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Television 24h  作者: 多岐川暁
Chapter.I:TV307ch
4/6

Act.04

 不意に圧迫感が消える。途端に空気が入ってきて大きく咳き込んでいる間に、スライド扉が開く。ナースアンドロイドが部屋に現れた途端、部屋の明かりが点いた。

 薄布越しにそれを確認して、咳き込みながらも視界を塞いでいる上掛けをはね除けた。余りの眩しさに圭は目を細めつつ、痛む喉に手をあてる。

「シンニュウシャデス、シンニュウシャデス、シキュウオウエンヲ……」

 入ってきたナースアンドロイドの腕が人間ではありえないほど伸びる。その手が先ほどまで圭の首を絞めていたアンドロイドを捕まえようとするが、するりと交わされる。

 アンドロイドの攻防戦で圭の出る幕はない。慌てて起き上がると枕の上で膝を抱えて座り込む。逃げようにもアンドロイドの早い攻防を見ているだけで、動く気が失せる。むしろ、下手に動けば怪我するのが目に見えている。

 部屋中で暴れるアンドロイド二体に、圭は息を潜めるようにして身体を強張らせる。アンドロイドの重量は人間の比じゃない。体当たりされたら、それだけで死ねる。

 ナースアンドロイドが投げ飛ばされ、ベッドに叩きつけられる。ベッドはアンドロイドの重量を支えきれず、派手な音と共に真ん中から折れた。

 端にいた圭は辛うじて投げ飛ばされることはなかったが、中央にできたくぼみに転がり、今度は先ほどとは違う意味で身動きが取れない。

 圭を襲ったアンドロイドがはめ殺しとなっている大きな窓ガラスをたたき割ると、そのまま外に飛び出した。圭の視界に見えるのは空だけだ。今、圭が何階にいるのか分からない。だが地上近くではないことは確かだ。

 どうにかベッドのへこみから抜け出した圭は、窓に駆け寄ると身を乗り出す。地面は遠い。けれども、その地面にアンドロイドの姿はない。

「消えた? そんな馬鹿な」

 思わず呟いていれば、バタバタと背後から慌ただしい足音が聞こえる。扉から顔を出したのは警備員三名と白衣を纏った医師だ。その医師は圭にとって見慣れた人でもあった。

「里見先生」

「何があったんですか……これは……」

 高層階特有の強い風が吹き込んでいる。カーテンははためき、ベッドは損壊、壁は派手にへこみ、窓ガラスは割れてしまい穴が開いている。

 何があったと聞きたい里見の気持ちが分からなくもない。だが、圭としても答えるべき内容がない。

「……アンドロイドに襲われました」

「襲われたって、アンドロイドが人に危害を加えるなんて……それに、そんな物を作れば重罪ですよ」

「それ、俺に言われても……」

「確かにそうですよね。それで、怪我したところは?」

 ようやく我に返ったのか、里見は慌てたように近づいてきた。穏やかな顔は、圭が子どもの頃と代わり映えしない。十年以上経つ筈なのに、変化しないというのも凄いことだ。

「特にないです」

 答えている間にナースアンドロイドは腕を縮めると警備員の指示に従い扉に向かって歩き出す。だが、首は奇妙な方向にねじ曲がり、縮まりきらなかった腕はありえない方向に曲がっていて、ある意味シュールな光景だ。

 死闘を演じたナースアンドロイドと入れ替わりに部屋にきたのは修繕ロボだ。補修を主とするロボットだが、さすがに壁や窓が破壊された状態では、修繕ロボでもお手上げらしい。結局、修繕ロボもエラー音を鳴らしながら部屋を出て行ってしまう。

「アンドロイドの件については、こちらでも調べてみます。病院内に進入したこと事態が大きな問題ですし、人を殺すようなアンドロイドとなれば、病院だけの問題ではすみません。とにかく、現時点では他言無用でお願いします」

 確かにこの病院の医院長子息である里見としても、他言されては困るに違いない。そして、里見に頭を下げられてしまうと、圭としては頷くしかない。

 怪我もないし、子どもの頃から世話になっていることもある。何よりも、圭自身にも他言できない事件を追っている。ある意味、あのアンドロイドは自分が招いたことかもしれない。そう思うと、とても里見を責める気にはなれなかった。

「言いません。ただ、後で結果だけ教えて貰えますか? 録画データを欲しいとまでは言いませんから」

「分かりました。あぁ、圭くんは機械工学部だから、アンドロイド方面にも興味があるんですね」

「えぇ、そうなんですよ。だから、教えて貰えたら嬉しいです」

「殺されそうになったんですけどね」

 ため息混じりに言われて、圭は苦く笑うしかない。実際、機械工学部ではあるが、圭自身はアンドロイドを作る方には余り興味がない。むしろ興味があるのは、アンドロイドに載せられたプログラムの方だ。

 いたぶるような殺し方はアンドロイドでは余り類を見ない。少なくともAIで感情らしきものが見え隠れすることはあるが、実際にAIが感情を持つ筈がない。

 だとしたら、あのアンドロイドは最初からいたぶるようにプログラミングされていたのだろうか。だとしたら、余程訓練された殺人アンドロイドだと思う。

「まぁ、そう言わずお願いします。それよりも、どうして俺はここに?」

「鋭司くんが連れてきたんですよ。調べたら薬物反応として睡眠薬が検出されました」

「だから、あんなに眠かったのか」

「身体も丈夫じゃないんですから、余り無茶なことはしないで下さい」

 ため息混じりにそれを言われると圭としては言い返せない。ただ、身体が弱いから余り運動しないように言われてきた。

 でも、昨日のように走れるし、苦しさを感じたこともない。身体が弱いというよりも、どちらかというと鈍いだけのような気がしてならない。

「俺、本当に身体が弱いんですかね」

「君が小さい時は、苦労しましたよ。まぁ、主に私の父親が、ですが」

「そうなんですか。何だかそういう記憶、全然ないんですよね」

「いやな思い出は、人間忘れがちですから」

 そういうものなのだろうか。でも、身近に記憶が抜け落ちている雪がいるから、里見の言い分もわからなくもない。

「歩けますか? ここでは寒いですから違う部屋に移動しましょう」

 壁にある時計を見れば朝の六時だ。体調も悪くない。むしろよく寝たことですっきりしているくらいだ。

「あの、既に元気ですし家に帰ったらダメですか?」

「雪ちゃん、怒ってましたよ。帰ってくるなって」

「雪が来たんですか!」

「えぇ、もの凄い形相で。鋭司くん、もの凄く怒られてましたし。心配する人もいるんですから、本当に無茶はしないで下さい」

 確かに無茶というか無謀だったと今なら分かる。分かるだけに言い募ることもできず、うなだれることしかできない。

 里見に言われるまま別室に移動すると、圭は再びベッドの上で横になる。けれども、昨日昼から寝ていたこともあり、余り眠くもない。

「あぁ、それからこれを鋭司くんが渡しておいて下さいとのことでした」

 里見に手渡されたのはPCで、それが新しいものであることが分かる。恐らく、連絡できるようになったら、これで連絡入れろということなのだろう。

 やることもないので、圭はPCを受け取る。新品のPCは圭の物ではない。果たして圭のPCはどこへ消えたのか。それを考えると落ち着かない気分になる。

「今日の検査が終われば帰れますから、それまでは大人しく病室にいて下さい」

「分かりました」

 渋々ながらも返事をすれば、里見は苦笑しながら病室を出て行った。そして残された圭は、手早くPCを操作して鋭司に連絡を入れる。朝六時だが、この際時間は関係ないだろう。

 しばらく呼び出し音が鳴り、通信が繋がる。モニターに現れたのは上掛け布団だ。その上に投げ出された腕は、鋭司のものにしては細い。

 相手からの声はなく、ゴソゴソと物音だけがしばらく響いていたが、十秒ほどするとようやく上掛けの向こうから上半身裸で、寝起きの鋭司が顔を出した。

「圭か。ようやく起きたのか」

「お盛んなことで。邪魔して悪かったな」

「別に邪魔だったらオートにしていない」

 確かに鋭司が起きる前からオート対応になっていたから、モニターに鋭司の彼女が映っていたのだろう。

「確かにそうだろうが……病院に運んで自分は速攻彼女と仲良しか。羨ましい限りだな」

 そう言った圭の声は随分と刺々しいものだったに違いない。

 羨ましくないと言ったら嘘になる。実際、鋭司に連絡を入れて女の姿が見える時は少なくない。ただ、納得いかないのは、鋭司が進んで身体だけの関係しか築かないからだ。

 だが、そんな圭の当てこすりなど鋭司も慣れたもので、小さくため息をついてそれを聞き流した。

「それよりも、圭は大きく勘違いしてるみたいだが、俺が圭を病院に運んだのは一昨日の夜だ」

「一昨日? あれ、俺もしかして一日中寝てたのか?」

「そのお陰で雪に連絡入れる羽目になった」

「それは……その、悪かった」

 つい勢いがなくなるのは、雪がどれだけ鋭司に当たり散らしたのか、想像するだけでも面倒そうだと思ったからだ。

「目を覚まさなかったからな。それに、圭に連絡を取れないとうるさかった。薬の影響も分からない状況だったから、いざという時のために雪にだけは事前に教えておいた」

 確かにあの時、圭は何の薬を飲まされたのか分かってもいなかった。鋭司がそういう判断をするのも仕方ないだろう。むしろ、母親まで連絡がいっていないことが救いかもしれない。

「手間かけて悪かったな」

「体調は?」

「別に何ともないみたい。まぁ、睡眠薬って里見先生も言ってたし問題ないだろ」

「睡眠薬?」

「だったらしいよ」

 大量摂取すれば死ぬこともあるだろうけど、こうして目覚めているのだから問題はないのだろう。

「本当に睡眠薬だったのか?」

「おいおい、検査してくれたの里見先生だぞ」

「そうか……」

 そのまま鋭司は黙り込んでしまい、圭としては鋭司の思考に置いていきぼりだ。まぁ、こんなことはよくあることなので、一々気にしていられない。

「ところで、このPCは鋭司のか?」

「そうだ。使ってないヤツだからお前にやる。因みにお前のPCは大学内の池を最後に行方不明だ。探したかったら池を漁れ」

 深緑色した池は、何度か圭も目にしたことがある。けれども、あれに足を踏み入れるどころか、手を触れることも遠慮したい。生物学で使ってるということだし、何の生き物がいるか分かったもんじゃない。

「それはちょっと……でも、これは退院したら返すよ。自分のは自分で用意する。色々改造したいし」

「好きにしろ。それから、このうるさいのはどうすればいい」

「うるさいのって……まさか、グラビティそこにいるの?」

「ケイ、ケイ!」

 途端にグラビティの声が聞こえ、画面一杯がピンク一色になる。ピンクしか見えないモニターに、圭は額に指先をあてて小さくため息をついた。

「グラビティ、それじゃあ何も見えない」

「ケイノトコロニイキタインデス。デモ、エイジがダメッテイウカラ。ケイ、ボクノプログラム、ユウセンジュンイヲイレカエテクダサイ」

「どうやって」

「ケイニツヅクユウセンジコウは、ヤッパリユキチャンニシテクダサイ」

「それはしない。お前、ユキに甘すぎなんだから、お前を雪につけるのは特別な時だけだよ」

「ケイトイッショニイラレナイノハ、トクベツナコトデス」

「でも、今は鋭司と一緒にいてよ。頼むから」

「イヤダケド、タノマレマス」

 その音声がいつもとは違い、本当に嫌そうなもので思わず笑ってしまう。

 不意にモニター上からピンク色が消えたかと思うと、鋭司がグラビティを鷲掴みしている姿が映る。

「おい、頼むからもう少し優しく扱ってくれ。一応、それでも精密機械だ」

「そう思うなら、早めに回収にこい。そもそも、ペット禁止で病院から追い出されたんだ」

「ペット……」

 グラビティがペット扱いされると、さすがに圭としては複雑だ。

 アレルギー持ちの人たち向けに、AI機能のついた犬や猫、今は鳥は虫類などのアンドロイドも出回っている。確かにそういう意味ではグラビティもペットという括りかもしれない。だが、グラビティの機能はペットアンドロイドよりも遙かに性能が高い。

「検査が終わったら退院して構わないって言われたから、今日中に事務所へ行くよ」

「迎えに行く」

「お前……一体どうした? 熱でもあるのか?」

 少なくとも鋭司はそういう気遣いをするタイプではない。女の子たちにも優しくはないが、男には優しくないどころか厳しい。そんな鋭司が迎えにくるなんて言い出すとは、明日は槍でも降るに違いない。

「馬鹿だろ。迎えに行くのは雪だ」

「あー、よかった。鋭司が壊れたかと思った」

「何故俺が行かないといけない。そもそも、医療証明の類は俺では用意できない。朝一から行くと言ってたから、そろそろ到着するだろ」

 その声に被るように扉が開き、思わずそちらに視線を向ける。そこには鬼のような形相をした雪と、その背後で困ったように笑う里見が立っていた。雪の顔を見た途端、思わず顔が引き攣る。

「……来たよ」

「今日は事務所にいる。何かあれば連絡しろ」

 それだけ言うと鋭司は圭が返事をするよりもさきに通話を切ってしまう。アンドロイドに襲われた件など、まだ伝えたいこともあったが、切られてしまったら何も伝えられない。

 面倒に巻き込まれたくないというのがありありと判る反応だ。だが雪の表情を見れば、鋭司の反応も理解できる。

「えっと……おはよう」

 一応、引き攣りつつも笑顔で挨拶をしたが、雪の表情が和らぐことはない。それどころか、勢いよく駆け寄ってくると圭に抱きついてきた。

「ちょっ、雪?」

「鋭司くんから連絡あった時、本当に心臓止まるかと思ったんだから!」

 怒鳴り散らした後に聞こえてきたのは嗚咽で、圭は苦笑しつつも雪の背に腕を回して背中をあやすように何度も軽く叩いてやる。視界の端で、里見が苦笑しつつ部屋を出て行く姿が見えた。

「別に怪我した訳じゃないし、大丈夫だから」

「大丈夫じゃない! 圭ちゃん、運動神経ないし、時々ネジ外れたみたいに無謀になるし、しかも薬って何? 危ないことしないでよ! お母さん、昨圭ちゃんが帰ってこないから凄く心配してた! あたしも心配した!」

「……ごめん。これからは気をつける」

 泣いている雪を見ると、心配掛けて本当に悪かったと思う。こうして病院に母親が乗り込んでこないところを見ると、雪は圭が病院にいることも伝えなかったのだろう。

 嘘をつかせてしまった罪悪感があり、先までのように面倒だとは思えなくなる。

「本当にごめん」

 その場しのぎではなく、きちんと謝ればようやく雪は身体を離す。余程心配させてしまったのか、目元はすっかり涙で濡れていた。

 ハンカチの一つでも差し出してやりたいところだけど、入院着を身につけている今、そんな持ち合わせはない。

 雪は自分のハンカチを小振りの鞄から取り出すと、目元に当てて涙を拭う。目元はまだ赤いが、普段の雪がそこにいる。

 俯いていた雪だったが、ふと圭を見たまま視線が止まる。視線は合わない。一体どこを見ているのか不思議に思いつつ、自分の身体を見下ろしてみる。けれども、これといっておかしなところはない。

「圭ちゃん、首元赤くなってるよ?」

 その言葉でようやく、雪が先ほどアンドロイドに締められた首元を見ていることに気づく。

「あ……別に何でもない」

 さりげなく首元に手をあてて、雪の視線から隠す。けれども、わざとらしい気がしないでもない。ただ、これ以上雪に心配させたくなかっただけだ。

「でも、指の痕だよね?」

「いや、少し赤くなってるだけで気にすることないから」

 いつものように笑ってそれだけ答えれば、再び雪は俯いてしまう。いつもならポンポンと飛んでくる軽口がない。だからこそ、圭もどう声を掛けようか考えあぐねていた。

「もう……テレビ局なんて辞めちゃえばいいのに。お母さんにも心配かけて、あげくに事件に巻き込まれて。もう心配するの嫌なの!」

 最初は呟きのような声が徐々に大きくなる。最後には怒鳴るように言い募る雪に、さすがに圭も驚いた。

 テレビ局を鋭司と始めてから、家に帰るのが遅くなった。雪はともかく、母親と顔を合わせる時間も減っている。そして、これまでにささいな事件に巻き込まれたことがない訳じゃない。

 だから雪の嫌がる気持ちは分かるし、心配する二人のことを考えれば胸も痛い。でも、ここで辞める気は全くない。

「テレビは辞めないよ」

 圭が発した声は、自分で思っていたよりも穏やかなものだった。でも、圭の言葉で勢いよく雪が顔を上げる。

「どうして? そこまでしたいことなの? それとも鋭司くんに言われたから?」

 再び目元に涙を溜めた雪を見ていると、胸元に鈍い痛みを感じる。心配からくるちょっとしたヒステリーだというのは判る。判っているけど、優しい言葉を掛けてやれない自分が歯痒い。

「鋭司は関係ないよ。俺がやりたいからやる。それだけのことだよ」

「お願いしてるんだよ?」

「それでもダメ。俺は大学卒業したらそのままテレビ局でやっていくつもりだよ。いずれスポンサーつけて、あれで収入を得ようと思ってる」

「そんなの無理に決まってる! だって、テレビなんて今さら見てる人いないじゃない!」

「そうかもしれない。でも、俺はやってみたいと思ってる。雪は将来やりたいことある?」

 圭の問い掛けにしばらく口を閉ざした雪は、ポツリと呟いた。

「先生になりたい。ずっと昔からなりたかった」

「じゃあ、それを反対されたら辞める?」

「辞めないよ! だって、圭ちゃんみたいに危険なことなんてないし」

「じゃあ、先生という立場が危険だったら辞める? 例えば先生ばかり狙った殺人事件とか起きたら、そこで辞める?」

 今度の沈黙は長く重い。十秒も過ぎた頃、圭はさらに話しをしようと口を開く。それよりも先に雪は身体を離すと、何かを投げつけてきた。

「圭ちゃんの馬鹿!」

 圭が引き留める間もなくそれだけ言うと雪は病室から出て行ってしまう。締まる扉を呆然と眺めた後、上掛けの上にある物を見つめる。

 残念ながら投げつけられた物を受け取るだけの反射神経はない。だから、改めて上掛けの上にあるそれを手に取った。

 それは常々、圭がバックアップ用に取ってあった圭のPCだ。バックアップ用なので外に出す予定のなかったものだが、これがあれば自由に動きも取れるし、医療証明の類も全て入っている。

 数年前に雪にだけ言ったことがあるが、まさか雪が覚えているとは思ってもいなかった。

「本当にできた妹なんだけどね……」

 苦笑しつつ一人ぽつりと呟くと、すぐさま圭はPCを操作する。普段持っていたものに比べたら、数段機能は落ちる。それでも鋭司のPCに比べたら手を入れているので、圭にとっては使いやすいものだ。

 すぐにテレビ局にある大型PCに繋ぐと、まずはグラビティの記録されたデータを全てPCに送る指示を出す。それから、医療証明を病院側に提示し、改めて鋭司に通信を繋ぐ。

 今度は待つことなく鋭司との通信が繋がった。どうやら移動したらしく、服装を整え椅子に座った鋭司が映る。

「帰ったのか?」

「もの凄く心配されてたみたいだ」

「当たり前だ。このPC、俺のじゃないな」

「雪がバックアップ用のを持ってきてくれたよ。実は鋭司にもう一つ伝えることがあってさ。連絡入れる少し前に、病室でアンドロイドに襲われた」

「アンドロイド? 病院は警備が厳しいのに入れたのか?」

「その辺りは俺にも判らない。気づいた時には首を絞められてる状況だったから。でも、きちんと扉から入ってきたんだと思う。逃走する時は窓から飛び出して逃げたから」

「飛び出すって、そこ三十二階だぞ」

「地面に叩きつけられた形跡はなかったよ。このタイミングだから、大河内たちに関係あると思うんだ。鋭司も気をつけた方がいい」

 途端に呆れたような顔をする鋭司に、圭は首を傾げる。

「何かおかしなこと言ったか?」

「圭に心配されるとは、俺も落ちたなと思ってな」

「お前なぁ……一応、これでも、きちんと、心配してるんだけど」

 一言ずつ区切ってはっきり伝えれば、鋭司は口端を僅かに上げた。

「それはどうも有難う」

「お前、全然有り難くなんて思ってないだろ。くそっ、どうせ余計な世話だよ」

「まぁ、そうだな」

「本気でムカつく奴」

「そんなことは昔から知ってるだろ。それよりも、圭こそ気をつけろ。アンドロイドまで使うなら、あいつら死に物狂いでお前を消したいってことだ」

「分かってるよ。とにかく、検査が終わったら事務所に行くから」

「うちの人間に誰か迎えに行かせるか?」

「いらないよ。そんなこと頼んだら末代まで祟られそうだ」

「末代の作り方は知ってるのか?」

 からかい含みの笑いに、圭は無言で通信を切った。

 今まで彼女がいなかった訳じゃない。でも、お手々繋いで清い交際しかしたことのない圭にとって、末代を心配するようなできごとは何もない。

 それをからかわれたのが腹立たしい。別に彼女が欲しくない訳じゃない。むしろ告白されたら速攻付き合うくらいには節操がない。

 ただ、残念ながら長く続かないのだからどうしようもない。友達は男女問わず多い。それにも関わらず、お付き合いすると、途端に「物足りない男」認定される。

 腹立たしいまま、テーブルにセットされた朝食を勢いのまま腹に収めると、少しだけ気分は落ち着いた。

 それから少しすると里見が言っていたように検査が始まり、昼前には良好という結果もでて、難なく退院の許可も下りた。入院着から普段着に着替えると、最後に里見からお小言を再び貰い、うんざりした気分で会計を済ませて外に出た。

 病院前から少し歩いた店でPCを買うと、メトロに乗り事務所に向かう。駅から事務所までは、少し悩んだ末にエアバイクをレンタルした。

 雪や鋭司であれば、エアボードで移動するのだろうが、圭はエアボードに乗ることができない。

 何度か子どもの頃に練習したが、スピードのあるエアボードの上で上手くバランスが取れない。転ぶ度に鋭司や雪には笑われたが、どうしても乗ることができなかった。

 エアバイクで事務所前まで到着すると、レンタルされたエアバイクはオートで回収される。事務所の中へ入れば、宣言通り鋭司が一人で寛いでいた。

「一応、エアバイク使うくらいの頭はあったみたいだな」

「危機回避能力くらいはあるつもりだけど」

「回避能力があれば、昨日みたいな状況にはなってないだろ。寝言は寝てから言え」

「お前ねぇ、少しは労るとか、そういう優しさを見せろよ。仮にも俺の方が年上なんだから敬え」

「敬うべきところがあればな」

 サラリと流されるとこれはこれで腹立たしい。けれども、幾ら腹を立てたところで鋭司相手では分が悪い。

「ケイ、ケイ」

 その声と共に足下に何かがあたる。視線を落とせば、足下にグラビティが転がっていた。浮遊装置が壊れたため、どうやら転がって移動しているらしい。

「グラビティ」

「ケイ、サビシカッタデス。エイジハイジワルデス」

「それは昔からだ」

「ケイガイナクテサビシイッテイッタラ、エイジハ、オンナガイルカラ、ゼンゼンサビシクナイッテ」

「あー……まぁ、楽しくやってたみたいだしな」

「ムカツイタノデ、エイジノオンナガイルトキニ、ウタヲウタイマシタ」

「それは……」

 鋭司が女性と共にしている、ということはそういうことをする時だけだ。ということは、もしかして……。

 恐る恐る鋭司に視線を向ければ、鋭司は無表情でこちらにチラリと視線を向けた。それはかなり冷ややかな視線だった。

「大変楽しい夜だったな。女がグラビティを殴りつけようとするのを止めたり、その気になってもへぼい歌で気が削がれたり」

「……ご迷惑をお掛けしました」

 そんなことがあったのであれば、チクチクと嫌味を言われても仕方ないかもしれない。

「そいつにスリープ機能でもつけておけ」

「考えておく」

「ソンナセッショウナー」

 騒ぐグラビティを抱き上げると、もう力なく笑うしかない。

「家に帰ったら浮遊チップ、新しいのに付け替えてやるから」

「ゼッタイデスヨ」

「だから、今は大人しくしてろよ。ちょっと調べ物があるから」

 グラビティを抱えたまま鋭司の向かいのソファに座ると、すぐさま事務所のPCを立ち上げる。

「何をするつもりだ?」

「あのメンバーの中でとびきり金と名誉があるのは大河内の親だ。勿論、あとで他の人間も調べるつもりだけど、大河内の親の関係でアンドロイドに関わる人間がいるか調べる」

「大物だからこそ、アンドロイド殺人なんて馬鹿なことはしないだろ。他に何をしていても、それだけで一発死刑だ」

「でも、政治家なら隠せる。そうだろ?」

 ストレートに飾り立てなく言えば、苦々しげな顔をしながらも鋭司は「そうだ」と答える。親が政治家だからこそ、鋭司だってそのくらいのことは知っている。そして、それを快く思っていないことも本人から聞きかじっている。

 この国で親が政治家となると、子どもは大変な苦労に違いない。それは身近に鋭司がいたから知っている。三億二千万人という日本の人口の中で、政治家になれるのはわずか五十人だ。

 その五十人という枠の中で日本の政治は行われている。昔はもっと多くいたらしいが、人数を減らし国民総選挙で選ぶ。

 各地方から代表者二名で計十八名、残り三十二名を選挙で選ぶ。勿論、大都市がある関東や近畿などは政治家が多い。

 ただ、二世議員は認められず、選挙で決まった後にDNA鑑定まで行う決まりになっている。親からの金で政治家になる人間を認めない、ということらしいが、結局、身内に金が巡り、血縁者が政治家になる例も少なくない。

 大河内家は身内が誰かしら政治家という、長年政治屋をしてきた家系だ。けれども、鋭司の家は違う。成り上がり政治家で、鋭司の親も子どもが政治に関わる職につくことを賛成していない。

 政治家は外聞が悪ければ務まらない。けれども、奇麗事だけじゃ政治はやっていけない。恐らく、圭が聞いている以上に鋭司は親の奇麗事じゃ済まない部分を見てきたのかもしれない。

 鋭司は父親に対して反発心がある。けれども、身内は身内だ。幾ら自分で身内を悪し様に言っていたとしても、他人から言われると腹立たしく思うものだ。

 だから、圭は少し悩んだ末に言葉を選んで鋭司に問い掛けた。

「大河内をつつくと、おじさんの立場が悪くなったりするか?」

「別に構わないだろ。大河内が親に泣きついて、うちの親父に圧力掛けてきたとする。でも、親父がそれで潰れるなら三流政治家ってことだろ」

「いいのか?」

「それじゃあ、ここで追求は辞めるのか?」

 追求はしたい。できる限りしたいと思う。でも、追求することで追い詰められるのが、自分ではなく鋭司の父親というところが気にはなる。

 けど、圭が気にするように鋭司が気にするとは思えない。どうしようか考えた末に、人好きすると言われる笑顔を鋭司に向けた。

「鋭司がどうしても、って頼むなら」

「俺が頼むと思うか?」

「思わない」

「無駄な会話だな」

 確かにその通りだと思う。でも、鋭司のようにきっぱりと身内を切り捨てるような潔さを圭は持っていない。

 恐らく、その時になったら迷うし、困るのだろう。そして、絶対などということはありえないのに、母親と雪は犯罪に手を染めるようなことはしないと思っている。

「あーあ、何か俺って情けないよな。今、割り切ってる鋭司凄い、とか思っちゃったよ」

「圭が情けないのは昔からだ。でも、圭が凄いと思う必要はない。もし、圭が俺と同じようなタイプだったら、一緒にやる意味がない」

「そういうもん?」

「そういうものだろ。ニュース一つとっても、俺と圭で意見が違う。けれども、方向性の違う意見を聞いて、扱うニュースと距離ができるから客観的になれる。別にニュースを媒体にして、自分の意見を伝えたいわけじゃない」

 確かに伝えたいことは正しい真実であって、自分の意見や主張を伝えたい訳じゃない。ただ、多くの人に正確な情報を知って欲しいだけだ。

「まぁ、そういうことなら、俺は真実を追究しちゃうよー」

「情報を集めるのは構わない。ただ、圭の場合、外で情報収集はするな。周りが大迷惑だ」

「だからさぁ、さきも言ったけど、もう少し歯に衣着せようよ。俺が可哀相だから」

「圭をあからさまに持ち上げたら、それこそ歯が浮くだろ。それともにっこり笑顔でお疲れ様とか言って欲しいのか?」

 鋭司に言われて思わず想像してみる。

 今さらながら鋭司の爽やかな笑みなど思い浮かばない。ひたすら黒い笑みを向けられて、猫なで声でお疲れ様などと言われたら、それだけで脱兎の如く逃げ出すに違いない。

 寒い、余りにも寒すぎる。そうだ、人間には向き不向きがある。

「……遠慮する」

「なら、例のアンドロイドについて調べろ。そっちを調べないことには、身の危険がいつまでも回避されないからな」

「へいへい」

 投げやりな返事をすると、圭は今度こそ遠慮することなくPCに向かい、大河内家について調べ始めた。

 何をするにも情報は大切だ。昔は情報を手に入れることが罪に問われた時代もあったらしい。でも、圭から言わせて貰えば、読み取れるようなところに情報を置いておくのが悪い。

 だから盗まれたくない情報は企業側も死に物狂いで死守するし、圭のようにネットに精通した者は情報を奪いにいく。

 むしろ企業間のハッキングは日常茶飯事で、それに失敗すれば、さらし者にされ、業界の笑いものになるだけだ。

 大切な情報ほど紙ベースで保存されている、というのだから時代後退とも言えるのかもしれない。だが、ある意味、本当に大事なものはネットに放置するものではない。

 それが分かっているからこそ、圭もネット上に放置情報を作らない。ログの一つですら残さないのが圭の遣り方だ。

 ネットに入ると、まず圭がしたことは、大河内について調べることよりも、鋭司との通信記録を消去することだった。

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