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No Title  作者: ころく
16/85

No.15 ヒトと、禁器と

今回の話は特に長いです。え? いつもと変わらない? ですよねー。

「さて……聞きたい事は山程あるが、順を追って話そうか」


 白羽さんは椅子に深く腰掛け、足組む。


「咲月君、彼女は一体どこで見付けたんだい?」

「見付けたのは屋上で。サボって上から学校の敷地を眺めていたら、中庭にいるのを発見したんだ」

「ふむ、学校の中庭に……?」


 白羽さんは一言呟いて口元に手を当てる。


「モユ君、と言ったね? 君はなんで学校の中庭なんかに?」

「…………」


 白羽さんがモユに話し掛けるも、先程の深雪さん同様にモユは知らん顔をして何も話さない。


「モユ」


 そこへモユに声を掛ける。真剣な面持ちで。

 白羽さんと深雪さんには反応を示さなかったモユだが、俺にはしっかりと顔を向けて反応する。


「話してくれ」


 真っ直ぐに目を見て、モユに頼む。出た俺の声は普段よりも多少小さかった。だが、その声にはどこか、見えない重みがあった。


「……さじに会う為に、あそこにいた」


 俺の頼みが届いてか、モユは白羽さんへ顔を向けて口を開く。


「咲月君に?」

「……うん。あそこに行けば、匕と会えると思った」


 こくりと一度頷いて、モユは白羽さんの問いに答えていく。


「咲月君に会いに来た、というのは分かったが……なぜ学校の中庭なんだい?」


 学校の中庭という、なんの関係もなそうな場所に白羽さんは不思議な顔をする。


「それは多分、俺とモユが初めて会ったのがそこだったからだと思う」


 質問にはモユではなく、俺が答えた。それは予想と言うより、確信に近かった。


「あの時も今日みたいに屋上でサボってて、モユを見付けたんだ。初めは子供がいるなんて珍しい、程度にしか思わなくて、無視するつもりだった。だけど……」


 横目でモユに視線を向ける。


「この無愛想さとか、人当たりの悪そうな所とか……そういう所がガキの頃の自分にそっくりでさ。気付けば声を掛けちまっていた」


 相変わらず表情の変わらないモユを見ながら、自分に呆れた笑いを小さく零す。


「なるほどね。だから咲月君は、モユ君の事を知っていたのか」

「あぁ。だけど、別に隠していた訳じゃない。ただモユがSDCに関係しているとは知らなかったんだ」

「それは解るっているよ。昨日、話をしていた時の様子を見ればね」


 そう言い、モユの事を話していなかった事を、白羽さんは全く気にする素振りを見せない。


「しかし、初めて咲月君と会った時は何故、モユ君は学校の中庭なんかにいたんだい?」


 白羽さんは俺からモユに視線を移して、再び質問を始める。


「……言われたから。ここに来るようになるから、今の内に見回っておけって」

「その“来るようになる”というのは……SDCの事、だね?」

「……うん」


 そして、次の言葉を口から出す時、白羽さんの目が鋭くなる。


「それを指示したのは……テイルか」

「……うん」


 そんな白羽さんに対しても、モユは表情1つ変えずに答えていく。


「やはり、そうか」


 椅子の背もたれに背中を預け、目を閉じて小さく息を吐く。そこで会話が一旦会話が止まり、部屋には静寂が流れる。

 白羽さんとモユの会話を、俺は冷静に聞いていた。

 初めて会った時に可笑しく感じた幾つかの点が明らかになり、俺は俺で頭の中を整理していた。


「質問を続けよう。モユ君が咲月君に会いに来たのは分かった。では、君はどこから来た?」

「……どこから?」

「そうだ。君は一体どこから咲月君の通う学校に来たのかな?」


 白羽さんは閉じていた瞼を開け、質問を再開する。


「そうか、そうだよ……モユ、お前一体どこから来た!?」


 その質問の意味を理解した俺は、声を荒げながらモユに聞く。

 モユがどこから来たのか。それが分かれば、状況は一気に変わる。

 モユがいた場所。そう、それはつまり……テイルの、SDCの拠点であろう場所。それはテイルの居場所、そしてコウがいる場所でもある。


「……わからない」


 しかし、見えてきた希望はすぐに消えた。モユは少しだけ頭を下げて、呟くように答える。


「それは……どういう事かな? 君は自分の意思で咲月君の所へ来たんだろう?」

「……だけど、わからない」


 モユは顔を下げたまま答えていく。


「……いつも移動する時は車に乗せられて、どこへ行くかもわからない。今日も目が覚めたら車の中にいた」

「車、か」


 ふむ、と白羽さんは顎に手を当てる。


「……車の窓から見覚えがある景色が見えたから、匕に会いに行った」

「見覚えのある……それはどの辺りかな?」

「……この間の、神社の近く」

「あの辺りか」


 白羽さんは顎から手を離し、今度は腕を組む。


「車のナンバーは分かるかい?」

「……ナンバー?」


 モユはナンバーが何か分からなく、小さく首を傾げる。


「では車の形は?」

「……わからない、覚えていない。でも、色は黒かった」

「黒、か。色だけでは探すのは難しいな……。それに、さすがにもう神社付近にはいないだろう」


 袖を捲り、白羽さんは左手首に付けていた腕時計を見る。学校でモユを見付けてから、1時間近く経っていた。


「……モユ君、君は目が覚めたら車の中に居たと言ったね?」


 白羽さんは何かに気付き、モユに先程聞いた話の再確認する。


「車内には誰か他に人はいなかったのかい?」

「……うん。私以外、誰もいなかった」

「ふ、む……」


 組んでいた腕を解き、再度顎に手を添える。そして、何やら深く考え込む。


「あの、白羽さん?」


 会話を止め、急に黙り込んで考え込んでいる白羽さんが気になって声を掛ける。


「どうも可笑しい」

「え?」


 白羽さんは腑に落ちない、と言った表情をする。


「モユ君はSDCの裏目的である人体実験の被験者だ。それも、あのコウと同じく外へ出して行動させる程の人材の筈……やはり、可笑しいな」


「いや、白羽さん。言ってる意味がよく解んないんだけど……」


 一人で話を進めていく白羽さんの話す意味が、いまいちよく理解出来ない。


「鍵の掛かっていない車、見覚えのある神社の近く、そしてモユ君以外には誰もいなかった」


 考え込んでいて落としていた視線を戻しながら、白羽さんは俺をゆっくりと見る。


「まるで、そうなるよう仕向けているように思えないか?」

「――――ッ!」


 その言葉を聞いて、目を見開く。


「じゃあ、モユはわざと逃げ出させたってのか!?」

「そうという確信はないが、あまりに不審な点が多すぎる」


 声を荒げている俺に対して、白羽さんは冷静に答える。


「モユ君が簡単に車から出られた所を見ると、普通の乗用車と変わらない型の鍵……もしかしたら、鍵なんて掛かっていなかったのかも知れない。もしモユ君が勝手に車から出ないようにするなら、内側からは開けられなくする、または特殊な鍵にしている筈。指紋認証とかね」

「そうね……言われてみればそうだわ」


 白羽さんの後ろに立っていた深雪さんが、話を聞いて納得する。


「それに、車の中にモユ君以外にいなかったというのも可笑しい。車で移動してきたのなら、運転手がいる筈だろう? そして、実験体の監視をするテイル。つまり、最低二人はいた筈だ」

「……テイルは人体実験用の人材を探しに行っていた、とかは?」


 俺も車に誰もいなかった理由を少し考えて話す。


「その可能性は低いだろう。人材はSDCで見つけている筈だからね。それに、奴は主に人目の少ない夜中に行動を起こす。第一、それなら運転手が残っている筈だろう?」

「あ、そうか」


 しかし、思い付いたのはすぐに否定されてしまう。


「……運転はいつも、テイルがしていた」


 白羽さんに聞かれた時だけしか話さなかったモユが、初めて自分から話してきた。


「それは本当かい?」


 白羽さんが聞き返すと、モユは小さく頷く。


「ではテイルだけしかいなかったという可能性も出てきたな……なら尚の事、可笑しすぎる」


 目を鋭くして、白羽はテーブルの上にある、自分のコーヒーカップを睨む。


「なぜ、モユ君を連れ出してきた……?」

「コウみたいにリハビリ、とか?」

「神社での出来事があって間もないのにかい? 普通なら、何日か様子を見ると思うけどね」

「あ……」


 確かに。普段は無口なモユが、喚き叫ぶ程に錯乱していた。それを注射で抑えたとは言え、かなりの不安定だった筈。それをこんなに早く外へ出す理由がない。


「それに、もし咲月君が言う通りリハビリが目的だったとしても、わざわざ私達に出会う可能性のある所に連れてくる利点が無い。やるなら別の場所にする筈だろう?」

「言われてみれば……」

「しかも、今日は夜中ではなく昼間にモユ君を連れ出している。コウの場合は、夜にしかリハビリを行っていなかったのに、だ」


 そうだ……コウがリハビリを行っていたのはいつも夜だった。初めてS.D.C.で会った時も、河川敷でランニング中だった時も、神社で戦り合った時も。全て夜。

 白羽さんの言う通り、人目の多い昼に連れ出すのは不自然だ。デメリットこそあっても、メリットが全く無い。

 初めてモユと会った時は、S.D.C.に出る時の為に、学校の敷地内を覚えさせるのが目的だったのだから昼間だったのは分かる。

 だがやはり、今回のは可笑しな点があり過ぎる。


「更に考えてみれば、本当に偶々、テイルがその場から離れていたとしよう」

「モユが車から降りた時にか?」

「そうだ。神社付近から咲月君の学校まで歩いて行くとしたら、いくら時間が掛かるかな?」

「そうだな……大体十五分から二十分の間くらいだと思うけど」

「うん。だけど、君や私と違って歩幅が小さいモユ君は倍近く時間が掛かるだろう。その間、テイルが全く気付かないと思うかい?」

「っ! そうだ……確かに、そうだ」


 俺が学校まで掛かる時間を単純に倍にすれば約三十分。その三十分もの間、モユが車から降りていなくなったのにテイルが全く気付かないというのは可笑しい。

 まだ幾らか不安定な部分があるにせよ、街に連れ出せる程の人材は貴重な筈。

 なのに、三十分も……いや、俺がモユを見付けて白羽さんと合流するまでを入れると、優に三十分は越える。

 それほどの間、モユを放っておくような事をするか……?


「やはり、奴はわざとモユ君を手放したのか……?」


 テイルの意図を掴めず、それをまるで遊ばれているように感じた白羽さんは、多少ながら苛立ち覚える。


「でも、一体何の為に? 私達の居場所を突き止めるのが目的でしょうか?」


 立ったまま姿勢を崩さず、深雪さんが白羽さんへと聞く。


「いや、それはないだろう。学校からここへ戻って来る間、ずっと辺り読感術で探っていたが、奴の気配は全くと言っていい程無かった。気配を消していたとしても、奴の雰囲気は嫌でも分かるからね。それに、警戒して何度か迂回して来たけれども、追尾してくる車も人もいなかった」

「そうですか。なら、なおさら目的が解りませんね……」


 深雪さんは表情を険しくして腹の辺りの高さで腕を組む。


「思ったんだけど、モユに発信機とか盗聴器が付けられてる。って事はねぇかな……?」

「ふむ。奴がそんな回りくどい事をするとは思えないが……念の為、一応調べておいた方がいいか」


 白羽さんは振り向き、後ろに立っていた深雪さんを見る。


「深雪君、頼む」

「はい」


 白羽さんが目で合図すると、深雪さんはモユの隣へと移動する。


「ごめんね、モユちゃん。一回立ってもらえるかな?」


 屈んで椅子に座るモユの視線の高さに合わせて、にこりと笑う。


「…………」


 しかし、モユは口を閉じて深雪さんに返事をしないが、無言のままモユは言われた通りに椅子から立ち上がった。

 そして深雪さんは、モユが来ている冬服の制服を調べ始める。袖の内側、スカートのポケットの中、襟の裏。さらには髪を結んでいるリボンまでもを。


「どこにもそれらしい物は見当たりませんね」

「そうか、有り難う。すまなかったね、モユ君。もう座ってくれて構わない」


 白羽さんがそう言うと、モユはまた無言で椅子に座る。


「テイルがモユ君を手放したのが故意であるか無いかは、今は判断する事は出来ない。だが、奴がどんな目的があったにせよ、これは少なからず私達には好都合ではある」


 白羽さんは腰を少し浮かせて椅子に座り直す。


「SDCの裏……本当の目的が知れるチャンスだ」


 組んでいた足を解いて、両膝の上に肘を置く。

 そして、部屋のドアから誰かがノックした音が聞こえてきた。


「うん?」


 ノック音が2回してからドアが開き、黒い制服を着た一人の少年が入って来た。言うまでもなく、それはエドだった。


「すいません、遅くなりました」

「いや、全然構わない。本題には今から入る所だったからね」


 エドは軽くお辞儀をしたあとに、俺が座る椅子の右隣へ歩み寄る。


「ほらよ。頼まれてた忘れ物だ」


 持っていた鞄を膝の上に投げて渡される。


「おぉ。あれ、靴は?」

「ここに持ってくる訳にはいかないだろ。入り口の靴棚に置いておいたよ」

「あぁ、そか。悪ぃな」


 ずっと膝の上に鞄を置くのも邪魔くさいので、椅子の横の床に置いておく。


「この子が、あの例の少女か……」


 エドはモユをまじまじと興味深く見る。

 そんなエドをガン無視を決めて、モユはエドに見向きもしない。


「見た目は至って普通の、そこいらにいる子供と何も変わらないな。とてもコウと同じ実験体とは思えないが……」


 そう言うエドの言葉の中には、とてもじゃないが信じられないな、と言っているようだった。


「で、一体どうやってこの子を見付けたんだ?」


 モユから俺へ視線を移して、エドが聞いてくる。


「エド。それについては君が来る前にもう話し終えてね。後で私が説明する。今は先に話を進めたい」

「あ、はい。すいませんでした」


 話そうと口を動かすより先に、白羽さんが間に入ってきた。そう言われると、エドは背筋を正す。


「話が一旦途切れてしまったが、再開しようか」


 話を戻そう、と白羽さんは目で周りに語り掛ける。


「さて、次に聞きたい事なんだが……モユ君。君のその名前は……本当のものかい?」

「……は?」


 白羽さんがした質問に、一体何を言っているのか分からなかった。


「おい、白羽さん。一体そりゃどういう意味だよ!?」

「どういう意味も何も、そのままの意味だ」


 さらりと、白羽さんはいつもの口調で答える。その落ち着いた態度が、少しイラつかせる。


「落ち着いて、匕君。別に白羽さんはモユちゃんが私達を騙しているとか、そういう事を言いたいんじゃないわ」

「じゃあどういう意味だよ……!」


 大声では無いものの、低く重みのある声で深雪さんに聞き返す。


「深雪君にはね、SDCに拉致されて行方不明になったと思われる人を徹底的に調べてもらっている。証拠は無いから断言は出来ないが、怪しいと思える人は全てね。だが……」


 白羽さんは指を絡ませた両手を、組んだ足の腿の上に乗せる。


「その拉致されたと思える人の中に、モユという名前の少女はいなかった」

「なん、だって……?」

「明星君のように、テイルによって拉致されて実体実験の人材にされたのなら捜索願いも出ている筈だ。なのに、警察にはモユ君の外見や年齢に当て嵌まるものは届いていない」


 そん、な……先輩のようにSDCによってさらわれたのなら、モユの家族が探している筈だろ?


 それなのに、捜索願いすら出ていない?

 しかも、深雪さんが調べたSDCによってさらわれたと思われる人達の中にも、モユの名前がなかった……。


「じゃあ、モユってのは嘘の名前だってのか……?」

「それを確かめる為に、今聞いているんだ」

「…………」


 知らぬ間に握り拳を作っていた手の力を緩める。


「モユ君、もう一度聞こう。君の名前、それは本当の名前かい?」


 白羽さんに質問され、モユはゆっくりと顔を上げて答える。


「……私の名前はモユ。そう付けられた。それ以外に無い」

「それは嘘の名前ではない、と受け取っていいのかな?」

「……うん」


 こくりと、モユは首を縦に小さく動かして頷いて返す。


「という事は、私達が調べた人達以外にもS.D.C.に拉致された人がいる……と言う訳か」

「すいません。私なりに出来る限りの事は調べたんですが……」

「いや、深雪君は頑張ってくれている方だ。ただでさえ情報が少ないからね。全部の全部を調べあげるのは無理に近い」


 申し訳なさそうに、深雪さんは白羽さんに謝る。

 SDCに関する情報が少ない上に、人員も少ない。これで全てを調べあげるというのは至難の技。そんな状況では、穴があっても仕方が無いのは白羽さんも理解していた。


「じゃあモユ君。自分の家の住所と電話番号は解るかな?」


「あ、そうか。それがれ解れば……っ!」


 いち早く白羽がモユに聞いた意味をに気付く。

 それは、深雪さんが調べあげた中にモユと当て嵌まる人はいなかったが、住所と電話番号が分かれば身元が判明出来る。


「……住、所? 電話番号?」


 しかし、質問を聞いたモユは首を傾げていた。

 その反応を見るだけで、モユは自分の住所と電話番号は知らないというのが予想つく。


「君がSDCによって拉致される前に住んでいた場所だが、解らないか……」

「……ない」

「うん?」


 ポツリとモユが何かを喋ったが、普段から小さい声をさらに小さくして喋った為、白羽さんは聞き取れなかった。


「すまない、もう一度話してもらえるかい?」


 今度はちゃんと聞き取れるようにと、白羽さんは組んでいた足を解いて両膝に肘を乗せ、前屈みになって座り直す。

 そして、頼まれてもう一度開いたモユの口から出たのは、そこにいた全員の予想とは異なる言葉だった。


「――――私は、拉致されていない」


 モユの言った言葉の意味を把握出来ず、その場にいた全員が硬直している。

 そして、ほんの数秒の静寂が流れた後に、白羽さんが硬直を破る。


「それは、どういう……?」


 しかし、白羽さんもまだよく把握しきれていないのか、表情を少し顰めている。


「……そのままの意味」


 そんな白羽さんに対して、モユは一言だけを返す。


「ふむ……それは、自らの意志でSDCの実験体になった。そういう事かな?」


 白羽さんは少し考え込んだ後、おもむろに口を開く。いつもとは違う、微かに低くなった声で。


「……違う」

「ん? それも違うのか。今日はよく読みを外してしまう」


 困ったね、とでも言うように、白羽は軽く笑って頭に手を当てる。先程の低くなった声も、一瞬で消えた。


「……私は」

「うん?」


 ゆっくりと、モユはゆっくりと口を動かす。視線は誰にも合わせず、膝の上に乗せている自分の手だけを見て。


 いつもの無表情のまま、眉1つ動かさず、声のトーンも変わらず。

 ただ当たり前のように話す。


「……私は、人によって造られた」


 まるで、それが普通だと。自分は周りと変わらないとでも言うように。


「な、に?」


 モユの口から出た言葉に固まる。

 言っている意味が、何を言っているのか、どういう事なのか、頭が理解出来ない。

 俺だけじゃない。周りにいた深雪さんも、エドも。皆が言葉を失って固まっている。


「それは、拉致されて実験体になったのではなく、初めから実験体として生み出された……そういう事かい?」


 その中、また全員の沈黙と硬直を破ったのは白羽さんだった。


「……そう。私は集められた人達の細胞や遺伝子を元に造られた」

「集められたというのは、テイルによって拉致された人達、か」

「……スキルの目覚める早さ、その能力の種類と内容。その全てが優秀だと判別された人の情報を掻き集めて、そして出来たのが……私」


 モユは淡々と、雑談でもしているかのように話を進める。


「参ったな。まさか、人を拉致して実体実験を行っているだけでは無かったとは……」


 白羽さんは両の手の指を絡ませ、その手に額を当てる。

 自分の予想を越えたSDCの行いに。人を人とも思わないその惨行に、白羽さんは怒りを覚えた様子だった。


「ふざけんなっ!」


 そして、怒りを感じていたのは当然、白羽さん一人では無かった。椅子から立ち上がり、声をあげる俺の表情は怒りだけだろう。


「なんだよそれはよ! おかしいだろうがっ!」


 こんなにもムカついたのは久しぶりだった。当たり前に話すモユにも、同じように話を進める白羽さんも、なんの反応のない周りも。

 まるで、ここにある全てに腹が立っているようだった。


「誰もなんとも思わねぇのかよ!」


 叫んでその場にいる全員を見渡すも、誰も反応をする者はいない。全員が何とも思っていない訳では無いのは解っていた。ただ、あまりの衝撃に口を閉ざすしかなかった。


「――ッ! おい、エド! なんか言えよ、なぁ!」

「落ち着け、匕」


 何も喋らずに隣にいたエドに、八つ当たりをするように胸ぐらを掴む。


「俺は落ち着いてる! 落ち着いて怒ってんだよ!」


 あまりの怒りにか、自分でもは半ば意味の分からない事を言いながら怒鳴る。

 だが、エドだけでなく、白羽さんも深雪さんも、怒る俺の気持ちが解っていて止めるに止めれないでいる。


「……匕」


 そして、怒る切っ掛けを発した少女が俺の名前を呼んだ。

 名前を呼ばれ、エドの胸ぐらを掴んだままモユへ視線を向ける。

 モユは椅子に座ったまま、無表情で俺を見つめて。


「……なんでそんなに怒っているの?」

「――――ッ!」


 幼い顔を変えずに、大きく赤い目を向けて。モユは不思議そうに問う。


「くっ……」


 向けばの無い怒りとやりきれない悲しみに、奥歯を噛み締める。ぎりり、と歯軋りを鳴らし、怒りと悲しみが混濁した表情を見せる。


「匕……」


 エドは襟元を掴んでいた俺の手首に手を押さえ、服から離した。

 そして、俺は力が抜けるように椅子に座る。片手で顔を隠し、下唇を噛み締めて。


「くそ……くそっ!」


 握り締めた右手の拳を、自分の膝に強く叩きつける。

 腹が立った。とてつも無く、物凄く、どうしようも無い位に。

 モユが悪いんじゃない。当然、周りにいる白羽さんや深雪さん、エドが悪い訳でも無い。


 モユをこんな風に、悲しい事を悲しいと思えないように、悲しい事を悲しいと解らないように。

 何も解らず、解らないまま、そういう風に育てられていた事に。そうしたSDCに、言葉に出来ない程の怒りを覚えた。

 モユは自分がどれだけ普通とは異なる事を言ったのかを気付いていない。解っていない。

 俺が怒っている理由をモユが解っていないのが、その証拠。


「……どうか、したの?」


 ぶつけようの無い怒りに震える俺に、モユは他人事かのように声を掛ける。それを聞いて、更に悲しくなった。


「悲しい事を……怒る事を知らねぇ奴の代わりに、俺が怒ってんだよ……」


 手で顔を隠したまま、モユと目を合わせずに言葉を返す。言った言葉は明らかにモユを指していたのだが、当然、本人はその事には気付いていない。

 大きな瞳をぱちくりさせ、きょとんとしている。


「……話を続けよう。モユ君に聞きたい事はこれだけでは無いからね」


 顔を上げ、黙っていた白羽さんが口を開く。


「白羽さん、てめぇ……!」


 モユは生まれたのではなく、SDCによって造り出された。そんな話を聞いたというのに尚も話を続けようとする白羽さんが、勘に触わった。

 その態度に対する怒りと、先程の向けばの無かった怒りが混ざり、それが白羽さんに向けられる一歩手前まで来ていた。


「咲月君。私だって何も感じていない訳ではないんだよ。だがね、今は怒るだけで済む問題ではないだろう?」

「っ……」


 さっき、一瞬だけ見せたあの低くなった声。そして、白羽さんの黒い目が、今まで見た事が無い位に鋭く、冷たく、恐ろしく感じさせる眼になる。

 見えない圧力と、あまりにも強いその眼力に、口を塞いでたじろぐ。


「君の気持ちも分かる。だが、今は我慢してくれ」

「……あぁ。解ったよ」


 強く握り拳を作ったまま歯軋りをさせ、怒りを抑える。

 白羽さんの言っている事は正論だ。ここで怒りのままに暴れても、気に入らない事に腹を立てたガキと変わらない。


「モユ君。君はSDCによって造られたと言ったね。では、それを行う理由は一体なんだい?」

「……理由?」

「そうだ。ただの遊びや趣味でそんな事をやっている訳でもないだろう?」


 白羽さんは椅子の背もたれに寄り掛かり、再び足を組む。

 俺は少し頭を下げ、静かに怒りを落ち着かせようと自分の右手で作った握り拳を、さらに左手で握る。

 無言のまま、ただ床を見つめている俺から、モユは白羽さんへ目線を移す。

 そして、SDCがモユを造り出した理由を口にする。


「……スキルの収集と、その生産と増産。そして、特定のスキルを見付ける為。そう聞いた」

「特定のスキル……?」


 こくり、とモユは頷く。


「それは一体?」

「……わからない。それが何なのかは教えられなかった」


 首を横に振り、モユは答えていく。


「ふ、む……ではモユ君は、SDCの目的であるスキルの生産と増産の為に、造られたのか」

「……そう」

「なら、君はどんなスキルを持っているんだい?」


 スキルの収集、そして生産と増産が目的でモユが造られたのなら、何かしらのスキルを持っている。

 テイルに連れられ、コウと一緒にリハビリを行う程ならば、余程のスキルなのだと予想出来る。


「……私は、まだスキルが目覚めていない」

「なに?」


 白羽さんは自分が予想していた事とは外れ、少しばかり驚愕した顔をさせる。


「君はスキルを集める為に造られたのだろう? なら、スキルが目覚めてもいないのにテイルと共に夜の街でリハビリなるものをしているのは可笑しい……」


 スキルを目的として造り出されたのに、スキルも目覚めていないモユを連れ回すのは話が合わない。

 コウは一人の身体に別人格を入れ込み、より凶暴で凶悪な性格にした上、肉体能力の強制的な向上を目的とした人体実験。

 今まで行ってきた実験の中ではなかった程に、先輩の身体での実験は安定性を見せた。ただ、それは今までの実験の中で比べると安定しているだけで、基本不安定なのは変わり無い。

 それを完全に安定させる為に、テイルはリハビリと称してコウを街に連れ出していた。

 だが、スキルを目的として造り出されたモユがスキルを目覚めさせていないのに、街に連れ出す理由もリハビリをする理由も、一切見当たら無い。


「君は一体、なんの為にテイルに連れられていた?」


 この矛盾を見付け、白羽さんは目を細めてモユに聞き出す。だが、話す白羽さんの口調はどこか、返ってくる答えを知っているようだった。


「……」


 モユは無言のまま椅子から立ち上がり、その場から少し離れる。

 いきなり椅子から立ったモユに何事かと、俯せていた頭を上げる。俺だけでなく、全員が立ち上がったモユに視線を向けていた。


「……これ」


 モユは右腕を胸元辺りの高さまで上げ、ゆっくりと真横へとその腕を伸ばしていく。

 おもむろに動かされた右腕に、何をするのかと全員の視線が集まる。

 そして、一瞬。ほんの一瞬。

 伸ばし切られたモユの右の手から、目も眩む程の目映い光が部屋を突き刺した。音の無い光だと言うのに、キン、と耳の奥が響く。


「――――ッ!」

「きゃっ!?」


 一瞬だとは言え、あまりの眩しさに深雪さんは声をあげる。俺やエドも、その閃光に目を閉じてしまっていた。


「なんっだよ、今のは……!」


 予測もしていなかったいきなりの強い閃光に、目を細めながらぼやける視界でモユを見る。

 そして、視界を取り戻すよりも前に、誰よりも早く深雪さんが『それ』を見た。


「何、あれ――――?」


 驚愕した表情で、深雪さんはそう呟く。

 ようやく視界が戻った俺も、深雪さんが無意識に漏らした言葉の理由を目の当たりにする。


「なん、だ……ありゃ」


 それを見て口から出た言葉は、深雪さんと大差ないものだった。光を遮ろうと上げた手をそのままにして、驚きで石像のように固まる。

 だが、そうなってしまうのも無理も無かった。目の前で起きた事は、普通では考えられないものだったから。


「どうなってんだよ……」


 モユの手から一瞬、強い光が放たれたと思えば、何も無かった筈のその手にはあるモノがあった。

 見た目だけで重量だと解る巨大さ。白々しく光る鋭い刃。自身をも越える長い刀身。

 見覚えがあった。それは自分を一度、胸から腹にかけて切り裂いた事がある。

 そう。モユの右手には、神社で持っていたあの大剣が握られていた。


「なんで、一体どこから……」


 さっきまでモユは何も持っていなかった。なのに、一瞬光ったと思って目を開けたら、手には大剣を持っていた。

 モユの身長をも越える程に巨大な剣。どこかに隠して持っていた、なんてのは説明着かないし出来る筈もない。

 この不可思議な出来事に、どうすれば納得のいく説明が出来るのか。


「はっ、もしかして……」


 訳の解らないこの状況で、ぐるぐると混乱していた頭の中で一つ、あるモノが当てはまった。

 それだったらば、この出来事も納得出来る。


「これが具象化なのか?」


 以前、白羽さんから聞いたスキルの種類。その中で、自分のイメージしたモノを創り出す能力があった。

 それならば、何も無かった所から大剣を出した事も説明が着く。


「いや、これは……違う」

「え?」


 白羽さんは険しい顔を見せて、俺が言った事を否定する。


「だってよ、どう見たってこれは……」


 具象化にしか思えない。実際にこの目で具象化を見た事は一度も無いが、具象化の内容と合う箇所がある。

 なのに、モユのやった事は具象化ではないってのか?


「咲月君は見た事が無いから解らないと思うが、具象化はモノを創り出す際には、あのように発光する事は無いんだ」

「じゃあ、具象化じゃないってんなら、あれは何なんだよ!」

「恐らく、モユ君が持っているあれは――――」


 険しい顔をさらに険しくさせ、白羽さんはモユが持つ大剣を睨み付けるように見る。


「――――“禁器きんき”だ」

「キンキ……?」


 白羽さんの口から出されたのは、聞いた事の無い新しい言葉だった。

 なんなのか全く解らず、そのままの言葉を返す。


「そうだろう? モユ君」


 その白羽さんの言葉に、モユは頷いて答える。


「……そう、これは禁器。スキルの具象化じゃない」


 ちゃき、と小さい鉄の擦れ合う音を鳴らせ、モユは大剣の刃先を床に着かせる。


「これが、禁器か……」

「どんなモノかは知ってはいたけど、目の当たりにして見ると凄いわね」


 エドと深雪さんは2人で各々の感想を話している。

 元々二人は禁器を知っていたような口調だったが、その顔は驚きを隠せないでいた。


「おいおい、ちょっと待てよ。俺を置いて周りだけで納得すんなよ」


 周りは納得出来ても、禁器そのものを知らない俺にはまだ何も解決していない。

 それどころか、禁器という新しい単語が出てきて、それが何だかさえも解らない。

 この場で俺一人だけが、置いてきぼりを喰らっている。


「あぁ、すまない。君には頃合いを見て話そうと思っていた」


 思い出したかのように、白羽さんは俺に話していなかった事を謝ってくる。


「実はね、SDCがスキルを集めるという目的の他に、もう1つあったんだ」

「それがこれだってのか?」

「そうだ。先程も言ったが、私達は“禁器”と呼んでいる」

「それだ。さっきもそう言ってたけど、そのキンキってのはなんだ?」


 まさか京都や大阪の地方を表わす近畿ってのじゃ無いだろうし……。


「禁器と言うのはね、禁じられた武器、と書いて禁器きんきと読む」


 テーブルの上のコーヒーカップに手を伸ばし、白羽さんはぬるくなったコーヒーを口に入れる。


「実際の所、禁器については私達も全てを知っている訳ではない。SDCを調べていて、少しながらそれの情報も入ってきてね。何故、禁器と呼ばれるのかも解らない」


「え、いや……だって今、禁じられた武器って言っただろ?」

「それはあくまで呼び方と字での表し方だ。理由までは解っていない」


 二口程コーヒーを飲んだ後、音をたてないようにコーヒーカップをテーブルに戻す。


「だが、多少ながら知っている事は話そう。君の消えた胸の傷……それは恐らく、禁器のお陰だろうと思われる」

「な、に?」


 神社でモユにあの大剣で斬られたのに、すぐに治って消えたっていうあの傷が……? そう言えば、前に心当たりがあるって言っていた。それが禁器だったのか。


「しかし、まだ今の時点では絶対にそうだ。とは言い切れない」

「なんだよそれ」

「それを確かなものにする為に、モユ君に聞かなくてはならない」


 そう言い、白羽さんはモユへと視線を移す。モユは大剣を握ったまま、黙って静かに立っていた。


「モユ君。その大剣を元に戻せるかい?」

「え……?」


 白羽さんの言葉に、矛盾というか、違和感を覚えた。

 それは『元に戻す』と言った事。

 何も無い所から大剣を出したのに『元に戻す』なんて言わない。普通なら、消してくれって言うのが正しい筈。


「……うん」


 頷いて、モユが右手の大剣へ目をやる。すると、大剣が半透明になったかと思うと、モユの右手からフッと一瞬にして消えた。

 まるで元から何も無かったかのように。


「あのデカイ剣が消えた……」


 何も無い所から大剣を出したなら、それを消せるのも当然だとは思うが、やはり驚くものは驚く。


「やはり本当に本物のようだ。それで“元に戻った”大剣は、どこに?」

「……ここ」


 モユは右手を胸の高さまで上げて、制服の袖を捲る。

 露にされたモユの右腕。その手首には、きらりと輝くモノがあった。

 それは銀色の鎖で出来た装飾品。細かく小さな鎖が繋がり、一つの透明で綺麗なガラス玉のようなモノが付いてある。

 ガラス玉が揺れると、光を反射させて淡く輝った。


「あ、れ?」

「うん? どうかしたかい?」

「あ、いや……なんでも、ない」


 あのガラス玉、見覚えがあるような……いや、見覚えがあるのはガラス玉じゃない。あれに似たモノを、俺はどっかで見た事がある……?


「それより、なんだ? 元に戻ったってどういう意味だよ?」

「その通りの意味だ。モユ君の右手にあるアクセサリー。あれが先程の大剣だ」

「はぁ?」


 白羽さんから返された言葉に、ポカンと口を開けて間の抜けた声を出してしまった。

 SDCや人体実験やスキルと、一般常識から外れた事には多少慣れたつもりでいたが、そうでもなかったらしい。


「禁器というのはスキルの具象化と違って、元となるモノから変化するんだ。モユ君が持つ大剣は、そのアクセサリーに付いてある宝石みたいなのがそうらしい」

「あんなモノが? 考えられねぇし、にわかには信じられねぇな」

「だが、スキルの具象化のように何も無い所から創り出すのがある位だ。なら、元あるモノを変化させるのがあっても可笑しくないだろう?」

「そうだけどよ……」


 と言うか、何も無い所からモノを創り出すだけでも十分、常識から逸脱している。

 それに比べたらモノを別のモノに変化するのはまだ現実的とは思えるかも知れないが、両方とも一般人には信じられない話だ。


「それに、モユ君はスキルに目覚めていない。ならば、これは禁器と見て間違いない」

「ま、非現実的なのは今に始まった事じゃねぇしな」


 一般常識だの現実的だの、そんなのはSDCに参加して願いを叶えようとしている俺が言えたもんじゃない。


「で、白羽さん。あんた、神社で出来た筈の胸の傷が消えたのは、あれのせいだって言ったよな……?」


 モユの手首にぶら下がるアクセサリーを見ながら、自分の胸元部分の服を掴む。

 あの時の事を思い出して、服の上からかさぶたとなった傷痕に触れる。


「そうだ」

「一体何がどうなって……傷が消えた理由なるん、だ?」


 神社で胸を斬られた時を思い出すと、錯覚だろうが身体が熱くなった。服を掴む手の力が強くなり、服には無数の皺が出来る。


「うん、それについてだが……禁器というのは、ある一つの行動に対して優れた能力を持つ」

「一つの行動……?」

「そうだ。そして、私の知っている情報では、それを“破壊”だと聞いている。モユ君、それは本当かい?」


 モユの持つ本物の禁器が、自分が知っている情報と本当に合っているのか。白羽さんはモユに聞き、その答えを合わせる。


「……本当」


 それで合っていると、モユは一言だけを白羽さんに返す。


「破壊って、どういう事だ?」


 破壊、という言葉の意味は解る。だが、その破壊に対して優れている。という意味がよく解らない。


「禁器はモノを壊すという行動に対して、多大な効果を表すんだ」

「そのモノを壊す行動、ってのがよく解んねぇんだけど」


 おでこに人差し指を当て、眉と眉の間に薄く皺を寄せる。


「……禁器には一つの破壊方法に特化している。私が持つ大剣は『斬る』という破壊方法、行動に優れている」


 モユが立ったまま、俺の疑問に答え始める。


「破壊、方法……?」

「……そう。禁器は人が理解している“破壊の情報”の一つを破壊方法、行動として発揮する」


 つまり、モユが持つ大剣は物凄く切れ味が鋭いって事か? 確かに、神社で太い木をたった一振りで真っ二つにしたぐらいだ。


「でも、なんで『斬る』っていう行動だけに優れているんだ? どうせ壊す事に特化しているなら『斬る』だけの大剣じゃなくて、『なんでも破壊』出来るモノにすればいいのに……」

「恐らく、それは出来ないのだと思われている」


 ぎしりと椅子を軋ませて、白羽さんは足を組み直す。


「モユ君が今言ったように、禁器は人が理解した破壊情報に特化している。破壊とは最終的にそうなった、という結果だ。『破壊』までに結び付く『どういう形で破壊するか』という過程がなければ『破壊』にまで辿り着かない。だが、咲月君が言った『なんでも破壊』では曖昧で具体的ではなく、人が理解していないからね」

「んー、なんとなく解ったような……」

「解りやすく言えば、料理を作ろうにもただ漠然と『作る』と思ってても、何を作るかを決めていれば何も出来ないだろう?」

「あ、なるほど」


 その例えは解りやすい。何をしようにも、その目的を熟すに為の過程。方法を考えなければならない。


「でも、モユの大剣が斬るっていう破壊行動に特化しているのは解ったけどよ、これがどうして胸の傷が消えた理由になるんだ?」


 『斬る』という破壊情報が禁器と呼ばれる大剣にはあり、その行動に優れているのは解った。

 ただ、それは簡単に言ってしまえば切れ味が鋭いって事。それじゃあ、胸の傷の説明が着かない。


「うん。モユ君、もう一度大剣を出してもらえないかな」


 俺の質問に白羽さんは一度小さく頷いてから、モユに大剣を出すよう頼む。


「……うん」


 それを了承して、モユは腕を横に伸ばす。先程と同様、アクセサリーから強い光が一瞬放たれて、再び重々しい大剣が姿を現す。


「では、モユ君。すまないがこれをその大剣で斬ってもらいたい」


 そう言い、白羽さんは胸元のポケットからボールペンを取り出す。そして手に持ったボールペンを確認させるようモユに見せる。


「……わかった」


 モユは首を縦に振り、片手で持っていた大剣の柄を両手で握る。

 大剣はその名の通り大きくはあるが、モユの立つドア近くは匕達が座る椅子から少し離れ、軽くなら大剣を振れる広さがある。


「それでは、投げるよ」


 合図の声を掛け、ボールペンを持った腕を下げて、下から軽く放り投げる。

 ボールペンは宙に舞い、モユの方へと飛んでいく。そして、ボールペンを目で捉え、モユの間合い入った刹那。

 袈裟切りをする要領で大剣を振るう。

 大剣がボールペンに触れた瞬間、カッと乾いた音を立てる。

 部屋スペースを考えてか、本来の袈裟切りよりモーションは小さく控えめだった。


「……これで、いい?」


 邪魔にならないように、振り下ろした大剣を再び横にして刃先は床に着ける。

 モユの足下には、一本だったボールペンは二本になって転がっている。二本に分かれたボールペンの断面は、丸みのあるもう片面とは異なって斜めに尖っていた。


「うん、有り難う」


 白羽さんは椅子から立ち上がり、モユの前まで歩み寄る。そして、床に転がる2本に分断されたボールペンを拾う。


「軽く振っただけだというのに、これ程の切れ味の鋭さか」


 斬られたボールペンの断面を右手の人差し指でなぞり、その切れ味と一切の歪みの無い綺麗な断面に白羽は驚きを見せる。

 神社で斬られていた出店の鉄パイプと同様、断面は鏡のように切れている。

 普通、ボールペンのように大して重くない物を空中で斬るならば、かなりの力を加えて大剣を振るわなければならない。

 そうでないと、質量の軽いボールペンは大剣に当たって弾かれるだけで終わってしまう。

 なのに、モユは大きく振りかぶった訳でも、特に力を入れた様子も無いのにボールペンはさっくりと簡単に切れられた。


「では次に、こちらも頼む」


 ボールペンをなぞっていた右手を再び胸ポケットへ忍ばせ、白羽さんはもう1本ボールペンを取り出す。

 それは先程のボールペンと同型の市販されている物。しかし、次のは色が違う赤ペンであった。


「だが、今度は逆だ。斬らないでもらいたい。いいね?」

「……うん」


 白羽さんに返事をして、モユは足を肩幅程開いて大剣をもう一度構える。

 そして、白羽さんは一旦距離を離れてから赤いボールペンを目の高さまで上げ、モユに向かって投げる。

 モユはボールペンを目で追い、先程と同様に目標を大剣で斬り付ける。大剣がボールペンに振れると先程と同様に渇いた音を立てて、先程と同様に床に転がった。


「――――うん」


 白羽さんは腕を組み、何かを確信したように声を漏らす。そして、またモユの前まで移動し、床に転がっている赤いボールペンを拾う。

 最初のボールペンと全く同じ構え、力、振り方で斬り付けられた赤いボールペンは、当然斬られて――――。


「斬れて、いない?」


 ――――いなかった。

 白羽さんが拾い、手に持つ赤いボールペンは傷一つ無く繋がっている。


「なんで、どうしてだ……」


 最初のボールペンと同じ動作で斬られた赤いボールペン。

 大剣に当たって床に転がったのを見て、同じように赤いボールペンも真っ二つに斬られていると思っていた。


「これが、君の斬られた傷が消えた理由だ」


 右手に無傷の赤いボールペン、左手に真っ二つになったボールペンを俺に見せる。


「いや、理由だ。って言われても全然解んねぇんだけど」


 ボールペンを見せられただけじゃ意味もわからないし、予想もつかない。むしろ、赤いボールペンがなんで斬られずに繋がったままなのか、の事で頭の思考回路は一杯だった。


「うん。さっきモユ君が言ったね? 禁器は特定の破壊行動に特化していると」

「ん、あぁ」

「それがこれなんだ」


 そう言い、白羽は両手のボールペンをテーブルに置く。


「これが?」

「そう。モユ君が持つ禁器は『斬る』という破壊情報を持ち、その方法と行動に優れている。そして、それを証明させるのがこの二本のボールペンさ」


 とんとん、と人差し指でボールペンを軽く叩く。


「斬るという行動に特化している、優れていると聞けば自然と切れ味が鋭い、なんでも斬れる。と思ってしまうだろう」


 テーブルにある、真っ二つにされたボールペンの片方を手に取り、斬られた断面を見せるように俺へ向ける。


「しかしね、そうではない」

「え?」

「いや、切れ味が良いのもその1つではある。だが、禁器は“斬るのに優れている”んじゃない。“斬るという結果を出す”のに優れていると言えばいいか」

「斬るという、結果……?」


 斬るのに優れているんじゃなく、結果を出すのに優れている……?

 うん、はっきり言って解らん。ちんぷんかんぷんだ。


「つまり、モユ君が持つ禁器……大剣は目標のモノを斬る、斬らないを自分の意志で操作出来る」

「操作? それはあれか、選べるって事……か?」

「そうだ」


 真面目な顔で白羽さんは俺に返す。


「いやいやいや、ちょっと待ってくれ!」


 額に人差し指を当て、ぶっ飛んだ話に頭痛がしそうになるのを抑える。


「いやでも、現にボールペンは白羽さんが言う通りに斬れてたり、斬れてなかったりしている……」


 胴体を切り離されたボールペンと、無傷の赤いボールペンに目をやる。

 全く同じ動作で二本のボールペンを斬ったのに、片方は真っ二つに分かれ、もう片方はかすり傷すら無く繋がっている。

 普通なら赤いボールペンも斬られている筈なのに、大剣に弾かれただけで何もなっていない。じゃあ本当に……。


「本当に操作してる、ってのか」


 テーブルに並ぶボールペンを見つめ、納得させるように呟く。


「ただ『斬る』事だけに優れているのなら、その通り切れ味が鋭くモノを断ち斬る事に特化しているだけで終わる。だが『斬るという結果を出す』と言う事は、当然モノを斬る事も、斬らない事も含まれている」

「斬るんじゃなく結果を出す、か。つまり、そこに違いがあるってのか」

「そう。『斬る』ならば、結果に結び付く過程を既に決め付けている。しかし、『斬るという結果』なら何も斬るだけ、とは決まってはいない。結果という事はつまり、大剣で斬ったモノがどうなったか言う」


 白羽さんは説明をしながら、テーブルの上の半分になったボールペンの片方と赤いボールペンを両手に持つ。


「禁器には破壊情報というのがあるといったね。破壊情報とは、モノをどうすれば壊せるか、という方法の事。モユ君の大剣は、それが『斬る』という情報、方法なのさ」


 そして、右手に持った赤いボールペンをまじまじと見つめる。


「どうすれば壊せるか。それは、どうすれば壊れないか。という事にも結び付く。壊す方法が解るから壊さない方法がイメージ出来る。逆に、壊さない方法が解るから壊す方法がイメージ出来る」

「イメージ、ねぇ」


 でも確かにそうだ。何かを壊さないように扱おうとすれば、自然とどうすれば壊れてしまうかが頭に浮かぶ。

 ガラスのコップを手に持ったら、落としたら割れると想像するのと同じだ。


「破壊出来る方法とは反する事をすればいいのだからね。壊す方法と、壊さない方法。その両方を解ってこそ初めて、破壊を理解した事になるんだ」


 白羽さんは右手に持つ赤いボールペンを俺へ見せるように差し出す。


「そして、その出された結果がこれさ。見た目では明らかにモノを斬る動作をしたのに、実際は斬れていない」


 差し出された赤いボールペンを受け取る。


「壊す方法と壊さない方法、二つを合わせて持つ破壊情報。その片方の壊さない方法を使ったから、この赤いボールペンは斬られる事が無かった……そういう事か?」

「その通りだ。最初のボールペンは斬る事を目的としていた為、破壊情報の『壊す方法』を使った」


 左手の斬れたボールペンを手首を捻って軽く回して見せてくる。


「だが、赤いボールペンは私が斬らないように頼んだ。そして、モユ君はもう片方の情報である『壊さない方法』を使った。だから、同じ動作で斬り掛かったのにも拘らず赤いボールペンは斬られる事無く、無傷だったんだ」


 そうか……モユが持っている禁器と呼ばれる大剣は、本当に狙った対象物を斬る、斬らないを操作して選べる。


 モユが物凄い力持ちだったとか、そういうのじゃなかったのか。

 禁器と呼ばれる大剣自体が『斬るという結果を出す』事に優れている。斬る結果を出すという事は、何も対象を斬っただけが結果じゃない。

 大剣で斬り付けたから、必ずその対象となったモノが斬れるという確証は無いんだ。

 斬り付けたが外れた、または軽く擦っただけ。そうなれば、対象は斬れずに原型を止めたままになる。

 だけどそれも、斬る事によって出された結果。


「これも斬る事に特化しているから、か」


 その破壊情報を使い手が禁器を通して操作する。そうする事で神社にあった出店の鉄棒を斬ったり、木を一振りでバッサリと斬る事が出来たのか。

 そして、この赤いボールペンのように、斬らずに無傷のままにする事も。


「ん? ちょっと待てよ。なんか変じゃねぇか?」

「うん? 変?」

「その禁器って大剣が斬るという事に特化していて、斬ったり斬らなかったり出来る事は、まぁ、無理矢理だけど納得はした」


 だけど、白羽さんの説明……というか、俺が持っている赤いボールペンと、白羽さんが持つ斬れたボールペン。

 それを見て、矛盾と言えばいいのか解らないが、可笑しな点があった。


「けど、胸の傷。俺が神社で斬られて出来た傷は、このボールペンとは違う」


 なんて言えばいいのか……言葉が出てこない。


「こう、なんつうかな……」


 頭をくしゃりと掻く。どう言えばいいのか、うまく説明出来ないけど……違うんだよな。

 胸の傷と、この赤いボールペン。漠然と感じた事なんだけど、違うんだよ。結果がっつーか、斬れ方っつーか……。


「斬れ方……斬れ方が違うんだ」


 言いたかった事に当て嵌まる言葉が不意に出てきて、頭を掻いていた手を止める。


「斬れ方、かい?」

「そう、斬れ方だ。それが違うんだ」


 さっきとは逆に、持っていた赤いボールペンを白羽さんに見せる。


「白羽さんが持つ、そのボールペンと、この赤いボールペン。この二本は斬れた場合と斬れていない場合の結果を出しているだろ?」

「そうだね」

「だけど、俺が神社で斬り付けられた時の傷は……『斬られた』という結果が出された後なのに、傷が消えちまったのは可笑しいんじゃないか……?」


 白羽さんがモユに斬らせた二本のボールペンは、振るった大剣がボールペンに触れた瞬間にその『結果』が出ていた。

 白羽さんが持つボールペンは斬れて、俺が持つ赤いボールペンは斬れなかった、と。


「解りやすく……と言うか、極端に言ってしまえば、『斬る』と『斬らない』の二つの内のどちらか片方の結果だけしか出ていない」


 右手に持つ赤いボールペンをテーブルの上に置き、そして胸元へと手をやる。


「白羽さん。あんた、俺の傷は消えた……って言ったよな?」

「言ったね」

「でも消えたって事は、傷はあったんだろ?」

「うん、確かにあった。暗くて見えにくくはあったが、ちゃんと確認したからね」


 だろうな。薄れゆく意識の中ではあったけど、俺も地面に流れる自分の血を見たし。


「そこなんだよ、可笑しい点は。禁器で斬られたボールペンは、『斬れた』のと『斬れていない』のどちらか一方の結果しか出ていない。それなのに……」


 そして、胸元へやった手で服を掴む。服と一緒に、首に掛けていた水晶も握り締める。


「俺が斬られて出来た胸の傷は、傷が出来た後に消えるように塞がった……それは、『斬れた』後に『斬れていない』事になったって事だろ?」

「なるほど、そういう事か。うん、咲月君の言いたい事は解った。つまり、『斬れた』という結果が出た後に、『斬れていない』という結果が上書きされた、と言えばいいのか。要は結果を出した後から、その結果を別の結果に変わったと、そう言いたいんじゃないかな?」


 白羽さんは右手で顎を軽く触れながら、俺の問いに答えていく。


「そう、それだ。ボールペンは斬ったか斬られないかの二つに一つしかないのに、俺の場合は両方が入っているんだ」


 自分が上手く言えなかった事を白羽さんが分かりやすく説明して、思わず白羽さんを人差し指で差す。


「禁器は『斬るという結果を出す』って言ったろ? なのに、俺の胸の傷は結果が出された後に、また結果が出されている。いや、変わっている」


 一度斬って結果を出して出来た傷を、後から無かった事にして傷を塞ぐなんてのは、それはもう『斬るという行動に優れている』って範囲を越えている。

 第一、斬って出来た傷を塞ぐ、治すってのは『斬る』とは別の能力になるだろ。


「……うん。今考えてみたんだが、多分それはモユ君によってそうなったと思われる」

「モユが?」


 白羽さんに言われ、モユへ目を向ける。


「咲月君はモユ君によって斬られ、傷を負った。しかし、本当は咲月君ではなく、沙姫君が狙われていたと聞いている」

「あぁ、そうだ。モユは俺じゃなくて沙姫を斬ろうとしていた」


 多分、聞いたってのは沙姫本人から聞いたんだろう。

 沙姫を庇って俺が代わりに斬られた事を知っているのは、俺を含めて沙姫とモユしか知らないからな。


「元々は沙姫君を斬ろうとした所に君が間に入ったから……いや、恐らく咲月君だったからこそ助かった」


 そして、白羽さんはおもむろにモユを見る。


「そうだろう? モユ君」


 大剣を持ったまま静かに立っていたモユに、白羽さんがその答えを聞く。


「……そう。匕が前に出てこなければ、私はあの女の人を斬っていた」


 それにモユは淡々と答える。女の人、というのは恐らく沙姫の事だろう。


「……あの時、私はもう大剣を構えて、あとは振るうだけだった。目標を捉えて、助走も付けて、力も込めた」


 表情も変えず、身体も動かさず、口だけを動かして話していく。


「……そして、振るった瞬間。目の前には女の人じゃなくて、匕がいた」


 ずっと白羽さんと目を逸らさずに話をしていたモユが、視線を下げて少し俯く。


「……止めようと思った、ずらそうと思った。けど、もう振るった大剣はどうにも出来なかった。だから――――」


 俯いていた頭を上げて戻し、モユは再び白羽さんの視線に合わせる。


「……破壊情報を変えた」


 真っ直ぐに白羽さんを見て、先の言葉に続く一言を話す。


「……ふむ、やはり」


 自分の推理が当たっていたと、白羽さんは言葉を漏らす。


「おい、一体どういう意味だよ。俺にも解るように話してくれ」


 勝手に二人で話を進めて納得しないで欲しい。聞いているのは俺だってのに。


「モユ君は咲月君を斬ってしまう直前に、破壊情報を変えたんだ。今、モユ君本人が言ったようにね」

「破壊情報って言うと……斬るか斬らないか、ってヤツだろ?」

「そうだ。大剣をずらして外す事が出来ないと思ったモユ君は、咄嗟に破壊情報を変えた。『斬る』から『斬らない』にね」


 モユから俺へ視線を移し、白羽さんは説明をする。


「だが、破壊情報を変えたとは言え、大剣の刃は咲月君に触れる本当に直前だった。そして、完全に禁器の破壊情報が切り替わる前に君は斬り付けられた……」


 白羽さんは説明をしながら歩きだし、先程まで座っていた椅子へと再び腰掛ける。


「『斬る』か『斬らない』か……そんなどちらかに決らない曖昧な状態で君は大剣で斬られた」

「だから、傷が塞がったってのか?」

「そうだ。君が斬られ始めた時には破壊情報が完全に切り替わっておらず、禁器は『斬る』のままだった。だが、斬り終わる頃には破壊情報は『斬らない』に変わっていた」

「じゃあ、俺を斬っている間に禁器の破壊情報が切り替わったのか……」

「そして、破壊情報がそんな中途半端な状態で斬られた。その後は君が知る通りだ」

「斬られて出来た傷が後から塞がった、消えた……」


 傷痕をなぞるように、服の上から右手で胸元を触れる。


「そう。急に破壊情報を変えようとされた禁器は、破壊情報の変更が間に合わずに君を斬ってしまう」


 白羽さんは両膝に両膝を置いて前屈みに座る。


「その結果、『斬る』という破壊情報が残っていた為、咲月君は胸に大きな傷を負ってしまう」


 膝に肘を着いて前に出された両手は、指を絡ませ1つの拳を作る。


「が、『斬る』という破壊情報が残ってはいたが、斬っている途中で破壊情報は『斬る』から『斬らない』に変更される。それによって、君の傷は塞がった」

「……」


 胸元に手を当てたまま、無言で説明を聞く。


「途中で破壊情報が切り替わった為、結果が変えられたのさ」

「そこだよ、俺が聞きたいのは。ボールペンは斬った後に結果は変えられなかった。なのに、なんで俺の傷は後から変える事が出来たんだよ?」

「いや、言い方がいけなかったね。変えられた、と言うより、変えれた。が正しい」

「変えれ、た……?」


 いつものとんち染みた話し方をされ、眉の間にシワを作る。


「咲月君が斬られた時は確かに破壊情報は『斬る』だった。しかし、その破壊情報は『斬らない』に切り替わる直前であった為に結果を出す力が薄れていたんだ」


 白羽さんは話を続ける。


「そして、斬っている途中に破壊情報が完全に『斬らない』に切り替わり、薄れていた『斬る』の破壊情報を上回る『斬らない』の破壊情報によって、斬られた傷は斬られなかった事にされ、塞がっていったんだろう」

「でも、途中から破壊情報が『斬らない』に変わって傷が塞がったんなら、後から塞がり始めるんじゃなくてすぐに塞がるんじゃないのか?」


 ボールペンを見ると、各破壊情報によって斬られた場合は斬られた時、大剣が触れた瞬間に結果が出ている。

 なら、斬られている途中で『斬る』から『斬らない』に破壊情報が切り替わったのなら、切り替わった時点で傷が塞がる筈。

 だけど、俺の記憶じゃすぐには傷は塞がっていなかった。少なくとも気を失うまでは傷はあっと思う。でなきゃ、あんなにも血が地面に流れていないだろうし。


「うん。だが、いくら破壊情報が『斬らない』に切り替わったと言っても、変わる前は薄れていたとは言え『斬る』という事に特化した禁器で斬られたんだ。その結果を消して、新しく『斬らない』の破壊情報の結果を出すには多少の時間が掛かったんだと思われる」

「そうか……なるほど」

「それに私達は傷は塞がった、消えたと言ってはいるが、実際にはそうではないだろう?」

「え?」

「本当に消えたのならば、一切の傷痕も無くなる筈だ。だが、君の胸には斬られた傷の形にかさぶたが出来ている。それは、いくら破壊情報を変えたとしても、一度出された結果を完全には変えられない事を示している」


 そう言えば確かに、傷が塞がった、消えたと摩訶不思議な事に喜んだり驚いたりして気に止めなかったが……。

 傷は跡形も無く綺麗にすっぱり消えた訳じゃない。

 でもまぁ、胸から腹にまで至る傷がかさぶたになっただけでも儲けもんなんだけどな。

 禁器の破壊情報を途中で変えたから、俺の傷は塞がった……いや、斬られていない事にされたのか。


「ん? でも白羽さん、さっき俺だったから助かった。みたいな事を言ってなかった?」


 今の話を聞いた限りじゃ、傷が消えたのは禁器の破壊情報の所為であって、俺は全然関係無い。


「あぁ、それはね。モユ君た咲月君は、以前に一度会っていて互いに知り合いだったんだろう? それでだと思う」

「知り合い、って……それだけで?」

「面識の無い沙姫君には殺すつもりだったが、君に対してはそうではなかった。咲月君と沙姫君の違いと言えば、それしか無い。または、君には他に思い入れがあった……とかね」

「は、ぁ」


 思い入れ、ねぇ。モユとは学校の中庭でちょろっと話しただけなんだけど。むしろ話したっつーか会話すらまともにしていなかった気が……。

 後はアイスをあげたくらいしかしてねぇぞ。


「しっかし、こんな物騒なもんをテイルとかに使われていたら……シャレになんなかったぞ」


 ただでさえあんなに強いってのに、こんな出鱈目なのを使われていたら反則だろ。


「……それは、無い」

「え?」


 俺が今、誰にも向けずにただ漏らしただけの言葉にモユが返してきた。


「……テイルには、禁器は扱えなかった」

「扱えなかった?」


 声に反応して、モユの方を見る。扱えなかったって、重くて持てなかったとか?

 いや、テイルのガタイはかなりのものだった。ボディビルダーとまでは行かないが、腕も人よりも太く、胸筋もタンクトップの隙間から目立っていた。それで重くて持てない、ってのはないだろう。

 不器用で武器を使うのが苦手ってのも考えたが、大剣を使うのに器用も不器用もあまり関係無いよな。

 構えや持ち方は多少あるだろうけど、基本ただ振り回すだけだし。


「禁器はね、誰でも使える訳ではないんだ。使う人を選ぶ」

「は? 選ぶって……」


 いつの間にか、白羽さんがまた立ち上がってモユの隣にいた。白羽さんに言った事に、俺は気の抜けた顔と言うか、何を言っているんだ、という顔をしている。


「テイルが禁器を使わなかった……いや、使えなかったのはその為さ」


 そうだろう? と言うように、白羽さんは隣のモユを見る。


「……そう。テイルも何度か使おうとしたけど、結局は無理だった」


 視線に気付き、モユは白羽さんの問いに答える。


「無理……ってのは、具体的にどういう事だ?」

「テイルは『持った瞬間にとてつもなく重くなった』って言ってた」

「重く?」


 あれだけいい身体をしているテイルが持てない程って……一体どんだけ重たいんだ?


「……何故かは解らないけど、持つとそうなるって聞いた」

「重たく、ねぇ」


 それがさっき白羽さんが言っていた選ぶ、ってヤツなのか?


「では、モユ君の他に禁器を使える者はいなかったのかい?」


 白羽さんがモユが持つ禁器をまじまじと見ながら質問する。


「……私のようにSDCで造られたヒトが何人も試したみたいだけど、結局は私だけしか使えなかった」

「ふむ……ちなみに、その君以外の造られたヒトと言うのは、どれ位いたんだい?」

「……数は解らない。けど、たくさん。でも、半分以上はすぐにいなくなった」

「いなくなった?」

「……私みたいに造られたヒトは、基本はスキルの覚醒。その種類と内容が目的とされている。その中でスキルが目覚めないモノ、目覚めたスキルが既出、または不必要と判断されたモノが禁器を扱えるか調べられる」

「なるほど。スキルが目覚めなかった人材の無駄を無くす為か」

「……そして、禁器も使えなかったヒトは――――処分された」


 モユの最後の言葉に、その場にいた全員が息を飲む。


「それは……殺された、と取っていいのかい?」

「……解らない。ただ、全てに適合しなかったヒトは、処分すると言われて何処かに連れていかれた。だから、その後はどうなったかは解らない。」

「そう、か」


 モユに一言だけを返す白羽さんの顔は、怒りと無念の混じり入った表情をしていた。

 適合しなかったヒトが最後どうなったのかは解らないと言ったが、モユを除く三人は予想が着いていた。

 人を人と思わない実験をするSDCが、役に立たない人材を残すなんてしない事に。情報が漏れないように、適合しなかったモノ達は全て……殺されている事に。

 その残酷なる事実を知り、部屋には重苦しい空気が流れる。


「胸くそ悪ィ!」


 声をあげ、右手に作られた握り拳を椅子の手すりを強く叩きつける。


「おい、匕……」

「解ってるよ、落ち着けってんだろ!」


 ずっと黙っていたエドが、後ろから声を掛けて俺を抑える。

 モユは禁器に選ばれた。運が良かった。それだけ。もしかしたら、モユも禁器に選ばれず、スキルが目覚める事も無く、不必要だと処分されていたかも知れない。


「にしても、重くなったって言っても……どれだけ重くなるんだ?」


 モユの近くまで歩き寄り、しゃがみ込んで興味あり気に禁器を見つめる。


「……持って、みる?」


 そう言い、モユは大剣の柄を握る右手をエドの前に差し出す。


「いいのか?」

「……うん」

「じゃ、試しに一回……」


 エドはしゃがむのをやめ、出された大剣の柄を多少恐れながら触れる。そして、触れた手が柄を握ったのを見計らって、モユは大剣からゆっくりと手を離す。


「おぉー……おわっ!?」


 モユが大剣から完全に手を離した瞬間、エドから驚きの声が上げられた。

 大剣の柄を握ったエドの右手が勢い良く下がり、身体を屈する。


「……マジ?」


 がらん、と音を立てて大剣は床に落ち、それを驚愕した目でエドは見つめている。

 つい今の今まで、モユが目の前で平然とした顔で持っていた大剣が、予想を遥かに上回る重さだった。


「ちょっとエド、演技じゃないの?」


 あまりにも極端なエドのリアクションに、そんな大げさな、と深雪さんがエドに近寄る。


「だったら深雪さんも持ってみてくださいよ」

「どれどれ」


 エドが大剣から手を離して、深雪さんは屈んで入れ替わるように大剣を掴む。


「んっ! ……あれ?」


 力の限り持ち上げようとするが、大剣は床に寝転がったままピクリとも動かない。


「んんーっ! ……っはぁ、本当だわ。物凄く重い」


 エドのリアクションは演技ではなく事実だと知り、深雪さんは諦める。


「すまない、深雪君」

「あ、はい」


 深雪さんをどかせて、続いて白羽さんが大剣を握る。握った手に力を入れて、片手だけで持ち上げるのを試みる。


「も、持ち上がった」


 全く床から動く事の無かった大剣が、白羽さんの手によって少しだけ持ち上がる。

 それに深雪さんが驚きを見せる。


「くっ……」


 しかし、持ち上げたと思えば、白羽さんはすぐに大剣を床に戻した。


「なんとか持ち上げられはした。が、それで精一杯だ。扱うのはとても無理そうだよ」


 結構負担が掛かったのか、大剣を持ち上げた右手を左手で擦っている。


「確かに重い。だが、エドが床に落とした時にした音と、この重さは明らか不自然だ。床も傷がついていない」


「白羽さんに言われて気付いたけど、確かにこの重さと落とした時の音が合っていない……」


 油断していたとは言え、エドが速攻で床に落としてしまう重さ。なのに、床に落ちた時にした音は重さとは比例していない、がらん、と比較的軽そうな音だった。


「それに、本当に傷がついていないわ」


 深雪さんが屈んで大剣の下を確認すると、男である白羽さんやエドが持てない程に重い大剣が落ちたと言うのに、傷1つ付いていない。

 それどころか、フローリングの床がへこんですらいない。


「ふむ……大剣を持った者に対してだけ重くなる、か。まさに選んでいる、という訳か」


 白羽さんは床に落ちた大剣を見下ろす。


「あ、俺も持って……」


 椅子から尻を上げて、ついでに自分も持ってみたい、と言おうとするとズボンのポケットから振動が伝わってきた。

 言わずもがな、その振動は携帯電話からだった。


「電話……? 沙夜先輩からだ」


 ポケットから取り出して、折り畳み式の携帯電話を開いて画面を見ると、ディスプレイには『沙夜先輩』と表示されていた。


「珍しいな、なんだろ。急用かな? すんません、ちょっと出てみる」


 一応白羽さんに断ってから、通話ボタンを押して電話に出る。


「もしも……」

『咲月先輩、今どこに居るんですかーっ!』

「んがっ!?」


 電話に出るや否や、ドでかい声がスピーカーから鼓膜に直撃を受けた。あまりの声の大きさに、咄嗟に携帯電話を耳から離す。


「っつー……」


 鼓膜を攻撃され、片方の耳を人差し指で塞いで耳鳴りが治まるのを待つ。


「いきなり電話で大声を出すな、バカ!」

『なっ、バカとはなんですか! バカとは!』


 片方の耳を塞いだまま、携帯電話を耳に戻す。まだ軽く耳の奥がキンキンする。

 ったく、沙姫の奴どんだけデカイ声を出してんだよ……鼓膜が破けたらどうすんだ。


「って、え? 沙姫?」


 もう一度携帯電話を耳から離して、画面を見てみる。

 うん、見間違いじゃない。しっかり沙夜先輩と表示されている。


「なぁ、今電話してるのって沙夜先輩の携帯電話だよな?」

『そうですよ! 姉さんから借りて咲月先輩に電話しているんです!』


 電話に出た時の第一声とまでは行かないが、沙姫の声は大きく、どこか怒っている様子。


『一体どこをほっつき歩いてるんですか! 咲月先輩の教室にも屋上にもいないですし!』

「いや、どこって言われても……」


 電話越しで聴こえる沙姫の声からは、何故か気迫みたいなモノを感じてたじろぐ。


「沙姫、お前……なんか怒ってるか?」

『怒っ――――!』


 一瞬、何かを言おうとして何かを言い掛けたが、それを飲み込んで沙姫は静かに黙り込む。


『……』

「おい、沙姫?」


 会話が止まり、漂う沈黙に変な圧力を感じる。何故か分からないが、この沈黙が気まずい。


『……咲月先輩』

「な、なんだ?」


 さっきまでとは打って変わって、沙姫の声はトーンが下がって小さくなった。


『なんで私が姉さんの携帯を借りて電話をしているか解りますか?』

「なんで、って言われてもなぁ……」


 つーか、それが気になってたんだけど。着信名には沙夜先輩って書いてあるのに、喋ってんのは沙姫だし。


 わざわざ沙夜先輩の携帯電話を借りて俺に電話を掛けてくる理由が分からん。自分の携帯があるんだから、自分の携帯から掛ければいいのに。

 どうせ沙姫の事だから前みたいに家に忘れて来たとか、どっかに無くしちまっ……。


「そうだったーっ!」


 しまったぁ! 今の今まですっかり頭から抜けて忘れてた! 今日学校が終わったら、沙姫と携帯ショップに行くんだった!


「ん? 咲月君、どうかしたのかい?」


 忘れていた約束を思い出して、思わず声を上げてしまった俺に白羽さんが声を掛ける。


「あーいや、なんでもない。気にしないでくれ、白羽さん」

『やっと思い出しましたか?』


 沙姫の声は微かに震えていた。それは喜びでも悲しみでも無い。怒りだ。


『いくら待ってても咲月先輩来ないんですもん! たまたま姉さんが来て携帯を借りられたから連絡取れましたけど、姉さんに会わなかったらずっと待ちぼうけしてましたよ!』


 やっべぇ、モユの事があって忘れちまってた……。かと言って正直にモユに会って忘れてました、なんて言える訳ねぇもんな。

 俺が庇ったとはいえ、沙姫はモユに殺されそうになったんだ。沙姫の電話での様子を考えると、俺が今居る場所を教えたらスッ飛んで来そうだし……。

 よし、ならここは……。


「悪ぃ、沙姫。今ちょっと立て込んでてよ。埋め合わせは必ずすっから」


 切っちまおう。


『え? 咲月先輩!?』


 スピーカーの向こうで沙姫に名前を呼ばれているのを無視して、携帯電話を耳から離す。

 すまん、沙姫。他に方法が思い浮かばないんだ。さらば。

 ボタンの上に親指を重ね、電話を切る。ポチッとな。


『ちょっ、咲月先――』


 電話先での沙姫の呼び掛けも虚しく、通話を一方的に遮断する。さらに、すかさず携帯電話の電源を落とす。

 沙姫の性格上、怒ってまた何度も電話を掛けてきそうだ。なので、携帯電話が喧しくならないように切っておく。

 ……まぁ、待ちぼうけを喰らわされた上に約束をすっぽかされて、さらにはやっと得た連絡方法の電話でも話の途中で勝手に切られもしたら、誰でもそうなるよな……。


「うん? 賑やかな電話だったけど、もういいのかい?」

「あー、問題の先送りって感じになっちまったけど、多分大丈夫」


 ちょっとばかり強引な方法ではあったが。いや、ちょっとか?

 とにかく沙姫には悪いが、今はモユの方が優先だ。


「まだ途中だったんだ。話、続けよう」


 携帯電話を元居たポケットの中へ戻し、止まってしまった話を再開させる。


「そうだね。モユ君、有り難う。大剣は元に戻してくれていい」


 白羽さんに言われ、モユは無言で床に置かれた大剣を軽々と拾う。そして、大剣はモユの右手首でアクセサリーへと戻る。


「立たせたまま話をしてもらってすまなかったね。座ってくれ」


 大剣を戻したモユは、椅子に座る。白羽さんも再び椅子に腰掛けて、足を組む。

 深雪さんは白羽さんの後ろ、エドは俺の隣で変わらず立ったまま。


「何でも斬れて何でも斬れない大剣……」


 モユの手首で光るアクセサリー見て呟く。


「反則じみた能力だけど、使える人が限られるってのが唯一のデメリットか」


 デメリットであり、それが救いでもある。こんなモノが誰でも使えたなら、それこそ反則だろう。


「いや、デメリットは他にもある」

「え?」


 白羽さんに言葉を返され、アクセサリーから白羽さんへ視線を移す。


「手当たり次第に人材へ禁器を扱えるかを試している事と、モユ君しか使えていない所を見ると……禁器を扱える条件はまだ見つかっていない。そうだろう?」


 目をモユへ向けて白羽さんは問う。


「……そう。なんで私が禁器を使えるのか、それはまだ解明されていない」

「やはり。禁器を使える条件が解らない……それは我々としても助かる。解明されて禁器を使える人を創られてしまえば、それは脅威になる」


 そうだ。条件が解明されれば、もしかしたら今は使えなかったテイルが使えるようになるかも知れない。


 それに、モユは自分はスキルの開発の為に創られたと言った。考えるまでもなく、SDCは禁器を使える条件が解れば、その条件に合う人間を創り出すだろう。


「そして、あと一つ。最後のデメリットがある」

「まだ、あんのか?」

「うん。しかもそれは、かなりの危険を伴っている」

「危険?」

「そうだ。確かに優れた武器である禁器だが、使うには必要なモノがある」


 必要なモノ……? ただでさえ禁器を使えるのがモユだけな上に、その使える条件が解らないというのに、まだ必要なモノがあんのか?


「それはね、スキルと同じで精神力さ」


 右手の人差し指をこめかみに当て、トントンと2、3回触れる。


「斬る際に『斬る』と強く思ったり、斬った後に出る結果をイメージしたりね。そうして対象を斬る時にはイメージしたのに近い結果を出そうと集中しなければならない」

「それの一体どこが危険なんだ?」


 スキルと一緒で精神力を消費するってのは分かったけどよ、別に危険だと思うような所はなかった。


「……うん。実はね、スキルについてまだ、君に話していなかった事がある」

「なに?」

「前に駅前で話をした時、既に長時間の話をして疲れていただろうというのと、君がスキルを目覚めてからでもいいと思っていた」


 白羽さんは椅子を深く座り直すと、椅子からギッ、と軋む音がした。


「前にスキルの説明をした時に言ったね? 体調が万全ではなく、集中力が欠けてしまうと能力が通常よりも劣ると」

「ん、あぁ。結構複雑だったけど、ちゃんと覚えてる」


 肉体強化はまんま能力が劣化して、行動強化は結果を出すまでの過程に影響するものが劣化するんだっけ。

 すらっと頭の中で思い返して復習してみる。


「その時には話さなかったが……スキルは使用者の精神力、集中力を消費して使う事が出来るが故に、使うには限度がある」

「限度……?」

「そう。勉強なんかと同じさ。長時間やると、いつかは疲れて頭に入らなくなるだろう?」

「集中力が切れる、って事か」

「その通りだ。肉体強化、行動強化、具象化。いくら強力で便利な能力であれど、人間の精神力を使っている以上、必ず限界は来る」


 そうか。前に説明を聞いた時は、自分の精神力でスキルを使うって事は、車みたいに外からガソリンを供給しなきゃ使えないのとは違い、いくらでも使えるもんだと思っていた。

 けど違った。文字通り精神を削っているんだ。


「限界が来ると、どうなるんだ?」

「スキルが発動しなくなる。長距離マラソンをした後、体力が無くなくなって立っていなれなかったり、歩けなくなったりするのと同じさ」

「なるほど、ね」

「しかし、それでも尚、限界が来ても無理をして使った時……反動が起きる」

「反、動……?」

「そうだ。さっき話したマラソンで言うなら、次の日に筋肉痛になるようなものだ」


 無理に使い過ぎるとその分、しっぺ返しが来るってか。だけど、精神力の使い過ぎでなる反動って一体なんだ?


「だが、筋肉痛のような生優しいものじゃないけどもね」

「な、に? 精神力を使い過ぎるとどうなるってんだよ?」


 白羽さんは目を瞑り、一度大きく息を吐く。


「精神の崩壊だ」


 そして、白羽さんから言われた言葉は予想もしていなかったものだった。


「精神の崩壊、だって?」

「そうだ」


 俺はてっきり精神を使い過ぎると言うのだから、眠くなったり頭痛が起きる程度だと思っていた。

 しかし、答えはそれよりも遥かに重かった。


「スキルも禁器も、同じく精神力を消費して使うモノ。それ故、二つには共通のデメリットがあるんだ。精神の崩壊という、とても危険なね」

「でもよ……」

「だが君は信じられない、とは言えない。君はしっかりと、その危険性を自分の目で見ているからね」

「……え?」


 俺が、見ていた?

 しかし、頭の中をいくら思い返しても全くそんな覚えなど無い。


「解らないかい? 君が神社でモユ君に斬られた時の事を思い出してごらん」

「神社の……」


 言われて考えてみるも、やはりそれらしい所は浮かんでこない。


「いや、待てよ」


 今している話は、スキルと禁器の限界を超えての使用による反動と危険性。なら、あの場で俺が知る中でスキル、または禁器を使っていた人物……それは1人しかいない。


「まさか、モユか?」


 白羽さんは目を細め、俺に答える。


「その通りだ。あの時、モユ君が禁器の反動を受けた」

「でも、反動で精神が崩壊するような事は無かったぞ」


 それに、今隣の椅子には相変わらず無愛想なままのモユが座っている。もし禁器の反動によって精神が崩壊したのなら、今ここに座っている事は無い筈だ。


「うん。精神の崩壊……の一歩手前、が正しいか」

「……どういう事だ?」

「君も見ただろう。君を斬ってしまい、モユ君が錯乱状態になったのを」

「あ、あぁ」


 うっすらとだが、覚えている。沙姫を庇って代わりに斬られてしまった俺を見て、モユは狂ったように絶叫びをあげた。

 暗く、黒く、冷たい、神社の林の中で。


「でもあれは、俺を斬ってしまったっていうショックから混乱したんじゃない……のか?」


 俺はてっきりショックで気を取り乱し、動転したんだと思っていた。

 傷は塞がりはしたが、血はかなり出ていた。あれを見たら大人でも焦って混乱する人もいるだろう。


「確かに、それもあっただろう。だが、正確には違う。あれは禁器を使った反動を受け、モユ君は錯乱したんだ」

「違う?」

「さっきボールペンを斬った時の説明で聞いたろう。禁器を使って標的を破壊する場合、壊すイメージをすると」

「あぁ」

「だが君を斬ってしまう直前に、モユ君は咄嗟に破壊情報を切り替えた」


 そうだ。そのお陰で俺はほぼ無傷で済み、こうして生きている。


「しかし、それがいけなかったんだ。もとの破壊情報を一瞬にして切り替える程の集中力。それでモユ君はかなりの精神力を消費した。そして、そこで反動が起きた」


 白羽さんは前屈みに座り直し、説明を続ける。


「もとあった『斬る』という破壊情報と、後から『斬らない』という破壊情報。この2つが禁器の中でぶつかり合う」


 両手で握り拳を作り、それを胸の前でごつりとぶつける。


「咲月君。人が二人で殴り合い、互いの拳と拳をぶつけ合えば……その衝撃はどこに行く?」

「それ、は」


 白羽さんがぶつけ合わせた両手の拳を見る。


「衝撃は、互いに自分に戻ってくる。だから、この場合は……」


 自分でも気付かない内に両手を組んで作っていた拳を、強く握る。


「モユに返ってくる」


「そう。二人で殴り会えば出来た衝撃の半々が一人に返る。だが、モユ君の場合は禁器内で起きた破壊情報の相殺の反動が自分に全て返ってきたんだ」

「――ッ!」

「逆流してくる破壊情報の衝動が精神を激しく圧迫したんだろう。それに耐え切れず、モユ君は神社で錯乱したんだ」

「そう、だったのか」


 モユは俺を助ける為に、そんな危険な目に会っていたのか……。


「モユ君が精神を崩壊せずに錯乱するだけで済んだのは、まだ精神力が残っていたからだろう。流石、スキルの為に造られただけはある、という事か」

「ッ! 白羽さん……!」

「あぁ、そういうつもりで言った訳では無かったんだ。今のは言い方が悪かったね、すまない」


 モユが造られた事を軽く口にしたのに腹を立て、白羽さんを睨む。

 それに気付き、白羽さんは自分に非があったと詫びる。


「しかし、これで解ったろう? 禁器、そしてスキルを使うには危険が伴っているという事が」

「あぁ。モユが錯乱した時は目の前にいたんだ。どれ程のものかは解っている」


 あの無愛想で無口なモユが、顔を歪めて神社に響く程に絶叫んだ。それがどんな苦痛だったか、嫌でも解る。


「便利な能力だと思っていたけど、そうでもないんだな。スキルってのは……」


 いい気になってホイホイと使ってしまえば、自分自身を破壊してしまう。

 一度精神が崩壊してしまったら、それはもう、二度と戻す事は出来ない。

 壊れてしまった硝子細工のように――――。


「だから咲月君。もし君もスキルが目覚め、使う事になったのなら……それだけは覚えていて欲しい」


 握り拳を下ろし、白羽さんは警告するよう言う。


「解ってる。俺は……絶対に願いを叶えないといけないからな」


 視線を落として、眉間に薄らと影を作る。頭の中で自分の願いを何度も思い返して。懐かしいアイツの顔を、思い出して。


「けど、まだスキルが目覚めていない俺なんかよりも、禁器を使っているモユの方が危ないんじゃないか?」


 スキルを使えるのなら俺を心配する必要は無い。むしろ、禁器を使っているモユの方が精神崩壊になる危険性がある。


「うん、それは私も思っていた。そこで、モユ君に頼みがある」

「……頼み?」


 白羽さんが話し掛けると、モユは首を少しだけ傾けて返事をした。


「君が持っている禁器を私に預けて欲しい」

「……」

「そうすれば、モユ君がテイルに見つかった時、君と禁器の両方が同時に奴の手に渡るという、最悪の事態は無くなる」


 白羽さんの言う通りだ。モユと禁器を分けておけば、テイルに見つかっても片方だけは守れる。もし見つかってモユを連れ戻されても、禁器を奪われなければモユは禁器を使えない。

 逆に、禁器を奪われても、モユを守れば禁器を使える人がいない。


「……わかった」


 手首に掛けられたアクセサリーとなった禁器を一度見た後、モユは首を縦に振る。そして、手首からゆっくりとアクセサリーを外して白羽さんに差し出す。


「ありがとう」


 白羽さんは協力的なモユに礼を言い、禁器を受け取ろうと手を出す。


「って、ちょっと待て。大剣の時は持ち上げようとすると重くなったんだ。片手で大丈夫か?」


 片手で受け取ろうとした白羽さんに、重くなるのを思い出して止める。


「む……そうだったね」


 白羽さんは出した手を引っ込める。


「……大丈夫」

「え?」

「……この状態なら、持っても重くならない」


 モユは差し出したままの自分の手を見ながら喋る。


「本当かい?」

「……うん」


 それを聞き、白羽さんは再び手を出してモユからアクセサリーとなった禁器を受け取る。モユが手を放して、白羽さんの手の上に禁器が落ちる。


「確かに重くならない」


 少し半信半疑だったのか、白羽さんはモユの言う通りに重くならないのを見て驚嘆している。


「では、責任を持って預からせてもらう」


 そう言い、スーツの内ポケットに仕舞う。


「はーぁ、これで禁器なんて物騒なもんを使われる心配は無くなったって事か」


 大きく息を吐いて、椅子の背もたれに寄りかかる。


「残念だが、禁器はモユ君が持っていたモノだけではない」

「……あ?」


 白羽さんの言葉を聞いて、一瞬だけ動きが止まる。


「禁器は一つだけではなく、複数存在する」


 両手の指を絡ませた手を腿の上に置いて、白羽さんは話を続ける。


「ちょっ……待て待て! あんな反則の塊みたいなモノが他にあるってのかよ!?」


 背もたれから着けたばかりの背中を離して、身を乗り出す。


「そうだ。先ほど説明しただろう? 禁器は人が理解している破壊情報に優れていると。人が理解しているモノの壊し方は一つだけじゃない。幾つもある破壊情報の中、モユ君が持っていた禁器は『斬る』という破壊情報だったんだ」

「それじゃあ、禁器は全部で何個あるんだよ!?」

「それは解らない。二つかも知れないし、無数にあるのかも知れない」

「なんだよ、それ……」


 あんなモノが1つだけじゃなく、何個もあるってのか……それじゃあ、モユが持っていた禁器を預かっても無駄な抵抗で終わる場合もあるんじゃねぇかよ。


「それにね、SCはまだ禁器を持っている」

「な、に……?」

「そうだろう? モユ君」


 白羽さんは一度目を瞑った後、首は動かさず目だけをモユへ向ける。


「……うん。禁器はまだある」


 こくりと小さく頷いてから、モユは答える。


「……私の他にもう一人、禁器を使える人がいる」

「まだ禁器を持っている上に、使える奴がいんのかよ……」


 モユからSDCの情報と禁器を手に入れた事で、幾らかは状況は好転したかと思っていたのに、禁器を使える奴がまだいる。


 厄介な事が減らない現実に、頭を抱える。


「でも待てよ。モユ、お前、自分以外に禁器を使える奴はいなかったって言ってたじゃねぇか」


 それなのに禁器を使える奴が他にいるなんて、話が合わない。矛盾している。


「……それは造られたヒトの中で、という意味。もう一人は私のように造られたヒトじゃない」


 その言葉を聞いて、一瞬、頭の中にある人物がチラついた。一瞬でありながら、それは確信に近い予想だった。


「まさか、そいつの名前は……」


 頭を抱えていた手で、髪の毛をくしゃりと握り締める。

 その質問に答えようと、モユの口が開く。


「――――コウ」


 そして、確信は確定に変わった。髪の毛を掴んだまま、頭を下げる。


「やはり」


 白羽さんが呟くと、俺はぴくりと身体を反応させて頭を上げる。


「やはりっておい……白羽さん、あんた、知っていたのかよ――?」

「……あぁ、知っていた。と言うより、教えられたと言うべきかな。奴の気まぐれでね」

「教えられた?」


 ふぅ、と白羽さんはおもむろに息を吐き出す。


「前に、俺がSDCの最中でテイルに会った事を話しただろ?」


 隣に立っていたエドに話し掛けられ、エドの方へ首を曲げる。


「学校内を調べていた時に資料室で……だっけか?」

「そうだ。その話をお前にした時は故意に略いて話さなかったんだが、実はあの時にテイルが言っていたんだ。明星洋は『所持者』だってな」

「所持、者?」


 禁器に続き、また初めて聞く言葉が出てきた。


「禁器を持っている者、扱える者は『所持者』と呼ばれる事があるんだ。それで、明星洋――――いや、コウが禁器を使える事が解った」

「そ、んな……」


 その事実に、思わず項垂れる。


「エドからその話を聞いただけでは、私も完全に信じていた訳ではなかった。奴が適当な事を喋った可能性もあったからね。だが、モユ君もそう言う以上、本当の事だと確定したよ」


 そしてまた白羽さんは、ふぅ、と息を吐いて苦い表情を作る。


「……テイルは」

「うん?」


 話をしている俺達の間に、モユが自ら入ってきた。


「……テイルは、明星洋はスキルの為じゃなく、禁器を扱えるから拉致したって言っていた。貴重な禁器と人材を両方手に入れられたって」


 隣に座り、項垂れている俺を見ながら話す。


「……だから、禁器の力を最大限に引き出してデータが取れるように、好戦的な人工人格を入れたって」


 俺は項垂れたまま、無言で話を聞いていた。


「そうか。禁器は破壊するイメージが強ければ強い程に相応した結果出る。だからコウの人格は凶暴さがあるのか」


 モユの話を聞いて、白羽さんは顎に手を当てて納得している。


「それでモユ君、コウが使う禁器は……何かな?」

「……棍」

「棍? それは杖術などで使う、あの棍かい?」


 モユが使っていた禁器は、モユ自身を超す程の刀身を持った大剣。それを見て、他の禁器も同様に巨大な武器だと想像していた白羽さんは意外だったんだろう。


「……そう、その棍」


 コウが使う禁器が棍だと聞いて、俺は微かに背中を動かして反応する。


「……そして、持つ破壊情報は――――『崩す』」


 そして、禁器の持つ破壊情報が『崩す』だと聞いた時も、何かが頭に引っ掛かった。


「『崩す』……? ふ、む。モユ君のは『斬る』と解りやすいモノだったのに比べ、『崩す』というのはどういうのか、いまいちよくピンと来ないね」

「……斬るのも崩すのも、大して変わらない。形あるモノを壊すだけ」

「ふむ、そう言われてもな……」


 口を覆い隠すように手を当て、白羽さんは考え込む。


「俺、コウの禁器……見た事ある」

「うん?」


 喋りながら、ゆっくりと顔を上げる。


「SDCで初めて会った時も、河川敷で会った時も……そうだ、奴は確かに持っていた」


 白羽さんとは目を合わさずに喋り続ける。まるで独り言を呟くように。


「それは初耳だ」

「俺だけじゃない。エドも見た事がある」


 頭の中にあるコウの記憶を漁るように思い出す。


「俺も……?」


 エドは腕を組んで思い返してみる。


「SDCで初めてコウと会った時だ」

「初めてコウと……あの時か!」


 俺に言われ、エドは思い出してハッと顔を強張らせる。


「確かに奴は棍を使っていた……あれが禁器だったのか!」

「モユの話を聞けば、そう考えるのが妥当だと思う。それに……まだ他にも思い当たる節がある」


 額に手をやり、何かを思い出しながら目を細める。


「その節というのは、何かな?」


 そして白羽さんが聞いてきた。


「モユが、コウが持つ禁器の破壊情報が『崩す』だと言った時……何かが引っ掛かったんだ」

「引っ掛かった?」

「あぁ。そして考えてみたら、その引っ掛かりが何なのかが解った。それと同時に、コウが使っていた棍が禁器だと確定した」

「じゃあ、その引っ掛かりというのは一体なんだったんだい?」

「引っ掛かった……いや、引っ掛かっていた点は二つあった」


 額から手を離して、両肘を腿の上に乗せて前屈みに椅子に座り直す。


「まず一つは、SDCで初めてコウと会って戦り合った時。奴が振るった棍を避けて、外れた攻撃は近くにあった水飲み場に当たったんだ」


 あの時の事を思い出して話をする。出来ればあまり思い出したくない。辺りが真っ赤に染まって鉄の匂いが漂うあの光景。


「当たった水飲み場は当然、音をたてて崩れた」

「うん。それで?」

「普通なら壊れた、破壊されたと思う所を、俺は無意識に『崩れた』と思ったんだ」

「ふむ……」

「さらに、その後にまたコウの攻撃を避けて、空振った棍が地面に当たり、棍の辺り一メートルの地面が抉れるように穴が空いた」


 あれは不自然な割れていた。縦に亀裂が入るでも、深くめり込むでもない。

 棍を中心に可笑しな形で穴が空いていた。


「それを見て俺は、違和感を感じた。その時はコウの相手をするので精一杯だったから考える余裕が無かったけど……」

「その違和感というのは?」

「さっきの水飲み場と同じだ。穴が空いた地面を見て、俺は『崩れ壊れた』って思ったんだ。今思えば、『崩れ壊れた』なんて表現の仕方は可笑しい」

「崩れ壊れた……確かに、その表現は不自然だ」


 ふむ、と白羽さんは一言漏らす。


「なのに、自然とその表現が頭に浮かんだ……となると、人が理解している破壊情報を用いて禁器は出来ている。咲月君は恐らく、地面が壊されたのを見て無意識に禁器の破壊情報を感じ取ったのだろう」

「禁器の破壊情報を感じ取るなんて、そんな事が出来るもんなのか?」

「出来るさ。今言っただろう、禁器は人が理解している破壊情報が使われていると。なら、人間である咲月君が微かであれ、感じ取るのは不可能ではない」


 まぁ、そう言われてみればそうかも知れないけど……そんな実感なんて無いし、出来たつもりも無い。


「これが二つの内の一つ。なら、もう一つの引っ掛かっていた点はなんなんだい?」

「それはこの間の神社で奴と戦り合った時だ。あの時、コウは棍じゃなくて鉄パイプを使ってたんだよ」


 テイルとの会話で、その鉄パイプは近くで拾って来たとコウは言っていた。


「そういえば……前にSDCで見た棍じゃなくて鉄パイプを使っていたな、あいつ」


 エドも思い出して頷いている。


「それで、奴が振り回した鉄パイプが木に当たってめり込んだんだ」

「それを見て、また違和感があった、と?」

「あぁ。その時はコウにダメージを与えて幾らかは弱っていたってのもあった。だけど、前にS.D.C.では棍を振るってコンクリートで舗装されていた水飲み場を破壊したのに比べて、明らかに威力が段違いに低い」


 その時に感じた事を思い出しながら、説明を続ける。


「水飲み場を壊した時は、ただ単にとんでもない馬鹿力を持っているんだと思った。けど、神社で戦った時のを考えると、馬鹿力を持っていたとしたらあまりに破壊力に差がある。そうなると、コウが物凄い力を持っていたんじゃなく別な所に水飲み場を壊せる理由があると予想出来る」

「なるほど。そして、その理由として当て嵌まったのが……」

「モユが教えてくれた。コウが禁器である棍を使っていた、という事」


 それで全ての違和感が繋がった。


 SDCでコウが破壊した水飲み場や地面を見て、『崩れ壊れた』と不自然な表現をしたのは、コウが使う禁器が『崩す』の破壊情報を持っていたから。

 そして、神社で戦り合った時にコウの攻撃の威力が落ちていたのは、禁器ではなく、ただの鉄パイプを使っていた為。

 一つの破壊行動に特化した禁器と比べれば、威力が下がるのは当然。


「モユ君を信じていなかった訳ではないが、咲月君の話を聞く限りコウが禁器を使うというのは確実、か」

「だと思う。でなきゃ、あの違和感とコウの攻撃の優劣の説明がつかない」


 しかし今考えてみたら、禁器の存在を知ったのはついさっきだって言うのに、実際はもっと前に俺は実物を見ていたんだな。

 もしかしたら、スキルも知らず知らずの内にどこかで目にしている可能性もあるって事になるな。


「だがしかし、なぜコウは神社の時は禁器を持っていなかったのか……」


 禁器を使えるのに禁器を持っていなかったコウに、白羽さんは疑問を持つ。


「そういえば……コウとテイルが会話で『置いてきた』、みたいな事を言っていた気がする」

「置いてきた……ならば、コウは持っていなかったのではなく、持ってこなかったのか」


 白羽さんは顎を引いて何かを考え始める。


「……あの日は、禁器を調べるから置いてきたって言ってた」

「調べる?」


 モユが禁器を置いてきた理由を口にする。


「……うん。いつもは私の禁器を主に調べていたから、あの日はコウの禁器を調べて、私には禁器を持たせて慣らしを含めて一緒に行動した」

「禁器が扱える条件が未だ解明されていない以上、両方の禁器を調べるのは当然か……」


 しかし、白羽さんは納得がいかないと言った顔をしている。


「なのにだ、モユ君と禁器を自ら手放すような事をするとは、テイルは一体何を考えている……?」

「えぇ、確かに。やっている事が支離滅裂だ。今回も奴の気まぐれ……ですかね?」


 白羽さんが納得出来ない理由にエドも同意する。


「いや、ただの気まぐれにしては動いている情報が大き過ぎる。何か狙いがあっての行動、か?」

「そうだったとしても、数少ない禁器を扱える人材とその禁器、ですからね」

「相変わらず、奴の行動と考えは予想出来ないな」


 意図が掴めず、テイルに遊ばれている気がした白羽さんは視線を落とし、不機嫌そうな顔になる。


「それに加え、人間を造り出すという人道から外れた事までしている。目的の為ならなんでもやるか……ふざけているよ」


 最後の方は怒りからか、低く重い声になっていた。


「……人間じゃない」

「うん? なんだい?」


 白羽さんの言った言葉に反応してモユが喋りだす。


「……造られているのはヒト。人間じゃない」

「人間ではなくて、ヒト……? 少し気になっていたが、モユ君は先程から人、人間と言わずに『ヒト』と言っているね」


 白羽さんは誰も気付かなかった小さな事に、唯一気付いていた。


「人間でも人でもなく、ヒト。わざわざ言い換える理由が何かあるのかい?」


 その質問に、モユは一度視線を落としたあと、少し間を空けてから口を動かした。


「……ヒトはヒト。人間でも人でもない、ヒト。ヒトであって人でない、モノ」


 そして、淡々とした口調で話していく。


「……人によってヒトの形をもって造り出されたモノ。人により人を元に人ではなくヒトとして生み出された、『モノ』。人でも人間でもない、人に似せた『ヒト』」

「人を基に、ヒトとして造り出された『モノ』……?」

「……ヒトとして生まれ、モノとして造り出され、人として生きる事を否定された……『否人ヒト』」


 赤茶の眼で白羽さんを見つめたまま、ごく当たり前のように表情を変えずにモユは話す。

 自分自身がどれだけ悲しい事を言っているかも知らずに、理解らずに。


「……私みたいに造られたヒトは、スキルと禁器の為に造られたモノ。だから人じゃない、人間じゃない」

「スキルと禁器の為に造られただけ。人としてではなく、物として造られたというのか……」


 白羽さんの顔に、影がかかる。


「つくづくふざけている……ッ!」


 冷静な態度ではあるが、その言葉からは怒りが見える。


「……『Man Of Unfinishd』という言葉の頭文字を取って『MOU』、モユと名付けられた」

「Man Of Unfinishd……直訳で『未完成の人』という意味か」


 それは人として生まれたのではなく、ヒトとして造られた事。

 スキルと禁器を調べる、集める為の試験体である事。

 そして試験体は永遠に試験体であり、完成される事はないという意味を示していた。


「どこまで人を馬鹿にしてやがる!」


 そんな気が利いたのか嫌味なのか皮肉なのか解らない名前に、腹を立てる。

 いや、腹を立てているのは俺だけではない。この場にいるモユを除く全員がそうだった。


「……それと、コウの名前も同じように付けたって聞いた」

「コウも!?」


 予想外の名前が出てきて驚く。


「……コウは『Character Of Unfinishd』から名前を付けたと聞いた」

「character……モユ君が未完成の人ならコウは未完成の人格、か」

「くそっ……ふざけた名前を付けやがる!」


 椅子の手摺りに、強く手を叩きつける。

 あぁ、今になって名前を聞いた時にテイルとコウが笑っていた理由が分かったよ……!

 コウの野郎がモユの名前になぞって、自分に『COU』と名付けた。だから、あの時にテイルは『なるほどなぁ』と言ったんだ。

 ばか笑いしていたのはそれだ。モユの名前に因んで、コウが自分に嵌まった名前を付けられたのか面白かったんだろう。

 理由を知った俺は全く笑えない。むしろ腹立たしさしか起きない。


「モユ、これだけは言っておく」


 モユの方を向き、真剣な眼をする。


「ヒトとして造られようがモノとして扱われようが、お前は俺と同じ人だ」

「……同じじゃない、私は――――」

「同じだ! お前だって喋れる口を持ってるし、自分で考えられる頭もある! 違う所なんてあるか!? ねぇだろ! お前は俺と同じ人なんだ!」


 静かに喋るモユとは対照的に叫ぶように声を出す。


「ヒトでもモノなんかでもない。お前もれっきとした、ただの人なんだよ」


 そして、どこか泣いてしまいそうな弱々しい顔でモユに言い聞かせる。


「咲月君の言う通りだ。君は私達となんら変わらない人間さ。こうやって言葉を交わして話を出来ているんだ」

「……私がヒトじゃなくて、人?」


 少し戸惑うかのように、モユは俺を見つめる。


「そうだよ、お前は人だ。そこいらによく居る、アイスが好きなガキンチョだよ」


 笑って、モユの頭をポンポン、と軽く触れる。


「……私が、人……」


 一言呟いて、視線を少しだけ下げる。


「さて、咲月君」

「はい?」

「モユ君なんだが、ここで預かろうと思う」


 白羽さんは椅子の背もたれに寄り掛かる。


「まぁ妥当……というか、それしか無いか」


 俺の部屋に連れて帰る訳にもいかないし。

 何より、一人暮らしの俺がモユを預かるのは色々とマズイ。いや、間違いが起きるとかそういうのは全く無いと言い切れるが、世間体の目がね。

 今まで一人暮らししていた学生の部屋に、いきなり女の子が一緒に暮らし始めたらなんて思われるか。


 学校で人付き合いの少ない俺は、勿論近所付き合いも無いに等しい。

 そんなんで俺がモユを預かって一緒に住んでみろ。主婦の井戸端会議のネタにされる上に、ある事ない事を付け足されて変な噂が流れちまう。

 おばさんの噂程、広がるのが速いもんはない。

 俺はあんまり人目を気にしない方だが、流された噂が原因で近所のおばさんとすれ違う度にひそひそ話をされたりしたら、さすがにストレスを感じてしまう。


「ここなら常に私がいるからね。テイルに居場所がバレても、簡単にはモユ君には手を出せないだろう」

「白羽さん、モユを頼む」


 椅子に座ったまま、白羽さんに深く頭を下げる。


「あぁ。モユ君は奴等にとっても私達にとっても重要な存在だ。だがそれ以前に、子供を守るのは大人の役目だからね」


 頭を下げて頼む俺に、白羽さんは微笑って返す。


「モユ、白羽さんに迷惑掛けねぇようにな」

「……私、ここに住むの?」

「そうだ」

「……あのおじさんと?」


 モユは白羽さんを指差して、とんでもない一言を放った。


「おじ……」


 まさかの白羽さんに対しておじさん呼ばわりするモユに、俺は一瞬固まる。


「ははっ、そういえばまだ自己紹介をしていなかったね。私は白羽と言う。好きに呼んでくれて構わない。ただ、出来ればおじさんはやめて欲しいな」


 指差した上におじさんと呼ばれた白羽さんであったが、怒りもせずに笑って流す。見事な大人の対応だ。


「……わかった。白羽」


 悪気があってやった訳では無いモユは、素直に白羽さんの要望を聞き入れている。

 つーか、俺と同じで白羽さんまで呼び捨てなのね、お前は。


「それじゃあ、仲良くやりましょうね。宜しくね、モユちゃん」


 深雪さんはモユの隣に歩み寄り、屈んで椅子に座るモユの目線の高さに合わせる。


「……このおばさんも一緒なの?」


 白羽さん同様、モユは深雪さんにも指を差して俺を見る。

 俺が言ったんじゃないのに悪い気がするのはなぜだろうね。


「お、おば……っ!」


 その一言で、にっこりと優しく微笑んでいた深雪さんの眉間には皺が寄り、辛うじて笑顔は保っているものの口は斜めに引きつる。

 歳を気にしている深雪さんには、おばさんの一言は会心の一撃だったらしい。


「ぷ、ぷぷ……」


 それを見て、エドは深雪さんに気付かれないように顔を逸らして笑っている。


「ご、ごめんねぇ。名前教えてなかったから仕方ないわよねぇ」


 引きつった笑顔で平穏を装いながら、深雪さんは残り少ないHPで耐えている。

 耐えてはいる。耐えているが、モユが深雪さんを差している指で突いたらトランプタワーの如く崩れ落ちてしまいそうだ。


「私は高峰深雪。私も好きに呼んじゃって構わないわ。例えば、お姉さんとか」


 お姉さん、の部分だけを異様に強調して遠回しに呼び方を要望している。


「…………」


 無言で深雪さんと白羽さんを交互に見て、こくん、とモユは頷く。


「……あっちが白羽、こっちが深雪。うん、覚えた」


 顔と名前を確認するように、2人をまた指を差す。


「よ、呼び捨て……確かに好きに読んでいいとは言ったけど……」


 深雪さんの要望は見事にスルーされる。


「はぁ……まぁ、おばさんよりは遥かにマシか」


 深雪さんは屈むのをやめて背を伸ばしながら溜め息を吐いて、お姉さんと呼んでもらうのは諦めた。


「お姉さんじゃなくて残念ですねぇ、深雪お姉さん」

「エド、あんたに呼ばれると嫌味にしか聞こえないわ」

「それは良かった。嫌味に聞こえなかったら本当におばさんでしたよ」


 余程、深雪さんがおばさんと呼ばれたのが面白かったのか、エドが乗っかってからかう。

 本当、いい性格してんな、コイツはよ。この本性をクラスの奴等全員に見せてやりてぇわ。


「……? この人は?」


 モユは、次にエドに人差し指を向ける。白羽さんと深雪さんにはおじさん、おばさんと呼んだけど、エドは『この人』なのね。

 まぁ、二人によりは若いし俺と近い歳だからな。おじさん、は違うと思ったんだろ。


「あぁ、こいつの名前は覚えなくていいぞ。覚えても無駄なだけだ。あと基本無視した方がここで楽しく過ごせる」

「おい。まるで俺と関わりを持つなって言ってるように聞こえるんだが?」

「おー、そりゃ良かったな。そう聞こえなかったら、お前も頭がおじさんだった所だ」


 つい先程エドが深雪さんに言った事をそのままにして返す。


「テメェと関わりを持つとろくな事が無ェのは身を持って知ってるからな」


 一体、何度コイツに振り回されたか。


「俺はエドガーって言うんだ。エドって呼ばれている。宜しく、モユちゃん」


 にっこりと学校の時の優等生みたいにエドは気色悪く笑う。クラスの女子が見たら黄色い声が飛び交うんだろうが、本性を知っている俺には気色悪さしかない。


「うぇ……」


 あまりに気色悪いんで、口から舌を出す。


「……わかった、この人はエド」

「お、そうそう! 覚えてくれて嬉しいよ」


 あ、クソ。モユがエドの名前を覚えやがった。しょうがない、あとでアイスをあげてアイツの名前は忘れてもらうか。


「でも、なんでモユちゃんはお前に会いに来たんだ?」

「あ?」


 唐突にエドが疑問を口にする。


「車から抜け出して、近いとは言えない学校まで歩いてさ」

「んー……アイスが食いたかった、とか?」

「そんなの、別にお前じゃなくてもいいだろ」

「だよなぁ」


 確かに改めて言われてみると、どうして俺に会いに来たんだろ? 別段、そんなに親しい関係でもないし。まぁ、多少気になってはいたけどさ。


「なぁ、モユ。なんで俺なんかに会いに来たんだ?」


 目の前に本人がいるんだから、あぁだこうだ言わずに聞いた方が早い。


「……わからない。なんで匕に会いに行ったのか、わからない」


 一言言って、モユは少し俯く。


「……ただ、なんでか会わなくちゃいけない気がした。お腹の下あたりがモヤモヤして、凄くすっきりしない」


 俯いたまま、モユは自分のスカートを握り締めていた。


「モユちゃん」


 深雪さんはしゃがんで、モユの手の上に自分の手を乗せる。


「それはきっと、匕君に謝りたかったんじゃない?」


 温かく柔らかい声で、深雪さんは喋る。そして、優しくモユの手を握る。


「……謝る?」

「そう。モユちゃんは匕君に酷い事をしちゃって、それを気に掛けていたんだと思うの」


 その握られた手を、モユは無意識に握り返していた。


「モヤモヤしていたのも、すっきりしなかったのも……それは匕君を心配していたからじゃないかな? 今もまだ、モヤモヤする?」

「……うん」


 こくり、とモユは俯いたまま小さく頷く。


「……どうすれば、これは消えるの?」

「今も言ったように、謝ればいいと思うわ」


 深雪さんは俯くモユを真っ直ぐに見つめる。


「ごめんなさい、って」


 優しく微笑んで、モユの手を覆うように自分の両手で握ってあげる。


「ね?」

「……うん」


 俯いていた顔を上げて、モユはやっと深雪さんの目を見つめ返した。


「……匕」


 椅子から降りて、モユはこちらに身体を向ける。


「……ごめんなさい」


 そして無表情でありながら、どこか泣きそうな目をさせて謝った。頭を下げて、小さな声で。


「い、いや……いいって、モユ。謝んなくたって」


 予想だにしていなかったモユの行動に、少し焦る。


「そりゃお前に斬られてブッ倒れはしたけど、この通り俺は生きて元気だし、傷も残っていない。謝る必要なんてねぇよ」


 確かに神社でモユに斬られて胸に傷を負った。けど、モユのお陰でその傷は無くなったんだ。それも、禁器の反動で精神にかなりの負担を掛けて、錯乱してまで。

 斬ったのも、傷が無くなったのもモユがした事。なら結局の所、プラスマイナス0みたいなもんだ。


「だから顔を上げろよ、な?」


 モユが俺に付けた傷をモユが無くしたのなら、何も悪い事なんてしていない。だから、謝られる覚えはない。


「なんだ? 匕、お前照れてるのか?」

「うっせぇ」


 先程のお返しと言わんばかりに、横からエドにからかわれる。

 まぁ、正直言えば少し照れたけどな。なんかこう、素直に謝られると何故か抵抗があるって言うか、背中が痒くなるって言うか……。

 多分、ただ単に俺がモユと違って素直じゃなくて捻くれているだけか。


「……いいの?」


 モユは顔を上げて、赤茶く大きな目で見てくる。


「おう、気にすんな気にすんな。小さい事を気にしてたら大きくなんねぇぞ」


 実際は小さい事なんて言える出来事じゃないけどな。大剣で胸から腹までぶった斬られるなんてのは。

 でもまぁ、俺も無事だし、モユだって悪気があった訳でも無い。つーか寧ろ、謝って欲しいのは隣に立っている金髪の方なんだがな。

 俺に濡れ衣を着せたり、用も無いのに暑い中一時間以上も待たせたり、半ば騙す形で楽しくも無い祭りに付き合わされたり。

 地獄の閻魔様に舌じゃなくて、そのご自慢の金髪を全部抜かれちまえ。


「良かったね、モユちゃん」

「……うん」


 深雪さんはモユの視線の高さに合わせて屈み、赤い口紅の塗られた唇を柔らかく曲げて微笑む。

 モユは深雪さんに一言だけを返して、またこくん、と頷いた。

 なんか、今の深雪さんを見てたらお姉さんってより、お母さんって感じがした。いや、前の歳を気にしていた所を見ると、多分独身なんだろうけど……。

 なんて深雪さんにちょっと失礼な事を考えていると、ピンポーン、とありきたりなインターホンの音が聞こえてきた。


「あら、誰かしら?」


 音に反応して、深雪さんは屈むのをやめて立ち上がる。


「深雪君、すまないが頼む」

「あ、はい」


 白羽さんが視線を送ると、深雪さんは分かりました。と部屋のドアへ向かう。

 すると、ピンポピンポピンポピンポーン! とインターホンが頻りに五月蝿く鳴らされる。


「はいはーい、今行きますからぁ」


 何度も鳴らされるインターホンに急かされ、深雪さんは部屋から駆け足で出ていく。


「何回鳴らしてんだよ、来た奴は」


 何回も何回もインターホンを鳴らすなんて、まるでガキだな。モユでもしねぇぞ、んな事。……多分だけど。


「なんか、廊下が騒がしくないか?」


 エドは部屋のドアの方を向いて言う。


「言われてみれば、そうだね」


 白羽さんもエドと同様にドアを見る。


「騒がしいっつーか……誰かが叫んでないか、これ」


 二人に釣られて、という訳ではないが、俺もドアを見る。

 よくは聞き取れないが、何かが音を立てていると言うより、誰かが大声を上げているようだ。しかも、声が次第に大きくなっていく。段々とこっちに近づいて来ているような……。


 すると、三人が目を向けていた部屋のドアが、これでもか! という位に勢い良く開けられた。

 それはもう、ブッ壊れるんじゃないかと思う程に豪快な音をさせて。と同時に、怒号にも似た声で名前を呼ばれた。


「咲月先輩、いたぁぁーーっ!」

「さ、沙姫っ!?」


 ドアの向こうから姿を現したのは沙姫だった。しかし、眉の間に皺を寄せて物凄い剣幕をさせ、さらには米噛みに青筋を立てている。

 あぁ、その様子だけで十分に解る。大変ご立腹だというのが。


「やーっぱりここでしたかっ! 何ですか、さっきの電話は! 人を待たせておいて勝手に切るってどういう事ですか!」


 ズンズン、と重々しい足音を唸らせながら俺の方へと近づいて来る。

 本当はスリッパを履いていて、ぺったんぺったんと可愛らしい音なのだが、沙姫の怒りのオーラがそう聞こえさせた。


「と、とにかく落ち着け。な? その様子だと走ってきたんだろ? まず冷房に当たって熱を冷ませ」


 沙姫の額に浮かんでいた汗を見つけ、話を逸らす。


「あ、本当だ。涼しぃー……って、そんなので誤魔化されませんよ!」


 ちっ、やっぱ駄目だったか。

 沙姫は単純な所があるからいけるかと思ったが、さすがに安直過ぎたか。


「さぁ、言い訳があるなら聞いてあげなくも無いで――――えっ?」


 ある事に、いや、ある人物がいる事に気付いた沙姫は、言葉を途中で止めて戸惑いを見せる。

 怒りで頭に上っていた血も引いていく。

 沙姫が立つ位置と俺が座っている位置。その間には一人の少女が挟まれていた。


「な、なっ――――」


 沙姫はモユから離れようと凄い勢いで後ろに下がり、壁に背中をぶつける。


「なんでここに、その子がいるんですか!?」


 椅子に座るモユを指差す沙姫の手は震えている。そして、怒りによって出来ていた剣幕は、今は恐怖によるものに変わっていた。


「沙姫、落ち着け。大丈夫だから」

「大丈夫って……その子は私を、咲月先輩を斬った子なんですよ!?」


 まるで仇でも見るかのような目付きで、沙姫はモユを睨む。

 神社での出来事を思えば無理もないか。


「ちょっと沙姫! 勝手に上がるなんて失礼でしょ……沙姫?」


 少し遅れて、沙夜先輩も部屋に入ってきた。恐らく、沙姫と一緒に来ていたんだろう。


「あの子、確か神社での……」


 モユの存在に沙夜先輩も気付き、入り口で立ち止まる。


「あっちゃあ、遅かった……」


 沙夜先輩の隣で、額に手を当てる深雪さんがいた。


「まさか、こうも早く会ってしまうとはね……」


 参ったよ、と言いたそうに白羽さんは肩を竦める。

 神社での出来事が出来事だ。白羽さんは、沙姫と沙夜先輩がモユと会わせないつもりだったんだろう。

 助かったとは言え、沙姫はモユに殺されかけたんだからな。


「沙姫」


 椅子から立ち上がり、沙姫に歩み寄る。


「いいから。あいつは、モユは大丈夫だ。もう大丈夫だから」


 震えながら指差したままの沙姫の手に触れる。


「な?」


 次第に震えは止まっていき、指差していた手も下がる。


「……本当、ですか?」

「あぁ、本当だ」


 少し潤ませた瞳で俺を見て、信じてくれたのか沙姫は安堵した表情になる。きっと、いきなりモユを目の前にして混乱もしていたんだろうな。


「ほれ、一回深呼吸」


 俺が言うと、沙姫は言われた通り、すーはーと深呼吸をする。


「落ち着いたか?」

「はい、お陰様で」


 取り乱したのが恥ずかしかったのか、沙姫は苦笑いするようにはにかんだ。


「白羽さん、どうします? 見られた以上、何かしら説明はしないといけないんじゃ?」


 いつの間にか白羽さんの後ろに移動していたエドが、沙姫と沙夜先輩に聞こえないように白羽さんの耳元で喋る。


「ここは私に任せてくれ」


 白羽さんはエドに小さく答える。


「沙姫君、沙夜君。驚かせてしまってすまなかったね」


 別に白羽さんが悪かった訳でもないのに謝る。

 それは白羽さん自身も分かってはいたが、驚かせたのは事実だからだ。


「い、いえ。沙姫が勝手に上がったのが悪いんですし、白羽さんは何も……」


 沙夜先輩もそれを分かっているようで、謝られた事に焦りながらも白羽さんが謝る事を否定する。


「でも、なんであの子が?」


 沙夜先輩は少し怖そうにモユを見る。


「うん。実はね、彼女は複雑な家庭の事情を持っていてね」


「事情、ですか?」

「彼女には両親がいないんだ」

「……っ」


 両親がいないと聞いて、沙夜先輩の表情が固くなる。

 いきなり何を言い出すのかと思って俺は白羽さんを見ると、目で何かを言っているのに気付き、ここは任せる事にさた。

 それに、モユに両親がいないってのは一応嘘じゃないしな。


「そして知り合いに預けられたらしいんだが……預けられ先では良く思われてなかったらしい」


 白羽さんはスラスラと作り話を喋っていく。即興でよくそんな話を簡単に作れるもんだ。


「内容は伏せるが、その預けられた先でいざこざがあってね。それ以来、時々だがモユ君は精神が不安定になる事があるんだ」

「そう、だったんですか……」


 白羽さんの作り話を真に受け、沙夜先輩はモユを同情の目で見ている。本当の事は話せないからとは言え、こうも信じられると悪い気がしてくる。


「悪いが、話せるのはここまでだ。これ以上は仕事上、話せない」


 上手い。警察という職業を使って上手く誤魔化した。


「そんな、白羽さんはそういうお仕事ですから……」


 沙夜先輩の様子からすると、白羽さんが警察の人だというのは知っているみたいだ。ただ、きっと白羽さんの事だ。SDCについては話していないだろう。

 モユがSDC絡みだというのを伏せているし。


「それでね、色々あって彼女をここで預かる事になったんだ。治療も含めてね」


 ふと気付くと、白羽さんが俺を見ていて、目が合うと小さく微笑んだ。その微笑いが何となく、口を合わせてくれと言っているのが分かった。


「そういう訳で、ちょこっと知り合いだった俺が白羽さんに呼ばれてさ」


 白羽さんの意図にに気付いたという返事の代わりに、俺は話を合わせながら沙姫を見る。


「それで学校に居なかったんだ。電話も勝手に切って悪かった。正直に話す訳にもいかなかったし、いい言い訳も思い付かなくてよ」

「いえ、もういいですよ。気にしてませんから。それに理由を聞いたら、しょうがなかったみたいですから」


 落ち着きを取り戻した沙姫は、胸元の高さで手をパタパタと振っている。


「形はどうであれ、知り合ったのも何かの縁だ。出来れば、彼女と仲良くなってやって欲しい」


 そう白羽さんが言うと、沙姫は視線を俺からモユに移して見つめる。


「仲良く……うん」


 小さく呟いてから、沙姫は何かを決意したような表情をさせて、モユに近づいていく。


「あ、おい。沙姫?」

「大丈夫ですよ、咲月先輩。私はもう落ち着きましたから」


 モユの前で沙姫は止まり、しゃがんで目線の高さを合わせる。


「モユちゃん、だっけ?」


 名前を呼ばれ、目の前に立っていたのに、ようやく沙姫はモユと目が合った。


「私は沙姫って言うの。さっきはごめんね、ちょっと驚いちゃって」


 沙姫はいつもの元気な笑顔で、モユと話をしている。


「咲月先輩とは知り合いなんだ」


 沙姫が後ろを向いて俺を見ると、モユも追って見てきた。


「……匕と?」

「そ。だから、咲月先輩の知り合い同士仲良くしよう?」


 言って、沙姫はモユへ手を差し出す。


「……うん」


 頷いて言葉を返し、モユは差し出された沙姫の手に触れる。


「よし、これからよろしくね!」


 触れたモユの手を握り返して、沙姫は上下に握手した手を振る。

 白羽さんの作り話である程度の蟠りは取れたとしても、そう簡単に割り切れるもんじゃないと思っていたんだけど……まさか、すぐに打ち解けてくれようとしてくれるなんてな。

 本当、こういう時に沙姫の切り替えの早さは有り難いと思う。


「……よろしく。えっと……」

「沙姫だよ。水無月沙姫」

「……うん、覚えた。沙姫」


 顔と名前を確認するように沙姫を見てから、モユは一度頷く。


「あ、ちなみにあそこに立っているのが私の姉さん」


 また沙姫は後ろを向いて、ドアの前に立ったままの沙夜先輩を見る。


「……姉さん?」


 きょとん、として沙姫が言った同じ言葉を言い返す。


「こんにちは、モユちゃん。聞いた通り、沙姫の姉の沙夜って言うわ。妹共々よろしくね」


 沙夜先輩は沙姫の隣まで移動して、モユに笑い掛ける。


「……沙姫と、沙夜。名前が似てる」

「姉妹だからね、名前も似ちゃってるのよ。ちょっと覚えにくいかな?」


 苦笑する沙夜先輩。


「……姉妹だと似ているの?」

「まぁ、ね。家庭によるけど、似てる場合が多いんじゃないかな」

「……ふぅん。でも――」


 沙夜先輩と沙姫を何度か交互に見た後、モユは一呼吸置いてから口を開く。


「……名前は似てても、沙姫と違って沙夜の方が綺麗」


 一瞬時が止まり、部屋が静まり返る。


「ぶっ……」


 そして数秒後、静寂から一気に笑い声で賑やかになる。


「だっははははははっ!」


 思わず吹き出して腹を抱えて笑う。


「くっ……くくく」

「あっはははは」


 エドは手の甲で口元を隠しながら、深雪さんは隠しもせずに豪快に笑っている。

 ちなみに、白羽さんは顔を俯せているが、声を殺して笑っているのは簡単に予想出来る。だって肩が震えてんだもん。


「ちょっ、なんで皆笑うんですか!」

「だ、だってよ……ダメだ、腹痛ぇ」


 あまりに爆笑し過ぎて腹が痛い。


「……私、何かおかしな事、言った?」


 なんで周りが笑っているのかが分からず、モユは首を斜めにする。


「いいえ、モユちゃんはなーんにもおかしな事は言ってないわよ」


 沙夜先輩は笑いで目に涙を溜めている。

 モユに綺麗と言われて、沙夜先輩は機嫌が良くなったように見える。いや、それだけじゃなくて沙姫がイジられたのが面白かったんだろう。


「おかしな事っていうか失礼な事を言ったでしょ! なんですか、私と違って姉さんは綺麗とは!」


 納得いかないと、沙姫はじたんだしている。


「失礼な事なんて言いましたっけ?」

「本当の事の間違いでしょ」


 俺が沙夜先輩に聞いてみると、さらに沙姫を煽るような言葉を言う。ま、わざとだけどね。振った俺も沙夜先輩も。


「むっかー! 私だってそれなりに綺麗ですもん!」


 煽られた沙姫は更に頭へ血を上らせていく。つーか、それなりに綺麗ってなんだ。それなりにって。

 しかも残念。沙夜先輩はかなり綺麗だ。お前が自分で言う通り、それなりに綺麗だったとしても完全に負けている。


「あ、沙姫ちゃん。私手鏡を持っているけど使う?」

「どういう意味ですか、それ!? って言うか深雪さんまで!」


 俺が沙姫を煽るのを見て、深雪さんも面白そうと言わんばかりに混ざってきた。


「沙姫」


 深雪さんに続いて、俺が沙姫の肩に手を乗せて一言。


「見ない方がいい」


 そして、真剣な表情で微かに首を横に振る。さながら、ドラマで彼氏の遺体を確認しようとする彼女を止める刑事のように。


「なんでそんな真剣な顔なんですか! しかもどっかの刑事ドラマばりに!」


 俺の意図を読んだかのように的確な突っ込みが返ってきた。いい突っ込みしてんな、お前。


「なんですかもう、皆して私をいじめて!」


 頬っぺたをまん丸に膨らませて、沙姫はプイッと外方を向く。


「……白羽、深雪、エド、沙姫、沙夜……」


 沙姫が半ばいじけている時、モユは1人1人の名前を復唱しながら指を折る。


「ん? どした、モユ?」

「……覚える名前が多くて大変」


 無表情で大変と言われても、全然大変そうには見えないんだけどな。でも確かに、いきなり5人もの名前を覚えるのは少し大変かも知れない。


「だったら、あいつの名前は忘れていいぞ」


 親指を立てて、それを金髪の方へ向ける。


「おい」


 そんな俺の半分本気の冗談に、エドは一言だけの突っ込みを返して来た。沙姫と違って突っ込みスキルねぇな、お前はよ。


「……わかった、忘れる」


 ところがどっこい、俺の冗談にモユは真顔で頷く。真顔というより無表情、と捉えた方がしっくりくるけどな。


「ちょっと待て、モユちゃんが言うと本気にしか聞こえないんが」


 冗談の通じなそうなモユに、珍しくエドは焦りを見せる。ざまぁみろ。それにな、俺だって半分本気だったっつの。



    *   *   *



 なんやかんやでそのまま一時間近く、そんなやり取りをしながら雑談をした。度々周りから沙姫がイジられ、その都度笑いが起きた。

 周りが笑う中、やはりモユだけは笑わず無表情のままだったが、沙姫と沙夜先輩は気にせずに何度も話し掛けてくれた。


「あ、いけない。そろそろ帰らないと」


 左手首に付けた腕時計を見て、沙夜先輩は少し焦る。


「今何時?」

「五時半ちょっと過ぎ。帰りにスーパー寄って行かないといけないから、六時の電車に乗って帰らなくちゃ」


 椅子から立ち上がり、沙夜先輩は鞄を手に取る。

 ちなみに、沙夜先輩と沙姫が座る椅子が無いからと、深雪さんが別の部屋からパイプ椅子を持ってきた。

 まさに即席。なんて思ったが、我ながらくだらねぇ。


「えっ、もうそんなに経ってたの!?」


 話に夢中になっていた沙姫は、時間が経つのを忘れていたんだろう。


「お茶、ご馳走様でした。咲月君達もじゃあね。ほら沙姫、行くわよ」


 深雪さんに出された紅茶のお礼を言って、沙夜先輩は頭を下げると、長く白い髪がさらりと流れる。

 そして、いそいそと部屋から出ていった。


「ちょっと姉さん、待ってってば!」


 ティーカップに残っていた紅茶を一気に飲み干して、沙姫は鞄を持つ。なんだかいつもとは逆の風景だな。


「深雪さん、白羽さん。ご馳走様でした! それじゃ!」


 椅子から立ち上がるなり頭を勢い良く下げた後、沙夜先輩を追って沙姫は走り出す。


「あっ」


 そのまま走り去って部屋を出ていくかと思えば、何かを思い出したようにドアの前で止まった。


「モユちゃん、またね。咲月先輩も」


 振り向いて俺とモユに挨拶をしてきた。


「……うん、またね」


 沙姫が素朴な笑顔をして手を振ると、モユはそれに答えて小さい手を振り返す。


「……俺は?」


 自分だけ沙姫に名前を呼んで挨拶されていないエドは、虚しそうに自分を指差している。

 それがこの間の祭りに行った時の俺だ。自分だけが空気になる苦しみをお前も味わえ。


「今度こそ本当にそれじゃ!」


 ドアを開けて、沙姫は再び走りだして部屋から出ていく。


「あ、ちょっと悪い」


 椅子から立ち、無視されたエドの前を通って俺も部屋を出る。


「沙姫!」


 廊下に出て、沙姫の後ろ姿を走って追い掛ける。


「あれ? どうしたんですか、咲月先輩?」


 名前を呼ばれ、沙姫は走りを止めて後ろを向く。


「ちと言いたい事があってな」

「なんですか? 姉さんの作った夕飯が食べたいんですか?」

「違ぇよ、バカ」


 あ、いや、違くはない。是非とも食べたいよ? 沙夜先輩の料理は凄い美味い。

 けど、何度もご馳走になる訳にはいかない。それに、部屋に帰れば冷凍した野菜炒めがあるんで……って、飯の話じゃねぇ。


「ありがとな。会ったばかりな上に、あんな目に会ったのにモユと仲良くしてくれてさ」

「いえっ、そんな……それぐらい全然構いませんよ」


 いきなり俺に例を言われた沙姫は、戸惑いながらも笑って答える。


「確かに恐い目には会いましたけど……モユちゃんの家庭の事を聞いたら、同情しちゃって……」


 沙姫は哀しそうな顔になって、目を足元にやる。

 それは白羽さんが作った話なんだが、沙姫には本当の事を話す訳にもいかない。

 こうも素直に信じられると、仕方ないとは言え罪悪感を覚える。


「それに……」

「ん?」

「両親がいない寂しさは……分かりますから」


 鞄を持つ沙姫の手の力が強くなる。

 そうか。沙姫と沙夜先輩も、家には仕事で両親がいないんだった。

 いない事は前に聞いたから知っているが、いつから両親が仕事で家にいなくなったかは聞いていない。もしかしたら、小学生とかまだ小さい頃から両親とは離れて暮らしていたのかも知れない。


 俺は高校からだったし、自らが望んで1人暮らしを始めた。だから親に会えなくて寂しいと感じた事はない。

 クソ親父とは仲が悪かったから清々している。けど、母さんには申し訳なさをよく感じている。


 だけど、小さい頃から両親と一緒にいられないのは……本当に寂しいものだと思う。

 それに、いつもの沙姫を思わせない程に、元気が無く切なそうな声だった。頭を下げ、薄碧色の前髪が隠すように垂れて顔を見る事は出来ない。

 けど、泣きそうな顔をしているんじゃないか……なぜかそう、思った。


「だから、モユちゃんには私みたいに元気で明るく可愛い女の子が友達になって、その元気を分けてあげないと!」


 言いながら沙姫は頭を上げる。だが、そこには泣きそうな顔など何処にも無く、あったのは変わらない明るさで笑う沙姫の笑顔だった。


「元気過ぎるけどな。あと自分で自分を可愛いとか言うな」


 手を腰に置いて肩を竦ませ、呆れた顔をする。


「むー! 咲月先輩は私が可愛くないって言うんですか!?」

「そうだな、深雪さんに手鏡を借りてこい。これが答えだ」

「失礼ですね! 手鏡くらい私だって持ってますよ!」


 ……いや、俺が言いたかったのはそういう事じゃねぇんだけど。鏡を見て自分の顔を見て物を言えって意味なんですけどね、沙姫さん?


「沙姫ーっ! 早くしないと電車に間に合わないわよー!」


 心の中で沙姫に突っ込みを入れていると、玄関の方から沙夜先輩の声が聞こえてきた。


「あ、ヤバ。そうだった」


 それで沙姫は急がないといけなかった事を思い出す。


「それじゃ、咲月先輩」


 玄関の方へと向きを変えながら小さく手を振り、沙姫は慌ただしく走って行く。


「あ、おい! 沙姫!」


 沙姫が廊下を曲がろうとした所を、また声を掛ける。


「えっ、まだ何かあるんですか? 私急がないと……」


 沙姫は止まりはしたものの、止まったその場で駆け足をしている。


「今日は駄目だったけど、明日は携帯買いに行こう。放課後、昇降口前で待ってっから」


 少し距離があったので、多少大きめの声で喋り掛ける。すると、沙姫の表情がにこやかになった。


「絶対ですよ! また放置したら肉まん千個奢らせますからね!」

「おう。明日はちゃんと居っから」

「絶対ですからねーっ!」


 最後に指を差して叫びながら、沙姫は廊下を曲がって消えて行った。

 肉まん千個ってなんだよ、そこは針千本じゃねぇのか。……いやでも、沙姫の事だ。マジで肉まん千個を奢らされかねない。

 それに千個全部を難なく食ってしまいそうだ。いや、食う。


「こりゃ明日、台風が来ても行かなきゃならねぇな」


 肉まんを千個も奢らされたら、財布がすっからかんになって生活費が無くなっちまう。

 一つ百円だとしても、単純計算で十万を越える。財布だけじゃなく貯金も無くなるっつの。


「ま、今日は予想外な事が起きたからな。明日は大丈夫だろ」


 踵を返して、さっきの部屋へと足を運ぶ。

 明日は終業式で授業が無く、午前中で学校が終わる。いわゆる半ドン。それで明後日からは楽しい楽しい夏休みの始まり。

 補習が無くて、友達もいない俺は全く予定が無いから暇だけどね。毎日昼まで寝れるからいいけど。

 ドアを開けて部屋に入ると、冷たい空気が肌に触れた。


「二人は帰ったのかい?」

「あぁ、相変わらず小煩く帰っていったよ」


 白羽さんに聞かれ、ドアを閉めながら返事する。


「彼女達がモユ君と会ってしまったのは想定外だったが、問題は起こらずに済んで良かったよ」


 安心するように、白羽さんは肩で息をする。俺も沙姫と沙夜先輩がここに来た時はどうなるかと思った。


「でも大丈夫なのか? 沙姫と沙夜先輩にモユの事を教えちまって」


 後ろ頭を掻いて、ドアの前で話すのも何なのでモユの座る椅子まで歩く。


「構わないだろう。モユ君について、本当の事は話さなかったからね。一番の問題は沙姫君がモユ君を見ての反応だったが……それも大丈夫だった」


 俺が庇いはしたけど、沙姫はモユに殺されかけた。一度自分を殺そうとした奴とまた会えば、恐怖で錯乱する可能性だってあった。

 現に、沙姫は少し取り乱していた。けど、最終的には落ち着いて話を聞いてくれて、モユと仲良くなってくれようともした。


「さて、色々あり過ぎて少し疲れてしまった。今日はこれまでにしよう」


 ふう、と白羽さんは大きめの溜め息を吐く。

 突然のモユの発見とモユから聞いたSCの情報。そして、意図の読めないテイル。おまけに沙姫の乱入。

 長い時間話をしたんだ、白羽さんが疲れるのも無理はない。俺も疲れた。


「沙姫ちゃんと沙夜ちゃんは帰ったけど、匕君は帰らなくていいの?」


 テーブルに残された、空いたコップをお盆に乗せて深雪さんが聞いてきた。


「あぁ、俺は別に買い物に行かなくてもいいから。だから、次の電車で大丈夫」


 安い時に大量に買った野菜で作った、肉抜き野菜炒めの作り置きがあるんでね。それをレンジでチンすりゃ夕飯の出来上がり。

 安い、早い、ヘルシーの三拍子が揃っている。ただ難点が一つ。飽きる。

 日々、マヨネーズやらドレッシングやら七味唐辛子やらをかけて、味を誤魔化しながら食している訳だが……やっぱり飽きるもんは飽きる。


「……匕、どっか行くの?」


 隣に立っている俺を、モユは椅子に座ったまま見上げる。


「ん? あぁ、もう少ししたら俺も自分の家に帰るんだよ」


 朝、学校に行く前にちょろっと鞄を取りに部屋に戻ったけど、長い間帰らないのは少し心配になる。何より、今日は自分のベッドで寝たい。


「それとも、今日も泊まってく?」


 空いたコップをお盆に乗せ終わった深雪さんに勧められるが、今日は帰りたい。


「いや、さすがに今日は帰り――ん?」


 深雪さんの誘いを断ろうとすると、ズボンの腿辺りに何か違和感がした。

 そこへ目を向けると、モユが小さな手で服の裾を掴んでいる。


「モユ?」


 名前を読んでも反応せず、表情を変えず、ただズボンをひしっと掴んでいる。


「あの、モユさん?」


 これはもしかして……?


「ふふっ、帰ってほしくないってさ。今日も泊まり決定ね」


 やっぱり。これは俺を引き止めていたのか。無言でただひたすら俺を見上げるモユからは、何かを訴えるような感じがする。

 気のせいか、ズボンを掴む力が強くなっている気がするし。


「……はぁ。解った、解ったよ。今日は帰んねぇで泊まるよ」


 息を口から漏らして、モユの無言の懇願に仕方なく折れる。


「だから、ズボンから手を離してくれ」


 そして、その無言の懇願と言うか、圧力を掛けるのをやめてほしい。


「今日は帰りたかったんだけど、仕方ねぇか」


 天井を仰いで、今日は帰るのを諦める。


「貧乏学生のお前に、盗まれて困る物がある訳じゃないだろ?」

「うるせぇな、エド。俺にだって盗まれて困るモンぐれぇあるっつの」


 俺の生命線である生活費が印されている預金通帳とかな。一応カードは持ち歩いているけど。

 あ、あと野菜炒めも俺の貴重な生命線だ。いや、これはまぁ盗まれても痛くも痒くもないが。


「しっかし……知り合いだったとは言え、初めて会ってから間もないんだろ? なのによく懐いてるよな、お前に」


 エドは腰を曲げてモユの顔を覗き込む。


「俺はてめぇと違って裏表が無ェから、素直な子供が懐いて当然なんだよ」


 心清らかな子供はお前の黒い腹は全てお見通し。どんなに善い人面をしても無駄だ、無駄。


「そういうお前だって遅刻とサボりの常習犯だろ」

「はん、俺は遅刻しようがサボろうが心は純粋なんだよ」

「よくもまぁ、自分で純粋とか言える」


 何を言う。俺は至って真面目に言ってんだ。

 純粋に毎日を生きる事に必死なんだよ。必死だからお前みたいに裏表を作る余裕も無いしな。作る気もねぇけど。


「では、私は先程の話をまとめる為に自室に戻らさせてもらうよ」


 そう言い、白羽さんは椅子から立ち上がってドアへ向かう。

 ドアノブに手を当てて回し、ドアを開く。


「それでは咲月君、モユ君、冴えない場所ではあるが寛いでくれ」


 それを最後に白羽さんは部屋から出ていった。


「さ、て。俺も別用を片付けるかな」


 背伸びをして、白羽さんを追うようにエドまでも部屋を出ていく。

 つい十分前には七人がいたのに、今じゃたった三人になっちまった。


「それじゃ、私もこれ片付けなきゃ」


 カチャカチャとお盆に乗せたコップを鳴らせ、深雪さんも部屋から出ていこうとする。


「ちょ、あの……俺は何をしてれば?」


 出ていってしまう前に、深雪さんを引き止める。


「匕君はゆっくりしてていいわよ。モユちゃんと遊んであげればいいじゃない」


 遊ぶ? 俺がモユと?


「……」


 モユをちらりと見てみる。

 目が合うも何をするでもない、何かを喋るでもない。と言うか反応しない。

 ……こいつは普段、何して遊んでるんだ? つーか遊びを知っているのか?


「この部屋を出て奥に大広間があるから、そこでテレビを見ててもいいし」


 テレビか。まだ夕方だからこれといって面白い番組はまだやってないだろうけど、モユと2人でダンマリをしているのもな。

 適当になんか観て時間でも潰すか。


「あ、それと」

「はい?」

「夕飯は各自が好きな時に取るようになってるから、ここは」

「つまり勝手に自分で用意して食え、って事?」

「そうそう」


 そういや、昨日は沙姫が作った料理を皆で食ってたもんな。それに、深雪さん達は仕事上、時間がバラついたりするんだろう。


「しゃーねぇ。先に飯を買ってくるか」


 後回しにすると出掛けるのが面倒になったりするし。今のうちにちゃっちゃと買ってこよう。


「なら、私の分もお願いね」

「はいい?」

「だから、私の分も一緒に買ってきて」


 深雪さんはにっこりと笑っている。どこか作り笑いに見えるんだが。


「……深雪さん、俺に買わせに行かせるつもりだっただろ?」

「そんな事ないわよ? 匕君が買いに行くって言わなきゃ頼まなかったし」


 なんかにわかに信じられないけど、まぁいいか。ついでだし。


「確か近くにコンビニがあるんだっけ?」

「えぇ、ここを出てすぐにある道路の200メートルくらい先にあるわよ」

「んじゃ、そこで買うか」


 ズボンの尻ポケットに手を当てて、財布の確認をする。

 財布がある事を確かめると、またズボンに違和感が。

 案の定、モユだった。


「……帰るの?」

「違うって、飯を買ってくるだけだ。また戻ってくっから」


 俺が帰ってしまうと思って、またズボンを引っ張ったのか。


「ほらモユちゃん。匕君が帰ってくるまで私とあっちに居ようか」


 深雪さんがモユを呼んで笑いかける。まるで駄々をこねる子供をあやしてるみたいだ。


「……本当?」

「本当。すぐに帰ってくるから」


 そうモユに言うと、無表情だが、どこか渋々といった感じでズボンから手を離した。


「あ、ところで何を買ってくればいいんだ?」

「私はお弁当だったら何でもいいわ」


 深雪さんは弁当ね。俺も弁当にするかな。


「モユ、お前はどうする? なんか食いたいもんあるか?」

「……アイス」


 だろうね。聞く前にそう言うだろうと予想はしてた。


「それはデザートだ。俺が言ってんのは主食だ、主食。弁当とかカップラーメンとかオニギリとか」

「……アイス」


 この世にアイス弁当とかアイスラーメンとか売ってたっけ?


「……適当に買ってくりゃいいか」


 冗談は置いといて、こいつも弁当でいいだろ。モユは文句1つ言わずに何でも食いそうだし。


「モユちゃん、行こうか」


 椅子から降りて深雪さんの方へ駆け寄り、二人は先に部屋を出ていった。

 さてと、じゃ俺は弁当を買いに行きますか。



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