【第12話】「十年の連鎖」
朝の港町は、まだ眠りの余韻をまとっていた。
知久は早めに目を覚まし、外の空気を吸いに訓練場へ向かった——そこで、見つけた。
「……はっ、はっ……!」
セファが一人、槍を振っていた。
小柄な身体が、しなやかな弧を描く。
槍の軌跡は鋭いが、どこかぎこちなさも残っている。
「朝から頑張ってるな」
声をかけると、セファは驚いたように振り返る。
「あっ……せ、先生。怪我は……大丈夫なんですか?」
「まあ、なんとかね」
知久は軽く笑って見せた。
しかし、服の下の脇腹には、黒い焦げ跡のような痕が、薄く残っている。
触れると、ひやりとした感触がした。
(……やっぱり、ただの斬撃じゃなかったな)
黒焔がもたらす“異質”は、確かに体に触れていた。
「先生……?」
セファが心配そうに覗き込む。
「平気。すぐ治るさ。それより、セファこそ寝れてないだろ」
「……少しだけ、です。でも、今は……立ち止まりたくないから」
言葉は幼いが、その瞳はまっすぐだった。
そのとき。
「こら、セファ。そろそろ行く時間だよ」
ルネがギルドの裏口から姿を現した。どこか静かな緊張が漂っている。
「どこへ?」
知久が尋ねると、ルネは短く答えた。
「ちょっくら、丘の上にさ。あんたも来るかい?」
「……行かせてもらいます」
☆ ☆ ☆
港町を見渡す高台。
潮風がゆるやかに吹き抜け、朝の光を受けた海面がきらきらと輝いていた。
その丘の上に、質素な墓が二つ並んでいる。
ひとつには《リヴェラ》。
もうひとつには《ダリオン》。
石碑の前で、セファは静かに膝をついた。
細い指先で、花束をそっと置く。
「今日は……母さんと父さんの命日なん、です」
その声は震えていなかった。
悲しみよりも、祈りと誇りがそこにあった。
知久も隣で静かに手を合わせる。
潮風の音が、まるで亡き二人の声のように優しく響いている気がした。
「セファの両親……働き方改革の先駆者、か」
彼は思わず呟いた。
かつて自分が成し遂げたつもりでいた“改革”。
それを十年前にすでに実践していた人たちがいた――その事実に胸が熱くなる。
花を手向けながら、ルネが口を開いた。
「二人はね、この街のギルドを“家”みたいにしたかったんだよ。
誰もが安心して戻れる場所。お互いを信じて、頼り合える場所をね」
「家か……」
知久は風に目を細めた。
ホワイティア支部でも、似たような考えを仲間たちと目指していた。
だが、それを本気で形にしようとした人が、ここにもいたのだ。
「リヴェラが亡くなった後も、その理想を継ごうとした人たちがいた。
四人の支部長が、あの二人の遺志を繋ごうとした。……でも、その度に黒焔鬼が現れて、みんな殺された」
ルネの声は風にかき消されそうなほど静かだった。
「まるで、“繋げさせない”って言いたいようだと思わないかい?」
セファの指が、膝の上でぎゅっと握られた。
彼女の唇が小さく震える。
「セファ。あんたは、支部長なんか辞めるんだ」
「ル、ルネさん!?」
唐突な言葉に、知久は目を見開き、セファが顔を上げる。
青い瞳に驚きと戸惑いが浮かぶ。
「おば様! その話はもうやめてください! 私はもう――」
その言葉を遮るように、ルネが鋭く言い放った。
「聞いたよ、先生。あんた、黒焔鬼に会ったんだって?」
「え、ええ。間違いないと思います」
知久の脇腹に、あの夜の痛みがよみがえる。
衣服の下には、今も黒い焦げ跡のような痕が残っていた。
焼け焦げというよりも、何かが刻まれたような――不気味な痕跡だった。
ルネは目を細めた。
「今回の黒焔鬼は何かが違う。今までは支部長だけを狙っていたのに……この前の火事も、襲撃も、きっと、周りを傷つけてセファを苦しめようとしているんだ」
「酷い……!!」
セファの顔が悲痛に染まる。
それでも、ルネは容赦なく続けた。
「さっき、若い冒険者たちがギルドを辞めたいって言ってきたよ」
「……え?」
「“黒焔鬼が出る街で、子供の支部長に命を預けるなんて無理だ”ってさ。ベテランたちが説得して、なんとか思いとどまってくれたけど……時間の問題かもしれない」
セファの肩が小さく揺れた。
唇を噛みしめ、絞り出すように声を漏らす。
「私のせいで……みんなが傷ついてる……」
「もういいんじゃないか? あんたはよく頑張ったよ。
リヴェラとダリオンが死んで、あんたまでいなくなってしまったら……あたしは……」
「おば様……」
その横顔を見て、知久は庇うように一歩前に出た。
静かな声だったが、その言葉には確かな芯があった。
「ルネさん、ちょっと待ってください」
「……?」
「セファを心配する気持ちは痛いほどわかります。……でも、彼女の選択を奪うようなことは、しないでください」
「先生……」
セファが小さくつぶやく。
ルネは一度目を細め、知久をじっと見た。
「……あんたも、また狙われるかもしれないんだよ?」
「それでも、です」
知久は微笑みながら肩をすくめた。
「セファを一人前に育てるまでが、俺の仕事ですから」
「仕事のために命をかけるなんて、バカらしいと思わないのかい?」
「バカだと思ってます」
即答だった。
けれどその声には、揺るぎない決意があった。
(俺はもう、あの頃の“働きすぎて死んだ自分”じゃない。今は、命を削るためじゃなく――誰かを生かすために働いているんだ)
知久は静かに続けた。
「でも、セファは頑張ってる。まだ経験も少なくて、失敗もするけど……それでも真っ直ぐに前を向いてる。そんな子を放っておけないんです」
だからこそ、支える。
倒れる前に手を伸ばせるように、見守り続ける。
「この子はいずれご両親のような……いや、二人を超えるような立派な支部長になれるかもしれない」
セファは目を閉じ、小さくうなずいた。
そして、ゆっくりと顔を上げる。
「先生。おば様。私……みんなのこと、守ってみせます、です」
風が丘を駆け抜け、青い髪がふわりと舞った。
その瞳は、確かに恐怖を抱えながらも、まっすぐ前を向いていた。
「怖いけど、逃げたくない。母さんと父さんが目指したギルドを、私が続けます。このギルドを、私たちの“家”にしたいんです」
その言葉に、知久の胸にグレンの言葉がよみがえった。
――「繋いでいくことが大事なんだ」
(そうか……)
改革は、誰かがひとりで成し遂げるものじゃない。
誰かが始め、誰かが受け継ぎ、そして次の誰かへと託されていく。
人から人へ、願いから願いへ。
知久は静かに息を吸い込み、墓前に向き直った。
ルネはふっと息を漏らす。
口調こそ呆れ気味だったが、その目元には確かな安堵が宿っていた。
「……まったく。とんでもない仕事バカだね、あんたたちは」
三人の間を、柔らかな潮風が通り抜けていった。




