一
1
警察の事情聴取を終えて多加志はキャンプ場に帰ってきた。
事情聴取は時間の割に疲労感の溜まるものだった。現場が燃え尽きてしまったので、警察は状況が分からない。多加志たちの証言に頼らざるを得ないので、質問も細かく、重複するものになった。それでも、現場が立ち入りできるようになってからまた詳しく、ということで解放された。
「あれ? 今村は?」多加志を見て丹田が尋ねた。
「いや、ちょっと、色々ありまして。従兄の家に泊まることになったんですよ」
「はあ? なんだそれ。キャンプの意味ねえじゃん」
「まあ、そうなんですけど。仕方ないんですよ。なんと言うか、事故に巻き込まれて、医者にまでかかったんで、テントで寝るのはきついかなと」
提案したのは近野である。明日香は大丈夫だと言ったが、近野が心配していたので多加志もその後押しをした。
「ふーん。何があったん?」
「いや、まあ、ちょっと……」
「いやとか、まあとか、ちょっととか言いすぎだぞお前。もっとはっきりと喋ろよ。で、何なのよ」
「いや、まあ」また言ってしまった。「詳しいことは話せないですよ。何か、言いふらしたら駄目みたいで」
「誰に言われたんだよ?」
「まあ、ちょっと」
「しゃあねえな」丹田は舌打ちした。「部長にも言っておけよ」
「あの、丹田さん、言っておいてくれません?」
「はあ?」
「ちょっと、色々ありすぎて疲れました……」そう言って多加志はふらふらとテントへと入り込んだ。
「おーい。まだ五時だぜ?」
2
「保川君」その呼び声で多加志は目を覚ました。
直感的に辺りが薄暗いことがわかった。ピントのぼけた目を擦ると、目の前に高山がいた。
「……おはようございます?」いったい今何時だろうか。
「今は夜だよ」高山は笑っている。「電話だよ」
「電話?」
「ああ。センターにかかってきたのを古村さんが取ってくれた。近野さんって人から」
「あ。ありがとうございます」多加志はまだボケ気味の体を起こして、センターまで行った。
事務室に入ると古村がいた。今日はこちらにいるらしい。
「保川君?」
「はい」
「近野君から電話があったよ。長くなりそうだったから掛け直すって言ったんだけど。ちょっと待ってね」
古村は受話器を取って番号をプッシュする。
「あ、近野くん? 保川君が来たから。今替わるよ」
古村が受話器を差し出す。
「ありがとうございます」礼を言って多加志は受話器を取った。
「もしもし?」
『あ、保川君? オレオレ』
「事故にあったからお金を振り込んで下さいとか言わないで下さいよ。それに、今はそんな手口使いませんよ。もっと巧妙です」
『悪い悪い。近野だよ』
「こんばんは。どうしたんです?」
『今から来れる?』
「……はい?」
『あ、来れる? じゃあさ』
「いやいや。今の『はい』は聞きなおしただけですって! 何ですか急に。もしかして今村さんがどうかしたんですか?」
『その明日香が、来いってさ』
多加志は何となくため息をつきたくなった。とりあえず、シャワーを浴びて汗を流してからにしようと思った。
3
指示された道を行き、近野の部屋のある公営団地に着いた。白い壁に黒の屋根。一階建てで部屋が横にいくつもある。長屋のような建物だった。
なんとなく、彼は実家に暮らしているのだと思っていたが、どうやら一人暮らしのようだ。
インターフォンを押す。近野が出てくるものだと思っていたが、扉の向こうにいたのは明日香だった。
「やあやあ、保川君」明日香が笑顔で迎える。
「お邪魔します」
部屋に入ると知らない人物がいた。だが、誰なのかは服装でわかった。
「乾さんですか?」多加志は聞いた。彼は警官の制服を着ていた。
「あ、はい。どうも、はじめまして……」
見たところ三十台半ばのようだが、体の華奢な感じといい、話し方といい、どことなく頼りない。昼間、明日香の言っていたことが頷ける。
リビングの真ん中にはテーブルがあって、近野と乾が座布団を敷いて座っていた。部屋の角にはチューナーが取り付けられたブラウン管テレビが置いてあって、夕方のニュースが流れている。
「で、これは何の集まり?」多加志は首だけ後ろを向いて、ニコニコ微笑んでいる明日香に尋ねた。
「情報交換をしましょう、の会」
「……えっと?」
「会館が燃やされてしまったから、現場を知っているのはここの四人だけなの」
「それで?」
「だから」
「……いや、よくわからない」
「特に意味はないの。ただ、お互い見落としがないかとかを話し合おうよ、ってこと。あと、警察の動向は乾さんが知ってるし」
「あ、いえ、その。そういうのはちょっと立場上……」
乾は眉をひそめ、頭をかいている。その行為が頼りなさに拍車をかける。
「いいじゃないですか。僕らの仲じゃないですか」近野が言った。
いったい、どういう仲なのだろうか。少なくとも変な仲でないことを祈る。
「うーん……。絶対人に言わないでくださいよ?」年上であるはずの乾の方が立場が下に見える。
「それじゃあ、始めましょう」明日香が多加志の分の座布団を持ってきて、多加志はそれの上に座る。
四人はテーブルを囲んで座った。明日香だけ座布団よりも弾力のありそうなクッションに座っていた。
多加志は事情をつかめなかったが、関係なしに始まるらしい。仕方なく無理矢理納得して、話に参加することにした。
「まずおさらいから。京太君」
「えと、八時半ちょっとすぎに又野のばあさんから電話がかかってきた。会館が開いていないという話だったんだ。本当は開館は九時からだから問題はなかったんだけど、ばあさんは八時半にいつも来ていたから開けておくんだ。いつものことだよ。で、九時頃明日香たちと合流した」
「私たち三人が会館に着いたのは九時二十分頃。正面玄関は鍵が掛かっていたよね。そこから中に入って、それから裏口を確認した。そこは開いていた、と」
「で、俺一人で二階に上がって、実習室で三輪さんを見つけた。ああ、気持ち悪くなってきた」
「確かにあれは酷かったですね」乾が泣きそうな表情で言う。「一面血だらけで、その……。三輪さんの首が切断されていたんですから。僕、あれからほとんど物が喉を通らなくて……」
「あれだけ血が飛んだってことは生きたまま首を切られたってことですよね」乾の悲壮な表情をあまり気にせずに明日香が尋ねた。
質問の内容も重いものだったため、乾は追い討ちをかけられたように表情を落とした。見るからに気が重そうな表情で彼は答えた。
「はい。たぶんそうかと」
「よく、そういうこと平気で言えるね……」多加志は眉間に皺を寄せて明日香に言った。
「私は九時半頃に近野君から連絡を受けまして、現場にたどり着いたのが十分後くらいでしょうか。それから状態を確認して一度駐在所に戻りました。十時前には本土の警察に連絡を取りました」
「その間、誰かに会いましたか?」
「いえ、特には……。あ、定食屋の三木さんとすれ違いましたが」
「どっち?」
「親父さんの方です」
近野は舌打ちした。「娘さんが美人なんだ」
「話を戻しましょう。乾さんは駐在所へ、京太君と私は正面玄関前。で、保川君はトイレ」
「言わなくていいよ」
「保川君が戻ってきてからしばらくして、私は二階の様子を見に行った。そこで犯人に首を絞められた」
「何で二階に行ったのさ?」
「それは後で。まず状況確認。はい、保川君」
「えっと、今村さんがなかなか戻らないから、近野さんと一緒に様子を見に行こうとしたら、焦げ臭い匂いがして、見たら二階が燃えていた。で、何とか今村さんを運び出して診療所に連れて行った。これで終了かな」
「たぶんね。これが基本情報。乾さん、補足を」
「え、あ、はい。現場のスプリンクラーが作動しなかったところを見ると、火災報知器が切られていたようです。それと、現場からは焼死体とその頭。焼け方が酷くて身元の確認できていませんが、私たち四人が三輪さんであることを確認しています。最後に、西田さんの行方がわかっていません。警察としては彼が犯人だと考えているようです」
「……そんなことする人じゃないと思うんだけどな」近野は俯いた。
「自分しか疑われない状況で、そんなことするかな?」明日香は腕を組んで考える。
「逃げちゃえば関係ないよ。現に捕まってない」
「この島で隠れれる場所なんてたかが知れてるし、島の外に出たのならすぐにわかりますよね?」彼女は乾に尋ねた。
「定期便ならすぐわかりますし、漁船が一つなくなっていたら、やっぱりすぐわかります。ゴムボートじゃ本土までたどり着けませんよ。西田さんは島から出ていません」彼は頷いて答えた。
「西田さんが犯人であろうとなかろうと、問題点は二つ。なぜ被害者の首が切断され、かつ、、なぜ首が残っていたのか。それとなぜ犯人は会館に火をつけたのか」
「首はあれだよ、ミステリーでよくあるやつ。読まないからあんまり知らないけど」近野が言った。
「ミステリーで首を切断する理由はいくつかあるよ。けど今回は当てはまらないものが多いな。ね、保川君?」
「ミステリー初心者に聞かないでよ」
「基本は被害者誤認かな? まあ、科学技術が発展してきたから今は使えないけど」
「いや、もっと噛み砕いてくれないとわからない」近野が手を上げてストップをかけた。
「一つは単純に被害者の身元を隠すっていうこと。犯人って基本的に被害者の関係者だから、被害者が誰かをわからなくするってわけ。もう一つは、殺された人が実は違う人だったということ。首を持ち去ったりして誰だかわからなくするの。服装を違う人とかにして誤認させたりね。そうすることでアリバイを作ったり、極端な例で言うと被害者が実は犯人だった、ってふうにもできるの」
「はあ」近野は気のない返事をした。あまり理解していないらしい。
乾を見ると、彼もよくわかっていないようで、呆けた顔をしていた。多加志はそのくらいなら知っていたので、とりあえず黙っていた。
「今は使えないっていうのは?」
「指紋でわかっちゃうじゃない。それで手足も切断するっていう手法が出てきたけど。今度はDNA鑑定が登場しちゃって。そもそも今回は首が残されてるから、違うけどね。他には、凶器の特定を防いだり、大掛かりなのだと死体移動に使ったりするよ」
「死体移動って何よ?」
「首だけ使って、その人が生きているように見せかけるとかかな。体全部だと重いから、首だけで下は人形。遠目に見せておいて、アリバイを稼ぐ、みたいな」
「そもそもさ」近野が首をかしげながら言った。「ミステリーの方法を現実に当てはめるってどうよ?」
もっともだ、と多加志は思った。そもそも、この場合、確かに不思議な状況ではあるが、何の役に立っているのかさっぱりわからなかった。
「けど、犯人はミステリー的シコウの持ち主だと思うよ」
「think? それともlike?」多加志は思いつきで言った。
「think」彼女は即答した。やはり彼女は頭の回転が早い。
「たぶん、犯人はこの島で殺すにはそれしかないと判断したんだと思う。一番いい殺害方法っていうのは、ミステリーみたいな密室トリックやアリバイトリックじゃなくて、犯罪の痕跡を残さないことでしょ?
けど、こんな小さな島で死体を隠したって、すぐにいなくなったことが知られちゃうし、島を出ていないこともわかっちゃう。そうすると捜索が始まって、比較的早期に死体が見つかって、死亡推定時刻や何やらから条件が絞られてきて最終的に自分に行き着いてしまう。
自殺や事故に見せかけるっていう手もあるし、そっちの方が現実的だけど……。状況・環境によってはそっちの方がリスクが高くなったりするんじゃない?
だから、こんなまどろっこしい方法をとっているんだと思うの。だけど、問題は……」
彼女は一度言葉を切り、多加志を見つめた。彼は自分に話を振っているということに気づくのにしばらくかかった。ミステリー研なのだから、それくらい考えろということか。
しばらく考えて、一番しっくり来る表現を思いついた。
「現場の不可思議な状況に対して、何が犯人の身を守っているのかがわからない」格好良く言ってみた。
「そう。不思議なのは、どうして首が切断されていたのかということと、どうして火をつけたかということ。さらに言えば、なぜ首が残されていたのかということも。三つのうちどれもが犯人を守れていない。
別に密室トリックになっているわけでもないし、アリバイトリックになっているわけでもない。ましてや、火をつけたことで、その時間のアリバイを消してしまった」
「今村探偵の見解は?」
「まだわからない。けどヒントはたくさんある」
「例えば?」
「首を切断したこと、そして首を残したこと、火をつけたこと、これも立派なヒントだよ。それに、部屋のエアコンが全開だったこと。それと私を生かそうとしたこと」
「エアコンって? それに明日香を殺そうとしたんじゃないか」
「一つずつ答えるよ。まず、私は現場を見たときに何かの違和感を覚えたの。それが何だか確かめたくてもう一度見に行ったら、エアコンが全開だったの。開館前だったから、犯人がつけたものとしか考えられない」
「前の日に消し忘れたのかも」近野が言った。
「昨日の担当は誰?」明日香は悪戯っぽく笑った。
「あ、俺だ」
「でしょ? 京太君が消し忘れたのでなければ、つけたのは犯人か、三輪さんか、西田さん。だけど、被害者はつける必要がないし、西田さんも、というか彼が犯人かもしれないけど、つける必要がない。意図はわからないけど、つける必要があったのは犯人だけ」
「じゃあ、生かそうとしたっていうのは?」
「正確には『どちらでもいい』という感じだったんじゃないかな。死んでもいいし、生きていてもいい。火をつけるのに邪魔だったから気絶させただけで、何かまずいものを見られたというわけじゃない。本当に殺そうとしたら、実習室で死体ごと燃やすはずだもの」
「でも中途半端にする意味は?」
「時間の問題じゃないかと思うの。時間がなくて、気絶させただけで放っておいた。別に計画に支障は出ないから、生きていようが死んでいようがどっちでも良かった。
案外、首が持ち去られていないのも時間の問題だったのかもしれない。本当は持ち去りたかったけど、私たちが来てしまったから、どうにもできなかった。
とりあえず、身を潜めて、火だけはつけようとしたところに、私が来てしまった。というところかも。すると、あの状況は犯人の計画とは違うのかもしれない。だから一見意味がなさそうに見えるのかも」
「じゃあ、元々の計画は?」
「わからない」明日香は首を振った。
「焼死体を西田さんだと思わせたかったんじゃないの?」我ながら意外といい線ではないか、と多加志は思った。
「それなら燃やすだけで十分じゃない? 顔もわからないし、たぶんあれだけ損傷していればDNA鑑定も無理だし。首を切断する意味がない」
「ああ……」多加志は俯いた。だが、また新たな案が浮かぶ。「じゃあさ、燃やす気はなかったんだよ。犯人は西田さんで、首を切断して自分だと思わせて。見られちゃったから燃やして……って、あれ? これじゃ駄目だ。DNA鑑定で一発だ」
「そう。だいたいね、時間帯がおかしいんだよ。人が来そうな時間帯を選ぶ理由がわからない」
「西田さんが会館を開けるまで待つしかなかったんじゃないのか? で、人が来ないように正面玄関は閉めておいた」
「それなら、会館である理由がわからないよ。犯人が西田さんじゃないなら、リスクが高まるだけだもの。そう考えると、犯人は西田さんに罪を着せたい、もしくは西田さんも殺そうとしたということになるよね」
「既に殺されているってのが現実的だよな……」
近野はうなだれる。職場の上司が殺されたかもしれないと考えると、そうするしかないだろう。
「とりあえず、場合分けは二つ。西田さんが犯人の場合と、そうでない場合。どちらにしても西田さんが今どこにいるかが問題になるけど、彼が犯人でなかった場合、やはり殺されているというのが妥当かもしれないね。うーん、詰みかなあ。これ以上はまだわかんないや」彼女はそう言って後ろ手をついて体勢を崩した。
多加志はふと壁の時計を見た。
「うわ……もうこんな時間」時計の針はかろうじて日を跨がないところを指していた。
これからキャンプ場に戻ったら、確実に日を跨ぐだろう。それでもほとんどの部員は談話に興じているのだろう。それともさすがに二日目は疲れて眠ってしまっただろうか。
「どうする? 君も泊まるかい?」近野が尋ねた。
「いえ、大丈夫です」多加志は帰ろうと立ち上がる。
「いいのかい? 結構歩くだろ。時間も遅いし」
「ええ、まあ。でも星を見て帰りたいんで」多加志は微笑んだ。
彼女も笑っていた。