表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
No Title  作者: ころく
20/85

No.19 夏休み

8/1


 学校も夏休みに入り、八月に突入した。

 七月が終わろうが八月が始まろうが、毎日が猛暑だという事は変わり無い。窓の外からは、一夏の思い出を残そうと必死に鳴いてアピールする蝉達。

 そんな求愛の夏メロと聞き取るか、ただの五月蝿くウザったい雑音と聞き取るかは個人によって別々だろう。

 ちなみに、俺は雑音にしか聞こえない。こんな喧しいだけのを耳にして音楽に聞こえる奴は病院に行け。


「だあぁぁぁ」


 だらしなく気の抜けた声を上げて、だらりとソファの背もたれに背中を合わせ、身体を反らせる。広間の天井を仰ぎ見るが、真白いタイルが並んでいるだけ。

 夏休みに入って三日目。やる事がなく、暇過ぎて暇に押し潰されそう。夏休み前日はあんな賑やかで、夏休みは暇しないと思ったらこれだ。

 昨日も一昨日も、案の定モユにYシャツを掴まれて帰宅するのを拒まれた。まぁ、そうなると予想して着替えは持ってきていたから問題は無い。

 だが、この暇っぷりはどうしようか。昨日と一昨日も暇を持て余して過ごしたし、今日も時刻は早くも午後過ぎで半日が終わっている。


「うがぁぁぁぁ」


 もう一回、意味もなく声を出してみた。やはり暇だ。適当にテレビを点けて観るも、平日のこの時間じゃ大して面白い番組も無い。

 しかし、別にやる事が無い訳ではない。深雪さんにある大事な事を頼まれた。

 それをやれば暇はしなくて済むと思われるが、残念ながらそうはイカの金時。

 その頼まれた事を既に、今、ここで、やっていたりする。


「…………」


 天井を仰ぐのをやめて、無言で隣に座っている困ったちゃんを見る。

 ちょこん、と膝の上に手を置いて、人形のように座る赤茶髪の少女。


「…………」


 俺の視線に気付いてこちらを向くも、無言に無言で返してくる。

 深雪さんに頼まれた事、それはモユの面倒を見ててくれ。というもの。

 深雪さんは事務の仕事があり、白羽さんは調べ物があるとかで忙しいらしい。

 で、夏休みに入って丁度良く時間のある俺が頼まれた。


「…………」


 もう一度モユを無言で見てみる。


「…………」


 が、やはり無言で返される。少しで良いから言葉を使ってくれ。人間はまだテレパシーを使えるようになっていないんだ。


「……はぁ」


 思わず溜め息。この二日間、今日を合わせて三日間。殆んど喋らない。

 遊ぶにしても何すりゃいいか解らねぇし、何よりコイツが何かに興味を示す事がない。

 もっと積極的に何かに興味を持てばなぁ。話のネタになるんだけど、モユの性格からして無理か。

 モユと沙姫を足して二で割ったら丁度良いんじゃねぇか?


「せめて面白い番組があればなぁ」


 手元に置いていたリモコンを手に、チャンネルを変える。ニュースやらドラマの再放送やらCM中やら。どこのチャンネルも面白そうなのはないな。

 他に主婦用のドロドロした昼ドラもあったが、モユがいるのに観れる訳がない。観るつもりもないけど。

 結局、無難にニュースをやっていたチャンネルで止めた。

 すると、タイミング良く画面右上に表示されていた時間が三時を表示した。


「…………」


 その瞬間、モユがこちらを向く。

 相変わらず無口で何を考えてるか分からないし、まだ俺はテレパシーを修得していない。だが、これだけは言い切れる。

 次にお前は、『アイス』と言う……ッ!


「……アイス」


 ほらね。


「冷蔵庫から取って来い」

「……うん」


 モユはソファから小さく飛んで、浮いていた足を床に着いて駆け足で冷蔵庫のある給湯室へ。


「っとにアイス好きだな、アイツはよ」


 事ある度にアイスという三文字を出して欲しがってくる。酷い時は十分間隔て、言ってきた程。

 余りにアイスを欲しがるので、世の中には『おやつの時間』と呼ばれるものがあるのを教えてやった。

 その結果がこれ。午前十時と午後三時になる度に、時間きっかりにアイスをねだってくるようになった。

 今のようにテレビで時間を確認していない時も、しっかりとねだってくるあたりには恐れ入る。

 何にでもマヨネーズをを掛ける奴はマヨラーと呼ぶのなら、すぐにアイスをねだるモユはアスラーと呼ぼうか。


「あれ、モユちゃんはいないのか?」

「あん?」


 首だけを動かして、声がした廊下の方を向く。

 声ですぐに解るった。居たのはエドだった。


「深雪さんにモユちゃんの面倒を頼まれたんじゃないのか?」


 廊下から一番近いソファに腰掛けて、エドは持っていた工具箱をテーブルの上に置く。


「日課を取りに行った」

「日課?」


 何の事だか分からず、エドは聞き返してくる。

 エドと会話をしていると、とたたた、と小さな足音をさせて駆け足でアイスを片手にモユが戻って来た。


「……!」


 広間に入った所で、モユがエドの存在に気付く。

 駆け足していた足を止め、ゆっくりと徐行して入り口近くに座るエドを避けて通る。


「なんだ?」


 明らかに不自然なモユの動きに、エドは不審そうな顔をさせる。

 エドの横を通り過ぎると、モユはまた駆け足をし始めて俺の隣へ戻る。

 ぽすん、と軽い音を立ててソファに座り、心持ち俺の後ろに身体を隠す。


「あれ? なんかモユちゃん、俺を避けてる?」


 困惑に似た表情をさせて、俺の後ろに隠れるモユにエドが聞く。

 名前を呼ばれ、モユはそっと顔を出してエドを無表情、無言でジッと見つめる。

 その眼差しに、少なくとも好意の色が全く含まれていないのは解った。


「……し」

「え? なんだって?」


 モユが何かを言うが、小さな声の上にもごっていてエドは良く聞き取れていなかった。

 そして、モユは外方を向いて持ってきたアイスの袋を開け、自分の世界に入る。

 本日二個目のアイスはバーアイスのチョコ。無我夢中に食べ始めたら最後、食べ終わるまで何を言っても向こうの世界から帰ってこない。


「『し』? 最後に『し』って聞こえたが、なんだ?」


 エドは腕組みをして考えるも、モユが言った言葉が何なのか見当つかず。

 だが、すぐ近くに居た俺にはバッチリ聞こえた。


『……女たらし』


 と言ったのが。一瞬、なんでエドが女たらしなのか分からなかった。

 が、よくよく考えてみると、そういえば前にそんな事をモユに吹き込んだ覚えがある。


「さっぱり分からない……そもそも、何か嫌われるような事したか、俺?」


 嫌われる覚えが無いと頭を悩ませるエド。

 覚えが無くて当然だ。俺が勝手に適当な事を言ったんだからな。


「あ、匕、お前……モユちゃんに何か変な事言っただろ!」


 エドの悩む様子を見て、ほくそ笑んでいた俺に気付く。


「さぁ? 俺はなんも可笑しな事は言ってねぇよ」


 ただし、俺の主観で話したから多少の偏りはあるかもしれないけどな。


「さっきから気になってたんだけど、その箱なんだ?」


 ちょい、とテーブルに置かれた工具箱みたいな物を指差す。

 これ見よがしに置かれてるんだもんよ。


「あぁ、メンテナンス用の工具箱さ」

「メンテナンス?」

「こいつのな」


 そう言い、ズボンに挟んでいた黒い得物を取り出す。

 それをテーブルに置くと、ゴト、と重々しい音がした。


「こまめに手入れしてやらないと、すぐに機嫌が悪くなるからな」


 工具箱を開いて、中から色々なメンテナンス道具を出していく。

 棒状の細長いブラシや変わった形のドライバー、何かのスプレー缶など。あまり見た事の無い特殊な道具類。

 ガキの頃にモデルガンで遊んだりしていれば多少の知識は付いて分かる物もあったかも知れないが、遊ぶ暇も友達もいなかった俺がそんなのを持っている筈もない。

 使うであろう道具をテーブルに並べ、エドの得物である拳銃を慣れた手付きでバラしていく。


「おぉ、早ぇ早ぇ。すげぇもんだ」


 グリップの底からカートリッジを出したと思えば、次々とパーツが外されていき、あっと言う間に原型が分からなくなる程に解体された。

 その細かいパーツ一つ一つを、エドは丹念に手入れをしていく。

 スプレーを掛け、布で拭き、ブラシで擦る。


「日本で実物の銃が見れるなんて滅多に無いんだろうな」


 別段、こういう物に興味を持っている訳ではないが、実際に目にすると凄く感じてしまう。

 テーブル上にバラされたパーツの一つを拾い上げ、まじまじと見ながら手の上で遊ばせる。


「これが弾丸だろ? 見た目よりも意外と重さがあるんだな、これ」


 カートリッジ内から出されていた弾の一つを拝借して眺める。

 確か弾丸の底を撃鉄で激しく打つ事で中の火薬が爆発して、鉄の弾が飛んで行くって仕組みだっけ。


「よくもまぁ、こんな物騒なモンを持って街中を歩ける」


 指先で弾丸を摘んで天にかざすと、窓の外から差し込む陽射しが反射して目を細める。


「そんな物騒でもないさ」

「あ?」


 部品をブラシで磨きながら、エドが俺の呟きに返してきた。

 見上げるのをやめて、弾丸からエドへ目の先を移す。


「それは実弾じゃなくてゴム弾だ。人を殺せる程の威力は無い」


 言いながら、磨いていた部品をフッ、と吹く。


「ゴム弾?」


 言われて、持っている弾丸に目を戻す。


「実弾に使われている鉄の弾の代わりにゴムが入ってる。ま、それでも撃たれれば死ぬ程痛いけどな」


 ゴム弾ねぇ。殺せる程の威力は無いとか言って死ぬ程痛いとか……それ、なんか矛盾してねぇか?


「じゃあ、今までずっとこれを使ってたのか?」

「あぁ。これはあくまで牽制や威嚇程度の物だよ」


 いや、当たれば死ぬ程痛いんだったら牽制ってレベルじゃないような……。


「人を助ける仕事をしているのに、人を殺す道具はいらないだろ」

「そりゃまぁ、そうだな」


 磨き終えたのか、エドは持っていた部品をテーブルに置く。

 俺にはテーブルに広がる数多くある部品は何がなんだか、どれがどの部分なのかさえ解らない。

 それを迷わず手早く作業していくエドは、正直に凄いと思う。


「俺はてっきり本物だとばかり思ってた」

「弾が違うだけで、銃自体は本物と変わらない」

「って事は、SDCの時もこれを使ってたのか?」


 弾丸をテーブルの上に戻して、ソファの背もたれに寄り掛かる。


「当然だ。実弾を使って変な所に当たったらみろ、助けられるものも助けられなくなる」


 そりゃごもっとも。全くその通りで。

 禁器を使っている事もあり、攻撃面は俺達とは比べ物にならない位に突飛抜けている。

 あの異様なまでに打たれ強いコウだが、痛みやダメージはある。つまり、防御面では余り大差無い。

 それで銃によって実弾を急所に撃たれてしまえば、あのコウでも助からないだろう。


「でも、お前は銃の腕はかなりのモンなんだろ?」

「確かに、自分の腕にはそれなりの自信はある」


 エドは掃除し終えた銃の部分を、今度は一つ一つ組み立て始める。

 迷う事なく選ばれ、部分が組み立てられて少しずつ形を成していく。


「だが、いくら腕が良くても予定外、想定外の事は起きる。それが最悪の結果を招いてしまってから……起きてからじゃ遅いんだよ」


 抜かれていた銃弾をカートリッジに入れていく。

 そして、最後にカートリッジをグリップの底から差し込み、解体されていた銃は元の形に戻った。


「予期せぬ事態が起きるから予定外。思ってもいなかった事になるから想定外。なら予想、予測が出来る範囲内での不安要素は取り除く」


 エドは銃を両手で持ち、ゆっくりと斜め上に向けて宙に構える。


「それが白羽さんの教えさ」


 そして、エドはまるで見えない何かを撃ち抜くように、銃を撃った時のモーションを真似する。

 ばぁん、と小さく言って。


「なるほどね。白羽さんらしい」


 部下にしっかりと教え込んでいるとは、流石と言うべきか。

 本当、小さな不安要素さえも無くした方がいいと言うだけある。


「ん?」


 Tシャツの右腕の袖が引っ張られた。


「……食べ終わった」


 確かめるまでも無く、モユだった。

 何故いちいち話し掛ける時に服を引っ張るのか。今日の服は自前でエドのじゃないんで、伸びたら困るんですが。


「って、鼻にチョコが付いてるじゃねぇか」


 テーブルの隅っこに置かれていたティッシュボックスから1枚取って、モユの鼻を拭いてやる。


「ったく、ガキじゃねぇんだからよ」


 少し強めに拭いて、チョコは綺麗に取れた。

 アイス食べて鼻にチョコを付けるとか何てベタな……。


「よし、取れた。これも一緒にアイスのゴミを捨ててこい」

「……うん」


 チョコを拭き取ったティッシュをモユに渡すと、ソファを下りて部屋隅にあるゴミ箱と所まで駆けていく。


「よく面倒見てるじゃないか」


 工具箱に道具を片付けながら、エドが今のやり取りを見て小さく笑う。


「本日初めて見た面倒だけどな」


 朝からずっとここに座ってテレビを見てるだけ。遊ぶでも、雑談するでも、どこかに出掛けるでもない。

 俺は朝飯と昼飯を買いにコンビニに行ったけど。

 ちなみに、ここの住人は各自が勝手に飯を用意して食う事になっている。モユの朝昼の飯を買ってやったのも、一緒に食ってやったのも俺。

 というか、夏休みに入ってから殆んどが俺が買っている。


 どんどん財布が軽くなっていくんですけども?

 三食全部がコンビニ弁当ってのは高くつくからなぁ……。

 給湯室に調理道具一式はあるみたいだし、出費を抑える為に自炊を考えた方がいいかも。


「……なぁ、エド」


 暫しの間を空けてから、エドを呼ぶ。


「なんだ?」


 メンテナンスの終えた銃を再びズボンの腰周りに戻して、エドが返事をする。


「こいつを連れて、どっかに出掛けたりしちゃダメかな?」


 横目でちらりと、隣のモユを見る。


「どっか、ってどこだよ?」

「どこでもいい。街でも、公園でも、学校でも。ずっとここに閉じこもりっぱなしじゃ、モユも可哀想だろ?」


 せっかくテイルの所から抜け出して、自由になったんだ。今までは楽しい事も、嬉しい事も知らずに生きてきた。

 だから、今からは教えてやりたい。アイスさえ知らなかったモユには、外に出れば知らない事ばかりの筈だ。世間知らずのお嬢ちゃんには、いい刺激になると思う。

 そうすりゃ他の事にも興味を見せるかも知れないし。それにだ、俺だってこう何日もここにいたら外にも出たくなる。


「それもそうだな。……だけど、俺からは何とも言えないな。お前の気持ちが分からない訳じゃないが、厳しいと思う」


 エドはぼすっ、と音を立ててソファに背中を倒す。


「外に出れば、モユちゃんがテイルに見つかってしまう可能性がある。下手をすれば、ここもな」


 そうなんだよなぁ、それが一番の問題なんだよ。

 見付かったらモユは連れ戻されるだろうし、禁器だって奪い返されるかも知れない。

 白羽さん達もここに居れなくなってしまうし。


「とにかく、白羽さんに聞いてみないと解らない。答えは予想出来るけどな」

「やっぱそうかぁ……」


 はぁ、と大きな溜め息を吐き出す。


「一応、ダメ元で聞いてみるか」


 エドが今言ったように、返ってくる言葉は大方予想出来るけど。

 OKが出るのは望み薄だろうな……。

 ソファの背もたれ部分に腕を乗っけて苦い顔をしていると、ピンポーンという音が鳴る。


「お? 誰か来たのか?」


 音に反応して、エドは玄関に続いている廊下の方を向く。

 音の正体は言わずもがな、インターホン。


「客が来たみたいだぞ。早く出てこいよ」


 蝿を払うように、手の平をシッシッと動かす。


「自分が行こうとは思わないのな」

「俺はここの住人じゃないんで」

「ったく」


 やれやれ、と漏らしながらエドはソファから立ち上がる。

 玄関に行こうとエドが広間から出ようとした時、奥の廊下から深雪さんが走って来た。


「もしかして、今来たのって深雪さんの客?」


 急いで玄関へ向かう様子を見て、エドが深雪さんに聞く。


「沙夜ちゃんと沙姫ちゃんが来たのよ」


 立ち止まる事無く深雪さんは走りながら答えて、そのまま玄関へ走っていく。


「あの二人が?」


 走り去っていく深雪さんを目で追いながら、エドは意外だという表情をさせている。


「そういえばモユに服をあげるって言ってたな」


 でも、なんで深雪さんは沙姫達が来たって分かるんだ?

 あ、そういやこの間、深雪さんと携帯の番号を交換してたもんな。前以て連絡でもしてたのか。

 玄関の方から、おじゃましまーす! と聞き慣れた声が。

 夏だろうが暑かろうが、あいつは毎日元気のようだ。


「相変わらず元気だな、お前の後輩は」


 聞こえてきた沙姫の声に、エドは苦笑している。


「お前の後輩でもあるだろうが」


 同じ学校なんだからよ。何を他人事みたいに言ってやがる。

 ペタペタとスリッパの足音が複数近づいてき、廊下に姿を現わす。


「よう」


 ソファに腰掛けたまま気怠そうに軽く手を上げる。


「あれ、咲月先輩も来てたんですか?」

「ん、まぁな」


 正しくは来てた、じゃなくて居た、だけどな。


「モーユちゃん! 遊びに来たよー!」


 俺の隣にいたモユを見つけるや否や、沙姫はモユに抱きついて頬摺りする。


「……沙姫だ」


 驚きも嫌がる仕草もせず、沙姫にされるがまま状態のモユ。


「こんにちは、咲月君」

「ども。にしても沙夜先輩、随分とデカイものを持ってますね」


 沙姫と沙夜先輩の肩にはかなり大きいスポーツ用のショルダーバッグ。

 もしこれが全部モユに持ってきた服ならば、物凄い数だぞ。


「まさか、それ全部……」

「この間に言ってたでしょう? モユちゃんの服よ」


 ドスン、と何とも重そうな音をさせて、沙夜先輩はショルダーバッグを床に置く。

 どんだけ詰め込んできたんだよ、一体。


「さて、じゃ俺は部屋に戻る」


 テーブルに置いていた工具箱を持って、エドは広間から出ていく。


「なんだ、行っちまうのかよ?」

「これを片付けなきゃいけないし、他にもやる事があるしな」


 そう言い、エドは自室へと戻っていった。


「もしかして、深雪さんも部屋に戻ったり?」


 部屋の入り口近くに立っていた深雪さんに話し掛ける。


「ううん、私は仕事に一区切り付いたからね。少し休憩」


 ふぅ、と一度肩で息をして苦笑。

 俺にモユの面倒を任せて、ずっと仕事してたんだ。疲れも大分あるんだろう。


「ねぇねぇ、早速モユちゃんに服を着させてみようよ!」


 嬉々爛々と沙姫が挙手。


「いいわね。それじゃ最初は……」


 床に置いたショルダーバッグを開けて、中から次々と衣類を出していく沙夜先輩。

 なんだか沙夜先輩も楽しそうに見えるんだけど。


「これはどうかしら? サイズも合っていると思うんだけど……」


 沙夜先輩は大量にある衣類の中から、白いワンピースを持ってモユの所へ。

 そして、服をモユの前に出して似合うか合わせてみる。


「似合う似合う!」


 わぁ、と沙姫は胸の前で手を合わせて目を輝かせる。


「サイズもぴったり、大丈夫ね」


 沙夜先輩はうんうん、と頷く。


「姉さん姉さん、こっちも似合うんじゃない?」


 いつの間にかバッグから出していた他の服を持って、沙姫が楽しそうに見せてくる。


「いやいや沙姫ちゃん、意外とモユちゃんにはボーイッシュなのが似合うかも知れないわ。こっちを着せて見ましょう」


 そして、いつの間にか深雪さんまでも参加し始めていた。

 手にはジーンズと黒い生地に英語の刺繍が入ったジャージを手にして。

 ワイワイキャッキャと女性が4人集まって広間は賑やかに。まぁ、モユは混ざっていると言うか、遊ばれていると言うか……。


「そうだ! ならいっそ全部着せちゃいましょうよ!」

「あら、そうね。その方が見栄えなんかも分かるしね」


 沙姫の提案に深雪さんも賛同。


「………」


 自分の周りで騒がれているにも関わらず、それでもモユは何も喋らず。故に成すがままに事態は進んでいく。


「さーぁモユちゃん! 可愛い服に着替えるから脱ぎましょうねぇ!」


 目を光らせて、両手をワキワキと嫌らしく動かす沙姫。

 オヤジか、お前は。


「そーれぇ!」


 もはや沙姫達の着せ替え人形と化したモユ。

 俺はお前を助ける術を持っていない。自力でなんとか耐え抜いてくれ。


「さて、俺は退室しようか」


 ソファから立ち上がって広間から出る。

 あの中にいる度胸は俺には無い。それに、ああいうのは女だけの方が盛り上がる。

 さらに言うならば、モユが着替えるのに男の俺がいる訳にもにもいかない。


「時間も出来たし、今の内に白羽さんの所に行ってみるか」


 広間よりも奥に続く廊下へと足を向ける。

 今、俺が寝る際に使わせてもらっている部屋や、エドや深雪さんの自室がある廊下の一番奥に、白羽さんの自室があると聞いている。

 先程エドにも話をした、モユを連れて外に出れないか聞いてみよう。


 広間から聞こえてくる沙姫達の黄色い声を背に、廊下を進んで白羽さんの部屋へ向かう。

 白羽さんは自室で仕事をしていると、深雪さんから聞いた。なら、部屋へ行けばまず会えるだろう。

 廊下の一番奥に着き、行き止まりの左手に『白羽』と札の付いたドアがあった。

 ふぅ、となんとなく一息吐いてから手の甲でノックする。

 コンコン、と木製のドアを鳴らす。


「……あれ?」


 しかし、中から反応が無い。ノック音は消えて、外から蝉の鳴き声が耳に入る。

 聞こえなかったのかと、もう一度ノックしてみる。

 が、やはり反応が無い。


「出掛けたのかな?」


 白羽さんの部屋から外に出るには、必ず広間の前を通る。

 だけど、朝からほぼずっと広間にいたけど、白羽さんが通った覚えは無い。

 外に出たとは考えられないんだが……もしかして寝てたり?

 とにかく勝手に開ける訳にもいかないし、あとでもう一回来るか。

 そう思って引き返そうと思った時、後ろでドアが開く音がした。


「うん? 咲月君?」


 俺の後ろ。つまり、白羽さんの部屋の向かいの部屋から白羽さんが出てきた。片手に分厚いファイルを二つ程抱えて。


「よかった。ノックしても反応が無いから、出掛けていないのかと思った」

「ちょっと資料を探していてね」


 白羽さんが出てきた部屋のドアには、『資料室』と書かれた札が下げられていた。


「何か用かい?」

「あぁ、ちょいと話があって」

「そうか。なら、部屋に入ろうか。立ち話も何だ、コーヒーぐらい出そう」


 白羽さんは俺の横を通り、自室のドアノブに手をやる。


「いや、すぐに終わるからいい。白羽さんの仕事の邪魔にもなるし」

「そうかい?」


 中に入って話し込む程のもんじゃないし、仕事中の部屋に入るのも悪い。

 それに、白羽さんからコーヒーを出すと聞くと、ホットが出てくる気がする。いや、絶対ホットだ。

 こんな暑い日にホットを飲む気にはなれん。かと言って、出されてしまったら飲まないと悪い気がしてしまう。

 なら、先に断っておいた方が吉。


「それで、話と言うのは?」


 白羽さんはドアノブから手を離して聞いてくる。


「モユの事なんだけど……」

「モユ君の?」

「あいつを外に連れ出してやりたいんだ」


 廊下で立ったまま、回りくどい言い方をせずに単刀直入に言う。


「ふ、む……」


 白羽さんは右手で顎を擦り、苦い顔をして息を吐きながら声を漏らす。

 その反応と様子からして、難しい事だというのは理解出来る。


「やっと……やっとS.D.C.から解放されたんだ、あいつは。だから、今まで出来なかった事を、知らなかった事や楽しい事を教えてやりたいんだよ」


 気付かない内に、俺は手に力が入って握り拳を作っていた。声も少しだけ荒いで、視線を落として。

 何も知らない、解らない、興味無い。そんなのはつまらないし、悲しいし、辛い。

 そして、それ解らないから、自分ではどうしようもない。

 誰かがそれを教えてやらないと。俺がそうしてもらったように。


「すまないが、それは出来ない」


 申し訳なさそうに、白羽さんは顎にやっていた手を下ろす。

 やはり、白羽さんの返事は予想していた通りだった。


「咲月君の気持ちも分かる。だが、モユ君を外に連れ出すのがどれだけ危険な事なのかは、君も分かるだろう?」

「……あぁ」


 返って来る答えはこうなる事は分かっていた。解っていたのに、何故か白羽さんの目を見れず、俺は視線を落としたまま返事する。


「私達だけではない。モユ君自身が危険に晒されるかも知れない」


 ……そうだ。禁器は白羽さんが持って別にしているとは言え、貴重な人材であるモユを見つければテイルは連れ戻すだろう。

 そして、SDCから逃げ出したとして、モユは何をされるか分からない。


「くっ……」


 握っていた拳を、更に強く握る。

 少なくとも、また実験体として、人ではなくモノとしての扱いを受ける事は安易に予想出来る。


「すまない、咲月君……」

「いや、白羽さんが謝る事はねぇよ。無理を言ってんのは俺だから」


 そう、俺はただ我が儘を言って駄々を捏ねていただけ。誰がどう見ても、俺が悪い。


「だが、君の言う事も一理ある。モユちゃんも年頃だからね、何か考えてみるよ」


 落ち込む俺を気に掛けて、俺の肩に手を置いて白羽さんが微笑う。


「あぁ、何か良い案があったら頼む。悪ぃ、仕事を中断させてまで話を聞いてもらって……」

「構わないよ。これも私の仕事だからね。何かあったらいつでも来るといい」


 白羽さんは俺の肩から手を下ろして、ドアノブにやる。


「では、失礼するよ」


 自室の中へと入り、廊下に1人残される。


「はぁ……」


 溜め息が出た。無理を言って白羽さんを困らせてしまった。エドだってこうなる事を予想していたのに。

 無駄だと解っていて、白羽さんに無駄を言って困らせ、ガキみたいに我が儘を言って。

 なんだか軽く自己嫌悪。

 顔を俯かせ、軽くダークに入っていると広間の方から賑やかな笑い声が聞こえてきた。


「ったく、まだやってんのかよ」


 ガキみたいに我が儘を言った自分の他に、ガキみたいに騒いでいる女性組。

 なぜか、自然と笑いが零れた。


「そろそろ助けてやるか」


 ずっと着せ替え人形状態をやらされていれば、いかにあのモユと言えどストレスを感じよう。

 来た廊下を戻って、広間へアイス姫を救出しに行く。

 広間の入り口に着いて中を覗くと、沙姫、沙夜先輩、深雪さんの3人に囲まれているモユがいた。


 いや、と言うより、囲まれていてモユが隠れていて頭しか見えないのだが。周りには脱ぎ捨てられた服が大量に積まれているし。

 深雪さん達に着替えさせられているらしく、唯一見えるモユの頭が左右に忙しく動く。

 そんな状態でも文句も悲鳴も出さず、助けも呼ばないで無口を貫くお前は流石だよ。

 って、そんな下らない部分に関心している場合じゃない。助けてやらないと。


「おい、モユが溺れているぞ」


 三人の人間と沢山の服に。


「あっ、咲月君! ちょっとこっちに来て!」


 声を掛けると、沙夜先輩が俺に気付いて振り向く。


「いや、それよりモユを解放してやってください」


 今にも溺死しそうだから。


「いいからいいから、見てみなさいって」

「え? あ、ちょっと……」


 深雪さんに背中を押され、モユの所へ連れていかれる。


「じゃん! どうですか、咲月先輩!」


 意気揚々と沙姫が聞いてくる。

 そして、その沙姫の前には先程まで溺れていたモユが。


「お?」


 服装はいつもの制服から替わり、首元にフリルの付いた黒い半袖のブラウスに、下は相対色のシンプルな白いブリーツスカート。

 恥ずかしいのか、着慣れてなくてしっくりこないのか。モユはモジモジしている。

 いや、モユの性格からして前者は無いな。確実に後者だろう。


「ほぉー、これは意外。お前って黒い服、似合うんだな」


 屈んでモユの着ている服を見る。


「でしょ!? これが持ってきた服で一番似合ったんですよー!」


 一番って……まさか、全部試着させたのか?

 モユの周りに脱ぎ散らかされ、積まれている大量の服。

 これを全部、だと……?

 本家本元の着せ替え人形のリサちゃん人形もビックリの早着替えだぞ。


「……似合、う?」


 モユは首を曲げて、背中に立つ沙姫に視線を向ける。


「そうそう、咲月先輩も可愛いって、モユちゃん!」

「……かわいい」


 ぽつりと呟いた後、モユは自分が着ている服に手をやって無言で見つめる。


「にしても、随分とまぁ散らかしたもんだ」


 屈むのをやめて背中を伸ばし、辺り一面に散らかった服の山を眺める。

 床、ソファ、テーブルの上と、ここにだけ台風が来たのかってんだ。


「うわぁ、こんなに散らかしちゃってたんだ……夢中で気付かなかった」


 沙姫は後頭部を掻きながら、あちゃあ、と言葉を漏らす。


「でも、皆で片付ければすぐ終わるわよ」


 床に落ちていた服を1枚拾って、沙夜先輩が言う。


「じゃ皆、私は仕事に戻るから後よろしく」


 そう言って深雪さんは、誰の返事も聞かぬ間にスタコラサッサと自室に戻っていった。


「あ、逃げた」

「逃げたわ」

「逃げたな」


 そそくさと消えていった深雪さんに、3人の声が綺麗に重なった。


「しょうがない、俺も手伝うよ」


 溜め息を吐きつつ、足下に落ちている服を拾う。

 まさか深雪さんが逃げるとは。って言うか、深雪さんって家事出来るのか?

 いつも飯はコンビニ弁当とか外で買ってるし、今なんて服の片付けを逃げたし。

 見た目はルックスも良くて出来る大人のお姉さんって感じなのに、それを裏切る奔放さがある。

 それに、性格からして家事は苦手かと思いきや、実は得意! なんてだったりしたら、キャラが被っちまうしなぁ……沙姫と。


「おい、モユ。お前も手伝え」


 被害者であるにしろ、散らかった原因の1つにはお前も入ってるんだ。


「……うん」


 着ている服を見るのをやめて俺を見て頷く。

 そして、言われた通り落ちている服を拾うのを手伝い始める。


「それじゃ、私と沙姫が服を畳むから、拾ったら持ってきて」


 沙夜先輩はテーブルの上で拾った服を広げ、綺麗に畳んで積んでいく。


「……はい、沙姫」

「ありがと、モユちゃん」


 沙姫も沙夜先輩同様、服を畳んで鞄の中へ次々と仕舞う。

 やっぱ沙夜先輩と交代で家事をしているだけあって、沙姫の奴手慣れてる。料理だけじゃねぇんだなぁ。


「ほい、沙夜先輩」

「あ、そこに置いてて」

「あいよ」


 拾った服、五、六着を沙夜先輩の隣に置く。

 って言うか……この散乱している服の量と鞄の大きさ、合っていないように見えるんだが?

 そりゃ畳めば服は小さく収納出来るけど、それでも鞄が小さく感じる。


 本当に全部入るのか? 入っちゃうのか?

 ……入るんだよなぁ、現に入れて持ってきている訳だし。

 そんな事より、早く片付けを済ませちまおう。服にソファを占領されて座れやしない。


「って、どあぁぁ!?」


 足下に落ちていた服に気付かず、それを踏んでしまって盛大に滑り転ぶ。

 せっかく拾った服を豪快にブチ撒けて。


「ってぇ……」


 後頭部を思いっきり打ち、擦りながら上半身を起こす。


「あはははは!」

「咲月君、大丈夫?」


 沙姫は大きく開けた口を隠しもせず笑い、沙夜先輩は心配そうに聞いてくる。

 そして、ヒラヒラと一枚のTシャツが宙を舞い、頭の上に落ちてきた。

 ……早く終わらせよう。座るどころか立っているのさえ危険だ。



    *   *   *



「くぁ……」


 広間のソファに寝転がり、出来得る限り口を開いて大きな欠伸をする。

 時刻は夜の九時半。夕飯も食べ終わって、二時間程テレビを適当に見て暇を潰す。


「なんだ、一人か?」


 名前は呼ばれていないが、自分に声を掛けてきているのが解り、反応して振り向く。

 入り口前にエドが立っていた。


「あの姉妹は帰ったのか?」

「今何時だと思ってんだ。とっくに帰ったっつの」


 沙姫と沙夜先輩は服の片付けをした後、一、二時間くらい雑談をして帰っていった。


「ちなみに、モユは深雪さんに連れられて風呂に行った」


 また長風呂になって湯中りしなきゃいいんだがな。


「お前こそ、今の今まで何してたんだ?」


 昼間に部屋に戻っていったきり、ずっと姿を見せなかった。


「あぁ、ちょっと昼寝をしていたら、こんな時間になっていた」


 ちょっとって……エドが部屋に戻ったのって三時半あたりだろ? 六時間も寝てんじゃねぇか。昼寝ってもんじゃねぇ。

 どんだけ寝てんだよ。と言いたかったが、しょっちゅう寝ている俺が言える台詞じゃない。


「それで、今から夕飯でも買いに行こうかと思ってた所だ」

「そうか……じゃ、途中まで付き合ってやるよ」


 身体を起こして、ソファから立ち上がる。


「まだ飯、食べてなかったのか?」

「いや、食った。食ってから時間も経ったし、ランニングに行こうと思ってな。言ったろ、途中まで付き合うって」


 ぐぐっと両手を天井に向けて背伸びする。


「ちょっと待ってろ、すぐ着替えてくっから」


 広間から出て、この事務所に泊まる際に用意された俺の部屋に向かう。

 部屋に戻れば、持ってきたジャージがある。

 ちゃっちゃと今着ている服を脱いでジャージに着替えて、再びエドを待たせている広間に戻る。

 ものの五分も掛からずに着替えを済ませた。


「待たせた」

「じゃ行くか」


 玄関でスリッパを脱いで靴に履き替え、外に出る。

 夜なので当然暗く、辺りには道を照らす街灯もぽつぽつとしか無い。

 だけど、月が出てくれているお陰で今夜は明るく、足下もちゃんと見える。

 夏虫の鳴き声の聞こえる道を通って、エドの目的地であるコンビニを目指す。


「最近、よく夜中に出ていると思ったら走り込みをしてたのか」

「あぁ、体力を付ける為ってのもあるが、身体が鈍らないようにな」


 俺達以外の通行人は居らず、道路には月明かりで薄らと形作る影が揺れ動く。

 夏休みに入ってからは、毎日夜に走り込みをやっている。

 最近はモユは俺じゃなくて深雪さんと一緒に寝るようになり、夜間に自由が利くようなった。

 深雪さんには迷惑なんじゃないかと思ったが、モユが懐いてくれて嬉しがっているみたいなので任せる事にした。

 だけど、やはりモユはまだ1人で寝るのは嫌らしい。


「次にSDCが行われれば、コウとは確実に戦るだろうからな」


 ぐっぱっ、と開いて閉じる自分の右手を見つめる。


「微々たるもんだけど、何もしねぇよりはマシだろうからな。少しでも出来る事はやっておきたい」

「確かに、な」


 今更体力を増やしたところで、大して変わらないかも知れない。

 けど、少しでも先輩を助け出すのを、そして俺がSDCに最後まで残るようにする為に。


「こちらから仕掛けられない以上、向こうが動いてくれるのを待つしかない。その時にちゃんと動けるように調整しておくべきだってのは……さすがに分かっているか」


 横目で俺を見て、エドは珍しく真面目な面持ちで話す。


「それも一応あるけど、理由はそれだけじゃねぇよ」


 歩きながら空を仰ぐと、半分に欠けたお月様と無数に散らばるお星様が浮かぶ。

 雲は殆んど無く、黒い海の中で綺麗に光り輝いていた。


「やらなきゃいけない事も、助けなきゃならない人も、倒さなきゃならない敵も。全部分かっているのに何も出来ない事が歯痒くて……ジッとしているのが嫌で、がむしゃらに身体を動かして誤魔化してるってのもある」


 半分に割れた月を見て思う。

 今の先輩もあの月と同じように、コウという闇に侵食されている……。

 俺達が先輩を助けだして、再び満月のように完全な形に戻せるのか。

 それとも、このまま闇に飲まれて一切の形を消されてしまうのか。

 状況は以前、芳しく無い。


「相変わらず、SDCの出方が分からない。だけど、匕。少なくとも、微かながらも風はこちらにも吹き始めている……だろ?」

「風?」


 歩きを止め、エドは俺の2、3歩先で振り返る。


「モユちゃんさ。彼女が抜け出して来たお陰でS.D.C.、禁器、実験の内容とその目的。奴等の居場所は判明しなかったが、これは大きい」

「まぁ、な。今まで分からなかった事がモユから大分聞けたのはデカイ」


 そのせいか、モユから情報を得てから白羽さんは調べ物に忙しいのか、自室に籠もってあまり姿を見せない。

 今日会ったのだって二日振りじゃないか?


「白羽さんも言っていたが、貴重な人材であるモユちゃんを簡単に抜け出せる状態にしていた等の不可解な点は幾つかある」

「あぁ。それは俺も気になっていた」


 だけど、その真意を確かめる術はない。

 もしかしたら、SDCに上手く踊らされているのか。それとも、本当にモユはテイルの目を掻い潜って抜け出して来た……?


 禁器を扱える限られた人材であるモユ。SDCにとっては手放す訳にはいかない存在であるのは明白。

 モユが抜け出せたのは故意か偶然か。どちらにしても、禁器とモユの両方を失い、実験で支障も出て痛手である筈だ。


「モユちゃんと禁器。ましてや禁器は白羽さんが厳重に保管している。なら、向こうは……テイルはそう簡単には手は出せないだろう」

「下手に手を出して白羽さんを殺してしまえば、禁器の在処は分からなくなるから、か」


 さらに加えれば、口封じにモユを始末してしまえば、貴重な禁器を扱える者が減ってしまう。

 向こうとしては、それは避けたいんだろう。


「結局、それでもこっちから仕掛けられねぇのは変わらないまま、か」

「それについてはどうしようもないな。この前みたいにたまたまテイルを見つけるか、SDCが行われるのを待つしかない」


 エドは一度肩を竦めて、歩みを再開する。

 ポケットに手を突っ込んで、俺もその後ろを歩く。


「だから、お前はそうやって走り込みをしているんだろ。いつか行われるS.D.C.の為に」


 エドは背中を向けたまま、首だけを曲げて後ろにいる俺を見る。


「まぁな。無駄な努力かもしれねぇけど」


 出来れば組み手とかしたいんだけど、沙姫の奴、また暇な時に相手してくれねぇかな?

 やっぱり、人を相手にした方が何倍も鍛えられる。


「いつもどれ位走ってるんだ?」

「立花町の駅前まで行って戻ってきてる」

「結構走ってるんだな」

「体力を付ける為に走ってんのに、短い距離じゃ意味ねぇだろ」


 ここから立花町までは大体、往復で15kmぐらいある。

 ここいらの土地勘は全く無くて、最初はどう走ろうか悩んだりした。

 気の向くままに走ってしまえば、いい歳をした男が迷子になる可能性も無きにしも有らず。

 なので、唯一分かる事務所から駅までを通った後、線路添いを走って立花町まで走る事にした。

 これなら一本道で迷わないしな。


「お前こそ、何かやってんのか?」


 俺はこうして地道ながら走り込みをしているが、モユが来てから事務所に3日間泊まっているものの、こいつが何かトレーニングをしている所なんか見た事がない。


「やっているよ。メンテナンスしてるのを昼間に見ただろ」

「ありゃお前の相棒の調整だろうが。お前自身の調整はしていねぇのか、って聞いてるんだよ」


 俺はこうして鈍らないようにって真面目に身体を動かしているっつーのに。


「ま、一応はやっている。一応はな」

「んだよ、曖昧な言い方だな」

「そういうのは隠れてやった方が格好良いもんだろ」

「けっ、身体鍛えるのに格好良いもへったくれもねぇだろうが」


 エドの背中に向けて、呆れの眼差しを送る。

 すると、エドより先の方に明るく光るコンビニの看板が目に入った。


「冗談はさておき、自分なりにちゃんとやってるさ」


 コンビニの駐車場前で止まり、少し後ろを歩いていた俺が追い付いてからエドが振り返った。


「お前と違って、俺はスキルもあるからな」

「スキル……」


 そうか。エドはスキルが既に目覚めているんだった。

 まだスキルが目覚めていない俺とは違い、スキルを鍛える独自の方法があったりするんだろう。


「お前はお前、俺は俺でやってるって事だ」


 エドは俺に背中を向けて、コンビニの入り口へ歩いていく。


「あんまり力んで頑張り過ぎるなよ。それと、遅くなり過ぎたりもするな。モユちゃんが心配する」


 ひらひらと片手を振って、エドはコンビニの中へ入っていった。

 力むな、ね。自分じゃそんなつもりは無いんだけど……周りからはそう見えるんだろうか。

 いや、そうなのかも知れない。

 唯一仲の良かった先輩が拉致された上に別人格を埋め込まれ、更には願いを叶える為にはS.D.C.で別人格とは言え、その先輩と戦り合わないといけない。


「知らず知らずに気負っていたのかもな」


 コンビニ前で立っている訳にもいかないので、とりあえず歩みを再開して駅に向かう。


「スキル、か」


 なんとなく、自分の利き手である右手を睨み付ける。

 前に白羽さんからスキルの話を聞いた時、今の俺の年齢が目覚めやすい時期だと言っていた。

 出来れば早く目覚めて欲しい。そうすれば、先輩を助け出す事、願いを叶える事の可能性が上がる。

 でも……。


「そんな本当に目覚めるか解んねぇ不可解なモンに頼るより、自分で出来る限りの努力をした方が確実だっての」


 睨んでいた右手を強く握る。

 スキルが目覚める条件。それは、大まかに分けて二つ。

 己の身に危険が及んだ時に突然目覚める場合と、何かを切っ掛けに少しずつ目覚める場合。

 俺は以前にSDCでコウと初めて会った時、前者の状況が該当すると思われる。


 が、それから何か身体に変化や異常が起きた覚えも無い。

 かと言って、後者が当て嵌まる訳でもない。

 誰でも必ず能力を持っている。なら、俺だって何かしらのスキルはある筈なんだ。

 でも、いくら今が目覚めやすい時期だとしても、あくまでそれは目安でしかない。


 個人差だって当然ある。だからもしかしたら、俺は死ぬまでスキルが目覚めない可能性だってあるんだ。

 スキルが目覚める前兆らしきものがあるなら、白羽さんに相談して完全に目覚めさせる為に努力はするだろう。

 けど、それすら無いのなら、自分で出来る限りの方法で自身を鍛えた方が堅実かつ確実、現実的だ。


「その出来る限りの方法が走り込みってのは、少しばかり頼りない気もするけど」


 右手を空に向け、半分になっている月を手の平で隠す。

 そして、月を掴むように手の平を握る。出来やしないと解ってて。

 握った手を開くと、中には当然何も無かった。


「ほらな、やっぱり無駄だ」


 はっ、と乾いた笑いを一つ。

 さて。それじゃ、出来る事をやろう。

 歩きをやめ、まずは駅を目指して走り出す。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ