二
2
「ったく、お前ら。まったくキャンプを堪能してねえじゃん」丹田が呆れ顔で言った。
先ほどのキャッチボールのあと、そろそろ時間も丁度良いだろうと思っていたところでに高山から連絡があった。もう町の方に着いたという連絡と、少し早いが船の時間もあるので先に昼食をとるということだった。
一行はすぐに見つかった。小さな島なので食事のできるところも限られていたためだ。定食屋と思しき建物の前に五人は立っていた。
合流しての高山に事情を改めて報告したあとの一声が先ほどの丹田の発言である。
「まあ、仕方ないですよ」
「何があったんだよ。誰にも言わないからさ」丹田はどっしりと多加志の肩を組んで言う。
「その言葉は信用しないことにしているんです」
小学校の頃に好きだった子が一日にしてクラス中に広まったトラウマを多加志は未だに忘れていない。
「つれないなあ。今村、お前は教えてくれるよな……って、何? お前ら喧嘩でもしたの?」
不機嫌の仮面を張り付けたような明日香を見て、彼は多加志に耳打ちする。
「いえ、妄想の世界に入り込んでいるだけなんで気にしないでください。てか、そろそろ離れてくださいよ」
「聞こえてるよ」いつもより低い声が彼女から聞こえてきた。
多加志は丹田に向かって肩をすくめて見せた。苦笑いするしかない。
一行は定食屋の中へと入る。汚くはないが古臭い感じのする内装で、年季の入ったパイプ椅子とビニールのテーブルクロスで席が構成されていた。
「いらっしゃいませ! 何名様ですか?」
そのような古臭い雰囲気を壊してくれるほどの美人の若い女性が出迎えてくれた。女性にしては背が高く、肩を超えるほどの透き通るような黒髪だった。
「七人です」
「七名様ですね。ご案内しますね」
店の中はほとんど客がいなかった。これで大丈夫なのだろうかと考える。そもそもこの小さい島で外食という産業が成り立つのだろうか。
彼女に連れられて隣り合った四人がけの席二つをあてがわれる。四人・三人に別れ、多加志の側は明日香と丹田との三人だった。
各々好きなものを注文すると、彼女は厨房へと去っていった。
「あの人めっちゃ可愛くね?」やはりこういうことを言うのは丹田である。
「ですよねえ。いいなあ。私もあのくらい綺麗になりたいです」
どう切り返そうかと多加志が考えていると、意外にも明日香が食いついてきた。不機嫌はもう治ったらしい。
多加志は明日香の顔を見た。確かに先ほどの女性は美人だったが目の前の明日香と比べてどうだろうか。多加志は明日香の方が美人ではないかと思った。
「……何かついてる?」丹田と話を交わしていた明日香がこちらに気づいて尋ねてきた。
「顔がついてるよ」
我ながら面白くない冗談だと思ったが、彼女はクスリと笑ってくれた。
ふと周りを見渡すと隅には本棚があった。漫画もあるがどれも十年・二十年前の物で多加志には名前こそ知っているが嗜好に合うものではなかった。
しかし丹田にとってはそうではないようで、多加志も名前を知っている、某少年誌で連載されていたハードボイルドの漫画を途中の巻から読み始めた。
「お待たせしました。たぬきそばの方?」
「あ、はい」多加志は手を挙げる。
一年生の注文が一番先に来るのはどうもバツが悪い。先輩たちを差し置いて先に食べ始めても良いのかという判断がつきにくい。かといって待っていると麺が伸びてしまう。
「食えよ。伸びちまうぞ」
丹田に言われて隣のテーブルにも目を遣る。
「伸びるよ。食べなよ」高山がそう言うので、素直に食べることにした。
ほどなくして、順に料理が運ばれてきたので、それほどの気まずさはなかった。
最後の(ちなみに丹田の注文である。彼としてはそれが些か不満であったようだ)料理が運ばれてくると、女性が声をかけてきた。
「皆さん、キャンプでいらしたんですか?」
「ええ、これから帰るところなんですけど」高山が礼儀正しく答えた。
「皆さん大学生?」
「ええ、そうです」
「懐かしいなあ。もう何年も前になるのか」彼女は笑って言った。「ではごゆっくりどうぞ」
彼女は厨房へと下がっていった。
3
「それじゃ、気をつけて」
「はい」
少し早い昼食を摂り終えると一行は港へと向かった。二泊三日のキャンプが終わりを迎えるのである。と言っても、多加志と明日香はまだしばらくの間、島を出ることができない。
高山以外の部員は既に船に乗り込んでいた。
「詳しいことは知らないけど、頑張って、というのは変だな。何だろう? まあ、大丈夫だとは思うけど、無理はしないように」
「大丈夫です。したいとも思いません」自分は、であるが。
明日香についてはわからない。
チラリと横にいる明日香の表情を読み取ろうとした。だが、余所行きの服のようなわざとらしさを含んだ笑みを浮かべているだけである。おそらく事件のことでも考えているのだろうか、少なくとも部長の話は聞いていないように思えた。
「それじゃ、気をつけて」
高山も船に乗り込み、しばらくすると船は出港していった。
さて、どうしようか、と考える。警察に滞在するようにこそ言われたが、かといって今のところ何かをしなくてはいけないということはない。どうやって時間を潰せば良いのだろうか。
どちらにせよ自分に選択肢はないのだろうけれど。そう思って隣を見ると彼女の姿はなく、既に歩き始めていた。慌てて彼女の後を追う。
「どこに行くの?」
「食堂」
彼女の返答に多加志は驚いた。まさかまだ食べたりないということはないだろう。女性は食べないというのは明らかな偏見ではあるけれど、通常の量を食べた後にさらに一食追加するのではという推察は正しいとは思えなかった。
「どうして戻るの?」君は頭がおかしいの? というニュアンスをオブラートに包んで、それでいて少しわかる程度の抗議の意味を込めて多加志は尋ねた。
「ちょっと、ね」彼女は遠足に向かう子供のような笑顔を浮かべている。
何がそんなに楽しいのだろうか。もしかするとサークルという枷がなくなって、自由に行動できるからだろうか。
彼女のこういった自分勝手な人格は普段の生活では出てこない。少なくとも多加志の前では見せていなかった。どういった変化なのだろうと彼は思ったが、考えはしなかった。
港と食堂はそれほど離れてはいない。人が一番集まるのが港だから、そこに店も集まる。それが道理だろう。
先ほどから三十分程しか経っていないにも関わらず、周りは俄かに活気付き始めていた。人間とは不思議なもので、十一時半まではなんともないのに、十二時になると急に腹が減りだすのだ。
先ほどの店へと到着して暖簾をくぐった。
つい数十分前のガラガラの状態とはうって変わって店内は賑わっていた。テーブルの七・八割ほどは埋まっている。観察してみると、ほとんどが男性、しかもかなり腕っ節の強そうな者ばかりである。おそらくは島の漁師であろう。
「なるほど、この島で飲食業が成り立つわけだ」多加志は独りごちた。
明日香は客から注文を取っていた先ほどの女性に近づいてく。多加志はどうすれば良いかわかりかねたので入り口でそのまま待機していた。
話しかけられた女性は驚いた顔をした。
彼女の、初対面でも堂々と話すことのできる能力が多加志は羨ましい。多加志は店員に「何かお探しですか?」と聞かれるだけでもう駄目だ。一番厄介なのが服屋の店員だ。
女性は明日香と二言三言話すと納得がいったようで、明日香の方は深々と頭を下げるとこちらに帰ってきた。
「行こう」
「行くってどこに?」多加志は尋ねるが、彼女は返答せずに店を出て行く。
店を出ると多加志は改めて尋ねた。「何しに来たの?」
「三木さんに話が聞きたかったの」
「三木さん?」そう答えられて多加志は少し考えた。
ふと視線を上げると建物には『定食屋 みき』の文字があった。どうやらここの経営者が三木というらしい。ではどうして彼女はそのことを知りえたのか。仮に店に入る前に看板を見たとして彼女は何の用があるのだろうか。
小説の探偵のごとく思考をめぐらせていると彼女が口を開いた。
「そう、娘さんが美人の三木さん」
「あ」多加志は間抜けな声を出してしまった。
どうやら自分には探偵の資質はないらしい、と彼は思った。それどころか昨日した会話もろくに覚えていられなかったのだ。もっとも、たいして話題にも上らなかった内容を覚えていた彼女の記憶力が良いだけかもしれない。
「予想はしていたけど、さすがに忙しかったみたいで。でも、後で話を聞けるよう頼んでおいたから」
「ふーん。で、何を聞くの?」
「それはこれから考えるよ」
「はあ」
普通は「これから考える」なんて台詞は苦し紛れに出てくるものだが、それを自信たっぷりに言ってのける彼女はやはり変わっているなと思った。
そこで遠くから誰かが呼ぶ声が聞こえた。
「ここにいたんですか。いやあ、探しましたよ、ちょっとだけ」
スーツの上着を脱いでハンカチで額の汗を拭う熊代だった。後ろに垣ヶ原もついてきている。
「どうかしたんですか、熊代警部」明日香が聞いた。
「ええ、ちょっとお尋ねしたいことがありまして」そこで熊代の表情が引き締まった。「あなたが見つけたのは三輪昭仁で間違いありませんかね?」
「さあ、どうでしょう? 私は近野さんが三輪さんだと言ったのを聞いただけですから。それに三輪昭仁さんなのか、晴一さんなのか、雅巳さんなのかはわかりません」
彼女がそう言うのを聞いて多加志は呆気に取られたが、彼女とは音楽の趣味が合うかもしれないと彼は思った。
彼女の何とも回りくどい説明を聞いて熊代は渋い顔をした。垣ケ原はポカンと口を開けて硬直している。
熊代は咳払いをひとつして、脱いでいた上着の内ポケットを探り一枚の写真を取り出した。
「言い方を変えましょう。あなた方が見たのはこの男で間違いありませんか?」
熊代が差し出した写真を明日香は受け取る。多加志もそれを覗き込むようにして見た。
免許証の拡大コピーだろうか。青い背景に一人の男が写っていた。皺の多い中年の顔。目は細く口元の黒子が印象的である。あの血まみれの変わり果てた姿と対比するのは簡単ではないが、できないわけではない。おそらく、否。間違いなくこの男であろう。
「はい。間違いありません」多加志よりも早く明日香が答えた。
「断言できますか?」険しい顔で熊代は尋ねる。そう言われると揺らいでしまう。
「できます」多加志は自信がなかったが、彼女は断言した。
熊代は一つため息をつくと、頭をボリボリと掻いた。それを見るとどうやら都合の悪い答えだったようである。
「困ったなあ……。困ったというより、わけがわからんのですよ」
「何かあったんですか?」多加志は尋ねる。
「いえね。この男が先ほど遺体で見つかったんですよ」