【第5話】「支部長と、ホワイティアの現実」
──ギギィ……。
重たい扉が、耳障りな軋みを上げて開いた。
「……ふん。新人たち、か」
部屋にいたのは、仕立てのいいダークスーツを身にまとった中年の男だった。
一見上品にも見えるが、スーツのボタンやカフスにさりげなくあしらわれた金の装飾が、どこかいやらしく光っている。
整えられた白髪交じりの髪、年相応に厚塗りの整髪料の匂い。だが、脂っぽい顔には笑みひとつなく、目つきだけは異様に鋭い。
まるで他人の価値を金額で測っているような、冷たい視線だった。
「こちら、我らが支部長──マルベックだ!」
横でゴルディが紹介するも、マルベック本人は無言で3人を一瞥し、煙草のようなものを咥えていた。
部屋の中央に置かれた椅子──妙に高級そうな革張りのそれにふんぞり返りながら、口を開く。
「どうせ他所で使えなかった落ちこぼれだろう。ここで“拾ってもらった”ことに感謝しろよ」
その第一声に、知久の中で何かがキレそうになる。
「……は?」
思わず声が漏れたが、マルベックは気にも留めず続ける。
「この支部は人手不足だがな、働かない奴には飯も寝床もいらん。逆に言えば、働けば“最低限”はやる。結果を出せば、な」
「最低限……って、それはつまり──」
「報酬? そんなもん、成績次第だ。赤字の支部が“ごっこ遊び”に金なんか出すかよ。お前らの給料も経費も、削れるだけ削る。それから、仕事は選ぶな。こちらが指示する。文句があるなら帰れ」
空気がピキリと凍りついた。初対面の相手にここまで露骨な敵意を向ける大人がいるとは。
「そ、そんな言い方しなくても……」
ミロリーが小さな声で抗議する。
が─その瞬間、マルベックの目がギラリと光った。
「だったら、出て行くか?」
低い声で、静かに、だが確実に圧を乗せて。
ミロリーはピクリと肩を震わせ、すぐにうつむいた。
「……いえ。な、なんでもないです」
「ハハ……まあまあ、支部長。今日は歓迎の日なんだし、もうちょっとこう、柔らかくな……」
「黙れ、ゴルディ。お前も大して使えんくせに、口だけは回るんだよな」
「へいへい……手厳しいこって」
ゴルディの顔に浮かぶ乾いた笑いは、心底からのものではなかった。
「……とにかく。お前らは今日からこの支部で働く。与える任務はこなせ。余計なことは考えるな。それが嫌なら、路頭に迷え」
マルベックは最後に煙を吐き、重々しく背もたれに体を預けた。
──これが、俺たちの“上司”だってのか……。
まともな人間とは到底思えない。いや、前の職場のパワハラ部長よりも質が悪い。
そんな中、空気を変えようとゴルディが手を叩いた。
「よーし、じゃあ! 支部の施設を案内しよう! 宿舎はこっちだ!」
その明るさは、まるで壊れたスピーカーのようだった。
☆ ☆ ☆
──宿舎。
そこは、文字通りの「ボロ宿」だった。
軋むベッド、薄い布団。窓は半分割れており、風がスースーと吹き込む。
天井の木材にはカビが浮き、床板もところどころ沈んでいる。
「ここが……俺の、再スタート……ね」
ぼそりと口をついた言葉に、皮肉めいた笑いがこぼれた。
──なんだよ、これ。
夢見ていた異世界生活のはずが、現実は泥まみれ。
希望を胸に旅立ったが、たどり着いたのは──ブラック支部だった。
パワハラ上司に、ボロ屋敷。待遇は劣悪で、理不尽が標準装備。
「……前の世界と、何も変わってねぇじゃねぇか」
思わず、自嘲の笑みがこぼれる。
王都で会った騎士──グレンは言った。
『誰よりも自由な仕事だ。自身の裁量次第で、いくらでも上へ行くことができる』と。
詐欺だろ、これ。どう見ても。
でも──それでも。
逃げる気はなかった。
前の職場で、何年も歯を食いしばってきた。
それに今は、《ライフイズエナジー》がある。あの加護がある限り、まだ戦える。
「……上等だ。やってやるよ、クソッタレが」
夜風に震えながら、ギシギシと鳴るベッドに身体を沈めた。
そうして、ホワイティアでの戦いが本格的に始まった。