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No Title  作者: ころく
13/85

No.12 再会、再壊

 祭りから帰宅そて、部屋に着いたのは九時を少し過ぎた頃。もう少し遅い時間だと思っていたので、少し驚いた。

 帰ってからは何をするでも無く、適当にダラダラと過ごした。だが、昨日一昨日は沙姫と組み手をしたが今日は何もしていないのを思い出して、ランニングをする事に。

 組み手と比べたら大分劣るが、昔の勘を取り戻すのなら、ランニングでもした方がマシだろう。

 それに、部屋に帰ってもまだ気分がすっきりしなかったから、身体を動かせば幾らかは紛れるかと思ったというのもある。

 そんな訳で、夜中の散歩がてらのランニングをしている。


「はっ、はっ、はっ……」


 沙姫との長時間ぶっ通しの組み手のお陰か、ランニングを初めた当初と比べると大分疲れなくなった。

 いつもの河川敷を一定のリズムを刻んで走る。

 この前のランニングでは、途中でテイルとコウと遭遇した。その事もあり、今日は連絡を取れるように携帯電話を持ってきた。

 そんな何度もSDC以外の場所で出会うとは思えないが、念の為だ。


「はっ、はっ……ふぅ」


 河川敷を三周した所で、一旦走るのをやめて足を止める。両手を膝に当てて前屈みになり、暫し休憩。

 すると、大して休まずに呼吸が整う。

 自分で思っていた以上に体力が付いた……じゃない、戻った、か。

 勘はまだ取り戻したと言うには怪しいけども、体力はこの通り戻った。沙姫との組み手に感謝だな。

 身体の節々はまだ筋肉痛だけど。


「けどま、これで幾らかはマシになった……かな?」


 前屈みにしていた身体を起こして腰に手を置き、一息吐く。そして、見つめる視線の先には大きな階段。

 ――――そう。それは以前、テイルとコウが現れた場所。

 あの時は何も出来ず、二人の雰囲気に呑まれて竦んでいた。

 もし、二人が立ち去らずに戦り合いになっていたら確実に……今ここにはいなかった。

 あの雰囲気………テイルの逆毛立つ威圧感と、コウの真っ黒な殺気。

 あれを思い出すと今でも嫌な汗が出てくる。

 だが、次の時はそうはいかない。もう俺は呑まれない。奴等の雰囲気にも、自分の甘さにも。

 右手を上げ、以前テイル達が立っていた階段の上に遠近法で開いた手を重ねる。


「先輩は返してもらうからな」


 そして、その手を強く握る。


「必ず……ッ!」


 いないテイルとコウに言い放ち、誰もいない空間を睨み付ける。

 握った手には汗が浮かび、それを振り落とすように腕を勢いよく振って空を切る。


「……はぁ」


 息を一つ吐き出して、ランニング以上に熱が上がって暑かった。

 それに、気分が悪かったのを忘れようって意味も含めてのランニングだったのに、テイル達の雰囲気を思い出してしまったらそれこそ無意味だ。

 なんだかなぁ、と頭を掻く。


「だけど、やっぱりなんか気になるんだよな……」


 思い出してもいい事は無いのに、忘れようと思っても中々頭から離れない。

 あの祭りでのザラつき。気にならない、と言えば嘘になる。


「今からちょっと行ってみるか?」


 携帯電話を開くと、画面の時計は十一時半過ぎを表示していた。

 この時間なら祭りも終わっているだろうし、人もいなくなっているだろう。

 ランニングがてら確かめに行く、って事で。


「……よし」


 ぐぐっと一度だけ背伸びをして、神社に向かって走りだす。

 河川敷から出て、駅前の近くを通ってエド達と祭りへ行った時に通った道に出る。

 その道を走り進んで行く。時間が時間なせいか、人は一人もいない。

 途中にある信号が赤になり、一度立ち止まる。


「待て……一人も、いない?」


 確かにさっき携帯電話で時間を確かめたら十一時は過ぎていた。

 こんな時間なら人気が少なくて当たり前だろう。だが、まだ真夜中って時間ではない。

 深夜の零時とか、丑三つ時なら人っこ一人いなくても不思議じゃないが……。

 まだ十一時にもならないのに、河川敷からここまで来るまでの間に一人も人とすれ違わないのは可笑しくないか……?

 人気だって祭りの時と比べると嘘のように無い。

 車のエンジン音すらも無く、あるのはひたすら点灯を繰り返す意味の無い信号機と、明かりに誘われて周りに虫が漂う自動販売機。

 あとは、耳の奥がキン、と耳鳴りがする程の静寂と閑寂。

 あの祭りの賑やかさは何処へ行ったのか……。

 信号の色が赤から青に変わり、左右を確認せずに横断歩道を渡る。

 こんなにも街は沈黙して人気が無いのだから、見なくても車なんて通らないのは解っていた。


「静かなのは嫌いじゃねぇが……これはちょい不気味過ぎだろ」


 あまりの静かさに走るのはやめて、歩きながら辺りを見回す。

 やはり、連続行方不明事件のせい……だろうな。分かっているだけでも十五人は被害者となって行方不明になっている。

 それに、その十五人って数は二週間以上も前の話だ。今ではもっと増えている可能性もある。

 そんな犯人の正体も動機も目的も分からない事件が自分の住む街で起きていれば、今のこの街の状況は当然なのかも知れない。

 いや、その事件を引き起こしている奴等に目を付けられているのに、こんなヒョイヒョイと夜に出掛ける俺の方が変なのか。

 それに、目を付けられた理由が攫う為じゃなくて殺す為だってから困りモンだ。しかも、その殺したがっている奴が先輩の身体を使っていて更にたちが悪――。


「――――ッ!?」


 何かに感付き、驚いたかのように素早く後ろを振り向く。

 勿論そこには誰も居ず、歩行者用の信号機が一人もいない歩行者に対して青く点滅していた。


「おいおい、マジかよ……」


 そう呟きながら誰もいない周りを、まるで睨むかのような目付きで綿密に見回す。

 その表情は真剣で強張っており、ランニングとは別の冷たい汗が地面に落ちる。

 感付いたのはある雰囲気。この感じた相手を、まるで押し潰してしまうかのような雰囲気を感じるのは三度目か。

 ついさっき河川敷の階段の前で思い出したばかりなのに、まさかこうも早くまた出てくるとは思っていなかった。


「冗談じゃ済まねぇぞ、こりゃあ」


 もし冗談だったとしても、これは笑えない冗談だ。

 念の為、と連絡用として持ってきた携帯電話は早くも出番が来た。電話帳からエドの探して電話を掛ける。

 携帯電話を耳に当てると、プルルルル、と発信音が鳴る。


「こんな時に繋がんなかったら、それこそ冗談じゃねぇ」


 電話を掛けながら辺りに注意を払う。奴の雰囲気を感じる以上、何時、何処から現われても不思議じゃない。

 三十秒程、電話を鳴らしてもエドは電話に出ない。いや、本当は三十秒も経ったかなんて分からなかった。

 この緊迫した状況で、ほんの数秒が何倍にも長く感じたのかも知れない。

 何秒、はたまた何分電話を掛けたか分からなくなりそうになった時に、電話の発信音が止まった。


『もしもし、どうした? お前から電話を掛けてくるなんて珍しいな』


 ようやくエドが電話に出た。こっちの気持ちも知らずに暢気な事を言っている。

 だが、今はそんな事を話したいんじゃない。


「お前、今何処にいる?」

『何処って、駅の西口から少し離れた所にいるが……どうかしたか?』


 西口……クソ、逆方向じゃねぇか。それじゃあ今すぐに合流するのは無理だ。


「あぁ……せっかくのオフの日に残念だけどな、急に仕事が入ったみてぇだ」

『何? どういう意味だ?』

「祭りがあった神社、今その近くでテイルの雰囲気を感じた。十中八九……いるぞ」

『本当かッ!?』


 聞こえてくるエドの声は、電話越しでも驚いているのが解る。


「こんな物騒な雰囲気を出せる奴なんて、そういねぇだろ」

『……解った。場所は神社だったな? すぐ行く』


 エドのその言葉を最後に電話は切られ、携帯電話を閉じてズボンのポケットに突っ込む。


「さぁて、何が起きる……?」


 まさかまさかの急展開。

 以前会ってから一週間も経たずにまたテイルと出交すとは……ピンチの中にチャンスがあるって言うが、こういうのをそう言ったりするのか。

 九割方ピンチに染まってるけどな。


「取り敢えず、神社だな」


 テイルの雰囲気は感じるが、奴が居る場所は何処なのかまでは解らない。

 奴の雰囲気が強力な分、雰囲気を感じ取れる範囲が広い。

 祭りの時に感じたあのザラつき。あれを考えれば、この辺りで怪しいとしたら神社だけだ。

 もしかしたら、祭りの時ははっきりと解らなかったザラつきの正体が、今になって姿を現わしたのかもな。


「とにかく、言ってみなきゃ解んねぇか」


 走って神社へと向かう。

 読みの通り神社にテイルが居るのか、神社へ近づくにつれて雰囲気も濃くなっていく。

 雰囲気を感じた場所から神社へと、まるで空気にグレーから黒とグラデーションをかけたかのように。

 強くなる雰囲気が肌をピリピリと針で刺されたような錯覚を起こす。

 そんな錯覚は無視して走る。既に神社の近くまで来ていたので、走り出して数十秒で神社の入り口である鳥居が見えた。

 そのまま鳥居の所まで行こうと思ったが、急に走るのを止める。


「あそこに誰か、いる……ッ!」


 鳥居の下に人影があるのに気付き、いつでも自分の間合いを取れるよう警戒する。

 今から物陰に隠れるのも不自然だ。もしかしたら、向こうの人影も俺に気付いているかも知れない。

 走って突っ込むのは論外。ここは歩いてゆっくりと距離を詰めるべきだ。


「はぁ……」


 出来るだけ声を上げないように息をする。緊張しているのが自分で解る。

 状況が状況だ。人影はただの一般人の可能性もあるが、今のこの状況じゃそんなのは希薄だ。

 しかも、厄介な事に人影は一つじゃない。という事は複数人いるって事だ。

 それにテイルが居るって事は、コウも現れる可能性は大。本命と会うまでは体力を残しておくのは必須。

 鳥居へ歩み寄って行くにつれ、人影の姿が段々と形どられていく。


「ふ、ぅ……」


 少し腰を落として拳を作り、すぐ様仕掛けれるように構える。

 そして一歩。この一歩で暗闇のカーテンに隠れていた人影の正体が、目に映し出される。


「――――――なっ!?」


 沈黙した街と、その街を包む緊迫した空気。

 その中にいた人影の正体に驚愕した。余りにも予想外の、そして、この場に不似合いの人物に。


「あれ、なんで咲月先輩がいるんです?」


 この聞き慣れた声と、つい数時間前にも見た覚えのある顔で一気に脱力した。


「な、なんでお前がいるんだよ……」


 力だけじゃなく、気も抜けた。あんなにも緊張していた自分が馬鹿らしく思えて、溜め息と共に額に手を当てる。


「あら? 咲月君、帰ったんじゃなかったの?」


 当然、沙姫がいるって事は沙夜先輩もご一緒。

 沙姫が手に抱えている食べ物を見る限り、まだ祭りから帰ってなかったみたいだ。


「何やってるんですか? こんな時間に」

「走り込みだよ、走り込み。身体が鈍らねぇようにな」


 せっかく沙姫との組み手で感覚を取り戻し始めたんだ。それを忘れないようにと地道な努力をしなければ。


「そういうお前は何やってんだよ? 祭りはとっくに終わってんだろ?」

「そうなんですけど……実はですねぇ……」


 モジモジとしながら困った顔をする沙姫。


「沙姫ったら、何処かに携帯電話を落としちゃったらしいのよ」


 沙姫が言うより先に、沙夜先輩が返答する。


「マジで?」

「……はい」


 沙姫がしょんぼりとしてるって事は、携帯電話は見つかんなかったのか。一緒に探してあげたい気持ちは山々なんだが……。


「ま、残念だけど今日は諦めるしかないな。真っ暗の中で探しても、見つかるモンも見つかんねぇよ」

「でも……」

「でもじゃねぇ。もう夜も遅ぇんだし、女の子がウロウロしてたら危ねぇだろ?」


 今は一刻も早く二人をこの場から離れさせるのが先決だ。

 テイルに見つかったらどうなるか解らない。相手がテイルじゃ、俺が囮になっても逃がせる自信が無い。

 それに、コウなんかが現れたら更にヤバイ。アイツは攻撃性が特に強い。有無を言わさず殺しにかかってくる筈だ。

 幸い、二人の家はここから近い。帰るにはそう時間は掛からない。家に帰るとまで行かなくても、テイルに見つかる前にこの場から離せればそれでいい。


「ほら、咲月君もこう言ってるんだから、今日は諦めなさい」

「……うん。そうする」


 こんなに落ち込んだ沙姫を見るのは初めてだな。普段はあんなに元気なのに、そんなに携帯電話を落としたのがショックなのか。

 機種変したばっかりだったとか?


「でもね、沙姫の携帯電話を探している時にちょっと問題が起きてね……」

「問題?」


 沙夜先輩は腰に腕を回して困り果てた表情をしている。


「実は……携帯電話を探していたら、迷子になってた子供を見つけちゃって」

「迷子、ですか?」

「そうなのよ。恐がってるのか、何を聞いても全く話してくれなくて……交番に連れていこうか悩んでいた所なのよ」


 時間も時間だしな。それが一番いいだろう。

 だけども、その迷子の親は何やってんだ? 自分の子供を置いて先に帰っちまったのか? だとしたら最悪だぞ。


「そうですね……この時間になっても親が現れないんだったら、警察に連れていくのがいいかも知れないですね」

「やっぱりそうかしら……?」


 よし、これならすぐに沙姫と沙夜先輩の二人、それと迷子をここから離す事が出来る。


「それで、その迷子は何処に?」


 沙姫と沙夜先輩の隣には迷子らしき子供は見当たらない。


「あぁ、あの子ならあそこに立ったままずっと動かないのよ」


 沙夜先輩はその迷子がいる方を見ると、視線の先を追ってその方向を見る。


「私が綿飴あげるって言っても、なーんにも喋んないんですよぉ?」

「…………」

「咲月先輩?」


 沙姫が話し掛けているのに、全く沙姫の言葉が耳に入っていなかった。

 その視線の先に、沙姫と沙夜先輩以上に予想外で、更にこの場に不似合いな人がいた為であった。

 明かりが無く、暗い中ではあるが解る。あの暗闇に薄ら浮かぶ赤茶色の髪。そして、それと同色の目。

 そんなの、一人しかいない。


「――モユ」

「え? 咲月先輩、あの子を知ってるんですか?」

「あ、あぁ……」


 まさか、こんな所でまた会うとは思っても見なかった。もしかして、祭りの時に階段ですれ違ったと思ったのは見間違いじゃなかったのかも知れない。

 取り敢えず、モユに声を掛けよう。なんでここに居るかよりも、一刻も早く神社から離れないと危険だ。


「あっ、ちょっと咲月先輩!」


 モユの所へ歩み寄っていく俺に、沙姫は後ろから追っかけて来る。


「モユ!」


 名前を呼ぶと、少女はピクリと反応して俺の方を向く。


「……」


 こちらを向きはしたが、何を喋るでもなく無表情のままジッと見つめる。

 間違い無い、この無愛想で無表情で無口なのはモユだ。


「俺が誰か分かるか?」

「……匕」


 モユはこの間と変わらず、表情を変える事無く喋る。

 間近でモユを見て気付いたんだが、心持ち少し目が大きく見開いている気がする。

 これはもしかして驚いている……のか?


「わっ、すごい。咲月先輩には喋った!」

「本当、私達が話し掛けても一言も話してくれなかったのに」


 沙夜先輩も後から付いてきて、モユが俺に対して返事をした事に驚いている。


「こんな時間にこんな所で何したんだ? 迷子になったのか?」

「……ううん、違う。待ち合わせ」

「ここで、今の時間にか?」

「……うん」


 ったく、またか。モユの親は一体何してんだよ。こんな所で待ち合わせなんて。

 しかも、この前みたいに時間を決めてなかったりするんだろ。

 だが、そんな事を考えている場合じゃない。今だってテイルの雰囲気が嫌な程に感じる。


「とにかく、ここは暗くて危ないから別の所に行こう。な?」


 モユの手を握り、引っ張って連れていこうとするも、モユはその場から動こうとはしない。


「モユ?」

「……ここにいろって言われた」


 なんとまぁ素直な子だな、本当によ。昔の俺に似てると言ったが、俺もこんな変な所が頑固だったりしたのかね。

 あ、いや、今も頑固なんだっけ? 俺って。沙姫や沙夜先輩もそう言ってたしな。


「だけどな、モユ。夜遅くにこんな場所をウロウロしてたら、オバケが出てくるぞ」


 大抵、モユぐらいの歳ならこういう怖い話をすれば怖じ気付いて言う事を聞く筈だ。


「……オバ、ケ?」


 しかし、モユは怖がるどころか目をぱちくりさせ、首を少し傾げてキョトンとした顔をしている。

 全く効果が無かったのは言うまでも無い。


「ちょ、ちょっと咲月先輩……そういう話はやめてくださいよぉ」


 すると、沙姫が後ろから俺の服を掴んできた。目には軽く涙が溜まっている。


「あ、悪い悪い。そういや、お前ってこういうの苦手だったな」


 っておい、お前が怖じ気付いてどうすんだよ。苦手なのは分かるが、オバケって単語を出されただけで涙目になるなよ。


「でも、その……オバケが出そうとか、そういう訳じゃないんですけど……なんかさっきから変なんですよね。こう、空気が重いって言うか、暑いのに寒気がするとか……」


 沙姫がそう言うと、服を掴んでいた手の力が強くなる。

 そして、その表情は何かに怯えるようで、手は微かに震えていた。


「そうなのよ、ね。沙姫が言うように、私もさっきから鳥肌が立ってるのよ……」


 そう言って沙夜先輩は自分の腕を擦っている。

 読感術が使えない沙姫と沙夜先輩でも、テイルの雰囲気を感じているようだ。

 それは奴の雰囲気の強力さを物語っている。

 読感術を使っておらずに無意識に感じているとしても、プレッシャーが半端無い為、精神的疲労感もある。

 沙姫の手が震えていたり、沙夜先輩が鳥肌が立ったりしているのがその証拠。

 なら尚更、早く離れるべきだ。


「ほら、このお姉ちゃん達もこう言ってるし、別の所に移動しよう。またアイスでも買ってやるから」

「……アイス?」


 アイスという言葉にモユは反応して顔を上げた。

 顔はいつも通り無表情だが、その無表情の裏では何かが葛藤しているようにも見える。


「そうそう、アイス。買ってやっから」


 気のせいか、モユの目が少しだけ輝いているような……この間の事も考えると、もしかしたらモユはアイスが好物なのかも。


「だから、ほら。行くぞ」


 そう言って、もう一度モユの手を引っ張った時だった。

 上から伸し掛かるかのような、台風が頭に思い浮かぶ程の強い風が落ちてきた。


「きゃあ!」


 沙姫は服を更に強く掴み、俺の背中に隠れて身を縮込ませる。


「――――ッ!」


 否、正しくは風では無い。風は吹いて来るモノ。決して落ちては来ない。

 それはまるで、強風が真っ逆さまに落ちてきたと錯覚させてしまう位に空気が変わった。

 空気の、重さが。


「い、今の……風?」


 カタカタと服を掴む手を震わせながら、沙姫は辺りを見回す。


「なんか、嫌な風だったわね」


 沙夜先輩もただの風じゃないと気付いたのか、不安そうな顔をしている。

 ただでさえ強かった奴の雰囲気が、更に強くなった。

 つまり、すぐ近くにいるって事になる。しかも、上から落ちてくる形で雰囲気が強くなったのなら、奴は高い場所にいる。

 となると、駅前から離れてビルなどの高い建物が無いこの辺りじゃ、高い場所なんて一つしかない。


「クソッ、間に合わなかったか……!」


 隠す様子もない奴の雰囲気が吹き落ちてくる場所、神社を見上げる。

 目の前にある石畳の長い階段は、上へ行くにつれて闇に染まり、半分より先は黒く塗り潰されて何も見えない。

 しかし、迷ってる暇も悩んでいる余裕も無い。

 テイルに気付かれる前に沙姫達をこの場から離れさせないと、どうなるか解らない……ッ!

 いや、もしかしたら既に見つかっている可能性だってある。

 ――だったら取る行動は決まってんだろ!


「沙姫!」

「は、はい! なんですか!?」

「悪いけど、今すぐ先に帰って沙姫ン家でモユを預かっててくれ。後で俺も行くから」


 握っていたモユの手を離して、暗闇が続く階段を駆け上がっていく。


「ちょ、咲月先輩!?」

「金は後で払うから、モユにアイスを買って機嫌取っててくれ! いいな、今すぐだ! 沙夜先輩も頼みます!」


 神社の階段を上っている途中、何度か沙姫に名前を呼ばれていたが無視をして境内を目指す。

 周りの木々は風が吹いていないのにざわりと蠢く。蜘蛛の下へ飛び寄る蝶々を笑っているかのように。


「何処にいやがる……? あの野郎は」


 神社の境内に上り着き、厄介な雰囲気を放っている奴を探す。片付けが終わらなかったのか、境内には祭りの出店がまだ残っていた。

 細心の注意を払い、境内の奥へと進んでいく。


「相変わらず重っ苦しい雰囲気をしてやがる……」


 肩に何かが乗っかっているように重い。それに、冷や汗だって止まらない。

 生きた心地がしないって言葉は、こういう時に使うんなんだろうな。

 だが、雰囲気が強く感じるという事は奴がここにいるのは確実……なのだが、雰囲気が強過ぎて逆に居場所を突き止めるのが難しい。

 読感術で奴の居場所を把握出来ないのなら、肉眼で見付け出すしかない。

 出店が並ぶ無人の境内の中を歩く。

 奥に進むにつれて次第に出店の数は減っていき、社へ着いた頃には周りは木しかなかった。


「ここで行き止まり、か」


 社があるこの場所が一番奥らしく、進めそうな道は辺りには見当たらなかった。社に近づいて周りを探り見る。

 暗闇に染まった社は神聖さなど微塵も無く、不気味さだけを感じさせる。


「ここじゃない、のか?」


 奴が神社の何処かにいるのは確かな筈。

 もしかしたら、ここまで来る途中に会っていたのを見過ごした……?

 もしそうだとしたら、沙姫達の方と接触しているかも知れない。一旦戻るか?

 ……いや、沙姫にはすぐに帰るように言った。もし家に帰った沙姫達をテイルが追って行ってたとしたら、神社から奴の雰囲気は消えている。

 今も嫌になるぐらい雰囲気を感じる以上、それは無いと思っていい。

 ならやはり、この神社の何処かにいるのは――――。


「なんやぁ、また会うたなぁ?」

「ッ!」


 あぁ、間違い無かった。この口調は、間違い無い。


「夜遊びも過ぎたら危険やで。咲月君?」


 気付けば背後に生えて立つ無数にある中の一本の木の上に、奴は立っていた。

 タバコを口に啣えて吹かしながら。

 目元まで隠す長い金色の髪、背中まで伸びた三つ編み。


「やっぱりアンタだったか……」

「お、なんや? 俺がいる事知ってたんか?」

「こんな物騒な雰囲気を出す奴なんか、他にいねぇからな」

「まぁ、それもそうやな」


 そう言ってテイルはケラケラと笑う。


「で? 俺がいるの知ってて来たんっちゅうのは、何か目的があるんやろ?」

「当然だ。用が無かったら会いたくもない」


 こんな居るだけで寿命が縮みそうな所に好き好んで来る奴なんていねぇよ。


「アンタがいるって事は……アイツもどっかにいるんだろ?」

「ふん、やっぱり彼の事か。ま、それ以外あらへんもんな」


 確かに先輩の事も重要だし、それが目的でテイルとの接触を計った。しかし、今はそれ以外にもう一つ。テイルの気を引くのが目的。

 沙姫達が神社から離れられるように、少しでも時間を稼がなければ。


「今日もまた、“リハビリ”が目的……か?」

「その通りや。なかなかしぶとくてなぁ。未だに安定せぇへんのや」


 テイルは隠す様子も無く、すんなりと質問に答えた。

 よし、先輩はまだ完全に別人格に浸食されていない!


「それとま、俺もやる事が他にもぎょーさんあってな。今日はリハビリとは別にもう一つあるんやけどな」

「な、に?」

「何も明星君の二从人格にじゅうじんかくの実験だけやない、っちゅう事や」


 意味深な事を言いながら、テイルはタバコの煙を口から吐く。

 奴の言い方だと……先輩の人体実験とは別のモノが行われている?


「おい、それはどういう意味だ!?」

「ん? まぁ、俺は教えてやってもえぇんやけどな。ただ、君がお喋りする暇ぁあらへんやろ?」

「なに?」


 テイルがちょいちょい、と社の上を指差す。その方向を見て、俺は舌打ちをする。


「――あぁ、そうだった。テメェの相手もしなきゃならねェんだったな……!」


 テイルの雰囲気のせいで軽く感覚が麻痺しているのか、奴が近付いていたのが気付かなかった。

 そいつの存在に気付いた時に、やっと身体がタチの悪い真っ黒な雰囲気を感じ取る。

 暗闇に染まった神社よりも黒く、濁った雰囲気を。


「まさかこんなにも早くまた会えるとは思ってなかったぜェ……咲月ィ?」


 そいつは社の屋根の上に立ち、心底嬉しそうに、にんまりと口を歪ませる。


「コウ……ッ!」


 先輩の姿をした別人を見上げ、その名を呼ぶ。笑みを浮かべるコウに対し、睨み返す。


「早かったなぁ。どうやった? 収穫の方は」

「ダメだったよ。今回もハズレだ、ハズレ」

「そうやろな。俺もそんな期待しとらんかったし」


 二人が何気ない会話をしている間も、気が滅入ってしまいそうな雰囲気が包まれている。

 だが、大丈夫だ……! この前は雰囲気に呑まれ、身体が竦んでまともに動く事すら出来なかった。

 しかし、今回は……今はそんな事は無い。身体も動く。頭脳あたまもちゃんと働いている。雰囲気に呑まれても、押されてもいない。


「だけどま、ハズレだけじゃなかったみてェだな」


 コウは社の屋根から飛び降りる。


「なぁ、オイ。今日はヤっちまって構わねェだろ?」

「構へん構へん。こないだは我慢させたからな、今日は好きにせぇや」


 テイルはタバコを吸い、デコピンをするのと同じ仕草で短くなったタバコをコウの方へと投げ捨てる。


「だとよ。お許しが出たんだ、これで気兼ね無く壊せるってモンだ」


 タバコがコウの目の前に落ちた瞬間、コウが持っていた得物を振り上げ、タバコは破裂するように霧散した。


「うん? なんや? 今回は棍は置いてきた筈やったよな?」

「あぁん? あぁ、これか。手ぶらってのも手持ち無沙汰だったからな、そこいらで掻っ払って来た」


 いつも持っていた棍とは別の、工場なんかに転がってそうな鉄パイプを握っている。


「そやったんか、ならえぇけどな。あ、そうそう咲月君?」


 ポケットからタバコを取り出して、口に一本啣える。


「これはSDCやあらへんからな、負けても失格にはならんから安心しぃや。ただまぁ、生きてたらの話やけどな」


 ハハッ、とテイルは笑いながら話をする。こちらからすれば、全く笑える話じゃない。


「俺から話し掛けといてなんやけどな、よそ見しとってえぇんか? 君の先輩は気ィ短いで?」


 テイルの話を聞いていた間に、コウがこちらへ突進して来ていた。


「しまった……ッ!」

「先手必勝ってかぁ! おっ始めるって時によそ見してる奴が悪ィんだぜェ!?」


 コウは持っている鉄パイプを俺の顔を目がけて、助走での勢いを付けて横に一振りする。


「くっ!」


 それを上半身を引きながら後ろに飛び、紙一重で避ける。前髪が微かに当たり、チッと擦れる音がした。


「ハッ! いい反応するじゃねぇか! 上等上等!」


 今のは危なかった……本当にギリギリだ。だけど、いける! 動ける!

 奴の動きも見えるし、反応も出来る。それに奴から放たれる危機感がこの間よりも小さく感じる。

 これは思っていた以上に、昔の勘を取り戻していたのかも知れない。

 しかし……コウとテイルの二人を相手にするのは、いくら何でも無理だ。勝てる見込みは全く無い……どうする!?


「確かに、えぇ動きや。こないだはガッチガチに固まってたなぁ」


 だが、テイルはコウを手伝う様子は見せず、ポケットから銀色のジッポを取出し、それでタバコに火を点けている。


「オイ、手ェ出すんじゃねぇぞ」

「わあっとるわ。お前の獲物にちょっかい出す気なんてあらへん」


 コウに対して、テイルはプカプカと煙を口から出しながら答える。

 じゃあ、コウは一人で俺と戦るって事。これはかなり好都合だ!


「もう片方も放りっぱなしやったしな。俺はこれ吸い終わったら様子でも見ィ行ってくるわ」


 もう片方……? さっき話に出ていた他の目的の一つの事か……?


「オイオイオイ、またよそ見かぁ!?」


 またコウは突っ込んで鉄パイプを振る。


「この間ぁテメェに喧嘩売られたからなぁ! やっと買ってやれるぜェ!」

「そっちから仕掛けて来ておいてよく言う!」


 コウが振り回す鉄パイプでの攻撃を、後ろに下がりながら避けて距離を取る。


 奴の攻撃一つ一つの動作は大きく、雑把な部分が多い。だから、攻撃を避ければ奴に隙が必ず出来る。

 しかし、奴は鉄パイプを使っている為、下がりながら攻撃を避ければ、当然距離が離れる。

 その離れるおおよそ三、五メートルの距離を詰める間に、隙は無くなってしまう。


「逃げてばっかじゃつまんねぇだろ!? ちったぁ攻めて来いよ!」


 攻撃を避けてばかりの俺にイラつき始めたコウは、大きく鉄パイプを振り上げる。

 ――――ここだッ!

 姿勢を低くして素早く距離を詰める。と同時に、コウの側面へ入り込む。

 振り下ろされた鉄パイプはフオォン、と風を切る音を上げて地面に叩き付けられた。

 がら空きになっているコウの腹。

 そこに、目一杯の助走の勢いと身体を捻ってバネにした瞬発力を加え、両手同時に突き出された一撃が抉るように決まる。


「が、っあ!」


 さらに、腕を内側に捻る形で回転を付けて威力を上げる。コークスクリューと同じ原理。

 コウは小さく低い悲鳴をあげ、社の前まで吹っ飛んだ。


「どうだよ……? 言われた通り攻めてやったぞ」


 地面に寝そべるコウに、言葉を投げる。


「っ痛ェ……テメェの先輩の身体だってのに容赦無ぇじゃねぇか」


 左手を攻撃を受けた箇所に当てながら、コウは立ち上がる。


「今はお前が使ってんだろ。殺そうとしている奴に、遠慮なんかしてられるか」

「はん、やっぱコイツよりもテメェが可愛いってか」


 コイツ、と言いながらコウは親指で自分の胸を差す。


「勘違いすんな。俺じゃなくてお前の事だよ。先輩ン中に横から入ってきた居候がよ」

「……一発当てたからっていい気子になってんじゃねぇぞ」


 勘に触ったのか、コウの眉間に皺が出来る。


「先手必勝、だっけか? じゃあ、先に一撃入れた俺の勝ちだ」

「ガキがぁッ……!」


 コウはさらに皺を作り、眉毛を寄せる。


「ガキはそっちだろ! 先輩の身体に居座ってまだ一ヶ月も経ってねぇんだからよ!」

「雑魚が調子に乗ってんじゃねぇ!」


 挑発染みた言葉に、コウはまるで赤い物を見て興奮した牛のように突進してくる。

 そして、先程と同じく鉄パイプをぶん回す。


「オラァ!」


 それを難なく避ける。頭に血が上って沸騰している相手の攻撃を避けるのは簡単だった。

 その隙に、避けながら半回転して肘裏をコウの側頭部に当てる。


「が、っ……」


 繰り出された予想外のカウンターに、コウは足をフラつかせる。

 そのチャンスを見逃す俺ではない。

 続けて頬に掌打を入れ、最後には回し蹴りを腹に決める。

 蹴られたコウは、後ろに生えていた木に背中を打って、地面に再び尻を着いた。


「あーぁ、ったく……熱くなり過ぎやっちゅうねん」


 押されているコウを見てテイルは、やれやれと言わんばかりにおでこに手を当てている。


「……ん?」


 何かに感付いたのか、テイルは神社の階段がある方へ目をやる。


「チッ……やられっぱなしってのは本気でムカつくぜ」


 掌打を喰らった時に切ったのか、コウの口から微かに血が垂れる。それを手で拭いながら立ち上がる。


「今のは効いたぜ……特に肘打ちがよぉ。頭ン中ぁ脳ミソが暴れ回ってんよ」

「……の割りには元気じゃねぇか」

「痛みよりもムカつきの方が上回ってっからなぁ。別にダメージが……」

「無い、って訳じゃねェんだろ? 前に聞いた」


 だったら、先輩には悪いけどコウが身体を動かせなくなるまでダメージを与えるしかない。

 さっきの攻撃だって蓄積されている筈だ。なら、必ず限界は来る。


「は、だったな。……じゃあ無駄だってのは解ってンだろぉ!」


 そして、またもコウは俺に向かってつっ走って来る。


「またお得意の突撃かよ……すっ転んだ犬かってんだ!」

「あぁん!?」


 コウは鉄パイプを振って攻撃するも、当たらず空を切るだけ。


「ワンパターンだっつってんだよ!」


 ただがむしゃらに振り回すだけのコウの攻撃は、リーチはあるものの避けるのは難しくなかった。

 組み手をやった沙姫の方が数倍攻めにくい。


「っの野郎……ッ!」


 頭に血を上らせていたコウは、さらに血が上って額に血管が浮き出る。


「当たりやがれってんだ!」


 左手に持った鉄パイプを外側に払う。


「ほっ、と!」


 しかし、鉄パイプは俺に擦るどころか一メートル近く間を開けて外れた。


「腹がガラ空きになって……」


 ……いや、待て。攻撃の間合い一メートルも離れているのに振るか?

 避けてくださいと言っているような物だ。いくら奴の攻撃が、がむしゃらだと言っても、そこまで考え無しに攻撃するか?


「……しまっ――ッ!」


 ここで、一つの異変に気付く。一瞬、反撃を躊躇ったのは正解だった。

 コウが横に払った鉄パイプ。それを持つ手は、明らかに意識して通常よりも短く握っていた。

 そして、コウは更に一歩踏み出し、空いていた右手で俺の顔面を狙う。

 鉄パイプでの攻撃はフェイク。俺を攻めて来させる為の誘いだった。


「ッラァ!」


 鉄パイプを振った動作を利用したパンチが自分の顔を目がけて飛んでくる。


「ぐっ!」


 コウの渾身の一撃が狙い通り決まった。

 ……かのように見えた。


「……チ、ィ」


 寸での所で腕を前に出して払い、パンチの軌道をズラして外させた。コウの狙いに気付かずにそのまま攻めていたら、カウンターで喰らっていたのは確実。

 その証拠に、直撃は避けたがコウのパンチは頬を掠めていた。


「あぶ、っねぇ……!」


 顔のすぐ横を通ったコウの拳を見て、冷や汗をかく。

 すぐにコウに視線を戻すと、奴の口元は緩んで笑っていた。そして、視野の下部分に何かが動いているのが入った。


「ッ!」


 それをコウの足だとは分かっていなかったが、身体が反応して素早く半歩後ろに退く。

 その瞬間、コウは前蹴りを放ったが、直前で感付いて紙一重で躱す。

 ――だが、俺はまだコウが笑っている事までは気付いていなかった。


「全部避けるたぁやるじゃねぇか! だが甘ぇ!」


 前蹴りが最後の攻撃だと思っていた。しかし、コウにはまだ狙いがあった。

 咄嗟に前蹴りを躱して体勢が崩れた為、一度離れて間合いを取ろうする。

 しかし、その時、目がじくりと痛みが走った。


「ぐっ……!?」


 目に手をやると、じゃり、とした触感がする。

 これは……砂? そうか、あの野郎……前蹴りを放つのと一緒に土まで蹴りやがったな!

 まさか砂で目潰しを狙って来るとは……。


「ハッハ! これぁ試合でも勝負でも無ぇ、喧嘩だからよ! まさか汚ぇなんて言わねェよなぁ!?」


 目潰しとは言え、やっと俺に一発入れれたのがそんなに嬉しいのか、奴はバカみたいに笑っている。


「そやな。喧嘩にルールなんてあらへんもんなぁ」


 戦り合う二人を面白そうに木の上で傍観しながら、テイルがコウの言葉に答える。


「ちっ……」


 クソッ、なかなか砂が取れねェ! 全く目が見えないって訳じゃないが、ぼやけた視界でコウを相手にするのは無理だ!


「視界が回復する前にタコ殴りだ! 今までの分を万倍にして返してやっからよぉ!」


 鉄パイプを持ち直して強く握り、コウは走りながら大きく振りかぶる。

 変わらずの直線的な攻撃。先程から何度も躱している。しかし、視界がぼやけている今は脅威に変わる。

 目がろくに見えない以上、上手く動けず受け身になってしまう。

 下手に避けようとすれば、攻撃を当たってしまった時のダメージが大きい。なら、防御に撤してダメージを最小限にする方が良策。

 一か八かの回避より、確実に凌げる一撃だ。奴が鉄パイプを使っているにしても、急所さえ守れば致命傷にはならない!


「まずは一発ゥ!」


 コウは鉄パイプを空にかざし、力を入れる。

 そして、それに耐えようと両腕で頭を守り、前屈みになって身体を丸くさせる。


「オ――」


 ラァ! とコウが声を上げて鉄パイプを振ろうとした時、コウの顔に何かが当たった。

 当たった同時に、パンッと小さな破裂音をさせて割れる。


「なん、だぁ?」


 不明物体の予想外の乱入に、コウは攻撃を止める。

 割れた物の中からは透明な液体が出てきて、コウを少しばかり濡らしただけだった。


「水……?」


 顔に付いた液体を手で拭い取って見てみる。無臭で透明の液体。コウが今言った通り、それはただの水。


「よそ見してる奴が悪いんだぜ、ってか?」


 一度コウに言われた言葉を真似て言う。相手が見せた隙を見逃す訳が無い。


「しま――」


 俺の声を聞いて焦ってコウが振り向いた所に、助走を付けた掌打を顎に当てる。

 視界がぼやけていても、相手が目の前にいれば大体の距離は解る。それに、動かずに止まっているのなら難しい事じゃない。


「んんっ!」


 そして、掌打を当てた手を前に突き出して、砲丸投げをする感覚でコウを投げ飛ばす。


「どうやら、良いタイミングだったようだ」


 コウに物を投げた正体が俺の後ろに立って話し掛ける。


「どこがだよ、どう見ても遅刻だろうが。今日だけで二度目だぞ」


 そいつに対し、軽口で答える。この状況でこんな所に来る奴はそいつしか思い浮かばない。

 やっと味方が来てくれた。


「ところでよ、水とか持ってないか? エド」

「祭りで買ったお茶ならあるが?」

「あぁ、それでいいや」


 目を擦りながらエドからお茶が入ったペットボトルを貰う。


「お前が言った通り、本当にいたな。奴が」


 木の上で一服しているテイルを見て、エドが喋る。


「ま、さっきから何もしないで見物してるだけだけどな」


 お茶で目に入った砂を洗い落としながらエドに返す。


「さっき投げたのは何だったんだ? 砂が目に入ってて見えなかったんだが」

「あぁ、水ヨーヨーだよ。祭りの出店で取ったんだけどな、まさかこんな形で役に立つとは思わなかった」


 それを聞いて足元を見てみると、確かに水玉模様のカラフルな柄の割れた風船があった。


「ほ、誰や思たらやっぱ君かいな」


 エドの登場に驚いた様子も無くテイルが喋る。


「まるで俺が来た事を知ってたような口振りだな」

「知っとったで? さっきチラッと身覚えのある雰囲気した奴が神社に入って来たン感じてな。それで気付いたわ」

「気付いていたのに、わざと何もしなかったのか……?」


 前に、SDCの最中に図書室でテイルと会った時、何も出来ず、敵とも見られなかった事を思い出してエドは拳を握る。


「どっちにしろここに来るんやから、別に何もしなくたってえぇやろ?」


 煙を吐き、指でタバコを軽く叩いて灰を落とす。明らかにテイルはエドを舐めた口調で返す。


「……オイ」


 エドがテイルと話している間に、コウは立ち上がって服に付いた土を手で払っていた。


「お前、ソイツが来ていたのに気付いてンなら何で言わなかった?」

「手を出すな言うたんはそっちやろ。なんや? 手ぇ出すのはダメでも、口は出しても良かったんかいな?」

「……チッ」


 テイルの言葉に言い返せず、コウは舌打ちで返す。


「ほれ、お前の獲物がセットになったんや。壊さなくてえぇんか?」

「言われなくてもそうするっつーの」


 鉄パイプを肩に乗せ、俺とエドを睨み付ける。


「今の会話を聞くと、テイルとは戦っていないのか?」

「あぁ。あいつは俺とコウが戦り合っているのを楽しそうに見物してるだけだ」


 二人を同時に相手にしていたら、今頃俺は閻魔様に判決を下されているよ。

 約束を守れない奴は地獄行き、ってな。


「テメェには以前にも一度、SDCン時に同じように邪魔ぁされたのを覚えてるぜェ」


 コウはエドを睨み付けながら嬉しそうに笑う。


「エド、さっきまで戦り合っていたが、やはり奴が持っている鉄パイプがリーチ的に厄介だ」

「鉄パイプ……? この間は棍じゃなかったか?」

「今日は置いてきたらしい。お前が来る前に奴等がそう言っていた」


 例の、という言葉が引っ掛かったが、そんな事を聞いてる余裕は無い。


「お前の相棒で弾き飛ばす事は出来ないか?」

「さぁな……やってはみる」


 腰に仕込んでいた銃を素早く取り出して、コウに向かって構える。


「あぁん?」


 狙いを鉄パイプに定め、引き金に指を掛ける。

 ……が。


「――なっ!?」


 ガキン、と。

 エドが引き金を引よりも先に、何かをぶつけられて弾かれた。

 銃は金属音を鳴らして近くの森林の中へと消えていってしまった。


「いくら喧嘩や言うても、さすがに飛び道具はズルいで?」


 どうやら、銃を弾いたのはテイルの仕業らしい。

 だが、エドの銃を弾いた物はどこにも見当たらない。

 銃と一緒に森林に飛んでいったのか……それとも、これが奴の“スキル”なのか……。


「くっ……」


 エドは弾かれた銃を目で追うも、草が生い茂っている中ではすぐに見付けるのは難しい。


「おい、相棒はもういないのかよ?」

「生憎、今日は一丁しか持って来てない」


 俺に答えて、エドは銃を持っていた手を擦る。


「結局は素手のまま、か」


 鉄パイプを手放させる事は出来なかったが、こっちは二人。タイマンよりは遥かにマシだ。


「オイオイオイ、何勝手にやってンだよ。手ぇ出すなっつッただろ」


 不機嫌そうにコウが木の上のテイルを見上げる。


「なんや、お前が大変や思てやってやったんっちゅうのに」

「ハン、いらねぇ世話だ。俺の事に気ィ使ってねぇで、さっさとガキん所に行って相手してやったらどうだ? ずっと待たせてンだろ?」

「あー、そうやったなぁ」


 フィルター近くまで灰になったタバコを最後に一口吸って、テイルは木から飛び降りる。


「しゃあない、そろそろ俺も働こか」


 タバコを地面に落とし、踏んで靴の裏で火を消す。

 ――と、同時。




「すまないが……行かせるつもりはない。お前には私の相手をしてもらう」




 聞こえてきた、五人目の声。

 テイルが飛び降りた所から少し離れた前方に立っていたのは、全身を黒い衣装を身に纏った男。


「――えっ?」


 突然の予想外の登場。俺は勿論、あのテイルを含む、その場にいた者が驚く。

 そんな中で、一人だけ表情を変えない者がいた。


「一年ぶり、ぐらいか」


 神社を覆う闇と同色の服を着た男が、深く被っていたハットを上げる。


「久しぶりだね……テイル」


 その男は俺もよく知る人物だった。


「白羽さん!?」


 名前を呼ぶと、白羽は返事はしないものの視線をこちらへ向け、目が合うと小さく頬笑んだ。


「白羽……か!」


 火を消していた足を止め、テイルが白羽さんに顔を向ける。前髪で表情は見えないが、それでもテイルが驚いているのが解る。


「そこの少年等がここに来たんは意外やったが……お前が現れるんは予想外、や」

「私もだ。今日、お前と会えるとは思っていなかった」

「わざわざこんな時間に会いに来るとは、仕事熱心やなぁ」

「他にも仕事がまだ残っていてね。だから、なるべく早く終わらせるつもりだ」


 ジャリ、と白羽さんが一歩足を踏み出す。


「アンタもさっき聞いとったやろ? 俺にも他に仕事があんねん。互いの事考えて、今日はこのままサイナラして残業処理、っちゅうのはどうやろか?」

「そうだな……それも悪くは無い」


 顎に手を当て、テイルの案に賛同するような返事をする。

 ――――が。


「しかし、私にとって一番厄介で済ませにくい残業はお前でね。その提案は却下だ……!」


 白羽さんが台詞を言い終えると、テイルに並ぶ程の威圧感が放たれる。


「……やろな。言ってみただけや」


 対抗するように、テイルも神社一帯に感じさせていた威圧感を敵意に変えて、白羽さんに向ける。

 二人の雰囲気がぶつかり、辺りの空気が震える。


「くっ!」


 静電気みたいに、全身の肌がピリピリと小さな刺激が走る。段違いの強さ。拮抗する二人の雰囲気にただ見ているだけしか出来ない。

 間に入るなんてのは、とてもじゃないが無理。


「コウ、お前は好きにやって構へん。もう片方はある程度なら放って置いても大丈夫や。そう言っといたからな」

「咲月君、エド、そっちは君達に任せた」


 テイルと睨み合ったまま、白羽さんは俺とエドに言葉を掛ける。


「ほっ!」

「っ!」


 ――――ザンッ。

 一瞬にして二人は神社の更に奥の森林の中へと消えていった。


「まさか白羽さんが来るとは……」


 敵どころか味方にも予想外の増援。


「俺が連絡しておいた」


 俺が呟いた一言に、白羽さんが現れた時に唯一驚いていなかったエドが答える。


「お前が?」

「テイルがいるのが解っていたんだ。それに、俺達だけじゃ相手にならない。呼ぶのは当然の事だろ」


 エドの言う通りだ。俺とエドじゃあ実力差があり過ぎて無理なんだ。白羽さんに連絡するのは当然の事。

 やはりテイルの雰囲気を感じて、自分では気付いていなかったが、俺はどこか焦っていたんだ。


「チッ、勝手に盛り上がって勝手に行きがって。まぁいいか、コッチはコッチで楽しもうぜぇ?」


 白羽さんと二人で消えていったテイルを目で追った後、コウはゆっくりと俺達へと目をやる。


「匕、どうする?」

「どうするも何も、お前が銃を持っていないなら遠距離戦は無理。奴は武器を持ってる以上、中近距離で攻撃してくる。


 それに比べ、俺達は近距離戦しか手がない」


「……近距離戦は得意とは言えないんだけどな」

「そこで、だ」


 得意ではない近距離戦に備えて、腕を伸ばしていたエドに視線を合わせる。


「白羽さんを参考にしようと思う」

「……あーぁ、なるほど」


 少し間を空けてから、エドはその言葉の意味に納得して頷く。


「そんじゃ」

「行きますか!」


 俺の言葉の続きをエドが言い、それを合図に2人が同時に走り出す。


「あン?」


 しかし、二人が走った先はコウではなかった。 向かったのはすぐ横にあった森林。その中に走り入っていく。


「オイ、テメェ等! これから戦ろうってのにドコ行こうってんだ、あぁ!?」


 コウも森林の中へと入り、2人を追い掛ける。ただでさえ光が少なく暗い神社。

 その神社の森林は当然、さらに濃い暗闇が広がっていた。

 木々が無数に生え並ぶ中を全力疾走するのは難しく、視界も暗闇で悪い。そんな自然の障害物競争じゃ、コウが俺達に追い付くのは簡単だった。


「あんだけやっといて今更逃げようってのは無しだぜ、なぁ?」


 俺達は自分の間合いを保ちながらコウを迎え撃つ。


「安心しろ。こんな所に来たのはステージ変えだ。お前を倒す為のな」


 コウに答えて、構えを取る。


「上等。だったら二人一緒にブッ壊してやる……ぜッ!」


 台詞を言い終わる前にコウは走って突っ込んでき、鉄パイプを勢い良く振り下ろす。

 それを俺とエドは横に飛んで躱す。


「俺は左から攻める! 匕は右から行け!」

「んな事は言われなくても解ってるっつの!」


 間にコウを挟み、左右両側から攻めて崩す作戦に出る。

 いくら相手が武器を持っていてリーチが長いとしても、左右同時には攻めれない。片側を攻めれば必ずもう片側に隙が出来る。

 さらにはここの地形。これが確実に有利にしてくれる。


「ッラァ!」


 透かさずコウは反撃の時間を与えまいと鉄パイプを横に薙払う。

 追うように鉄パイプが横に避けた俺を狙うが、体勢が悪くこれも躱される。

 今の薙払いは俺だけが狙われていた。当然、反対側にいたエドには隙だらけのコウの背中が晒される。


「っそら!」


 チャンスと言わんばかりにエドが一撃を加える。外側から振って内側を抉り込むように、コウの横っ腹にパンチを決める。


「ッ……この野郎が!」


 鉄パイプを両手に持ちかえて、バットのようにエドに向かってフルスイングをする。しかし、腹への一撃の痛みで反応が少し遅れ、これも当たる事はなかった。


「なっちゃいねぇな。相手が二人いるってのに、そんなホイホイと大振りの攻撃をするなんてよ」


 今度は俺に背中を見せたコウ。そこについさっきエドが一撃を入れた同じ箇所に蹴りを放つ。

 サンドバックを叩いたような鈍く重い音がコウの身体に響く。


「ぐうっ……!」


 痛みにコウは歯軋りする。軋んだのは歯だけでなく、蹴られた腹近くの肋骨もだった。


「しゃらくせェ!」


 痛みにブチ切れたコウが、鉄パイプをその場で全力の大振りをする。

 それは腕と腰の捻りを使ってコウを中心に一回転の攻撃。俺とエドを同時に狙ったものだった。


「っと!」


 熱くなってがむしゃらに出しただけの攻撃が当たる訳が無く、余裕で避けられる。

 そして、次いでその攻撃がエドへ迫り、ごっ、という鈍い音が耳に入った。

 確かな手応えを感じたコウが、鉄パイプの先に当たったモノを確認する。


「――――な、に?」


 この時、俺達が森林の中へと場所を変えた理由にコウは気付く。

 鉄パイプで殴ったと思ったのはエドなんかではなくて、幾つにも生え立つ木々の内の一本だった。


「木……!?」


 予想外の展開にコウの表情は強ばる。


「だから言っただろ、簡単に大振りしちゃいけねぇってよ……!」


 待ってましたと言うように、コウの膝裏に下段蹴りを喰らわせる。


「ぐっ……」


 片足の膝裏を蹴られ、ガクリと膝を落としてバランスを崩す。そして、この好機をこれだけで終わらせる俺達ではない。

 エドは鉄パイプを持っているコウの手首を掴み、その腕の肘を突き上げる形で掌底を入れ、逆関節にダメージを与える。

 続けて、掴んだ手首を外側に引っ張りながら裏拳を顔面に決め込む。


「エド、下がれ」


 そして最後に、エドが攻撃している間に力を蓄めた俺の上段蹴りがコウの腹に綺麗に決まる。

 蹴られたコウは豪快に吹っ飛び、近くの木に背中を激しく叩きつけられた。


「ドンピシャ、狙い通り」


 確かな手応え。クリーンヒットした事を確信する。

 足場も視界も悪く、さらには木が生えて並び動きも取りにくい森林に場所を変えた理由。

 それは、コウとのリーチ差を埋める事。


 森林の中では木が大きな間を開けず密集している。そんな所で長さのあるモノを振り回せば、今のように木にぶつかるのは必然。

 加えて、得意の突進攻撃も出来なくなる。

 それに比べ、俺とエドは格闘のみの近接戦主体。足場が悪いと言えど、コウよりも小回りが利く。

 リーチ差を埋めた上に相手の得意技を封じ、尚且つ、自分達の有利な状況が作りやすい。

 これで一気に形勢が逆転した。


「決まったか……?」


 木に背中を寄り掛け、顔を俯せているコウの反応を見るエド。

 しかし、いや、やはりと言うべきか。コウは鉄パイプを杖のように使って立ち上がる。


「今のは大分……効いたぜ」


 首に手をやり、頭を左右に動かす。


「立つのか……!? 今のを全部まともに食らったのに!」


 エドは驚倒する。立ち上がった事もそうだが、それ以上に全くダメージを受けていないかのようなコウの様子に驚きを隠せなかった。


「さっきからこんな感じだ。いくら攻撃を当てても堪えねェ」

「くそっ、なんて打たれ強さだ」

「あぁいうのをゾンビって言うのかね」


 何度も何度も攻撃を入れても立ち上がってくるコウに対し、俺は皮肉を込めた冗談を言う。

 だが、それはエドには冗談に聞こえなかった。あれだけの攻撃を受けて平然とするコウが、本当にゾンビ染みて見えたからだ。


「困ったな……攻略法があるのか、これは」


 全くゴールの見えない事に、エドは思わず愚痴を零す。


「……一つだけある」

「本当か!?」


 零した愚痴に、見えなかったゴールに光を照らす言葉が出る。


「奴が動けなくなるまでブン殴るんだよ!」


 しかし、出てきたのは攻略法でも何でもない、ただのゲンコ。


「どこが攻略法だ!」


「他にねぇんだ! ポジティブに行くしかないだろ!」

「お前の口からポジティブなんて言葉が聞けるとは思っていなかったよ、全く!」

「さすが優等生、こんな時でも皮肉を言う余裕があるなんてな! ……来るぞ!」


 お互いに対して憎まれ口を叩きながら、迫るコウに二人は再び構える。


「二人仲良くブッ壊してやるぜェ!」


 木に当たる事を恐れてか、コウは先程よりも短く持って鉄パイプを振るう。


「けっ、こいつと一緒なんてのはゴメンだっての!」


 薙払うコウの攻撃を、まだ憎まれ口を続けて避ける。


「全くだ!」


 エドも憎まれ口に共感しつつ、鉄パイプを避けて距離を置く。またもコウを2人で挟む形を作り、コウの様子を伺う。


「チッ……またさっきと同じか。イラつくな」


 ガン攻めを好むコウにとって、カウンターを狙いつつ、こちらの攻撃を無力化にさせるこの戦法は効果は抜群。

 思うように攻めれない、突っ込めない、攻撃が当たらない、此等にイラつきも頂上まで来ていた。


「だけどなぁ……」


 ぐぐっ、とコウは腰を横に捻り、標的を俺だけに絞る。


「この地形が有利に働くのは、なにもテメェ等だけじゃねぇんだぜェ!」


 そして、コウは思いっきり鉄パイプを振る。鉄パイプのリーチを見切り、バックステップをして躱した。

 ――――つもりだった。


「――――なッ!?」


 躱した筈の鉄パイプは、躱す所かどんどんと俺の方へ近づいて来る。

 横に身体を反らそうにも、バックステップを踏んでしまった為に出来ない。


「ぐっ……!」


 とっさに両腕を顔の前に交差させて出し、鉄パイプを防御するも、腕には激痛が走る。

 躱した筈の鉄パイプが何故当たったのか解らない。だが、反対側にいたエドには、コウが何をして攻撃を当てたのかはまる解りだった。


「鉄パイプを……投げた!?」


 そう、コウは俺が後ろに避ける事を読んで鉄パイプを投げた。

 主力武器である鉄パイプを投げて手放すなんて事を、攻撃を喰らった俺は勿論、エドも予想だにしていなかった。


「まぁだ終わんねぇぜぇ?」


 鉄パイプの直撃を防ぐ為に上げた腕が仇となり、腹周りは完全に無防備となっていた。


「匕っ!」


 鉄パイプを投げる、という予想外で大胆なコウの行動に一瞬気を取られ、エドはフォローが遅れた。

 駆け出すが、とても間に合わない。


「オラよぉッ!」


 アッパーをするように、下から上へ引き上げるコウの渾身の一撃が鳩尾にめり込む。


「が、っは……ぁ!」


 悲痛の声をあげ、腹には内臓が口から飛び出てしまいそうな痛みが広がる。

 腹を押さえ、身体を支えていた足は覚束なくなる。そこを更にコウは首元を掴み、片手で持ち上げる。


「まだくたばンじゃねぇ、よっ!」


 そして、力の限り強く木に叩き付ける。

 木に叩き付けられては受け身を取れる筈も無く、その衝撃は尋常じゃない。


「――っ、か」


 腹と背中、前と後ろからの激痛。更に叩き付けられた際に後頭部を打ち、キィンと耳鳴りと共に、視界は暗闇とは相対の白一色になる。


「オイオイ、こんなんで終わりになンなよぉ? 俺ぁまだ腹の虫が治まってねぇんだからよぉ」


 首を掴んでいた手を離すと、力が入らず俺はズルズルと背中を木に摺りながら地面に倒れた。


「こ、の……野郎!」


 エドが助走を付けた蹴りを、コウの後ろから頭を目がけて放つ。

 コウの視界から完全に死角になった所からの攻撃。避ける動作もせず、コウの側頭部に蹴りは決まる。


「つっ……!?」


 すると、蹴りを放った足の足首辺りに何かに挟まれたような痛みがした。


「読んでたぜぇ。背中ぁ見せりゃ狙って来ると思ってよぉ」


 当たったと思った蹴りは、寸での所で手で防がれてしまっていた。

 足首の痛みはコウに足を掴まれたからであった。そして、コウは掴んだエドの足を引っ張りバランスを崩させる。


「しまったッ!」


 そこを突いて、さっきのお返しとでも言うように、エドの横っ腹にボティブローを入れる。


「づっ、あ……!」

「後ろからチマチマとウゼェんだよぉ!」


 続けてサッカーボールのようにエドを蹴り上げる。

 エドはそれを何とか両腕でガードして直撃だけは避けた。だが、衝撃だけは殺せず、その場から数メートル程飛ばされて地に落ちる。

 運良く、木にぶつかる事はなかった。


「痛……」


 殴られた横っ腹を手で押さえて、エドは上半身を起こす。辛うじて蹴りだけは防いだお陰で、ダメージは少なく済んだ。


「なんて力だ……」


 コウの後ろで倒れている俺は、顔を俯せたま身体がまだ動かせない。


「こんだけ木に囲まれてりゃ、避けられても木にぶつかって遠くにはいかねぇからな」


 足下に落ちていた鉄パイプを拾い、手に持ったまま肩に乗せる。


「状況は逆転。いいザマぁだぜ、テメェ等」


 エドを見下し、気持ち良さそうに嘲笑う。


「次はどうする? もっと森の奥に行くか? それとも今度こそ本当に逃げるってかぁ? ハァッハハハハハァ!」


 完全に勝ちを確信してか、コウは追い討ちをせずに高笑いをする。

 その笑い声は木々の騒めきと混ざり、気持ち悪く森林に響き渡る。


「さっきと変わらねぇ。動けなくなるまでブン殴るだけだ」

「ハハッ――ハァ?」


 コウが声の聞こえた後ろを振り向いたと同時に、腹に鈍痛が走る。

 その痛みの正体は膝蹴りによるものだと気付いたのは、少し間が経ってから。

 コウに膝蹴りをした人物、それは倒れていた筈の俺だったからだ。


「匕っ!?」


 よろめいている間に、左手でコウが鉄パイプを持っている手を掴み、内側に捻らせながら後ろへ回す。

 そして、右手で頭を鷲掴みして近くの木にぶつける。


「テ、メェ……気ィ失ってたんじゃ、ねぇのか……」

「誰が。お前が勝手にそう思ってただけだろ」


 さらに力を入れ、コウの顔を木に強く押しつける。


「チク、ショ……油断した……ぜ」

「世間じゃ、油断大敵って言うんだ」


 掴んだコウの手の捻りを加える。


「ぎ、ぁ……俺の攻撃を喰らって平気なんて、よ……人の事を言えねぇ、テメェも……ゾンビだぜ」

「残念、俺はゾンビじゃねェ。一人暮らしをしていると嫌でも我慢強くなるんだよ。万年金欠の苦学生を舐んな」

「チッ……知らねぇぜ、んなモンは」


 訳の解らない事を言われ、コウは舌打ちをして俺を睨む。


「匕、大丈夫なのか!?」


 エドが心配して走ってくる。


「全ッッ然大丈夫じゃねェよ。まだ目はチカチカするし、腹は内臓が暴れるように痛ェ」


 口ん中なんて胃液が逆流したのか酸っぱいのと、血で鉄のような味がする。

 この痛みに耐えて痩せ我慢をするなら、いっそ気を失った方が楽だと思ってしまう。


「ぐ、ぁ……あぁぁぁ! テメェ等こそ……俺をナメん、じゃ……ねぇえぇ!」


 コウは掴まれていた腕に力を入れて、強引に引き離そうとする。


「な、に!?」


 離されまいと手に力を込めるが、コウの腕は段々と背中から離れていく。


「があぁぁぁっ!」


 力任せに俺から手を強引に振り解く。


「こん、の……馬鹿力がっ!」


 腕を振り解かれてしまい、近くは危険と感じて直ぐ様コウから離れる。

 離れた際、足に力が入らずに多少フラつく。


「くそ、ダメージのせいで完全に力を乗せて攻撃を決めれてなかったか……」


 足に手をやり、フラつくのを無理矢理に止めさせる。


「ハァ、ハァ……いい不意打ちだったが残念だったなぁ。俺ァまだまだ元気だぜぇ?」

「……その割には、お前の右手はダルそうにしているな」

「チッ……」


 エドに逆関節を攻められた後に、俺にも関節技で固められたコウの右腕。加えて、固められていたのを強引に外した事で、腕には多大なダメージとなっていた。

 その証拠に、鉄パイプは左手に持ちかえており、右腕はだらりと力が抜けたように垂れ下がっている。


「人の事ァ言えねぇんじゃねぇのか? テメェだって足フラついている上に顔色が悪ィぜ?」


 当たり前だ。あんな攻撃を喰らって顔色1つ変えない奴なんていねェよ。それこそ本当にゾンビだ。

 だが、奴にも目で見ても解るダメージが表に出てきた。

 やはり、いくら平然と何度も立ち上がって来ても、痛みがある以上必ず身体が悲鳴を上げる。その前触れがようやく見えた。


「ここいらが踏ん張り所だ。遅刻した分働けよ、エド」

「解ってる。お前よりダメージが少ない俺が何もしない訳にはいかないからな」


 エドは殴られた脇腹はまだ痛みはするものの、俺と比べれば大分ダメージは軽い。


「片手ェ使えなくても、テメェ等よりは全然マシだ!」


 その場で鉄パイプを振り、近くにいた俺へ攻撃する。


「よっ」


 それを軽々と避ける。避けられた鉄パイプは木に当たってめり込む。

 利き手ではない左手での攻撃は、明らかに右手よりも威力が劣っていた。


「チッ、やっぱりこっちじゃ上手く使えねぇ」


 威力が然程無い己の攻撃を見て、コウは小さく嘆く。


「わったった、った?」


 コウの攻撃を避けた勢いに足が縺れ、尻餅をつく。

 それほど早く避けたのではなかったのだが、コウに与えられたダメージがまだ残っており、転んでしまった。


「おい、大丈夫か?」

「あぁ大丈夫、大丈夫だ。まだ少しなら動ける」


 すぐに立ち上がり、膝に手を置いて踏張る。


「はぁ、はぁ、ふぅ……粘れよ、俺」


 深呼吸をして自分に言い聞かせる。ずっと休む事無く動いている為か、身体が熱い。

 コウの攻撃を受けてから、頭に響く耳鳴りも止まらない。コウと同じく、俺も限界が近くに来ている。


「集中しろ、集中だ」


 一度目を瞑り、小さく呟いて精神を澄ませる。

 ざわりと森林の木と木の間に、微弱な風が通った。


「熱っ……?」


 肌を触れた風が、一瞬熱く感じたエドが自分の頬を触る。

 しかし、それは気のせいだったのか、まだ吹く風は熱く無く夏夜の生暖さだった。


「エド、ダメージを負って威力が下がったと言っても、元々が半端無い力だ。直撃は避けろよ」

「解ってるよ。お前を見れば嫌でもな。それに、俺も一発もらっているしな」


 エドは殴られた箇所に手をやり、痛みが引いたのを確認する。


「左手でもアレだ。ったく、嫌になる」


 先程避けて木に当たったコウの鉄パイプを見る。

 木の半分近くまでめり込み、利き手では無くともその威力の凄さを物語っている。


「え、待て。めり込む……?」


 ふと、めり込むという言葉に何かが引っ掛かる。

 矛盾を見付けた時に似た感覚。点と点が線で結ばらず、ズレが生じて繋がらない、どこかがおかしい。

 そういえば何かが違う。以前、SDCでコウと戦った時と何かが。

 一体何だ……? そうだ、考えてみたら腑に落ちない事が幾つかある。それが何なのかは解らない……だが、ハッキリとしない違和感がある。

 なんだ、俺は一体何を見落としている……?


「おい、匕っ! ボーッとしてるな、来るぞ!」

「あ……あ、あぁ! 見りゃ分かるっての!」


 エドの声で我に返る。兎にも角にも、まずこの状況を切り抜けないといけない。


「行くぜオラァ!」


 考える暇も与えず、コウは走り出す。

 今までの攻撃と同様、そのまま突っ込んで来ると思っていると、コウが一瞬視界から消える。


「飛んだっ!?」


 エドは顔を上げてコウの姿を追う。コウはジャンプして空へ飛んでいた。その為、消えたように見えたのだった。


「けっ、やっぱり俺狙いかよ!」


 飛んだコウは、オレの方へ向かって降りてくる。

 先にダメージを負って仕留めやすい俺を狙うのは当然の事。宙で鉄パイプを振りかぶり、着地と同時にジャンプの勢いを乗せて一撃を振るう。


「っしゃア!」

「おわっと!」


 覚束ない足付きだが、しっかりと攻撃を避ける。


「せっ!」


 着地した所を狙って、エドがコウに蹴りを放つ。しかし、これは軽くガードされてしまう。


「あんま動かせなくてもガードぐれぇには使えるぜ」


 コウは痛めている右腕でエドの蹴りを防いでいた。


「ちっ!」


 また掴まれる前に足を引いて、エドは距離を取る。エドがコウに蹴りを当てていた内に、俺はコウから離れる。


「……その為か」


 コウはエドの蹴りが俺をコウから離れさせる為の牽制だった事に気付き、舌を鳴らす。


「だがな、逃げてもお前ェをブッ壊す! 一番手負いだからじゃねぇ! 俺をこれだけ痛め付けた奴ァ先だ!」


 コウは近くにいるエドには目も呉れず、離れて体力の回復を計る俺を真っ先に狙う。


「クラスじゃ人気者のクセに、こういう時には不人気かよ使えねェ!」


 今の状態で真っ向からコウの相手をするのは無理に等しい。


「オラァ!」


 コウは俺を追い、慣れない左手で鉄パイプを横に払う。それを前を向いたまま後ろに下がりつつ、攻撃を避ける。

 コ二振り、三振りと続けて何度も鉄パイプを前進しながら振る。


 そして、四振り目を避けた時に危機が訪れた。

 足を下げた所に木の根っこがあり、それに気付かず足を挫いて体勢を崩してしまう。


「マジ、かよ!?」


 何もこのタイミングで足を挫かなくてもと、思わず声を上げてしまう。そして、コウは目の前に現れた気運に、にたりと笑う。


「そらよォ!」


 鉄パイプを降った勢いを使い、半回転してコウは後ろ蹴りを繰り出す。


「まずっ――――!」


 咄嗟に両腕で蹴りをガードする。投げられた鉄パイプが当たった部分に、蹴りとは別の痛みが走る。


「ぐぅ、う!」


 上へ突き上げるように放たれたコウの蹴りは、俺の身体を浮かせ数メートル近くもの距離を飛ばす。

 地面に落ちる直前に、両手で地面を強く叩き受身を取る。


「木に当たっていたらヤバかった……」


 上半身を起こして、五体満足なのを確認する。木にぶつからなかったのは不幸中の幸いだった。


「……あ?」


 立ち上がって辺りを見ると、さっきまで見ていた風景と違う事に気付いた。


「ここは……神社!?」


 今、自分が立っている場所はコウを誘い込んだ森林ではなく、社が立つ神社の敷地。

 森林には上手くコウを誘い込めはしたがすぐに追い付かれた。そのせいで奥には入れず、戦闘をしている内に元いた場所に戻ってきてしまっていた。


「知らずの内に敷地に近づいていたのか……」


 しくった。コウの奴が森林から出てしまえば、思いのまま鉄パイプを振るって暴れられる。

 利き手を使えないとは言え、それは厄介だ。


「……匕! 大丈夫か!?」


 森林の中からエドの声が聞こえてくる。


「あぁ! なんとか大丈夫だ!」


 それに大声を出して返事する。とにかく、この事をエドにも知らせてコウを森林から出させないようにしなければ……!

 ある程度体力を回復させてから戻るのが得策なんだろうが、そうも言ってられない。


「しゃあねぇ、急いで戻るか」


 蹴りを受けた痺れを取ろうと手を軽く振ると、腕が少しばかりズキリと痛んだ。


「咲月君っ!」


 森林の中へ走って戻ろうと足に力を入れた瞬間、誰かに名前を呼ばれた。


「……え?」


 声の聞こえた方を向くと、そこには居ない筈の人がこちらへ走ってくる。


「沙夜、先輩!?」


 名前を呼んだのは、モユを連れて帰った筈の沙夜先輩だった。


「はぁ、はぁ……よかった、見付かったぁ」


 余程急いで走ってきたのか沙夜先輩は息を切らせ、片手を胸に当てて呼吸を整えようとしている。


「なんで……帰ったんじゃ!?」


 これはまずい……まず過ぎる! もしコウに見つかったら、自分の身を守るので精一杯のこの状況で沙夜先輩を守るのは無理だ!

 あの性格だ、奴が沙夜先輩を見付けたら手を出さない訳が無い。なら、見つかる前に沙夜先輩をこの場から離れさせないと!


「それが……モユちゃんがいなくなったのよ!」

「えっ、モユが!?」

「そうなのよ。咲月君に言われた通り、連れて行こうと思ったんだけど……途中でいきなりモユちゃんが走り出して……神社の階段を上った所までは見たんだけど、その後は見失っちゃって……」


 最悪だ。沙夜先輩だけじゃなく、モユまで神社にいるのか……。

 テイルは白羽さん、コウは俺とエドが相手をしているからまだ大丈夫だろうが、それでも見付かったらヤバイ。


「ちょっと待て、じゃあ沙姫は!?」

「一緒にモユちゃんを追って来たわ。沙姫は出店がある辺りで、私は奥の方を探そうって。そしたら咲月君がいて……」


 沙姫も神社にいる……これは最悪以上に最悪だ。

 沙夜先輩を連れて沙姫と合流し、モユを見付けだして尚且つコウに気付かれないように神社から抜け出す。

 難易度の高いミッションだぞ、こりゃ。


「あそこに誰か、いる? なんか話し声が聞こえたような……」


 沙夜先輩は何かを聞き取って森林の方を見る。その先は俺が飛ばされてきた方向、つまりコウがいる場所。

 夜の暗さと、木々が物陰になってこの位置からは見えないが、ほんの数十メートル程先にコウはいる。


「嫌な事は続けて起きる、っつーけどよ……」


 いや、待てよ。なんでコウは俺の所にこない? 吹っ飛ばされてから数分は経っている。

 既に俺を追ってきて可笑しくない。まさか、エドが一人でコウを引き止めている……?

 確かに、エドは無傷では無いにしろダメージが少なく動ける。ならば、手負いのコウを相手にするのは不可能でもない。

 考える時間も無い、いい打開策も無いの無い無い尽くし。


「…………しゃあねぇ」


 いくら考えても他に思い付く手が無い。

 もっと考える時間あれば何か別の良い手が思い付くかもしれないが、木の向こうにいる暴れん坊がいつ森林から飛び出して来るかも分からない。


「エド! 聞こえるか!」


 エドには悪いが、これしか方法がねェ。


「体力が回復するまで身を隠す! それまでは一人で何とかしろ! 頼んだぞ!」


 大声で森林の向こうにいるエドに叫ぶ。


「え? やっぱりあそこに誰か……キャッ!?」


 沙夜先輩の手を掴み、出店のある所へと向かう。まだダメージが残っているのに、身体に鞭を打って走る。


「ち、ちょっと咲月君……どうしたのよ、いきなり!」

「ここはヤバイんですよ……一刻も早く離れないと!」


 俺が叫んでコウに聞こえている状態で、『隠れる』と言った事にエドはこっちに何かあったと感付いてくれる筈。

 馬鹿正直に知り合いが居た、なんて言えないからな。なんとか持ち堪えてくれよ、エド……!


「……で、沙姫はどこだ?」


 出店が広がる境内に着き、頻りに辺りを見回して沙姫を探す。

 しかし、沙姫は見当たらず、あるのは出店だけで人影など何処にもない。


「はぁ、はぁ……咲月君、ごめん、ちょっと手が痛いわ」

「え……あ! ス、スンマセン!」


 沙夜先輩に言われて手を握っていた事に気付き、慌てて手を離す。

 どうやら焦りで、無意識に握る力が強くなってしまっていた。


「ううん、大丈夫。沙姫は? いた?」

「いえ、それが何処にも。一体何処に……」


 話している途中で何かを見付け、言葉を止める。


「なんだ、あれ……?」


 見付けたと言うより、何か可笑しかった。幾つもある出店の中で一つ、妙に形が変になっているのがある。

 それに歩み近づく。


「どうしたの? 咲月君」


 それを沙夜先輩が後ろから追い掛ける。


「なんか、この出店の形が変だと思って……」


 その気になった出店の前に立つ。

 暗くて離れた所からではよく見えなかったが、近くで見たら何が可笑しいのかが明らかになる。


「この出店……傾いている」


 それが変に感じた理由だった。

 出店は上半分が斜め前に出っ張るように傾き、触れるとぎしぎしと軋む音をさせながら揺れる。


「風か何かの弾みでネジが外れたのかしら……」


 俺の隣で、不思議そうに沙夜先輩は出店を見ている。


「本当に風……か?」


 風のせいだとしても、ボルトを絞めて骨組みをする出店のネジが外れたりするか……?

 それに、この出店はこんな前に出っ張る程に傾いているのに、他の出店が何にもなっていないのも可笑しい。


「なんだ、これ?」


 出店の周りを調べていると、明らかに不自然な部分があった。


「何かあったの?」

「ちょっと見てください、これ」


 その不自然な部分を沙夜先輩に見せる。

 それは骨組みに使われた鉄の棒で、出店を支える前部分の柱とも言える。


「何よ、これ……!」

「切られてるんですよ。真っ二つに」


 余りの事に驚愕する。だが、それは当然と言える。切られていたのは木材やプラスチックなどでは無く、厚さ十センチはあろう鉄製の棒。

 それを真っ二つに切られていれば、誰だって驚く。しかも切られた鉄の棒の断面は、まるでレーザーでも使ったのか綺麗に鏡のように切れていた。


「来た時にはこんな出店は無かった……」


 もしかして白羽さんとテイルが戦り合っている最中に付けたのか……?

 いや、だけど白羽さんとテイルは社よりも奥の森林に消えていった。方向はまったく逆。


「はっ……まさか……」


 もしや、テイルが言っていた『もう一つの目的』がこれなんじゃないか? 十分にあり得る……!

 だとしたら、テイルとコウ以外にもう一人が他に居るって事。

 ヤバイ……ヤバイぞ。状況は悪くなる一方だ。早く沙姫とモユを見付けないと、取り返しの付かない事になる……!


「ねぇ咲月君、大丈夫? なんだか顔色が悪いけど……」

「あぁ、全然大丈夫ですよ。ほら、俺って貧相な顔をしてるからそう見えたんじゃないですか?」


 なんて冗談を混じれて誤魔化す。とは言ったものの、正直きつい。さっきから何度か目眩を起こす程に身体が熱い。

 腕もじんじんと痛みと共に熱さもある。怪我をした部分は熱を持つってのを聞いた事があるが、多分それだろう。


「とにかく、沙姫とモユを早く見付けよう」


 かと言って休む暇なんてありゃしない。今は一分一秒を争う。

 よく見てみると看板だったり暖簾だったりと、傾いている出店程ではないが他の出店も所々が切れている。


「なんだ、この雰囲気は……?」


 そして、様々な人の気が混じり交う暗闇の神社の中で、とある雰囲気を感じ取る。

 強く感じるのに何処か儚くて、何かが抜けている。そんな変わった独特の雰囲気。


「一体何処から……この奥……?」


 その雰囲気は、傾いた出店の裏に広がる森林の奥の方から感じる。弱々しい風が頬を撫でるように木々の間を縫って流れてくる。

 気付けば、雰囲気のする方へと向かって走っていた。


「あ、ちょっと……咲月君、何処いくの!?」


 沙夜先輩の声は耳に入らず、沙夜先輩を置いて一人、草が生い茂る獣道森の林の中を雰囲気を辿って進んでいく。


「雰囲気が強くなっていく……近くか?」


 だけど、やはり変な雰囲気だ。

 何て言えばいのか解らないが……例えるなら、半透明なのかぼやけて2つに見えて二重にブレている、そんな感じ。

 テイルの威圧感やコウの殺気とは違い、意志がはっきりと解らない。



「――――キャアッ!」



 突然、静かだった森林に女性の悲鳴が響き渡る。

 しかもそれは、残念な事によく聞き慣れた声で、今探している最中の人物のものだった。


「沙姫っ!?」


 悲鳴だけで無く、木の枝葉がぶつかり擦れ合う音が騒々しく聞こえてきた。

 そして立て続けに、地震のような軽い揺れと共に、車が衝突したかのような地に響く轟音が鳴る。

 ――――ズダン。

 そんな凄まじい音が。


「くっ……なんだ!?」


 近くの木に掴まり、不可解に揺れる地面に耐える。

 音がしたのはすぐ近く。そして、沙姫の悲鳴が聞こえたのも、あの変な雰囲気がするのも、すぐ近く。


「くそっ!」


 額から流れる汗も拭わずに、一気に駆け出す。頭には嫌な予感しかしない。

 握る手には汗。呼吸をする間隔も速く。吐く息は熱い。

 そして、雰囲気が一番強く感じる中枢。その雰囲気を出している人物が居るであろう場所に、行き着く。

 そこで目に入ってきた光景は、一体何が起きてそうなったか解るものではなかった。


「なん、だ……木が……」


 それを見たら、まず驚くしか出来ない。それほどに不自然なもの。


「倒れている……」


 そこでは、ついさっきまでその場にそびえ立っていたであろう木が、地面に横になって寝転がっていた。それも一本なんて数ではなく、パッと見でも軽く五、六本は倒れている。

 木だって決して細い訳ではない。太さもそれなりにあり、ここまで育つには何年もかかりそうな程。

 そんな大きさの木が倒されれば、先程の地響きが起きても可笑しくない。

 だが、倒れている木を辿って行くと、ある筈であろう根の部分が無く、木は見覚えのある形で途中で途切れていた。

 それはついさっき見た、出店の鉄棒と酷似している。


「いや、違う……これも切られたんだ、誰かに……!」


 何事も無かったかのように根っこは今も地に張っている。

 そして切断面は、ノコギリで何度も削り切ったものではなく、綺麗な一直線でバッサリと一振りで切られたよう。

 いくら切れ味の鋭い刃物を使っても、これ程綺麗に切る事は出来ない。

 剣術の達人が日本刀を使用したとしても難しいだろう。


「一体どうやって……」


 辺りを見ると、切られた木と同等の数の切り株がある。そして、その中の一つの切り株の根元で踞る人影を見付ける。


「あれは……沙姫ッ!?」


 暗闇の中目を凝らして、その人影が沙姫だと気付く。


「おい、沙姫!」


 急いで沙姫の所まで走る。


「ひ、あっ……咲月、先輩?」


 沙姫は一瞬怯えたような表情を見せるが、声の主が俺だと気付いて安堵した顔になる。


「大丈夫か? 怪我は?」

「い、いえ……大丈夫です、怪我は無いです」


 しかし、いつもの沙姫とは違い、おどおどしている。

 余程恐いものを見たのか……いや、こんな木をぶった切られた場所にいたら当たり前か。でも、見た感じ外傷はない。まずそれで一安心だ。


「なんでまたこんな所に……モユは? あいつは見つかったのか?」


 だが、一安心はあくまで一安心。一つの事に対して安心しただけだ。全部が安心出来るにはまだ早い。


「え、あ……そう、そうだ……そうなんです! モユちゃんが!」


 沙姫は何か大変な事を思い出したのか、声を大きくして俺の腕を掴む。


「モユが……モユがどうかしたのか!?」


 まさか……テイルが言っていた『もう一つの目的』である人物に襲われてしまったのか!?

 恐らく、この木を切ったのもそいつの仕業だ。だとしたら、早く見付けないと手遅れになっちまう!


「沙姫、モユを見付けたのか!? 何処にいるんだ!?」


 沙姫の肩を掴んで、迫るように問う。


「違う、違うんです……モユちゃんが……!」


 沙姫が言葉の続きを言おうとした時に、俺でも、喋っていた沙姫でも無いモノの声がした。


「……いた」


 声は小さく、街中では聞き取れない位。しかし、静寂しかない森林の中では十分に聞こえた。

 その声の正体が木の影から姿を見せる。そして、出てきたのは探していたモユの姿だった。


「モユ……んだよ、驚かせんなよ。よかった、無事だっ……」


 モユの所へ駆け寄ろうとすると、沙姫に腕を掴まれて止められた。


「……おい、沙姫?」

「駄目、咲月先輩……駄目です……」


 モユを見て沙姫は怯える様子で俺を引き止める。腕を掴んだ沙姫の手は、微かに震えていた。


「行っちゃ駄目です! モユちゃんが……モユちゃんがやったんです! これを!」

「……何?」


 これって……もしかして切られた木の事か?


「そんな訳無いだろ、いくら何でもそれは無理だって。どうやってあんな小さい体格をしたモユが木を……」


 だが、沙姫は強く握った腕を離そうとしない。それに、考えてみればこんな状況で沙姫が冗談を言う筈もないし、言ってる様子には見えない。

 となると、沙姫の言っている事は本当……なのか?


「……次は、逃がさない」


 そう言いモユはその場からゆっくりと足を一歩踏み出す。

 すると、木の影に隠れていて見えなかったモユの右手には、予想もしなかったモノが握られていた。


「マジかよ……」


 モユの体格には似つかわず、さらにはそれを持つモユ自身を越える大きさ。

 それは、ずしりと見た目だけでも相当の重さがありそうな巨大な剣。

 その形はどの種類にも当てはまらず、強いて言うならば、日本刀に似た部分が微かにある。だが、これだけ巨大な日本刀などは見た事も聞いた事も無い。


「これをやったのは本当にモユだってのかよ……!」


 にわかに信じられないってのが心情だが、沙姫の態度とモユが持っているモノを見ると、それ以外に考えられない。

 心情と現状は別。いくら思ったって現実の前では意味を成さない。

 それに……さっき出店前で感じ取ったあの独特の雰囲気、あれが今、目の前にいるモユから感じられる。

 それがさっきから引っ掛かっている。俺は前に学校でモユと会っていて、あいつの雰囲気は一度感じた事があって覚えている。

 なのに今、モユに会うまでこの雰囲気をモユだと気付けなかった。それが凄く引っ掛かる。


「…………」


 モユは無言のまま駆け出し、俺と沙姫に向かって自分の以上は重量がありそうな巨大な剣を軽々と振るう。


「冗談じゃねぇ!」


 もし本当にモユが木を切り倒したのなら、あの大剣によって切られた事になる。なら、どれだけ危険かは言うまでもない。

 急いで沙姫を抱き抱え、横に飛んで避ける。

 咄嗟に回避した為、体勢が悪く背中で着地する形になった。


「ぐうっ……大丈夫か、沙姫?」

「は、はい、私は大丈夫です」

「ならすぐ立て、このままだと良い的だ」


 モユの追撃が来る前に、立ち上がって攻撃に備える。

 避けた斬撃は後ろにあった切り株を当たり、さらに切り株は短くなっていた。


 切り株の一切れは、まるでバームクーヘンかのように易々と切られた。

 大剣の切れ味が物凄く良いのか、モユが異常な程怪力なのか、それとも両方か……どちらにしろ、普通じゃあり得ない。


「……避け、られた」


 モユは切り株の前に立って小さく呟き、ゆっくりと首を動かして顔をこちらに向ける。


「……今度は、当てる」


 そして、モユが言葉を言うと同時に、向かい風が吹いてきたかのように雰囲気が放たれる。

 それは肌をぴりぴりと痺れさせ、延髄から背骨を通して氷水を流し込んだような寒気に襲われる。

 ――言うまでもなく、それは殺気。


「くっ……っ!」


 見た目は年端も行かぬ小さな少女から放たれているとは思えない程に凄まじい。

 無意識に後退りしてしまう程に。


「ひ、ぁ……」


 モユの殺気を受け、沙姫は小さな声を上げて地面に尻をへたり着かせる。

 今までに殺気なんて感じた事のなかった沙姫が、いきなり耐えるのは無理な話。

 ましてや、コウが放っている殺気に負けるとも劣らないぐらいの強力なモノ。

 俺が後退りしてしまうモノでは、沙姫が腰を抜かしてしまうのも無理も無いか……ッ!


「沙姫……おい、沙姫! 早く立て! 殺られちまうぞ!」

「あ……あ…………」


 しかし、俺が話し掛けるも沙姫は反応せず、呆っと前だけを見て歯をカチカチと鳴らせている。

 ヤバイな……沙姫の奴、完全に腰ィ抜かして頭は混乱してる。

 殺気なんてモノを感じ慣れていない沙姫に、すぐに立ち上がれってのは無理か……っ!


「…………」


 そしてモユは大剣を持ち直し、無言で地を蹴って目標である俺と沙姫の所へと走る。


「沙姫ッ!」


「や……いや……」


 強く叫んで名前を呼んでも小さく何かを呟くだけで、沙姫から返事は来ない。

 しかし、このままではモユに出店の鉄棒や木のように切られてしまう。


「くそっ!」


 どうする……!?

 沙姫を抱えて避けたとしても、こんな視界も足場も悪い所じゃ逃げ切るのは無理。いずれ追い付かれて二人共やられてしまう。

 だが、このまま考えていてもバッサリと真っ二つにされる。

 ……いや、助かる方法は一つある。それは沙姫を置いて自分だけが逃げる。

 そう、それはつまり……沙姫を見捨てるという事。そうすれば俺は助かり、二人共殺られるという最悪の状況だけは避けられる。

 避けられる……が――――。


「そんな……」


 そんな馬鹿げた事……。

 汗の滲んだ両の手を握りしめて拳を作る。


「出来る訳ねぇだろうが!」


 大きく叫び、向かってくるモユへと逆に自分から走り向かう。

 俺の予想外の行動に、モユは表情を変えはしないが少し焦るように大剣を右から左へと横に薙払う。

 その動作を見て、素早くモユの懐へ入り込む。


「させねェ!」


 そして、大剣を振り切られる前にモユの両手首を掴む。

 テコの原理と同じ。端よりも力と力との中心近くの方が押えるのに力がいらない。

 だが自分よりも年も離れ、体格差があり過ぎる相手だというのに、手を掴む俺の力は本気だった。それも両手で。


「くっ……やめろモユ! 何してるのか分かってんのか!?」


 大剣を振ろうと力を入れるモユの腕を、力を入れて押さえ込む。

 力と力が競り合い、互いにの腕が細かに震える。その振動が伝わり、モユの持つ大剣がカタカタと音を立てる。

 しかし、モユは俺の問い掛けにもなんの反応もない。

 睨む目付きでモユを見る。使い手の少女よりも刀身があり、切れ味も抜群という凶器を目の前にしてニッコリ笑顔など出来やしない。

 睨みつけるモユの目は、不気味に感じてしまう程に赤く光っていた。

 普段は赤茶色だが、明かりなど全く無いほぼ黒一色に近い暗闇の中のせいで、モユの眼色である赤の部分が強く出てきて一層赤く感じるのだろう。


「モユっ!」


 いつまでもこの状態でいる訳にもいかない。もう一度大きな声でモユの名前を呼ぶ。


「…………あ」


 二度目の呼び掛けでモユはようやく反応する。

 互いに目を見合っていたがモユの目は視点が定まらず、目が合っているのに何を見ているのか、本当に俺を見ているのか解らなかった。


「……匕?」


 それが今、モユが俺の名を呼ぶと一緒に段々と定まっていく。

 大剣を振るおうとしていた腕の力も抜けていき、大剣の切っ先は地面に刺さる。

 どうやら、モユは今になって斬り付けようとした相手が俺だった事に気付いたよう。


「ったく、今気付いたのかよ、お前は」


 完全に大剣を振る様子が無くなったのを確認してから押えていた手を離す。

 ほんの数十秒しか押さえつけていなかったというのに、両手は軽く痺れていた。

 その痺れを払うように手を軽く振る。


「……なんでここに?」

「それは俺の台詞だ! 沙姫ン家にいろって言っただろ! なのにどうして沙姫に斬り掛かったりしてんだよ!?」


 怒鳴り声に近い声でモユに答える。だが、そんな俺に対してモユは怯える様子も竦む様子も無い。


「……それは、言われたから」

「またかよ……ッ! とにかくだ、まずは神社から出る! 行くぞ、モユ」


 言葉の全部を聞かずに、モユの手を掴んで引く。

 しかし、それは早く神社から離れる為だからという理由ではなかった。

 俺は気付いていた。モユの言葉の続きは、その気付いてしまった事を確定させてしまうものだと。

 テイルの言っていたあの言葉、今の状況、モユの言動と行動……それらを照らし合わせて考えると出てくる答え。

 自分でほんの数分前、この場に来る途中でその可能性を頭に浮かばせていた。

 それを頭から振り払おうと、忘れようと、気のせいだと、間違いだと言い聞かせる。

 しかし頭は、感情とは反して冷静かつ冷酷に答えはそれで合っていると、感情が否定しようとするの否定する。


「……ほら!」


 気付かない内に、モユを掴んで引く手の力は強なくる。それは普通の少女ならば痛がっても可笑しくない程だった。

 必死に頭に出た答えを否定しようとしても、そうさせない自分の頭に苛立つ。

 そして俺が歩き出し、つっ立っているモユが手を引かれて一歩足を動かした時だった。

 神社を覆っていたテイルの威圧感が、まるで信号機の色が黄から赤になるかのように切り変わる。


「なん、だ……!?」


 変わるテイルの雰囲気を感じて、一度足を止める。

 今まで感じていた威圧感よりも比べものにならない程に強力で、水中にいるみたいに身体が重々しく感じる。

 テイルの相手をしている白羽さんは大丈夫か……?


「くそっ、次から次へと状況が変わりやがって!」


 サイコロのように二転三転と変わるこの状況に、焦りが駆られて叫んでしまう。


「早く沙姫達を連れてここから離れさせないと……!」


 再びモユの手を引いて歩き出そうとする……が、引くモユの手は、ぴくりとも動かない。


「モユ?」


 声を掛けてもモユからは返事がない。モユは頭を少し俯くように下げていて、顔は見えない。


「おい、モ――」


 モユの顔を見ようと下から覗こうとすると、モユは掴まれていた手を勢い良く振り払う。

 無意識とは言え、強く掴んでいた俺の手を。


「……ダメ、言われた。やらなきゃダメ、やめちゃダメ……」


 モユは左手で頭を押さえて、小さな声でブツブツと呟いている。

 頭を俯かせていただけだったのが、膝を地面に着いて苦しむかのように蹲る。


「うぁ、うぅ……ダメ、ダメ、ダメ、ダメダメダメ……」


 頭を押さえていた手の力は次第に強くなっていき、今は髪の毛を握り潰すのかと言う程に手に力が入っている。


「あぅ、うあぁア……あぁァぁアアぁアーーーーっ!!」


 モユはさっきまでの蹲っていた体勢とは逆に、今度は膝を着いたまま逆エビのように身体を反らして空を仰ぐ。


「モユ……? どうした、おいモユ!?」

「アぁあアァあァァぁ!」


 俺の声はモユの耳に届かず、目を見開いて空を仰ぎ、叫ぶのやめない。

 髪を握っていた手は再び頭を押さえ、爪を立てる指はめり込んで血が出てしまうのではないかと思ってしまう。


「ダメ、ダメ、ダメ、ダメ、ダメ、ダメ……ダメダメダメダメダメダメッ!!」


 漆黒だけが広がる虚空の空に、モユは悲鳴にも似た声で苦しみながら叫びをあげる。

 そして、右手に持っているモノを掴む力が強くなる。


「どうしたってんだよ、モユ!? しっかりしろ!」


 普段は物静かで、会話ですらまともに喋らないモユが大声で叫ぶ姿に、俺の顔には驚きと戸惑いが混ざった複雑な表情が浮かぶ。

 突然様子がおかしくなったモユを落ち着かせようと、声を掛けながら近寄る。


「あぁぁああぁーっ!」


 だが、近寄ろうとした瞬間。

 モユは膝を着いたまま上半身を捻り、片腕だけで大剣を大きく真横に振るう。

 危険を感じ、反射的に後ろへ飛んで下がって凶刃の切っ先を避ける。

 咄嗟だった為、飛んだ勢いが余って転んで地面に尻餅を着いてしまう。


「モ、ユ……?」


 ドッドッと心臓は五月蝿く、速過ぎる位に脈打ち、額からは冷たい汗が流れ落ちる。

 ジャージには胸元に横一線に切れ込みが入り、隙間からは中に着ていた白色のTシャツが顔を出す。


「はぁ……はぁ……」


 叫ぶの止め、足をふらつかせながらモユはゆっくりと立ち上がる。

 足に力が入らないのか、ゆらりゆらりと左右に身体を揺らして。

 そして、垂れた前髪の間からから見えたモユの赤眼と視線が交じった。


「――――っつ!」


 その真っ赤な血の色に似た眼に見つめられ、悪寒を感じて唾を飲み込み喉を上下に動かす。

 モユの赤い眼は大きく見開き、瞳孔は小さく縮って細かに震え視点が定まっていない。


「うぅ……」


 モユは両手で巨大な凶刃を握り、天を突き刺すかのように刃先を空に向けて持ち上げる。


「あぁああーーっ!」


 そして、絶叫すると共に激しく振り下ろす。

 何も無い空を斬り、一メートル以上はあろう大剣の刃が地面に刺さる。


「あぁ! あぁあっ! うわぁあーーっ!」


 二度、三度、四度……何度も繰り返し地面をひたすら、がむしゃらに斬り付ける。

 何度も何度も同じ箇所を斬り付けられて出来た地面の窪みは、回数を追う事に大きく、深くなっていく。

 その急変したモユの様子に、たじろいでただ見ているだけだった。

 大剣の刀身が埋まってしまう程に地面を抉ったところで、斬り付けがやっと止まる。


「う、ぁあああーーっ!」


 と思えば、今度は縦横斜めと形振り構わず大剣を振り回す。闇夜の黒が広がる森林に少女は叫び声を響かせて。

 そして、構えも型も無い、ただがむしゃらに振り回されるだけの大剣が1本の木に当たる。

 当たった木はザンッ、と軽快な音を発てて深い切れ込みが入った。

 それは大根を包丁で斬るかの如く、簡単に。

 めきめきめきっ、と木は斬られた部分から軋む悲鳴を上げて、バランスを保てなくなった身体は直立から斜めへと傾かせていく。

 葉が擦れ合う音と、枝葉が折れゆく音が騒がしく鳴る。

 その二つの音のする方に視線をやると、目に入ったのは自分の所へと迫ってくる木。


「っておいおい、冗談じゃねぇぞ!」


 木に押し潰さるという危機感が、固まっていた思考を取り戻させる。


「あぶ、っねぇ!」


 急いで地面に座っていた尻を上げて、その場から体勢の悪いまま片足だけで踏張って力の限り真横に飛ぶ。

 その直後、頭に響く位に激しい轟音が地面に走る振動と一緒に聴こえてきた。

 それはもう、隕石でも落ちてきたかと思う位に大きな音が。

 倒れた衝撃で辺りには砂埃が舞う。

 視界が悪くなり、目を細目にしながら口に手を当てて砂埃が消えるのを待っていると、砂埃が舞ったのは倒れた木の近くだけだったらしく、すぐに治まった。

 視界が回復すると、足元からほんの1メートル先に木が地面に倒れている。


「間一髪……」


 あと数秒、気付くのが遅かったらぺしゃんこにされていた。安堵しつつ、顎から滴る汗を手の甲で拭う。

 しかし、その安堵はほんの一瞬だった。

 倒れた木を挟んで向こう側に、叫ぶのも大剣を振り回すのもやめて大人しくなったモユが立っていた。

 だらりと力が抜けたみたいに両腕を落とし、猫背で少し前屈みになって。

 そして、モユの不気味に赤く光る瞳が、座り込んだまま動かない一人の少女を捉えていた。


「――――ッ!」


 その光景を見て目を少しずつ見開いていき、背中からぞわりと寒気を覚える。

 寒気を感じたのはモユの雰囲気でも光る赤眼にでも無い。

 頭に浮かんだ、今からモユが取るであろう行動に対してであった。


「……めろ」


 大声で叫びたいが、口からはなかなか声が出ない。出せない。

 自分が大声を出したら、それを合図にモユが沙姫に襲いかかりそうで……。


「やめろよ、モユ……」


 動くな、そのまま動くなよと、頭の中で何度も何度も繰り返す。

 物音を発てないよう静かにゆっくり立ち上がり、少しずつ近づく。

 モユは脱力して肩を落としていても、大剣はしっかりと握っている。


「そのまま、そのままだぞ……」


 願うかのように呟きながら、間に遮る木を飛び越える。

 あまりの緊張で唇はカサカサに乾き、唾を飲むと喉が鳴る。

 しかし、俺の願いは届かず、とうとうモユが行動を起こす。

 大剣の柄を握る力が強くなり、半ば足を地に引き摺って右足を一歩前へと踏み込む。


「モユ……」


 一歩、もう一歩と身体も前へ進む。歩く度に頭は不安定に揺れる。

 モユの眼は沙姫を捉えたまま視線を一切逸らさず、揺れる頭と同じ軌道に赤い線状の残像が暗中に残る。

 小さな猟犬は真っ赤な眼を光らせ、巨大な牙を手にして獲物を完全に狩る態勢に入った。


「沙姫……立て、沙姫! 立って逃げろっ!」


 やっと声が出た。最悪の事態が起きる一歩手前でようやく、叫ぶ事が出来た。


「早くしろ! 沙姫ッ!」


 しかし、沙姫は以前地面に座って動かず、俺の声も聞こえていない。

 身体は震え、顔色は青い。モユの殺気に感化されて固まったまま。


「沙姫! 頼む、立ってくれ! 沙姫ッ!」


 必死に俺が呼び掛けても沙姫は何も反応しない。

 とうとう、モユは両膝を曲げて腰を落して飛び掛かる準備をする。

 あとは地を蹴って一気に距離を詰め、大剣を一振りするだけ。


「モユ……ダメだ」


 数秒後に起きるであろう惨劇が頭を過り、身体が震えて嫌な汗が頬を伝う。

 モユを止めなければ。沙姫を守らなければ。

 だけど、どうすればいい、どうすればモユは正気に戻る? どうすれば沙姫は気がつく? どうすれば両方とも無事で済ます事が出来る?

 時間が無いのに、ぐるぐると頭の中で同じ事を何度も考える。


「ダメだっ!」


 気付けば、モユよりも先に走り出していた。

 頭よりも早く、答えを出したのは身体だった。


「……」


 モユも曲げた膝をバネに地面を蹴って沙姫へと走り出す。さっきまでの様子とは打って変わって、無言で大剣を横に構える。

 獲物以外のモノは視界に入らず、一直線に向かう。

 間合いに入り、柄をより強く握って逃げようともしない獲物を一刀両断しようと腕に力を入れる。

 そして一言、モユは機械的な口調で言葉を放つ。


「……終わり」


 それを言い終わるのが合図だったかのように、大きく振りかぶった凶刃が沙姫を襲う。

 ――俺が出した答えが正解なのかは、俺は解らなかった。

 ただ、これだけは思えた。少なくとも間違いでは無かったと。




     ◇   ◇   ◇



「――ッ!?」


 驚愕する。突然の事に、予想外の人に、信じられない行動に。確かについさっき……いや、たった今、確認した筈だ。

 自分がこれから斬ろうとした相手は女の人だと。確かに確認した。なのに。なのに今目の前に居るのは、真っ赤な真っ赤な自分の眼が脳へ映しているのは……。

 助走を付けた、勢いにも乗せた。腰の捻りも加えて、力一杯に振るった。

 もうずらせない、止められない。


 ――――――ずふり。


 生々しい音を放ちながら、刃が肉に刺さる感触が大剣を通してモユの小さな手の平に伝わる。

 勢い良く、力の限り振るわれた大剣は当然刺さるだけでは納まらない。

 大剣を落とすスピードは衰えず、一気に肉を斬り裂く。裂かれた部分からは紅い液体が吹き出る。

 その様は、モユの眼にスローモーションになって映る。いくつもの小さな紅い粒が宙に舞う。自分の眼よりも赤く、紅いモノがゆっくりと視界を過っていく。

 モユは見開く。両の目を大きく大きく。まぁるい瞳をもっとまぁるく、瞳孔は小さく。


 そして、無数に飛び散った血潮の一滴が、モユとは別の少女の頬に附着した。

 白い肌に紅い一点の模様が付く。付いた模様は垂れて頬に緩やかで短い線を描いた。

 少女の目前には見慣れた人の背中があった。それは広くて、力強くて、優しさを感じさせる背中。

 その背中はがくりと大きく傾き、膝を着いた。

 傾いた背中の先には血糊の付いた凶器を持った女の子。頬に付いた血、倒れかけている背中、無傷の自分。

 考えるまでもなく何が起きたか解った。そして少女……そう、沙姫はようやく気が付く。


「咲月、先輩……?」


 見慣れた背中に向かって、沙姫は名前を呼ぶ。しかし、背中から言葉が返ってこない。

 これが、彼の出した答えだった。最良の方法だとは思っていない。だけど、後悔はしていなかった。


「ねぇ、咲……」


 返事の無い背中にもう一度名前を呼びながら、四つんばいで近づく。

 今の状況を見れば、考えたくもない答えが嫌でも思い浮かぶ。沙姫の顔は真っ青に近く、眉を八の字にして今にも泣き出しそう。

 そして、沙姫が横後ろから覗き込むと、予想が的中した答えがそこにあった。


「い、や…………」


 出せる限りの声で、瞳に溢れんばかりの水を貯めて、悲鳴を上げた。

 そこにあったのは、想像していたのよりも遥かに酷い答え。


「いやぁぁぁーーっ!」


 胸部から下腹部にまで至る大きな切り傷。

 ボタリ、ボタリ、と暗闇で紅いのか黒いのか解らない血液がとめどなく流れ出ている。

 足下に水溜まりが出来る位に。


「咲月先輩……咲月先輩!」


 沙姫は肩を掴んで倒れぬよう支える。

 いくら呼び掛けても項垂れたまま動かない。前髪で隠れて目が見えず、開いているのか閉じているのか解らない。

 こんなに静かな場所なのに、何も聞こえてこない。返事も、息をする呼吸の音も。


「咲月先輩……ねぇ、咲月先輩! 返事してくださいよ、咲月先輩ッ!」


 沙姫は必死に名前を呼ぶ。信じられない現実に頭が混乱しそうになりながらも、何度も。

 目に溜まっていた水を溢れさせ何度も何度も。

 その間にも傷からは血は流れ落ち、水溜まりは大きさを増していく。

 モユはその様子を大剣を振り下ろした体勢で固まったまま見ていた。自分が持つ大剣の刃先からは血が滴り、地面に落ちる。


 ぴちゃん――――と。




     ◇   ◇   ◇




「……あ……め…………ろ」


 小さく擦り切れたかのような弱々しい声がすると共に、沙姫が支えられていた肩がぴくりと動く。

 沙姫の呼び声か、自力なのか、それとも血が落ちた小さな音でか……失っていた気を取り戻す。

 立とうとするが足に力が入らない。視界がぼやける。身体が胸から腹にかけて熱い。


「咲月先輩……!」


 沙姫はまだ俺が生きている事を知り、表情が少しだけ緩む。だが、足下に広がる血の量を考えると危険な状態なのは変わらない。

 身体の熱い箇所に右手をやるが、斬られた傷は片手で押さえられる程小さくはない。

 ぬるり、と手に粘った感触がしても、それが自身の血だと気が付かない。

 もう一度立とうと足に力を入れるが、穴の空いた風船のように力は抜けてしまう。


「ダメです、咲月先輩! 動いちゃあ!」


 無理をして立とうとした為、バランスを崩して身体が傾く。それを沙姫が倒れないよう支えるが、身体からは力の一切を感じられない。

 それでもなお、立とうとする。今にも再び気絶してしまいそうな中、必死に。

 沙姫が泣きながら何か叫んでいるが、俺は聞かない。いや、聞こえない。

 耳に何かしら聞こえてきているのは解る。だが、それが何のかが解らなかった。


「モ……ユ…………」


 残った力を振り絞り、頭を上げてモユの方を見る。立つどころか、今の余力ではこれで限界。

 視界も霞んで、どれが木でどれが地面なのか区別が付かない。

 だが、霞んだ視界の中に、赤く光る眼がモユの位置を教えてくれた。


「ダメだ、ろ……モユ……そんな……危ない、モン……持ってちゃ」


 出来得る限りの声を出して、モユに話し掛ける。今にも消えてしまいそうな声で。

 それを見てもモユは眉一つ動かさず、表情を変えない。


「ほ……ら………帰っ、て……アイス、食べよう……な?」


 そう言ってモユに向かって微笑う。

 明らかにその顔は無理をしていて、顔面蒼白。お世辞でも笑顔と言うのは難しい。

 だけども、俺には出来る限りの笑顔だった。


「う……あぁ、あぁあ……ぁぁああああーーっ!」


 そして、一切表情を変えなかったモユが、声を上げながら小さく首を左右に動かす。

 唇を震わせ、眉を顰ませて。


「違う……違う、違う違う違う違う! これは違う!」


 俺に言っているのか、それとも目の前の惨場を否定しようとしてるのか。モユは声を荒げて叫ぶ。

 一度も離さなかった大剣を手から離し、重々しい音をさせて大剣は地面に転がる。


「違う、これは違う! この人は違う! 標的だけど標的じゃない……この人は違う、私は違う!」


 両腕で頭を押さえて、モユは再び苦しみ始める。普段の無表情さとは違い、顔を歪ませて。


「うぁあぁぁぁああぁーーっ!」


 神社一帯に響きそうな程に大きな、断末魔に似た声をモユはあげる。


「モ、ユ…………」


 そして、俺はとうとう力を使い果たし、頭を落として倒れ込む。

 沙姫は支えきれず、俺の身体は自分が作った水溜まりの上に。

 生暖かい水が、顔に当たった。


「咲月先輩、咲月先輩ッ!」


 名前を呼ぶ沙姫の声は耳に届かず、モユの叫び声も段々と遠ざかっていく。

 力が入らない。声が出ない。身体が動かない。


「さ……む…………」


 さっきまでは熱かった身体が、急激に冷えて寒くなってきた。

 鼻につく鉄のような臭いが、今更になって自分が倒れたのは水溜まりではなく血だという事に気付く。

 それで思い出した。自分は沙姫を庇ってモユに斬られた事を。

 誰かが……自分じゃない他の誰かが赤く染まるのは見たくなかった。

 走り出した時に、何度もフラッシュバックした。凛のあの姿が。

 それに沙姫が重なりそうで怖かった。怖くて怖くて、だから走った。だから、庇った。


 あまりの寒さに、眠気が襲ってくる。痛みという痛みを感じない。

 身体が重く、寒く、眠い。

 遠くから何か聞こえる。一人は自分を呼んでるような、もう一人は大きな声で叫んでるような……。

 そして、その二人の声を、俺は、知っている、ような……。

 ゆっくり、ゆっくりと瞼が閉じていく。

 遠くからはまだ誰かが叫んでいる。


「咲月先輩っ! 目を開けてくださいよ! お願いですから! ねぇ、咲月先輩!」


 微かに開いた瞼の隙間から、涙を零して泣きじゃくって女の子が必死に呼び掛けてくる。

 しかし、身体は動かない。それどころか体温が下がって身体は冷たくなる一方で。

 女の子の呼び掛けも虚しく、意識は遠退いていく。

 視界は瞼に閉ざされ、真っ暗に。何も見えない、何も無い。


「……あ……ぁ」


 もう眠い。すごく眠い。だけど、何やら遠くが少し騒がしい。

 俺は眠いんだ。こんなにも瞼は重いし、身体は疲れている。

 でもなんか……寝ちゃいけない気がする。寝てはいけない、大きな理由があった気が。

 一生懸命に思い出そうとするが、頭脳あたまが働かない。


「さみ……ぃ……」


 この言葉を最後に、ここでとうとう意識が……。





 ――――――途切れた。





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