【第9話】「繋いでいく意志」
四谷知久は、元の世界ではブラック企業に勤めていた、どこにでもいる社会人だった。
一人でなんでも抱えてしまう性格だったゆえに、仕事を抱えすぎて死んでしまったわけだが、その役職は最後まで平社員だった。
だからこそ。
「そ、育てる、ですか……?」
あのとき、グレンの前で言葉に詰まった自分を思い出す。
グレンは首をかしげた。柔らかい笑みを浮かべながらも、その目は真剣だ。
「む? 何か問題があるのか?」
「いえ……その……」
知久は躊躇しつつも、正直に口を開いた。
「お恥ずかしながら……実は、仕事で誰かを育てたことがなくて」
「ほう?」
グレンの表情に、面白そうだという色が浮かんだ。
まるで『そこからか』とでも言いたげな、師匠のような目。
「後輩はいましたが、部下という存在を持ったことがなくて……。だから、自分にできるかどうか……」
「貴殿の目標は、世界中で“働き方”を変えること。そうだったな?」
「ええ……そうです」
あの女神に言われた言葉が、頭の奥でよみがえる。
――君の改革は、やがてこの世界を救うことになる。
だからこそ、自分はホワイティアを飛び出し、旅に出た。
次の場所で、新しい改革を成し遂げるために。
「だが、その改革も一時的なもので終わってしまっては意味がない」
「え?」
「貴殿が改革を果たしたホワイティアも、今は貴殿の意志を引き継いだ者がいるから安泰だろう。だが、もし彼らが全員ホワイティアを去り、再びマルベックのような男が上に立ったらどうする?」
胸の奥がひやりとした。そこまで考えてもいなかった。
「だからこそ必要なのだ。後進の育成が」
グレンの声音が重くなる。
「改革の意志を繋いでいくこと。それが肝要なのだ」
☆ ☆ ☆
火事の翌朝。
知久はベッドの上で、ふと天井を見つめながらこの会話を思い出していた。
カラーポルト支部がもし普通の状況だったなら、立て直すだけならそう難しくはなかっただろう。
ホワイティアのように癖の強い支部長がいるわけでもない。
自分が先頭に立ち、細かい問題点を一つずつ潰していけば、支部はきっと立て直せる。
だが、それではダメだ。
自分はこの港町に永遠に居続けるわけではない。
去ったあとにまた元の腐敗に戻るなら、すべてが無意味になる。
(……セファを育てなきゃならない)
立派な支部長として、自分がいなくてもやっていけるように。
しかし。
「……そんな簡単な話じゃないんだよなぁ」
ため息を吐き、頭をかく。
セファはまだ十三歳。
一回り近く年の離れた少女など、知久からすれば未確認生物と大して違わないほどの難解さだ。
ましてや「育てる」なんて、正直見当もつかない。
そして、黒焔鬼という街を脅かす謎の存在。
ただ育てるだけでなく、セファの身を守る必要もある。
どちらも簡単に済ませられるようなことではない。
「あの人、やっぱ俺を過大評価してるよ……」
それでも、自分からやると引き受けたのだ。
グレンの信頼を裏切るわけにはいかない。
知久は枕元に置いた缶をひとつ手に取り、無言で握りしめた。




