【第33話】「再び、旅立ち」
夜明け前のカラーポルトは、先日までの混乱が嘘のように静かだった。
海から吹き込む風が、まだ冷たい。
ギルド支部の前で、ひとり知久は荷物を肩にかけた。
「……さて。そろそろ行くか」
誰にも気づかれないように――誰にも引き止められないように。
「役目は終わった。あとは……あの子ならやっていける」
そう呟いて、門へ向き直ったその時だった。
「どこへ行くつもりですか、先生?」
不意に、背中に声が降ってきた。
驚いて振り返ると、そこには薄い上着を羽織ったセファが、今にも泣きそうな顔で立っていた。
「……セファ。ずいぶん早起きだな」
「エナさんに聞いてました。“先生は、使命が終わると黙って消える人です”って。その方がかっこいいと思ってるタイプです、って」
後輩のしてやったり顔が脳裏に浮かび、知久は頭をかいた。
「……あいつ、本当に余計なことを……」
セファは一歩、また一歩と近づいてくる。
「どうして……どうして言わないんですか? 一言くらい……“行ってくる”って言ってくれてもいいじゃないですか……!」
声は震え、目尻が赤い。
だが、槍を握るように、両手の拳だけは固く結ばれていた。
「……セファはもう、俺がいなくても大丈夫だろ?」
「大丈夫じゃありません!!」
言葉が重なり、知久の胸に突き刺さる。
「私は……先生がいたから、ここまで来れたんです。黒焔鬼も、街の人も、ギルドも、ぜんぶ……先生のおかげで守れたんです!」
「……違うよ」
知久は静かに首を振った。
「守ったのはセファとギルドの人たちだ。俺はただ……ほんの少し手助けをしただけ」
セファの瞳が大きく揺れる。
「俺は部外者だからな。時が来たら去らないといけない。あとは家族でなんとかしないとな。しっかり守っていくんだぞ。セファ」
言葉を噛み締めながら、ゆっくりと彼女の頭に手を置いた。
その瞬間だった。
「……や、やだ……っ!」
堰を切ったように、セファが飛び込んできた。
小さな体が、強く知久に抱きつく。
「行かないでください、先生! 先生だって、私の大事な家族です!! 先生がいないと、私……寂しい、です……!!」
知久はその肩にそっと手を添えた。
彼女の涙が、服の胸元にじんわりと染みてくる。
葛藤で胸が苦しくなる。
「……いつまでも甘えてちゃだめだろ。セファは支部長なんだから」
ゆっくり、だが確かに彼女から手を離す。
「俺は行くよ。まだ、やらなきゃいけないことがある」
セファは涙をぬぐい、震える声で尋ねた。
「……また、帰ってきますか?」
知久は、一瞬だけ空を見上げた。
朝の光が、港の向こうで静かに広がっていく。
「……いつかまた来るよ。約束する。その時は、もう泣かないようにな」
その答えを聞いた瞬間、セファの目に少し笑みが戻った。
涙のあとが残っているのに、彼女は支部長らしい強い顔で頷いた。
「わかりました、です。約束です。先生」
「またな、支部長」
知久は笑い返し、街道へと歩き出した。
(俺、ちゃんと”先生”をできたかな……できてたら、いいんだけどな)
海風が吹き抜ける。
迷いはない。
次の街にも、きっと誰かが苦しんでいる。
働き方に悩む冒険者も、変わりたくても変われない人も。
――それを、変えたいと思ってしまうから。
それが、四谷知久の“加護”であり、生き方だった。
こうして、知久は新たな旅へと踏み出した。
だが、その背中はもう――
いや、とっくの昔から。
自由ではあるが、孤独ではなかった。




