No.17 うさバラし人形
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学校の廊下。昼休みでも無いのに、多くの生徒が行列みたいに並んでいる。あまりの多さに多少歩きにくさを覚えつつも、生徒と生徒の合間を縫うように歩く。
「くぁ、あぁ……」
周りに生徒がいるにも関わらず、大きく口を開けて欠伸をする。
結局、昨日は殆んど寝れなかった。隣ではモユはすやすやと気持ち良さそうに寝ていたが、俺は落ち着かなくて寝付けなかったよ。
ただ、解った事が一つ。寝たい時に羊を数えようが寝れない時は何をしても寝れない。
「本っ当、お前はいつも眠そうだな」
隣を歩いていたエドが、呆れとも関心とも取れる顔をしている。
「……まぁな」
前を向いたまま目を合わせず、眠気でしぶしぶする目を細める。
「明日から夏休みなんだ。好きなだけ寝ればいいさ」
「……出来ればそうしたいもんだ」
ぼそりとエドには聞こえないように言葉を返す。
たった今、通過儀礼の長ーい校長の話に耐え、終業式を終えて教室に戻るところ。
体育館に全校生徒が集まって行うから、戻り道の廊下は生徒で埋まっている。二年生のクラスは二階と中途半端に遠いので、こういう移動しなきゃならない時は面倒臭い。
普段はこんな出席日数もテストも関係ない、ただ立ったまま長時間暇をしなきゃならない終業式なんてサボるのだが、エドに捕まって無理矢理出る羽目になった。
途中、睡魔に襲われて眠くなり、立ちながら寝ようと試みてはみたが無理だった。立ち寝という高等技術を扱うにはまだレベルが足りなかったか。
「次はホームルームだっけか。寝てよ」
教室に着き、開けっ放しの入り口をくぐって中に入る。
どうせホームルームの内容は夏休み中の過ごし方とか、注意事項とかだろ。んなもん、表だけのもので誰も守ってねぇのに。
一応、校則で生徒のみでの外泊は禁止って事になってるけど、海に行ったり友達ン家に泊まったりしてるだろ。
よく前はバイトが休みの日に、俺の部屋に先輩が泊まりに来たりしてたしな。
「あー、かったるかった」
自分の机の椅子に座り、背もたれに寄り掛かる。
教室内は夏休み目前でテンションの高い生徒達。友達同士で遊びの約束をしたりしている。
そんな中、ほれ。教室の真ん中で、一際人気のある奴が女子に囲まれてやがる。
「燕牙君、夏休みに何か予定あるかな? 私、海に行くんだけど一緒に行かない?」
「あ、ずるーい! 私だって燕牙君と遊びたいのに!」
「ちょっと、私が先に誘ってたのよ!」
とまぁ、こんな感じで両手どころか両手両足と頭に花状態の偽装優等生君が女子にモテモテ。
夏休みなれば学校が無くなっていくらか楽になるとか言ってたけど、残念ながら逆に忙しくなりそうで何より。
「ふぁぁ……」
あまりの人気っぷりに困っているエドを横目で見て面白がりながら、また大きな欠伸をする。
机の上に腕を乗せて頬杖を着き、窓から空を見上げると青い晴天が広がっていた。
「ねっむ」
一応、徹夜だけは避けてなんとか少しは眠れはした。けど、外が少し明るくなっていた記憶がある。
しかも、朝の六時にモユに起こされた。つまり大体二時間くらいしか眠れていない。眠くて当然だわ。
けど、モユが早く起こしてくれたお陰で、エド達が起きる前にモユを部屋に返す事が出来た。
だから誰にも一緒に寝た事はバレていない。それに口止めもしておいたから大丈夫だろう。
「モユの奴、今頃なにしてるかな」
俺が学校に行こうとしたら、また服を掴んで行くのを無言で拒んできたからなぁ。
最初は全く離す気配が無くて、一緒に連れて行く訳にもいかないから学校を休もうかとも思った。
そんな時、深雪さんがモユに放った『匕君、帰りにアイス買ってくるって』という一言で、南京錠よりも固くロックされていたモユの手があっさり解かれた。
あいつの中ではもはや、アイスは神と等しい存在なのかもしれない。
「ま、あいつの事だ。大人しくはしてんだろ」
殆んど喋らないしな。むしろ大人しくしないで騒いでいる所を見てみたい位だ。
「にしても……」
頬杖をしたまま教室内を見回す。仲のいい友達同士がグループを作り、楽しそうに話をしている。そんな中、どこのグループにも入らずに一人ぽっちの俺。
「相変わらず友達いねぇな、俺」
別にいじけるでも、悲しむでもなく、ただボソッと自分自身に呆れて言葉を漏らす。
学校に知り合いはいるけど、先輩と後輩しかいねぇからなぁ。
同学年での知り合いなんてまずいない。一応、隣の桜井とはある程度話せる位か。その桜井はいつもの友達二人と教壇近くで話している。
エド? あいつは友達じゃねぇよ。周りが勝手にそう思っているだけです。
「いつまで騒いでる、座れー」
担任が出席簿を持って教室に入って来ると、クラスの生徒達は自分の席へと戻っていく。
「きりーつ、礼」
隣の桜井が号令を掛けて、担任へ挨拶をする。
さっきまでは賑やかだった教室は静かになり、担任が夏休みや補習についての話を始める。
「さーて、寝よ寝よ」
両腕の上に頭を乗せて、机に俯せる。
本当はもっと早く寝たかったんだが、あの教室の五月蝿さの中では難しかったので担任が来て静かになるのを待っていた。
机に俯せて視界が暗くなり、目を閉じて睡魔に抵抗するのをやめる。
話をしている担任の声は小さくなっていき、意識も段々と薄れていく。
五分も経たずに眠りに落ちた。
* * *
キーンコーン。
「んぁ……?」
授業終了を告げる鐘の音が鳴り、眠っていた所を起こされる。
俯せるのをやめて頭を上げると、自分以外の生徒は椅子から立っていた。
「あ、ヤバ」
急いで俺も立ち上がる。
「礼」
その中に混ざって、桜井の号令で担任に礼をする。
俺は寝ていて話を全く聞いていなかったけど。
「よーし、このまま帰りのホームルームもやるぞー」
担任は生徒が席から離れる前に呼び止め、今学期最後のショートホームルームを始める。
「なんか無駄に多くプリントあるな」
寝ていた間に配られたと思われるプリントが、机の端っこに何枚も重なって置かれていた。
多分、前の席の奴が置いたんだろう。だって俺が寝てて受け取んないから。
すんませんね、と心の中で形だけでも謝っておく。いや、心の中じゃ形になってねぇか。
とりあえず、配られたプリントを軽く見る。
夏休みの過ごし方、注意事項、その他親への連絡等々。
そのプリントを適当にまとめて鞄の中へ突っ込む。
「夏休みだからと言って羽目を外し過ぎて問題を起こすなよ。最近、物騒だからな。以上だ」
プリントにを目を通している間に、担任の話は終わった。
先程のホームルームで話す事は殆んど話したからか、五分も経たずにショートホームルームは本当にショートだった。
「きりーつ、礼」
桜井の号令が終わると、教室は学校という束縛から解放された生徒達が騒ぎ始める。
来年は三年生でこの時期は受験で夏休みって場合じゃないもんな。
高校で遊べる最後の夏休みでテンションも上がってるのか。
「さて、俺は急がないと」
沙姫との約束がある。またすっぽかしちまったら肉まんを千個も奢らなければならない。
鞄を肩に掛けて、急ぎ足で教室を出る。
「おい、匕」
「ん?」
教室を出てすぐに、名前を呼ばれて足を止める。
「んだよ、エド」
呼び止めたのはエドで、駆け足で俺を追って廊下に出てきた。
俺は急いでるんだ。つまんない事で呼んだんならグービンタを喰らわせるぞ。
「今日も事務所の方に来るんだろ?」
「あぁ。今から用事があっから、それが済んだら行くつもり」
モユにまた来るって言ったしな。
それにアイスも買わなきゃな。買って来るって言っちまったし。言ったのは俺じゃなくて深雪さんだけど。
「なら、着替えを持って来た方がいい。どうせ、またモユちゃんに帰してもらえないんだろうからな」
「……あり得る。解った、そうするわ」
んじゃ、とエドに小さく手を振って再び急ぎ足で歩き始める。
沙姫との待ち合わせは昇降口前。階段を降りて、下駄箱でちゃっちゃと靴を履き替えて外に出る。
今日も天気は良く、太陽は元気に紫外線を放っている。
昇降口に着くと、沙姫はまだ来ていなかった。
沙姫だけでなく、生徒もあまり見当たらない。恐らく、俺のクラスが少し早く終わったんだろう。
近くの日陰になっている場所に紫外線から避難して、ぼへーっと空を眺めて沙姫を待つ。
青空では白い雲が気持ち良さそうに流れている。
待ちぼうけしていると、段々と昇降口から出ていく生徒の数が増えていく。
さっきまで無人に近かった昇降口は、家に帰る生徒、部活に向かう生徒、駅前に行こうと友達と喋っている生徒と、騒がしくなる。
「人も増えてきたし、そろそろ来るかな」
帰る生徒が増えてきたって事は、他のクラスもショートホームルームを終えた事になる。
視線を一学年の下駄箱がある方に向けて、沙姫が出てこないか見てみる。
しかし、沙姫らしき姿は見付からず、知らない生徒ばかりが昇降口から出てくる。
「咲月君」
「ん?」
女の声で呼ばれ、声がした方へ顔を向ける。
「なんだ、桜井か」
そこに居たのは桜井だった。あと、いつもの桜井の友達2人。
一瞬沙姫かと思ったけど、あいつは俺を咲月君なんて呼ばねぇもんな。
「まだいたんだ。ホームルームが終わってすぐに教室を出ていったから、もう帰ったと思った」
「まぁ、ちとヤボ用で。桜井はやっとお帰り?」
なんだかんだで、昇降口で待ちぼうけしてから20分ぐらい経っている。
桜井はクラスの委員長だから、何か仕事を片付けて帰るのが遅くなったりしたんだろう。または掃除当番だったか。
「うん。帰りって言うか、今から駅前に行くんだけどね」
だよなぁ。明日から夏休みだってのに、学校が終わって直帰する奴は珍しいだろ。
「後ろの友達とか」
「うん。なんかクラスの皆と海に行く事になっちゃって。だから水着を見に行こうって話になったの」
「海、ねぇ」
夏の定番だねぇ。青い海、白い砂浜。海水浴にスイカ割り。思い出作りにゃもってこいですな。
「咲月君は何か予定はないの?」
「俺?」
「う、うん」
「予定なんてなーんもありゃしねぇよ。友達いねぇからさ、俺」
ははっ、と自虐しながら、友達がいない自分への呆れも込めて笑う。
「じ、じゃあさ、咲月君も海――」
「咲月君!」
桜井が何かを言い掛けた時に、またもや誰かに名前を呼ばれた。
「あ、沙夜先輩」
昇降口の入り口を観てみると、長い銀色の髪を靡かせてこちらへ駆け寄ってくる。
「あら、咲月君の知り合い?」
「ん、あぁ。同じクラスの桜井」
沙夜先輩は俺の隣で話をしていた桜井に気付く。
一応、沙夜先輩に桜井を紹介する。
「こ、こんにちは」
俺が沙夜先輩と呼んだのを聞いて年上だと知ってか、桜井は深く頭を下げる。
「綺麗な友達じゃない。咲月君も隅に置けないわねぇ」
「何言ってんですか、ただのクラスメートですって」
沙夜先輩のからかいをさらっと流す。
しかし、こう沙夜先輩と桜井が並ぶと凄い絵になるな。
お互いが腰まである長い髪をしていて、片方は艶やかな黒、そしてもう片方は白に近い鮮やかな銀。
相対色が並んでより一層、髪の色が強調される。
「ところで沙夜先輩、沙姫の奴見ませんでした? 待ってんのに来ないんですよ」
「あ、それなんだけど、沙姫が来れなくなっちゃったのよ」
「はいい?」
腕を組ませて、沙夜先輩は肩を竦める。
「さっき沙姫が私の教室に来てね、急用が出来て咲月君との約束に行けなくなったから、代わりに行ってくれって頼まれたのよ」
「急用ぉ?」
あいつの急用って一体なんだよ?
「なんかね、提出し忘れの課題があったらしくて。それを出さないと赤点になっちゃうから、先生に頼み込んで今日中に出さなきゃならないんだって」
頭痛に悩むように、沙夜先輩はおでこに手を当てて呆れ返っている。
「だっははははははは!」
それを聞いて、思わず腹を抱えて爆笑してしまう。
「あ、あいつ……赤点、くくっ、マジかよ」
「本当、間抜けと言うか……姉として恥ずかしいわよ」
頬を少し赤らめ、溜め息を吐く。
「図書館に行って勉強したのに、課題を忘れて赤点って……ぷぷっ」
「ちゃんと課題を提出すれば赤点は免れるのが救いよ、全く」
これは沙姫をからかうネタが増えた。普段サボっている俺でさえ赤点は無かったのに。
「それじゃあ今日は無しですか?」
「ううん、沙姫の代わりに私が行くわ。明日から夏休みだから、どうしても今日中に携帯が欲しいみたいで」
だよな。せっかく明日から遊びまくれる夏休みライフだってのに、友達と連絡を取る方法がなきゃ意味ねぇもんな。
「なら、さっさと行って済ませますか」
「そうね。ここで立ち話してたら他の人に迷惑になるものね」
ズボンのポケットに手を入れて、笑って少し荒くなっていた呼吸を整える。
しかし、さっきから妙に他の生徒がこっちを見ている気がすると思ってたら、もしかして原因は沙夜先輩か?
前に人気があるって沙姫から聞いたし、エドも学校じゃ有名な程に美人だって言ってたもんな。
「そんじゃな、桜井。海、楽しんで来いよ」
「え、あ……うん」
最後に一言を桜井へ言って、校門へと向かう。
行きは大変だが、帰りは楽な長い坂道を下って校門をくぐり、学校の敷地内から出る。
「行き先は駅前でいいんですか?」
「えぇ、そうよ」
一応聞きはしたが、実際はこの街には携帯ショップは駅前にしか無かったりする。
携帯電話ってのは会社が3種類くらいあるが、その全ての会社のショップが駅前に集中している。
まぁ、人通りが多いから客を集めやすいんだろうな。
「あ、そうだ。すんません、沙夜先輩。一度俺の部屋に寄っていいかな?」
ふとエドに言われた事を思い出して、沙夜先輩に聞いてみる。
用を済ませたらモユの所に行かないといけないから、電車を使う。
駅前に行ってから部屋に戻るより、部屋に寄ってから駅前に行った方が時間短縮になる。駅前から部屋に戻って、また駅前と往復するのは御免蒙りたい。
「別に構わないわよ。着替えでもするの?」
「いや、ちょっと取ってこないといけない物があって」
着替えって点では、沙夜先輩の言った事は間違ってはいない。
「でも、咲月君の家ってどこなの?」
「ここから駅前に行く道から外れるけど、駅前には少し近いですよ」
「へぇ。咲月君は一人暮らしだったわね」
「そうです。二つ先の信号を曲がると見えるマンションがあるんだけど、そこが俺が住んでる所です」
「確か、青い色の?」
「そうそう、そこ」
そんな他愛無い話をして時間を潰しながら、俺の部屋を目指す。
学校から近いとも遠いとも言えない、中途半端な距離を歩く。
「ここが咲月君が住んでるマンションかぁ。遠くから見た事はあるけど、私の家とは逆だから近くで見たのは初めてだわ」
マンションに着き、入り口の前で沙夜先輩はマンションを仰ぎ見ている。
別段、話が盛り上がった訳では無かったが、話していたせいか早く着いた気がした。
時間的には一人で黙々と歩いた方が早いんだろうが、感覚的には喋りながらの方が早く感じる。
「沙夜先輩、エレベーターが来ますよ」
「あ、うん」
先にマンションの中に入ってエレベーターのボタンを押して、沙夜先輩を呼ぶ。
呼ばれた沙夜先輩は軽く走って来ると、エレベーターも丁度良く降りて来てドアが開く。
「咲月君の部屋って何階なの?」
「五階です」
沙夜先輩に答えながら、今自分が言った階のボタンを押す。
「じゃあ、夜とかいい眺めなんじゃない?」
「まぁ、それなりに」
「羨ましいわぁ」
「そんな羨ましがる程のもんじゃないですよ」
羨ましがる沙夜先輩に苦笑いで答える。
昼間なんか太陽の光が出窓から直撃でサウナ状態になる。まさに今、この時間帯がそう。
部屋全体が電子レンジの中とも言えるんじゃないか。
チーン、とその電子レンジと似た音をさせてエレベーターのドアが開いた。
エレベーターから降りて、部屋のドアの前でポケットから鍵を取り出す。
「沙夜先輩、悪いんですけど外で待っててもらっていいですか?」
「えぇ、いいわよ」
「すんません、すぐに終わるんで」
鍵を開けて、靴を脱いで部屋の中へと入る。
「このクソ暑い部屋の中で待たせる訳にはいかねぇもんな」
あまりの部屋の暑さに顔を引きつらせながら項垂れる。
これならまだ外の方が涼しいし、お世辞でも片付いているとは言えないこの部屋に沙夜先輩を入れる勇気も無かった。
「沙夜先輩を待たせてんだ、急がないと」
肩に掛けていた鞄を下ろして、中に入っていた物を適当に床に置く。
いつもは空っぽ同然なのだが、明日から夏休みなので体育のジャージやら渡されたプリントが入っていた。
教科書や授業によって使う辞書は全部ロッカーに突っ込んで来た。どうせ持って帰っても使わねぇし。
「パンツとTシャツ、あとは一応、出掛ける時の事を考えてジーパンも持ってくか」
タンスから取り出した着替えを、入れ替えるように空にした鞄の中へ。
私服に着替えようか頭に浮かんだが、沙夜先輩を待たせているからやめた。
鞄のファスナーを閉め、再び肩に掛ける。中に入っているのが衣類だけだからか、妙にもふもふする。
よし、用は済んだ。さっさとこね灼熱地獄から脱出しよう。
逃げるように部屋から出ると、部屋が暑過ぎて外の空気が涼しかった。
「お待たせしました」
「あら、早かったわね」
沙夜先輩は手摺りに手を掛けて、街並みを眺めていた。
「そんな時間の掛かる用じゃなかったから。じゃ、駅前に向かいますか」
「えぇ」
耳元に手を当てて、沙夜先輩は風で靡く長い銀髪を抑える。
またエレベーターに乗って1階に降り、十分程でマンションを出る。
来た時と同様、くだらない話をしながら駅前へ足を運ぶ。
今日は終業式で学校が午前中だけで、時間が昼時のせいもあって駅前に着くと人が沢山いた。
「時間が時間だけに、混んでいるわねぇ」
込んでいる駅前を見て、沙夜先輩は少しげんなりとした表情をする。
そう言えば、前に人混みは好きじゃないって言ってたっけ。
「しょうがないですよ、昼時じゃ。早いとこ用を済ませちまおう」
「そうね」
「どこの携帯ショップに行くんです?」
「ドコノよ。私と沙姫はそこの会社のを使ってるから」
ドコノか、俺と一緒だ。アドレスの最後の方を見れば相手の機種が解るらしいけど、そんなとこ見ないからなぁ、俺。
とりあえず、人混みの中を歩いてドコノのショップに向かう。
今日も真夏日で暑いのに、こう人が沢山いると更に暑い。
……さっきの俺の部屋よりはマシだけど。
ドコノショップに着いて店内に入ると、中は外とは逆に人が少なかった。
冷房も効いていて、人混みと暑さから解放されて一息つく。
「じゃあ咲月君、ちょっと行ってくるわね」
「はいよ。俺は適当に時間潰してるんで」
Yシャツの胸元を掴み、バサバサと服の中の空気を入れ替えながら沙夜先輩に返す。
「すいませーん」
沙夜先輩は近くにいた店員に声を掛けると、カウンターへ案内されてる。
「さて、俺は沙夜先輩が終わるまで携帯でも見てるかね」
別に買い替えるつもりは毛頭無いが、最近の新しい携帯はどんな物が出ているのか気になった。
今、俺が使ってるのは結構古いヤツだから、暇潰しには持って来いだ。
さっそくディスプレイに置かれている最新携帯を眺めてみる。
デザインが格好いい物や、凄く薄くて折れちまうんじゃないかと思ってしまう物、防水機能まで付いた物と、俺が知らない間に随分と進化したみたいだ。
「おぉー、すげぇ」
置かれていたサンプルをいじくってみると、画面が横にスライドしたりと面白い機能があって驚いた。しかもテレビまで見れんのかよ。
最近の携帯はすげぇな。俺の携帯なんて写メとムービーしか撮れねぇぞ。
いやはや、携帯電話でテレビが見れるとは……。
「日本の科学も進歩したもんだ」
一通り並べられている携帯は見回り、沙夜先輩が座っているカウンターを見るとまだ店員と話をしていて終わった様子は無かった。
なので、付き人用のか待ち人用のかは分からないが、壁に並べれた椅子に座る。
店内のガラスで出来た入り口の向こうには、暑い中をぞろぞろと歩く沢山の人が横切っていく。
ハンカチで額の汗を拭きながら歩く中年のサラリーマン。昼飯と思われるコンビニの袋を持ったOL。友達と並んで喋っている学生。
様々な人が炎天下の中を通り過ぎて、すれ違っていく。
その姿はまるで、濁った水の中を泳ぐ魚のよう。
「咲月君、お待たせ」
携帯を買い終えた沙夜先輩が戻ってきて、肩を軽く叩かれた。
「あ、終わったんですか」
「うん。手続きをして新しい携帯にするだけだから、早く終わったわ」
ガラスに向けていた視線を夜先輩に移して、椅子から立ち上がる。
沙夜先輩が携帯を買った以上、店にいる必要が無いので出る。
「さらばオアシス」
冷房天国にさよならをして、また暑い中を歩く。
今気付いたけど、俺の生徒をちょくちょく見掛ける。
学校帰りに駅前へ遊びに来ているのは俺達だけじゃないみたいだ。桜井も友達と行くって言ってたしな。
「用は済んじゃったけど、これからどうしようかしら。咲月君、どこか行きたい所ある?」
「いや、俺はこれと言って。と言うか、モユの所に行かないと行けないんで」
「モユちゃんの所に?」
「行くって約束しちゃって」
目的地が決まっていないのに、足を動かしながら沙夜先輩と話をする。
「そっか。なら、私も行こうかしら」
「えっ、沙夜先輩も?」
「えぇ。携帯を買ったら他に予定無いし、家に帰っても暇だしね。モユちゃんとも会いたいし」
沙夜先輩も来るなんて、ちょっと意外。
「何時の電車で行くの?」
「あ、ちょっと待ってください。時刻表を携帯にメモっておいたんで……」
携帯を買うのにどれだけ時間が掛かるか分からなかったから、夕方までの発車時刻を携帯のメモ機能に書いておいた。
携帯を取り出して、メモ機能を開く。
「えっと、次のは二時十分のですね」
そして、携帯の画面に表示されている時間は1時半を少し過ぎていた。
「って事は、三十分近く時間あるな」
「あらら。どっちにしろ駅前で時間を潰さないといけないわね」
三十分も暇があると聞いて、沙夜先輩は苦笑している。
「あ、そうだ。沙姫に携帯を買えたって連絡しなきゃ」
忘れてた、と沙夜先輩は口元に手をやる。
「連絡ったって、どうやってするんです? 沙姫の携帯は沙夜先輩が持っているのに」
まさか学校に電話して、居残ってる沙姫に変わってもらうとか?
「私の携帯を沙姫に持たせたのよ。そうすれば、私が買った沙姫の携帯で連絡取れるでしょ?」
「あ、なるほど」
その考えは無かった。
沙夜先輩は一度鞄の中に仕舞った沙姫の携帯を取り出す。
「道の真ん中で電話したら他の人に迷惑だから、端に避けましょうか」
そう言って沙夜先輩は人波の流れから外れ、道端の自販機の隣へと移動する。
それに俺も付いていく。
「私の番号は確か、090の……」
新しい携帯の為、電話帳は真っ白な状態。となると当然、沙夜先輩の携帯番号は登録されていない。
手動でボタンを押して、沙夜先輩は自分の携帯に電話を掛ける。
「出るかしら?」
番号を押し終えて、携帯を耳に当てる。
「あ、繋がった。もしもし?」
数秒の間が空いた後、沙姫が電話に出たのか沙夜先輩が喋り始める。
「私だけど、携帯は買い終わったわよ。うん、うん……そう、まだ咲月君と一緒」
沙姫と何を話しているっぽいけど、電話じゃ沙姫の話し声は聞こえない。
とりあえず邪魔しないようにと黙って待っておく。
「咲月君」
「はい?」
「沙姫がね、今日は行けなくてすいませんでした。だって」
一旦電話から耳を離して、沙姫に代わって沙夜先輩が伝言してきた。
「んな事、気にしなくていいのに。お前は赤点だけを気にしてろって言っといてください」
沙夜先輩に沙姫への返事を伝えてもらう。
「あ、あと約束破ったから肉まん千個奢れよ。も追加で」
沙夜先輩は人差し指と親指を繋げて丸を作り、わかったわ、とオーケーサインをする。
「もしもし沙姫? 咲月君がね……」
再び携帯を耳に当てて、沙夜先輩は俺が言った事を伝えている。
「咲月君。昨日は咲月先輩が来なかったから、それでチャラです。だってさ」
「ぐっ……言い返せねぇ」
冗談で言ったんだが、それを言われると何も言い返せない。
昨日はモユと再会するという予想外の事態が起きて大変だったんだが、理由はなんであれ忘れてしまった俺が悪いからなぁ。
「で、もう用は済んだから……うん、そう。それで……」
沙夜先輩は沙姫と何やら話し込んでいる様子。
俺はやる事が無く、流れていく人波をボーッと眺めて話し終わるのを待つ。
「ごめんね、咲月君」
通話を終えて、沙夜先輩は携帯電話を折り畳む。
「この後、咲月君と一緒にモユちゃんの所に行くって言ったら、沙姫も来るって」
「え、沙姫も?」
「うん。課題を提出し終えたら追い掛けるってさ」
なんとまぁ、沙姫まで来るとは。
深雪さんは俺が行く事を知ってるけど、いきなり二人を連れていってもいいのかな?
多分、初めて行く訳でもないから大丈夫だとは思うけど……。
「とまぁ、沙姫も来るのは分かったけど、電車までは時間あるから時間を潰さなきゃならない訳で」
「そうね。時間までどうしようか?」
沙夜先輩の電話が終わったので、目的も無く歩き始める。
「俺は別にこれといった用は無いしなぁ」
元々、駅前は携帯を買うのに付き合って来ただけで、自分の用は無かった。
着替えはもう来る途中に部屋に寄って持ってきたし。
「中途半端に時間が空くのも困りもんだな」
一、二時間ぐらいなら少し遠くに行っても大丈夫だけど、三十分だと下手に駅から離れられねぇからな。行動範囲が限られる。
とは言え、本当にどうしようか。三十分じゃあ、そこらのファミレスで昼飯を食うのも難しい。飯を食えはするけど急いで食わなきゃならないし、今の時間じゃ混んでるだろう。
「沙夜先輩、本屋にでも行って立ち読み――あれ?」
沙夜先輩に話し掛けるも、隣にいた筈なのにいつの間にかいなくなっていた。
「どこ行ったんだ?」
振り返ると、数メートル後ろで沙夜先輩は立ち止まって何かを見ている。
何か面白いもんでもあったんだろうか?
「沙夜先輩、何見てんです?」
来た道を少しばかり戻って、沙夜先輩が見ている物に目をやる。
「あれ、可愛いなぁと思って」
沙夜先輩が見ていたのはゲームセンターの入り口に設置されている、キーホルダーなんかを景品としたゲーム機。
壁に掛けられている景品をアームで掴んで引っ掛け棒から落とすという、UFOキャッチャーの縦バージョンと言えばいいか。
「あれ?」
「うん。ほら、右端の一番上のヤツ」
沙夜先輩が指差す先の景品を見てみる。
「え……あ、あれ?」
「そうよ? あれ」
出たよ。また出やがったよコイツがよ。
沙夜先輩の言う景品は、以前祭りで見覚えのある人形。つーか印象が強すぎて忘れられねぇ。
えぇ、うさバラし人形さん、再び登場です。
「可愛い、ですか?」
「可愛いじゃない。私のクラスでも凄い人気なのよ」
こうも周りには人気があるという話を聞くと、なんか自分のセンスがずれているんじゃないかと思えてくる。
……いや、違う。俺のセンスは悪くない! どう見てもこの人形は不気味だろ!
だってよ、見てみろよホラ。
キーホルダーって普通さ、キャラクターの頭とかにチェーンを付けるだろ。
なのに何で、このうさバラし人形のキーホルダーは首に付いてんの?
頭が重いから下に垂れてて、まるで首を吊っているようにしか見えねぇんだけど。
どうしてこれが可愛いに結び付くのか、俺には理解出来ない。
「欲しいならやってみたらどうです?」
目の前のゲーム機、通称『かっぱぎキャッチャー』を眺めている沙夜先輩に勧めてみる。
「うん……でも、私ってこういうのを余りやった事が無いから苦手なのよね」
ゲーム機、いや、正しくはうさバラし人形のキーホルダーを見ながら沙夜先輩は、やろうか悩みながら口元に手を当てる。
うーん、確かに沙夜先輩がゲーセンで遊ぶ姿は鮮明に思い浮かばないなぁ。
こういうのは沙姫の方がやってたりしてそうだ。欲しい景品が中々取れなくて、ムキになって気付いたら財布の中がスッカラカン。とかな。
「まぁ、こういうのは技術云々の他に運も絡むからなぁ」
「取れなかったらお金が勿体ないし……欲しいけど、諦めようかな」
沙夜先輩は自分じゃ取れないと思ってか、肩を竦ませて諦める。
「あ、でもちょっと待ってください」
かっぱぎキャッチャーのウィンドウの中を覗いて、うさバラし人形の配置を確かめる。
一番右上で、景品の落下口も右側……。
「沙夜先輩、これ……取れるかも」
「えっ、本当!?」
俺が言うと、沙夜先輩は顔に驚きと輝きを見せる。
「絶対って訳じゃないけど、多分。ちょっとした裏技があるんですよ」
財布から百円玉を取り出して、かっぱぎキャッチャーのコイン投入口に入れる。
カチャン、と投入音がすると、明るいBGMが流れ出す。
使うボタンは縦移動と横移動の二つだけ。あとはクレーンが勝手に掴む動作をしてくれる。
縦移動ボタンを押して、目当ての景品のある高さまでクレーンを上げる。
ボタンを離すタイミングを間違うと、クレーンは景品からずれて何も無い空間で止まってしまう。
ミスらないよう、クレーンの移動するスピードをしっかり見て、ボタンをタイミング良く離す。
「あ……」
クレーンの止まった位置を見て、落胆した沙夜先輩の声が隣から聞こえてきた。
なぜなら、俺が止めたアームの位置は景品を少し越えてしまい、キーホルダーのチェーンの部分だった。
このゲームの方法としては、クレーンのアームに景品を掴ませ、引っ掛け棒から上手く外して景品を落下口の穴に落としてゲットとなる。
しかし、アームが景品からずれた以上、沙夜先輩は失敗したと思ったんだろう。
「これでいいんですよ、これで」
だがしかし、これは失敗では無くて寧ろ狙い通り。
俺は言った筈だ。裏技があると。裏技とは従来の方法から外れたやり方を言うもんなのさ。
横移動ボタンも押して、アームを狙った場所で停止させる。
「これでいいって……そこはキーホルダーから外れて何も無い所じゃない」
沙夜先輩が言う通り、俺がアームを止めた場所は景品と景品がぶら下がる間。アームが掴もうと伸びる先には景品など無い。
「多分、これで取れますよ。ほら」
縦横の位置を決められたアームが開き、景品を掴むために奥へ伸びていく。
当然、伸びた先に景品の無いアームは伸ばせる限り伸ばす。
すると、景品と景品との間に位置するアームの爪は、左右にある景品のチェーンの輪にスッポリと入った。
そして、アームは止まらずに伸びる為、手前の景品だけでなく更に奥に並ぶ景品のチェーンまでも引っ掛ける、
「でも、これじゃ景品を掴めないんじゃない?」
「ところがどっこい」
伸ばせる所まで伸ばし切ったアームは、景品のチェーンを引っ掛けたま戻ってくる。
すると、うさバラし人形のキーホルダーが一つと言わず四つ程、引っ掛け棒から外れた。
当然、アームに掴まれていなかった為、アームの爪から落っこちる。
「ほら、やっぱり落ちちゃった……」
沙夜先輩は落ちるキーホルダーを目で追って、残念そうな顔をする。
「あっ」
が、そのすぐ後に沙夜先輩は驚きの一言を漏らす。
結局落ちて取れなかったと思ったキーホルダーは、落ちる際に他の景品にぶつかって景品落下口に入ったからだ。
これぞ裏技。外道にして邪道の技。
「すごーい!」
景品落下口からゲットしたうさバラし人形のキーホルダーを取り出して、沙夜先輩は嬉しそうに笑っている。
「しかも、一回で二つも取るなんて!」
「前に教えてもらったんですよ。落下口近くの景品にしか使えない裏技だけど」
ちなみに、今は2つしか取れなかったけど、この裏技は取れる時は一気に四つとか取れたりする。
まぁ、上手く落ちる時に他の景品にぶつかってくれなきゃ駄目で、運が結構絡んでたりする。
だから、一つも取れない場合も当然ある。
「こんな方法があるなんて知らなかったわ。咲月君に教えてくれた人、よく思い付いたわね、こんな方法」
「邪道ですけどね。余りやり過ぎると店員が怪しんで、この技を使える位置に良い景品を置かれなくなる場合もあったりするけど」
まさか、こんな技が役立つ日が来ようとは。教えられた時は半分流し聞きだったんだけど、覚えていて良かった。
この裏技を教えてくれたのは、先輩だった。前に別のゲーセンで遊んでた時に、得意気に教えてきたんだ。
「はい、これ。二つ取れたから一つは咲月君の」
「あ、いいです。俺はいらないんで誰かにあげてください」
こんな首吊りキーホルダー、全然いらないんで。
女の子が鞄とかに付けていたらギャップで可愛く見えるかも知れないけど、俺みたいな友達もいねぇ奴が鞄にぶら下げてみ?
ギャップもくそもねぇし、全く笑えない。寧ろ引かれるわ。
「それじゃあ、沙姫にあげようかしら。可愛いって言っていたし」
沙姫もこの不気味なキャラクターを可愛いって言ってんのかよ。
やっぱ俺だけなのか、不気味だと思っているのは……?
「おっと」
自分で自分の感性を疑っていると、背中に何かがぶつかって軽くよろめく。
「ってぇ!」
すると、後ろを見てみると大げさな声を上げる、今時と言うか今更と言うか、肌がこんがりと焼けていてる女性がいた。
髪は肩より長く、無造作ヘアーなのか寝癖を直していないのか分からないボサボサした茶髪に、前髪には白くメッシュがかかっている。
「おい、大丈夫か?」
軽く染めたオールバックの髪型に、だふっとしたB系のジーンズのポケットに手を突っ込んで、その隣にいた彼氏であろう男性が女性を気に掛ける。
「いってぇな、どこ見て歩いてんだよ!」
俺はただ立っていただけで、ぶつかって来たのは向こうなのに女は逆ギレしてきた。
「あぁ、すまん。悪かった」
勝手にぶつかって来ておいて、こっちが悪かったみたいに言われ多少ムカッとはしたが、適当に謝っておく。
話しても無駄な奴だってのは見て解った。こういう奴等は相手にしないに限る。自分を中心でしか考えられない奴等に、何を言っても無駄だ。
「てめぇ、気を付けろ!」
男は脅し掛けるようにドスの利いた声をさせて俺を睨み付けてた後、女を連れて歩いていく。
ああいう奴等は相手にすると面倒臭いからな。不本意ではあるけど、こっちが下手になって適当に流せばいい。
「ちょっと待ちなさい!」
何事も無く済んだと思った矢先、沙夜先輩が立ち去ろうとした2人を呼び止めた。
「ぶつかって来たのはそっちでしょう。謝るのはあなた達だわ!」
「ちょ、沙夜先輩?」
うわーお。そんな強気で言っちゃったら……。
「あぁん? んだ、テメェ!?」
って反応をされるのは火を見るより明らかでしょーよ。
せっかく人がスルーして面倒な事を起きないようにしたってのに……。
「謝りなさいって言ってるの。勝手にぶつかって来てこっちが悪くされたら迷惑だわ」
ガンつけてくる男に怯む様子も見せず、沙夜先輩はズバスバと言いたい事を言っていく。
「はぁ? 何、お前?」
女の方も沙夜先輩に言われて腹を立てたのか、明らかに不機嫌な顔になっている。
「超ムカつくんだけど。ねぇ、こいつやっちまいなよ!」
女は沙夜先輩を指差して、男に目をやる。
「やるならどうぞ。街中で無駄に大きな態度を取って格好いいと思ってるのかしら。そんな歩き方をするから人にぶつかったりするのよ」
「んだとぉ?」
「それに、反論出来ずに暴力に頼る時点で自分に非があったのを認めてるじゃない」
「このアマぁ……!」
男は沙夜先輩に言われた事が相当頭に来たのか、拳を振り上げた。
「ちょ、ヤバイ!」
沙夜先輩の言葉のラッシュに呆気を取られて聞き入ってしまっていた。
「黙れってんだ!」
男は上げた拳を、沙夜先輩の顔を目がけて振り下ろす。
「ぐっ!」
男のパンチは見事に当たった。俺の左頬に。
「さ、咲月君!?」
さすがに沙夜先輩が殴られうになっているのを放っておく訳にも行かず、止めようと思って間に入ったら俺が殴れてしまった。
いきなり俺が乱入してきたもんで、沙夜先輩どころか殴った男の方も驚いている。
「はいストップ。お互いストップ」
殴られた左頬がジンジンと痛むが、無視してまずは場の収拾をしなくては。
これ以上ゴタゴタしたくない。
「悪いな、兄ちゃん。俺の連れ、少し固い所があってさ。後で言っておくから勘弁してくれ」
笑顔を作って、相手を刺激しないように弱腰で喋る。
「それにほら、一発殴った事だしさ。スッキリしただろ?」
「何こいつ、ヘコヘコしてカッコわるぅ」
謝る俺を見て、ぎゃははと下品に大笑いする女。
「ちょっと、なんで咲月君が謝るのよ!」
「あのですね、沙夜先輩。男ってのは女と歩いている時は非を認めてる訳にはいかないの。彼女だったら尚更、彼氏として謝る姿なんて見られたくないんです。格好良くいたいもんなんですよ」
情けない姿なんて彼女に見せたくないないんだよ。
「好き勝手言っておいて今更なんだよ、お前!」
「本当すまんかった。ほら、これ以上言い合ってもお互い気分が悪くなるだけだろ? な?」
「うっわ、情けない上に腰抜けじゃん、こいつ。ねぇ、もう一発殴っちまえばぁ?」
にやにやと気分良さそうにほくそ笑む女。
「……もういい、行くぞ」
「ええっ? ち、ちょっと待ってってば!」
しかし、男は何もせずに振り返って歩き出した。
「悪かったな、彼氏」
「うっさい、バカ! 死ね!」
女は汚い言葉を吐いて、男を追って走り去っていった。
ふぅー。やっと行ってくれたか。
「大丈夫、咲月君?」
沙夜先輩はポケットから薄ピンク色のハンカチを取り出して、俺が殴られた頬に当ててくる。
「っ痛ぁ……あぁ、大丈夫ですよ。口の中も切れてないし」
にしてもあの男、女の沙夜先輩相手に本気で殴りやがったな、クソ。
口が切れはしなかったけど、頬は結構痛む。
「……ない」
「え? なんです?」
「さっきのが納得いかないって言ったの!」
ハンカチで俺の頬を押さえながら、沙夜先輩は不機嫌そうに眉を顰める。
「何言ってんですか。そんなの、俺もですよ」
「じゃあ何で謝ったりしたのよ!」
「あいつ等、見た感じで何を言っても無駄な奴等だって分かったでしょ? 現にそうだったし」
「それは、そうだけど……」
「皆が皆、沙夜先輩みたいに器用に要領良く出来た人間じゃないですよ。俺なんてまさにそうでしょ?」
ははっ、と苦笑いをしてみせると、殴られた頬が少し痛んだ。
「……それでも納得出来ないわ」
「納得出来なくても理解出来なくても、我慢をした方がいい時もあるんです」
沙夜先輩はまだ納得出来ず、しかめっ面をやめない。
「だけど、咲月君は殴られた上に、情けないとか腰抜けって言われてたのよ!?」
「あー、言われてましたねぇ」
喧嘩になりそうになって、作り笑いをして弱腰で喋れば腰抜けに見えるわな。
「武術をやっている咲月君ならあんな奴に負けないでしょう!?」
「まぁ、多分軽くのせたと思うけど……」
本気のパンチを喰らっても口ん中も切れてないし、態度だけの奴だったみたいだ。
「じゃ何で……」
「喧嘩したって良い事なんて無いじゃないですか。殴られたら痛いし、後味も悪いし」
それに、無かったとは思うけど、沙夜先輩にとばっちりが行ったら嫌だったしな。
「でも……」
「沙夜先輩は喧嘩になってても俺が勝ってたと思うし、悪かったのは向こうだって解ってるんですよね?」
「えぇ」
「じゃあそれでいいじゃないですか。その通りなんだし」
「そ、それはそうだけど……でも咲月君は悪くないのに悪く思われるのが納得出来ないの!」
沙夜先輩は一度困った顔をするが、すぐにまたしかめっ面になる。
余程さっきの奴等が気に入らなかったんだなぁ。
「大丈夫ですって、十人中八人は向こうが悪いって言いますよ。たまたま残りの二人が奴等だったってだけです」
「……」
むぅ、と息を漏らして沙夜先輩は黙り込む。
「それにほら、昼過ぎで腹が減って怒りっぽくなってるんですよ」
学校が終わってからすぐに駅前に来たから昼飯を食ってないし。何だかんだで一時過ぎてるときた。
「……ごめんなさいね」
「な、なんです、いきなり?」
沙夜先輩は俺の頬に当てていたハンカチを下ろす。
「解¥ってはいたのよ。私がいらない事をしちゃったのは。熱くなって感情だけで先走って……結局は、私もさっきの二人と同じね」
持っているハンカチを握り締めて、顔を小さく下げる。
「正論を言ってるつもりでも、やってる事は変わらないわ」
顔に影を落として、沙夜先輩は落ち込むように声が小さくなる。
「何言ってるんです」
はぁ、と溜め息を吐く。
「あんな奴等と沙夜先輩が同じなんかじゃないですよ」
「え?」
「あいつ等は自己中で自分の事しか考えてないけど、沙夜先輩は俺を思って怒ってくれたじゃないですか。ほら、全然違う」
あいつ等はただ単に我が儘で、沙夜先輩は人の為。根本的な部分から違いが出てる。
「それにですね……」
肩に手を置いて、ふぅ、と一息。
「それに?」
少し間を空けて溜めると、沙夜先輩は気になって聞き返してくる。
「さっきの女よりも、沙夜先輩は美人ですし」
にっ、と笑いを見せて冗談を言う。
美人、って所はありがち冗談じゃないけど。
「……ぷっ、あはははは」
予想していのとは違った気の抜けるような事を言われてか、沙夜先輩は声を出して笑う。
よかった。とりあえず暗かった空気は晴れてくれた。
「そう言う咲月君も、あの男の人より断然男前よ」
笑いながら、沙夜先輩も俺に冗談を言い返してきた。
ただ悲しいかな、俺は沙夜先輩の美人って部分は結構本気で言ったんだが、沙夜先輩の言う男前ってのは本当に冗談なんだろう。
「はははっ、それはどうも」
釣られて俺も笑って返す。空気も元に戻って、なんとか一段落。
「それでですね、沙夜先輩」
「何?」
沙夜先輩の後ろ方向にあった時計を指差す。
「もう少しで電車の時間です」
「いけない、本当」
振り返って沙夜先輩も時計を確認すると、時計の針は電車が発車する十分前を指していた。
あいつ等に絡まれて時間だけは潰れてくれたようだ。
「そろそろ行かないと乗り遅れちゃうわね」
「ですね。それじゃ駅に行きますか」
駅の方へと足を向けて歩き出す。
駅から離れずにいたお陰で、十分前でも焦らずに済む。
「ねぇ、咲月君」
「はい?」
「咲月君ってさ、結構モテるでしょ?」
「ブッ!」
歩きながら沙夜先輩は俺の顔を覗き込むようにして聞いてきた。
しかも、聞いてきた事が全く予想していなかった上に斜め上を行きすぎていて吹いてしまった。
「い、いきなり何を?」
「ちょっとね、ふとそう思ったの」
ふふっ、と笑って沙夜先輩は言う。
モテるって俺が? 一体何をどうやって考えたらそういう結論が出るのか。
まさか、さっき殴られたせいで顔の形が変わってイケメンになったとか?
マイナスにマイナスを掛けるとプラスになる、みたいな。……んな訳ねぇよな。自分の事ながら馬鹿な事を考えるな、俺は。
「モテませんよ、全然。普段から不真面目にサボったりしてるから」
「そうなの?」
「そうなんです」
俺って言うか、エドの奴がモテてる。金髪だし遺憾にも顔もスタイルも高スペックで人気がある。学校じゃ表っ面はいいからな、表っ面は。
比べて俺は、人気どころか女子に話し掛けられる事すら無い。エドと教室で昼飯を食ってたりすると、いつも話し掛けられるのはエドだけ。俺はガン無視。
それを見て己の人気と言うか、人望の薄さが伺われる。
「人付き合い悪くて要領も悪い上に頭も悪い。おまけに貧乏学生と来たら、誰も見向きもしませんって」
まぁ、なんだ。頭が悪いって言っても、課題を出し忘れたどっかの誰かさんみたいに赤点は無いけどな。ギリギリで。
「ふーん」
沙夜先輩は横目で俺を見ながら、少しだけ口を釣り上げる。
「確かに咲月君、よくサボってて不真面目みたいだし、さっきので要領が悪いっていうのは解るかな」
ぐっ……自分から真実を曝け出しておいてあれだけど、そう簡単に納得されたらされたで悲しいものが。
まぁ、本当の事だからしょうがないんだけどね。
「――――でも、格好良いと思うわよ」
「……へ?」
一言発して、開けたままの口。沙夜先輩の言葉が理解出来ず、時が止まったように固まる。
今一瞬、自分には当て嵌まる事は無い言葉を言われた気が……。
「またまた、そんな事言って」
我を取り戻して、取り敢えず開けっ放しだった口を閉じる。
ごく普通に格好良いだなんて言うもんだから、脳ミソが理解出来ずに軽くフリーズしてしまった。
「もう冗談はいいですよ」
またさっき同じく冗談だと気付き、軽く笑う。
「あら、そう思う?」
「そうなんでしょ?」
そう言うと、沙夜先輩は少しだけ駆け足して先を行く。
「さぁ、どうかしら?」
そして、長い銀髪を宙で舞わせて振り返り、笑顔で返された。




