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No Title  作者: ころく
22/85

No.21 野菜炒め

 夏で日が落ちるのが遅く、部屋から出るとまだ廊下は夕焼け色で明るかった。


「さて、とりあえず部屋に持っていって片付けるか」


 エドはドアのすぐ横の床に置いていてあった大きな旅行鞄を拾う。

 膨らみも結構あり、中には物が入っていて重そうだ。


「さっき片付けがどうとか言ってたけど、これの事か?」


 エドが手に持つ鞄を指差して聞く。


「あぁ、出掛け先で必要な物だから持っていったんだが、重くて大変だったよ」


 エドと話をしながら、夕日でオレンジ色になった廊下を歩く。

 仕事だと言っても、こんな大荷物を持って行かなきゃならないなんて大変だな。


「朝っぱら早くから出ていったけど、どこに行ってきたんだ?」


 朝早くから出なきゃならないから、結構遠くまで行ったんだろう。


「どこって、海だよ」

「……は?」


 しれっと言ったエドの答えに、動かしていた足が止まる。

 海? 汚い膿じゃなくて海?


「お前、仕事でどっか行ってたんじゃ……」

「何言ってんだ、今日はクラスの皆と海に行く日だって、お前も知ってただろ?」


 立ち止まる俺の方を振り向いてエドが答える。


「……もしかして、知らなかったのか?」


 言葉を失って呆けている俺を見て、まるで同情するような視線を送ってくる。


「終業式の日に、祭りに行ったメンバーで海に行こうって話になって」

「知らねぇ」

「一応、全員誘った筈なんだが……」

「誘われてねぇ」

「俺はてっきり、お前が何も言ってこないし、モユちゃんの事もあるから断ったと思ってたんだが」

「今日は一度マンションに戻って、やる事ないから昼寝してた」


 どんどんとエドの俺を見る目に哀れみの色が濃くなっていく。

 やめろ、そんな目で俺を見るな。泣いてしまう。


「…………」

「…………」


 言葉が途切れ、しばしの沈黙が廊下に流れる。


さじ、お前……人気が無いの通り越して嫌われてるんじゃないか?」

「……言うな、俺も今そう思ってんだから」


 俺がクラスで浮いている存在なのは気付いていたが、まさかハブられるまでに至っていたとは。

 断言しよう。今なら言葉で人を殺せる。

 でもま、誘われていたとしても断ってただろうけど。

 夏祭りの時は俺だけ浮いていて、途中で抜け出したし。どうせ海に行ってもまた同じ事になりそうだ。

 それに、エドが今言ったようにモユの事もある。モユを放ってまで遊びに行こうとは思わない。

 ……昼寝はしたけど。


「お前さ、学校で何か仕出かしたりしたのか?」

「俺はサボりはするけど、周りに迷惑掛けるような事はしねぇよ」


 会話しながら、止めていた足を動かす。


「だよな。クラスじゃいつも一人だし、浮いてるもんな、お前」

「うっせぇ」


 本当の事だが、エドに言われると腹が立つ。

 と言うか、俺からしたらお前が馴染み過ぎなんだよ。


「なんなら、俺が皆と仲良くなるのを手伝ってやろうか?」

「いらねぇよ、んな世話。昔っから友達がいねぇからな、ハブられんのは慣れてる」


 はっ、と自虐して笑う。

 お陰で対ハブられるのには耐性がありましてね。今さら悲しいとは思わねぇよ。


「って事は、そのでっけぇ鞄の中身は……」


 目を半開きにして、エドが持っている鞄に視線を向ける。


「パラソル、水掻き、ビーチボール、ゴーグル、シュノーケルにその他諸々。お陰で重いの何のって」


 エドは空いている左手で右肩を触りながら、疲れた仕草をしている。

 あ、なんかムカついてきた。なんで一応警察で働く社会人のクセに、こいつは学生の俺よりも夏休みらしい夏休みを送ってんだよ。

 ハブられたとか云々抜きで、ただ単純に、そして純粋にムカつくんだが。

 それに、どうして海水浴用の遊具一式をコンプリートしてんだ。そうそういねぇぞ、そんな奴。


「用意する時は楽しかったけど、片付けるとなると一苦労だよ」

「海で溺れてくりゃ片付けしないで済んだのに」


 自室に着いて、エドはポケットから部屋の鍵を取り出す。

 数種類ある鍵の中から迷わずに一つを選び、ドアの鍵を開ける。


「あ、なぁ。給湯室に米があったけどよ、あれって誰も食わないのか?」


 エドが部屋に入る直前で、聞きたかった事があるのを思い出す。

 前にちらりと見付けたんだが、今日の朝に見たら全く減ってなかった。


「米? あぁ、いつもコンビニ物じゃ、って前に白羽さんが俺達が自炊出来るように買ってきたんだけど、結局は面倒臭くて誰も食べずじまいでな」

「なんだよ、勿体ねぇ」


 とか言ったけど、毎月のように仕送りに入っている米を余らせている俺が言える台詞じゃなかった。


「この間、沙姫ちゃんが中華料理を作った時に使ったぐらいで、それからずっと余りっぱなしだ」


 中華料理……あぁ、俺が沙姫を庇って怪我した時のか。あの麻婆丼とエビチリ、美味かったなぁ。

 思い出すだけで涎が出てくる。


「使いたかったら使っていいぞ。どうせ、このままじゃ誰も自炊しないだろうしな」

「そう、か。飯代も浮くし、使わせてもらうか」


 コンビニ弁当ばっかじゃ、金もかさむしな。

 それに、弁当全種類制覇して飽きてきた所だ。


「と言うか、匕。お前、料理なんて出来るのか?」

「馬鹿言え。これでも一人暮らしを一年以上やってんだ、料理ぐらい出来るっつの」


 沙姫や沙夜先輩に比べたら屁みたいなモンだけどな。

 だけど、野菜炒めに関しては自信がある。伊達に一週間を野菜炒めだけで過ごした事がある俺じゃねぇぞ。


「しかし想像出来ないな、お前が料理してる姿なんて」


 含み笑いをしながら俺を見て、エドは部屋に入っていく。


「しなくていい。されても気持ち悪いだけだ」


 けっ、と息を吐き出してエドを半睨みする。

 それの会話を最後にエドは部屋に戻り、俺は広間に向かう。


「……うわ」


 広間に戻るや否や、不機嫌そうに書類と睨めっこしている深雪さんが目に入った。

 目を据わらせて書類を見やり、頬杖をして溜め息。まるで二日酔いした朝みたいな。

 仕事が思うように捗らないのか、物凄い負のオーラを放っている。話し掛けるのを躊躇してしまう。

 そんな中でも普段と変わらず、静かにソファに座るモユさん。流石です。


「モユ、ちょい」


 広間に入り、深雪さんの邪魔をしないように小言でモユを手招きして呼ぶ。

 呼ばれて気付いたモユは、ソファから下りて駆け寄ってくる。


「アイスは食い終わったのか?」

「……うん」


 こくん、とモユは頷く。


「じゃ、ちょっとこっち付き合え」


 ソファに置いていた鞄を持って、静かにモユを連れて広間から出る。

 一言深雪さんに声を掛けようと思ったが、掛けられる雰囲気じゃないのでやめておく。


「……どこ行くの?」


 歩幅に差があるせいで、モユは少し駆け足で後ろを付いてくる。

 それに気付いて、歩くスピードをモユに合わせる。


「給湯室で飯を作る」

「……ご飯? いつもみたいに買ってこないの?」

「これ以上、コンビニだと家計が火の車になっちまうからな」

「……火の車?」


 言葉の意味が分からず、モユは首を傾げる。

 すると、小さくリボンで結ばれた後頭部近くのサイドテールのおさげが、モユに合わせて動く。


「ははっ、分かんねぇか。深雪さん、仕事が忙しそうだから俺と給湯室にいろ。邪魔しちゃ悪いからな」

「……うん」


 物静か……いや、物静か過ぎるモユが邪魔をする事は無いだろうが、深雪さんが何も気に掛けずに仕事が出来るようにしてあげよう。

 他の部屋は普段のドアなのだが、何故か給湯室だけは引き戸。それを開けて中に入る。

 給湯室という名だと言うのに中は意外と広く、給湯器やガスコンロ、冷蔵庫に炊飯器など、もはや一戸建てのキッチン並。

 誰も使わないからかシンクも綺麗で、流し台だって俺の部屋よりも倍以上は広いから調理しやすそう。

 これで使っていないなんて勿体な過ぎる。


「調理道具はここかな、っと」


 足元に鞄を置いて、流し台の下にある収納口を開けると、包丁、まな板、フライパン、鍋と基本的な物は揃ってあった。


「あったあった。さて、それじゃ作るとするか」


 収納口を開けたままにして、鞄をファスナーを開けて中を漁る。


「……何してるの?」


 すると、気になったのかモユが鞄を見ながら聞いてきた。


「ん? ほれ」


 鞄に突っ込んでいた手を出して、中から取り出した物をモユに見せる。


「今日の晩飯だ」


 がさり、と音をさせて取り出したのは、袋に入った野菜。

 そう。本日、母さんから送られてきた数々の野菜の方々。


「あっちに置いてても、今度はいつ戻るか分かんないからな」


 元々、経済的に辛くなってきたから、こっちでも自炊しようと考えていた。

 着替えはこっちに置いてあるし、他に必要な物もこれと言って無い。

 なので、空いた鞄に入れて持ってきた。これなら食材を買わないで済んで、節約にもなる。

 余っていた米も持って来ようかとも思ったが、あんな重いのを運ぶのは面倒だからやめた。

 それに、さっきエドに聞いたように、米があるのは知っていた。

 使わせてもらえるかどうかは別だったけど。


「まずは米を炊いとかないと」


 流し台の隅に置かれていた炊飯器の中から釜を取り出す。

 そして、冷蔵庫の隣に置いてあった、米が入っている四角い大きなプラスチックの容器を開ける。

 保存や取りやすいようにと、市販の袋から移したんだろう。


「そうだ、深雪さんの分も用意するか」


 いつも飯は広間で食べるが、その広間で深雪さんが今仕事をしている。

 さすがに俺とモユだけが深雪さんの前で食べる訳にはいかない。

 仕事で疲れているだろうから、冴えない野菜炒めではあるけど作ってあげよう。


「明日の朝飯の事も考えて、多目に炊いておこう」


 計量カップの代わりに入っていた紙コップで米を掬って釜に入れていく。

 バイトをやめて自炊をする機会が多くなったせいか、計量カップでなくても大体の量が分かるようになった。

 ほとんど意味の無い特技だけど。

 釜に入れた米を三回程磨いでから、炊飯器に戻す。


「早炊き、と」


 早炊き設定にして、炊飯器のスイッチを押す。

 これなら三十分ぐらいで米が炊ける。


「よし、この間におかずを作っちまおう」


 開けっ放しにしていた流し台の収納口から包丁、まな板、フライパン、ボールを出す。

 フライパンはガスコンロの上に置いておき、包丁とまな板は一度軽く水で洗う。

 本日は玉ねぎ、白菜、まいたけ、もやしの野菜炒め。

 玉ねぎの皮を剥いてから、一旦水洗いしてまな板に並べる。


「……野菜、切るの?」


 俺が持った包丁を見て、モユが聞いてくる。


「トマトやキュウリとは違って丸噛り、ってのは出来ないからな」


 苦笑しながら左手で玉ねぎを押さえて、切ろうと包丁を構える。


「……禁器、使う?」

「ブッ!」


 ズダン、と勢い良く包丁が玉ねぎを真っ二つに切る。

 あ、あぶ、危ねぇ! 指を切っちまうとこだった!


「使う訳あるか!」


 たかが料理で野菜を切る為だけに、あんな危ないモンを使う奴なんかいねぇよ。

 第一、お前以外には禁器は使えないだろうが。


「包丁で十分だ、包丁で」


 ったく、いきなり物騒な事を言いだしやがって。

 禁器なんて使ったら、野菜どころかまな板を貫通して流し台まで切っちまいそうだ。

 切りそうになった自分の指が無事だったのに安堵しつつ、玉ねぎを切っていく。


「……匕、切るの上手」


 玉ねぎを切る俺の手を、モユは隣でまじまじと見つめる。


「ん? そうか?」


 タン、タン、と一定のリズムで、適当な大きさに玉ねぎを切っていく。

 多少形や大きさが疎らでも、フランス料理じゃないんだから野菜炒めに見た目なんてほとんど必要無い。

 さすがに真っ黒焦げとかはNGだが。


「野菜炒めは何十回と作ったからなぁ。料理は上手くならなくても手際はよくなるか」


 ガスコンロに火を点けて、フライパンを温めておく。

 切った玉ねぎはまな板からボールに移し、次は白菜を切る。丸々一個は多いので、縦に切って半分は冷蔵庫へ。

 残った半分は食べやすいよう、一口大に切る。


「モユ、ちょっと危ないから少し離れてろ」

「……うん」


 炊飯器の隣に並ぶ調味料の中から油を取って、小さじ一杯程度を温まったフライパンに入れる。

 すると、油はパチパチッと少し跳ねた。

 フライパンを動かして油を全体に敷いて、野菜がこびり付いたりしないようにしておく。

 そこに、今切った玉ねぎと白菜をブッ込む。

 瞬間、激しく熱々しい音を立ててフライパンから湯気が出始める。


「よっと」


 フライパンを水平に動かして野菜を均等に行き渡らせる。

 軽く玉ねぎと白菜を炒めている内に、シメジを水洗いしてから適当に切って、もやしの袋も開ける。


「菜箸どこだ? 菜箸」


 具材を混ぜるのに使いたいんだけど、どこにあるんだ?

 キョロキョロと辺りを見回して、後ろに食器棚が目に入る。


「ここいらにねぇかな?」


 俺の身長と同じ位の高さの食器棚には、ガラス張りの戸からは真白い小皿やコップやらと必要な物は一式綺麗に並べられている。

 本当に凄いな、ここは。給湯室のクセによくもまぁ、こんな揃えているよ。

 これで誰も自炊しねぇってのは贅沢だぞ。


「お、あった」


 腰の位置辺りにあった引き出しの中を開けて覗くと、普通の箸と並んで菜箸も仕舞ってあった。


「……なんか臭い」

「え、あ、やべっ」


 モユに言われ、慌ててフライパンを動かす。

 軽く焦げ目は付いたが、完全に焦げる前だった。

 あとは、もやしとシメジもフライパンに入れて、強火で炒める。

 手首のスナップを利かせてフライパンを上手く動かし、ジャッジャッと小気味の良い音が鳴る。


「味付けはどうすっか……焼き肉のタレあるかな」


 ガスコンロを弱火にして、冷蔵庫の中を漁る。

 バターやらマヨネーズはあるものの、焼き肉のタレは見当たらない。

 あれがあれば味付けも楽だし、ご飯にも合うのになぁ。


「しょうがない、別の味付けにしよう」


 パタン、と冷蔵庫を閉めて再びフライパンの前に立つ。

 調味料置き場から塩と胡椒、ごま油を取る。これでの味付けなら、まず失敗は無い。

 胡椒のフタを開けて、ぱっぱっと二、三回振り掛ける。


「……くしゅん」

「ん? 今のモユか?」


 なにやら可愛らしい声がして、隣にいるモユを見る。


「……うん」


 片手で鼻を押さえて、こくん、と小さく頷く。

 胡椒が鼻に入っちまって、くしゃみが出たのか。

 でも、鼻に胡椒が入るとくしゃみが出るってよく聞くけど、実際はそんな事は滅多に無いような……。


「っと、そうか。モユも居るんだもんな、あんまり塩辛かったりしない方がいいか」


 持っている胡椒のビンを見て、フタを閉める。

 酒を飲む深雪さんは多少塩辛い方が好みかも知れないけど、そしたらモユが食べれないかもしんないしな。

 塩、胡椒、ごま油の御三方には調味料置き場に帰宅してもらう。


「しかし、どうしたもんか……」


 腰に手をやり、唸りながら悩む。

 塩胡椒は無理、焼き肉のタレは無い、七味唐辛子なんて論外。味付け無しのプレーンってのは、ちょっとな。

 かと言って、このまま悩んでいたら野菜が焦げちまうし……。


「あ、そうだ」


 悩むに悩んでいたら、1つ閃いた。漫画だったら頭の上に電球が出ている所だ。


「確か冷蔵庫にコンソメが……あった」


 さっき焼き肉のタレを探した時に、冷蔵庫で固形コンソメスープの素が目に入ったのを覚えていた。

 それを一つ拝借して、流し台に置いていたボールを手に取る。

 そして、給湯器からお湯を出して、ボールにコップ一杯半程の量を注ぐ。


 その中に、コンソメスープの素を入れて菜箸で掻き混ぜる。

 透明だったお湯が、段々と狐色に変わっていく。

 ボール内のコンソメスープをフライパンの中へ螺旋を描くように入れていく。

 ジュワッ、という音と共に湯気が立つ。その湯気を押さえるように、フライパンにフタをする。


「これでよし。あとは少し放置して、水気が無くなれば出来上がりか」


 塩胡椒は使えそうにないので、コンソメスープを野菜炒めに流し込んで味を付ける作戦に変更。

 これならモユも大丈夫だろ。

 ……つーか、これじゃ野菜炒めじゃなくて煮込んでるよな。

 新料理、煮込み野菜炒めと名付けよう。


「さてと、今の内に食器を出しとくか」


 食器棚のガラス戸を開けて、大きめの皿を探す。

 野菜炒めを大皿に盛って各自が小皿によそって食べるよりも、丼にした方が場所を取らないし皿も少なく済む。

 カレーなんかに使いそうな皿を見つけ、重なっていた山から三枚だけ取り出す。


「モユ、もうちょいで出来上がるから、深雪さんにテーブルを片付けて貰えるよう言ってきてくれないか?」

「……わかった」


 いつもと同じく、モユは小さく頷いてから駆け足で給湯室から出ていく。


「走って転けたりすんなよー」

「……あ」


 廊下に出た瞬間。どてっ、と可愛らしい擬音をさせてモユが見事に顔から転んだ。


「おい、大丈夫か?」


 流し台から開いたドアから覗いて声を掛ける。

 モユはすぐに立ち上がり、自分の両手を無言で見つめている。


「モユ?」

「……うん、大丈夫」


 名前を呼ぶと、モユはこっちを見て答えながら頷いて、広間へと走っていった。


「ったく、言ってる傍から転ぶなよ」


 しかも、何も無い所で転けてたぞ。

 あいつって意外とドジっ子だったりするのか?

 とりあえず、袋や剥いた野菜の皮をゴミ箱に捨てて流し台を綺麗にして、皿を用意する。

 あとはご飯が炊けるのと、深雪さんの片付けが終わるのを待つだけ。

 野菜炒め煮込みは食おうと思えばすぐ食える。ただ、若干水気が多いが。

 フタをしたフライパンからは、ぐつぐつと野菜がコンソメスープに煮込まれる音が聞こえてくる。


「お盆ってどこだろ。前に沙姫が使っていたからある筈なんだけどな」


 食器棚を手当たり次第調べて、お盆を探す。

 お盆があれば広間まで一度で運べる。

 人間は腕が二本しか無い。いくら頑張っても三人分を同時に運ぶのは無理。

 往復すりゃいいだけの話だが、地味に広間から給湯室って離れているんだよな。


「あ、みっけ」


 食器棚の下の方にお盆があったのを見つけ、屈むのをやめて立ち上がる。


「……匕、言ってきた」


 深雪さんへ伝言しに行っていたモユが戻ってきた。

 それと同時に、炊飯器から米が炊き終わったと安っぽい音楽が鳴る。


「タイミングばっちり。飯にするか」


 フライパンのフタを開けると、玉手箱のように湯気が一気に出てくる。

 中では野菜達が香ばしい匂いを広げ、いい感じでコンソメスープの味がついたようだ。


「よっと」


 数回フライパンを返して全体的に混ぜて、ガスコンロの火を消す。

 予め用意しておいた大皿にご飯を盛っていく。

 俺と深雪さんは同じぐらいの量で、モユは少なめにしておこう。

 身体の大きさに差かあるのに、俺等と同じ量はさすがに食べきれないだろうからな。

 そして、大皿に盛ったご飯の上に、野菜炒めを乗っけていく。


「ほい、完成」


 流し台に並ぶ三つの野菜炒め丼。

 うむ、いい匂いだ。食欲をそそる。見た目もそこそこ。

 出来上がった野菜炒め丼と箸をお盆に乗せる。


「モユ、これ持ってくれ」


 入り口にいたモユが寄ってきて、七味と胡椒のビンを渡す。

 既にお盆は野菜炒めで占領されていて、他に物を置くスペースが無い。


「……うん」


 小さな手で、モユは右手と左手で1個ずつを持つ。

 味が薄くて欲しくなるかも知れない。味見していないから味が分からないから念のため。

 俺はお盆を持って、モユと給湯室を出る。


「また転けたりすんなよ」

「……大丈夫」


 モユの後ろを歩いて、冗談まじりに注意する。

 ま、転んでも持っているのは七味と胡椒だから大丈夫か。

 俺が持っている野菜炒めだったら大惨事だが。


「待ってたわよぉー」


 広間に戻ると、テレビのリモコンすら置く隙間も無く書類が散らかっていたテーブルは綺麗に片付けられていた。

 深雪さん、ちょっと前は物凄い不機嫌顔だったのに、今は輝いてる。


「はい、深雪さん。野菜炒めをご飯に乗っけただけの簡単なのだけど」

「全っ然いいわよー。お腹も空いていたし、助かるわ」


 ソファに座ってテーブルにお盆を置き、野菜炒め丼を深雪さんに渡す。


「モユはこっち」


 呼んで少なめに盛った野菜炒め丼をテーブルに置くと、モユは俺の隣に座る。


「それじゃ、いただきまーす」


 俺が箸を渡してすぐ、深雪さんは嬉々とした声と表情で手を合わす。


「じゃ、俺も食うか」

「……いただきます」


 深雪さんに続き、手を合わせて野菜炒め丼に箸を突く。

 持っていた七味と胡椒をテーブルにやり、モユも俺と並んで手を合わす。


「ん、悪くはないな」


 野菜も固くないし、コンソメの風味もしっかりある。味は可もなく不可もなく、って感じ。

 決して美味い! と大声で言える物でも無いけど、少なくとも失敗ではない。


「深雪さん、どうかな?」

「うん、美味しい美味しい」


 がつがつと箸を進めていく深雪さん。


「でも、私の好みとしてはもう少し濃いめの味でも良かったかな」

「モユも食うから心持ち薄めにしたんだよ。七味と胡椒を持ってきたから、これで誤魔化せばいくらかはマシになるかも」


 二つのビンを片手で掴んで、深雪さんに手渡す。


「どれ」


 深雪さんは七味のフタを開け、数回振り掛けて野菜炒め丼を再び頬張る。。


「あ、うん。丁度いい丁度いい」


 うんうん、と小刻みに頷きながら食べ進める。


「モユはどうだ?」


 モユの為に塩胡椒やラー油を使わずに味付けを薄めにしたからな、これで駄目だったら涙目だぞ。


「……大丈夫、食べられる」


 箸で野菜を小さな口に運んで、一口食べて答える。


「そりゃ良かった」


 ホッと一安心。心の中で胸を撫で下ろす。

 でもアレね。感想が食べられる、って事は『美味しくはないけど食えはする』って意味だろうね。

 まぁ、自分でも美味いとは思えないからな。



    *   *   *



「ご馳走様でした。あー、お腹一杯だわ」


 満足といった表情で、深雪さんは腹を撫でている。


「ありがとうね、匕君」

「どういたしまして。沙姫と比べたら、腕も質も味も劣ってるけど」


 俺も食べ終わり、膨れた腹を休ませる為にソファに寄り掛かる。

 モユはまだ食べている途中で、食べ終わるのを待ちつつ深雪さんと談笑する。


「そうねぇ、沙姫ちゃんが作ったあのエビチリは絶品だったわ。ビールに合う合う」


 深雪さんはピストルの形にした手を顎に付けて、唸りながら頷く。

 そういや、深雪さんって酒好きなんだっけ。しかも酒豪で白羽さんより強いとか。


「でも、匕君の野菜炒めも良かったわよ。懐かしい味だったし」

「懐かしい?」


 なんで懐かしいんだ? 味噌汁とか肉じゃがなら、おふくろの味とか言って懐かしんだりするけど、俺が作ったのは野菜炒めだぞ。


「私も学生時代、金欠の時はよくお世話になったもんよ。お金が無いと安い且つ、量の多い物で凌ぐしかないからねぇ」


 うんうん、と昔を思い出して懐かしんでいる深雪さん。


「玉ねぎだけの野菜炒めに焼き肉のタレで味付けしたり、それだけて3日間過ごしたり」


 あ、俺と似てる。野菜炒めだけで一週間を過ごした事のある俺だが、玉ねぎだけの野菜炒めは作った事無い。


「本当に酷い時は、ご飯にマヨネーズと醤油とか、わさび醤油だけで食べたりしたものよ」


 ヘ、ヘビィだ……深雪さん、俺よりもヘビィな学生時代を過ごしていらっしゃる……。

 さすがの俺でも、ご飯に調味料だけってのはやった事が無い。


「……ごちそうさま」


 深雪さんの壮絶な学生時代、正しくは学生時代の食生活に驚きつつ親近感を湧かせている間に、モユが野菜炒め丼を食べ終えた。

 皿に米粒も残さない程の完食っぷり。


「じゃ、お茶を入れるついでに片付けるわね」


 ソファから立って、深雪さんはお盆に全員の皿と箸をまとめる。


「あ、俺が片付けもやるって」

「いいのいいの。ご飯作ってくれたんだから、匕君は座ってて。それに、食器洗い機があるから、片付けと言っても私が洗う訳じゃないしね」


 そうでした。ここの給湯室には食器洗い機なる物があったんでした。

 食器を入れてボタンを押すだけで洗ってくれるなんて羨まし過ぎる。

 深雪さんが食器を持って給湯室に行ってから、五分程で戻ってきた。

 手には湯飲みを乗せたお盆を持って。


「はい、匕君。少し熱いから気を付けてね」


 差し出された湯飲みを受け取る。

 深雪さんが言う通り、少し熱かったが持てない程ではなかった。


「はい、モユちゃんも」


 隣のモユにも渡すが、モユのは湯飲みではなくて透明なガラス製のコップだった。


「モユちゃんは熱いの苦手だから、アイスココアね」


 深雪さんが片手でコップを持ってモユに渡すが、手の小さいモユは両手で持つ。


「はぁ、コーヒーもいいけど、食後は緑茶よねぇ。落ち着くわー」


 深雪さんは湯飲みの底を右手で、側面を左手で持ち、ずずーっと啜って和む。


「ここだとコーヒーが多くて、緑茶なんてたまにしか飲まないのよね」


 だろうね、そうだろうね。

 理由は白羽さんだって言われなくても分かりますって。

 むしろ、あの人はコーヒー……いや、ホットコーヒー以外に飲むのかと逆に聞きたい。


「おっ、皆さんお揃いで」


 腹も膨れて気分も良く、のほほんと寛いでいたと言うのに入らん奴が広間にやってきた。

 言うまでもなくエドだ。


「片付けは終わったのかよ?」

「あぁ、やっとな」


 エドは対面のソファに、どっかりと深く座る。


「揃っている所を見ると、今から夕飯か?」

「残念。もう食べ終わって食後のお茶よ」


 見なさい、と言いたげに湯飲みを持ち上げてお茶を啜る深雪さん。


「匕君が私の分まで作ってくれて助かったわぁ」

「なに? おい匕、俺の分は?」

「ある訳ねぇだろ。寝言は寝て言え」


 そして二度と目ェ覚ますな。


「白米だけは残ってっから、有り難くそれでも食え」


 なんで俺がテメェなんかに飯を作ってやらにゃいけねぇんだよ。

 銀シャリだけ食ってろ。


「ご飯だけでどう食えって言うんだよ」

「お粥にして、それをご飯に掛けて食えば?」


 カレーライスみたいな感じでいいじゃねぇか。


「どこにご飯の上にご飯を掛けて食べる奴がいるんだよ」

「いねぇな。この際だから第一人者になればいいんじゃねぇの?」


 ラーメンライスに然り、力うどんに然り、炭水化物に炭水化物の組み合わせは昔からあるんだ。

 食ってみたら意外と美味いかもしんねぇぞ。


「しょうがない、コンビニでレトルトカレーでも買ってこよう」


 さすがに白米だけは嫌らしく、エドは渋い顔をして座ったばかりのソファから立ち上がる。


「朝早くから出掛けて疲れてるんだけどな……」

「遊び疲れのクセによく言う」


 出ていきながら愚痴るエド。

 テメェなんかに暖かいご飯があるだけ有り難いってのによ。


「深雪さん、この後も仕事すんの?」

「ううん、今日はもう終わり。明日また頑張らないとねぇ」


 眉毛を中央に寄せてハの字にして、深雪さんは苦い表情。


「じゃ今日も夜、モユの事頼みます」

「今夜もランニング? 頑張るわねぇ、私より引き締まった体型しているのに」

「まぁ、身体が鈍らないようにね」


 お茶を飲みながら、隣のモユを横目で見る。

 本当はSDCの為に走り込みをしているんだが、モユがいるから適当な理由で誤魔化しておく。

 明後日の夜にSDCが開催される。その事はモユには秘密と、さっき白羽さんと話した。

 モユはもう、SDCとは関係ない。何も関わらず、何も知らずに生きていいんだ。

 ヒトじゃなく、普通の人として。


「最近デスクワークが多いせいか、お腹周りが気になるのよね」


 両手を腰に当てて、深雪さんは自分の腹を凝視している。

 深雪さんには後から白羽さんから話されるだろうから、今は黙っておこう。


「全然大丈夫そうに見えるけどなぁ、俺は」


 俺が見る限り、ビシッとレディーススーツを着熟なしている。体型が丸い人がこんなに綺麗に着熟せないだろう。


「そうやって楽観視していると危ないのよ。前もって出来る事をやっておかないと、嫌な結果になった時に後悔するのは自分だもの」


 何気無く、深雪さんが言った言葉が心にズシンと来た。

 脳が過去の記憶を反芻し、古傷を再三抉るように。


「後悔するのは自分、か」


 隣に座るモユにすら聞こえない程小さく、弱々しく呟く。

 それは嫌と言う程に知っているし、逃げ出したくなる位に味わった。

 後悔に苛まされ、罪悪感に身を震わせ、自己嫌悪に懊悩して。今でもまだ、俺は昔を引き摺って戒めながら生きている。

 だけど、もう後悔するのは嫌だ。


「ごっそさん」


 ことん、とお茶を飲み干した湯飲みをテーブルに置いて立ち上がる。


「あら、もう走りに行くの?」


 俺を見て深雪さんが聞いてくる。


「いや、軽く食後の運動、みたいなモンかな」


 食べたばかりなのにランニングになんてしたら、リバースするのは目に見えてる。

 せっかく腹に入れた栄養を戻してしまうなんて、それこそ後悔してしまう。

 貧乏学生には食べ物を無駄にする事はあるまじき行為。

 それに、母さんから送られてきた野菜でもある。リバースなんてしたら、母さんの気遣いを無駄にしたみたいで嫌だ。


「部屋いるんで、モユの事ちょっと頼むよ。深雪さん」


 深雪さんから『任せといて』と返事をもらい、広間を後にする。

 出ていく際に、ちらっとモユに目をやると、静かにココアを口に運んでいた。

 今日はもう仕事は終わりって言っていたし、深雪さんに任せておいて大丈夫だろ。


「んんー、っと」


 歩きながら両手を前に伸ばす。


「腹は膨れたけど、激しい運動は出来ないからな」


 さっきも言ったけど、リバースはしたくない。

 筋トレやストレッチなど、比較的激しく動かないものが候補として頭に浮かんでいた。

 しかし、それよりも自分に合ったものがあるのを思い出す。

 それは座禅。


 心を落ち着かせて、心を鍛える。身体をいくら鍛えても、心が弱ければ活かす事は出来ない。

 前にやったのは沙姫ン家の道場でか。

 あれからまた、色々あった。

 神社での死合、モユの保護、禁器、所持者、人体実験の内容。

 心の整理をするにも、いい機会だ。


 自室に着き、目の前にあるドアを開けて中に入る。

 部屋の真ん中。フローリング調の床にゆっくりと座る。

 両膝を曲げ、背を伸ばして正座。両手は腿の上に置く。


「すぅー、はぁぁ」


 目を瞑り、大きく深呼吸を一回。雑念を払い出すように息を口から吐く。

 陽も暮れ、電気も点けない部屋は薄暗い。

 その中で瞼を閉じると、光は遮られて視界は真っ暗。黒一色になる。

 微かに聞こえる自分の心音に耳を傾け、思考の海に潜り込む。

 過去を振り返り、情報をまとめ、更に決意を固め、自分がやるべき事を再確認する。


 先輩を助ける為に。願いを、叶える為に――――。

 そして今日も、ゆっくりと陽が落ちて、夜が訪れる――。


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