【第20話】「静かな覚悟」
カラーポルト総督府――
王家の紋章が刻まれた重厚な石壁に、海風が静かに吹き付けていた。
夕暮れ時。
執務室の窓から差し込む橙色の光が、書類の山を淡く照らす。
「……ギルドが?」
部下の報告に、ヴィーノは手を止めて顔を上げた。
「はい。黒焔鬼の捕縛に向け、見回りの強化や倉庫の巡回、安全確認を次々と進めています。さらに我々からの祭り準備の依頼にも、総出で対応しているようで」
「……そうか」
ヴィーノは短く答え、窓の外へ視線を向けた。
街灯がぽつり、ぽつりと灯りはじめている。
その下で、ギルドの若い冒険者が荷物を運び、指示を出すセファの姿が小さく見える。
あの小さな少女が、堂々と指示を出し、仲間たちがそれに従う。
ほんの数日前まで泣きそうな顔で迷っていた少女とは思えなかった。
「……立派になったな、セファ」
自分でも驚くほど自然に、その言葉がこぼれた。
部下が恐る恐る問いかける。
「総督……いかがいたしますか?」
ヴィーノは、しばし沈黙した。
海の方から吹く風が、カーテンを揺らす。
やがて、静かに目を閉じる。
「放っておけ。所詮は小娘一人だ。どうとでもなる」
「……はっ。わかりました」
そう言ったヴィーノの横顔は、どこか耐え難い痛みを押し殺したように見えた。
部下は深く頭を下げ、部屋を去る。
静まり返った執務室で、ヴィーノはゆっくりと席を立った。
窓の外に広がる海。
その向こうには、かつて仲間と誓いを交わした場所――そして失われた光景がある。
彼の瞳は、揺れながらも、何かを覚悟したように固く結ばれていた。
「……これ以上、過ちを繰り返すわけにはいかない」
誰に向けた言葉なのか、自分でも分からなかった。
だが、その瞬間――
ヴィーノの中で、ひとつの決意が確かに形を成した。
☆ ☆ ☆
ヴィーノ・アッシュヤード。
彼は王家の傍系に連なる家系に生まれた。
王都の一角、白壁に囲まれた広大な敷地。
庭園には四季折々の花が咲き乱れ、館には無数の召使いが仕えた。
豪奢で整いすぎた日常の中、ただ一つだけ変わらなかったのは――家族の冷たい笑顔。
『アッシュヤードの者は、民の上に立つ器でなければならん』
『王族に生まれたことを誇れ。お前は選ばれし者だ』
『愚民は愚かだ。従わせることが慈悲となる』
父が繰り返した言葉を、幼いヴィーノは疑わなかった。
だが、十二歳の誕生日――運命を変える出来事があった。
本来なら成人してから許されるはずの“王との謁見”。
当時の王、カーディナル・レッカ・フレーヴェントは違った。
年齢も階級も問わず、“加護の才を持つ者の未来を早くから育てたい”――そう考える王だった。
ヴィーノの加護《白焔》は、精神を安らげる希少な炎。
父は「戦えぬ炎に価値はない」と鼻で笑ったが、謁見の間に立つヴィーノの緊張は、意外なほどすぐに溶けていった。
――王の瞳のせいだ。
そこにあったのは、支配者の目ではなく、“見守る者”のまなざし。
「その白焔、とても美しい。恐れずに、人のために灯してごらん」
促され、ヴィーノは掌に白い小さな炎を灯した。
王は目を細め、優しく言った。
「君の力は、心を照らす光だ。どうか、民のそばで使ってあげてほしい」
それは初めて知った価値観だった。
“力を持つとは、誰かを支配すること”ではない――“誰かを助けること”なのだと。
「冒険者ギルドは、民が自らの意志で歩む時代の礎となる。王族とは、本来それを信じて見守る者なのだよ」
謁見の帰り道。
馬車の中で、父は苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
「王は甘すぎる。民に自由を与えれば秩序は崩れる。あの男には王の器がない。……我らアッシュヤードが支えねば、この国は滅びるぞ」
だがヴィーノは、もう頷けなかった。
何が正しいかはわからない。
ただ――王の言葉は、胸の奥で静かに光り続けていた。
十六歳。
進路を決める時、周囲は当然のように議員か騎士団を勧めた。
だが、ヴィーノは違う道を選んだ。
「……冒険者になりたい」
誰もが笑った。蔑んだ。
激昂した父は、家の恥だと怒鳴った。
それでも、行き先は決まっていた。
――《カラーポルト》。
王が語った『冒険者ギルドの始まり』。
民の自由の象徴となる場所。
家を出たその日から、ヴィーノは“アッシュヤード”の名を捨てた。
だが現実は残酷だった。
冒険者は自由で、夢のある職業――聞いていたはずの触れ込みは、ただの幻想だった。
実際のギルドは、総督府に管理され、冒険者たちは道具のように扱われていた。
命も尊厳も軽く扱われ、自由などどこにもなかった。
「……これが、王の言っていた“自由”なのか?」
理想と現実の落差に、心が折れそうになった。
そしてある日。
ヴィーノはダンジョンで致命傷を負った。
「……まさか、こんな所で終わるのか」
孤独な戦い。
血に濡れた剣が震える。
倒れ込んだその時――
「なにやってるの? 死ぬ気?」
澄んだ声が、死を遠ざけた。
水の加護の槍が魔物を貫き、光が走る。
凛とした女性、リヴェラ。
隣には頼りなげだが心優しい剣士、ダリオン。
「もう大丈夫だ。あとはリヴェラが何とかしてくれる」
「あなたも戦いなさいよ、ダリオン!」
二人は彼を救い、そして――初めての“友人”になった。
自然と三人はパーティを組み、日々の戦いで絆を深めた。
リヴェラは語った。
「ギルドは“家”であるべきだよ。誰もが安心して帰ってこれて、誰かが誰かを支えられる場所。
命が軽く扱われるなんて、そんなの絶対に変えなきゃいけない」
その姿は、かつて謁見した王と同じだった。
まっすぐで、温かく、人を導く光。
気づけばヴィーノは、リヴェラとダリオンの隣でギルド改革に奔走していた。
当時から事務方として働いていたルネも、自然と輪に加わった。
数年後。
総督府との長い交渉の末、ギルドは“自営権”を勝ち取り、各地の体制見直しの火付け役となった。
そして、祝賀の夜。
酔ったダリオンが、真っ赤な顔で言った。
「ヴィーノ……僕、リヴェラと結婚するつもりなんだ」
驚いた。それでも、心から祝福できた。
「俺に遠慮をするな。……おめでとう、ダリオン」
自分の胸にある複雑な想いを押し殺しても――二人の幸せを願えた。
一年後。
セファが生まれた。
それはヴィーノにとって、もう一つの“家族”の始まりだった。




