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離島と推理の正味 Show me your mystery  作者: 春谷公彦
八章 尽きない期待/地に伏す犯人
19/20

     1


 朝起きると明日香がいた。彼女は昨日と同じように窓際の一人掛けのソファに足まで座面にかけて、体育座りをするような格好だった。ただ、顔を体に埋めていた。

 多加志はまず、身なりを確認した。浴衣ははだけていない。それから彼女に声をかけようか迷った。彼女はまだ多加志に気が付いていない。

「あの……今村さん?」結局多加志はそっと彼女に声をかけた。

 彼女はびくっと弾かれたように顔を上げた。その顔はとても弱々しく、先生に怒られた小学生のようだった。

「あ、おはよう……保川君」その声も消え入りそうな声だった。

「おはよう」とりあえず多加志は挨拶を返した。「どうかしたの?」

「あの……」彼女は立ち上がった。

 何か言おうとしているようだが、躊躇っているようだ。

 彼女のこんな弱々しい部分を見たのは初めてかもしれないと思った。ここ数日は彼女の強い一面しか見ていなかった。彼女の中でリバウンドでも起きたのかもしれない。もしくは、天秤にかけるようにバランスを取っているのかもしれない。

「ごめんなさい!!」彼女はほぼ直角と言っても良い角度で深々と頭を下げた。

 多加志は状況がつかめなかった。まず、自分が彼女に謝られているという事態を理解するのに時間がかかった。そして、謝られる理由を考え始めるのにも時間を要した。彼の思考は帰省ラッシュの高速道路のようにゆっくりだった。理由を考え始めた思考はいつまでたっても答えにたどり着かないでいた。

「何かあったっけ? いや、とりあえず、頭上げてよ」

「昨日……、怒って、そのまま帰って、保川君を追い出しちゃって」

「ああ、そのこと。怒ってないよ全然」

 多加志は微笑んだ。そうでもしないと彼女が泣き出すのではと思ったからだ。

「本当に?」

「本当に」

「怒ってない?」

「怒ってない」彼は山彦のように彼女の問いを繰り返した。

 どうすれば彼女が元に戻るだろうか。放っておいても元に戻るかもしれないが、それまで放っておくのが大変だろう。

「怒ってないからさ、事件のこと話してよ。犯人、わかったんでしょ?」

「話したら、許してくれる?」

 その言葉に多加志は吹き出した。悪戯を黙っていた子供が言う台詞みたいだった。

 彼女はキョトンとしている。どうやらいつもの推理モードは完全にオフになっているようだ。

 少し多加志の悪戯心が働いた。

「許さないよ」多加志は言った。

「え?」彼女の表情が凍りついた。

 多加志は黙って彼女の目を見つめた。彼女の目は泳いでいて、不安げだ。少し瞳が潤んでいる。まあ、いいだろう。

「許すも何も、僕は最初から怒ってないし、怒ってないから僕には許す権利がない。君を許す権利を持っているのは君だよ。君が自分を許せば、万事解決さ」

「何それ?」彼女は少し笑った。

「今、少し自分を許したね」多加志はゆっくり頷いた。


     2


 多加志は朝食をとった。明日香はすでに食べてきたようだが、コーヒーを飲んだ。彼女はそれでいくらか元気になった。コーラが動力源の漫画キャラを思い出した。

 その後、島を歩くことにした。ここ数日歩きっぱなしだが、それ以外にすることがなかった。旅館にいても良いが、天気が良いのでもったいなかった。

 会館近くの公園まで来た。キャッチボールを指導した公園だ。二人はその時と同じベンチに腰かけた。子供は一人もいない。散歩をしていたのか、老夫婦らしい二人組いたが、入れ替わるように出て行った。

「じゃあ、話してよ」多加志は言った。

「何を?」明日香はすでにいつもの調子だった。

「事件のことだよ」

「わかった。話したら許すね」彼女は言った。

 その言葉の主語も目的語も彼女だろう。先ほどの多加志の言葉を踏まえているらしい。

「それじゃ、何回もしたけど、状況の確認から」

 彼は頷いた。

「最初、私たちが死体を発見したとき、それは中央にあって、周りは真っ赤になっていたよね? それを見て京太君に乾さんを呼びに行ってもらって。私が現場の様子を見に行ったら、首を絞められた」

 彼女は手のひらを多加志に向けた。続きを話せということらしい。完全に元に戻っている。

「えっと、近野さんと玄関前にいたんだけど、君が戻ってこないから様子を見に行こうとしたんだ。そしたら二階の窓からガラスが降ってきて、見上げたら炎が噴き出していたんだよね。それで焦って二階まで行って、君を抱えて出てきた。そういえば、君が部屋の外にいた理由ってまだわかんないよね」

「それは置いとく。で、てっきり三輪さんが殺されたんだと思ってたけど、焼死体の位置が違っていた。さらには後で滝の方で三輪さんの死体が発見された。後から焼死体は西田さんだと判明した。はい、ここからわかることは?」

「わかんないから警察も手を焼いてるんでしょ?」多加志は肩をすくめた。

「本当に何もわからない?」

「何をわかれって言うのさ? 僕らが見てない内に犯人は被害者を入れ替えたってこと?」

「そう、それはいつか? 言わずもがな私の首を絞めたときだよね」

 多加志は「言わずもがな」なんて言葉は普通使わないな、と思った。

「それしかないよね。……って、よく考えたら、犯人は僕らが玄関にいた間に今村さんの首を絞めて、死体を入れ替えて、建物に火をつけたってこと? 僕らって相当間抜けじゃないか」

「仕方ないよね。気が動転していたし、会館に人を入れるわけにもいかなかったから外で門前払いもしなきゃいけなかった。もしかすると犯人の思惑通りだったかもね。逆に良かったんじゃない? もし気づいてたら、殺されてたかもよ?」

「それは君の話だ」

「さて、問題の焼死体は本来の位置とはずれていた。これが意味するところはなんでしょう?」彼女は多加志の忠告を無視して続ける。

「僕はもうすでに諦めてるよ」考えることと、彼女を説得することと。

「だらしないなあ。冷静に考えればわかるのに。その焼死体が三輪さんじゃないことはいずれわかる。三輪さんの死体はあえて晒したから。そうとしか思えない。これもヒントだった。つまり、犯人は被害者が入れ替わったことを示したかったわけだよ」

「いや、そうなの?」多加志は首を捻った。

 もはや、単位を落としそうな授業と同じくらいついていけなかった。前期の成績発表は九月になってからだ。急に気になった。

「うーん、まだわからないか。じゃあ、これはどう? 三輪さんの死体は必要だった。西田さんの死体は必要なかった」

「……え? ちょっと待って。それ、いつか考えた気がする」多加志は目を瞑って考えた。

 記憶を遡る。そして大きく息を吐いた。

「ああ、駄目だ。全然見当違いの推理をしたときだ。近野さんが犯人って考えたときだよ」

「それはどういう推理?」

「えっと、鍵は本当は開いていて、乾さんが殺した。それを朝のうちに僕らに目撃させておいてから、三輪さんの死体を移動する。西田さんは殺される計画だったかはわからないけど、鍵が開いていることに気付いたはずだし、それで殺された。で、いろいろと証拠が残ってるだろう現場を死体ごと燃やしちゃった。で、三輪さんは入ることのできない時間に殺されていたから、不可能犯罪になる、かな? 君の言葉を借りれば密室だけど」

「そう、そこまではいったんだよね。三輪さんの死体は必要だった。でもそれは不可能犯罪のためじゃなくて、アリバイ作りのためだったんだよ」

「アリバイ? どうして? どうやったってアリバイにはならないでしょ。朝に建物を燃やしにまで来てるんだよ?」

「朝のアリバイは確かに消えてしまった。けれどすべての犯行のアリバイが証明される必要はないよね。確かにすべての犯行にアリバイがあるのが一番望ましいけれど、どこか一か所にでもアリバイがあれば、犯行は不可能になる。そのアリバイを作るために朝のアリバイを潰したの」

「それはわかるけどさ、三輪さん殺害が何でアリバイになるの?」

「会館で被害者は入れ替わった。三輪さんの死体は必要だった。そして、何より一番重要なのは、入れ替わったときに、死体の場所が違ったことだよ。つまり、入れ替わったことを強調してる。『さっきまでそこに死体がありましたよ。けど、それは今は入れ替わって、別のがこっちにありますよ』ってことを言いたいわけ」

「……もうさっぱり」多加志は両手を挙げた。

「いいの? もう、かなり核心に近いけど」

「いいよ、もう」多加志は首を振った。

「犯人が一番警察に思わせたかったのは『三輪さんがここで殺された』ってこと」

「思わせたかった? ……あっ!?」

「気が付いた? 犯人はあの場所で三輪さんが殺されたように見せたかった。だから、西田さんの死体をずらして別物であると強調したかったんだよ」

「三輪さんはあそこで殺されてない……?」

「ご名答。三輪さんは前日の八時前後に別の場所で殺されたの」

「じゃあ、あの血は……、西田さんの?」

「そう。犯人は鍵なんて必要なかった。西田さんが開けた後で入っただけなんだよ。犯人は西田さんを気絶させるか何かして、あの場所で生きたまま首を切断した。西田さんの血は噴水みたいに噴き出してあの部屋を真っ赤にしたの」

 多加志は想像しただけで吐き気がしてきた。

「そして、一時的に西田さんの死体を隠して、今度は三輪さんの死体をあの場所に置いた。こうすれば、三輪さんがあそこで殺されたように見える。犯人は西田さんとあの血を関連付けられたくなかったんだよ。だからずらした」

「けどさ、西田さんの死体を燃やす必要はなかったんじゃないの? だって、犯人の意図がどうだったかは別にして、僕らは西田さんの焼死体が三輪さんだと勘違いしたよね。西田さんの焼死体が三輪さんだと勘違いすることに利点はないし、西田さんは朝八時くらいまでは目撃されてるから、死亡推定時刻がわかろうが関係ないよね」

「そこは犯人も迷ったと思う。けど、犯人はできるだけ長い間、あそこに三輪さんの死体があったと思わせたかったんだよ。つまり、火事の直後から死体がないことがわかったら、何らかのトリックがあったと早い段階で勘ぐられるから。けど、あの血が西田さんだと思われたくない。だから、中間的な案、つまり燃やすけど位置をずらす、っていう結論になったんじゃないかな」

「まあ、理屈はわかったけどさ、そんなの実際にできるの? 三輪さんの死体をどうやって運んだのさ」

「知らない。少なくとも犯人は車で三輪さんを運んだ。一つの例としては、あのお寺前の道までね。そこからはどうとでもできる。スーツケースに入れたのかもしれないし、大きめのスポーツバッグに入れたのかもしれないし、もしくは大胆におぶっていったかもしれない。引きずったかもしれない。でもそれなら跡が残りそうだから違うかもしれないけど。どれにしたって、それほど長い距離じゃないから」

 多加志はその道を明日香をおぶって歩いたのを思い出した。そのときは苦ではなかった。確実に三輪は明日香より重いだろうが、彼女が言うのを聞いていると確かに方法はいくらでもあるように思えた。

「私が一番近いと思っている答えは、あっちの通りじゃなくて、真夜中に会館前まで堂々と車で来て、裏の林に隠しておいた、だけどね。真夜中なら表に出てもそれほどリスクなく手軽に運べる」

「ああ……。確かに、それっぽい」

「本当は首なし死体じゃなくてバラバラ死体にしたかったんだと思う。その方が運びやすいから。けど、三輪さんはともかく、西田さんのときはそんな時間はなかった。首のない死体のカテゴリに入れちゃったのが遠回りだったね。

 まあ、いいや、話を続けるよ。私たちが死体を目撃した後、三輪さんの死体を回収、西田さんの死体を置いて、火をつけた。……いや、火をつけてから回収だね。これなら一回の移動で済む。手際よくやれば十分くらいじゃないかな。

 けど、私たちの後に乾さんも来ることを予想はしていただろうから、かなり待ったことになるね。私がもう一度見に行ったときもまだ死体は三輪さんだったから。というより、ちょうどその時に犯人は仕掛けに来たんだよね。それで私が首を絞められちゃった」彼女は少し笑った。

「笑いごとじゃないよ……」多加志は嘆息を出す。「さっきも言ったけど、殺されてたかもしれないんだよ?」

「けど、私だけだから助かったんだよ。もし、みんなで見に行ってたら、全員殺されていたかもしれない。犯人からすればかなり悪いケースだけど、トリックの痕跡がバレるよりはいい」

「君、ちっとも反省してないね」

「私が部屋の外に放置されたのは、もちろん時間の問題もあった。顔は見られてない、というか目出し帽かぶってたしね。だからばれる心配はない。だから構っている時間はない。そういう理由。けど、一番はたぶん、万が一私が助かってしまったときのことを考えたんじゃないかな?」

「さっきは構ってる時間はないって言ったじゃないか。助かってもいいんじゃないの?」

「そうじゃないよ。殺そうとした場合は確実に殺さなきゃいけなかった。つまり、一緒に燃やそうとして、助けが入るのが一番厄介。多加志君に気付いていたかは別として、京太君がいるのには気づいていただろうから」

「何がそんなに厄介なの?」

「血だよ」

「血?」

「そう、血。西田さんの血」

「あっ、そうか。あの部屋に飛び散っていた血が三輪さんのものじゃないってわかったらまずいから、君の衣服に付くのが嫌だったんだ。じゃあ、滝で見つかった三輪さんが服を着てなかったのも?」

「同じ理由だよ。そうそう、血で思い出したけど、エアコンが全開になっていたのは、乾かそうとしたんだろうね。後から死亡推定時刻が出たときに、発見者が『血が固まっていなかった』なんて証言でもされたらたまったものじゃないからね。完全に苦し紛れではあったけど」

「どうだったっけ?」

「そんなの気が動転してて覚えてないよ」

「だよねえ」

「後は三輪さんを回収。このときは確実に林を通っただろうね。そして、わざと見つかりやすい観光地に三輪さんを捨てて、終了。大筋はこう。このトリックなら、密室が証明されてなくても、血がアリバイを証明してくれる。特殊な例だと思うよ。身の保身のためには死亡推定時刻がわからなきゃいけない。けど、発見からの工作が肝だから、警察の初動は遅らせないといけない。こういう離島だからこそのトリックだね」

「で、犯人はだれなの?」

「私は、最初、役場の人間は外した。というよりも役場の人間以外も対象にした。鍵は必要ないからね。けど、会館という閉鎖された空間……密室と呼ぶにはあまりに杜撰ではあるけど、その内側にもう一つ閉鎖された空間があったわけ」

「そんなところあったっけ?」

「では、ここでクエスチョン」

「クエスチョンだらけだよ」

「西田さんの死体はどこにあったでしょう?」

「そりゃ、部屋の隅っこでしょ?」

「その前。あの部屋に三輪さんの死体があった頃」

「えっと、どこか別の場所?」

「それを聞いてるの」

「えっと……」多加志は答えられない。

「第一発見者が先に西田さんを見つけてしまったらどうする?」

「計画がおじゃんだね」

「だから、絶対に見つからない場所に隠すしかなかった。けど、それはどこ? いちいち外に運んで林の中に? 無謀だよね。ただでさえ時間がないのに。じゃあ、どこに? 別の部屋に隠したんじゃ先にそっちを見られるかもしれない。だとすれば可能性は一つ。鍵のかかった倉庫しかない」

「倉庫、倉庫……確か二階にあったね」

「普通、倉庫は関係者以外が入らないように鍵がかかってる。ということはその鍵はどこにある? たぶん会館の事務室だろうね。さて、あれだけ時間に追われているのに勝手知ったるように一般人がそこまでできるか? 答えは否だよね。つまり、やっぱり関係者は役場の人間になる」

「で、犯人は?」

「わからない」

「え!? ここに来てそれ?」

「正確には、私たちは条件に合う人を一人しか知らない。けど、他に条件のあう人がいるかもしれないってこと。役場の人間で、車を持っていて、犯行時刻の午後八時前後にアリバイのある人物」

 多加志は考えた。けれど、そもそも役場の人間は二人しか思いつかない。一人は近野。彼は車を持っていない。残るは――。

「え?」

 多加志は信じられなかった。別にその人物が身近な人間だったからではない。むしろ縁遠い人物だ。けれど、信じられなかったのはそのアリバイだ。

「古村さん……?」

「そう。三輪さんは私たちがご飯を食べて花火を楽しんでいるときに、キャンプ場のセンターのシャワールームで殺されたの」

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