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離島と推理の正味 Show me your mystery  作者: 春谷公彦
四章 意味のない思考
10/20

     4


 よほど疲れていたのだろうか、慣れない環境の中でも珍しく多加志は深い眠りについていた。もしくは慣れてしまったのか。どちらにせよ彼は多少の周りの騒音では起きることはなかった。

 騒音では。

 甲高い音が響き渡る。それによって多加志は目を覚ました。否、正確にはその音を発したであろう頬の痛みによって、である。

「つっ…………」多加志は頬に痛みを感じながらゆっくりと目を開いた。

 まず目に入ったのはテントのオレンジ色。そして次に目に入ったのは――

「おはよう、保川君」

 人の頬をぶった(であろう)にも関わらずなぜか微笑んでいる今村明日香の顔だった。

「え、と。一つ聞いていい?」

「一つでいいの?」彼女は相変わらず微笑んでいる。

「あ、いや。じゃあ、いくつか」

「いいよ」

「ぶったの、君?」

「うん」

「何で?」

「起きなかったから、かな?」

「……怒ってる?」

「え、何で?」

 多加志は彼女を見つめた。その表情は穢れを知らない小動物のよう……と言ったら明らかに言いすぎではあるが、少なくとも怒っている様子は見られなかった。どちらにせよ、起きなかったからといって怒られるのもそれはそれでどうかとも思う。

 とすると、彼女は人が起きないからといって頬をぶつことに何の抵抗もないのだろうか。

 むしろ、頬をぶたれた自分が彼女に怒るべきなのではないかと思い始めた。

「わかったよ、ごめんごめん」

 言葉を発しない多加志が怒ったと思ったのか、明日香は下をチョロっと出しながら茶目っ気たっぷりではあるものの謝ってきた。その態度を見ると、自分が怒っていないことをわかっているのかもしれない。少しは怒った方が良いだろうか。

「まあ、いいけどさ……」結局、彼女に対して怒る気にはなれなかった。「何かあったの?」

「ちょっとお散歩しましょ」

 そのためだけにぶったのか。

「まあ、いいか……」多加志は彼女に聞こえたかわからない程度に呟いた。

 一応、自分は断じてMじゃないと言い聞かせておいた。


     5


 てっきり彼女は浜辺か林にでも行くのかと思っていたが、予想外に彼女はキャンプ場を抜けるトンネルの方までやってきた。

 相も変わらずコンクリートでできたこの人工の洞窟は、熱を逃がさずに熱気を振りまいている。朝だというのに涼しげな感情が湧いてこない。

「どこに行くのさ?」

「ちょっと、ね」彼女は片目を瞑って見せた。

 彼女がどこに行こうと別に良いのだが、今日はキャンプの最終日だ。つまり、片付けなどの作業がたくさんあるのだ。あまり遠くまで行くと先輩たちに迷惑がかかる。

 多加志がそう思っていることを知ってか知らずか、明日香は全く時間など気にする様子もなく歩いていく。多加志は黙ってそれについていくしかなかった。

 何となく見覚えのある道だな、と多加志は思った。どこへ行く道だっただろうかと、思い出そうとしていると、ある程度まで歩いたところで思い出した。

「町民会館に行くの?」彼は尋ねた。

「うーん、半分正解」

 彼女のよくわからない回答に多加志は首を捻るしかなかった。彼女はといえば、ただ微笑むだけである。

「例えばさ……」しばらく歩いていると彼女の方が口を開いた。

「どうしてもあの会館じゃないといけなかったとするよ。犯人と三輪さん、どちらがその場所を提示したのかはわからないけれど、とにかくあの場所が指定された。ってことは犯人も三輪さんも誰かに見られてはいけないわけだよね。とすると、二人はどうやってあの会館に行ったと思う?」

 そうだろうとは思ったが、事件の話である。彼女がそこまで事件にこだわる理由はわからなかったが、何を言っても無駄だろうことはわかる。仕方なく多加志は彼女に付き合って考えることにする。

「……人目に付かない時間帯を選ぶとか?」

「うん。それも答えの一つだね。けど、考えてみてよ。犯人は本来開館するころの時間に火を点けたんだよ? 犯人がそこにいたにせよ、一度戻って来たにせよ。どう考えても人目に付く時間だよね。

 つまり、場所は会館でなくてはいけない。そして、時間もあの時間でなくてはいけない、もしくはあの時間でしか不可能だった、ということになるよね?」

「ああ、まあ、そうかな?」

「だとしたら、人目につかないようにするにはどうする?」

「……人目につかない道を通るかな?」

「だよね。じゃあ、会館前を素直に通ると思う?」

「通らないね」

「そう。そういうわけで、ここ」

 多加志たちは町民会館へと向かう道を歩いていたが、明日香が会館よりもはるか手前で道を折れた。そしてそのまま歩いていく。

 その道は舗装こそされているが、ほとんど建物もなく、道端の雑草は育ちすぎて道路を侵略しつつあった。

「昨日、京太君にこの島の地図を見せてもらったの。この道の先には廃寺になったお寺しかなくて人通りがとても少ないの。で、この林を真っ直ぐ行けば十分もせずに会館の方に出る計算ってわけ」そう言って彼女は立ち止まる。

 そこは彼女が言ったとおり木々が生い茂るだけの林で、人が通ることは想定されていなさそうだった。かといって、絶対に進めないかと問われれば、ノーと言わざるを得ないだろう。

「Do you understand?」

「何で英語?」

「Verstehen Sie?」

「何語?」

「ドイツ語」

「あ、そう」

「おっ、ドイツ語返し」

「は?」

「いや、何でもない。行きましょ!」彼女は林へと足を踏み入れた。


     6


 このような、もはや道とは呼べない場所を通るとは思っていなかった上に、時期として夏真っ盛りのため、Tシャツ、短く切ったジーンズという出で立ちだった。散歩という名目だが、どうせ遠出になるだろうと、サンダルではなく普通のスニーカーを履いて来たのが救いだったが、あまりにも軽装だったため林に入るのを躊躇ってしまった。

 彼女も長いワンピースに、高くはないがヒールを履いていて、果たしてそれでここに入っても良いのかと疑問に思ったものだが、彼女は何も意に介さずに先へと進んでいこうとする。

「その格好で大丈夫?」思わず多加志は聞いた。

「うーん……。駄目だね?」彼女は首を少し傾げて、あはは、と笑った。

 そこまでは、彼女もこういう一面があるのだな、程度に思ったが次の彼女の一言に彼は面食らってしまう。

「おぶって?」

 多加志は言葉を失ってしまう。おそらく彼女のことだから、テコでも動かないだろう。四月からの付き合い、特にここ数日で彼女の性格がわかるようになってきた。感性豊か、頭の回転は早い。だが、悪く言えば頑固なところがあり、自分の意見を曲げないようなところもある。

 仕方なく多加志はその場にしゃがみこんで背負う体勢になった。

「ありがと」

 しかし、よくよく考えれば女性をおんぶするというのは、かなり稀な体験で、男としては光栄な行為なのではないかと思い始めた。

 多加志としてはそれで良いのだが、彼女としてはどういった心理なのだろうか。どういった気持ちでただの同級生に背負われているのだろうか。

 彼女は思ったより軽く(侮蔑の意味は全くない。女性を背負ったことがないのだ。決して彼女が太っていると思っていたわけではない)、歩くのにたいして苦ではなかった。ただ、皮膚を切ってしまったりしないだろうかという彼女と関係のない懸念はあった。

 彼女からは女性特有の良い匂いがして(要するに香水の匂いだろう)彼は少し気恥ずかしかった。

「ねえ、今更なことかもしれないけど、聞いてもいいかな?」黙っているのもバツが悪いので彼は尋ねた。

「いいよ。何?」いつもより、聞こえてくる声が近い。少し緊張した。

「何でこんなことしてるの?」

「こんなことって?」

「探偵ごっこ」

「探偵は殺人事件を解決したりしないよ。常識常識」

「僕が言ってるのは小説の探偵だよ。というか自覚あるじゃないか」先の台詞が出てくるということは質問の意味を理解はしているのだろう。

「背中が痒いときはどうする?」いきなり意味を理解しかねる言葉が彼女から発せられた。

 多加志は慎重に意味を考えてから、どう答えようかと考えを巡らす。

 今は背中が痒いよりも重い(これも侮蔑ではない。彼女より圧倒的に軽い米袋を背負ったとしても重いと感じるという意味での重い、だ)なんてことが頭に浮かんできた。

「蚊に刺されたときは掻いちゃいけないよ」

「目が痒いちきも擦っちゃいけないよね」

「そうそう。……って、話が逸れてるじゃないか」

「私は蚊に刺されたわけでもないし、目が痒いわけでもない。背中が痒いから掻いてる。これが答えかな? 孫の手がないのがつらいけど」

「全く意味がわからない」

「要するにね、駄目と言われていないから、というのが答え」

「不謹慎とか考えないの?」

 確かに、彼女が何をしようと彼女の勝手なのかもしれないが、世の中にはマナーやモラル、常識など様々な決まりごとがある。殺人事件に素人が首を突っ込むというのはそれらに反しているかは厳密にはわからないものの、褒められるようなことではないだろうというのは事実であろう。

「…………さあね。考えていたら進めないもの」

 だったら進まなければ良いのではないか。だが、彼女にそう言っても言い負けるだけなのだろうと、確信と言って良いほどの諦めが多加志にはあった。

 ふと、先の方で草木をかき分ける音が聞こえてきた。誰かいるのだろうか。彼女を背負ったまま誰かに見つかるのはかなり恥ずかしいので彼女の同意を得てその場で彼女を降ろした。 

「何だい、君たち?」

 前方からやってきた人物は人目で誰なのかわかった。名前は知らないし、初めて見たが、どこからどう見ても警察官である。

 よく見ると、すでに林の出口付近らしく、建物が見えかけていた。思っていたより長くなく(かといって短くもなかったが)それほど疲れはしなかった。

「どこから入って来たんだ?」三十代半ばほどの男は怒ってはいないようだが、厳しい口調で質問を投げかけてくる。

「お寺の道からです」

 相手の感情を察していないのか、察していてあえてそうしているのかわからないが、罪悪感の欠片もない口調で明日香は答える。微笑んですらいる。

 たしかに、よくよく考えればなんら悪いことはしていないのだ。多加志は彼女の堂々とした態度に感心した。

「はあ、何でそんなことしてるか知らないけどねえ。この辺に来てもらっちゃ困るんだよ。事件があったからね。君たち島の人間か?」

「どうした? 何かあったのか?」男の後方から低い声が聞こえてくる。

 その拍子に、男の体は金縛りにあったかのように直立し、そのままの体勢で振り返った。

「あっ、いえ、警部! 彼らが向こう側から……」

「ああ……。ええと、ちょっと待ってくれ……」五十代と思われる男は右のこめかみに指を当てて、何かを思い出すような仕草をした。「ええと、今村さんと……、安田君、だったかな?」

「保川です」

「あ、覚えててくれたんですね。熊代警部」

 覚えててくれなかったんですね。熊代警部、と一人は思った。

「そりゃ、あんな取調べがあったら覚えてるよ」そう言って熊代は苦笑する。

 自分の時は特に何もなかったはずだが、彼女は何をしたのだろうか気になった。

「もしかして、まだ何か考えているのかい? 困るなあ。こっちに任せてくれないと」

 どうやら彼女は困らせるような何かをしたらしい。

「あはは、気をつけます」

 彼女の「気をつける」は本当に「気をつける」だけで「止めます」ではないのだろうなと思った。

「と言ってもね。丁度君たちに来てもらおうと思ってたんだよ。焼けちゃった現場が何とか大勢でも入れる目途が立ったから、実況見分っていうか、状況を知りたかったんだよ」

「ええ、いいですよ。是非」

 彼女がそう言ったので、そのまま会館の中へと入っていく流れになった。警官、特に鑑識と呼ばれる人たちが大勢いるのかと思ったが、思ったよりは多くなかった。元々この人数だったというよりは、既にある程度の調査が済んでいるからという印象を多加志は受けた。と言っても完全に終了しているわけではなさそうで、まだまだ相当の人数の関係者が動き回っている。室内はもっと大勢が捜査をしているのだろうか。

「では、お願いしますよ」表に回って熊代が言った。

 彼の傍らには先ほどの警官とは別の若い男が立っていた。制服ではなくスーツを着ていることから刑事だということがわかる。

 若いといっても三十は過ぎているように見える。あまり愛想が良くないのか、ただ真剣なだけなのか表情は厳つく、名乗ることもなかった。

「僕たちだけでいいんですか?」多加志は尋ねた。

 乾は死体を確認しただけだから良しとしても近野もいた方が良いのではないだろうか。

「ええ、大丈夫です」若い男が想像よりも太い声で言った。

「別々に話を聞いた方がいいんじゃない? 人によって見方が変わるから」

 明日香が多加志にだけ聞こえるように耳打ちした。それを聞いて多加志は何となくだが納得した。

 明日香が説明を始める。

「私たちは近野さんと一緒に町民会館に来ました。九時過ぎのはずです。半にはなっていなかったと思います。鍵が開いていないという話でした。実際に来てみたら本当にここのドアの鍵は閉まっていました。それで近野さんが鍵を開けて私たちは中に入りました」

 彼女が扉を開けようとするのを熊代が制して手袋を填めた自分の手で扉を開け、彼は明日香が中へ入るのを促した。何だかお嬢様をエスコートする執事のように見えて、それでいて格好がいかにも刑事のようだったのでそのギャップがおかしかった。

 四人は中へと入る。多加志たちにとって事件後に入るのは初めてだったが、よく考えれば丸一日たっただけだった。色々とあったせいで時間の感覚が狂っているようだ。

 通報が早かったからか、火元が二階だったこともあり一階に目立った損傷はなかった。それでも相当の焦げ臭さが鼻を突いてくる。

「それからまず……どっちを見たっけ?」

「えっと、そっちじゃない?」多加志は左側を指差す。事務室などがあった方である。「それから裏口を見に行ったんだよ」

「だそうです」明日香がそう言うので多加志が刑事二人にタメ口をきいたようになってしまった。気にしすぎだろうか。どちらにせよ、二人は気にしていないようだったのでホッとした。

「裏口は確か開いてましたね」

「閉まってたら密室じゃないか」多加志は呟いた。

「犯人が中にいたっていう可能性もあるよ。メリットはあまりないけど。それに犯人が鍵を持っていたかもしれないし」

 二人だけが聞こえるような声で話していたところ、熊代が咳払いをした。わざとらしかったのでわざとなのだろう。

「ちなみに鍵は一階の事務室の机の上に置かれていましたよ」

 そう言われて多加志は慌てて、明日香は落ち着いて解説へと戻った。

「図書室の方は閉まっていたのを確認してから、近野さんだけが二階へ登っていきました」

「なぜあなたたちは登らなかったんです?」若い刑事が尋ねた。

「……何故でしょう?」明日香は刑事たちに上品に首を傾げた後、多加志の方を向いた。

 多加志としては、尋ねられても困る。そんなこといちいち覚えていなかった。

 それでも、ちゃんと働いていた普通の色の脳細胞を動員して思い出そうとする。そして、彼女が「胸騒ぎがする」などという奇妙な台詞を言ったのを思い出した。

「別に登る気がなかったわけじゃなかったと思います。ただ、どうしたんだろうっていう会話を少ししていただけだった気がします」

「……近野さんはどのくらい一人でいたんです?」

 熊代の言葉で彼が何を考えているのかが何となくわかった。彼が一人のときに何かしたのではないかという仮説を立てたのだろう。事情聴取のときも口頭で状況を話していたから、その結論に至ったのだろう。

「すぐですよ。一分もしないで悲鳴が聞こえましたから。何かする時間はなかったと思います」

「いえいえ、何もそんな風に考えていたわけじゃないですよ」

 熊代は手を振って否定する。だが、心なしか睨まれたような気もした。余計なことまで言ってしまったな、と多加志は後悔した。

「それで、悲鳴が聞こえたので慌てて二階へ上がったんです」続く説明を明日香が引き継いだ。

 彼女はそのまま二階へと上がっていく。三人もそれについていった。

 二階は一階とは比べ物にならないくらいの光景だった。

 丸一日たった今でも焦げ臭さは抜けず、辺りも習字の墨を溢してしまったかのように真っ黒だった。窓ガラスは熱で割れてしまっていた。

 大勢の人間が作業をしていた。終わったのではなく、まだまだこれからのようだ。

「近野さんが確か手前側に立ってたんです。で、まあ、少しやり取りがあって、部屋の中を覗いたら」そこで明日香が言葉を切った。惨状を思い出して言葉に窮したというよりは、会話に起伏をつけたかったように感じた。わざわざそんなことをしなくても良いのにと思った。「中央に三輪さんの首切り死体があったんです」

 そう言った瞬間二人の刑事が眉をしかめた。何か変なことでも言っただろうか。

「中央?」

「ええ。……何です?」神妙な空気に明日香もつられたのか眉をしかめる。多加志は爪はじきにあった気分だった。

「……垣ヶ原、どう思う?」

「爆風か何かで飛ばされたのではないですか?」垣ヶ原と呼ばれた男が答える。変わった名前だったのでなかなか漢字変換できなかった。だが、変換してからそれ以外に変換しようがないことに気が付いた。せいぜい垣か柿ぐらいだろう。それからどちらだろうかと考えた。

「何なんです、一体?」

「いえ、ね。多分火の勢いで飛ばされたんだと思うんですけど」釈然としない様子だったが熊代は言った。そして部屋の後ろの廊下側、今四人が立っている扉ではない方の扉付近を指差した。

「死体はあそこにあったんですよ」


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