白羽さんはぴくん、と微かに眉を顰める。


「アンタの好きなコーヒーと同じや。いくら上等のコーヒー豆があっても、お湯が無けりゃコーヒーは完成せぇへん」


 テイルはコンビニ袋から缶コーヒーを取り出し、それを白羽さんへ見せる。


「別人格に耐えられずに元の人格が壊れてまうとな、残った別人格は未完成で未熟故にすぐ精神崩壊してしもうたる。さっき言うたように、発狂したり昏睡に陥ったまま目ぇ覚まさへんかったりなぁ」


 ポンポン、と缶コーヒーを軽く投げて遊びながらテイルは話す。


「やから、元の人格が必要なんや。突っ込んだ別人格が元の人格を飲み込み、犯し、食い平らげ……自分のものにする為に、なぁ?」


 にぃぃ、と口を歪ませるテイルのその表情は、心底楽しく、面白くて仕方の無いと言いたげ。

 だがそれは、俺からしたらこの上無い程に怒りを覚えてしまう顔だった。

 そして、身震いしてしまう程に、不気味な笑い。


「別人格は未完成や、せやからそれを支え、保ち、糧となる“情報”が欲しいんや」


 軽く投げて遊んでいた缶コーヒーを握り、おもむろに手を伸ばして前に出す。


「要は添え木みたいなもんやな」


 言って、テイルは缶コーヒーを逆さに持つ。


「ま、いずれはコーヒーみたく、全てを真っ黒になるまで侵食してまうけどな」


 すると、ガキョ――と音を上げて、中身をぶち撒けて缶コーヒーは歪な形に変わり果てた。

 スチール缶をいとも容易く、しかも片手で潰すその握力には驚くしかなかった。


「……飲み物を粗末にするのは感心しないな」


 ペルタブが中から開けられ、コーヒーは地面に流れ落ち、テイルの足元に黒い染みが広がっていく。

 それを見て、白羽さんはアイスとは言え好物であるコーヒーを捨てるような行為に対し、不機嫌に漏らす。


「それが二从人格にじゅうじんかくと名付けられたる由来や」

「そう、以前から気になっていた。被験者に別人格を入れ込み、二つの人格が存在する事から二从人格と称するのは解る……が、本来の単語とは字が異なっている。その意味、教えてもらおうか」


 白羽さんは右手をポケットから抜き、口許へと当てる。


「読んで字の如くや。元の人格を喰って学び、侵食して取り込み……未完成で足りなかった部分を補い、埋めて、ようやく安定した人格が出来上がるんや。二つの人格が存在する従来の二重人格とはちゃう。元の人格でも、別の人格でも無い……安定した人格」


 コーヒーを滴らせる潰れた空き缶を、テイルはゆっくりと手から離す。


「――三人目の人格がな」


 カランカラン、と乾いた音を鳴らし、重量に逆らえずに缶は地面に転がり落ちた。


「三人目、だと……?」


 長く黒い前髪の隙間から覗かせる白羽さんの双眼が、一層険しくなる。


「せや。“二人《从》”の人格が溶け合い、混じ入って安定した新たな“三人目《人》”の人格が生まれる。お湯と粉を混ぜたら、コーヒーが出来上がるようになぁ?」


 くつくつと、息を殺して肩を僅かに揺らしながらテイルは笑って見せる。


「やから“二从人格”なんや」


 にんまり、と。

 白い歯を剥き出しにして、唇の両端の釣り上げて。


「どや、洒落が利いてるやろ?」


 テイルはこちらの反応を楽しむかのように、挑発を混じりの言葉を最後に加え言う。


「テ、メェ……ッ!」


 そのふざけた言動と台詞に、一度抑えた怒りがまた、ふつふつと沸点を超えていく。

 骨が軋む程に両手を強く握り、眉間に無数の皺が出来る。


「……咲月君、気持ちは解るが落ち着くんだ」


 今にも飛び掛かりそうな勢いであったが、またも白羽さんの声によって阻まれた。


「洒落と言うのはもっと相手を楽しませるものだ、及第点には届かないな。……が、ブラックユーモアとしてならば、中々の出来だよ」


 口許へ当てていた手をハットへやり、くい、と気持ち深めに被る。


「――私は嫌いだがね」


 言い終えた瞬間、白羽さんから凄まじい雰囲気が放たれる。

 まるで刃物を無数に身体へ突きつけられたような、鋭くひりつく空気。

 辺りの木々も反応するかのように、枝葉を擦らせてざわめく。

 落ち葉が白羽さんに触れれば弾け散ってしまいそうな程、その雰囲気はテイルに対して敵意と怒りを孕ませていた。


「ほっ! 相変わらずええ気当たりしよるわ」


 しかし、その雰囲気さえもテイルは心地良さそうに笑って返してきた。

 俺に向けられていないのは解ってはいるのに、その迫力から隣にいるだけで額から幾つも汗の粒が伝う。

 それを物ともしないテイルに、自分との実力差を思い知らされる。

 言わずもがな、その雰囲気を放つ白羽さんにも。


「ほな、も一つついでに教えたる。コウの名前やけどな、あれもええ感じで洒落が利いてんねん」


 またも、くつくつと声を押し殺してテイルが笑う。

 今も白羽さんから鋭い雰囲気が放たれていると言うのに、テイルは今までと変わらない調子で話していく。


「知っているよ。『Character Of Unfinishd』……未完成の人格、という意味からきているのだろう?」

「なーんや、知っとったんかいな」


 つまらんなぁ、と言い、テイルは両手を腰に当てて肩を竦ませる。


「つくづくふざけているね。人間を何だと思っている……!」


 冷静な白羽さんが珍しく、怒りを露にした表情を見せる。


「なーんも? 俺は仕事としてやっとるだけやからなぁ」


 テイルはコンビニ袋に手を突っ込み、中からまだ開けられていないタバコの箱を取り出す。

 ビッ、と袋を破り、箱の中の銀紙も破り捨てた。


「ま、強いて言うなら個人的な興味、ってのはあるかぁ?」


 箱を軽く上下に振ると、タバコが1本だけ箱から身体を乗り出した。

 それを啣え、箱はズボンのポケットに突っ込んだついでに、銀色のジッポを取り出す。

 カキン、と金属音を鳴らし、慣れた手付きでタバコに火を点ける。


「……って、あぁ、なるほど。なんでコウの名前の由来を知っとんのか思たら、連れてったモユから聞いたんか」

「――――ッ!」


 タバコの紫煙を吐き出して、納得しながらテイルは言う。

 そして、テイルが言った言葉に戸惑ってしまう。

 奴は俺達がモユを保護している事は知らない筈。

 モユを学校から白羽さんの事務所へと連れていった時にバレていたとは思えないし、俺がポカして奴に話してしまったという記憶も無い。

 モユを保護してからはテイルに見付からないようにと、徹底して事務所から出すような事もしていなかった。

 なのに、なんで奴は俺達の所にモユがいる事を知っているんだ……!?


「うん? モユ……とは一体、なんだい?」


 だが、白羽さんは初じめて耳にする名だとしらを切る。

 下手に反応すれば、それが証拠だと自分からバラしてしまう。

 もし奴が何の確信も無く、ただのハッタリで言ったという可能性を考えたらなら、白羽さんのように知らぬ顔をするのが正解だ。


「はん、そないな演技なんて要らんで。白々しいったらあらへん」


 そんな白羽さんに、テイルはプカプカと煙を吐きながら返す。


「車ん中から居のうなったのに気付いてから、一応探しはしたのに見付からへんかった。街中を隈無く探したのに、や」


 人差し指と中指の間に挟んだタバコを、親指で弾いて灰を落とす。


「あのガキんちょが一人で、そうそう遠くに行ける筈があらへん。やのにや、短時間で、しかも土地勘が大して無いのに、俺が探しても見付からん所にまで移動した……となると、自然と答えは絞り込まれるやろ」


 タバコを口に啣え、人差し指で頭を掻くテイル。


「俺の目を掻い潜り、見付からへん場所に匿える。そんなん出来るんは、アンタしか思い浮かばへんて」


 フィルター部分を軽く噛み、手を離したまま器用にタバコを吸う。


「しかも、SDCを調べる為にこの街に来ているとなると、もう確定や」


 吸ってから少し間を置いて、ぶはぁ、と溜め息みたいに大きく煙を吐いた。


「……どうやら、隠しても無駄なようだ」


 白羽さんは一度目を瞑り、嘘を通しても無理だと悟って一息つく。

 モユを連れていったのが俺達だと気付いたテイルの理由を聞いたら、納得してしまった。

 テイルの言う通り、奴の目を盗んで逃げ切る事が出来るのはかなり限られる。

 そうなると、消去法で自ずと答えは出てくる。

 モユを安全に保護出来るからこそ、それをヒントに逆に特定されしまったんだ。


「だが、お前の言葉に少し気になった部分がある」


 閉じていた瞼を開いて、白羽さんはテイルに問う。


「お前は確かに言った。モユ君が車から居なくなったのに気付き、『一応探した』と。そこが腑に落ちない。そちらにとって、モユ君は禁器を扱える貴重な存在の筈だ」


 話し続けていくにつれ、白羽さんの目は鋭くなっていく。


「なのにお前は、仕方無く、大して問題でも無いといった様子で“一応”と言った」


 テイルの言葉、挙動、反応を全て見逃さぬようにと。


「まるで、居なくなっても構わない、と言っているように、私は聞き取れたのだがね」


 そしてその眼光は更に鋭く、ギッ――と突き刺すかのように闇夜にぎらめく。

 感応するように辺りには微風が流れ、白羽さんの髪が微かに靡いた。


「……ったく、ほんま昔っからお前は小さな事に気が付くやっちゃのー」


 参ったと漏らしながら、テイルはぶっきらに後頭部を掻きむしる。


「お前がお喋りだからさ。口は災いの元、とは良く言ったものだ」


 淡々とした口調で、白羽さんはテイルに返していく。


「お喋り好きな性格なんやから、しょうがあらへん。ま、ええわ。大盤振る舞い言うたしな、出血大サービスで教えたるわ」


 テイルは半分程の短さになったタバコを指に挟んで口から離し、空に向かって煙を吐き出す。


「実はな、禁器が使える条件がようやく解明出来たんや」

「何ッ!?」

「なっ……!」


 テイルの口から出た言葉に、緊張感が増大する。

 冷静沈着である白羽さんも、僅かに目を見開いて動揺を隠せない様子だった。

 一つの破壊情報を持ち、その破壊行動に特化した武器。

 あまりに強力で、あまりに危険な代物。

 モユの持つ大剣は『斬る』という行動に優れ、それはボールペンから大木、はたまた太い鉄棒すら容易く斬ってしまう。

 だが、使える者は稀少で、その条件が判明されていないのが唯一の難点で、救いだった。

 しかし、あの反則としか思えない物を使える条件が解ったと、テイルは言った。


「やからな、あのガキは用済みや。もう要らへん」


 しっしっと、周りを飛び回るうざい蝿を払うように、テイルは手を振る。


「モユ君はそちらにとって、禁器のデータを取るのに必要不可欠な存在だった筈だ。なのに、そんなに容易く見限る……何を企む?」

「企んどるのは元からやっちゅうに。禁器のデータを取るのはコウだけで十分や。さっき言うたように、最近は安定しているさかいな。即興で造られた言う事を聞くだけの人形と変わらへん出来損ないのガキより、二从人格と禁器のデータを同時に取れるコウの方が効率がええねん」


 テイルは空を仰いでいた顔を正面に向ける。


「お前等が自分の都合で造って、道具として扱っといて……」


 歯軋りを鳴らし、テイルへ怒りの眼差しを向ける。


「人形って何だよ、出来損ないって、要らねぇって勝手な事言ってんじゃねぇぞ!」


 深夜だろうが、相手が格上の実力を持つ敵であろうが構わない。

 ただ奴の言葉が腹立たしく、許せなかった。

 溢れんばかりの怒気を、剥き出しの敵意を、テイルへと向かって放つ。


「ほぅ……? 白羽に及ばへんけど、中々おもろい雰囲気を発しよるなぁ」


 俺の雰囲気に竦みも、怯える様子すら見せず、テイルは興味ありげに関心している。


「人を基にヒトとして作り出された、モノ。人として生きる事を否定された『否人ヒト』。モユは元々、スキルを集めるの為に造られた材料、道具や」


 今テイルが言った、その言葉。

 それは以前、モユが言ったのと同じ悲しく、哀しく。

 そして、生命を踏みにじり、馬鹿にした、ふざけた言葉。


「言う事を聞く道具、欲しいものを手に入れる為の材料。人の格好をしたそれを人形と言うて何が悪いんや?」


 タバコを弾き、先端の灰を落とす。


「人形っちゅうのは字の如く、“人の形をしたモノ”を指すんや。なら、あのガキにはぴったりお似合いやないか」

「――――ッ! 貴様ァァ!」


 奴の言葉に、なんとかギリギリで保っていた何かが、切れた。

 ぷつん、と音を立てて。


「咲月君!?」


 白羽さんの呼び掛けも、三度目は意味を成さなかった。

 怒りによって、視界は真っ赤。頭は真っ白。

 理解しているのは、正面に立つ金髪を三つ編みにした男をブン殴るという事だけ。

 全力で走り、その勢いを右手に乗せてテイルの顔面を狙って力の限り振るう。


 ドッ――――。

 鈍く乾いた音がその場に響き、一人が地面に倒れ込んだ。


「いきなり襲い掛かって危ないなぁ。俺は喧嘩やのうて、雑談をしに来たんやで?」


 地に倒れたのは奴ではなく、俺だった。

 何をされたのか解らない。ただ一瞬で、気付けば俺が倒れて……いや、倒されていた。


「ぐっ……!」


 俯けになった俺の背中に腰を下ろし、奴の左手で右手をがっちりと掴まれて身動きが取れない。


「ま、喧嘩する言うなら相手になるけどなぁ?」


 口元を歪ませ、あの異様な圧力を感じる雰囲気を俺に向けてくる。


 いや、いつものよりも重く、寒く、怖い。真冬の外に放り出されたと錯覚する程、冷たい殺気。

 そして、空いた右手に持った煙草を、俺の首元へと近付ける。


「……っ、は」


 チリチリと迫る、熱を帯びて赤く燃えるタバコ。

 唾を飲み、息を吸えば喉に当たってしまいそうで呼吸が出来ない。

 何より、間近で放たれるテイルの雰囲気に冷や汗が止まらない。

 少しでも動けば殺される……そう思ってしまう奴の殺気。


「咲月君……っ!」


 一歩踏み出し、白羽さんは身構える。


「おっと、下手に動かん方がええで。そっちが咲月君を助けるのと、俺が殺すの……どちらが早いかは試すまでも無いやろ?」


 白羽さんへ視線を向け、テイルが先に抑制する。

 テイルはワンアクション起こすだけに対し、白羽さんは距離を詰めてテイルの攻撃を阻止しなければならない。

 どちらが素早く済ませられるかは、言うまでもない。


「なーんてな。冗談や、冗談。雑談しに来たんやからな、喧嘩なんてせぇへんて。さっき言うたやろ? 俺は嘘は吐かへん」


 悪寒のする殺気は綺麗に消え、テイルはさっきまでと変わらない飄々とした態度に戻った。


「ま、正直な話、一応感謝はしとるんやで? なんせ、あのガキのお陰で禁器の使用条件が解ったんやからなぁ。アイツは出来損ないの中の最高傑作やで」


 テイルは俺の首へ向けていたタバコを口にやり、一口だけ煙を吸う。


「何……モユ君の?」

「さっき言うた通り、アイツは出来損ないや。スキルを目的として造られたっちゅうのに、スキルなんて目覚めへん」


 壊れた機械のように、テイルは口から煙をぶはー、っと吐き出しながら話す。


「しっかしなぁ、ただの出来損ないやあらへんかったんや。鷹がトンビを生んだ言えばええんかなぁ。いや、ちゃうか。トンビの中から鷹が生まれたんや」


 俺を椅子の代わりにして座ったまま、テイルは楽しそうに話を続けていく。


「スキルの為に造られた言うんに、スキルは目覚めへん。やのに、禁器が使えるときた。当初の目的であるスキルでは成果を出さへんクセに、禁器の実験では多大な成果を残しとる。スキルの実験じゃ全くの役立たず、禁器の実験では初の貴重な“所持者”になった」


 短くなってきたタバコを見つめて、くっくっと身体を揺らして笑い始めた。


「まさか、その出来損ないのお陰で禁器の使用条件までが解明出来るとは誰も予想しとらへんかったわ。ほんま、アイツは出来損ないの最高傑作や!」


 喜劇でも見ているかのように、大きな声をあげて笑う。


「てん、めぇ……!」


 モユを物みたいな言い方に、道具同然の扱いに、身体中の血が全て集まったんじゃないかと思う程、頭に血が昇った。

 肉に爪がめり込む程に強く、拳を握る。


「お話し中やて、大人しくせぇっちゅうんや」


 テイルは掴んでいる俺の右手を、ぐい、と内側へと押して捻る。


「ぐ、っつぁ!」


 腕から肩にかけて激痛が走り、痛みで握っていた拳をほどいてしまう。


「ま、なんや。今となれば、あのガキがスキル目覚めへんのは無理もなかったんやけどな」


 俺が大人しくなったのを確認して、テイルは更に話を続ける。


「うん? どういう事かな……?」


 白羽さんは眉を中央に寄せ、反応を見せる。

 俺も正直、テイルの言葉が気になった。


「禁器が使用出来る条件……それはな」


 くっくっく、と。

 テイルは額に手を当て、また心底楽しそうに肩を揺らして笑って見せる。


「“スキルを持っていない”――――っちゅうものやったんや」


 暗闇が広がり、静けさが漂う河川敷の中で、奴の笑い声が広がる。


「スキルを、持っていない……?」


 目を細め、顔を顰めて白羽さんはテイルが言った言葉を呟く。


「可笑しいね……スキルとは人間誰もが持つ、限り無い可能性を秘めた力だ。それを持っていない、というのは有り得ない」

「ふん、有り得へん事なんて有り得へんわ。白羽、今自分で言うたやないか。限り無い可能性ってなぁ?」


 膝に頬杖を立て、それに顎を乗せてテイルが答える。


「やったら、その限り無い可能性とやらの中に、スキルを持ってへん奴が居っても可笑しないんやないか? なんせ、それも人間が持つ可能性やからな」


 頬杖をしたまま、笑っていた口を更に釣り上げて。


「ま、見方を変えれば“スキルを持たない”っちゅう内容のスキルだった、とも言えるるけど」

「スキルを持たないというスキル、か。なるほど、見解の仕方によればそう受け取れる事も出来るね」


 ふむ、と漏らしながら、白羽さんは興味ありげに顎に手をやって頷く。


「肉体強化、行動強化、具象化……そのどれとも当て嵌まらへんスキル。俺等もまだスキルの全てが解っとる訳やあらへん。新種が出てくるんは当たり前やからな」


 禁器の使用条件と新しく判明されたスキルに、テイルは焦った様子も驚いた様子もせず、呑気にタバコを吹かしている。


「そういう訳でな、禁器はスキルを持っとるかを調べるのにも使えるんや。スキルがあるん奴は、禁器が使えへんからなぁ」

「ふ、む。性能を利用して判別させるという事か」

「アンタの事や、ガキが持っとる禁器で自分が使えるか試したやろ? どやった?」

「……さて、どうだろうね」

「はっ、惚けなくてええ。あれが使える奴はほんま滅多に居らへん。どうせ、全員無理やったんやろ」


 カカッ、とタバコを噛んで啣え、テイルは歯茎をこちらに向ける。

 テイルの言う通り、モユ以外に禁器を使えた人は誰もいなかった。

 白羽さんも、深雪さんも、エドだって手にした瞬間に禁器が重くなって無理だった。


「ま、そういう事や。やからもう、あの無愛想なガキは用済みで要らへん。禁器が使えるならスキルは目覚めへんし、禁器にはコウが居るしな」


 残り僅かとなったタバコを吸い込み、白い部分はチリチリと音を鳴らして灰になっていく。


「それにな、こっちも使い物にならへんと解っとるモンに時間を割ける程、暇やない」


 ぷふぅ、と最後の一口を吟味するように間を溜めてから、長い煙を吐いていく。


「アンタの事や。知っとるやろ? あのガキ……」

「――――テイル」


 右手をハットにやり、テイルの言葉を遮るように白羽さんが言葉を重ねる。

 普段と変わらぬ口調であるのにどこか重く、鋭く、低く。


「十五分が過ぎた。お前のお喋りに付き合うのは終わりだよ」


 黒尽くめの衣装を纏い、黒髪を靡かせ、黒い瞳を淡く光らせて。

 闇よりも黒い姿をしたその男性は、言葉を紡ぐ。


「あん? なんや、可笑しいなぁ。まだ時間はある思うんやけど?」

「残念だが、お開きだよ。私の腕時計で測っていたからね」

「ふん、その腕時計とやらを見もせんとよく言うわ」


 鼻息を漏らして、テイルは口先を尖らせる。


「……テイル、お前に二つだけ忠告させてもらう」

「ええで、聞いたる。なんや?」


 テイルは俺の右手首から手を離し、背中から腰を上げる。


「一つ。いつまでも、お前の思い通りに事が進むとは思わない事だ」


 白羽さんはゆっくりと、両目を閉じる。


「はっ。まぁ、頭の隅っこには置いといてやるわ」


 口の片端を釣り上げ、流し聞くようにテイルは答える。

 フィルター近くまで灰になったタバコを親指と人差し指で摘まみ持つ。

 それをデコピンみたく指で弾き、タバコは明後日の方向へ飛んでいった。


「そして、二つ」


 目を瞑ったまま言い、白羽さんはハットを深く被る。


「タバコのポイ捨てはいけないな」


 背後。声が聞こえてきたのは、テイルの背後からだった。

 俺から見れば、左側。


「……え?」


 その一瞬に、俺は目を疑った。

 先程まで白羽さんが立っていた筈の場所。

 そこには誰も、何も居なくなっていた。

 一度の瞬きで、一言発した間に、呼吸を吐いた次には。

 あの黒スーツの人は本当に、本物の一瞬で間を詰め、移動した。

 手にはテイルが投げ捨てたタバコを持って。


「……ほんま、小さな事に気付くやっちゃで」


 自分の背後に回られた事にも一切の驚きを見せず、テイルは呆れを込めて溜め息しる。


「喫煙するのなら、携帯灰皿くらいは持ち歩くのがマナーだ」


 深く被ったハットの鐔を上げ、含み笑いして白羽さんはテイルに返して、手に持ったタバコを差し出す。


「ふん、んな面倒臭いわ」


 テイルは後ろに振り返り、白羽さんからタバコを受け取る。

 そして、二人は僅かの間、無言で互いを睨み合う。

 夏だというのにうすら寒く、肌がチリつく空気が漂う。


「……ま、ええわ。せいぜい、楽しませるこっちゃ」


 にんまり、と薄ら笑いをさせて、テイルは一足飛びで土手へと上がる。

 三十段以上もある階段を軽々と飛び越えて。


「あぁ、せやせや。あんガキは要らへん言うたけどな、禁器まで持っていかれるんは予想外やったわ」


 首だけを曲げ、背中をこちらに向けたままテイルは話す。


「その内、返してもらうさかい」


 先程まで雑談していた時にはさせていなかった、白羽さんに対して明らかな敵意を放って。


「ほな、また会おうや」


 片手をひらりと軽く振り、その言葉を最後にテイルは闇夜に消えていった。

 まるで、溶け込むように。


「く、ってぇ……」


 上半身を起こして、テイルに掴まれていた右手首を擦る。

 嵐の前の静けさならぬ、嵐の後の静けさとでも言うように、辺りにはランニングをしていた時と同じ静寂が戻った。


「大丈夫かい、咲月君?」


 白羽さんに手を差し出され、それを掴んで立ち上がる。


「ん、あぁ。なんて事はない、大丈夫」


 にしてもあの野郎、筋肉質だから重いったらありゃしねぇ。

 握られてた右手首だってまだ少し痛ぇし。


「ったく……まさか、またここでテイルに会うとは思ってもいなかったっつの」


 右肩は痛まないかどうか左手を当てて確認しながら、テイルが消えていった土手を見て漏らす。

 うん、肩に痛みはないな。


「うん。だが、貴重な情報が手に入った。それを考えれば、儲け物だよ」


 テイルの影を追うように、白羽さんも土手の上を眺めている。


「しかし、咲月君。先程のは無茶以外の何でも無い。さすがの私も多少焦ったよ」


 土手へ向けていた白羽さんの視線が、横目で俺に向ける。


「解ってるよ、解ってる。けど、我慢ならなかったんだ……」


 肩にやっていた左手に、無意識に力が籠った。

 握られる左手はジャージを掴み、皺が無数に広がる。


「先輩を面白い玩具のように言いやがるのが、モユを人形呼ばわりするのが……どうしても許せなかった!」


 テイルがいなくなり、静寂を取り戻した河川敷に叫び声が響く。

 今でも思い出せば腹が立つ、あの笑った表情。

 本当に、心底楽しむように歪んだ奴の口。

 あまりの怒りに、吐き気すら覚える。


「君の気持ちは痛い程に解るよ。私も、怒りを抑えるのに必死だった」


 白羽さんは視線だけでなく、身体を俺へと向ける。


「けどね、咲月君。私達の動き方次第で、結果はいくらでも変えられる。明星君を救うのも、モユ君に思い出を作らせてあげてやる事もね」


 そうだ、白羽さんの言う通りだ。

 先輩を救い出すのも、モユをヒトでも否人でも人形でもない、人としての生き方を教えてやるのも。

 全て俺達次第。いや、俺達しか出来ないんだ。


「……必ず、明星君は救ってみせるよ」


 白羽さんは真っ直ぐ俺を見て、誓うように言い切った。

 ただ、なぜかその瞳には何処か、悔恨が混ざっているようにも感じた。


「二从人格の安定、禁器の使用条件の解明……もしかしたら、近い内に大きな動きあるかも……知れないね」


 ざわり、と吹く風に飛ばされぬようにとハットを手で押さえ、白羽さんは再び土手を見上げる。


「モユが持っていた禁器……あれを返してもらうって言ってたけど大丈夫なのか、白羽さん?」

「さて、ね。奴の出方によるだろう。ただ、あの禁器は私が管理して隠してある。そう簡単には手を出せない筈さ」


 白羽さんはハットを押さえたまま、微かに笑みを浮かばせる。


「……む、しまった」


 笑みから一転、白羽さんの表情は真剣なものに変わり、ハットを深々と被って視線を落とす。

 声のトーンも、僅かに低い。


「ど、どうかしたのか、白羽さん?」


 その様子に、ただ事ではないと緊張が走る。

 もしかして、テイルとの会話の中に何か、重大な事があったのか?


「うん。少しばかりミスをしてしまったようだ」


 白羽さんは視線を落としたままで、悔やむように言葉を放つ。

 あの白羽さんが、こんなにも態度に表すのは珍しい。

 その様子で、小さな失敗てはない事が感じ取れた。

 おもむろに膝を曲げてしゃがみ込み、落ちていたソレに手を伸ばす。


「タバコだけてはなく、缶のポイ捨ても注意すべきだったよ」


 そう言って、地面に転がっていた空き缶を拾い上げた。

 言わなくても解ると思うが、それはテイルが片手で潰した缶コーヒーの残骸である。


「って、はい? 空き缶?」


 口をあんぐりと開け、呆けて、暫し理解しようと頭を回転させる。


「うん。ゴミのポイ捨ては街にも環境にも悪いからね」


 しれっ、と白羽さんは当然、当たり前といった様子で缶を手にして立ち上がった。


「いやいやいや、待ってくれ。あんなに真剣な表情をしてて、ただの空き缶?」

「何を言っている、咲月君。ポイ捨てはいけない行為だよ。警察として、こういうのは見逃せない」


 あのね、白羽さんが真剣な面持ちになるから、こちとら緊張しまくってたんだけど。

 確かに、白羽さんの仰ってる事は正しいよ?

 ただね、事によってテンションや雰囲気、言い方があるでしょうよ。

 あんたが真剣な表情になると、こっちも只事じゃないと真剣になっちまうんだよ!


「ったく、無駄に緊張したわ……」


 お陰で肩が凝っちまった。


「さて、咲月君。私は車で帰るが、一緒に乗っていくかい?」

「……いや、いい。俺は走って帰るよ。頭に昇った血も、少しは冷まさないとな」

「そうかい? では、門限の0時を過ぎないようにね」


 白羽さんはそう言って、階段を登って行った。

 事務所は深夜零時になると、白羽さんが玄関の鍵を掛けてしまう。

 それまでには帰らないと中に入れない。

 白羽さんを見送ってから、すっかり汗の引いた身体を屈伸させる。

 誰一人としていなくなった河川敷は、キン、と耳鳴りがする程に静か。

 本当、さっきまでの出来事が嘘だったかのように思えてしまう位に静寂か。


「気に入らねぇな……」


 誰もいない、何も無い、音も聞こえない。

 闇が広がる、虚無の空間を睨み付けて不機嫌に呟く。

 確かに、ランニングをして掻いた汗はすっかり引いた。

 だが、体温は更に高くなった。


 テイルの話を聞いて、怒りによる余熱が未だに身体の内で燻っている

 不完全燃焼よりも質の悪い、向け場も無く、処理しようの無い。

 そんな厄介な怒りと、相手への苛つきと、無力に等しかった自分への腹立たしさ。

 全てが入り交じり、掻き混ざり、感情と体温が昂る。


「本当、気に入らねぇ」


 奴の……テイルが楽しそうに、そして愉しそうに笑うあの顔。

 人を道具にして、人間を材料と見て、ヒトだと人形と扱いして。

 何が楽しいのか、どこがそんなに愉しいのか。俺には全く解らない。解りたくないし、解ってたまるか。

 そして、必要が無くなれば即切り捨てる。

 まるで最後、タバコを捨てるのと同じく、当然のように。


「とりあえず、一発……だな」


 右手を見やり、掌を開いて閉じてを数回繰り返す。

 テイルの笑い顔を思い出し、あの時感じた怒りを反芻する。


「あの顔を一発ブン殴るようにならねぇと、話になんねぇ」


 グッ、と力強く、力の限り右手を握る。


「白羽さんみたいに、環境に悪いとか言うつもりはねぇけど……」


 空気を大きく吸い、大きく吐く。


「――俺も、すぐポイ捨てする奴は許せねぇ」


 睨み付けるかのように土手を見据えて、ランニングを再開する。

 既に姿を消した奴に向けて放った言葉は、届く事無く、闇夜の静寂の中へと霧散して消えていった。

 そして、余熱を発散させるように、二駅離れた事務所を目指して走る。

 その道のりに犇めく暗闇を、必死に、我武者羅に掻き分けるように。



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