一
1
三輪昭仁の死体はこの島の数少ない観光名所である滝の下で見つかった。発見したのもこの島を訪れる数少ない観光客であった。
第一発見者の話によると、先に見つけたのは胴体の方だったという。といっても遠目であったために最初はよくわからなかったらしい。何かが水面に浮いている、その程度の認識ではあったが、大きさがそれらしかったこともあり、もしやと気味悪がりながらも近づいて確認しようとしたところで死体であると、さらには首がないことも確認したようである。
その時点で気は動転したものの、彼らは警察へと連絡した、ということらしい。
多加志と明日香は熊代に連れられて現場までやって来た。
ゴツゴツとした数十メートルもある崖から落下する水は豪快な音を立てて水面へと衝突する。飛び散る水飛沫が光を反射して神秘的なことこの上ない。さらには涼しげなここの雰囲気が先ほどのうだるような気候を忘れさせてくれる。
わざわざ滝などを見に行ったことのなかった多加志だったが、なるほど、悪くないと思った。
ここが他殺体の発見現場でなければ、という条件がつくが。
ある者は水の中へと入り、ある者は地面を這い蹲り事件に役立つ証拠がないかと躍起になっていた。乾もその場にいたが、何をして良いのかわからないといった感じで居心地が悪そうにしていた。
傍らにはビニールシートに覆われた何かがあったが、考えるまでもなく答えは明らかだった。
「あ、京太君……」
少し離れたところに近野が青い顔で立っていた。その表情を見る限り、既にビニールシートの中身を見たのかもしれない。
「一般人にこういったものを見せるのは忍びないんですけどねえ」苦笑いを浮かべて熊代はシートの端を掴んだ。ゆっくりとそれを引き上げて、顔が完全に見えたところでその手を止めた。
多加志はうめき声を上げて目を逸らしそうになった。だが、隣の明日香が、女の子が冷静な手前、何とか堪えた。それにしても彼女の毅然とした態度には違和感すら覚えてしまうほどだった。
「間違いないですかね?」
「ええ、間違いありません」彼女は断言した。
「はい、多分そうだと……いえ、そうです」多加志は曖昧に答えようとしたが、それはそれで問題がありそうだと思い、言い直した。
「……参ったな。これで四人全員が断言してしまったよ」
「もちろん、首は切断されていたんですよね?」彼女は問う。
逆に、くっ付いていたら驚きだ。
「ああ、そうですよ」
「服は? どんな服装だったんですか?」
彼女がそう言うのを聞いて、多加志は昨日の光景を思い出そうとした。しかし、思い出されるのは赤く染まった現場と切断された首だけだった。その印象が強すぎて遺体がどんな服を着ていたのかは思い出せなかった。しかし、現場を思い出したせいで嘔吐感が沸きあがってきた。
「いえ、着ていないんですよ。彼は素っ裸で発見されたんです」
明日香は眉をしかめる。
しばらく彼女は黙りこんだ。
「どのあたりで発見されたんですか?」やがて再び質問した。
「あんまり年寄りを困らせないで下さいよ。ペラペラと喋るわけにもいかないんですよ」
「警部はまだ若いじゃないですか」
「おだてたって何も出ませんよ。……仕方ないなあ。あのあたりに引っ掛かるようにして浮かんでいたんですよ。首もですよ」熊代は川下の方を指差した。
滝が落ちてくる場所のため川の流れは速いが、熊代が指を差した場所はくぼみのようなところで、フックのようになっている。そこに物が流れ着いたら川下に流されていくことはなさそうであった。
「町民会館で殺された男が全裸で滝の下で見つかる、か……。次は土の中かしら」
「え?」
最後の一言はおそらく熊代には聞こえなかっただろう。隣にいた多加志ですら微かに聞き取れた程度なのだから。
「うーん、今村さん。考えるのはいいけど、警察の邪魔はせんで下さいよ」やはり熊代には聞こえなかったようで、その点には触れずに、彼は頭をボリボリとかくと少し睨むようにして彼女に言った。
「あ、はい。気をつけます」
これも今朝の「気をつけます」と一緒だと多加志はわかった。
「明日香」先ほどまで青かった近野が近くに寄ってきた。よく見るとまだ表情は青ざめている。「一体どういうことなんだ……」
「京太君、大丈夫?」
「ああ。だけど、気味が悪い」彼はかぶりを振った。
「皆さん。わざわざありがとうございました。わけのわからん状態ですけれどね……。お疲れのようですから、今はお帰りいただいて結構ですよ。まあ、たぶんまた話を聞くことになりますけど」
「じゃあ、そうさせてもらいます。仕事もありますから」
「京太君、大丈夫?」
「大丈夫だよ」
そう言い彼は去っていった。その姿は決して大丈夫なようには見えなかった。
「私たちも行きましょうか」彼女がそう言うのに対して多加志は頷いて答えた。「それじゃ、熊代警部、失礼します」
熊代は片手を挙げるだけで返し、第一発見者と思われる年配の男女の下へと歩いていった。
2
食堂への道すがら多加志は彼女に尋ねた。
「ねえ、さっきのはどういうこと?」
「どういうことって?」彼女は首を傾げる。
「土の中で、って何?」
「ああ、それ? 大丈夫、何でもないから」彼女は首を横に振った。
何が大丈夫なのかは多加志にはわからなかった。
「それより、気をつけたほうがいいかもね」
「え? どういうこと?」
「そろそろ熊代警部は四人共犯説を考え始めると思うよ」
「え、いや、ちょっと。どういうこと? わけがわからない」
「わけがわからないからだよ。現場の状況は不可解なことでいっぱい。さらには現場を見ていると証言しているのは私たちと京太君、乾さんの四人だけ。わけはわからないけど、四人で口裏を合わせているって考えるかもよ?」
「僕らは犯人じゃない」
「私たち二人は、ね」
「それってどういうこと?」
「この五分で『どういうこと』が四回も出たよ」明日香は何がおかしいのか笑った。「少なくとも私たち二人は犯人じゃないというのが明確だっていうだけ。それは私たちが私たちが犯人じゃないって知っているから。私は京太君や乾さんが犯人じゃないって思っているけど、彼らが犯人じゃないって知っているのは彼らだけだからね」
「相変わらず小難しいことを言うね、君は」
「そうかな?」
「そうだよ」多加志はため息混じりに言う。
「まあ、何にせよ。私たちは立派な容疑者の中の一人なんだよね。その内に監視とかついたりして」彼女は笑ったが、多加志はどう頑張っても苦笑いすらできなかった。
「さ、着いた着いた」
気がつくと食堂の前まで来ていた。左腕の時計を見ると既に二時を回っていた。入り口の窓ガラスにある営業時間表記を見ると午後三時までとなっているので、まだ営業中である。
そんな中邪魔をして良いのだろうかと後ろめたい気持ちが残る。
そんな多加志の心中を察する様子もなく明日香は中へと入っていく。
「いらっしゃいませ……ああ、さっきの」
彼女はテーブルを拭いていた。客は今はいない。
「ごめんなさい。営業中ですよね」
「うーん、大丈夫。お客さんが来たらそっちに行くけどいいですか?」
「ええ、もちろんです」
多加志たちは端のテーブルをあてがわれ、彼女が水を持ってきてくれた。歩き回って疲れていたので、多加志は半分まで一気に飲んでしまった。
彼女も多加志たちと向かい合って座った。
「あ、すみません。自己紹介がまだでしたね。今村明日香と言います」
「保川多加志です」
「三木瞳です。よろしく。島のことについて聞きたいって言ってましたけど、何で私に?」
「近野さんから話を聞きまして。美人でいい人だって言うから、話しやすいかなって」
明日香がすらすらと言う。多加志は聞くに徹している。
「あら、お世辞ありがとう」彼女はまんざらでもないようで笑顔になる。「キャンプは楽しかった?」
「ええ。でもあんまり満喫できませんでしたね」
「あら、そう? やっぱりこの島って駄目ですか?」
「いえ、そういうわけじゃないんですけど。あの、三輪さん、ご存知ですか?」
「ああ……。もちろん知ってるわよ」彼女は声のトーンを下げた。「いい人だったのに。その……。殺されたって聞いたけど」
「私たち、ちょっとその事件に巻き込まれちゃって」
その発言に三木は驚いたようだ。
「あら、そうだったの……」
「それで、私たち二人だけ帰れないんです。で、まあ、観光って気分でもないんで、ちょっと考えてみようかなと」
「考えるって、何を?」
「まあ、色々とです」明日香は笑ってはぐらかした。「三輪さんってどんな人だったんですか?」
「どんな、ねえ……。わりと頑固な人だったけど、元気が良くて。私が野菜を買ったりするとおまけとかしてくれたわ。あと、そうねえ……。漁協の人たちと仲が良かったわ。ほら、キャンプ場の方に海洋研究所があるでしょ。あれに漁師の人たちと一緒に反対してたわ。海の生態系が乱れるって」
「本当にそんな話があるんですか?」
「あるわよ。あるけど、どこまで本当かはわからないわ。私はそこまで詳しくないから知らないけど」
「何で八百屋なのに、漁協の人と仲がいいんですか?」
「漁協って言うかね、漁労長と仲がいいのよ。斎藤さんっていうんだけど、何十年っていう付き合いらしいから」
「良く知ってますね」
「そりゃあ、三百人しかいないこの島に十何年もいたからね。ま、高校、大学と七年も離れてたけど」
「向こうで就職しようとか考えなかったんですか?」
「考えたわよ。……まあ、ぶっちゃけると、就職失敗して帰ってきたんだけどね。惨めでしょ?」彼女は微笑む。惨めに感じているようには思えなかった。「それに比べて京太君は公務員なんかになって帰ってきちゃって」
彼女が嬉しそうに言う。もしかすると帰ってきた当時は本当に惨めに感じていたのかもしれない。けれど近野が帰ってきてそうでもなくなったのではと考えた。
どちらにしても邪推だな、と多加志は思考を中断した。
「同い年ですか?」
「いやいや、私のが一個上。この島じゃ子供なんてみんな友達よ? ま、ほとんど向こうで就職しちゃったけどね。けどね、たまに返ってくる人もいるのよ。この前も三つ上だった男の子が奥さん連れて島に帰ってきたんだから。観光でね。ああ、ごめんごめん。関係ない話しちゃったね」
「いえ、いいんです。こういう話の方が聞いてて楽しいですから」
最初のお世辞(多加志としては別にお世辞ではないと思う)が効いたのか、どんどんと話し方が砕けてくる。会話も弾んできたようだ。
「展望台にはもう行った?」彼女は頬杖を突きながら言う。
「展望台、ですか?」
「そ、北の方にあるんだけどね、断崖絶壁。ちょこんと展望台が出っ張ってて、怖いわよお。あ、でもそれがメインじゃなくてね、海鳥がたくさん見られるの」
「へえ、海鳥ですか」
「うん。それはもう、迷惑なくらいね。でも残念ね。七月までが見頃だから、もう見られないかもね」
「そうですか……」
「でも、結構絶景よ? 行ってみてもいいかもね。でも、行くなら風がすっごい強いから気をつけてね」
「風…………」
明日香がそう呟くのを聞いて、多加志はすぐさま黄色信号を感じ取った。彼女は思考モードに入ろうとしている。多加志は水を一口飲んだ。
「あ、ごめん。観光気分じゃないんだっけ」
「いえ、大丈夫です。せっかくですから、気持ちに余裕ができたら行ってみようと思います」
思考モードに入りつつある明日香の代わりに多加志が答えた。
「一回見てみるといいよ。本当に、もう少し前だったら良かったのに。行くなら港で貸し自転車があるからそれ借りた方がいいかもね」
三木は笑顔で何度も頷く。就職に失敗して帰ってきたと言ったが、根本としてこの島が好きなのだろうなという印象を受けた。近野の話は本当に邪推だったのかもしれない。
厨房から男の声がする。
「瞳! 何油売ってんだ?」どうやら父親のようだ。
「あー、ごめん」三木は壁の時計を見ながら厨房に向かって返事をする。
多加志もつられて時計を見るともう三時近くだった。看板の通りだと一度閉店して六時から再び営業を開始するらしい。
「ごめんね。そろそろ時間だから」
「あ……」明日香が声を漏らす。
「何? まだ聞き足りなかった?」
「あ、いえ。お父さんって、朝、散歩とかします?」
「散歩?」三木は首を傾げる。「いや、朝は忙しすぎてここから出られないから。……ああ、でも、昨日はうっかりで材料切らしてて慌てて買いに行ってたっけか」