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離島と推理の正味 Show me your mystery  作者: 春谷公彦
一章 取り留めもない出会い
2/20

     1


 さて、どうしてこうなったのだったか。

 少年、否、すでに青年か。保川多加志は回想する。

 身長は百七十センチにギリギリ届くかどうか。目は細く、いつも寝ているように見える。高校生の時には、真面目に授業を聞いていたのに本気で居眠りを叱られた事があるというのは余談ではあるが、彼はそれから特に自分の目が嫌いになった。

 整髪料を使っているのか、寝ぐせなのか良く分からないようなボサボサな頭。運よくどちらにしてもそれなりに見える。言ってしまえばそれなりに見えてしまうような中途半端な容姿だ。人間、中途半端が一番無難だ、という事を彼はモットーにしている。

 容姿だけでない。勉強も運動も今まで目立った事がない。一応野球部という、クラスの注目を浴びるような部活動に所属していたが、控え選手でやはり目立つ事はなかった。日本中の人間を集めて平均値を取ったら、ほとんどの分野において自分がその平均に位置するのではないかと思ってしまうほどだ。

 彼は今、船の上にいる。不規則な規模で、それでいて規則的な間隔で襲う波が船体を揺らし、それがひどく不快な気分にさせた。船酔いしてしまわないか心配だった。

 だが、百歩譲ってそれだけなら良い。船とはそういうものだ。そういうものなのだから受け入れてしまうしかない。世の中には受け入れがたいものは山ほどあるが、これはどちらかというと受け入れやすい部類に入るだろう。

 むしろ、雲ひとつない空、そこを翔けるカモメ、澄んだ青色をした海に、潮の香り。それらが、人工物に囲まれて汚れていく自分を浄化してくれるようで、その点においては気分が良い。

 さて、どうしてこうなったのだろうか。

 彼はもう一度考える。

 一番のネックは金銭的な問題と、それに釣り合わない自分の意志だ。著しく減った通帳の残高を思い出して、ため息が出る。

「どうしたの? ため息なんかついて」

 人ひとり分離れて同じく海を眺める少女、今村明日香が尋ねる。そのひとり分のスペースが妙に寂しい。

 少年に対し青年があるのに、少女に対する言葉はないのが不思議だ。おそらく集合論的には少年に少女は含まれるし、青年に女性も含まれるのだろう。男尊女卑の歴史背景が伺える。

 しかし、今はどうでも良い。話をもとに戻そう。

 すべての原因は彼女にある、と押しつけて解決してしまいたかった。ただ、そうする事は断じてできない。彼女は何もしていないのだ。自分を誘っただけ。行くと決めたのは自分自身だった。彼女に責任転嫁するのは一番最悪な行為だ。そのくらいはわきまえる事ができる。

 とはいえ、やはり気が進まないのは事実である。

 どうしてこうなったのか。三度目の自問。

 それは数ヶ月前、四月まで遡る。


     2


 多加志は大学の敷地の広さに圧倒されていた。広い。その一言に尽きる。南北の長さにして駅三つ分の広さは伊達ではない。全国でも稀に見るような大きさのキャンパスである。

 彼の服装は真新しいグレーのスーツ。今日の入学式のために買ったものだった。二つボタンで、上だけ留めている。何でもそれが基本らしい。ならば下のボタンの存在価値とは何だろうか。彼は少しそれを考えて、すぐに止めた。あまりにも不毛だったからだ。

 ネクタイは黒に細い白のラインが入っている地味なもので、彼の控えめな性格が見て取れる。革靴も、最近流行りらしい、先の尖ったものではない。

(何か、気後れするなあ……)

 厳しい受験戦争を乗り切り、なんと背伸びまでして、ギリギリではあるが志望より一つ上のレベルの大学に合格する事ができた。もっともそれは、入学してから劣等生コースまっしぐらである事を容易に想像させるものだった。

 彼は一人だった。今現在の状況が、ではなく、この大学に友人がいないという意味だ。友人たちはみな違う大学に行ってしまった。もちろん高校の同級生は何人かいるものの、友人と呼べるような人は運悪くいなかった。見た事がある、という程度の人がほとんどだ。それならば、他校の野球部の人間の方がまだわかる。それでも、やはり話した事はないし、控え選手だった自分など覚えられてはいないだろう。

 そういう点で友人を作れるかどうか彼は不安だった。彼は四月が嫌いだった。今まで時間をかけて安定させてきた周りの環境を、時間という区切りだけであっけなく破壊してしまうのだ。そして、時間はそれを修復してはくれない。壊すだけ壊して、どこかに行ってしまうのだ。それが終われば、かの有名な五月病を手土産に五月がやってくる。全く持ってこの季節が嫌いだった。

 壊された環境を新しく再構築するにあたって、一番手っ取り早いのは部活・サークルに入る事だ。しかし、野球を再びする気は起きなかった。

 中高六年間、青春を注ぎ込んだ野球は自分にその才能が(並みの才能すらも)ない事を露呈するだけに終わった。せめて少年野球をやっていれば、と思わなくもなかったが、時間は戻ってくれない。

 野球がそんなものだから、他のスポーツはもっての外である。とはいえ、文化系の部活・サークルなど未知の領域である。

 やはり、野球しかないのだろうかと思わなくもない。しかし、やはりやる気は起きない。情熱を母校のグラウンドに忘れてきてしまったようだ。

「それにしても……」彼は呟いた。

 周りには人が大勢いるが、どうせ聞こえてはいない。独り言を言ったところで誰も不気味がらない。

 何せ、驚くほど騒がしいのだ。

「アメフト部です!!」

「剣道部、お願いしまーす!」

「文芸サークルです」

「けいおんでーす!」

 入学式を終えた一年生を待っていたのは上級生による部活動の勧誘活動だ。

 敷地が広ければ学生も多い。学生が多ければ部活・サークルも多い。サークルが多ければ、勧誘も過激だ。三段論法のようになってしまったが、全くもって真である。

 あっという間に彼の両手は勧誘のビラでいっぱいになった。なぜだか飴玉がついているものまである。こんな物で釣ろうというのだろうか。

 上級生はビラを配るだけでなく新入生をあらゆる手段で取り込もうとしている。異口同音の文句で誘っているが、少なくとも「俺んとこ来ないか?」は古すぎると多加志は思った。

 大学の中で一番大きな道路。ここはいつもなら車が徐行せずに通ることのできる広さだが、今は勧誘に一心不乱な上級生と、戸惑いの隠せない新入生でごった返しているため、車は通ることができないような状態である。

 もちろん多加志も困惑し、なかなか動くこともできず、かといってその場に留まることもできずにうろうろする羽目になっていた。

 とにかく落ち着こうと、彼は道路の脇のベンチに腰掛けた。三台続きになっていて、向かって一番左に座った。ここに留まりたくないのだろうか、ベンチには目もくれない人ばかりだ。だが、上級生は逃げようとする新入生を逃がすまいとしているので、むしろここにいた方が安全だった。

「どうするかな……」多加志は呟く。

 それにしてもついていない。別段友人の少ない可哀そうな人間であるわけではないと自分では思っている。だが、入学してみれば、友人は皆無だったというこの状況。

 探せば、中学時代の友人は見つかるだろうか。だいたいこの大学に入りそうな学力を持った友人の検討はつくが、生憎携帯電話なる文明の利器を手に入れたのは高校生になってからだったため、連絡先はわからない。デジタルネイティブと呼ぶにはあまりにも遅咲きだった。

 どちらにせよ、新しい友人は作らなくてはいけないだろう。別に作らなくてはいけないわけではないが、その場合の四年間を想像すると、何とも味気ないものになってしまう。

 彼はとりあえず、もらった部活勧誘のビラをめくってみた。

 まず、運動系は除外。野球以外にできるスポーツがない。何せ、野球部であったにも関わらず、中高六年間で「5」の成績を取った事がない。それどころか「3」を取ることさえあったのだ。野球が好きだったからこそ続けられたものの、結果はついてこなかった。そんな自分が他のスポーツなどできるはずがない。

 軟式野球サークルという手もあるが、それは真っ先に消去した。野球をするなら、それこそ四年間を野球に注ぐくらいのものが欲しい。だらだらと野球をするなど考えられない。

 もちろんそれは主観の話であって、他人に対してはそうではない。むしろ軽い気持ちでも野球を始めて、野球を好きになってくれれば、と願う。

 今思えば、野球以外に何もやってこなかった。こうしてビラをめくってみても、心惹かれるものがない。文芸、軽音、ミステリー研、吹奏楽、茶道、囲碁・将棋、写真……。

「ああ、疲れた!」

 活発な声が聞こえたので思わず多加志はそちらを見た。

 隣のベンチに女子三人組が腰掛ける。正確には二人が腰掛け、一人が向かい合うように立っている。元気よく声を出したのはショートカットでいかにも体育系の女子だ。

「すごい勧誘だよね」苦笑しながら腰掛けるのは長髪で眼鏡の、端的に言えば文化系のおとなしめの女性。

 そして、残るはセミロングに少しウェーブをかけ、くどくない程度に茶色い髪の女。彼女が立ったままで会話をしている。目はぱっちりと大きく、鼻も適度に高い。かつて流行ったようなアヒル唇ではないけれど潤いのある唇。

 綺麗だ。彼はそう思った。

 一目惚れではないと思う。言うならばテレビでお気に入りのアイドルを見つけたような、別次元の憧れだ。

「二人はもうサークル決めてるんだっけ?」彼女は笑顔で語りかける。

「うん。だから、この勧誘、うざったくて」ショートの女が肩をすくめて言う。

「私はまだだなあ。けどこの勧誘はちょっとね……」先ほどと変わらず苦笑いする長髪の女。確かにこの勧誘は疲れる、と多加志も心の内で同意する。

「明日香は? どうせもう決めてるんでしょ?」ショートの女が呆れ顔で尋ねる。何か会話の中に呆れる要素があっただろうかと彼は考えるが、思いつかず、彼女の嗜好による物だと結論付ける。

「もち」明日香と呼ばれたセミロングの女が笑顔で頷いた。

「全く、呆れるよ。明日香みたいな女の子があんな趣味があるなんて」ショートの女が目を細めて言う。先ほどから長髪の女は苦笑いのままだが、フォローはしない。

「いいじゃない、別に」明日香は頬を膨らませて拗ねた表情を作る。

「あ、そう。ご勝手に。さて、私はバレー部でも見てくるかな」彼女は立ち上がった。

「私は、どうしよう。いろいろ見て回るよ」

「じゃあ、ひとまず解散だね。あとでメールするよ」

 明日香がそう言うと三人はそれぞれ別方向に散っていくようだった。明日香が立ち上がると、反射的に多加志も立ち上がった。

(いや、ちょっと待て)

 自分は何をしているのだろう? と自問。これではまるでストーカーではないか。それでも彼女が歩き出すのを見て、彼も少し離れて歩き出す。完全にストーカーだ。

 ただ、彼女と知り合いになりたいだけだ、と言い聞かす。そしてすぐにそれがストーカーの心理だと気付き嘆息が出る。

 せめて彼女が入ろうとしているサークルだけは確認しておこう。そうすれば、後々何かがきっかけで彼女と知り合いになれるかもしれない。

 大通りを工学部棟のところで曲がると、細い小道を通っていく。周りは木々が生い茂っており、じめじめとしている。それでも人通りは少なくなく、この先に何かがあることが観察できる。それならば、もっと道を整備すれば良いのにと彼は思った。

 曲がりくねった道を行くとやがて分岐があり、脇道の方に野球場があった。そこで、多加志は一瞬立ち止まる。哀愁じみたものを感じたが、彼女を見失ってしまうのですぐに歩き出した。見失ってはいけない理由はないが、歩き出した。

 道を戻り先に進むと、道の両側に様々な運動場が見える。サッカー場、ラグビーかアメフトかと思われるグラウンド、それに陸上トラック、よくわからないがそこにいる上級生を見る限りラクロスではないかと思われるグラウンドもある。彼女は運動系の部活に入るのだろうか。

 その先には大きな建物があった。壁の所々にひびが入り、黄色く色あせている。お世辞にも立派とは呼べないが、三階建てで横にも広く、大きさに関してだけはそれなりだった。

 玄関の庇屋根には「サークル会館」の文字がある。彼女はそこで立ち止まった。入り口には上級生と思われる数人の学生と、新入生と思われる多数の学生がごった返していて、勧誘合戦を繰り広げている。グラウンドからは運動系の部活の勧誘の声が届いてくる。

 先ほど飽きるほどもらった勧誘ビラにやたらと「サークル会館」という場所が出てきた。どうやらここのことらしい。察するに文化系のサークルがおおよそ入っているらしい。

 突如、彼女が振り返り、多加志と目が合う。

「こんにちは」彼女は微笑む。

「あ、こ、こんにちは」不意に話しかけられたため、どもってしまったがなんとか返事をする。

 それにしても、見ず知らずの他人にいきなり話しかけるとはなかなか度胸がある。そう思っている自分が消極的なだけだろうか。おそらく後者だろう。

「君、もうサークルは決まってるの?」

「え?」

「だって、真っすぐにここに向かって来たんだもの」

 彼は周りを見渡してみる。他の新入生(スーツを着ているのでわかりやすい)は目線を様々なグラウンドに走らせ、ゆっくりと歩いている。いろいろと吟味しているようだ。

 それに対して彼はよそ見をせずに(彼女目がけて)ここまで来たのである。だが、その事は口が裂けても言えない。ストーカーの汚名を着るのはまっぴらである。違うともはっきりとは言えないが。

「変わってるね、君」答えに窮している多加志を見て、彼女はくすくすと堪えるような笑いを漏らす。

「初対面の人にいきなり道端で話しかける君の方が変わってると思うけど」

「人間、みんな最初は初対面だよ」

 この彼女の言葉で彼は彼女が変わっているという印象を深めた。

「なんで僕に話しかけてきたの?」

「目が合ったから」

 彼はさらに彼女に対する印象を深める。とても不思議な女の子だ、と思う。

「で、決まってるの?」

 彼女の質問で彼は再び窮地に立たされる。単純に、決まっていないと言えば良さそうだが、彼女には通用しないような気がした。

 彼は脳内からビラの映像を呼び出す。その中で部室がこのサークル会館であるものを抽出する。

 ……無理だ。そんな記憶力はない。思い浮かんだ数個の内もっとも無難なものを口に出す。

「……別に決めたわけじゃないけど、ミステリー研究会とか?」

 言ってしまってから、果たして無難だったのだろうかと不安になった。しかし、彼女の反応でその懸念は一気に拭われた。

「え? ほんとに?」彼女は目を見開く。心なしか嬉しそうである。「私も、ミス研に入ろうと思ってたの!」

「へ!? へ、へえ、そうなんだ……」

 ややこしいことになってしまった。彼女が選びそうになかったものを選んだつもりだっただけなので、実のところミステリーなど読んだことがなかった。どうやって切り替えそうか。「入ろうっていうか、興味があるっているか、これから興味を持つって言うのかな? つまり、興味はあるけど読んだことがない」

「大丈夫だよ、きっと。ああ、良かった! ほら、ミステリー研究会ってマイナーな部類じゃない? だから、新入部員が私だけだったらどうしよう、とか考えてたの」彼女は笑顔で手を胸の前に添える。ほっと胸を撫で下ろす、という仕草だ。

 それにしてもやはりミス研はマイナーなのか、覚えておこう。野球ばかりやっていると、こういうところで弊害が出る。

 本当に野球しかしてこなかった割には得たものが少ないな、と彼はため息をついた。

「どうしたの?」彼女が不思議そうに聞く。

「いや、何でもない」多加志は苦笑する。

 さて、どうしたものか。このままではミステリー研究会に入るはめになってしまう。断るならば今しかないだろう。

 しかし、ここで断ったところで他に入る部・サークルのあてはない。それにミス研ならば、彼女と知り合いになれる。厳密にいえばすでに知りあっているが。つまり、親しくなれる。何とも不純な動機だ。

 しかしそれも一興か。

「ほんと、君って不思議だね」

「僕は君の方が不思議だと思うよ。話しかけておいて、名乗らないところとか」

 かく言う多加志は名乗られるまで名乗ったことはない。お互い名前も知らずに三ヶ月が経ったなどと言うことも少なくなかった。

「あ、ごめんごめん」彼女は口に手をあてて言った。「私、今村明日香。よろしくね」

 彼女は右手を前に差し出す。随分仰々しいなと思ったが、多加志はその手を取って握手した。

「保川多加志。よろしく」

 これが、彼と彼女の出会いだった。

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