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離島と推理の正味 Show me your mystery  作者: 春谷公彦
六章 終わらない謎/水に浮かぶ死体
15/20

     5


「鍵を掛けてないってことは絶対にない!」近野が怒鳴った。

「もちろんです。僕も近野さんが犯人だなんて思っていません」乾は弱々しくもはっきりと言った。

「だとすると、そのあと犯人が開けたことになりますよね。鍵は、役場ですか? セキュリティは?」興奮気味の近野に気後れしつつ、おいて行かれまいと多加志は尋ねる。

「鍵は役場にしかないよ。セキュリティは……良いとは言えない。けど、絶対に無理だ。だってあの日は俺は八時まで残業してたんだから。課長だっていたからアリバイはあるし、他のやつだって無理だ」

「鍵の場所にもよるんじゃないですか?」

「鍵は窓際の壁に鍵庫があって、そこにしまってるんだ。ほら、俺の席、窓際だから来るやつがいたら絶対わかる」

「けど、トイレとか行ったでしょう?」

「いや、そもそも会館を閉めたのが五時。このときに正面玄関を閉めた。で、そのあといろいろ作業をして、俺が出たのが六時。ここで裏口も閉めた。絶対にだ。役場についたのは六時半で、その頃には課長しかいなかった」

「じゃあ、課長しか無理ですね。だとすると……スペアキーとかないですか? あっ、というか近野さん自身があの朝、スペアキーを使ったじゃないですか」

「俺が一昨日の夕方に鍵を戻したときはスペアもあった。で、朝出るときはスペアしかなかった。西田さんが持っていったんだ。それ以外に鍵はない」

「うーん。どうやって中に入ったんだろう? どう思う?」多加志は隣の明日香を見た。

 先ほどから一言も発していない。下を向いて、禅問答でもしているように黙りっきりだ。

 やはり彼女は答えない。だが、代わりに首を横に振った。彼女でさえお手上げだということだ。

「でも、言いたくはないですけど、どちらにしても鍵は役場にしかないんですから、犯人も……」

「だから、役場の人間だって無理だって」

「合鍵を作ったってことは?」

「この島で合鍵を作ればすぐにわかる。警察だって調べてるだろ」

「うーん……」多加志は腕を組んで考えた。「島の外で作れば……」

「いくらセキュリティが万全じゃないって言っても、そんな長時間目的もなしに持って行かせるほど怠慢な仕事してないよ」

「そう、ですよね……」

「あのう。あまり遅くなると怪しまれると思うんで、この辺にしませんか?」

 遠慮がちに乾が言い出す。時計を見るとそれほどの時間ではなかったが、夕食もまだ食べていない。仕方ないことだった。

「明日香は泊まっていくの?」近野が尋ねると彼女は頷く。「保川君はどうするの?」

「あ、警察の人が旅館を手配してくれたんで」

「旅館? 吉田さん? 宮野さん?」

「えっと、吉田さんの方です」

「ああそう。あそこは温泉がいいぞ」近野は無理に笑ったように見えた。


     6


 多加志は近野の家を出た後、警察で用意してくれた旅館へと向かった。あわよくば乾が車で送ってくれないだろうかと考えたが、彼は自転車だった。しかも仕事用らしい。 

 仕方ないので歩いて向かった。

 警察が用意した、ということは警察もその旅館に泊まるのではと考えた。居心地が悪くならないだろうかと思ったが、彼らはまだまだ仕事中のようで、しばらくは快適に過ごせそうだった。

 和風の旅館で、歩くたびに木造の床がギシギシと音を立てるほどのものだった。だが、近野の言っていた通り、温泉が心地良かった。一日にあった嫌なことを汗と一緒に流してしまえたような気がした。

 夕食も食べ終え、多加志は畳の上に敷かれた布団の上に倒れこむようにしていった。浴衣と布団というのは相性が良いらしい。ボリュームたっぷりの布団のふかふかの感触が薄い生地を通して感じられる。

 しかし、火照ったからだが冷めていくにつれて、負の感情が体中を覆っていった。

 反発しない綿が多加志の体重を支えれずに沈んでいく。負の感情の分だけ体重が増えているのだろうか、などと思ってため息が出る。

(死亡時刻は夜八時……)

 自然と事件のことを考える。それは事件が起こったときよりも自分が容疑者に近づいていっているからかもしれない。

 最初は他人事のようだった。それは自分が犯人ではないと知っていたからだ。あくまで自分は第三者で、事件に関わってはいけないことだという認識があった。

 だが、他人からどう見られているかというのは考えていなかった。今思えば、警察が自分たちを島に留めたのも、発見者としての証言が聞きたかったからではなく容疑者として逃がさないためだったのかもしれない。

 こういった思考になるのは明らかに明日香の言葉が要因の一つだろう。彼女は最初からそのことを理解していたのかもしれない。だからこそ必要以上に首を突っ込んだのかもしれない。それは考えすぎだろうか。

 さらに思考を事件のものへと移行させていく。

 普通に考えれば犯行は不可能だ。六時には鍵が掛けられ、その唯一の鍵は少なくとも八時まで安全万全だったのだ。

(……本当にそうだろうか)

 鍵は近野が持っていた。ならば、彼ならばできる。当然のことだ。仮に鍵が鍵庫にあったとしても、鍵を掛けなければ良いだけの話だ。

 彼とは縁もゆかりもない。

 ただ、明日香の従兄だったというだけだ。彼女にとっては昔からの付き合いなのだろうが、自分にとってはたったの三日だ。近野京太という人物を全く知らない。彼をかばう理由はどこにもない。

 だが、彼に犯行は不可能だ。彼は八時頃までアリバイがある。

(……ちょっと待て)

 死亡推定時刻はあくまで八時「頃」だ。誤差が三十分ほど。仕事を切り上げた後に急いで犯行を行えば……。

 駄目だ。それではアリバイが崩れてしまう。それに、死亡推定時刻の誤差は予測できないだろう。下手をすれば、自分が犯人だと言ってしまうに等しい事態になることだってあり得る。

 彼には犯行は無理だ。ならば、彼が鍵を開けておいて、誰かが代わりに犯行を行ったとすれば?

 鍵の開閉が可能だったのは近野だ。つまり、疑われるのは彼だ。彼にアリバイを作れば誰にも犯行は無理、という結論になり他者は疑われない。

 二件目はどうだろうか。これも近野に犯行は無理だ。朝八時頃に西田が会館についてから犯行を行い、九時頃に自分たちと合流するのは不可能に近い。そもそも役場の人間に気付かれる。

 とすれば、これも共犯者の犯行だろうか。だが、これでは共犯者のリスクが高すぎる。これが、相互にアリバイを確保しあうものならば納得はできるのだが。

 もしかして、共犯者という関係よりも、主犯と協力者という関係なのかもしれない。

 近野は鍵を開けておいただけ、残りは主犯の仕事。そうすれば幾分か筋が通る。近野にはアリバイもできる。

 会館に火をつけたのは何故だろうか。どうして三輪の死体だけは移動させたのだろう。

 少し考える。すぐに思い当たる。

 三輪の死体が燃えてしまっては近野のアリバイが崩れる。このトリックは夜に犯行が行われたということと、近野にしか犯行ができなかったことの二点が不可欠だ。

 だから、リスクを犯してまで三輪の死体を移動させたのだ。わざわざ観光スポットに捨てたのは死体の発見を早めるため。時間がたてばたつほど死亡推定時刻はわからなくなっていき、アリバイが崩れてしまう。

 火をつけたのはなぜだろうか。火をつける必要がなければ、三輪の死体を移動させる必要はない。何かを隠滅したかったのだろうか。だが、この推理だと、特に目立つ証拠は残らない。

(……違う)

 昔の古典ミステリー小説とは違うのだ。明日香が言っていたではないか。今は科学技術が発展してきたと。昔はわからなかったことがわかるようになってきた。

 証拠を残したくなかったのだ。指紋、毛髪、皮膚、唾液……。現場を残しておくこと自体がリスキーなのだ。焼いてしまえば残らない。

 三輪の死体が裸だったのもそういったリスクを最小限にするためだろう。水辺に捨てたのも、あわよくば証拠が洗い流されていけば、というものかもしれない。アリバイに必要な三輪の推定死亡時刻だけは必要だった。それ以外はすべて消し去ってしまいたかったのだ。

 四大元素なんてやはり関係なかったのだ。見立て殺人などではなかったのだ。

 問題は共犯者、もとい主犯だ。

 すぐ浮かんだのは乾だ。二人は歳も離れているのに仲が良い。彼のアリバイはどうだろうか。

 夜のアリバイはわからない。だが、調べればすぐわかるだろう。

 朝は? 死体を発見して駐在所に連絡して彼がやってきて、駐在所に戻り本土へと連絡した。彼に犯行が行えただろうか。

 さらには、明日香の首を絞めて、会館に火をつけなければいけないのだ。

 かなり難しい。だが、難しいからこそ実行したのかもしれない。そうでなければ簡単に疑われてしまう。

(ケータイだ)

 仕事に来た西田を殺害した後に、一度駐在所に戻る。仮に戻れなかったとしても同じだ。

 乾に連絡したのは近野だ。彼の携帯電話にかければ良い。この島でも携帯電話が使えるのは自身が証明済みだ。

 その後、駐在所に戻る振りをして携帯電話から本土の警察に連絡を済ます。その後で裏の森林から再び戻って処理をする。予想外だった明日香も首を絞めて気絶させる。

 そう言えば、この犯行は目撃者がいなければならない。そうでないと三輪の犯行が不可能だったことを示せない。近野、乾以外の第三者の目撃者も欲しいところだ。

 だが、自分たちは完全なる偶然の目撃者だった。近野に訪ねる時間を言わなかったし、そもそも一日やそこらで考えた計画ではないだろう。

 しかし、答えは簡単に浮かぶ。毎朝会館に訪れるという老婆だ。確か、又野といったはずだ。

 本来彼女が目撃者になる予定だった。だが、突然の来訪者で予定を変更せざるを得なかった。

 全て筋は通る。

(……いや、まだだ)

 切断された首の謎が残っている。しかし、これこそが見立て殺人なのかもしれない。

 もしかすると、この島にはそういった伝承なり、童話なりが残っているのかもしれない。

 何かのメッセージ。それ以外にわざわざ手の込んだことをするだろうか。つまり、殺された二人はこの島に関する何かを破ったのだ。

 人の心は脆い。簡単に神を信じられる。簡単に幽霊を思い込める。

 脆い、それ故に強い。信じられるから、それを否定する何かを拒絶する。思い込めるから、それを批判する何かを無視できる。

 それと同じ。首を切断するというメッセージが島民に対する強烈な警告になっていてもおかしくはない。

 ふと部屋の襖がノックされて多加志はビクッと震えた。恐る恐る返事をする。

 だが、冷静に考えて、何に怯えているのだろうと自分に呆れる。

「多加志君? 近野だけど」

 心臓が跳ね上がる。震えたのは虫の知らせだったのだろうか。

「どうぞ」

 襖がゆっくりと開けられ、近野が部屋へと入ってくる。夕方のときと同じ服装だった。そして、手ぶらだった。

「や、ごめんね」

「どうかしたんですか?」

 かつてないほどに心臓が脈打っているのがわかる。全校生徒千人の前でマウンドに立ったときよりもはるかに鼓動が大きい。

 本能で生命の危機を感じ取っているのだろう。

(気づかれちゃいけない)

「いや、ちょっとずっとおかしなこと続きだったからさ。疲れてるのかな? だからひとっ風呂浴びようかなって思って。言ったろ? ここは温泉がいいって」

「ええ、気持ちよかったです」

 多加志は笑おうとしたが、顔が引きつっているのが自覚できた。上手く笑えているだろうか。

「明日香も来てるよ。もう入ってるけどね」

「近野さんは入らないんですか?」

 近野の何かに違和感を覚える。

「うん? 入るよ、これから」

「近野さん、その格好で来たんですか?」

 多加志は違和感の正体に気がつく。

 彼は夕方のときと同じ服装、ネクタイを外したYシャツにスラックス、着崩してはいるものの、明らかに仕事の服装だった。

「……駄目かな?」

「入浴道具はどうしたんです? そんな格好で帰るんですか? 着替えは? どこに置いてきたんですか? 更衣室ですか? それだったら引き返して僕のところにまで来ないですよね」

「おいおい、どうしたんだ? 落ち着けよ」近野はうっすらと笑っている。

「近野さん、一昨日は会館の鍵を閉めましたか?」

 やや沈黙があった。

「閉めたって言っただろ。どうしたんだよ急に」

「昨日の朝、乾さんに連絡するとき、どこにかけましたか? 駐在所ですか? それとも彼の携帯電話ですか?」

「……ケータイだけど」

「なぜです? 知ってたんですか? 乾さんが駐在所にいないことを」

 再び、しばらく間があった。

「はっきり言ったらどうだい?」彼の目は冷たかった。

「あなたが鍵を開けておいた。乾さんが殺した。そうじゃないですか?」

 沈黙。

 静寂。

 先ほどよりも長い間だった。

 ややあって近野の口元が吊り上がった。多加志の背中に悪寒が走る。

「正解だ」

 近野の右手にはいつの間にか鉈が握られていた。

 それの切れ味は数日前に薪割りで体験していた。

 入り口は彼に塞がれている。せめて、と対角線上に距離を取る。だが、この狭い部屋だ、近野はじわじわと距離を詰めていく。近野は入り口から離れたが、対角線上に位置していたので、入り口からは遠い。彼を掻い潜って逃げることができるだろうか。

 近野がいきなり間合いを詰め始める。避けようとするが浴衣の裾を自分で踏んでしまってその場に倒れこむ。

 何と呆気ない。

 背中に衝撃が走る。どうやら近野が馬乗りになってきたらしい。

 力ずくで押しのけようと体を捻る。うつ伏せから仰向けにはなったものの解決にはなっていない。

 近野の鉈が首を目掛けて振り下ろされていた。

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