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No Title  作者: ころく
19/85

No.18 うさバラし人形 二つ目

 結局、さっきのが冗談だったのか解らないまま終わった。

 駅近くにいるからと余裕を持ち過ぎてか、時間が危なくなったので少しばかり走って電車に乗り込んだ。

 電車内はそれほど人は乗っておらず、疎らに空いた席が目立つ。

 その空いた席を適当に沙夜先輩と並んで座る。


「余裕だと思ってたけど、ちょいギリギリだった……」


 少ししか走らなかったのだが、今は真夏の為、少し動いただけで額から汗が流れてしまう。

 電車の中は冷房が利いていて、時折涼しい風が当たる。


「そうね。私もちょっと焦ったわ」


 沙夜先輩はハンカチで額の汗を拭いた後、パタパタと手で扇いでいる。

 白羽さんの事務所がある所は、立花町から駅二つ先だからすぐに着く。しかし、駅二つの近場と言えど、電車に乗る以上切符を買わなくてはならない。

 その切符の値段は百五十円。約ジュース一本分の値段と変わりない。

 だが、ジュース一本分と言ってもこう何度も乗っていると、塵も積もればなんとやら。なかなかの金額になってしまう。

 でもま、自分の意志で会いに行っている訳だし、しょうがないか。


「あまり人、乗ってないわね」


 汗が引いて、一息ついた沙夜先輩が車両内を見回す。


「時間が時間ですからね」


 電車特有の揺れと、窓の向こうで流れて行く景色を眺めながら答える。

 椅子に座っている他の乗客者は数える程で、朝に乗った電車とは全然違う。今の時間は帰宅ラッシュの時間でも無いし、空いてて当然か。

 って、昨日沙夜先輩と沙姫は六時の電車で帰った時は大変だっただろうな。

 学生だけじゃなくてサラリーマンも乗る時間帯だから朝並に混んでたと思う。


「……ん?」


 今ふと、ある事に気付く。

 昨日、モユを見付けて白羽さんの事務所で話をしていて、沙姫との約束を忘れてしまった。

 そしたら、沙夜先輩の携帯電話を使って沙姫から電話が掛かって来たのを、いい言い訳が思い付かなくて俺は一方的に切った。

 それで、一時的ではあるが、取り敢えず問題は回避出来た……と思って白羽さん達とで話をしていたら沙姫が事務所に来たんだ。


 うん、そうだ。勢い良くドアをブッ壊すんじゃないかって位、強く部屋に入って来たのを覚えている。

 で、そこだ。その時は沙姫の勢いと、いきなりの登場に戸惑ったのか焦ったのか分からないが、ある事に気付かなかった。

 沙姫の奴、なんで俺が白羽さんの所にいるって解ったんだ?

 俺は電話で自分の居た場所を言った覚えは無い。寧ろ、話していたのはSDCの事だった。居場所を教える訳が無い。

 一体全体、どうやって知ったんだ、あいつは。


「あの、沙夜先輩?」

「なに?」


 窓の景色から隣にいる沙夜先輩に、首だけを動かして視線を移す。


「昨日、沙姫と白羽さんの所に来たじゃないですか?」

「えぇ」

「どうやって俺がそこにいるのが分かったんです? 俺、沙姫に教えた覚えはないんですけど……」

「あぁ、それはね。ほら、沙姫が咲月君に電話したじゃない? その時、咲月君が白羽さんの名前を言ってたのが聞こえたらしいのよ」


 沙夜先輩は視線だけを俺に向けて答えてくれる。


「俺、電話中に白羽さんの名前なんて出したっけかな……って、あ」


 そんな事あったか? と考えてみたら、思い当たる所があった。

 沙姫から電話が来て、約束の事を思い出して大声を出してしまい、白羽さんが気に掛けてきた。

 確かその時に、白羽さんの名前を出した気がするが……。


「じゃ沙姫の奴、あれを聞き取ったってのか?」


 ……マジで? だって、薄らとだけど白羽さんの名前を呼んだ時は携帯を耳から離していた記憶がある。それを聞き取るって、あいつどんだけ耳が良いんだよ。

 そういえばあいつ、自分の教室の窓から、昇降口に入る俺が見えるくらい目も良かったな。

「白羽さんの名前が聞こえただけで、白羽さんの所にいる訳じゃないなのに沙姫ったら『咲月先輩は白羽さんの所だ!』 なんて言って私の携帯を持ったまま走り出すし」

 喋りながら沙夜先輩は目を半開きにして呆れた顔して、溜め息も吐く。


「それになんか頭に血が昇って怒ってたみたいで、何を言っても聞かないし」


 あ、多分それ俺のせいだ。電話を一方的に切った上に電源まで落として掛け直しも出来なくしたからなぁ。

 そのとばっちりを沙夜先輩は受けちまったのか。悪い事しちまった。

 視覚に続いて聴覚も良いんとはな。視覚、聴覚と来たら残ってるのは嗅覚か。

 次は匂いを追って俺を見付けるとかしねぇだろうな、あいつ。いや、流石にそれはねぇか。

 でも食い物の匂いには敏感そうだ。食い意地も一級品だからな、沙姫は。


『次はぁ、赤尾町ー。赤尾町ー』


 なぜか語尾を伸ばす、電車独特のアナウンスが流れる。


「あ、次ね」


 ハンカチを鞄に仕舞い、沙夜先輩は隣に置いていた鞄を肩に掛け、降りる準備をする。

 駅二つしか離れていない為、雑談という雑談をする間もなく着く。

 時間も十分位しか経っていない。

 電車にブレーキが掛かり、反動で車内が揺れる。

 その揺れの余韻を少し残した後、電車はピタリと止まってドアが開く。


「どっこらしょっ、と」


 爺臭い言葉を言って椅子から腰を上げる。


「咲月君、年寄り臭いわよ」


 沙夜先輩も立ち上がって苦笑している。

 止まっていた車両から降りたのは俺と沙夜先輩だけで、ホームに出ても殆んど人がいなかった。

 電車に乗っていた人自体が少なかったし、当然っちゃ当然か。

 自動改札機に切符を通して駅から出る。


「うぁ……」


 駅から出ると、毎日休まず働く太陽さんの日射しが迎えてくれた。

 たまには俺を見習ってサボってもバチは当たんねぇのに。


「今日も暑いわよねぇ」


 隣でげんなりとさせた俺の顔を見て、沙夜先輩が言ってきた。


「白羽さんの所までの我慢よ、咲月君」

「そうですね」


 立花町と違い、緑が多く目立つ赤尾町の駅前を歩き出す。

 駅前から離れると周りには時折、畑や田んぼが目に入る。立花町と比べて娯楽施設は無いが、その分緑が多い。

 スーパーやコンビニと生活面では必要最低限なのは揃ってある。

 それで他に欲しい物があれば立花町に行くって感じだろう。駅二つ先で近いから手軽に行けるし。


「あ、途中でコンビニ寄っていいですか?」

「いいわよ。何買うの?」

「ちょっとアイスを。モユに買っていくって言っちまったんで。あとはついでに昼飯を買おうかと。いい加減腹減った」


 言ったのは深雪さんだけどな。俺は一言も言っていない。

 でも、昨日の晩飯を買いに行った時にアイスを買うのを忘れちまったってのもあるし、期待させといて買わないで行ったらモユが機嫌を損ねそうだ。


「そうね。時間も2時過ぎてるし、私もお腹減ったわ」


 立花町の駅前だったら大概のファーストフード店が揃ってるから、出来ればそっちで買いたかったけど時間が無かった。

 一応、三十分程時間があったからハンバーガーとかなら持ち帰りで買えたんだろうけど……。

 あのバカップルのせいでいらぬ時間を取っちまったからなぁ。ま、今更愚痴ってもな。過ぎた事を言ってもしょうがねぇ。さっさとコンビニに行こう。

 駅前から十分程歩いて、白羽さんの事務所に行く途中にあるコンビニに着く。


「おー、涼しい涼しい」


 コンビニの中に入ると、冷房の利いた冷たい風が迎えてくれた。


「さてと、何を食うかね」


 入り口付近に置いてあったカゴを手にして、食品コーナーを物色する。

 昼を過ぎたばかりなだけあって、弁当類は殆んど残っていなかった。

 立花町と比べれば小さな町だが、やはり昼時となれば利用する者は多いのだろう。


「金もそんなある訳でもねぇし……」


 弁当コーナーを過ぎて、カップラーメンが並ぶ棚へ行く。


 数ある種類の中から、定番とも言えるカップヌードルを一つ取ってカゴの中へ。

 金の出費を最小限に抑えるならこれに限る。あとは菓子パンを一つ付ければ十分腹は満たされる。

 コンビニの弁当は大体四百円ぐらいするが、カップラーメンと菓子パンならばそれ以下で済む。

 自炊だったらばもっと安く済むんだけどね。


「次は菓子パン、と」


 菓子パンの所へ行くと、手に菓子パンを持った沙夜先輩がいた。


「もう選び終わったんですか?」

「えぇ、私は終わったわ」


 沙夜先輩の手には、いちごジャムサンドとクロワッサン、飲み物にパックの紅茶と甘い物系で揃えている。

 沙夜先輩って甘い物が好きなのかね。

 しかし、俺個人としては甘い物を主食として食えないんだよなぁ。甘いのは嫌いではないんだが、なんか無理なんだよ。


「俺は……これでいいか」


 パッと目に、いつも買うソーセージパンが入ったのでそれを取る。


「咲月君は何を買ったの?」


 カゴにパンを投げ入れ、沙夜先輩に中を見せる。


「今のパンとカップラーメンです」

「あまり身体に良くないわよ、カップラーメン」

「それは解ってるんだけど、たまぁに食いたくなるんですよねぇ」


 本当は出来るだけ安く済ませたいから、とは恥ずかしくて言えない。


「で、忘れちゃいけないアイスっと」


 アイス専用の四角い箱型冷凍庫を開けて、モユに買っていくアイスを選ぶ。


「でも、どれ買っていけばいいんだ?」


 カップ、モナカ、コーン等々、様々なアイスを前に悩む。

 一応、いつもモユに買ってやったバリバリ君もある。

 しかし、いつも買ってやるのが安いバリバリ君ってのもケチ臭い気もする。


「いいや、適当に買っていきゃ当たりを引くだろ」


 目についたアイスを適当に選んで、次々とカゴへ入れていく。

 今回はバリバリ君はお休みで。たまには安いアイスじゃなくて普通のを食わせてやろう。


「咲月君、そんなに買うの?」


 カゴに入れたアイスの数は、ざっと10個程。その数に沙夜先輩は驚いている。


「買い溜めってヤツです。モユの機嫌を取るには必要なアイスなんで」


 昨日は買うのを忘れてしまったから、少し奮発してみた。

 あとで生活に響かなきゃいいけどな。

 さっきまで隙間だらけだったカゴは、九割方アイスで埋め尽くされた。

 これじゃまるで、カップラーメンと菓子パンがおやつでアイスが主食みたいに見える。


「千四百十七円になります」


 レジを通して店員に言われ、びっくりどっきり。俺の昼飯の三倍もの値段分もアイスを買っていた。

 そりゃ沙夜先輩も『そんなに買うの?』と驚く訳だよ。

 金を払って袋に入れられたアイスと昼飯を受け取り、沙夜先輩も会計を済ませるのを待ってからコンビニを出る。


「結構買ったなぁ……」


 袋に詰められたアイスを見て、改めてそう思う。


「アイスが溶けちゃわない内に、早く白羽さんの所へ行かないとね」

「そうですね」


 溶けたアイス程悲惨な物は無い。溶けてから冷凍庫に入れて冷やし直しても、形が崩れたりして萎えたりするんだよ。

 見た目って大事なんだな。


「にしても、暑い」


 サンサンと強い日射しが肌を突く。

 俺の財布の中は寒いってのに、外はこんなにも暑い。

 しかも今更だけど、俺の昼飯ってカップラーメンじゃん。安いからとは言え、こんな暑い日に何を買ってんだ、俺は。


「こんちわー」

「こんにちはー」


 白羽さんの事務所に着いて、ガラス戸を押し開いて中に入る。

 靴を脱いで靴棚に置き、スリッパに履き替える。


「あれ、誰もいないのか?」


 奥からは何も反応が無く、玄関は静かだった。

 でも、鍵が開いていたって事は誰かしら居ると思うんだけどな。


「とりあえず、広間の方に行きますか」


 奥の方を指差して、廊下を歩く。


「そうね」


 先に歩く俺の後ろを沙夜先輩が付いてくる。


「俺が来る事は知ってるから、誰かは居ると思――」


 廊下の突き当たりを曲がれば、あとは広間へ一直線。


「ぐえっ」


 すると、廊下を曲がった瞬間にサッカーボールが当たったような衝撃が腹部に走った。


「ちょっとモユちゃん!」


 廊下の向こうから、深雪さんがこちらに走ってくる。


「モユ……?」


 視線を落とすと、そこには俺の腹へ頭突きを決め込んだモユの姿があった。


「って、匕君。来てたの?」


 モユに追い付き、深雪さんが俺に気付く。


「たった今来たところ」

「いきなりモユちゃんが走り出したと思ったら、匕君が来たからか」


 深雪さんは俺に抱きついているモユを見て微笑む。


「深雪さん、こんにちは」

「あら、沙夜ちゃんも来てたの。いらっしゃい」


 深雪さんに頭を下げて挨拶をする沙夜先輩。


「モユ、いつまで頭突きしてるつもりだ」


 モユの頭をポンポン、と触れる。

 そんなにくっ付かれたら歩けないだろ。


「ほれ、約束通りアイス買ってきてやったぞ。広間に行って食おうぜ」


「……アイス?」


 モユはアイスという言葉に反応して、俺の腹に埋めていた顔を上げる。


「そうそう、アイス」


 今日は沢山買ってきたんだ。より取り見取りだぞー。


「……広間」


 今さっきまで抱きついていた筈のモユは、いつの間にか離れてYシャツの裾を掴んで引っ張る。


「……早く」


 ぐいぐいと広間の方へと俺を引っ張って行く。

 そんなに早くアイスが食べたいのか、お前は。


「解った、解ったから引っ張るな」


 Yシャツだから伸びないとは言え、歩きにくい。


「匕君が来た途端、モユちゃん嬉しそうねぇ」


 深雪さんはそう言いながら笑い、広間へ戻る。


「あー疲れた」


 広間のソファに腰を下ろして、一息。

 そんなに歩いた訳ではないが、暑さのせいで疲労感が倍増された。


「……アイス」


 待ちきれないのか、モユはYシャツの袖を引っ張って急かす。


「はいはい、ほらよっと」


 アイスが入った袋を逆さにして、テーブルにアイスを全て出す。

 テーブルの上には、小さなアイスの山が出来上がった。

 こんな光景、今まで一度も見た事ねぇわ。つーか、アイスをこんなに買ったのが初めてだっつの。


「今日は奮発してやったぞ。さぁ好きなのを選べ!」


 モユはアイスがこんもりと盛られたテーブルの前に行き、数多くあるアイスを選び始める。


「匕君、随分と買ってきたわねぇ」

「昨日の晩飯ん時は買い忘れちゃったんで、その分も含めて買ってきたんだけど……やっぱ多かったかな?」


 モユが選んでいるアイスの量を見て、少し買い過ぎたかと反省。


「別に一度にこんな沢山買わなくても良かったんじゃない?」


 俺の対面のソファに座って、沙夜先輩に言われる。

 そうだよなぁ……何も一遍にこんなに買わなくても良かったな。三つぐらいで良かったかも。


「ん? 食いたいの決ったか?」


 買い過ぎたと少し後悔後悔していると、選び終わったのかモユがこっちを見ていた。


「……ない」

「ない? なんだ、食べたいアイスが無かったのか?」


 まさか、こんなに買ってきたにも関わらず、全部モユの好みじゃないハズレだったってのか?


「……ううん。アイスがない」


 小さく首を横に振って、モユは答える。


「アイスがない?」


 身体を横にずらして、モユの後ろにあるテーブルを見る。

 そこには当然、俺が買ってきた無駄に多いアイスが転がっている。


「あるじゃねぇか、そこにたんまりと」

「……ううん」


 しかし、モユはまた首を振る。


「……あの青いのがない」


 青いの……? あぁ、バリバリ君の事か。そんなに好きだったのは……しくったなぁ、いつも同じのだと飽きるかと思って買ってこなかった。


「悪い、今回はそこにあるアイスで我慢してくれ」

「……そこ?」

「あるだろ、ほら。テーブルの上に沢山」


 顎をつい、とテーブルの方へ小さく突き出す。

 その先を追ってモユはテーブルを見る。


「……ううん、ない」


 だが、すぐに視線を俺に戻して、また首を小さく横に振った。


「何言ってんだよ。目の前にある……」


 何故かアイスが無いと言い張るモユを変に思ってソファの背もたれに背中を預ける。


「まさか……」


 そして、喋っている途中で気付いた。


「モユ、お前……テーブルの上にあるアイス、どれでもいい。選んでみろ」


 真剣な面持ちでモユに言う。


「咲月君、何を言ってるの?」


 沙夜先輩は俺が言った意味が分からないと言いたそうな顔をしている。


「モユ」


 だが、沙夜先輩には答えずにモユの名前を呼ぶ。

 そして、モユは一度テーブルの上のアイスを見た後、すぐに俺へ振り返る。


「……だから、ない。アイスはない」


 それを聞いて、俺は膝に肘を着いて頭を落とす。


「やっぱり、そうか……」


 右手を額にやり、目に移る床を睨むように細める。


「え、何? どういう事?」


 何が何だか、沙夜先輩は状況を理解出来ないでいる。


「モユは……今テーブルにあるのがアイスだと分からない、知らないんだ」


 額に当てていた手で前髪を掻き上げ、くしゃりと強く握る。


「でも、モユちゃんはアイスを知ってる口振りで話していたわよ?」


 深雪さんは不審そうな表情をさせて言う。


「あぁ。だから俺も、てっきりモユはアイスを知ってるもんだと思っていた。じゃなきゃこうして買ってこない」


 顔を上げ、テーブルにあるアイスに目を向ける。


「でも、そうじゃなかった……そうじゃなかったんだ」


 そして、無表情で無愛想なモユを見て、下唇を噛む。


「俺、モユと初めて会った時にアイスをあげたんだ。たまたま持っててさ。自分が食おうと思って買った安いアイスで、バリバリ君ってヤツ。あげたら美味そうに食ってた」


 モユと学校で初めて会った時。今と変わらず、こいつはなかなか喋らないし表情も変えない。

 だから、コミュニケーションの切っ掛けを作ろうとしてアイスをあげた。


「昨日もこいつと会った時、アイスをたかられた」


 はぁ、と息を吐いて苦笑する。

 昨日モユを見付けた時は、近くにテイルがいるんじゃないかと気を張っていた所に気が抜ける事を言われた。

 それを思い出したら、少し笑ってしまう。


「それで近くの店まで買いに行ったんだ。そこでモユが選んだのも、バリバリ君だった」


 白羽さんが来るのを待つ間に、学校裏にある駄菓子屋で買ってやったアイス。

 他にも色々なアイスがあったのに、モユはバリバリ君一択で決めた。


「そん時は『余程バリバリ君が好きなんだな』ぐらいしか思わなかった。けど……」


 それだけで、深く考えなかった。


「今ので解った。モユは……俺と会うまでアイスを食った事がない。いや、アイスという物自体を知らなかった……」


 言って、テーブルの前に立ったままのモユを見つめる。


「そうだろ、モユ?」


 聞くと、モユは小さく頷く。こくん、と首を縦に一度だけ振って。


「それ……本当なの、モユちゃん?」


 沙夜先輩は驚愕と同情、二つの感情が混ざった複雑な表情をさせてモユに聞く。

 普通の家で育てば、モユの歳になるまでには食べる機会は五万とある。だが、それが無かったと知って沙夜先輩は悲愴した表情を見せる。


「……うん」


 対してモユは、自分の事であるのに表情は変えない。変わらない。


「俺はバリバリ君をアイスと言ってモユにあげた。だから、こいつはバリバリ君をアイスという名前だと勘違いしちまったんだ」

「そうか。だからテーブルの上にアイスがあるのに無いって言ったのは……」


 理由に気付き、深雪さんは口元を手で押さえる。


「アイスというモノ自体を知らず、そして、アイスだと思っていたバリバリ君が無かったから」


 そうだよ……こいつは、モユは人体実験の被験体として、人材として造り出されたんだ。

 SDCが欲しているスキルの収集と、禁器を扱えるモノの選別。

 人として生み出されたのでは無く、ヒトとして造り出されたモユには、俺達が持つ常識は通じない……知らないんだ。


「くっそ……」


 胸クソ悪い。人として扱わず、モノとしての扱いを受けてモユは育ってきたんだろう。

 アイスという、たった一つのお菓子さえも知らずに。


「そんな……家庭で色んな事情があったって話は聞いたけど、酷い……」


 沙夜先輩の表情はより一層、悲しみの色を深める。

 あぁ、沙夜先輩は白羽さんからモユは複雑な事情があるって話をされたんだっけ。

 なら多分、沙夜先輩はモユが虐待を受けていたとか考えているのかも知れない。

 話の流れ的にそう考えてしまっても無理はない。それに、真っ当な教育を受けていないという点では同じだ。

 とはいえ、沙夜先輩にはモユがS.D.C.と関係ある事を隠すために白羽さんが嘘を吐いた。

 その話題を掘り下げてしまい、矛盾が起きてしまったら沙夜先輩に可笑しいと感付かれる可能性もある。

 ヘマをする前に、この話は終わらせた方が賢明か。


「でも、今まで知らなかったなら俺達が教えてあげればいいんだ」


 だけど、賢明だとか、話を反らすとか以前に、俺はモユには当たり前の事をちゃんと教えてやりたい。

 それは楽しい事だと、嬉しい事なんだと。


「それが俺達がしてやるべき事なんだと思う。いや、してんなきゃいけないんだ」


 かつて、凛が俺にしてくれたように。


「……そうね。モユちゃんを預かった以上、今まで誰もやってくれなかった事を私達がやらなくちゃ」


 モユに同情をする目を向けて、深雪さんが共感してくれる。


「私も、そう思う。親がいない寂しさは私も分かる。親の代わりは無理だけど、教えてあげれる事は沢山あるから」


 寂しそうな顔をしつつも、にっこりと優しく笑う沙夜先輩。

 確か沙姫も言っていた。親のいない寂しさは解るって。

 やはり、姉と言っても沙夜先輩も親がいなくて寂しかったんだろう。いや、姉だからこそ尚更寂しかったのかも知れない。

 自分だけでなく、沙姫という妹の面倒までも見なければならない。年上としての圧力も感じていたんだと思う。


「……みんな、どうしたの?」


 俺達の暗くなった雰囲気に気付いてか、モユがまた俺のYシャツの袖を引っ張って聞いてくる。

 お前の事を話していたってのに、相変わらず自覚が無ぇ奴だな、お前はよ。


「……アイス、ないの?」


 しかも、次の言葉がそれかよ。お前の事で真剣に話をしていたのに、当の本人はアイスの事で頭が一杯ですか。

 マイペースと言うかなんと言うか……。


「あのな、モユ。残念な事に、お前が食べたかった青いアイスは買ってこなかったんだ」

「…………」


 すると、無表情のままだがモユの顔に薄らと影がかかる。

 恐らく落ち込んでるんだろう。出来ればもっと解りやすくして欲しいもんだ。


「んで、だ。代わりに良い事を教えてやる。テーブルの上に置かれている物があるだろ?」

「……匕が買ってきたやつ?」


 モユは首だけをテーブルに向け、俺が言った物を確認する。


「そうそう。実はな、あそこにあるのも全部アイスなんだよ」

「……全部?」

「しかもだ。一つ一つの種類も違えば味も違う」


 テーブルにあるのが全てアイスだと知ると、モユは俺が話している間もずっとアイスから目を離さず。

 モユにとっては、目の前に宝の山があるように見えるんだろうな。


「ほれほれ、好きなモン選んで食ってみ。早くしねぇと溶けちまうぞ」


 モユの頭をポンポン、と軽く触れる。

 とは言え、買ってから多少時間が経ってるからな。もしかしたら既に溶けてるかも……。


「……全部アイス……」


 小さく呟きながら歩き、モユはテーブルの前へ。


「……これ、アイス?」

「そう、アイス」


 宝の山の一つを手に取って聞いてくる。


「……これもアイス?」

「それもアイス」


 別のアイスを取って、モユが更に聞いてくるのに答える。


「……これも?」

「だから、全部アイス……」


 何度も聞いてくるモユに半ば相づちで答えていると、モユが持っていたのはアイスにしては大きなカップ。


「すまん、それは俺の昼飯だわ」


 モユからアイスの中に混じっていたカップヌードルを返してもらう。


「……匕、お昼ご飯にそのアイス食べるの?」

「違う、そういう意味じゃねぇ。これはカップラーメンでアイスじゃないから」


 どうやら、モユはカップラーメンも知らないらしい。

 第一、俺はお前みたいにアイスを主食に出来るような強者じゃないんで。


「それで、喰いたいアイスは決まったのか?」

「……これ」


 数多くあるアイスを何度も見比べ、無言で悩んだ末に1つを決める。

 モユが選んだのは長方形の形をした袋に入った、モナカアイスだった。


「よし、じゃ他のは冷蔵庫仕舞うか」


 残ったアイスは、再びビニール袋に入れてまとめておく。

 それを見てモユは俺のYシャツの裾をつかんで、じっ……と瞬きもせずに見つめてくる。

 モユの十八番、無言の訴えが始まった。

 この袋の中のアイスを持っていかれて、俺に食べられるんじゃないかと思ったんだろう。

 微かに、ほんの微かに眉を顰めている気がするんだが……もしかして睨んでる?


「安心しろ。別に俺が食おうってんじゃねぇから。溶けないように冷やしておくたけだ」


 そう言うと、アイスの安否を確認したモユは裾から手を離す。

 まさかモユの奴、一度に全部のアイスを食べる気だったんじゃないだろうな……?

 いやいや、いくらなんでもそれは無いよな。体型だって小さいし、見た目では少食に見えるし。

 どっかの食い意地の張った奴は食いそうだけどな。


「早く食ってみな、アイス。持ったままだと体温で溶けるの早ぇぞ」

「……うん」


 モユは袋を開けて、中からモナカアイスを出す。

 初めて見るであろう、四角いブロックのようなモナカに多少たじろぎながらも、一口頬張る。

 パリッ、と小気味の良い音を鳴らし、モナカには小さな口跡が一つ付く。


「どうだ?」


 もく、もく、と口に入れたモナカアイスを何度か噛んで飲み込む。


「……甘い」


 モユはモナカアイスに付けられた自分の歯形を見つめる。


「アイスは甘い食い物だからな」

「……青いアイスと味が違う」


 そりゃそうだ。俺があげていたバリバリ君はソーダ味。

 今食ってるのはモナカアイスで、中にはバニラアイス。色と形、味も違くて当然です。


「……でも、美味しい」


 モユはモナカアイスがお気に召したらしく、もう一口噛り付く。


「おー、気に入ってくれたみたいで良かった良かった」


 こんだけ大量に買ったのに、どれも気に入らなかったらへこみますよ。

 千円という大金を出してまでかったんだからな。しかも、自分の昼飯はケチってカップラーメンにしてまで。


「そんじゃ、モユがおやつタイムに入った所で、俺は昼飯にしようかね」


 いい加減に腹が減った。時刻も三時近くと、昼飯なんて時間じゃない。

 時間的には昼飯じゃなく三時のおやつって感じだが、おやつにカップラーメンってのは濃いぞ。濃すぎる。


「深雪さん、給湯室借りるよ。カップラーメンのお湯を入れたいんで。あと冷蔵庫」

「えぇ、いいわよ。場所は解るでしょ?」

「ん、大丈夫」


 アイスを入れた袋と、昼飯のカップラーメンを持って給湯室に向かう。広間からは廊下を一直線なので迷い事もない。

 沙夜先輩の家だったら迷いそうだが。あそこの家は本当に広いからな。

 しかも、庭も広い。ある程度騒いだって近所に迷惑も掛からなそう。加えて、親もいないし。

 友達数人が集まって遊んだりする時とか重宝されそうだ。

 沙姫とか友達沢山いそうだもんな。よく溜まり場にされてたりして。


「冷蔵庫はどこだ、っと」


 給湯室に着いて、冷蔵庫を探す。

 すぐに見付かり、冷蔵庫の上の扉。冷凍庫を開ける。

 中からひんやりと冷気が流れ出て、肌に触れると冷たくて気持ち良い。


「つーか……何も入ってねぇ」


 開けた冷凍庫の中は空っぽで、何も入っていなかった。あっても氷だけ。他はなんにも無い。

 とりあえず、アイスを袋のまま中へ突っ込んでおく。

 他に何も無いんだから、乱雑に入れても構わないだろう。


「下はどうなんだろ、何かあんのかな?」


 気になって冷蔵庫の方も開けてみる。

 勝手に人ン家の冷蔵庫を開けるのは失礼とは分かっているが、気になってしまう。

 がちゃり、と取っ手を掴んで扉を開く。


 その時、ある事が一つ気になった。

 開けた冷蔵庫の扉が妙に軽い。扉の内側には大体、牛乳とか飲み物を置いてあるから、多少の重みがあるもの。

  なのに、扉は意に反して軽い。

 それで、俺は予想した。多分、冷蔵庫にも何も入っていないんだと。


「あ、あった」


 しかし、予想はハズレ。中にはちゃんと物が入って冷蔵庫として機能していた――――が。


「バターとマヨネーズだけ……」


 中にあったのはその二つ。冷蔵庫の真ん中の段に、解り易く、見易いように、堂々と。

 バターとマヨネーズ。それだけ。


「もしかして、冷蔵庫使ってないのか?」


 いやでも、ちゃんと電源は入ってる。一応、中に物もあるしな。バターとマヨネーズだけ。

 白羽さんと深雪さん、あとエドはここに住んでるんだよな?

 だったら生活している以上、使う筈なんだけど……深雪さんとか料理とかしないのかね?

 エドはしそうにねぇし、白羽さんは……解らねぇな。あの人は料理しそうでしなさそう。どっちもありそうで逆に解らん。

 もし作るなら、滅茶苦茶凝って作ったりしそう。なんたらのリゾットとか、なんとかのソテーとか……そんな横文字ばっかりの料理が。


「まぁいいや。人ン家の食生活事情をどうこう言えねぇしな」


 肉無し野菜炒めを連日主食にしている俺が口出しする権利などありゃしない。

 それに、エドの主食がバターとマヨネーズかも知れない。

 なんとも胸焼けがしそうな主食だが。胸焼けでなく、気持ちも悪くなりそうだ。


「さ、お湯お湯」


 流しにある給湯器のスイッチを押して、お湯が出てくるのを待つ。

 って気付けば、カップラーメンとソーセージパン……俺の昼飯、横文字しかねぇ。白羽さんの作る料理は横文字ばっかとか言っててこれかよ。


「しっかし、相変わらず質素な飯だよなぁ……」


 お湯を入れる為にフタを開けたカップラーメンの口を眺めながら、しみじみと思う。

 家に帰れば野菜炒め、外で買ったと思えばカップラーメン。


「はぁ……腹一杯、肉が食いてぇ」


 焼き肉とか、もう一年以上も食っていない。焼き肉だけじゃなく、寿司とか天ぷらとかも。

 水無月家にお邪魔した時に頂いた夕飯が、最近じゃ一番のご馳走だわ。

 それ以外は野菜炒めだかんな……あれか、これが世に言う草食系男子って奴か?


「はは……」


 たまに、俺って下らない上につまらない事を言うな……と失笑。

 なんて思っていると、給湯器からお湯が出てきてシンクの底がベコンッ、と音を立ててへこむ。


「っとと」


 急いでフタを開けた所からお湯を注ぎ、適量を入れたらお湯を止める。

 給湯室を出て、さっきと同じ廊下を通って広間に戻る。


「咲月君、先に頂いちゃってたわよ」


 深雪さんと話をしながら、沙夜先輩は遅い昼食を取っていた。


「どうぞどうぞ、お構い無く」


 沙夜先輩はサンドイッチとかですぐ食べれるけど、俺はカップラーメンだから少し時間が掛かる。

 時間も昼時をとうに過ぎている。逆に待たせていたら悪く感じてたろうし、先に食べててくれて助かった。


「で、何を話していたんです?」


 カップラーメンをテーブルに置いて、先程と同じソファに腰掛ける。

 出来上がるまで時間があるので、沙夜先輩と深雪さんの会話に混ざる。


「モユちゃんの事よ」

「モユの?」


 テーブルを挟んで対面のソファに座る沙夜先輩。

 その沙夜先輩の隣に座っている深雪さんが答える。


「モユちゃん、今着ている服しかないから、どこかで買ってこないとって話をしていたのよ」

「服、ねぇ。そういえば、ずっと同じ服だわ」


 隣で黙々とモナカアイスを食しているモユ。

 初めて会った時から、こいつの服装が変わった覚えが無い。

 いつも同じ、俺の高校の制服なんだよな。しかも、何故か冬服のブレザーだし。


「その事を沙夜ちゃんに話をしたら、昔自分が着ていた服があるからくれるって話をしていてね」

「へぇ、お下がりか」


 兄弟や姉妹の所では必ずある、お下がり。俺は一人っ子だからやった事もやられた事も無いけども。


「いつか知り合いにあげるかも、って思って取っておいたのがずっと残っててね。小学校の頃の服だから、身体の小さいモユちゃんにはサイズも合うかな、って」


 よくまぁ、もう着れなくなったガキん時の服を取っておいたもんだ。

 俺だったらすぐに捨てちまってる。あっても邪魔な上にタンスの中を埋めるだけ。

 でも、沙夜先輩の家はあの広さで沙姫と2人で暮らしだから、使っていない部屋を物置部屋として使ったりしてるんだろう。

 一部屋でいいから分けて欲しい。


「いいんじゃないですか? それなら金も掛からないし、嵩張る荷物の処理にもなりますし」


 深雪さんは出費を抑えられる、沙夜先輩は要らない物を処理出来る。一石二鳥じゃん。


「そうよねぇ、私達も経費が浮いて助かるし……沙夜ちゃん、服、貰ってもいいかしら?」

「はい。私だけじゃなくて沙姫のもありますから、かなりの量になると思いますけど……」

「全然構わないわよ。モユちゃんだって女の子だもの、服は沢山あった方がいいわよ。ねぇ?」


 ねぇ、の所で深雪さんは同意を得ようとモユに話を振る。


「…………」


 が、モユは深雪さんをガン無視してモナカアイスを一心不乱に噛っている。

 こいつの事で話してんのに、『我、関せず』とでも言うかのようにモナカアイスしか見ていない。


「今は服よりアイスが大事だってさ」

「アイスが好きだとは聞いていたけど、ここまでとはね……」


 モユのアイスへの熱中ぶりに、深雪さんは関心半分、呆れ半分といった表情をさせる。

 余りにアイスが好き過ぎて、周りに反応しねぇからな、モユ。前に白羽さんの事までも無視した事があるし。

 そうアイスばっかりで、他の事に興味を見せないと少し不安だぞ。食い気しか無い沙姫みたいになるんじゃないかと、お兄さん心配です。


「それじゃ、今度来る時に持ってきます。早い方がいいですよね?」

「そうねぇ、モユちゃんが早く欲しいって言うなら早めがいいんだろうけど……」


 ちらりと深雪さんはモユを見るも、先程と同様にモユはアイスから目を離さない。おまけに声を掛けても話さない。


「当の本人がこの様子だしね。沙夜ちゃんの都合が良い時でいいわ」

「そうですか。でも、一着しかなんじゃ洗うに洗えないと思いますから、出来るだけ早く持ってきますね」


 着れる服が一着しかないんじゃ洗えないもんな。しかもその一着が制服ときたら尚更。


「でも、前から思ってたんですけど……」

「ん? 何かしら?」

「モユちゃん、なんで私の高校の制服を着ているんです?」


 ついに出てしまったその質問。そりゃ学生でも無いのに制服を着ているのはおかしい。

 多分、モユを造った奴が用意したんだろうが、沙夜先輩にSDCの委細を話す訳にはいかない。

 さて、深雪さんはどう答えるのか。


「あぁ、その事ね。モユちゃんがここに来た時、服が凄く汚れていたのよ」


 え、あれ……? 深雪さん、悩みもせずにスラスラと答えてるぞ?

 てっきり俺は、どう返答すればいいか悩むと思ったのに。


「所々も切れたり破れたり。着替えの服が無くて困っていたんだけど、近所の方に話をしたらあの制服をくれたのよ。私服は他の子にあげてしまって無かったけど、制服だけは余ってたらしくて」


 すげぇ……真っ赤な嘘とは言え、こんなにすんなりと話せるとは。

 白羽さんも沙姫達がいきなり来た時に即席で作り話をしたからな。さすが、その白羽さんの部下だわ。


「それで、汚れた服よりはマシかな。って思って着せてたのよ」


 なるほど。それならモユが生徒じゃないのに制服を持っている、着ている理由になる。


「そうだったんですか。どうして着ているのか気になって」


 沙夜先輩も見事に信じている。ま、信じるわな。

 俺にこの話題を振られていたら確実に焦って吃ったりしてたろうよ。

 で、悩むに悩んだ結果、エドには特殊な趣味があって、色んな制服を集めている。とかそんな事を言っちまいそう。

 ……ってそうか! 言えばよかったんだ! そうすりゃモユが制服を着ている理由も作れる上に、あいつの印象を悪く出来たのに!


「ところで匕君」

「え、あ……はい?」


 千載一遇のチャンスを逃して後悔していると、深雪さんに名前を呼ばれる。


「カップラーメンの時間、大丈夫?」

「あ、忘れてた!」


 深雪さんに言われ、自分がカップラーメンが出来上がるのを待っていたのを思い出す。

 急いでフタを開けて割り箸を割り、中を掻き混ぜて麺をほぐす。

 ずるずるっと麺を啜って一口。


「少し……伸びてる」


 麺がお湯を吸って柔らかくなり過ぎ、スープは少し減っている。

 俺、固麺派なのに……。

 クソッ、これもエドのせいだ。本当は全く関係無いんだが、これはエドのせい。だれが何と言おうとあいつのせいだ。


 モユのアイスを買う為に自らの食費を節約してまでしたのに、その結果昼飯となったカップラーメンさえ一番美味しい状態で食えない。

 明らかにカップラーメンの存在わ忘れていた自分が悪いのだが、何かに当たらなくてはやりきれない怒りが納まらん。

 だからエドが悪い事にする。あいつが頭ん中に出てきたからだ。だから麺が伸びたんだ。

 あんの制服フェチが!


「でもまぁ、腹が減ってりゃなんでも美味いか」


 勝手にエドを悪かった事にして、勝手に制服フェチという設定を作って、勝手に怒ったら幾らか腹の虫は納まった。

 あぁ、腹が減っていたからイライラしてたのかも。悪かったな、制服フェチ……じゃなくてエド。


「こんな時間に食べちゃって、夕飯食べれるかしら?」


 先に食べ始めた沙夜先輩は昼飯を食べ終わり、ゴミをまとめている。

 しかも、菓子パンが入っていた袋を綺麗に折り畳んでるよ。

 ゴミなんだから丸めてゴミ箱にポイすりゃいいのに。こういう小さな部分で性格が現れるなぁ。

 にしても、暑い日にカップラーメンを食うとは……まぁ、エアコンが利いているからそれほど暑くはないけど。


「っと、パンも忘れるとこだった」


 テーブルの上に転がっていたもう1つの昼飯を、手を伸ばして取る。

 袋を破り開け、大きく一口噛り付く。柔らかいパン生地と、ソーセージの小気味の良い食感。

 よく考えてみりゃ、金が無くて普段から肉を食べれない俺にとって、惣菜パンのソーセージと言えど貴重な脂質だよな。

 あぁ……肉が食いたい。こんな誤魔化しの入った肉じゃなく、ちゃんとした肉が。

 一人暮らしを始めてから拝んでいない肉を頭の中に浮かべながら、カップラーメンを啜る。

 ズルズルとカップラーメンを食べていると、ピンポーンと音が鳴った。

 これは聞き覚えがある。確かインターホンの音だ。


「あら、誰か来たみたい。今日は千客万来ね」


 音を聞き、客を迎えに深雪さんは玄関へと行く。

 パンを頬張りつつ、深雪さんの後ろ姿を目で送る。


「……匕」

「ん? どうした、モユ」


 アイスを食していて全く口を開かなかった……いや、アイスを食べていたから口は開いていたのだが、話し掛けても反応しなかった。

 そんなモユが自ら話し掛けてきた。


「……アイス」

「は?」


 モユの手を見ると、中身の無くなったモナカアイスの袋が握られていた。

 と言うか、お前はアイスしか言えねぇのか? もっと言葉を有効活用してくれ。


「……アイス」

「今食っただろ、もうダメだ。甘いモンを食い過ぎると鼻血が出ちまうぞ」


 どういう理由でそうなるのかは分からないが、昔からそう言われている。


「…………」


 しかし、モユは何も言わずに俺を見つめてくる。

 ……いや、もしかしてこれは睨んでる?


「そんな見てもダメなもんはダメ」


 モユから目を離し、昼飯の摂取を続行する。

 だが、モユはそれでも俺を見てくる。


「モユ。我が儘を言うなら、もうアイスあげないぞ。それでもいいのか?」


 我が儘を言うも何も、モユは何も喋ってないんだけどね。


「……っ!」


 モユは目を少し見開いて、ふるふると首を左右に振る。


「なら我慢しろ。ほれ、袋寄越せ。ゴミはまとめるから」


 モユからモナカアイスの袋をもらう。


「沙夜先輩、そのゴミを入れた袋ください。俺のも入れちまうんで」

「そうね、その方がいいわね。はい」


 ゴミの入ったコンビニの袋を受け取り、モナカアイスのゴミを入れる。

 俺のカップラーメンはまだ入っているので、とりあえずパンを口に突っ込み、パンの袋を入れておく。


「やっほ、咲月先輩!」


 名前を呼ばれ、廊下の方を見ると学校で課題をやっている筈の人物がいた。沙姫だ。

 てか、やっほってなんだ。やっほって。

 そいや、前にも言ってたよな、こいつ。学校の廊下で、しかも大声で言うもんだから周りにジロジロ見られたんだよ。


「よう、赤点。課題は終わったのか?」

「赤点じゃないですよ! ギリセーフです!」


 つまらん。課題を出しても結局は赤点だったら面白かったのに。


「あ、モーユちゃん! 遊びにきたよー!」


 俺の隣に座るモユに気付くや否や、沙姫はモユへ駆け寄り、ソファの後ろから抱き付く。


「……沙姫」

「名前ちゃんと覚えてくれたんだ!」


 沙姫はモユが自分の名前を覚えていてくれた事に喜び、頬擦りする。

 そりゃあ、そんな喧しかったら嫌でも覚えちまうよ。


「……暑い」


 後ろから抱き付かれ、頬擦りをされるモユはぽつりと小さく漏らす。


「そうだ! 姉さん、私の携帯電話は!?」


 ハッと携帯の事を思い出し、沙姫は頬擦りをやめて沙夜先輩に聞く。


「はい、これよ」


 鞄から新しく買った沙姫の携帯電話を取り出して、沙姫に見せる。


「やたっ! これで皆と連絡が出来るよー!」


 今度はモユから沙夜先輩の所へと移動して、新品の携帯電話を受け取る。

 あっちからこっちからと、ドタバタと騒がしい奴だな。


「ほら、私の携帯を返しなさい」

「そうだった、はい。ありがとね。姉さん」


 制服のスカートのポケットから出して、沙夜先輩へ携帯電話を返す。


「私は行けませんでしたけど、咲月先輩も付き合ってくれてありがとうございました」

「いいっていいって。俺は本当に付いていっただけだからよ。それに、買い換えに付き合うって言ったのは俺だしな」


 しかも、一度はすっぽかしちまった。これぐらいでいいならいくらでも。


「そうだ。深雪さん、良かったら番号教えてくれませんか?」

「私の?」


 携帯を持って、沙姫は深雪さんに話し掛ける。

 自分の携帯電話の番号を聞かれるのが意外だったらしく、深雪さんは少し驚いている。


「はい。多分、これからよくモユちゃんに会いに来ると思いますから、都合が合うか連絡を取れた方がいいと思って」

「そういう事ね。なら全然構わないわよ」


 深雪さんは了承して、スーツの内ポケットから自分の携帯電話を取り出す。

 そして、二人は互いの番号とアドレスを交換する。


「しっかし、よく今日も来たよな、お前」

「へ? 何がです?」


 交換し終わり、沙姫は携帯をパタンと閉じて聞き返してくる。


「モユの所にだよ。ついこの間会ったばかりで、よく来てくれるな。ってさ」

「そりゃ会って間もないですけど、モユちゃんと仲良くなりたいですし……」


 言って、沙姫はちらりとモユを横目で見る。


「私、昔から妹が欲しかったから。モユちゃんが妹だったらなぁ、って」


 少し顔を赤らめ、照れながら頬を人差し指で掻いている。


「へぇー、お前が妹をねぇ」


 姉妹で姉しかいないと、自分が姉になるのを憧れたりするのかね?

 俺に兄弟はいないからそういうのは分からないが、姉がいると自分もなってみたいと思ったりしそうだ。


「だってぞ、モユ」

「…………」


 何が? と言いたげに、モユはきょとんとして首を傾げる。


「妹だと。大変だぞぉ、あんな奴の姉になるのは」


 同情するような目をして、右手の親指を立てて沙姫に向ける。


「違ーう! 逆です、逆! 私が姉ですよ! 言うとは思ってましたけど!」


 俺がこのボケをやるのを予想していたらしく、沙姫はきっちりと突っ込みを入れてきた。


「モユちゃん、断るなら今の内よ。沙姫を妹なんかにしたら絶対に後悔するから」

「そうよねぇ……沙姫ちゃんより、モユちゃんの方がしっかりしてそうだもんねぇ」


 さらには、沙夜先輩と深雪さんにまでこう言われる始末。

 普段の沙姫の印象が伺われますな。


「姉さん! 深雪さんまで!」


 沙姫の奴、将来飲み会とかでおいしいポジションにいそうだ。

 毎回毎回イジられたりしてな。


「いつもそうやって冗談で私ばかりいじめて!」

「……え?」


 惚けるような顔をして、沙姫に一文字だけで返す。


「沙夜先輩、冗談なんて言いました?」

「いえ、私は言ってないわ」


 沙夜先輩は小さく首を左右に。


「深雪さんは?」

「私も、特に言った覚えは……」


 深雪さんも沙夜先輩同様、首を横に振る。


「もう皆して! いい加減にしてくれないと泣きますよ!」


 流石にイジり過ぎたか、沙姫は涙目になりながら叫ぶ。


「だはははは! 悪ぃ悪ぃ」


 つーか、涙目の時点で既に泣いてるじゃねぇか。


「あははは。ごめんねぇ、沙姫ちゃん。面白くってつい」


 深雪さんもイジるのをやめて笑いだす。


「と言うか、それくらいで泣くなよ」

「泣いてません! 目から汗が出てるだけです!」


 人はそれを泣いてるって言うんだよ。


「あーもう、高校生になって泣かないでよ。ほら、これあげるから」

「だから泣いてないって! ……って姉さん、何これ?」


 沙姫がベソをかいていると、沙夜先輩からとある物を渡される。

 受け取ったそれは、手の平よりも一回り小さい。


「あ、うさバラし人形のキーホルダーだ! え、本当にくれるの!?」


 渡された物の正体を知ると、沙姫はキラキラと目を輝かせる。

 先程までベソかいていたのは何処へ行ったのやら。


「駅前で時間を潰していた時に咲月君がゲームで取ってくれてね。2つあるからあげるわ」

「やったぁ! ありがと、姉さん!」


 あんなに喜んじゃってまぁ。やっぱ、女の子ってああいうマスコットキャラとかが好きなんだな。

 可愛いかどうかは別として。


「ねぇ見て見て、モユちゃん! もらっちゃった!」

「……それ、なに?」


 モユの隣に行き、沙姫はキーホルダーを自慢気に見せる。


「うさバラし人形のキーホルダー! 可愛いでしょ?」


 チェーンを撮んで持ち、モユが見えやすいようにとブラ下がるキーホルダーを目線の高さにやる。

 チェーンが首の付け根辺りに付けられている為、うさバラし人形の頭は、だらりと下を向いている。

 やっぱこれ、首吊ってるみたいにしか見えねぇよ。

 うさぎが包丁持って首吊るってどんなユーモアセンスだ。


 モユは立ち上がって沙姫の前に行き、キーホルダーをゆっくりと覗き込む。

 すると、うさバラし人形が揺れてくるりと回転し、人形の目とモユの目が合う。


「――――っ!」


 ビクッと身体を小さく跳ねさせ、モユは逃げるように元いたソファへ戻って俺の背中へ。


「どした、モユ?」


 何故俺の背中に隠れる?


「モユちゃん?」


 沙姫もどうしたのか分からず、目をぱちくりとさせる。

 名前を呼ぶと、モユは横から顔を半分だけ出す。


「……可愛くない」


 眉を少しだけ顰め、沙姫をジッと睨むように視線を向ける。


「え?」

「……それ、可愛くない」


 なんと! まさかまさかの仲間がここに!

 うさバラし人形が可愛く見えないのは俺だけしかいなかったから、なんかすんごい嬉しいんだけど。


「えぇ? 私は可愛いと思うんだけどなぁ」


 嘘、と言いたげに沙姫はキーホルダーを見直す。

 どんなに見直そうと可愛く無いもんは可愛く無い。不気味なだけだ。


「……可愛くない、不気味」


 だが、モユは俺の後ろに隠れたまま、はふるふると首を左右に振って否定。


「……沙姫、おかしい」


 さらに一言。

 睨むような視線の次は、何か哀れむような視線を沙姫に送る。


「ちょ、おかしくないって! 可愛いですよねぇ、咲月先輩!?」

「俺に振るな。そしてその意見には同意しかねる」


 ずずい、とキーホルダーを俺の目前に迫らせてくる。

 やめろ。エセうさぎと目が合っちまうだろうが。


「ふんだ。いいですよ、もう……」


 ちょっといじけたのか、沙姫は口を尖らせて拗ねた様子でキーホルダーを鞄に仕舞う。


「さて! 私も晴れて補習の無い夏休みを無事に迎えられました! モユちゃん、何して遊ぶ!?」

「って切り替え早いな、お前」

「だってモユちゃんと遊びに来たんだもん。それに夏休みなんだから遊ばないと!」


 グッ! と胸の前で力強く握り拳を作り、何故か天井を仰ぐ沙姫。

 夏休み関係無ぇ。それはただお前が遊びたいだけだろ。


「そんなはしゃいで……去年みたいに夏休みが終わる寸前で課題を忘れてたー、って焦っても知らないわよ」


 ハイテンションの沙姫を見て、沙夜先輩は容易に終わっていない課題に慌てふためく沙姫の姿を予想出来たらしく、早くも気疲れした顔色になる。


「むっ、大丈夫だもんね! 今年は毎日少しずつやるもん!」

「去年も同じ事を言ってたわよ。言っておくけど、夏休みが終わる3日前に焦っても私は知らないからね」

「だから大丈夫だって! 私だってやれば出来るんだから!」


 何やら御約束的な会話が飛び交っていますな。

 しかも、『もう』って事は沙夜先輩、去年は手伝わされたんだろうなぁ。


「いいのか、沙姫。そんな強気に言ったら本当に手伝ってもらえないぞ」

「平気です! 今言ったように、私だってやれば出来るんです!」


 とか何とか本人は言ってるけど……正直、沙夜先輩に泣き付いてる姿しか思い浮かばない。

 今日だって課題提出を忘れてた居残りだったし。課題を全部終わらせたつもりが1つだけ忘れていて、土壇場で思い出して焦るパターンが手堅いか。


「そういう咲月先輩はどうなんです? ちゃんと課題終わらせられるんですか?」

「俺? 俺は課題なんて出さねぇよ。今までこれ一本」

「えっ、やらないんですか!?」

「普段からサボり常習者がやる訳ないだろ」


 んな面倒臭い。むしろ、課題のプリントとかどこにやったか分かんねぇし。


「やらないで大丈夫なんですか?」

「現にこの通り留年せずに2年に上がったし、夏休みに補習も無いぞ。赤点を取ったお前と違って」

「だーかーら、私は赤点じゃないですってば!」


 沙姫は頭から湯気みたいなのを出さんとばかりに頬を膨らます。


「モユちゃん、間違えてもあんな風になっちゃ駄目よ」


 沙夜先輩は沙姫を指差し、哀れみと悲しみの眼差しを向ける。


「姉として大変だろうが、見限らずに相手してやってくれ」


 ぽん、とモユの肩に手をやる。


「あんな風ってどういう意味ですか、姉さん! それに咲月先輩、姉はモユちゃんじゃなくて私ですよ!」


 俺と沙夜先輩に同時にイジられても、しっかり突っ込む沙姫。

 そんなやり取りで、笑い声が部屋に広がる。


「モユ、姉として出来の悪い妹に何か言ってやれ」


 俺が言うと、モユは少しの間を開けて、一言。


「……沙姫、おかしい」


 その一言で、さらに大きな笑いと、愚妹の突っ込みの叫びが広間に響く。

 なんとも、夏休み前からハイペースと言うか……。

 今年の夏休みは暇をする暇が無い程、喧しく、騒がしく――――賑やかで楽しくなりそうだ。



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