【第27話】「深き闇に差し込む光」
知久は――自分のデスクの前にいた。
薄暗いオフィス。
机には山のように積まれたタスク表、鳴り止まないチャット通知。
飲み干したエナドリの空き缶が、崩れた塔のように転がっている。
壁に掛かった時計は、深夜三時を指したまま固まっていた。
呼吸が浅い。心臓は重く沈み、声は喉の奥か出てこない。
会社という化け物が、無数の黒い手で知久を締めつけていた。
「おい四谷ァァ!! 朝までに終わらせとけって言ったよなァァ!!」
怒声が飛んできた。
パワハラ部長。
知久にとって、地獄そのものの象徴だ。
「お前の代わりなんていくらでもいるんだよ!! ゴミが!!」
その言葉は、錆び付いた杭のように胸に刺さる。
――逃げなきゃ。
机から身体を引き剥がし、足を前に出した瞬間。
「どこ行く気だテメェ!!」
背後から怒りの絶叫。
足元の床が、ぐらりと崩落した。
そこには――底なしの黒い沼。
「……っ!」
足が沈む。
体が吸い込まれるように、ずぶずぶと闇に飲まれていく。
「貴様らみたいなゴミ、俺に使われてるだけマシなんだよ。いいから一生働け。死体になるまでな」
上司の声が、いつの間にかマルベックの声と混じり合う。
胸が苦しい。酸素が足りない。
心臓に冷たい鎖が巻きついていく。
(……結局俺は、どこに行っても社畜のままなのか……)
自由もやりがいも無く、ただ支配され、搾取されるだけの存在。
そんな自分も、世の中も。
……変えたい。
そう願った時だった。
ふっと、白い光が差した。
闇の中で、誰かが手を伸ばしていた。
『先輩!!』
聞き慣れた、強くて優しい声。
エナが、涙を浮かべながら知久の腕を掴んでいた。
『また私を置いて死ぬつもりなんですか!?』
「エナ……」
そして、次々と声が重なる。
『何やってんのよ! 頼れって言ったでしょ!』
『知久さんは、一人じゃ……ないんです……!』
『だから〜まけちゃダメで〜す!!』
アゼリア。ミロリー。トキワ。
ホワイティアのみんなが、沼から引き上げてくれる。
手を、背中を、声を――支えてくれている。
「……みんな……」
指先に確かな温度が伝わる。
その瞬間。
黒い闇が、煙のように揺らいだ。
霧が晴れるように、視界が開ける。
――そこは、燃え盛るカラーポルトだった。
そして目の前には、倒れたセファの姿。
「……セファ……!」
槍を握りしめたまま、黒焔の中で何度も立ち上がり、倒れ、泣きながら必死に叫んでいた。
助けたい。
この子を――守りたい。
『……助けたいんですよね?』
耳元で、ミロリーの優しい声がした気がした。
「ああ」
『信じてるんですよね~、あの子のこと~』
トキワの間延びした声。
「もちろんだ」
『なら行きなさいよ! それがあんたのやることなんでしょ!』
アゼリアの力強い声。みんなの声が、踏み出す勇気をくれる。
「……ありがとう」
仲間たちの姿はもう見えない。
けれど、その声は胸の奥に、確かに残っていた。
一歩踏み出した瞬間――
知久の胸が淡く光った。
水面に浮かぶ泡が弾けるような、静かな青白い光。
それは柔らかな波紋となって、全身に広がった。
そして突然、目の前に自販機が現れる。
『ピロロロロロロロロ!!!』
場違いなほど激しく音を立て、全てのボタンが派手に点滅している。
やがてガタン、と取り出し口に現れたのは、見たことのない輝きを放つ新しい水色の缶。
「《ライフイズエナジー》が……勝手に起動した? いや……これ、進化したのか……!」
“加護は、生き方で変わる”。
その言葉を思い出す。
――名前は。
缶に記された文字が、淡く浮かび上がる。
《アクア・リゾナンス》
知久は迷わず、缶を開けて飲み干した。
冷たい水が全身を駆け巡り、どろりと濁った空気が一気に清らかに変わっていく。
「……すげぇ……!」
足元から水の流れが巻き起こり、まるで生き物のように黒焔に突進する。
触れた瞬間、黒焔は白い煙となって消えていった。
知久は駆け出した。
「セファ!!」
黒焔に倒れた少女が、震える手で槍を握っている。
知久はそっと彼女の肩に手を添えた。
「大丈夫か? 立てるか、セファ!」
その声に応えるように、《アクア・リゾナンス》の水流が彼女を包む。
傷を癒すように、優しく揺れた。
セファの瞳が、かすかに開く。
「……せん、せい……?」
かすれた声が震えていた。
それでも、知久の手を――彼女は弱く、しかし確かに握り返した。
その温もりが、小さな光となって二人を照らしていた。




