【第5話】「港の一日仕事体験」
朝のギルド支部には、微かなざわめきと倦怠が漂っていた。
扉を開けて中に入った知久は、その空気の重さに少しだけ眉を寄せる。
(朝なのに、活気がないな……)
掲示板の依頼書は昨日から貼り替えられておらず、受付にはベルノーがいつものように面倒くさそうに書類を捌いていた。
カウンターの奥では、数人の冒険者が椅子に寄りかかって雑談している。誰も新しい仕事に手を出そうとする気配がない。
知久はそのまま、奥の支部長室の扉を軽くノックした。
「おはよう、セファ」
「……あ、先生。おはようございます、です」
セファは机の上の書類をまとめようとして、慌てて崩す。
寝不足なのか、目の下にはうっすらと影ができていた。
「少し、現場を見せてもらってもいいか? できれば一緒に働ける形で」
「えっ、現場に、ですか?」
セファは目を丸くした。
「うん、ほら。実際にどんな依頼が回ってて、どんなふうに動いてるのか、見てみたくて」
「あっ、わ、わかりました。すぐに手配します、です!」
セファは慌てて立ち上がり、部屋を出てベルノーを呼んだ。
ベルノーは面倒そうに片眉を上げたが、書類棚からバサリと何枚かを取り出し、知久に押しつける。
「……これが本日分の倉庫依頼。港の第三搬入口に顔を出せば、担当の冒険者がいるでしょう」
「ありがとうございます」
「勝手に動いて勝手に潰れないでくださいね。支部の責任になるんで」
捨て台詞のような一言を背中で受けながら、知久は外へ出た。
☆ ☆ ☆
港は朝から潮の匂いと人の声でざわめいていた。
大きな帆船がいくつも並び、そこから荷を運び出していてる人が大勢いる。
知久は指定された第三搬入口に向かい、荷揚げ用の台のそばで腕を組んでいた中年冒険者に声をかけた。
「すみません。ギルドから派遣されてきた者です。今日の倉庫整理、手伝います」
男は一瞬面食らったような顔をしたが、すぐに肩をすくめる。
「……なんだ、あんた新人か?」
「まあ、そんな感じです」
「ふん……いっておくがこの現場はキツイからな。ぶっ倒れるんじゃねぇぞ」
そのまま知久は無言で作業に加わった。
船から積み下ろされた木箱を持ち上げ、台車に積み、ラベルを確認して倉庫の奥へと運ぶ。
ただそれだけの作業だが、日差しと潮風の中では予想以上に体力を削られる。
積み上げられた荷物を見て、彼は思わず眉をひそめる。
「これ、ちょっと高すぎないか? 規定では三段までだったと思うけど」
注意すると、近くの冒険者が肩をすくめて笑った。
「上の連中は現場を知らねぇんだよ。そんなルール守ってたら、仕事が滞っちまうだろうが」
「そうそう。港は人も物も足りねえんだ。多少の無茶はしょうがねえ」
知久は返す言葉に詰まった。
言い訳にしか聞こえないが、それを言い返すには彼らが本当に限界まで働いているのも事実だ。
(典型的なブラック職場の縮図だな……。後で報告にまとめる必要があるな)
その時だった。
「うっ……!」
荷を担いでいた若者がふらつき、積み荷に肩をぶつける。
ガラガラと崩れた木箱が、下にいた若い作業員に覆いかぶさろうとした。
「危ないっ!」
知久は迷わず腰のポーチから赤いドリンク缶を取り出した。
「《ライフイズエナジー》、発動! 《レッドバイソン》!!」
《レッドバイソン》。筋力を極限まで引き上げる力を持つ一本。
缶を開け、一気に喉に流し込む。
熱が全身に駆け巡り、腕と脚に爆発的な力が宿った。
「うおおおおっ! さすがに、ちょっと重いなっ!!」
崩れ落ちてきた無数の木箱を、両腕で支える。
通常なら到底人間が受け止められる重量ではない。
だが今の知久は、鉄骨すらねじ伏せる怪力を宿していた。
「す、すげぇ!! なんて力だ!」
「バケモンかよ!?」
「あ、あいつのあの能力! ホワイティアを立て直した、《ドリンクの加護の改革者》だ!」
若い作業員が這い出たのを確認し、知久は大きく踏ん張って荷を脇に投げ捨てた。
倉庫内は一瞬静まり返り、すぐにざわめきに包まれた。
崩落を免れた青年が、汗だくの知久に駆け寄り、深々と頭を下げた。
その顔には恐怖と安堵がまだ入り混じっている。
「助かった……! 本当に……ありがとうございました!」
「気にしなくていいよ。ドリンクの力があったからできただけさ」
知久は肩で息をしながら、《レッドバイソン》の空き缶を指先で軽く弾いた。
金属音が乾いた港の空気に響く。
「効果は時間制限付きだし、連続で飲めば身体に負担もある。万能じゃないんだ」
落ち着きを取り戻した冒険者たちが、興奮冷めやらぬ様子で口々に知久へ話しかけてくる。
「あんた、ホワイティアとかいう村のギルドの支部長を追い出して、自分が支部長になったんだよな!?」
「……まぁ、そういうことになるのかな」
正確には支部長代理だったが、いちいち訂正しても仕方ないと飲み込む。
「すげーな! あんた、うちのギルドの支部長になってくれよ!」
「そうだよ! あんたほどの人なら、あんな子供よりよっぽど適任だよ!」
知久は少しだけ眉をひそめ、首を振った。
「それは無理な相談だよ。俺の仕事は、あの子をサポートして、一人前の支部長にすることだから」
一同はため息をつく。港風に混じって、落胆の空気が広がった。
「でもなぁ……いくらサポートするったって、あんな子供じゃなぁ」
「いくらダリオンさんとリヴェラさんの娘とは言え……」
「おまけに最近また黒焔鬼が出るって噂もあるしなぁ……」
黒焔鬼。
耳慣れない言葉に、知久は思わず心の中で繰り返した。モンスターの一種だろうか?
休憩時間が終わり、冒険者たちは次々と作業へ戻っていく。
知久も腰を上げ、現場の見回りに戻ろうとしたその時、背後から声をかけられた。
最初に話した中年の冒険者だった。
陽に焼けた顔には、先ほどとは違う真剣な影が差している。
「なぁ、あんたの目から見てどうなんだ? 本当に、あの子に支部長が務まると思うのか?」
「え?」
「俺は、あの子が母親のお腹にいた時から知ってる。ちょっと前まで、よちよち歩きでギルドの中を歩き回ってたんだ。まだ十三歳のあの子が、本当に支部長なんてできるのか?」
知久は言葉に詰まり、一瞬だけ視線を落とした。
頭の中に、セファが必死に背伸びをして支部長として振る舞おうとしていた姿がよみがえる。
「……すぐには無理かもしれない。でも、あの子には何かを感じる。……だから、もう少し待ってやってくれないか」
中年は渋い顔で首を振った。
「だが、そうしている間に、もしあの子まで殺されたら……」
「……殺される?」
思わず聞き返すと、男は周囲を確認して声を潜めた。
「あんた、知らないのか?」
「な、なにを?」
「十年前、あの子の母親、リヴェラさんが支部長になって以降……支部長になった人は、全員何者かに殺された」
「……は?」
頭の中が一瞬真っ白になる。
「……セファは、それを知ってて支部長になったのか?」
「当然だ」
その瞬間、グレンの言葉がよみがえった。
――新任の若い支部長を、独り立ちできるよう育てて、守ってあげて欲しい
守る、とはつまり、そういうことか。
知久は額を押さえ、思わず天を仰ぐ。
「説明が足りなさすぎだよ! グレンさん……!!」
港の喧騒の中で、心の声が大きく響いた。




