No.9 赤茶《あか》髪の少女
同日 正午過ぎ。
晴れた空の下、屋上の日陰で鞄を枕にして寝そべる。
空には白い雲と日差しを照らす太陽。七月下旬ともなれば、それ相応の暑さだ。
日陰にいるとはいえ、暑さを凌げるのにも限度がある。
「あっつ……」
Yシャツのボタンを上から三つ開け、少しでも風通しが良くなるようにする。
今日は特別な職員会議があるらしく、学校は午前中で終わり。授業は午前中だけだが、テスト後の授業なので科目ごとに答案が返される。
さすがにそれはサボる訳にはいかず、ちゃんと全部出席した。
そして学校が終わったんで、昨日エドからのメールで言われた通りに放課後に屋上に来た。
が、来たのはいいがご覧の通りここにいるのは俺一人。言い出しっぺが全然来ない。
「ったく……いつ来んだよ、アイツは」
身体を起こして手で扇いでみるも、温かい風が肌に触れるだけ。涼しくなる所か逆に手を動かしたせいで、さらに暑くなった。
「だぁぁ、もう!」
エドが全く来ないのと、暑さで多少イラついてきた。
立ち上がり、少しでも風に当たれるようにフェンスの前まで移動する。
日陰の場所より、心持ち風が吹いて来た。
しかし、この場所だと日光が直射されるのを考えると、結局は日陰の所とプラマイゼロな気がする。
暑さで立っているのがダルくなり、フェンスに寄り掛かる。
「熱っ!」
フェンスに腕や顔が触れた瞬間、すぐさま離れる。
当たり前だ。この暑さと直射日光で金網のフェンスはかなりの熱を帯びていた。
フェンスに寄っ掛かれず、日光を浴びながら微弱な風に当たるぐらいなら、風が無くても日陰で寝っ転がってた方がマシ。
熱くなったフェンスを触れた頬を撫でながら元の場所に戻ろうとした時だった。
「……ん?」
今、俺が立っている屋上の位置から見下ろせる所。場所で言うと学校の中庭になる。
そこに少し不思議な光景になっているのが目に入ってきた。
「女の、子?」
学校に女の子がいるのはまったく不思議ではない。
ただ、中庭にいる女の子は……いや、女の子ではなく少女と言うのが正しい。
屋上から見ても分かる程、高校生とは思えない程に背丈が低く、小柄な少女がそこにいた。
少女は周りをキョロキョロと見ている。誰かを探しているのか、それとも迷っているのか。
ま、どっちにしろ俺には……。
「関係ねぇか」
迷ってるならその内誰かが助けてくれるだろ。
今日は午前中で学校が終わりと言っても、俺みたいにヤボ用でまだ居る奴や部活で残ってる生徒もいるだろうし。
元いた日陰に戻って再び寝転がる。
……が、寝転がってもこの暑さの中、当然寝れる訳もない。五分も経たずに寝転がるのをやめる。
よく考えたら別に屋上じゃなくてもいいんじゃねぇか。しかも、こんな死にそうなほど暑い日によ。
クーラーの効いている喫茶店やファミレスにすりゃよかった。あ、クソッ。そしたらエドの奴に奢らせてタダで昼飯が食えたのに。
しかし、今さらそんな事を言っても遅く、どうしようもない。
「……アイスでも買って来るか」
喉も乾いたが、冷たい物も食べたくなった。どこにいても暑いのだから、ちょっくら買いに行こう。
「よっ」
立ち上がって鞄を持ち、校内に入る。
エドに連絡……はしなくていいか。俺が買いに行っている間に屋上に来たら、メールか電話をしてくるだろ。
それに少しぐらい待たせても問題ない。俺だって暑い中で待ってたんだ、アイツも味わうがいい。ただし、アイツは冬服だけどな。
階段を降りて昇降口で外靴に履き替え、外に出る。
飲み物なら購買で売っているが、アイスとなると別。買い食いする生徒を出さない為か、お菓子だからかは分からないが購買では売っていない。
だから、食べたいのなら学校裏の神社近くにある店まで買いに行くしかない。
なので神社へ出れる裏道に向かう。その途中、中庭の横を通る。
さっき屋上から見えた少女が気になり、通るついでに中庭を見てみる。
屋上から見かけてから、そんな時間が経っていないのもあってか少女はまだ中庭に居た。
誰かを待っているのだろうか、少女はベンチに座って静かに地面を見ている。
その雰囲気は淋しそうとも、悲しそうとも違う。
ただ一人、何をする訳でもなく……。
「っとそうだ、アイス」
横目で少しだけチラっと見するつもりだったのに、気付いたら足が止まっていた。
神社の境内を突っ切り、階段を降りて目的の店に着く。
店は古く、昭和の雰囲気を醸し出している。色々な物が売っていて雑貨屋とも言えるが、ほとんどが菓子類が多いので駄菓子屋に近い。
学校の生徒で結構常連がいるらしく、店番をしている婆さんと仲良く喋る人を見掛ける事もある。
俺はたまに来るぐらいで常連とまではいかないし、何より自分から話し掛けるなんて事はしない。
「こんちわ、っと」
これだけ古い店だと、コンビニになんかにある客が来たら特有の音楽が鳴る、なんて物がある訳がない。
かといって黙って店の中に入るのも少し気が引けるので、声を出しながら入る。
店には他に客はおらず、自分だけだった。俺の声を聴いてか、奥の方から婆さんがゆっくりとやってきた。
別に雑談をしにきた訳でもない。ちゃっちゃと目的の物を買っちまおう。
一本六十円という昔から変わらずの安さを誇るアイスを一つと、ジュースを一本を買って店から出る。
先ほど通ってきた道を戻って学校に戻る。
行きの時に通った道を戻るという事はつまり、当然中庭の横をもう一度通ると言う事。
何故だか分からないが、妙にあの少女が気になる。なんでか頭から離れない。当たり前だが俺には特殊な趣味はないし、あんな小さい子に一目惚れしたなんて馬鹿な話もない。
一体なんでこんなにも気になってしまうのか、理由が解らない。
――と、考えている間に中庭の前に着いていて、足も勝手に止まっていた。
中庭を見ると、あの少女はまだベンチに座っている。他の生徒が話し掛けた様子はない。今のところ少女を見付けたのは俺だけなのか……。
足は地面に着かず、プラプラと宙で遊ばせていた。
そして、何が楽しいのかまだ地面をジッと見つめている。
「……はぁ」
どうしてこんなに気に掛けてしまうのか分からず、なんか溜め息が出た。
一体俺は何をしてんだか。こんな所で時間食っちまったら、せっかく買ったアイスが溶けちまう。
それに、待ち合わせ時間からかなり経っているが、一応エドと待ち合わせしているんだ。さっさと屋上に戻らねぇと。
頭をクシャクシャと掻いて止まっていた足を動かして、歩くのを再開させる。
しかし、足を動かした方向は屋上ではなかった。
「一人か?」
ベンチに座る少女の前まで行き、話し掛ける。無視して屋上に行こうとしたんだが、それが出来なかった。
声を掛けられ、少女は顔を上げる。少女の髪は赤茶色で、目も同様の色。
離れた場所からでは気づかなかったが、頭の側面よりやや後ろに髪をリボンで束ねていた。
首辺りまでのショートカットの沙姫よりも髪は短く、束ねられて作られたおさげは小さい。
「……」
しかし、少女は何も喋らずにただ俺を見つめる。
その表情には何もなかった。話し掛けた俺に怯える事も驚く事も無く、眉一つ動かない。無表情と言うのはこの事を言うんだろうか。
「父さんや母さんとはぐれたのか?」
父さん、なんて言葉は何年振りに使ったか。俺は父さんなんて呼ばないからな。かと言って親父って言う訳にもいかないし。
「……」
少女は喋らず、ただ無言でゆっくりと首を左右に曲げる。
って事は、はぐれた訳ではないのか。さっきから一言も喋んないけど、まさか喋れないとか?
いや、いきなり知らない奴に声を掛けられて警戒してるって考えるのが自然か。けど、このまま会話を無言で返されるのは嫌だな。
つーか、無言で返されてたら会話とは言えない。
「なんだかなぁ」
溜め息混じりに声を出して、少女が座っているベンチに座る。
自分の隣に座られた事にも、少女は何もリアクションしない。
少し間が空き、裏の神社から蝉の鳴き声が聞こえてくる。何も喋らず、黙って足をプラプラと再び宙で遊ばせる少女。
……いかん。このまま無言ってのは疲れる。あまりに気になったから声を掛けてしまったが、実際はどうするか考えてなかった。
しかし、この無言ループは抜け出さなければ……しょうがない、とっておきの裏技を使うしかないようだ。
ガサリと持っていた袋からブツを一つ取り出す。そして取り出した物を少女に差し出す。
「ほら、やる」
差し出した物。そう、それはさっき買ったアイス。
秘技、物で釣るッ!
「……」
が、少女は差し出されたアイスを一度見て、何事も無かったように視線を地面に戻す。
秘技、玉砕。
まさかアイスに興味を示さない子がいるとは……計算外だった。それに全くり喋らない。もしかして本当に喋れないのか……?
この暑さだ、アイスの袋からは水滴が垂れ始めていた。早く食べないとアイスが無惨な姿になってしまう。
しかし、一度差し出した物を相手の目の前で食べるなんて普通に考えてあり得ない。
ならどうするか。決まっている、強行突破だ。
ビリッと袋を開けてアイスを出す。これでもう、食うか溶けて土の肥料になるかのどちらかだ。
そして、もう一度アイスを少女に渡そうと差し出す。
「溶けちまうだろ、食えって」
ほれ、と少女の手元近くまで持っていく。すると少女はピクリと肩を動かした。
「……食う?」
少女は俺を見て少し首をかしげる。
「あぁ、溶けて落っこちない内にな」
そして、やっと少女はアイスを受け取ってくれた。それより何より、ようやく喋った。
たった一言だけだが喋ってくれた。ごく普通で当たり前の事なんだけど、なんか感動。
少女は数秒間アイスを見つめてから、ゆっくりと口に運ぶ。
アイスを噛ると、シャクリと小さな音がした。
「……甘い」
一口食べて、少女は当然の事を口に出す。アイスには小さい歯形が付いた。
「そりゃアイスだからな。甘いのは当たり前だ」
甘くないアイスなんて聞いたことねェし。あったとしても何味だよ。
キムチ味とか焼き肉味ってか? 食べる気しねぇわ。
「……アイス?」
シャクシャクと食べていたの止め、ソーダ味で水色のアイスを少女はジッと見る。
「溶けるから早く食えよ」
そう言われて少女は一度無言で俺を見て、アイスを食べるのを再開する。
いやしかし、屋上や少し離れた所で見た時に小さい子だとは思っていたが……まさかここまで小さいとは。
黙々とアイスを食べている少女を見て、改めて心の中で驚く。
屋上で見た時は中学生くらいかと思っていたけど、実際近くで見てみると小学生ぐらいじゃないか。
一体なんでこんな子が俺の学校にいるんだ?
外国からの転校生っても考えられるよな。エドの奴も一応海外から転校してきたって事になってるっぽいし。
でも、どう見たって高校生って歳には見えないよなぁ。飛び級……ってヤツか?
だけど、この学校にそんなのあった気がしねぇしな。となると、先生か生徒の親戚で学校に付いてきたとか?
横目で少女をチラ見する。
「んー……」
だけどこの少女、俺の学校の制服を着てるんだよな。
そう。少女はなぜか零名学園の制服を着ていた。となると、誰かの親戚で学校に付いてきたって線は無くなる。
ただ付いてきたってなら、この学校の制服を着ている理由が出てこない。
普通、身内を連れてくるってのに学校の制服を着せたりはしない。
それに制服ってのは意外と高かったりする。そんなホイホイと買える物じゃない。
……っと、そうか。返事は全部一言だけど、会話は出来るんだ。それを使わないでどうするよ。
でも、いくら何でも『なんでここの制服を来てんの?』なんて聞くのは失礼だよな……。
普通に屋上でこの子を見掛けた時から思っていた事を聞くか。
「そういや、一人でこんな所で何してんだ?」
背もたれに寄り掛かり、右腕をベンチの後ろへ回す。
ベンチが日陰にあるせいか、屋上のフェンスとは違って金具の部分はひんやり冷たかった。
「……待ち合わせ」
少女はアイスを食べながら質問に答えた。
アイスは半分程食べられ、木の棒の頭が少しだけ頭を出している。
「待ち合わせ?」
「……うん、待ち合わせ」
そんな聞き返してしまう程意外な言葉でも、難しい言葉でもないのにそのままの言葉で聞き返してしまった。
「……今度、ここに来るようになるから、どこに何があるか憶えておけって」
ここに来るようになる、そして制服を着てる。って事はこの子、本当に飛び級入学なのか!?
それで校内を見回っていて、誰かとここで待ち合わせしてたのか。
その待ち合わせの相手ってのは多分、保護者か先生のどっちかだろう。それならこんな小さい子がここにいるのも、制服を着ているのも分かる。
いやいや、待てよ? 勝手に俺は飛び級入学と決め付けているけど、外見は人より幼いだけで、実際は俺とタメって事もあり得る……聞いてみるか。
「そいやお前、何歳?」
なぜか知らないが、少しドキドキしている。
心のどこかで本当は俺とタメでした、っていう衝撃の事実を期待しているのだろうか?
アイスを食べるのを止め、少女の口が開く。
さて、真実はいかに?
「……十一歳」
至って普通。と言うか当たり前の答え。
……だよな、そうだよなぁ。見た目と歳が合わない、なんてファンタスティックな事がある訳ねェよな。
「はぁ」
何やってんだか俺、と頭の中で乾いた笑い声を出す。
だが一つ、不思議な事がある。この少女と話していると、なぜか懐かしさを感じる。
俺はこの子と前に、どこかで会った事がある……? だけど、俺にはそんな記憶はない。
俺が忘れているという可能性もあるが、悲しいかな俺の今までの人生で、人付き合いは本当に少なかった。昔と比べると今じゃ多過ぎる位に。
そんな中で知り合いが出来れば、元々数が少ないから中々忘れる事は無い。
ましてや懐かしさを感じさせる程に仲が良かった、またはこの子と過去に何かがあったとなれば尚更。この子が気になって、どこか放っておけない気がする理由もこの懐かしさに繋がるのだろうか。
改めて少女の横顔を見てみるも、やはり見覚えはない。
うーん……でも見覚えないからって気のせいにするのもイマイチすっきりしない。
……そうだ、名前。そういえば名前を聞いていない。名前を聞けば何か思い出すかもしれない。自信は無いけど。
「なぁ、名前聞いてなかったよな。なんて言うんだ?」
少女はアイスの最後の一口を食べる。
溶けかけていたんだろう。二、三回噛んでアイスを飲み込む。
そして手に残ったアイスの棒を少しの間見つめて、少女は話す。
「……モユ」
「モユ?」
小さい声で少し聞き取りにくかったが、なんとか聞き取れはした。
だが、あまり聞かない珍しい名前だったので、もう一度聞き返した。
「……うん、モユ。そう付けられた」
モユ、ねぇ。モエとかアユとかなら聞いた事があるけど、モユってのは初めて聞いた。
漢字だとどう書くんだ? 全然思い浮かばねーわ。
っと、聞き慣れない名前だったんで軽く脱線してしまった。
やっぱり名前を聞いても、全く覚えがない。むしろ、こんな珍しい名前だったら以前に会った事があったらまず忘れないだろうし。
じゃあやっぱ、初対面って事になるよなぁ。会った記憶がないんだから。
ベンチに寄り掛かっている背中をさらに深く寄り掛かり、頭を倒して空を見上げて考える。
それに、もし会った事があったならこの子……モユだって俺を知っている筈だし。
じゃ、なんでこんなにも気になって懐かしさを感じるんだ?
でもサッパリ分からない、ってのじゃないんだよな。なんかこう、すごい身近なんだけど見落としているって言うか……首の辺りまでは来てるんだけど、言葉が出てこない時に似てる。
周りの部品は集まってるのに、それをまとめる核が出てこないようなな。
「あ、俺の名前は匕な。咲月匕」
倒していた頭を起こしてモユに自分の名前を教える。
沙姫や沙夜先輩の名前を聞いた時、相手の名前は聞いたのに自分の名前は言い忘れた事を思い出した。
なので、今回は言い忘れないようにしました。
「……サキヅキ、サジ?」
俺を見て、名前をぽそりと呟くモユ。
「そ。咲月でも匕でも、好きなように呼んでいい」
「……うん」
あ、今気付いたけど、ちゃんとこっちを向いて喋ったな。ずっと目を合わさず顔合わさずだったのに。
さすがアイスだ。万国共通で子供に愛されてる。一本六十円のアイスがここまで役立つとは……。
俺が食うつもりだったからなぁ。初めからあげると決めてたら、もうちょいマシなアイスを買ったんだけど。
「あとゴミはゴミ箱に捨てろよ。それ位は自分で出来るだろ?」
サルじゃねぇんだし、歳だって二桁いってんだ。ゴミ捨てなんて幼稚園児でも出来んだから。
「……ゴミ?」
「そう、そのアイスの棒。いらない物はゴミ箱に、ってな」
モユがまだ持っているアイスの棒を指差す。
「……いらない物はゴミ箱に……」
モユはアイスの棒をまたジッと見つめ始める。
「……うん、わかった。いらない物はゴミ箱に捨てる」
アイスの棒を見たまま、コクリと頷くように頭を動かす。
しかし、結構時間が経ったけどモユの待ち合わせの相手が現れない。自分から話し掛けたってのもあるし、このまま放置して帰る訳にもいかない。
モユの待ち合わせ相手が来るまで待って……って、あちゃー。
そうだった、すっかり忘れてた。待ち合わせしてるのはモユだけじゃなかったんだった。
そうだよ、俺もエドと待ち合わせしてるんだった。
ちょこっと買い物に行くだけのつもりだったんだけど、ここで結構時間を食っちまった。
いや、食っちまった。じゃなくて食っちまってる、の現在進行形だ。
怒ってるかなー、アイツ。いやでも、メールも電話も来てないからな。もしかしたら、まだエドの奴は屋上に来てないのかも。
または屋上に来ていたんだけど、あまりの暑さで脱水症状を起こしてブッ倒れてるとか。
「…………プッ」
想像してみたら笑いが込み上げて来た。普段良い子ぶってるからな。いいザマだ。
……って待て。もし読み通りエドがまだ来てないとしたら、アイスを買いに行ってなかったら俺はあのクソ暑い屋上で未だに待たされたままだった?
さっき頭に浮かんだ脳内映像の脱水症状を起こしているエドの姿が、自分の姿へと変わっていく。
「……」
その映像は物凄くリアルで、顔がヒクついてしまう。
まぁ、なんだ。俺が取った『アイスを買いに行く』という選択は正しかったようだ。
なんにせよ、エドもまだ屋上に来ていないだろうから大丈夫だろ。根拠のない俺の勝手な読みと勘だけど。
モユの待ち人が来るか、エドから連絡が来るまではここにいよう。
あんな灼熱地獄と化した屋上で無理して待っている必要はない。
「なかなか来ねェな。モユの待ち合わせの相手は」
止まっていた会話を再び繋げようと、モユに話し掛ける。
「待ち合わせ時間は何時って言われたんだ?」
モユはアイスの棒を見つめながら、またプラプラと足を宙にブラつかせている。
「……わかんない」
「は?」
無表情のまま、モユは答える。
「……ある程度見回ったら、ここで待ってろって言われた」
「な……」
なんだそりゃ!? 待ち合わせの時間を決めていないのに、待ち合わせって言うか? 言わないだろ!
「それじゃ相手が来るまで何時間も待つつもりなのか!?」
「……うん。そうしろって言われたから」
モユは今、自分がしている事を苦と思っていないのか困った顔も辛そうな顔もしないで、平然としたまま表情を変えずに答えている。
「言われたからっつっても、何もそこまで従わなくったってよ……」
「……他にやる事が無いから。それに、言われた事以外の事をやると怒られる」
っかー、モユの親だか保護者はどんだけ教育ママだよ。
それになんだかモユの態度が妙に腹が立つ。
「なぁ、モユ。お前な……」
『別に、僕はやりたい事ないから』
「――――ッ!?」
あ、れ――? なんだ……今、モユが誰かと重な……った?
「……私が、何?」
途中で言葉を止め、気になってかモユが俺を見る。
「あ、いや……」
それに今聴こえた言葉、聴き覚えがある。あれは……。
「……匕?」
いきなり黙り込んで、心配したのかモユが制服の袖を引っ張ってくる。
しかし、顔は無表情のままで本当は心配しているのかどうかは分からない。
「いや……大丈夫。なんでもない」
解らないんだが、一応心配させないように大丈夫だと言っておく。
てか、さり気なく呼び捨てかよ。そりゃ好きなように呼んでいいとは言ったけど、まさか下の名前を呼び捨てとはね。
まぁ別にいいけどさ。
「……あ」
何かに反応したようにピクリと一度だけモユの体が動いた。
それと同時に、掴んでいた制服の袖を放す。
「どうかしたか?」
モユはフラつかせていた足を止めて、座っていたベンチから立ち上がる。
「……来た」
モユの目線は斜め上を向き、何を見ているのかは分からない。
右から左へと辺りを見回すモユ。そして、ベンチに座る俺の方へ振り返る。
「来たって、待ち人が?」
「……うん。だから、もう行く」
一度頷き、そしてモユは俺が来た方向とは逆の正面の方へと走っていく。
「んだよ、素っ気ねぇな。アイスの礼ぐらい……」
せっかく、と言うのも変だが、少しだけど会話するぐらい仲良くなったのに、あまりにもサッパリした別れ方だな。
それに、ずっと無表情だったしなぁ。笑った顔ぐらいは見たかったかも。
なんて思った、その時だった。
走っていたモユが足を止め、もう一度振り向いた。
「……匕」
「おっ?」
「…………じゃあね」
そう言いいながらモユは小さく手を二、三回振り、それを最後に走り去っていった。
モユに釣られて手を軽く振ってしまった。
そして、見えなくなるまでモユの後ろ姿を見ていた。
「行っちまったか」
モユに振っていた手が、まだ上げたままなのに気付く。
小さな女の子に釣られて手を振り返したのを、今になって恥ずかしく感じてきた。
自分の手を見て、少しだけ顔を赤らめる。
「じゃあね、か」
最後にモユが手を振った姿を思い出す。
ほんの一瞬、気のせいかもしれないし、太陽の逆光もあってよく見えなかったから自信はないけど……手を振った時、モユが微笑ったように見えた。
本当、ほんの一瞬だけど。
「アイスの礼ぐらい、別にいいか」
手を振った余韻を残した手を、ゆっくりと握ったり開いたりする。
ついさっきまで二人で座っていたベンチには、今は俺一人だけ。
中庭を見回しても他に人はいない。
裏の神社から聴こえてくる蝉の鳴き声が、一人になった途端に大きく聴こえてくる。
ミーンミンミン。ジーワジーワジーワ。
色んな蝉の鳴き声が混ざっている。
「あーぁ、あ。っと」
ベンチの背もたれに寄り掛かって空を眺める。
ここでは屋上と違い、空以外に校舎の一部や近くに生えている木が視界に入る。
座っているベンチの位置は木陰で、空を見上げてもそんなに眩しくはなかった。
「そうか。気になった理由……そっくりなんだ」
モユが妙に気になっていた理由。それがようやく解った。
放っておけないのも、たまに腹が立ったのも、懐かしさを感じたのも。
その理由が、さっき解った。
「すごく、似てたんだ」
そう、理由はそれ。解ってしまえば凄く納得してしまう。
やっぱり俺とモユは初対面だった。そりゃそうだ。記憶に無いんだからな。
ただ、どこかで会ったんじゃないかと感じたのは、間違いでも無かった。
俺はモユと似た雰囲気をした奴を知っていたんだ。身近に居たと思ったのも当前だった。ソイツはずっと一緒に居たから。
そして、言い様によっては一度も会った事は無いとも言えるし、毎日会っていたとも言える。
そんな奴と、モユは重なったんだ。そう――――。
「――ガキん時の俺に」
クシャクシャと頭を掻く。
そりゃどっかで会った気がしたり懐かしかったりする訳だよ。
昔の自分を見ているようだったんだから。
「どうりで……気になる訳だよなぁ」
少し強い風が吹いて、木の枝葉が揺れる。
枝葉が揺れて出来た隙間から木漏れ日が射し込み、眩しくなり目を細める。
モユのあの雰囲気。人を寄せ付けない感じをさせるけど、それは違う。あれは『人との接し方が解らない』んだ。
俺には解る。昔そうだった俺には。
人との接し方が分からないもんだから、どんな顔をすればいいのかも分からない。だから無表情のままになる。
懐かしさを感じたのは、そのまんまだ。昔の自分を見ているようだったから。
妙に気になっていたのと、放っておけないのもそう。
あのままじゃろくな事が無いのは解っている。経験者は語るってヤツだ。ずっとあれじゃ、一人のままだ。ただひたすら一人。
誰もが相手をしてくれなくなる。だって、相手してあげても態度は無表情の無愛想。
好きで無表情、無愛想をしている訳ではない。ただ人との接し方が解らないだけ。
だけど周りはそれを理解してくれず、相手の勝手な解釈で離れていく。
可愛くないだの、気味が悪いと勝手に言って。自分はどうすればいいか分からないだけなのに。
だから、昔の自分に似ていると気付いていなくても、無意識にモユを心配したんだ。
――自分と重なってしまって。
俺には一人、理解してくれる人がいたから良かった。だから今の自分がいるし、色んな楽しい事も知れた。
今じゃ孤独じゃない程度に知り合いもいるし、ダチと言えるかどうか分からん待ち合わせに遅刻する金髪もいる。
まぁ、自分のクラスメイトとのスキンシップは皆無に等しいが。
あのままだといけないと分かっているから……だから、放っておけなかったんだ。
たった一度、たまたま見掛けただけの赤の他人に、話し掛けて会話をしたぐらいじゃ無駄に等しいってのは理解している。でもやっぱり、自分と同じ様になって欲しくはない。
俺と話した事で、少しでも人と接すれるようになってくれればいい。
それに気のせいかもしれないけど、あの……最後にモユが微笑ってくれただけでも、十分だと俺は思える。
微笑ったという事は、表情の出し方が分かったという事。これは大きい。
誰も笑いもしない人と話をしても楽しくない。表情を表に出せるようになれば自然と人と接すれるようになる。
そして、途中に時折腹が立った事。
あれも簡単な事だ。昔の嫌いだった頃の自分が重なった。それが目の前にいたら、昔の自分を見ているようで腹が立ったんだ。
モユは悪くない。勝手に俺が自分に腹を立ててただけ。
昔の嫌いだった頃を見せられて気分の良い奴なんていない。親戚なんかに、小さい頃よく寝小便をしていた。と言われるような感じだ。
はぁ。ホント、当時はなんでもない顔をしてスカしてたけど……やっぱ実際は内心、そんな自分が心底嫌いだったんだな。
なのに当時はそれに気付かないフリをして、淋しさを誤魔化していたんだ。
「どれもこれもあのクソ親父のせいだ。ったく」
親父を思い出すと必ず腹が立ってくる。
好きじゃない。と言うか、ハッキリ言って嫌いだ。さらには仲も悪い。じゃなきゃ勘当なんてされねぇか。
あー、やめやめ。考えてもイライラするだけだ。俺はこの歳でハゲたくなんかねぇ。
倒していた頭を戻し、空を見上げるのをやめる。
視界が中庭へと戻っても、中庭には自分以外に人はいない。中庭どころか近くを通る人すらいない。
学校のド真ん中の中庭にいるのに、視界に人が一人もいないなんてのは珍しい光景だ。
プールがある方向からは部活をしているのか、笛の音や生徒の声が聴こえて来る。
学校に人が一人もいない、って訳ではなさそうだが。
「……あの言葉、あれも懐かしかったなぁ」
モユが気になった理由に気付いく切っ掛けになった、あの言葉。
『別に、僕はやりたい事ないから』
聴こえてきたと言うか、思い出したと言うか……どっちとも取れない曖昧な言い方。
いや、言い方は変だが……頭に聴こえてきた、そんな感じがした。自分でも何を言ってるんだと思うが、本当にそんな感じだった。
その言葉が聴こえてきた時、モユが誰かと重なったのは自分だったと言うのは、言うまでもない。
そして、聴こえたあの言葉も……あれも小さい頃、自分が言った言葉だ。
なんで自分の言葉が聴こえてきたのかは解らない。
普通、自分が言った言葉を自分で思い出したりしないだろ。小さい頃のだったら尚更。
なのに俺は自分のが聴こえてきた。ご丁寧に、モユに小さい頃の自分が重なって。
それに、あの言葉を俺が覚えていたのには理由がある。でなきゃ自分で言った言葉を覚えてなんかいない。
確かあの言葉を言って、俺は初めてお前に怒られたんだっけ。
――なぁ、凛。
ははっ、本当懐かしい。
「懐かしい、か……」
凛……お前を思い出したら懐かしいと思ってしまう程、時が経ってしまったよ。
見つめる地面は風で枝葉の影が揺れる。
風は薄らと汗を掻いた額を撫で、蝉は不揃いな合唱をしている。
首に掛けている水晶のアクセサリーがキラリと微かに、輝いた。
「あー、ヤベ。軽く欝入るとこだった」
下を向いていた顔を上げて頭を掻く。
昔を思い出すのはいいけど、欝に入っちまうのは勘弁だ。欝って良い事なんて一つもないしな。
右隣に置いていた袋からアイスと一緒に買ったジュースを取る。フタを開けると、プシュッと炭酸の抜ける音がした。
一口だけ口に入れて飲む。
いやー、買ってから時間が経ってるし、袋から取り出した時に気付いてはいたけど。
「ぬる」
軽く放置してたからぬるくなっちまったわ。
モユに気ィ取られてすっかり忘れてた。やっぱぬるくなった炭酸ってのは不味い。こりゃ罰ゲームの類だろ。
小さくゲップを出す。普通だったらこんな所でやったりはしたいが、今は自分以外に人がいないんで。
ザアァァと、また風で擦れて揺れる木の枝。ここは風がよく吹いて涼しい。
屋上よりいいかもしれないな。まぁ、人目に付き過ぎるからサボり場所としては使えないが。
待て。屋上? なんでか屋上って言葉が引っ掛かる。
なんか忘れてるような……。
「あ」
あー、しまった。スッポリと頭から抜けてた。
ポケットから携帯電話を取り出して時間を確認してみると、時間は一時半になる少し前。
ヤベッ、結構……つーか、かなり時間が過ぎてる。エドの奴生きてるかな。屋上で乾涸びてミイラになっていなきゃいいんだが。
電話やメールが来てないから、まだ屋上には来ていないとは思うけど……一応屋上に行ってみますかね。
ここまで時間が過ぎていると、もう待ち合わせじゃないよな。
ジュースをもう一口だけ飲んでフタを閉める。
「つーか、本当に周りに人はいないよな?」
勢い良く辺りを見回してみる。
今さら、本当に今さらなんだが、もし俺がモユと話している所を誰かに見られていたら大変だ。
なんてったって小さな女の子と放課後に二人でお話をしているんだからな。下手したら変な噂が流れてしまうかもしれない。
そうしたらどうしようか……? 実の妹とか、親戚の子なんだとか、そんなよくある嘘でも言って誤魔化すか?
いや、顔とか似てないし髪の色も全然違うから厳しいだろうな。それに、なんとか周りを誤魔化せたとしても、アイツがなぁ……。
エドの野郎は俺の事を調べたから、そんな嘘は一発でバレる。
アイツなら絶対これをネタにしてから俺をからかうのは目に見えている。しかも、クラスの女子までもを使ってだ。
「…………」
うわっ、想像しただけで最悪だ。すげぇ教室に居づらい。だから、なんとしてもそれは回避しなければ。
そうするには誰にも見られていない事が必須だ。クラスの女子にでも見られてたら、必ずエドの奴に漏れる。
けど、モユと話をしている間に見える範囲では人が通ったのは見ていないから、多分大丈夫だとは思うけど。
壁に耳あり障子に目ありって言うからな。俺が気付かない所で見た人がいるかもしれない。
読感術を使っていれば分かったんだろうけど、常に使ってる程俺は神経質でもないし。
まぁとにかく、最悪他の人に知られてもいいけど……。
「エドの野郎だけは勘弁だ」
「俺がなんだって?」
「うおぉ!?」
いきなり後ろから声がして、驚きながら振り返る。その声の主は言わずもがなエドだった。
「い、いつから居たんだよお前……」
完全な不意討ちだったので言葉が吃る。心臓も張り裂けんばかりにバックバク鳴ってます。
「たった今、来たばかりだが?」
エドは驚く俺を気にもせず、いつもの口調で返す。いつもの、と言うのはもちろん学校以外での『いつもの』だ。
「……本当か?」
念のためにもう一度聞き直す。
過去にコイツの嘘のお陰でクラスで悪者扱いされたからな。すんなりと信じる訳にはいかない。
「本当だ。なんだ、何か俺がいたら不都合な事でもあるのか?」
「ねーよ。お前の言う事は鵜呑みに出来ねぇから用心してんだよ」
この野郎、一瞬ドキリとするような事言いやがって。
あー、まだ心臓がバクバクしてるわ。まぁ、エドの顔を見た感じ本当に今来たっぽいから大丈夫そうだ。
つーか、見られてたら既に何かしら言われてるだろうし。
「で、なんでこんな所に居るんだ? 待ち合わせ場所は屋上だったろ」
「誰かさんがその待ち合わせ場所になかなか現れないんでね、飲みモンを買いに行ったついでに涼んでたんだよ」
『誰かさん』の所を強調させて皮肉る。
本当はアイスが目的で買いに行ったんだが、そのアイスはモユにあげちまった。
俺の手元にはジュースしかないのに、アイスを買いに行った。なんて話したら変に思われる。
もう食った。と言う方法もあるが、食った筈なのにアイスのゴミがないのは不自然だ。
普通はそんな小さい事に気付かなかったり、気付いても大して気にしないだろうけど、相手はエドだ。
どんな些細な事が切っ掛けでバレるかも分からねェ。俺はバレない為に、いくらでも用心に用心を重ねますよ。
「そういうお前こそ、なんでここに居んだよ?」
エドの言う通り、ここは待ち合わせ場所じゃない。
なのになんで待ち合わせ相手のエドまでここに居るんだ?
「あぁ、制服の事とかで先生に呼ばれてな」
そういやコイツ、転校して来てから一ヶ月は経つけど、まだウチの制服じゃねぇもんな。
でも、エドからしたら今の制服の方が自分の得物を隠せられるから、今のままがいいんだろう。見てるこっちは凄ぇ暑苦しいけど。
……ちょっと待て。そういや、モユが着てた制服も冬服だったよな? それにモユも汗一つ掻いていなかった。制服のクールビズ化が進んでんのか?
「まぁ、調度良い。ここで話をしよう。人もいないし、いちいち屋上まで行くのもな」
エドはベンチの前まで回って来て、俺の隣に座る。
ここで話をするのは賛成だ。あんな熱光線が照射されている場所に戻るなんて嫌過ぎる。
「じゃあ、さっさと済ませちまおう」
俺は早く帰ってシャワーを浴びて、冷房がガンガン効いた部屋で寝転がりたいんだ。
屋上で待っていた時に汗を凄く掻いてしまって、少しベトベトする。
「んで、なんの用で俺を呼んだんだ?」
どっかりと背もたれに寄り掛かる。
「いや、別にこれと言って用という用はない」
「……はい?」
あれ? おっかしいな。呼び出されたもんだから、てっきり用があるもんだと……。
というか、普通は用があるから呼び出すんだよな? 用も無いのに呼び出すか? いやいや、呼び出さないよなぁ。
「調べ物で忙しくてろくに話をしていなかったからな。だからまぁ、近状報告と言うか調子はどうかと思ってな」
じゃあ俺は、大した用事があった訳でも無いのに、あの屋上で待たされていたのか。
結果的にはここで涼んでたいたけど、俺はあそこで一時間以上も待たされていたと。
そうかそうか、なるほどなるほど。
んーと……ふざけんな。と言いたいね。いや、言うけど。
「ふざけんなよオメェ」
当然、これだけじゃ怒りは納まりません。
「そっちから呼び出した上に、一時間以上も待ち合わせ時間に遅れておいて、用事がないだぁ?」
しかも、俺はまだ昼飯も食わずに待ってたんだ。朝飯だって遅刻しそうだったから食ってない。空腹が更に苛立ちを煽る。
「その事については謝る。すまなかった。ただ、白羽さんも君の事を気にしていたんだ」
「白羽さんが?」
予想外に素直に謝られ、風船のように怒りが抜けていく。
「あぁ。以前のSDC以来、これといった行動を起こしていないからな。白羽さんが何か気に掛けていた」
それなら丁度良い。というのはなんか違う気がするが、今は別にどうでもいい。
エドにはこれといった用事は無いらしい。が、俺にはあった。
「その事で、実は俺から一つ……話がある」
昨日、エドからのメールを返した時には俺に用事はなかった。
だが、その後に話さなくてはならない出来事が、ランニング中に起きた。
「なんだ?」
その事で……つまりSDCの事についての話だとエドは気付き、真剣になる。
当然、俺も真剣になる。あの事はふざけながら話せるもんじゃない。
「昨日……いや、正しくは今日だ。夜にランニングをしていたらな、アイツ等に会った」
考えてみると本当、よく無事に済んだと思う。
もし、あの時に二人と戦り合っていたら、俺はここで話しなんて出来ていないだろうな。
「アイツ等って、まさか……ッ!?」
「想像通りだよ。テイルと、別人格の先輩だ」
コウを先輩と呼ぶのは嫌だったが、エドにはそう言わないと伝わらない為、言うしかなかった。
「なんで連絡をしなかった!? 一人でどうこう出来る相手じゃないだろ!」
「無茶言うな。そん時は携帯持っていなかったし、何よりアイツ等が目の前にいて連絡を寄越す余裕なんてねぇよ」
俺が返した言葉を聞いて、エドは何かを言おうとしたが言われた事が正しく、何も言えなかったようだ。
テイルとコウ。この二人がどれだけヤバイかはエドだって知っている。
だからこそ、大声を出してまで怒ったってのもあるんだろう。
「五体満足な所を見ると、二人と戦り合ってはいないのは解る。じゃあ一体何をしたんだ?」
「ただの雑談だった。初めはテイルが一人で現れたんだ。たまたま俺を見掛けたらしくてな。そしたら暇潰しに付き合ってくれ、と言われたよ」
アイツの気まぐれでな。
「それで雑談をしたのか?」
「あぁ。少しではあるけど、収穫はあった」
情けない事に、テイルに気圧されてほとんど身動きが取れなかった。
頭も大して働いていなかったなのに、それでもよく情報を聞き出そうとしたなと自分でも思う。
「本当かっ!?」
「本当だ。まず一つは奴等、深夜に人体実験の為の人材を探していた」
テイルの口からは材料探し、としか聞いていないが、エドや白羽さんから聞いた情報と照らし合わせればほぼ、人材で間違いない。
「そして、別人格の先輩と途中から合流したのを考えると、多分二人は別行動で人材を探していた。」
「何……? あの別人格の先輩がテイルと離れて、別行動をしていたのか?」
エドが疑問に思うのは無理もない。以前に会ったコウはかなり不安定で、急に苦しみ出したりしていた。
それが単体で別行動をするんだ。エドの反応は当然と言える。
「あぁ、見た限りでは一人で行動していた。しかも、以前と比べてかなり安定していた」
前とは違ってただ暴れるのではなく、理性がついたと言うか……バラバラになっていた部品が揃い始めた、って感じだった。
「ちょっと待て! 安定してきたのなら、それは……!」
声が高くなるエド。気持ちは解る。完全に取り込まれちまったら、先輩はもう戻ってこないんだから。
「いや、恐らくまだ大丈夫だ」
「……随分と言い切るな。何か根拠があるんだな?」
落ち着いて話をする俺を見て、エドは何かちゃんとした理由があるんだと感付く。
「あぁ。テイルと話をしていた時、アイツが言ったんだ。『材料探しとリハビリ』をしていると」
「材料探しと、リハビリ……?」
「そう。材料探しってのはさっき言ったように、人材の事だと思う。そして、もう一つの方。リハビリがまだ大丈夫だと言える理由だ」
寄り掛かっていた背中をベンチの背もたれから離れ、肘を膝の上に置いて前屈みの態勢になる。
「奴が言っていた。不安定だったのを安定させる為に、慣らしも兼ねてのリハビリだと」
「そうか……つまり、リハビリを行っている時点ではまだ……」
「そう。先輩はまだ完全には取り込まれていない」
エドが頭の回る奴で助かる。説明をするのが凄く楽だ。
「だけど、だからと言って安心とは言えない。まだ完全ではないが、明らかに侵食は進んでいた」
前にSDCで会った時のと比べると、かなり安定していた。
苦しむ事もなかったし、言葉は反抗的だったが、しっかりテイルの言う事は聞いていた。
「急がないといけないのは解っているんだが、なかなか動きが掴めないんだ」
エドは腕を組み、悔しそうな顔をしている。
「今の話は白羽さんに報告しておく。これが何か手掛かりを掴むのに繋がればいいが……」
俺もそう思うが、SDDが人材を探しているのは既に解っている。
今ので解るった事は、まだ先輩は大丈夫だという事。その一つだけだ。
SDCの核を突くような情報はない。手掛かりを掴める確率は低いと言える。
「あと最後に一つある」
右手を握り拳にして、それに左手を被せる。
「別人格の方のな、名前を教えてもらった」
「別人格の……名前?」
俺が何を言っているのか、エドはよく分からないといった顔をする。
「そうだ。アイツの名前はコウ。そう言っていた」
「コウ……」
「あぁ、なんでかは知らないけどな」
アイツが自分の名前を決めた時、テイルと2人で笑っていた。
理由は解らないが、あの時は笑う二人に酷く腹が立った。
「ちょっと待て。コウって言われても、あれは人格が違くても明星洋には変わり……」
「違うッ!」
大声をあげる。その声はエドの声をかき消し、蝉の鳴き声さえ小さく聞こえてしまう程。
「違う。あれは先輩なんかじゃない」
俯き、拳を握る力が強くなる。
そして、エドは気付いた。俺を見てようやく、気付く。凶変した先輩を、先輩と同じにされるのが嫌なんだと。
別人格と言うのなら、そう。あれはまったくの別人。
なのに『先輩』と一括りにされ、同一人物のように扱われるのが気に食わない。
仲が良かった先輩を、あんなのと一緒にされるのが。
「お前の気持ちも知らずに、気に障る事を言ってしまった。悪かった」
「……あぁ」
エドの謝りに返事するも、顔は俯いたままで返事する。
機嫌を損ねてしまったようだ、とエドはやれやれと言いたげに小さい溜め息をする。
「そのコウ、って言う別人格の名前に、何か意味はあるのか?
「さぁな。俺には解らない。ただ……」
ようやく顔を上げる。エドは機嫌が悪くなったと思っていたが、本当は機嫌なんて悪くなっていなかった。
コウのあの黒い雰囲気を思い出して、気分が悪くなっていた。機嫌ではなく、気分が。
「アイツ等は何か、意味がありそうな会話をしていた」
コウの名前を聞いた時、テイルとコウは二人で笑っていた。
その時はなぜ笑っているのかは解らなかった。あぁいや、今でもまだ解らない。
だが、笑いながらテイルは確かに言った。『なるほどなぁ』と。
なるほど、なんて言葉は何か意味がある、またはその意味に気付いた時にしか使わない。
その言葉を使ったとなると、何か意味はあると考えられる。
「そうか。とにかく解った。それも含めて白羽さんに報告しておこう」
エドはベンチから立ち上がる。
「もう行くのか?」
「言っただろ。お前の調子を聞きたかっただけだ」
あぁそうだった。コイツ、大した用もないのに呼び出しやがったんだ。
しかも、待ち合わせ時間に遅れまくりで。
「まだ話す事があるのなら、付き合ってやるけど?」
エドは俺の様子を見に来ただけで、俺は俺はで話す事はもう話したしな。ここにいる理由はもう無い。
「いや、いい。さっさと帰れ」
シッシッと蝿を払うように手を振る。
こんな奴と二人で世間話なんてする様な仲でもない。それも中庭のベンチで男二人でだ。
そんな学校で付き合ってる男女が昼休みに一緒に弁当を食うような場所で、男二人で面白おかしく話をしてもムサッ苦しいだけだっての。
「ヒドイなぁ。僕達、友達なのに」
「やめろ気持ち悪い。いいからさっさと行け」
もう一度さっきと同じくシッシッと、エドに対して手を振る。
いきなり優等生ン時の喋り方をすんな。お前の本性を知ってる俺から見たら気持ち悪いんだよ。
「ははは。嫌われてるな、俺は」
自分がクラスの優等生でいる為に、俺を使った奴をどうして好きになれようか。
そのせいで俺はクラスの女子大半から白い目で見られたんだ。この怨み晴らすまで俺は忘れねェからな。
「それじゃ、また何かあったら連絡する」
「おう」
何かあったら、ね。今日は何もなかったのに呼び出したクセに。
また今日みたいに何もないのに呼ばれたら、今度は何か奢らせてやる。
エドはモユが走っていった方向と同じ方へ歩いて行き、そして校舎の影へと消えていった。
「あーぁ……一時間以上も待たされたのに、話をした時間はものの十分そこらかよ」
携帯電話で時間を見てみると、待たされた時間の半分すら話をしていない。
これなら電話で済んだんじゃないのか?
てか、考えてみたらモユとスキンシップを取ってた時間の方が数倍長いし。
これじゃどっちが目的だったのか解らねぇな。
「あん?」
そういえばモユで思い出したけど、待ち合わせ相手が来たってどうやって解ったんだ?
俺はその相手を見てないし、モユが走っていった方向には誰もいなかった。
まぁ、多分チラッと窓から校舎内を歩いているのを見掛けたとか、中庭の近くを通ったのを俺が気付かなかっただけだった、とかだろう。
エドが後ろに来ているのに気付かなかったぐらいだ。あれはビックリしたよ、本当。
あの野郎、隙あれば驚かせてくるからな。常に読感術を使うような神経質にでもなるか?
……無理だな。そんなずっと周りの雰囲気を読むなんて、そんな事していたら文字通り気が滅入る。
アイツの首に鈴でも付けるか。近づけばチリンと鳴るからすぐ気付ける。
「さーて、と。時間が余っちまったなぁ」
今の時間は午後二時になる所。
待ち合わせ時間に大分ズレがあったが、話が早く終わったので暇がポッカリ出来た。
エドに呼ばれたもんだから、てっきり夕方あたりまで掛かると思っていた。だがら、これといった予定が無い。
今やりたい事や、やんなきゃいけないっていうような事はないからな。テストも終わったから勉強はしなくていいし。ホント、何をしようか。
部屋に帰ってエアコンでガンガンに涼しくして寝てもいいんだけど、電気代が掛かる。シャワーも浴びたいが、それを考えたら帰るのは少し戸惑う。
じゃ他に何かあるか、となると本屋ぐらいしか思いつかない。そこなら冷房も効いているし、立ち読みで時間も潰せる。
大型店舗の本屋となると駅前までいかなきゃならないが、全国チェーンの古本屋なら学校の近くにある。
そこで時間を潰してから帰るか。行き場所が決まり、ベンチから立とうした時だった。
「あ、そうだ」
ポッカリと暇が出来た時に、やらなきゃいけない事があったのをポッコリと思い出した。
そういえば俺、沙姫か沙夜先輩に組み手の相手してもらえるか頼むのを忘れてた。すっかり頭から消えちまってたわ。
しくったなぁ。エドを待っている間に沙姫か沙夜先輩ン所に行けばよかった。それならまだ学校に居ただろうし。
けど、さすがにもう居ないだろうな。放課後になってから2時間近く過ぎてる。
学校は午前で終わりだから、弁当だって持ってきてないだろう。何か部活をやっているなら話は別だけど。
もし沙姫と沙夜先輩が部活をやっていたら、電話やメールしても気付かれない。かと言って全部の部活を回ってみるか?
いやいや、運動系と文系を合わせると凄い数だからそれは却下。ま、とにかくダメ元で一回電話してみるか。
出てくれる確率が高いのは……沙姫か。
沙夜先輩はクラスの委員長をやってるって前に聞いたからな、部活の他にクラス委員長としての仕事をしている可能性もある。
「えーと。沙姫だから、さ、さ、さ……」
ポケットから携帯電話を取り出して、電話帳から沙姫の携帯番号を探す。
電話帳に登録されている数は少ないから見つけるのは簡単だった。
発信ボタンを押して電話を掛ける。電話を耳に当てるとプルルルル、と発信音が聞こえてくる。
「……出ねぇな」
五回くらい鳴らしたが、沙姫は電話に出ない。
何か部活でもやってんのかな。ずっと鳴らし続けるのも悪いし、あと三回鳴らしても出なかったら切ろう。
『はい、もしもし?』
と、もう出ないと諦めかけた時に沙姫が電話に出た。
「お、出た。悪ィ、ちょっと電話して大丈夫か?」
一応、今電話をしても大丈夫かを確認する。
『はい、大丈夫ですよ。どうかしたんですか?』
「ちょいと頼みたい事があってよ。もう家に帰っちまったか?」
学校に居るのは望み薄だろうけど、出来れば会って直接話をしたい。
話すとちょっと長くなりだから、電話代が掛かりそうなんで。でも、沙姫がもう帰っていたら電話しかない。
急に沙姫の家に行くのも悪い気がするし、かと言って自分事なのに呼び出すのも悪い。
『いえ、まだ学校にいますよ』
しかし、沙姫はまだ学校に残っていた。
だが、安心するのはまだ早い。もしかしたら、今は部活の休憩中なのかもしれない。
そうだったら、今は電話が出来ても会って話をするのは無理臭い。
「もしかして部活、とか?」
『いえ、テストも終わったんで友達と教室で雑談してましたけど』
よし、と空いている左手で小さくガッツポーズを取る。
沙姫、お前はなんて先輩思いのいい後輩なんだ……よし、あとで飴を買ってあげよう。
「俺もまだ学校に居るんだよ。電話じゃなんだからさ、会って話をしたいんだけど」
うっ……言ってから気付いたが、今のセリフ、なんか告白する時に呼び出すのに使うセリフに似てるな。
別に告白なんかする訳でもないのに、自分が恥ずかしくなった。
『いいですよ。じゃあ私はどこに行けばいいんでしょう? 屋上ですか?』
そんな俺とは別に、沙姫はいつも通り。そりゃそうだ。俺が勝手に恥ずかしくなってるだけなんだからな。
「いや、俺が沙姫の教室前まで行く。そこで待っててくれ」
SDCの話をする訳じゃないから場所は何処でもいい。それに、今日はもう屋上には行きたくない。
「あ、そうだ。沙姫って何組だっけ?」
『D組ですよ』
学年は知ってるけど、クラスまでは知らない。知らないまま一学年の廊下に行ったら、端から端へとクラスを回らないといけなくなる所だった。
「D組ね、了解。んじゃ五分程で行くと思うわ」
『はい、分かりました。それじゃ待ってます』
電話を切ってポケットに戻し、ベンチから立ち上がる。
ベンチが汚かったという訳では無いが、尻を軽く叩いてホコリを取る。汚くないと分かっていながらも何故かやってしまう。
ベンチの脇に置いていた鞄と、ジュースをビニール袋に入れて持つ。
「さて、と。昇降口で靴を履き替えねぇと」
中庭から出て昇降口に向かう。中庭から昇降口はそれなりに近いので、移動には時間は掛からなかった。
下駄箱で靴を外靴から中靴に履き替えて校内に入る。中は外より少し暑かった。中庭と違って風が無いからだろう。
せっかく中庭で涼んで汗が引いてきていたのに、また汗が出てきた。今から階段で三階まで上らないといけないと思うだけで更に汗が出る。
頭の中でボヤいても沙姫の教室が来てくれる訳でも無いし、目の前にエレベーターが現れる事も無い。
親から貰った立派な足二本で上っていく他に無い。面倒だと思いながら階段を上る。
放課後なだけあって校内は静かだ。階段を上る自分の足音が聞こえて、軽く踊り場に響く程。
そういえば、沙姫には電話で五分ぐらいで行くと言ったんだった。少しダラダラ歩き過ぎたかな。ちょい急ごうか。
別に待ち合わせとか、大事な約束だとかそんなんじゃないが、自分の都合の為に時間を割いて貰ったんだ。待たせる訳にはいかない。
階段を上るペースを上げて、沙姫の教室がある一年廊下前に着いた。一年廊下は窓が開いて風が入ってきており、昇降口や階段より涼しい。
「えーっと、沙姫はD組だよな」
一つの学年にはA~Eの五つのクラスがある。なので一応廊下を歩きながら沙姫の組を口に出して確認する。
もし違う教室に行ってしまったら恥ずかしい事この上無い。教室に誰も居なかったらセーフだが、沙姫みたいに友達とダベってる人もいるだろうし。
この学校は、というか、他の学校もそうだと思うが、教室のクラスは廊下の奧から順になっている。
つまり一番奧がA組で、階段に一番近いのがE組となる。なので沙姫の教室は階段から近い。
だから、階段近くからでもクラスのプレートが見える。
E組の前を通るとドアが開きっぱなしで、横目で覗いてみるとE組には一人も生徒は居なかった。
しかし、E組の前を通っていると女声で話し声が聞こえてきた。もちろん、その話し声はE組ではなくD組から聞こえてくる。
ただ、今から行こうとしている教室から話し声が聞こえてくる、というこの場面、前にもあったような……。
なんかデジャビュだ……まぁいいや、教室に着いたんだから沙姫を呼ぼう。
クラスのプレートをもう一度見直して、間違いないかを確認。プレートにはしっかりと『D組』と書いてある。
ここもドアが開けっ放しで、覗くと友達と喋っている沙姫の後ろ姿が見えた。
当然、後向きなんだから沙姫は俺に気付かない。
沙姫の友達らしき二人も後向きではないが、話に夢中なのかコッチすら見ない。このまま気付かれるまでずっと立ってるのも疲れる。
それに、気付かれるまでずっと沙姫を見ていたら変人に間違われる可能性大。
なら取る行動は一つ。無難にドアをノック。教室のドアは引き戸式なので、開けられているドアとは別の方を手の甲で軽く叩く。
コンコン、という擬音のように綺麗な音ではなかったが、ノックの音に気付いて沙姫を含む女子三人がこちらを見る。
「あ、来ましたね」
俺が来た事に気付いた沙姫は、座っていた椅子から立つ。
「沙姫ー、あの人誰?」
「ん、先輩。知り合いなんだ」
なんて、一人が俺を見てから沙姫に聞いている。
こちらへ駆け足っぽく向かいながら、沙姫は友達に答える。
「急に悪いな」
いきなり電話して友達との付き合い中に抜けて貰ったのだから、まずは謝る。
「いえいえ、全然いいですよ。ところで話ってなんです?」
「それなんだけど……あ、ちょっとこっちに」
沙姫の手を引っ張ってドアから少し離れる。
沙姫は背中側だったから分からなかっただろうが、友達二人がこっちをガン見してた。
そりゃ俺が誰なのか気になるのは分からなくもないけど、そんな事をされるとなんか話しづらい。
なので、教室からは見えない死角へ移動。
「ここなら見え……ないな。大丈夫だ」
教室の方をチラリと見て、沙姫の友達が見えない事を確認する。
「で、話なんだけど」
「はい」
もう一回チラッと横目で教室の方を見て、友達がドアから覗いていないか確かめる。
よし、覗いていない。
「沙姫の家に道場あったよな?」
「えぇ、ありますね」
この間、カレーをご馳走になった時に使わせて貰ったんだから、道場があるのは分かり切っている。
なのに、あるかどうか聞いてしまうのは会話を始める他の言葉が思いつかないからだ。
いきなり『道場貸して』と言うのもどうかと思うし。
「それで相談なんだけどさ。その、変な頼みなんだけど、組み手の相手をして欲しいんだ」
「組み手、ですか?」
沙姫は俺の頼みが予想外だったようで、キョトンとしている。
そらそうだ。組み手の相手を頼む奴なんてそうそういねぇだろ。
逆に沙姫から『あ、もしかして組み手ですか?』なんて先に言われたら俺がビックリだよ。
「なんでまた組み手なんですか?」
「あー、最近運動不足なんだ。太るのは嫌だから身体を動かそうと思って」
さすがにSDCの為、とは言えない。仲はいいけど、一応沙姫も参加者の一人。
なのに組み手を頼むのもおかしい話だけども。でも他に頼める奴はいないからなぁ。
エドは……どうなんだろ? それなりに強いのは分かるが、組み手とか出来るかは解らない。
「走るのも飽きてきたし、かと言ってプールで泳ぐにも金が掛かるだろ?」
水泳は普段使わない筋肉を使うから身体を締めるにはいいんだが、やはり今言ったように金が掛かる。
学校のプールって手もあるが、当然却下。部活をやっている隣で泳ぐなんて嫌過ぎる。
「だったら、ガキの頃からやり慣れてる組み手がいいと思ってよ」
身体を鍛え直しているのは確かにSDCの為でもある。だが、鍛えている一番の理由はコウを倒す事。
凛を生き返らせるという願いを何よりも優先するのは変わらない。
鍛えている一番の理由はコウを倒す事で、何よりも優先するのは凛を生き返らせる事。これだと矛盾しているように思える。
凛の方を優先しているのに、鍛えている一番の理由がコウを倒す事だから。
しかし、これは正しい。恐らく……いや、俺の考えだと高確率で、SDCで願いを叶えるには――――。
「咲月先輩?」
「ん、あぁ、どうした?」
「どうしたは咲月先輩ですよ。急に黙ったりして」
どうやらちょっと考え込んでしまったらしい。会話中に考え込むなんて失礼な話だ。
「あー、悪い悪い。暑さのせいかボーッとしてた」
そういや今日はジュースを二口程飲んだだけで、ちゃんとした主食と言える物は食べていない。朝も抜いて学校に来たからな。
「最近、特に暑いですからね。気を付けないとすぐ夏バテになりそうで……」
沙姫は制服の胸元を掴んで、バサバサと服の中に風を通す。暑いのは分かるが、女の子が人前でそんな事はするもんじゃないぞ。
「あ、話がズレちゃいましたね。組み手ですけど、私で良ければいいですよ」
「本当か!」
すんなりと沙姫からOKが出た。
「はい。テストも終わって暇ですから。それに、テスト勉強で机に向かいっぱなしでしたから、私も身体を動かしたいですし」
両手を前に伸ばしながら、沙姫はアハハと笑っている。
いやぁ、助かる。身体を動かすって言っても、ただ走るだけと組み手じゃ全然違う。
組み手をやっていれば、それに必要な筋肉が自然に付くし、なにより人と本気では無いにしろ戦り合えるのが大きい。
相手のクセ、動きの流れ、攻め守りの読み。それらに対応する為の動体視力と運動神経、そして見切る観察力と判断力が養われる。
ランニングじゃあ、いくら頑張っても体力が付くだけ。体力だったら組み手をやってれば嫌でも付く。
それにただ走るだけのランニングと違って、組み手は動きっぱなしだ。
しかも、相手が居て、その相手の動きに応じて対処しなければならない考えずに走るのと考えながら動き回るのだと、体力の消耗が段違いだ。
「じゃ、いつなら空いてる?」
本当ならなるべく早く勘を取り戻したいから、出来るだけ早くやりたい。
だけど、俺の勝手な頼みを聞いてもらうんだ。組み手に付き合ってもらうだけでも十分過ぎる。
だったら、日にちぐらいは沙姫に合わせないと。こっちの都合で迷惑はかけたくないからな。
いや、まぁ、組み手に付き合ってもらう時点で既に迷惑をかけているんだが……。
「そうですねぇ……今週の土曜日はどうです?」
今週の土曜か。今日は木曜だから……って事は明後日!?
そりゃ出来るだけ早くがいいとは思ったけど……こんなに都合良く話が進むと、なんか怖いな。
「俺は全然いいけど、沙姫はいいのか? テスト明けの休日なのに遊びに行ったりしなくて」
テスト明けの休日って言ったら、友達と溜まった鬱憤をパーッと晴らす為に遊びに行くもんだろ。
「いやー、遊びに行きたいのは山々なんですけどねぇ……悲しい事に相手がいなくて」
後頭部を掻きながら苦笑いをする沙姫。
「あ? 教室にいる友達と遊びに行く計画を立てたりしてたんじゃねぇの?」
親指で沙姫の教室の方を指差す。
「いえいえ、あの二人、彼氏いますから。友情より恋愛を優先されちゃいました」
沙姫は苦笑いの次は大きい溜め息を吐く。
ありゃ、それはまた可愛そうに。友達のデートにくっついて行って一緒に遊ぶ、なんて出来ないもんな。
しかし、沙姫には悪いが俺には有難い結果になってくれた訳だ。
「友達想いのいい奴等じゃねぇか」
笑いながら軽く皮肉る。
「じゃ、土曜日に頼むわ」
「はい、解りました。あ、時間は何時頃に来ます?」
「あー、そうだな……」
朝っぱらから行くのは迷惑だろうし、なんだかんだで午前は寝てるだろうからな、俺。
「午後二時ぐらいに行くわ」
もし起きて午前から行ったら、沙夜先輩に昼飯を出されそうだからな。
昼過ぎから行けば、それは回避出来る。行く度に飯をご馳走になる訳にはいかない。
「二時ですね、了解しました」
いやぁ、なんか本当トントン拍子で話が進んだなぁ。しかも、いい方向で。
以前、白羽さんが『自分が思っている以上に、世の中はうまく出来ている』なんて言っていたのを思い出した。今なら少し、その言葉に納得出来る。
「そんじゃ土曜日、よろしくな」
話したかった事も話したし、さっさと退散しよう。雑談の途中だったから沙姫も早く戻りたいだろうし、待たせている友達二人にも悪い。
「あ、そうだ。咲月先輩」
歩きだそうとした時、沙姫に呼ばれて足が止まる。
「ん?」
「ちょっと聞きたいんですけど、咲月先輩は何を貰ったら嬉しいですか?」
急になんだ? いきなり貰って嬉しい物って言われてもなぁ……。
「なんでそんな事聞くんだ?」
「あのですね、教室に居た友人の彼氏がもうすぐ誕生日らしいんです。それで何をあげたらいいか、って話してて」
あー、それで放課後の教室で話をしていたのか。話題が彼氏の事で、沙姫だけ彼氏がいないってのは可愛そうな気がするが。
でも、沙姫なら作ろうと思えば作れるだろ。彼氏を作ろうって気を出して、尚且つ面倒臭がらなければな。
「なるほどね。つっても、貰って嬉しい物ねぇ」
考えてみるものの、何一つ貰って嬉しい物など思い浮かばなかった。長い節約生活のせいか、何かを欲しがるという物欲が薄れたのかもしれない。
本当に欲しい、または必要だと思う物しか買わないからな。
「悪い、なんも思い付かないな。彼女から貰うんならなんだって嬉しいんじゃねぇの?」
だからと言ってシャーペンの芯とか、チョッパチャップスとかをあげたら彼氏はブチ切れるだろうが。
「んー、そうですかぁ。男性の意見を聞けば少しは参考になるかと思ったんですけど……」
「すいませんね、役に立てなくて」
俺ぁそこら辺の学生とは違い、毎日身を削って生きてるんでね。そうホイホイとなんでも欲しがったり出来ねぇんですよ。
「そんじゃ、これ以上友達を待たせるのは悪いからな」
「はい。それじゃ土曜日に」
教室のドアの前まで沙姫と歩く。
んじゃ、と軽く手をあげて別れようとした時に、一つ欲しい物が頭に浮かんだ。
「あ、沙姫。欲しいモン一つあった」
「え? なんですか?」
教室に入ろうとしていた沙姫が振り向く。
「毎日特売やってるスーパー」
こんなモンを欲しがるなんて……本当、貧乏学生に染まってるなぁ、俺って。
「アハハ、それだったら私も欲しいですよ」
それに沙姫は共感して笑う。
こんな事を言って笑ってくれるのは、沙姫も自分で買い物に行ったり自炊をしているからなんだよな。
親と一緒に住んでる奴には『何それ?』って冷めた顔をされて終わりだよ。自炊している者同士だからこそ解るネタだ。
その冗談を最後に沙姫と別れて、一年廊下を歩く。階段あたりで沙姫の教室から大きな笑い声が聞こえてきた。どうやら雑談が再開されたらしい。
「笑っている話のネタが俺だったりしないよな……?」
少し不安になって一度振り返って廊下を見る。
自分の知らない所で、自分をネタに笑われるってのはあまりいい気がしない。それに、自分が何をした訳でもないのに恥ずかしく感じたりする。
あの先輩格好良かったねー、なんて話なら全然構わないが、俺はそんな話をされる程出来のいい人間じゃない。
なんてったって、欲しい物で毎日特売をやってるスーパーと言う学生だ。そんな学生を格好良いなんて言わねぇってのな。
「ま、いいや。帰ろ」
頭を掻きながら階段を下りていく。上がる時と比べ、下りる時は楽だ。
実際には上る時の方が疲れはするけど、筋肉に負担が掛かっているのは下りる方なんだよな。下りる際に全体重が足に掛かる、とかで。
ちゃっちゃと下駄箱で靴を履き替えて校舎から出る。
沙姫と長く話し込んだ訳でも無い為、時間も大して経っていない。携帯電話を取り出して時間を確認してみると、まだ二時半にもなっていない。
ふむ、時間があったから沙姫と組み手の約束をしに行ったはいいが、どっちにしろ時間は余ってしまった。
「はぁ」
なんか、疲れているでもないのに溜め息が出た。
昇降口前に立っているのもなんだし、学校にはもう用は無いので足は校門へと向かう。
真っ昼間なだけあって、凄まじい暑さだ。一日で一番気温が上がる時間帯は午後二時からだっけ?
そんなのを小学校の時に理科の授業で習った覚えがある。直射日光との相乗効果で暑さはさらに倍。ジリジリと肌が焼けるようだ。
このまま部屋に帰っても暇だ。だったら、一度候補に上がった古本屋で立ち読みをしてから帰るか。
暇がありすぎるってのも困りもんだな。




