表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
No Title  作者: ころく
15/85

No.14 アイス

7/28


「くぁ……」


 大きく口を開け、欠伸をする。目には薄らと涙が出て、瞼は半開き。誰が見ても眠たそうだと解る。機嫌も悪そうだというのも。


「……おい」


 そして、不機嫌な顔のまま低い声で隣にいる金髪に話し掛ける。


「なんだ?」


 金髪は話し掛けてきた相手が不機嫌だというのを知っていたが、気にもせず静かな口調で返してきた。

 それがまたイラッと来るが、そんなのに一々腹を立てていたら堪忍袋が幾らあっても足りない。

 時代はエコ。無駄な資源は増やさないようにしなければ。


「なんでこんな朝早くから登校しなきゃならねぇんだよ!」


 低い声のまま金髪へ怒りを放つ。


「電車通学なんだ、仕方ないだろ」


 傍から見て、とても仲が良いとは思えない雰囲気で二人は会話をする。

 現時刻は朝の七時十分そこら。そして、俺とエドは学校へ行く為に混みまくっている電車に乗っていた。


「もう一本遅いのでも良かったんじゃねぇのか?」

「これの次は八時十分発だ。それに乗ったら走る事になってたぞ? それでもいいのか?」

「俺ぁ朝六時半に起こされて込んだ電車に乗る位なら、一本遅らせて走らずにゆっくり歩いて遅刻した方が良かったよ」


 けっ、と鼻の上にシワを作る。

 俺達が電車に乗った時には席は全て埋まっていて、二人は吊り革を握って電車に揺られている。

 車両には登校中の他学校の生徒や、通勤するサラリーマンのおっさんとうざく感じる程に人が乗っている。


「あー、腹減った」


 背中を丸めて、ボヘーッと天井に吊られている広告をなんとなく眺める。

 今乗っている電車は7時発で、エドに起こされたのが六時半。着替えはもちろん、駅まで移動しなきゃならない。当然、朝飯を食う時間などある筈もなかった。


「おい、もう着くぞ」

「あー? あー……」


 エドに気の無い返事をして、制服のズボンから切符を取り出す。因みに、この制服は深雪さんから使えと言われて渡された。

 なんでも、元々エドが使う予定で用意していた物なんだが、あいつは学ランの冬服しか着ないから勿体ないんだそうだ。

 エドとは背丈はほぼ同じなので、サイズは問題無く着れた。まだ袋から開けていない新品の物で、新品独特の匂いがたまにする。

 本当は一旦マンションの部屋に帰って着替えるつもりだったんだが、元々俺が来ていたジャージは神社での戦り合いで穴だらけの土だらけ。更に所々が切れて、着るのは難しい位にボロボロになってたらしい。

 だから代わりに、って深雪さんがこの制服をくれた。


「おおっ、と」


 駅に着いて減速した電車の揺れで、乗っていた人全員がバランスを崩して波のように動く。

 電車のドアが開き、わらわらと人が降りていく。その人の中に混ざって俺とエドも電車から降りる。

 通勤ラッシュだからか、駅にはサラリーマンを含む社会人や、登校する生徒がいっぱい。その人達が歩く流れに沿って改札口を通り、駅前に出る。


「俺、一旦部屋に寄ってから学校行くわ。鞄持ってこねぇと」


 携帯電話で時間を見ると、まだ7時半にもなっていない。登校時間の八時半までは一時間以上もある。一回、部屋に戻っても余裕で間に合う。


「鞄? 教科書なんて持って帰っていないのにか?」

「うっせぇな。かと言って手ぶらで行けねぇだろ」


 エドに言われた通り、俺は基本置き勉で机の中に教科書は置きっぱだ。しかし、夏休み間近なので持って帰らなければならない物もある。

 主に体育用のジャージ。あれを夏休み中、ずっとロッカーに放置する訳にはいかない。


「だったら俺も行く。遅刻しないで早く学校に行くのはいいんだが……早く行ったら行ったで暇なんだ」

「あーそうかい。勝手にしろ」


 そんなやり取りをして、2人は学校に行く前に俺の部屋へと足を運ぶ。時刻はまだ朝早く、気温も涼しくて丁度良い。

 空は青が七分に白が三分。程よい割合で青空が出来ていた。今日も晴天で、授業を受け始める頃には気温は上がって暑くなりそうだ。

 背中を丸めてダラダラと歩く俺の隣を、対照的に背中を伸ばしてエドが付いていく。行き交う人々が忙しそうに騒めく駅前の喧騒の中を、2人は大した会話も無く静かに歩く。


 そして、ちゃっちゃと部屋に行って鞄を取り、結局は登校時間よりも三十分早く八時に学校に着いた。

 途中、俺が朝飯と昼飯を買う為にコンビニに寄って来た。にも関わらず、それでもまだまだ余裕があった。


「こんなに早く学校に来たの初めてじゃねぇかな、俺」


 下駄箱で上靴に履き替えて、校舎へ入る。


「俺はお前が遅刻しないで登校したのを初めて見たよ」

「うっせぇ。好きで遅刻しなかったんじゃねぇっつの」

「その台詞はなんかおかしくないか?」


 やはり、登校時間三十分前は来るのは早いらしく、廊下に生徒は見当たらない。来る途中、グラウンドで部活の朝練をする生徒は何人か見かけたが。

 階段を登り、二年生の教室がある二階へ移動する。廊下に出ると、そこにも誰一人生徒はいない。

 教室のドアを開けて、中に入る。


「わっ!」


 と教室に入るや否や、叫び声に近い声が聞こえてきた。


「おわっ、なんだ?」


 その声に驚いて、俺も思わず声をあげる。中を見ると、教室には既に一人の生徒がいた。


「んだよ、桜井か。いきなり叫んだりしてよ」


 声を出した正体はよく知る、桜井だった。


「どうかしたのか?」


 俺の後ろから、さっきの声を気にしてエドが教室を覗いている。

 取り敢えず、ドアの前につっ立っている訳にはいかないので、教室の中に入る。


「お、おはよう。咲月君」

「おう」


 自分の机に移動しながら、桜井の挨拶に返事をする。


「あ、燕牙君も一緒だったんだ」

「うん。おはよう、桜井さん」


 教室に人がいる事を知ると、エドは瞬時に優等生面に切り替える。その様子を見て、よくやるわ。と呆れを含ませた乾いた笑いが出た。

 持っていたコンビニの袋を机の上に置いて、鞄は横に掛けて椅子に座る。


「あの、ごめんね。咲月君。その……変な声を出しちゃって」

「いや、別に気にしちゃいないけど……なんか俺、ビックリさせるような事したか?」


 コンビニの袋に手を入れて中を漁り、パンを一つ取り出す。


「そうじゃ無いんだけど、咲月君がこんなに早く学校に来るのが珍しくて……」


 桜井は申し訳なさそうに、少し頭を下げて横目でこちらを見てくる。

 遅刻が当然、サボり常習犯の俺がこんなに早く学校に来るのはそりゃ珍しいわな。


「俺もそう思う」


 桜井の言葉に共感して小さく微笑い、袋から開けてパンを噛る。

 パンはソーセージがまるごと一本乗っている物で、値段も手頃なのでお気に入りの一つだ。


「桜井はいつもこんな早く学校に来てんの?」

「うん。私は電車通学だから、いつもこの時間」

「うーわ、マジか……」


 俺にゃ考えられねぇ。三十分早く来る位なら、三十分多く睡眠を取った方がいい。なんて思ってるから毎日のように遅刻してんだよな。

 でもま、電車通学なら仕方無いかもな。今日の俺みたいに一本遅らせたら遅刻するから、ってので渋々こんな時間に登校してるのかも知れないし。


「所で、さっきから書いているソレって何?」


 桜井はノートを開いて何かを記入していて、教室に入ってからちょこっと気になっていた。


「これ? これは学級日誌。その日にあった事を書いて放課後に先生に渡すのよ」

「へぇ、そんなのあるんだ」

「クラスの委員長が私だから書いてるの。誰が休んだとか、早退したとかもこれに書いたりするのよ」


 うげ、それじゃいつも俺がサボってんのも書かれたりすんのか? もしかしたら、今のは遠回しに俺へサボるなと言っているのかも……。

 ……ここはスルーしておこうか。


「そういえば咲月君、風邪はもう大丈夫なの?」

「風邪ぇ?」


 口にパンを啣えたまま、モゴモゴとさせて桜井に言葉を返す。

 そんな事を言われても、俺は風邪をひいた覚えなど全く無い。


「そうそう、風邪はもういいの?」


 鞄から机へ教科書やノートを移し終わったエドがこちらにやって来た。

 桜井がいるから優等生の口調で。しかし、その目は何かを言うように俺を見ている。

 ……あぁ、そうか。そういう事ね。


「あー風邪ね、そう風邪。飯食って寝てたら治ったよ、あんなもん。元々大して熱もなかったし」


 エドの目を見て、言いたかった事に感付く。


「そうなの? でも夏風邪って長引くって言うから、治ったと思っても気を付けた方がいいよ?」

「ま、ぶり返しても明後日からは夏休みだしな」


 昨日はずっと白羽さんの所で眠りっぱなしで、学校は休んだ。その休んだ理由に、エドが適当に風邪だとか言っていたんだろう。

 正直に怪我して丸一日以上も気ィ失っていた、なんて言える訳も無い。ここはエドに合わせるのが一番の安牌だ。


「昨日は風邪で休んじゃうし、お祭りだって途中で帰っちゃったから……」

「あ」


 桜井に言われて、神社での祭りを途中ですっぽかしたのを思い出す。

 パンを食べている口が止まる。


「いやぁ、人が多くてはぐれちまって……」


 桜井から目を反らし、窓から外を眺める。


「そうだよ。みんなで楽しんでいたのに、急にいなくなって」


 エドが背中が痒くなる喋り方で話し掛けてくる。

 なぁにがみんなで楽しんでー、だよ。一人アウェイをだった俺は全っ然楽しくなかったっつの。


「悪ぅござんしたね。協調性が無くてよ」


 目を半開きにしてエドに心を込めずに謝る。

 第一、こいつは優等生面をずっと続けるのが疲れるから、用件を言わずに俺を呼んで祭りに連れていったクセになんで最後まで付き合わなきゃならねぇんだよ。


「あ、燕牙君。おはよう!」


 教室に入ってきた二人組の女生徒に挨拶をされる。


「おはよう」


 爽やかな笑顔を作ってエドは挨拶を返す。クラスの人気者のエドは、早速その女生徒に捕まって連れられていく。

 ウザイ奴がいなくなってくれた。これはとても喜ばしい事だ。もうこっちに来んなよー。

 エドに対して、心の中で蝿を払うよう手を振る。パンは食べ終わったので、次はコンビニ袋からおにぎりを取り出して食べる。


「でも確かに、はぐれたからって勝手に帰ったのは悪かったな。ごめん、桜井」

「え、あ、いや……いいわよ、別に。それに咲月君にはぬいぐるみ貰ったし」


 そういやあげたな、ぬいぐるみ。うさバラし、だっけ?

 今思い返してみても、やっぱり可愛くない。どうして人気があるのか本当に不思議だ。

 おにぎりの最後の一口を口に放り込み、朝食は終了。


 桜井と話している間にクラスには半分位、生徒が登校し始めていた。時間も登校時間十分前で、そろそろ騒がしくなる頃。

 昼食の入ったコンビニ袋を鞄に突っ込んで、椅子の背もたれに背中を付けて背伸びする。


「さーてっと、暇な時間が始まるなぁ」


 背伸びをしながら欠伸をして、だらりと脱力して机に俯せる。

 教室は段々と賑やかになり、学生らしい時間が始まる。



    *   *   *



 只今の時刻は午後一時。

 午前中の授業も終わり、学生達が友達同士で弁当をつついたり、ダベったりと昼休みを過ごしている。

 そんな中で、俺はいつも通り屋上で一人、日陰になった場所で寝転がっていた。


「朝から変わらず良い天気。予想通り暑くなったな……」


 鞄を枕代わりにして、青い空を眺める。

 今日は頑張って午前中の授業は全て受けたのだが、やはりサボり癖が出て昼休みに入ったら屋上に直行していた。

 当然、鞄を持って屋上に来たという事は午後の授業はサボタージュする気である。

 エドは案の定、女子に捕まって優等生面を休める事無く、素晴らしい充実した昼休みを送っている。


「フン、フフフ、フ」


 機嫌が良いのか、鼻歌を口ずさむ。歌っているのは、俺が好きなディープキューブの特に気に入っている曲で、気が付いたら口ずさんでいる事がよくある。

 一緒にサボっていた先輩に何の歌なのか聞かれていた。

 キーンコーン……と何度も聞いた覚えのある、昼休みの終わりを告げる鐘が鳴る。しかし、午後の授業をサボるつもりなので全く反応せず。


 寝転がりながら組んだ足の、左足の膝の上に乗せた右足を宙で動かしてリズムを取って鼻歌を続ける。

 ついさっきまで、あんなに聞こえていた生徒の騒ぎ声は綺麗に消えて、屋上には鼻歌だけが静かに流れる。

 と思えば、今度は生徒の騒ぎ声で掻き消されていた、蝉の鳴き声が学校裏の神社から一斉に聞こえてくる。


 そして、さっき眺めていた青い空には、頭上を飛行機がゆっくりとジェット音を鳴らして通り過ぎて行く。さらには、授業が始まってプールの方から先生が鳴らす笛の音までが聞こえて来た。

 静かにだったのはほんの一瞬で終わった。それでも、目を閉じて鼻歌を口ずさむのをやめない。

 蝉の鳴き声、飛行機のジェット音、笛の音。耳に入ってくるバラバラの音全てを、まるで演奏かのように歌う。

 観客は自分一人。空は青く陽射しの強い、午後の屋上の日陰に、一人。



    *   *   *



「だあぁぁぁ、っちぃ!」


 勢い良く上半身を起こし、余りの暑さに目を覚ます。額からは汗の粒がたらたらと頬を伝う。

 目を閉じて鼻歌を口ずさんでいたら、知らぬ間に眠っていたようだ。


「暑い。暑過ぎる」


 身体中も汗だらけで熱いし、なんだかダルく感じる。また例の嫌な夢のせい……では無いな。単純に暑さのせいだろう。

 あの夢を見た覚えは無いし。


「つーかよ、暑い訳だよ」


 自分が座っている所を見ると、寝てしまう前は日陰だった筈なのに、今は日陰なんぞ全く無くて直射日光がバリバリ当たっている。

 そりゃこんな所で寝てりゃ暑いっつの。日焼けするどころか干物になっちまう。

 立ち上がって枕にしていた鞄を広い、再び日陰になっている所に移動する。

 ポケットから携帯電話を取り出して時計を見ると、時間は2時半を過ぎていた。


「一時間以上も寝てたのか……」


 そんなに寝てたら、太陽も動いて日陰の位置も変わるわな。

 Yシャツの胸元を掴んで、バサバサと服を扇いで風を通す。すると、服の隙間から胸から腹にかけて出来たかさぶたが目に入った。


「モユ……」


 かさぶたをなぞるように指で触れて、この傷をつけた少女を思い出す。無口で、無表情で、無愛想で……そんな不器用な少女を。

 あんな事をする為に生まれてきた訳では無いのに、あんな事をするしか無い。


「あいつも、先輩と同じなのか……?」


 神社で起きたあの出来事。

 モユが沙姫を殺そうとして、叫びだして、沙姫を庇った俺を斬って。

 テイルに連れていかれたという事は、モユも先輩と同じように人体実験の被験者という確率が高い。


 年端も行かない小さな少女が、身体をいじられ人を殺すように命令される。

 それが善い事なのか、悪い事なのかさえ分からぬままに、言われた通りにする。それは、一種の洗脳に近いのかも知れない。


「――――――クソッ!」


 地面のアスファルトに、拳を強く叩きつける。胸くそが悪くなり、何かに当たらずにはいられなかった。

 SDCが裏でやっている事を知れば知る程、何が目的なのかが解らなくなっていく。

 SDCを行っているのは優れた人材を見付ける為、それはスキルを集める為でもある。

 そして拉致した人材は人体実験に使われる。それらを行い、何をしたいのか、目的が一切解らない。


「人を一体なんだと思ってやがる……」


 SDCに参加している以上、自分も人体実験にされる可能性がある。

 ……いや、俺の場合は拉致されるかどうか以前に、コウ殺される可能性の方が高いな。

 そんな事になったら、先輩を救うどころか自分の願いすら叶える事が出来ない。

 俺は生きて、残って……願いを叶える。それが今の、俺が生きる……いや、生きている理由だ。


「暑いな、今日は……」


 ぽつりと、呟く。空を仰いで、雲を眺めて、太陽の光に目を細めて。

 暑くて暑くて。水の中を泳ぐ魚も、その暑さに溺れてしまいそうな。

 そして自分も。気持ちのいい程に真っ青な視界と、水の無い、このぼやけた曖昧な世界に。

 目に見えない、ひどく濁って乾いた水の中で。

 ――――水を得ようとして、溺れてしまいそうに。


「は、ぁ」


 熱くなった身体から出た息もまた熱く、喉が焼けてしまいそう。

 余りに熱くて、手で触れたモノは焦がして、足で踏み締めたモノは燃えて、ヘソにヤカンを置けばお茶が沸いてしまうんじゃないかと思ってしまう。


「暑い、な。本当」


 汗で少し濡れた前髪を手で掻き上げ、空を仰ぐのをやめる。

 顎から滴り落ちた一粒の汗が、アスファルトに小さな染みを作る。

 火照る身体を少しでも冷まそうと、いくらか風通しの良い落下防止用フェンスへ移動する。


「そういや、こんなクソ暑い日だったな。モユと初めて会ったのは……」


 エドとの待ち合わせで屋上にいた時に、たまたまモユを見掛けたんだ。

 今日と同じく嫌になる位に暑い日に。今のようにこうやって、風に当たろうとフェンスの前に立って。

 ここから見下ろせる、学校の中庭に一人。こんな所から見ても解る程に、高校では見慣れない程に、小さな女の子。

 紅葉を思い出させる、赤茶の髪をした子供が。


「そうそう。あんな風に周りを何度も見回して――――」


 あの時と同じように、屋上から中庭を見下ろす。その時の事を思い出しながら。

 するとそこには、あの時と同じような光景があった。

 いや、“同じような”ではない。目に入ったそれは、全く“同じ”ものだった。


「なっ……!?」


 余りの驚きにフェンスに強く手を掛け、食い入るように中庭を見る。

 信じられなかった、訳が解らなかった、驚きを隠せなかった。学校に似つかわしくない幼い体格、目立つ赤茶色の髪。

 前にも見た。間違いない、間違える筈がない。あそこにいるのは――――。


「――――モユ!」


 その名前を口にした時には、すでに身体が動いていた。フェンスから手を離し、校内に戻って全速力で階段を降りる。

 今は授業中だろうが関係無い。五月蝿く音をたてようがお構い無しに走る。

 昇降口で靴も履き替えずに上履きのまま外に出て、中庭へ一直線。


「はぁ、はぁ……」


 もう中庭は目と鼻の先、という所で足を止める。

 以前、一緒に座って話をしたベンチの前に立って、頻りに辺りを見ている。まるで何かを、いや、誰かを探しているかのように。

 やはりどう見ても、間違い無い。


「……あ」


 少女は振り返り、探していたモノを見付けて小さな声をあげた。


「モッ――――」


 大きく名前を呼んでしまいそうになったのを、理性がそれを抑える。

 今は授業中。こんな所で大声を出せば、学校中に気付かれてしまう。

 それにモユはまた学校の制服を着ている。もし、先公に捕まったりしたら厄介な事になるのは目に見えている。

 それを防いでくれた己の理性に感謝して、口を紡いでモユの方へ歩み寄る。


「…………」


 一言も話さず、モユの手を掴んで引っ張り、まずは中庭から移動する。


「……匕?」


 早歩きの俺に、歩幅の小さいモユは小走りになって手を引いていかれる。

 中庭から離れて昇降口前まで戻り、再び屋上に戻ろうとした。


「いや、それじゃ中庭と大して変わらねぇか」


 学校の人間に見付からないようにと中庭から離れたのに、学校の中へ移動したら意味が無い。

 屋上には人なんて滅多に来ないから中庭よりは比較的安全ではあるが、根本的な解決にはなっていない。

 さて、となるとどうするか……いつまでも昇降口前でつっ立っている訳にもいかない。

 いや、考えるまでもない。出す答えは簡単だ。さっさと学校から出てしまえばいいだけの事。

 そうすれば誰かに見付かるなんて事も気にしなくていい。


「モユ、こっちだ」


 再びモユの手を引っ張って歩きだす。人目が多い校門を堂々と潜って外に出るのは当然却下。

 なので、よく使う学校裏の神社へ通じる裏道を通る。

 裏道だから草が多少生い茂るが、獣道と言う程ひどくも無く、通ろうと思えば普通に通れる。

 裏道を抜け、神社の境内に出た。


「っはぁ、はぁ」


 別に走った訳でも無いのに息が切れる。早歩きをしたせいと言うより、見付からないように。という心の圧力に体力が奪われた。


「モユだよな……お前、モユだよな?」


 モユの両肩に手を置いて、何故か泣いてしまいそうな顔で名前を確かめるように聞く。


「……うん」


 そんな俺に対して、モユは表情を変えずにこくりと顎を一度だけ小さく動かして頷く。


「は、ははっ」


 安堵と共に笑いが込み上げてきた。

 この可愛げの無い無表情に無愛想さ。そして会話での言葉の少なさ。やっぱりモユだ。


「ちょっと待て、モユがいるって事は……っ!」


 あいつも、テイルも近くにいる事になる!

 急いで気持ちを落ち着かせ、読感術を使って辺りの雰囲気を探る。

 神社一帯、学校方面。出来る限りの範囲を気を研ぎ澄まして。


 だが、テイルは勿論、コウの雰囲気すら辺りには感じなかった。

 押し潰されそうな威圧感や、黒よりも真っ黒な濁った殺気。

 そんな物騒な雰囲気など一欠片も感じず、あるのは平穏なやんわりとした感覚だけ。


「いない……?」


 雰囲気が無い事に安心をしたいが、安心出来ないのが奴だ。


「とにかく、白羽さんに連絡だ」


 ポケットから携帯電話を取り出して白羽さんへ電話を掛ける。発信音が二、三回鳴った所で、すぐに電話は繋がった。


『もしもし』

「白羽さん、ちょいと予想外な事が起きた」


 電話が繋がるや否や、焦りながら携帯電話のスピーカーへ話す。読感術で辺りへの警戒をしつつ。


『どうかしたのかい?』


 モユが目の前にいる以上、いつテイルが現われても可笑しくない現状に気が気でない俺とは反対に、電話の向こうでは白羽さんはいつもと変わらずの冷静な口調で話してくる。


「モユを見付けた。今、すぐ隣にいる」

『モユ……あの例の少女か……っ! 』


 白羽さんも予想だにしていなかったのだろう。少しではあるが、珍しく声を荒げる。


『咲月君、今どこに?』

「学校裏の神社にいる」

『解った、今すぐ行く。そこで待っててくれ』


 白羽さんにそう言われ、電話は切られた。携帯電話はポケット戻して、睨み付けるように辺りを見回す。

 すると、ズボンからだらしなく出されたワイシャツの裾に違和感を覚える。

 振り向くと、モユが裾を掴んで小さくちょいちょいと引っ張っていた。


「ん、どうかしたか?」


 モユは顔を上げて、俺を見てゆっくり口を開く。

 その間も、いつテイルが現われるかと心臓は喧しく動き、読感術での警戒を怠らない。


「…………アイス」

「……は?」


 緊迫していた所にモユから出た言葉を聞いて、緊張で硬張っていた身体の力が抜けた声が出た。

 力の他に気が抜けて、間の抜けた声が。


「……アイス」


 そしてもう一度、モユは裾を引っ張って真剣な眼で俺を見つめる。


「おま、えなぁ……」


 その言葉で緊張の糸がぶった切られて、その場に世に言うウンコ座りでしゃがみ込む。

 へなへなぁ、と空気の抜けた風船みたいに力が抜けていった。

 人が精神がすり減りそうな思いをしているって時に……。


「はぁー……食いてぇのか、アイス?」


 大きな溜め息を出して、モユに視線を合わせる。すると、モユはコクコクと首を縦に振って小さく頷く。


「ったく。わかった、わかったよ」


 ウンコ座りをやめて立ち上がり、モユの頭をポンポン、と軽く触れる。心なしか、モユは目を少し大きくして喜んでるようにも見える。

 考えてみたら、どうせテイルの雰囲気を感じたからって俺一人じゃどうにもならない。

 実力の差は歴然だし、モユを連れて逃げるのも無理だろう。

 どこに居たって結局は変わらないんだ。だったら、ここで白羽さんが来るまでテイルを気にして待っているだけなら、モユにアイスを買ってあげた方がまだ気が楽だ。


「かと言って、ここから離れる訳には行かねぇしな……」


 白羽さんはここに来るって言ってたし。

 っと、そうだ。だったら神社を出てすぐにあるあの店。あそこだったら神社の入り口の隣にあるから、白羽さんが来たら分かる。


「よし、じゃあモユ。アイス買いに行くか」

「……行く」


 そう言って、またモユは首をコクコクと縦に振る。

 多分、これでも喜んでるんだろうな。無表情で喜ぶってのは、ある意味すごい能力なんじゃないか?


「んじゃ、ついてこい」


 アイスが売っている店に行くには神社を出ないといけないので、入り口の階段を目指して足を動かす。


「ん?」


 すると、歩き出して間もなく、背中に変な違和感を感じた。気になって後ろを振り向く。


「……モユ?」


 そこには、はみ出たYシャツの裾をまた掴んでいるモユがいた。キュッと裾の端を離れまいと。


「……ま、いいか」


 Yシャツだから伸びる事は無いし、掴まれるぐらいなんて事ないか。ちょこっと歩きにくかったりするけど。

 モユに服を掴まれたまま神社の階段を降りて、駄菓子屋っぽい店に着く。


「こんちは、っと」


 開けっ放しにされた店の入り口から入る。客は誰1人おらず、元々この店が古くさいので店内が薄暗く感じる。

 学校近くにある為、客の大半は学校の生徒。だが、今はまだ学校は終わらず授業中なのでいる訳がない。


「ほれ選べ、モユ」


 アイスが入っている、専用の横長の冷蔵庫の前にモユを立たせる。


「……選ぶ?」


 一度、俺の顔をきょとりと見て、冷蔵庫に目を移す。冷蔵庫に並んで入っている様々なアイスを見回して、その中の一つを指差す。


「……これ」


 結構種類があったので、いくらか悩むんじゃないかと思っていたらモユは一分足らずで決めた。

 モユが指差した先には、物凄く見覚えのある青い色をした袋のアイス。


「これ、って……バリバリ君?」


 一本六十円という財布に優しい価格をした商品。その安さから、俺もたまにお世話になっている。

 ただ、見覚えがある理由はその安さでは無かった。


「本当にこれでいいのか?」

「……うん」


 迷わずにモユは即答する。このモユが選んだアイスは、モユと初めて会った時にあげたアイスだった。


「これ、二本ください」


 六十円のアイスを一本だけ買うってのはなんか気が引けて、一応自分の分も買う。

 それでも百二十円。一本じゃ気が引けるからと言って2本買ったが、それでも大して変わらない。

 小銭が丁度良くあり、お釣りを出さずに金を払うと、小さなビニール袋にアイスを二本入れられ、店番の婆さんから渡される。


「モユ、ここに座りな」


 店を出て、入り口前にあるペンキが所々剥がれた古いベンチにモユを座らせる。


「ほらよ、ご希望のアイス」


 ビニール袋から今買ったアイスを1本取り出してモユに渡す。

 無表情ではあるが、モユの目の色が明らかに輝いている。モユなりに嬉しがっているんだろう。

 バリバリ君の青い袋を開けると、モユは黙々と食べ始める。


「おいおい、ゴミ置きっぱにしたらダメだろ」


 ベンチの上に落ちた、モユが開けたバリバリ君の袋を拾ってベンチの隣にあったゴミ箱へ捨てる。

 そんな俺には目も呉れず、アイスに夢中になっている。


「ったく……」


 腰に手を当てて、アイスに噛り付いているモユを見て小さく微笑う。

 アイスを食べるモユを眺めて白羽さんが来るのを待っていると、目の前に一台の車が止まった。


「あ?」


 車のカラーは白で、形は軽ではなく普通自動車。いや、それよりも多少滑らかなラインをしている。

 多分、スポーツカーってヤツだと思う。俺は車にそんな詳しく無いからよく解らん。

 すると、その白い車のドアが空き、車とは真逆の黒色のハットとスーツを身に纏った男性が降りてきた。


「すまない。待たせたね、咲月君」

「白羽さん!?」


 車から出てきたのは、待ち人である白羽さんであった。

 さらりと長い黒髪を靡かせ、モユへ近づく。


「確かに。あの時の少女だ」


 白羽さんはモユの前で止まり、モユが神社にいた少女だと確認する。


「やぁ、こんにちは。初めまして、モユ君」


 白羽さんはしゃがんで、ベンチに座るモユと同じ高さの目線に合わせて話し掛ける。


「…………」


 しかし、モユはアイスを無我夢中に食べていて白羽さんに見向きもしない。

 それどころか、もしかしたら気付いてすらいないかも知れない。


「ワリ、白羽さん。おいモユ、挨拶くらいしろって」


 モユに注意するも、俺にも知らん顔で、ベンチに座って浮いている足をぷらぷらと遊ばせてアイスを噛る。


「ははっ、気にしなくていい。とにかく、今はここを早く離れよう」


 白羽さんは笑いながら立ち上がり、目付きが鋭くなる。


「あぁ。モユ、移動するぞ」

「……」

「おい、モユ!」

「……」


 しかし、返事は当然、反応も無い。

 俺が買ってやったアイスをそんなに夢中になって食ってくれるのは嬉しいけどな、無視はすんなよ。話ぐらいは聞け。


「……言う事を聞かねぇと、もうアイスは買ってあげねぇぞ」

「ッ!」


 それはもう、とんでもない速さでモユは視線をアイスから俺に向ける。


「うおぉっ!」


 余りにも凄い速さで、思わず声をあげて驚いてしまう。

 それはもう、音速に達していたんじゃないかと思ってしまうくらい速かった。


「……やだ」

「なら言う事を聞いてベンチから立て」


 すると、モユはさっきとは打って変わって素直にベンチから降りた。


「では、車に乗ってくれ」


 白羽さんに言われ、俺は助手席、モユは後部座席に乗る。エンジンを掛けて車は走り出し、駄菓子屋を後にする。


「随分来るのが早かったな、白羽さん」

「うん? あぁ、君から電話を貰った時、用があって駅前に居たからね」


 そうだったのか。そりゃ大して時間も掛からず来れる訳だ。車から白羽さんが出てきた時には結構驚いたからな。

 白羽さん達が拠点としている場所は、ここから駅二つ離れている。なのに十分足らずで来るもんだから、一体どんな裏技を使ったのかと思った。

 ちなみ、後から聞いたんだが、拠点の事務所には白羽さんはもちろん、エドと深雪さんもそこに住んでいるらしい。


「で、車に乗ったのはいいけど……どこに行くんだ?」


 車が赤信号に捕まり、停車した所で白羽さんに聞く。


「事務所の方に行く。外はいつテイルに見付かるか解らなく危険だからね。奴の気配は感じない今の内に、この街から離れた方がいいだろう」

「確かに、そうだな……」


 白羽さんの話を聞いて納得し、後部座席に座るモユを見る。

 テイルに見付かれば、いくら奴と渡り合える白羽さんが居ると言っても、またモユが連れていかれるかも知れない

 白羽さんの言う通り、テイルが現れる前にここから離れるのが良策だろう。


「人体実験、か」


 後部座席でアイスを食べるモユは、やはり歳相応の子供にしか見えない。とても、人体実験の被験者とは思えない、普通の子供にしか。


「……反吐が出る」


 モユから視線を離し、窓の外を見て呟く。窓から見える、流れていく景色を眺めて。

 そして、車に乗ること二十分掛かるか掛からないか程で事務所に着いた。


「さ、到着だ」


 事務所の横にある駐車場に車を止め、白羽さんはシートベルトを外す。

 俺も続くようにシートベルトを外して、車から降りる。


「モユ、着いたぞ。降りろ」


 後部座席のドアを開けて、モユを車から降りるよう促す。

 アイスは綺麗さっぱり食べ終わり、モユの手には木の棒だけが残っていた。

 アイスを食べていた時はあんなに見ざる聞かざるだったのに、無くなった今は言う事を聞いてモユは素直に車から降りる。

 降りたそこは自分の見知らぬ土地で、モユは辺りを見渡す。


「咲月君、中に入ろうか」

「あ、はい」


 車に鍵を掛け、白羽さんの後ろを付いて事務所の入り口へと向かおう、とした。


「ん?」


 足を1歩前に出そうとしたら、かくん、と何かに身体を引っ張られた。


「……またか」


 犯人は言うまでもなくモユで、また裾を掴んでいた。

 知らない景色と知らない土地に、なんだか怖くなったりしたのか?

 だが、やはり表情は変わらず、怖がっているとは傍から見ても分からない。


「ま、いいけどな。ほれ、行くぞ」


 それにモユの頭をポンポン、と軽く触れて事務所の入り口へ歩く。

 その後ろをモユは、また裾を掴んだまま付いていく。もう片方の手で、触られた頭を擦りながら。

 事務所の中に入ると、中はひんやりと涼しかった。


「靴は脱いで、ここに入れんだ」


 自分の靴を脱いで、近くの靴棚に揃えて置きながらモユに教える。


「って、あ。今気付いたけど、これ学校の上履きじゃんねぇか」


 あー、そうか。屋上でモユをみっけて靴を履き替えないで外に出たんだった。

 明日も学校あるのに、上履き汚しちまったなぁ。明日で一学期は最後だってのに……。

 しかも、鞄も屋上に置きっぱじゃねぇか。


「咲月君、スリッパはここにある。好きなの使ってくれ」


 先に靴を脱いだ白羽さんが、スリッパのある場所を教えながら自分もスリッパを履く。

 色はやっぱり黒。


「あいよ。ほらモユ、これ履け」


 モユは言われた通りに履いていた焦茶色のローファーを脱いで、靴棚に置いた俺の靴の隣に置く。

 そして、俺が足元に置かれたスリッパに履き替える。


「では、こっちだ」


 モユが履き替えたのを待った後、先に進む白羽さんに誘導されてついていく。

 大人用のスリッパしか無く、足の小さいモユは歩く度にぺったんぺったん、と歩きにくそうな音をたてる。

 玄関から廊下に入ってすぐのドアの前で、白羽さんは立ち止まる。


「ここで話をしよう」


 ドアを開けて白羽は部屋の中へ入る。後に続いて俺とモユも中へ。

 部屋には人が二人座れそうな椅子が2つ並び、その対面にも同じく並んでいる。

 茶色く、座り心地も良さそうで、校長室なんかにありそうな高級な感じの椅子。その椅子の間には縦長のテーブルが置いてある。


「応接室として使っていてね。エアコンもあるから丁度良いだろう」


 そう言って、白羽さんはテーブルの上にあったリモコンを手に取ってエアコンを点ける。


「そう言えば、エドにはこの事を連絡はしたのかい?」

「あ……してねぇ。あいつの事なんかすっかり忘れてた」


 先に白羽さんに連絡をしたらから、エドにするのは忘れちまってたわ。


「時間は……大丈夫だな。ちょい電話してみる」


 携帯電話の時計を見てみると、タイミング良く授業の合間の休み時間。

 電話を掛けるとエドにすぐ繋がった。


「よう、上っ面優等生。ちょっといいか?」

『なんだ? 不真面目サボり魔』


 電話が繋がって最初の言葉が互いに相手を煽るような台詞を放つ。


「っと、冗談はさて置き、ちょいと緊急事態が起きた」

『緊急事態? まさか、またテイルが現れたか!?』

「いや、そうじゃないんだが……モユが見付かった」

『モユ、って……あの神社での少女をか!』

「あぁ。すでに白羽さんと合流して、今は事務所にいる」


 電話の向こうでエドが驚いているのが分かる。

 当然だろう。神社での事が起きてから三日も経っていないのに、いきなりモユ見付けたなんて言われれば。


『解った。俺もすぐに向かう』

「あぁ、そうだ。悪ィけどエド、屋上に俺の鞄があるから持ってきてくれ。忘れちまってよ」

『鞄……? なんでまた屋上に忘れたんだ?』

「色々あったんだよ。あと、ついでに下駄箱で靴も頼むわ」

『靴もか。なんだってまた……』

「だから色々あったんだっつの」


 色々っつーか、ただ単にモユにばかり気が行ってて忘れただけなんだけどな。


『解った。取り敢えず今からそっちに向かう』

「おう。靴と鞄、忘れんなよ」


 最後にもう一度、靴と鞄を忘れないようにとしつこく言って電話を切る。


「エド、今からこっちに来るってさ」


 ポケットに携帯を仕舞って、白羽さんに電話のエドが来る事を教える。


「そうか。エドを待ってから話を始めたかったが、学校からここに来るまでは多少時間が掛かる。先に話を始めていようか」


 白羽さんは椅子に座り、俺達も座るようにと向かいの椅子に手を差す。

 俺は白羽さんの対面にある椅子に腰を掛ける。それにモユも従うように、俺の隣の椅子に座る。

 そして、二人が椅子に座った時にコンコン、とドアをノックする音が聞こえてきた。


「失礼します」


 すると、ドアが開いて深雪さんが部屋に入ってきた。手にはコップを乗せたお盆を片手に持って白羽の近くへ歩み寄る。


「どうぞ、白羽さん」

「あぁ、すまない」


 深雪さんはお盆の上から白いティーカップを白羽の前のテーブルの上に置く。


「よく私が戻ったのが解ったね?」

「部屋の窓から車が入って来るのが見えましたから」


 深雪さんは笑って白羽さんに答える。


「匕君の分もあるけど、飲む?」

「は、え?」


 深雪さんに聞かれ、思わずどきりと慌てふためく。

 正直、喉が乾いていて有り難く頂戴したかった。だが、対面に座る黒スーツの男が口にしているティーカップからは、ゆらゆらと湯気が立っている。


「あーいや、どうしようかなぁ……」


 半分棒読みになりながら、視線を斜めにして天井を仰ぐ。

 今はクーラーの効いた部屋に居るとは言え、超が付いても可笑しくない暑い真夏の日に白羽さんはそれを飲んでいる。

 相も変わらず平然と、汗一つかかずに美味しそうに。この季節にホットコーヒーを。


 せっかく涼しい部屋に居るのに、ホットコーヒーを飲んでまた汗をかきたくない。かと言って、深雪さんが入れてきてくれたのに断るのも気が引ける。

 どっちを取ってもマイナスにしかならない苦汁の選択……!


「ふふ、安心していいわよ」

「え?」

「ホットは白羽さんだけ。匕君のはアイスよ」


 クスクスと面白がるように深雪さんは笑う。


「あぁー、よかった……ってあれ? 俺、声出してた?」

「出してないわよ。でも、すんごい苦い顔をしてたわ」


 うわぁ……声に出さなかったとさても、態度や顔に出しちゃ意味無いでしょうよ、俺。

 でもまぁ、それだけ嫌だったんだろうな。真夏にホットコーヒーは。


「で、どうする? 飲む?」

「冷たいんなら迷わず頂きます」

「ふふ、はい。どうぞ」


 白羽さんの後ろを通って、アイスコーヒーの入った透明なグラスを深雪さんから手渡される。

 渡された時に、中に入っていた氷がからん、と小気味の良い音をたてた。


「こっちの子はジュースでよかったかしら?」


 深雪さんは俺の隣の椅子に座るモユのテーブルの前に、ストローを付けた縦長のコップを置いてモユを見る。

 笑顔で話し掛けてみるも、モユは深雪さんを見向きも反応せず、黙って動かない。


「あ、あれ? これってガン無視? 私、何かした?」


 あまりに堂々と無視をされ、深雪さんは少したじろぎながら俺と白羽さんを交互に見る。


「あぁいや、違うんだ、深雪さん。こいつは元からこんなんで……モユ、ありがとうぐらい言え」


 グラスをテーブルに置いて、モユの頭に手を置く。


「え……モユってまさか……」


 俺の口から出た少女の名前を聞いて、深雪の表情は変わって真剣なものになる。


「そう、あの例の少女だ」


 深雪さんの零した言葉を聞き取り、白羽さんは答えながらコーヒーを飲む。


「これから彼女から情報を聞き取ろうと思う。深雪君もここにいてくれ」

「は、はい。わかりました」


 いきなりの事に多少驚きながらも、深雪さん白羽さんに従う。

 深雪さんは椅子には座らず、白羽さんの後ろへ移動する。


「さて……聞きたい事は山程あるが、順を追って話そうか」


 白羽さんは椅子に深く腰掛け、足組み、静かにそう言った。

 いつものように小さく微笑んで。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ