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No Title  作者: ころく
17/85

No.16 昔の欠片

 時刻は夜九時過ぎ。


 あれからコンビニで夕飯となる弁当を買ってきて、三人で食べた。モユは本当に文句も言わずに弁当を残す事無く、完食した。

 ただ、文句は言わなかったが何かを訴えるような目で俺を見てきた。あれか、アイスを買ってこなかったのがそんなに気に食わなかったのか?

 世間じゃアイスは一日一個って決まりがあるんです。決して俺が買ってくるのを忘れたんじゃないぞ。ほら、お腹を壊しちゃったら大変だから。……っていう言い訳は苦しいか。


 で、コンビニ弁当という中身は質素で値段は贅沢な夕飯を済ませて今はやる事も無く、夕飯を食べた大広間でテレビを観ている。

 大広間と言われるだけあってそれなりに広く、ソファもあってゆっくり出来る。他の部屋みたいにドアは無く、吹き抜けになっていて廊下から中が丸見えになっている。

 病院のロビーや、会社の休憩所みたいと言えばいいか。

 そんな大広間でソファに深く腰掛けて、テレビのチャンネルをリモコンで変えていく。


「暇するってのも大変だなぁ」


 興味を引かれる番組は見当たらなく、チャンネルは一周して最初の番組に戻ってきた。


「……暇だ」


 ソファの背もたれに深く寄り掛かって、天井を仰ぐ。


「暇そうだな」

「あ?」


 ぼけっと天井を眺めていると声を掛けられた。

 天井に向けていた首をさらに反らせて、視界を逆さまにして後ろを見る。すると、廊下にエドがいた。


「暇そうじゃなくて、バッチリ暇だ」


 態勢を変えずに、逆さまになったエドのまま会話をする。いつもと違う視界なら少しは暇じゃなくなるかと思ってたりしたんだが、そうでもなかった。


「お前一人か? 他は?」

「他?」

「深雪さんとモユちゃんとで夕飯食べたんだろ?」

「あー、二人ならいねぇよ」


 頭に血が昇る前に、背もたれから背中を離して身体を起こす。

 そう。深雪さんとモユは今、この大広間にいない。いるのは俺一人。だから暇をしている。


「いない? どこかに行ったのか?」

「風呂だとよ。深雪さんがモユを連れて2人で入りに行ってる」


 晩飯を食ってから三人でテレビを見ながら雑談をしていた。三人と言うか、モユは殆んど喋んないから主に深雪さんとだが。

 そして、三十分以上前に深雪さんがモユを誘って風呂に行った。

 来たばかりで勝手が分からないだろうから、と半ば強制的にモユが連れていかれたという見解が正しいかも知れないけど。


「それで取り残された俺はやる事が無くて暇してるって訳」


 女性の風呂は長いって聞いた事あるけど、本当みたいだな。三十分以上も経ってるのにまだ上がってこない。俺だったら二十分もあれば余裕で入ってこれる。


「で、お前は何やってんだ?」


 背もたれに腕を回して、身体半分をエドに向ける。


「俺は飯を買ってきたとこだよ。さっきやっと仕事が一段落着いたからな」


 エドの右手にはコンビニの袋が握られていた。そういや別用があるとか言ってたもんな。こいつ。


「よっ、と。だから今から遅い夕飯だ」


 エドも大広間に入り、俺の向かいのソファに腰掛ける。


「ま、明日学校に行けば夏休みが始まる。そしたら今よりは時間が出来るから、幾らは楽になるけどな」


 袋から買ってきたコンビニ弁当や飲み物を出して、エドは食べる準備をし始める。


「明後日からは夏休みかぁ」


 普段から好き勝手な時間に遅刻して登校したり、気ままにサボったりしている俺には、あまり実感が湧かない。休みなのは嬉しいけどね。


「あらエド、今からご飯?」


 エドがまさに弁当を食べようと、割り箸を割った時に深雪さんがやっと風呂から戻ってきた。

 風呂に入る前のスーツ姿では無く、白いTシャツに下は黒い生地のハーフパンツ。恐らく深雪さんの寝間着だろう。

 そこには昼間の綺麗にレディーススーツを着熟なす姿ではなく、ラフな格好だった。


「そうですよ。仕事を片付けてたからこんな時間になったんです」


 エドは答えながら弁当のおかずである唐揚げを口に運ぶ。


「随分と長い風呂だったな、モユ」

「……うん」


 深雪さんの後ろからモユは姿をひょこりと小さな身体を現した。

 モユも服を着替えていて、その姿は深雪さんと同色の大きめなTシャツを無理矢理着ている。多分、モユのサイズに合う服がなかったんだろうな。

 それに風呂上がりだからからか、頬がほんのりと赤くなっている。なんだか足取りも覚束ないぞ?


「おい、大丈夫か?」

「……うん」


 本当に大丈夫かよ。フラフラ揺れてるし、目も少しボーッとしてんじゃねぇか。


「モユー? 本当に大丈夫かー?」

「……うん」

「頭から湯気出てるぞー?」

「……うん」

「お前はもう、死んでいる」

「……うん」

「アイス買ってきたぞ」

「……うん」


 ダミだ、こりゃ。完全に逆上せてるわ。

 アイスって言葉を出しても反応しないって重症だぞ。事ある毎にアイスだもんな、モユは。

 もしかしたらアイスで出来てんじゃねぇのか?

 だから熱い物に弱いとか。って、んな訳ねぇか。十中八九、深雪さんの長風呂のせいだろうな。

 ……どこのファンタジーだよ。身体はアイスで出来ているとか。


「ほら、モユちゃん。私の部屋に行って髪乾かそうか。夏風邪にでもなったら大変だからね」

「……うん」


 返事が全て『うん』だけで返して、フラフラと左右に揺れながら深雪さんの後ろを付いていく。完璧に湯中りしたな、モユの奴。


「明日学校なんだから、匕君も早くお風呂に入った方がいいわよー」


 最後に首だけをこちらに向けて言い、深雪さんはモユと自室へ戻っていった。


「んー、どうすっかな」


 なんか人様の家の風呂って入りづらいんだよ。


「入った方がいいんじゃないか? お前、昨日は寝てて入っていないだろ」


 あ、そういえば昨日はずっとベッドの上だっから入っていねぇな。

 それにエドは知らないけど、一昨日も風呂に入っていねぇんだよ、俺。

 ランニングの後に入るつもりだったんだけど、まさか神社であんな事になるとは思っていなかったからな。

 つー事は、俺って二日も風呂に入ってないのか……。


「さすがに臭う……かな?」


 二の腕を嗅いで、臭わないか確かめてみると少し汗臭かった。

 夏真っ盛りのこの時期だ。臭って当然か。

 臭いまま学校に行って夏休みを迎えるのも嫌だし……。


「ひとっ風呂浴びてくるかぁ」


 背伸びをしながらソファから腰を上げる。


「そうしろ。白いラベルのシャンプーとかは俺のだから使っていい」

「あ、タオルはどこにあるんだ?」

「風呂場にあるのを勝手に使え」

「おう。んじゃ入って来るかね、っと」


 大広間にエドを残して、二日振りの風呂を入りに向かう。




    *   *   *



 所々に雲が流れ、月が顔を出す夜空。


「ふぃー、いい湯だったー」


 風呂から上がり、火照った身体を冷まそうと外に出て、玄関横にあった石段に腰掛ける。

 程よく吹いてくる夜風が心地よく、持っていたタオルで濡れた髪をがむしゃらに拭く。

 拭き終わってタオルを首に掛け、欠けたお月様を見上げる。


「いーい感じの涼しさだぁ」


 辺りは静かで、リー、リー、と鈴虫の鳴き声が草むらから聴こえる。

 自分の部屋は昼間でも夜でもクソ暑いのに、エアコンを使わずにこんな涼しいのは羨ましい。

 夜風に当てられ、着ている黒いTシャツの裾が微かに靡く。

 ちなみに、今着ているTシャツとジャージは着替えとしてエドから渡された。

 と言うか、風呂に入っている間に脱衣場に置かれていた。

 学校から直でここに来たから、制服のまま寝るしかないと思っていたから助かった。


「ってと、涼しんだし部屋に戻って寝るか」


 石段に座るのをやめて、尻を軽く叩く。

 一度空を仰いで見ると、流れの速い雲に月は隠されてしまっていた。

 事務所の中に入って、スリッパに履き替える。鍵は白羽さんが零時に掛けるらしい。

 電気の消された薄暗い廊下を渡って、用意された部屋に行く。


 風呂から上がって外に出る前に、一度だけ場所の確認として部屋に入った。

 晩飯を食べた大広間の横を通り、更に奥に進んで両側の壁伝いにドアが並ぶ所に着く。

 ここの一番手前の右側が本日の俺の寝部屋。

 一番奥が白羽さんの部屋らしく、次が深雪さん、その対面がエドの部屋だとと聞いた。

 で、一番手前の両部屋がお客さん用の部屋って事で右側が俺、左側がモユと割り振られた。


「他の皆さんはもう寝ちまったのかね?」


 シンと静かな廊下に並ぶドアを見ながら、自分の部屋のドアノブを捻る。

 部屋に入って、静かにドアを閉める。

 部屋には窓が一つ。左手奥にベッドが置かれていて、その正面に少し小さいがテレビまである。

 ま、テレビがあっても今は観る気など無い。

 もう寝るだけなので、窓から射される月明かりを頼りに電気も点けずにベッドに直行する。

 ベッドに倒れ込むと、反動で一度身体が浮いた後、ふわりとした布団に身体が埋まる。

 今日は色々あって疲れたのか、日付が変わるのにはまだ時間があるのに睡魔が襲ってきた。


 やはり一番落ち着いて寝れるのは自分の部屋のベッドだが、疲れているとそんなのは関係無く寝てしまえるようだ。

 さっき玄関で聴こえていた鈴虫の鳴き声が、窓の外から小さく聴こえてくる。

 それがまたいい感じで睡魔を誘い、瞼がウトウトと重たくなっていく。

 風呂も入ってサッパリしたし、部屋も適度に涼しい。鈴虫の子守唄も加わってぐっすり眠れそう。

 そうして、うつらうつらしていた瞼は完全に閉じて、疲れを癒そうと眠りに落ちる。


 ――――薄れゆく意識でそう思った時だった。

 コンコン。

 何かを軽く叩く音が耳に入ってきた。


「ん……ぁ?」


 小さい音だったが、外で鳴く鈴虫の声が聴こえる程に静かな部屋では、十分に聞き取れた。

 一度閉じ切った瞼を開けて、肘を着いて上半身を起こす。

 窓、テレビ、床、壁。部屋を見回してみるも、音の原因と思える物は見当たらない。


「空耳、か?」


 後頭部を掻いて欠伸を一つする。

 気のせいだったか、と頭を布団に預けようとしたら、また同じ音がした。

 コンコン、と。


「また聞こえたって事は……空耳じゃあないよな」


 さっきは半分夢の世界だったが、今はちゃんと起きている。

 そして、謎の音は窓の外でもテレビからでも、床の下からでもなく、ドアの向こう聞こえてきた。

 夜と言ってもまだ0時にもなっていない。誰かが訪ねて来る可能性はある。

 白羽さんが昼間の事でなんか話をしに来たとか? なんて考えていると、またドアを叩かれる。


「あーはいはい、起きてる起きてる。鍵は開いてるから勝手にどうぞー」


 まぁ、白羽さんや深雪さんじゃなくエドだったらまず一発顔面を殴らせて貰おう。

 あいつに安眠を邪魔されたと思うと腹が立つ。しかも今まさに眠りにつくって時だったってのに。

 ドアの向こうに返事をすると、ゆっくりとドアが開かれていく。

 金髪が現れた時の為に、握り拳を一つ作っておく。

 しかし、ドアは半分もいかない所で開くのが止まった。


「……?」


 止まったはいいが、ドアが開いた隙間からは誰も入ってこない。

 中途半端なドアの開き具合に戸惑いながら、一応入って来るのを待ってみる。

 が、待ってみても誰も入ってこない。というか、誰も現れない。

 まさか、どっかの誰かさんが嫌いな心霊現象……? とかなんとか待ってる間に思ってみる。


「おーい、こっちは眠いんだから用があんなら早くしてくれ」


 なかなか現れない訪問者に痺れを切らせて声を掛けると、やっとドアの先から人影が部屋に入ってきた。

 すると現れたのは、いけ好かない金髪ではなく、赤茶い髪の少女だった。


「モユ!?」


 予想が外れた人物に驚いた。モユがこんな時間に来るなんて思ってもみなかった。


「お前、もう寝たんじゃなかったのかよ?」

「……うん」


 だけど昼間とは違ってどこか様子が変だ。

 顔は相変わらず無表情なんだが、態度がなんかおどおどしているって言うか……。


「とりあえず入れ。んな所な立ってねぇでよ」

「……うん」


 身体を起こしてベッドの上に座る。

 モユはスリッパを履くのを忘れたのか裸足で、歩くとペタペタと小さな足音が鳴る。


「で、どうしたよ? こんな時間に」


 モユはベッドの前で立ち止まって、顔を俯かせる。

 しかし、モユは口を塞いで喋らず、少しの間沈黙が流れた。


「なぁ、モユ。用があるなら早く言ってくんねぇか?」


 ついさっきまで寝る気満々だったので、再び睡魔がやってきた。

 このまま沈黙が続いちゃ、モユが喋るのを待ってる間に眠っちまいそう。


「……てほしい」

「ん? なんだって?」


 よく聞き取れず、モユに耳を向ける。


「……一緒に寝てほしい」

「………………え?」


 言われた言葉に思わず頭がフリーズする。

 予想外で想定外、奇想天外なモユの言葉に頭だけでなく身体もフリーズして固まる。


「ネルって……え、一緒にネルって何だ? 俺と同じベッドで睡眠を取るって事か?」

「……うん」


 なるほどなるほど。ネルってのは寝るって事で合ってた訳だな。

 ネルは寝るで寝るはネルで、ネル寝るネル寝……ってそれは一昔前に胡散臭いババァがCMやってたお菓子の名前だろ。


「待て待て待て、落ち着け俺。落ち着くんだ」


 まずは一息ついて落ち着こう。こういう時は深呼吸をするのがセオリーってもんだ。

 ひっひっふー。

 ……いや違う。これはラマーズ法だ。なにベタなボケをしてんだよ俺は。


 ある意味これもセオリーだけども。

 って変に脱線して余計な事を考えている時点で、自分がかなり焦ってるのが分かる。


「いやでも、寝てほしいって言われても……どうすっかなぁ」


 まだ小さいとは言えモユだって女の子なんだし、一緒に寝るってのは抵抗がある。

 いくら自分の生活だけで精一杯で他の事に疎いとは言え、一応俺も男だしね。

 いや、決して別に変な事をするって訳じゃないぞ。


「そうだ。俺じゃなくて深雪さんと寝たらどうだ? な?」


 それなら一気に問題解決。もし俺がモユと寝てた事が誰かしらにバレてみろ。

 理由は何であれ言い訳出来ない。

 速攻で俺は特殊性癖のレッテルを貼られてしまう。


「……」


 しかし、モユは無言で首を横に振る。


「あのですね、モユさん? そんな無言で見つめられても困るんですけど……」


 それにレッテルを貼られるのに加えて、他にも困る事がある。

 エドの野郎だ。あいつの耳に入っちまったらもう最後。絶対にここぞとばかりにイジってきやがる。

 あいつには何がなんでもバレる訳には……。


「――――ん?」


 一歩。モユは立っていた場所から一歩だけ踏み出した。

 そして、俺が着ているTシャツの袖の端を右手で掴む。


「モユ?」


 名前を呼んで掴んできた手を見ると、Tシャツを握る力が少し強くなる。

 小さな手で離すまいと、離れまいと。


「……静寂しずかな夜は嫌い」


 モユは目線は合わせず顔を俯かせ、小さい声で口を開いた。


「……暗闇くらい場所に一人で居るのも嫌い」


 普通だった。喋るモユの声は普段と変わらない。

 ――けど、どうしてか、なんでか。

 どこか寂しげな……まるで助けを求めるように。モユはそう言って、袖を更に強く握り締めた。


「はぁ、解った。しょうがねぇな。一緒に寝てやる」


 消え入りそうな位に弱々しく見えたモユの姿に、俺は断る事は出来なくなっていた。

 もし助けを求めるように見えたんじゃなく、本当に助けを求めていたのなら……断れない。断れる筈がない。

 多分それは俺だからこそ、頼みに来たんだろうから。


「……いいの?」

「いいって言うまでつっ立ってんだろ。ほれ、早くこっちに来い。俺は眠ぃんだから」


 ポンポン、とベッドを叩く。


「……うん」


 モユがベッドに乗ると、キシ……とベッドは音を立てる。

 一緒に寝てやるってのに、まだTシャツの袖は離さないのか、こいつは。

 ま、皴になったり伸びたりしてもエドからの借り物だから構わねぇや。


「さっさと寝るぞ」


 ごろっと横になると、モユも隣で寝転がる。ベッドは多少大きめだったってのもあるが、モユの身体が小さいお陰か二人で寝ても窮屈ではなかった。

 壁側に俺が寝て、その隣にモユが袖を掴んだまま寝るという形になり、掛け布団代わりの一枚の毛布をモユに掛けてやる。


「ふぅ」


 仰向けになり、天井を見上げて溜め息を一つ。

 毛布はモユにあげてしまったが、今は夏なので風邪をひくこともないだろ。

 一緒に寝るのを了承をしたものの……やはり落ち着かないってのが心情。

 まだ小さいとは言え、女の子がいきなり夜中に『一緒に寝て』なんて部屋に来られりゃ焦りもするっての。

 こういう時はあれだ、変に意識し過ぎると却って疲れるってのがオチ。だからさっさと寝ちまうのが一番。


「……匕」


 目を瞑った上に腕を乗せ、寝ちまおう寝ちまおうと頭の中でも何度も言っているとモユに呼ばれた。


「あん?」


 腕を避けて、首を曲げて隣のモユを見る。

 身体を横にして、こちらを向いていたモユと目が合う。


「……ごめんなさい」


 そして、突然謝られた。


「は?」


 いきなり謝られ、どう反応すればいいか迷う。

 それより、なんで謝られたかが全くわからない。


「なんで謝るんだよ?」


 ベッドの上に肘を立てて、その手の上に頭を乗せる。


「……さっき髪を乾かしてもらっている時に深雪から教えてもらった。迷惑を掛けたら、ごめんなさいって謝るんだって」

「深雪さんがねぇ……」


 そういや、昼間に謝った時も深雪さんに教えてもらってたな。

 ……多分、モユは知らなかったんだろうな。謝るって事を。

 SDCによってヒトとして造り出され、道具として扱われてたんだ。

 必要無いと思った事は全部教えないで、SDCに都合のいい事だけを教えられたんだろうよ。


「んで、それがなんで俺に謝るんだ?」


 深雪さんに謝るって事を教えてもらったのは分かったけど、それが俺に謝る理由じゃない。


「……迷惑掛けたから」

「迷惑って、俺にか?」

「……うん」


 モユは寝た状態で小さく頷く。


「……匕、私が部屋に来たとき困った顔してた」

「俺が困った顔?」


 ってどんな顔だ? 全然わっかんねぇ。

 それに困った顔と言うか、予想外のモユが来たから驚いた顔をしていたと思うんだが……。


「……うん。それを見て迷惑掛けたと思った。だからごめんなさい」


 モユは視線を落として、俺から目を離す。無表情ながら、申し訳なさそうに。


「安心しろって。俺ぁこれっぽっちも困ってねぇし迷惑だなんて思ってねぇぞ」


 左手で親指と人差し指で豆を掴むような手付きをする。その親指と人差し指の間には一センチも隙間が無い。

 この一センチも無い隙間がこれっぽっちの部分であるのは言うまでもなかろう。


「……本当?」


「本当だ。それにな、世の中にはもっと迷惑を掛けたのにも関わらず謝りもしねぇ奴もいるんだぞ。あ、ちなみにそいつの名前はエドってんだ」


 俺はあいつに何度騙され、使われ、遊ばれた事か。そのくせ謝られた事なんぞ殆んど無い。いや、殆んどじゃねぇ。全く無い。

 仕返しにと猫かぶった優等生面をバラそうとしても、あいつは女子に人気あるからそれを利用されて逆に俺が痛い目に会うっていうね。


「……エドって、確か昼間にいた金髪の人」

「そうそう。あいつにゃ気を付けろ。なんたって女たらしだから」

「……女たらし?」

「女なら誰彼構わずいい顔してるって事だよ」


 エドは女子だけじゃなくて男子とクラス全員……っつーか、学校じゃ誰にも優等生面だけどな。まぁ、女たらしってのはありがち間違いじゃねぇだろ。間違いだったとしても関係無ぇや。


「……うん、わかった。エドは女たらしだから気を付ける」

「おしおし、いいぞ。どんどん気を付けろ。あいつには気を許しちゃダメだ」


 ここぞとばかりモユに俺主観の情報を教え込む。

 世界には誰にも嫌われない人なんていねぇんだ。聖人じゃない限り、人間なら必ず誰か1人には嫌われてるもんだ。だからエド。お前はモユに嫌われちまえ。


「とまぁ、冗談はこれくらいにしておいて」

「……冗談?」

「あぁ、いやいや! なんでもない!」


 あぶないあぶない。今のが冗談……まぁ9割方事実で本気だが、それを冗談だと言ってしまったらモユに刷り込んだ事が無駄になっちまうところだった。


「なぁ、モユ。お前、静寂かな夜は、暗闇い場所に一人は嫌い……って言っただろ?」

「……うん」


 モユは俺の言葉に返事をして頷く。


「実はな、俺も嫌いだったんだ」


 自分の昔の事を話すのが何かこそばゆくて、はにかむように微笑う。


「……匕も?」

「あぁ。それも最近、ほんの二、三年前の話だぞ? 笑えるだろ?」


 驚きだったのか、モユは少しだけ目を見開いている。


「だからさ、俺もお前の気持ちが分かるんだよ。嫌いになった理由は別であってもさ」


 自分の昔話に恥ずかしさを感じて、誤魔化すようにモユの頭をくしゃくしゃと撫でる。撫でられるモユは嫌な素振りはしなかった。


「……私は、ずっといたあそこが嫌いだったから、嫌い」


 ゆっくりと口を開いて、モユか喋りだす。


「……だから嫌い。嫌いだから、嫌い」


 さっき、モユが一緒に寝てと欲しいと頼んできた時と同じ……どこか寂しげな声で。


「あそこ……?」


 撫でるのをやめて、モユに聞き返す。


「……私を造った所、私が生まれた所。私がずっといた、場所」

「それって――」


 モユがここに来る前にいただろう、S.D.C.の拠点だと思われる場所。そこにはテイル、そしてコウが、先輩がいるだろう。


「……私が目が覚めた時は真っ暗だった。微かな光で自分の手元がようやく見えるだけ。他は何も見えない。周りは本当に真っ暗で、闇が広がるだけだった」


 淡々とモユは話をしていく。


「そして、後から気付いた。自分が筒状のガラスの中に入っている事に」

「筒状のガラス……」


 モユはSDCによって造られたと言っていた。なら、それは恐らくモユを造る為の道具、装置等。

 筒状って事は巨大な試験管って事だろうよ。


「……何も聞こえない。何も見えない。何も解らない。ずっとただ、私はそこにいた。どれだけの時間、そこにいたかも覚えていない」


 モユは猫のように小さい身体を丸める。


「……だから嫌い。それを思い出すから嫌い。静寂ずかなのも暗いのも。闇が、全部が嫌い」


 まるで見えない何かから自身を守るように、逃げるように、怯えるように。

 そう、まるで――――子供が泣くように。


「俺はな、モユ。自分で言うのもあれだけど、ガキの頃はこんなに喋んなかったし、友達だっていなかったんだぞ」


 笑ってモユに話をし始める。別にモユに同情したって訳じゃない。いや、全くしていない訳ではないが。

 ただ、モユは自分の過去を話してくれたのに、自分は話さないのはズルイと言うか……なんか気が引ける。

 そして何より、トラウマであろう話をしてくれたのは、それだけ俺に心を許してくれているんじゃないかと思ったから。


「しかも、お前に似てる部分があったりしてな」

「……私に似てた?」

「それも、かなりな」


 無口だったり、表情が乏しかったり、人当たりが悪かったりな。


「……アイスが好きだったの?」

「違う、そこは違う。なんで似てるってのをアイスに繋げるんだよ」


 と言うか、やっぱお前アイスが好物だったんだな。今更感はあるけど、モユの口から好きだって初めて聞いた。


「……違うんだ」


 なぜそこで悲しそうな顔をする。そんなにアイス好きだったら嬉しかったのか?


「それでな。その頃はまだ静寂かな所や、暗い所に1人でいても全然平気だったんだ」


 隣にいるモユを昔の自分と重ねて話を続ける。


「いや、気付いていなかった。知らなかったんだ」

「……知らなかった?」

「解らなかったんだよ。それが哀しい、寂しいって事に」


 ガキん時の俺は、時間さえあれば親父に古舞術の修練をされていた。休みの日は勿論、学校が終わった後も。だから夏休みや冬休みなんていつもと大して変わらない。

 そのせいで友達が出来ず、遊べず。誘われても修練があるから毎回断る。だから、誘ってくれる事も誘ってくれる人も自然といなくなった。

 誰も俺に話し掛けてこなくなり、話す事もなくなる。そうして感覚が麻痺していく。誰とも話さない。誰とも接する事がない。誰とも関わらない。

 それが段々と当たり前になって、何も思わなくなる。

 哀しい事を哀しいと、寂しい事を寂しいと。当たり前だから何も感じない。だから、哀しいと分からなかった。寂しいと知らなかった。


「そんな情況が長い間ずっと続いた。何年も」


 ずっと感覚が麻痺したまま、何も感じなくなったまま。あの頃は笑うって事をしていなかった。笑い方も忘れていた。


「そして、俺が小学2年になった時に出会ったんだ」


 左手を胸にやり、服の上から握り締める。いつも肌身離さず付けている物を。


「――――凛に」


 ネックレスに付いた水晶に。凛の……形見に。


「……リン?」

「あぁ。俺の大切な人だよ。とても大切で、大事な……」


 握り締める力が強くなる。思い出して雨が降ってしまいそうだった。人が流す、大粒の雨が。

 俺は雨が嫌いだから、嫌いな雨が降らないようにと堪える。


「……匕はアイスよりも、その人が好きだったの?」

「……あぁ、すごく好きだった。でも今は遠くに行っちまって、長い間会っていないけどな」


 会える訳が無い。こうして俺は、形見を手にしているんだから。あまりに遠く。遠くて遠くて、遠すぎる所へ言ってしまった。


「凛と出会ってから、俺は少しずつ変わっていった。他の奴は愛想の悪い俺から離れていったのに、物好きなあいつはいつも俺に話し掛けてきてくれた……」


 出稽古先や、学校の帰り道で会ったらいつも。俺から話し掛けた事も無かったし、当然一緒に遊んだ事も無かった。

 凛が話し掛けてきても俺は相づちを打つだけか、時には無反応だった時もあったりした。それでもあいつは、凛はずっと俺に構ってきた。

 ――――友達だからと。


「気付けば、俺は凛と普通に話をしていた。ずっと笑わなかった俺が、笑い方を忘れていたと思っていたのに……凛の前では自然と笑って話をしていたんだよ」


 今思えば、凛の粘り強さに根負けしちまったのかもな。


「……その凛って人、不思議な人」

「不思議って言うか、物好きなんだよ」


 あんな自分でも相手にしたってつまらないと分かるガキの頃の俺を、友達にするなんて物好き以外のなんでもない。


「いやまぁ、不思議ってのも合ってるかもな。明るくて前向きで、しっかりしてるクセにどっか抜けてたりして……俺とは違って友達も沢山いて、人気も、あって……」


 喋っている途中に言葉が詰まり、声が震える。


「……匕?」


 モユに呼ばれ、我に返る。話をしている間に昔を、凛の事を次々に思い出して視界がぼやけていた。


「あぁ悪い。なんでもない」


 左手を額に当て、ぼやけた視界を遮り、モユに見られないように隠す。

 嫌いな雨が、降ってしまわないように。


「小学校高学年になった頃には、時間が合えば一緒に学校から帰ったりするようになってさ」


 降りそうだった雨を抑えて、普段通りを装う。


「遊べる事は無かったけど、すごく楽しかった。帰り道に話をするだけで、俺は十分だった」


 何事も無かったように、俺は話を続ける。


「そして中学生に上がってから気付いたんだ。俺は凛と話をするのが楽しかったんじゃなくて、一緒にいるのが楽しかった、嬉しかったんだ……好きなんだ、って」


 モユは静かに、耳を傾けて聞いてくれている。


「他にも、俺が凛に憧れていた事にも気付いた」

「……憧れ?」


 憧れという、話の流れで予想出来なかった言葉が出てきてモユは不思議に思う。


「あぁ。俺が持っていなかった、欲しかったものを凛は全部持っていたんだ」


 凛と接して、話をして、俺の麻痺して凍っていた感情が段々と溶けていって気付いた。

 俺は、俺の感情が凍ってしまう前の俺は……ずっと友達が欲しかったと、周りと一緒に楽しく遊びたかったんだと。

 それに気付いた俺は、その欲しかったものを全部持っていた凛が惹かれていた。嫉妬をも覚えていたかもしれない。

 けどそれ以上に。俺は俺の出来なかった事、欲しかったものを自然と持っていた凛が羨ましくて、眩しくて――憧れた。


「凛がいたから、凛と出会ったから今の俺がいるんだ。さっき言っただろ? 昔の俺はモユと似てたって」

「……うん」

「お前と同じで殆んど喋らなかったのが、今じゃこんなんだ。信じられるか?」

「……ううん」


 枕に頭を乗せたまま、モユは首を振る。


「だろ。俺もそう思う」


 俺は苦笑いをして返す。あの頃の俺からは今の俺は全然予想がつかない。想像すらしていなかった。


「でな。そんな色々な気持ちに気付いて、中学1年の冬から付き合い始めたんだ。凛と」

「……付き合う?」

「凛が俺の彼女になって、俺が凛の彼氏になったんだよ」


 いつの間にか外から聞こえていた鈴虫の鳴き声が消え、部屋には俺の喋り声だけになっていた。


「その頃もまだ、暇さえあれば親父に修練をされていたけど……部活があるって嘘を吐いて遊びに行ったりしてさ」


 中学になって俺は一応空手部に入った。親父に他の武術を習ういい機会だ、と言われて。初は面倒臭さを感じていたが、それを利用して遊ぶ時間を作れたから感謝している。

 部活が無い日に、部活だからと偽って遊びに行くのは何も言われなかったが、部活があるのにサボって遊びに行った時は凛に怒られた事もあったり。

 俺と違って、凛は結構真面目な所があった。

 嘘を吐いて遊んでいた事には内心あまり良く思っていなかったが、俺の家庭事情を知っていた凛は大目に見ていたらしい。


「楽しかったな、すごく」


 それが生涯初めての遊びだった。中学になってから初めての遊び、初めてのデート。

 二人で出掛けたはいいけど、今まで遊んだ事の無かった俺は何をしていいのか、何をすればいいのか分からなかった。

 本当、あの時は自分が情けなくてしょうがなかった。けど、凛はそんな俺の手を引いて笑って言ったんだ。


『固く考えなくていいよ。何も考えないで遊ぶのが遊びなんだから』


 それを聞いて、何をしようか、どうしようか考えていたのが馬鹿らしくなって。気付いたら笑っていた。凛にまた、笑わされていた。


「月に一、二回程度だったけど、それから都合が合えば2人で出掛けたりした。買い物に付き合ってやったり、適当に町をブラついたり、公園のベンチでアイス食ったり」

「……アイス?」

「まぁ、アイスだけじゃないけどな」


 なんでこうもお前はアイスという言葉には食い付きがいいんだか。

 あと、デートで遊ぶ金には困らなかった。部活に行くと言ってあるから、当然親から貰える筈などない。

 俺は定期的な小遣いを貰ってすらいなかった。クソ親父の野郎が必要無いとか言いやがって。だけど、小学の辺りからたまに母さんが親父には内緒でこっそりくれていた。


 他に、俺の家は親戚付き合いが結構深く、正月には親戚の家を回ったりしていた。その時にお年玉なんかも貰う事もしばしば。

 それらを中学まで使わずに貯めていたのがあったから助かった。

 一緒に遊びに行ったり、買い食いする奴なんかがいたら貯めずに使っていたんだろうけど……何度も言った通り、俺には友達という友達はいなかった訳で。


「この辺りと比べたらショボい町だけど、遊びを知った俺からすれば十分だった」


 ほんの少し前まではつまらなかった、何も感じなかった町が変わって見えた。

 いや、違う。町が変わったんじゃなく、俺が変わった。だから周りの見え方も変わっただけだった。


 真っ白だった視界には色が塗られ、無音だった世界には風が聴こえ始める。

 味気の無かった匂いは刺激を感じ、閉じたままだった声は見えない形を作る。

 そして――――ブリキだった心はネジが外れ落ち、凍っていた表情は溶けていく。

 ずっと面白さもつまらなさも無かった世界が、がらんと変わった。


「それからは毎日が楽しかった。凛に会えない日もあったけど、それでも凛に出会う前の日々に比べたら遥かにマシだった」


 周りの見え方が変わっただけで、自分の感じるものも、感じる事も変わった。


「それにまぁ、会えなかったとしても携帯電話でメール出来たしな」


 何の間違いか、それとも奇跡か。凛と付き合い始めて間もなく、俺は携帯電話を持たされた。しかも親父からだ。

 携帯電話を与えられる前の連絡手段は、凛と直接会って話すか、親の目を盗んでこっそりと家電を使うかの二つだけ。

 そんな時に携帯電話が手に入りゃ、驚喜乱舞する勢いだった。


 だけど、あの親父が俺に携帯電話を持たせるなんて怪し過ぎると思っていたら案の定、部活で家を出る時間が増えた俺をすぐに捕まえられるようにする為だった。

 よく部活が終わりそうな時間を見計らって電話を掛けてきて、部活が終わり次第家に帰らせて修練をさせるのが目的だったと知った時は呆れた。

 それをしょっちゅう無視して凛と会っていたのは言うまでもない。だってその時しか家から抜けれねぇし。


 ちなみに、当時の携帯電話の電話帳に登録されていた数は五つ。

 凛、母さん、クソ親父、家の電話、そして空手部の部長。

 部長のは部活での連絡用として教えただけで、プライベートで連絡する事は無かった。

 凛と出会って笑えるようにはなったけど、相変わらず友達と呼べる奴は一人もいないまま。

 小学生ン時のイメージが周りに広まっていて、すでに周りから声を掛けられる事すらなくなっていたからな。

 だから中学になってもそのまんま。それでも、俺は凛がいるだけで十分だった。


「一緒に帰り道を歩いて喋ったりして、笑い合って遊んだり。本気でケンカした事も何度かあったな」


 それも俺が感情を表に出して笑ったり喋ったり出来るようになったからこそ。

 凛とケンカ出来たのも、凛のお陰。


「そんな楽しい日がずっと、続くと思っていた。続いて欲しかった……」


 でも、夢のみたいに楽しかった時は、本当に夢だったんだと言うように終わりを告げた。いや、夢は覚めたんじゃなく、始まったのかも知れない。

 夢は夢でも、悪夢が。


「だけど、それが終わってしまった……」


 何の前触れも無く、急に、いきなり、突然、壊された。壊されちまった。

 忘れもしない、あの日。俺と凛が付き合い始めて一年以上が過ぎた、あの夏の日。

 デートの待ち合わせ中に、凛は通り魔に会って殺された。

 俺がほんの十分、部活が長引いて待ち合わせ時間に遅れて着いた時には、待ち合わせ場所に凛はいなかった。

 通り魔から逃げたんだろう。待ち合わせ場所から離れた場所で、凛を見付けた時は無惨に変わり果てていた。


「……凛って人、さっき言ってた遠くに行ったの?」

「あぁ、そう。遠くに行っちまったんだ」


 見る事も、触れる事も、話す事も出来ないくらい遠く。唯一出来る事は、思い出すだけ。

 そして俺は、自分を責めた。

 待ち合わせに遅れて凛を1人にさせたせいで殺されてしまったんだ、俺が凛を殺したんだと。


「それからだよ。俺が静寂かな夜や、暗い場所が嫌いになり始めたのは――――」


 母さんに連れられ、凛の葬式には出はした。だけど、俺は凛が死んだ事が信じられず、認めようとしなかった。

 現実から目を背けて、凛の死を受け入れないで。しかし、それも長くは続かない。

 学校に行けば突き付けられる事実と現実。

 いつものように行っても、いつもとは違う学校。朝礼で担任が話す雑音。凛の教室にある、花瓶を添えられた一つの机。

 俺を見て同情する者、ひそひそと噂話をする者、遊び半分にからかってくる者。


 そして、学校の帰り道。しっくりこない、隙間の空いた右隣。

 全てが現実なんだと、突き刺すように俺へ向けてくる。


「嫌いになってからはずっと、一人で怯えてた」


 自分が待ち合わせに遅れたという責任感と、自分が殺したんだという罪悪感。

 その二つに押し潰され、俺は部屋に閉じ籠もって周りとの接触を絶った。

 部屋から出ないで学校にも行かず、何年もの間習慣になっていた親父の修練もせず。

 部屋の中で布団に包まり、何もしない。凛がいなくなった事を認められず、受け入れられず、信じられずに。


「昔は平気だった筈なのに、その時は凄く怖くて……昼だろうが夜だろうが、明るかろうが暗かろうが関係なく、怖かった」


 そして、怯える日々を送る中で俺は気付いた。

 前は静寂な所も暗い所も平気たったのが嫌だと、これが怖いと。

 それらが全て当たり前になっていて知らなかったんだ。


 だけど、凛と出会って色んな事、色んなを物を知った。気付かせてくれた。

 その気付かせてくれた凛が、俺の静寂かだった場所を賑やかにした音で、暗かった場所を明るくしてくれた光だった事に。

 凛を失った俺は無音無声の真っ暗闇に突き落とされたのと同じ。だから、静寂かで暗い場所にまた戻った時は怖くて怯えるしかなかった。そこに居たくなかった、逃げ出したかった。

 そこは――――凛が死んだという現実の中だったから。


「っと、悪い。ちと暗い話になっちまったな。ここいらで止めとくか」


 しんみりしてしまった雰囲気を振り払おうと、苦笑いをする。でも、あの頃の俺は本当に死んでいるのと同意だった。

 ただ一日を何もしないで過ごし、食べ物さえろくに口にしない。

 心配して様子を見に来る母さんにも、怒鳴り散らしてブン殴ってくる親父にも無反応。クラスの担任が来てもお構い無し。

 霞ちゃんが来ても、言わず聞かざる動かざるだったしな。


「今思い返しても、あの頃は自分でも酷かったなぁ」


 死んでいるのと同意だって言ったけど、あの状態が続いていたら本当に死んでいたかも。


「……でも、匕はどうやってまた静寂かな所や、暗い所が平気になったの?」

「ん? んー……まぁ、その話はまた別に機会があったらな。それに平気になったと言うか、耐えられるようになった。ってのが正しいかな」


 嫌だってのは今も変わらない。でも、耐えられるようになったってのは平気って事にもなるのか? まぁ、それでもまだ嫌なのは嫌なまま。


「それに今は、暗い所にいても暗中模索で必死だし」


 何が目的なのか、何をしたいのか解らないS.D.C.。

 それに生き残り、もう一度光を戻す為……凛を生き返らす為に、俺は何も見えない闇の中を藻掻いている。

 いや、もしかしたら藻掻いているのではなく、踊らされているのかも知れない――――――SDCに。


 それでも俺は、それに縋るしかない。当然、藻掻くのを止めるのも。

 先輩を助ける事も、凛を生き返らす事も出来なくなる。それだけは絶対に、諦めない。


「……アンチュウ、モサク?」


 少し難しい言葉だったか、モユは首を傾げている。暗中模索の意味を知らなかったみたいだ。


「暗中模索ってのは、真っ暗闇で何も見えない中で、がむしゃらに手さぐりで探すって意味だ」


 多分、これで合っている……よな? まぁ、完全に間違っているって事はないだろ。


「……真っ暗闇じゃ、何も見えないから何も見付からないと思う」

「そう思うか?」

「……違うの?」


 きょと、とモユは大きな目を丸くさせる。


「そりゃ最初はなんにも見つからなかったさ。だけど、途中からある事に気付いたんだ」

「……なに?」

「真っ暗闇で何も見えない中で、唯一見付けれた物があるんだ。それは――――」


 左手の人差し指で、ちょいちょいと下を差す。


「地面があるって事」

「……地面?」

「そう、地面。何も見付からないとがむしゃらに探している中で、俺は自分が立っているのに気付いた」


 立っている時も、四つん這いになった時も、足や膝を着く地面があった。目で見えなくても、しっかりと足で踏み締めて。


「それは立っているのが自然な事で気付くのが遅れたけど、地面がある事に気付いた時は凄く嬉しかった。地面があれば俺は立っていられる――――歩いていける」


 下を差していた手を開いて、その自分の手の平をジッと見つめる。


「地面が無かったら、その場で藻掻くだけしか出来ない。だけど、地面があれば何も見えなくても進む事は出来る。その先が真っ暗で何が起きるか、何があるか分からなくても前にだけは進める……ってさ」


 そして、見えない何かを掴み取るように、力強く握り締める。

 何も見えなくても、何も見付からなくても、前に進む事が出来ればいつかは何処かに辿り着くだろうと、俺は真っ暗な中を今まで頑張って歩いてきた。

 存在、目的、黒幕。全てが闇に包まれたSDCの中を。

 その先には光が待っているのか、それともただひたすら、延々と終わり無く闇が続いているのか――――。


「って、ちょいと真面目に話し過ぎたな」


 しかも、考えてみた滅茶苦茶臭い事をペラペラと喋ってた。


「エドに聞かれてたら、絶対ェ爆笑しやがる」


 あいつが腹を抱えて笑いまくってる姿が容易に想像出来る。似合わないとか柄でもないとか言いながら、おちょくってくるのもな。

 俺が勝手に想像しているとは言え、相変わらずムカつく奴だな、あいつは。


「にしても、考えてみたらこんなに昔の事を話したのは初めてだな……」


 話すのは勿論、思い出すだけで嫌な気分になるから誰にも話そうとはしなかった。一番仲が良かった先輩にだって話した事はない。

 唯一喋ったのは、沙夜先輩に殆んど省略してちょろっと話した程度。ここまで深く話すのは初めてだった。

 今まで過去の話はしなかったし、これからもする事は無いと思っていたけど……モユにこんな話しちまうとは。

 昔の自分と似てるからって自分投影し過ぎちまったのかね……。


「はぁ……」


 まぁ、喋ってしまったのはどうしようもない。それに今回のは自分から喋った訳だし。

 だがしかし。俺の過去の話は当然、さっきの臭い話も誰かに話されてはならねぇ。だって恥ずかしいもんよ。


「なぁモユ。悪いけど、さっき話した事は全部内緒にしてくれ」


 モユは分からない事はあっても、言われた事はちゃんとするタイプだからな。昼間、白羽さんの質問に答えてくれていたし、飯のコンビニ弁当だってちゃんと残さず食ったてたからね。

 こうやって口止めして置けば誰かに漏れる事もないだろう。


「……」


 しかし、モユから返事がこない。


「モユ?」


 天井を見ていた視線をモユに向けると、モユはいつの間にか静かな寝息を立てていた。


「んだよ、寝ちまってたのか」


 けど、こりゃラッキーかも。モユが寝たんなら、こっそりと部屋から抜け出せる。

 大広間のソファで寝れば、モユが俺の部屋で寝てても一緒に寝た訳じゃないからいくらでも言い逃れ出来る。

 モユには悪い気がするけど、この歳になった俺は静寂かな中で一人で寝るより、今この状況を誰かに見付かる方が怖いんです。


「よっこらせ」


 上半身を起こして、静かにベッドから降りようとすると、右肩に違和感を感じた。

 右肩が何かに引っ張られるような感覚。


「ん?」


 見ると、モユがTシャツの袖を掴んでいた。


「まさか、ずっと掴んでいたのか……?」


 部屋に来て掴んでから、俺が話をしていた時もずっと?

 全然気付かなかった。まぁ、頬杖をして動かしてなかった方の腕の袖だしな。


「しょうがねぇな、ったく」


 モユを起こさないように、そーっと袖を掴んでいる手を離させる。


「って、あれ? んなくそ! ほっ!」


 あれ、外れないぞ? 全くモユの手が離そうとしてくれないんですが?


「……ん」


 っとぉ、ヤバイ。少し力を込め過ぎた。強く外そうとすると起こしちまう。

 しかし、まだモユは気付かずに寝ている。ワンスモア。


「起きるなよー」


 願うように極小の声で呟きながら、再度モユの手を離すのを試みる。

 ゆっくりと、そっと、今度は指を1本ずつ離していこう。


「ぐっ! くぬっ!」


 一点集中型攻略法を以てしても、モユさんの握られた手は全く形を変えない。


「ん、んん……」


 小さい声を漏らして、モユは微かに身体を動かす。


「うわっとぉ、ヤバイヤバイ」


 直ぐ様、モユの手から手を離す。離したいのは俺のじゃなくてモユのだってのに……。

 モユは何事も無かったように、起きずに睡眠を続けている。

 起こさなかった事に安堵して肩をがっくり落とし、心の中で溜め息を吐く。


「結局、一緒に寝なきゃいけない?」


 横目で見ると安らかな寝息をたてているモユ。

 そして、ひしっと握られている俺のTシャツの袖。

 モユに一緒に寝てと頼まれた時、軽くテンパって深呼吸をしようとしてラマーズ法をして自分でベタだと突っ込んでいたけど……。


 こんなオチの方がベタじゃねぇか、コンチクショーッ!!


 なんて声を出して叫べばモユを起こしてしまうんで、虚しさを感じながら心ん中で叫んでみた。

 その叫びは無情にも、自分の心の中だけで響き渡るだけで、すやすやと寝息を立てるモユの心に届く事は無かった。



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