第四話 雷雲
お、俺抜きでインターラーケン防衛戦だと!
俺はこの領地の、領主だぞ!?
その俺を抜きって、どういうことだよっ!
くそ、腹も減った。朝飯を鷲づかみにして口の中に放り込む。
「ふご、むごご、ぷは……!
な、何を勝手に運んでくれてんだよ!
船を戻せ、俺も出るっ!!」
「む、無茶ですじゃ!
おやめ下され、もはや魔力を失ったトゥーン様に、戦うことなどできませぬ!」
スープを一気に流し込みながら、皿を掴む自分の指を見る。
確かに魔力ゼロ。
青黒いラインなんか欠片も見えない。
ピンク色の爪、まるで人間の子供だ。
体も全身痛い。『治癒』で傷は治したし、グッスリ寝たおかげで体力は回復したとはいえ、本調子にはほど遠い。
確かに、まともに戦うなんて無理そうだ。……戦うのが無理、といえば、あいつらはどこに!?
ベッドにはリア。飛び起きて大声をあげちまったけど、どうにか起こさずに済んだようだ。
さすがにこいつの疲労も凄かったんだろう。いまだにスヤスヤ寝たままだ。起きる気配は全くない。
だが他の連中が居ない。
パオラは、ヴィヴィアナは、イラーリアは、サーラはどこにいった?
「他の連中はどうしたよ!?
いったい、今、どうなってるんだ!!」
「ままま、とにかく落ち着いて下され。
最初から、ゆっくり話しますでな」
「手短に急いで話せ!」
じいさんがさしだすコップの水を一気に飲み干し、報告を急かす。
「妖精族は全員、麓へ逃げることができましたじゃ。
城にいた鳥人の方々は、連絡役として跳び回っております」
「オヤジは、姉貴は、パオラ達はっ!?」
「王族の方々は、皆、出陣致しました。
ただ、街道を造っていた最中のティータン様だけは、いまだジュネブラに到着されておりませぬ。
人間のお連れの方々は、旗艦に乗船したままですじゃよ」
「な、あ、あんな、戦いじゃ役に立たねーのに、何を考えてんだ!?」
「時間も船も余裕が無く、話も聞いてる最中でしたので、結局そのまま……」
「余裕って、この船は!?
この船は余裕あるんじゃねーのかよ。
なんで俺じゃなくて、パオラ達を乗せねーんだ!」
「いや、それが、この船は既に荷が一杯でございまして。
リアだけはトゥーン様の侍従長ですし、妖精ですから乗せても邪魔にならぬということで」
「く、くそ……」
ベルンが止めるのを無視して、痛む体を無理矢理に起こす。
下着姿のまま部屋を出てみれば、狭い船内。かなり小型の船だ。
後ろに回って貨物室を見てみれば、確かに満杯。
重量オーバー寸前だろう、こんなの詰め込んでれば。
クーン……キュウゥン……。
真っ白の巨大イヌ、カルヴァがいた。
大きな体を必死に小さく丸めて、貨物室の中に収まってる。
俺の姿をみるとすぐ首を動かし、鼻面を押しつけてきた。
「カルヴァも無事だったか、よかった」
「いやはや、連れてくるのは大変でしたぞ。
トゥーン様が旅立たれてから元気がなくなり、馬小屋からでようとしませぬし。
撤退するときも、絶対に城から離れまいと動きませんでした。
ルヴァン様のお力で、どうにかジュネブラまで引っ張ってこれたのですじゃよ」
でかい舌が顔をベロベロ舐める、臭いし気持ち悪いが嬉しいし可愛い。
貨物室には他にも、俺の武具一式やら書庫の本やらが満載されてる。
荷を確かめながら、後ろについてきてるベルンに尋ねる。
「俺の物、全部持ってきたのか?」
「ですじゃよ。
このまま全て魔王城へ運ぶよう命じられております」
「勝手なことを……」
「ご自愛下され。
もはや、これはトゥーン様だけの問題ではありませぬ。
魔王城にて養生し、力を回復させよ……との魔王様からのお言葉です」
「な、何が養生だ。ンなこと言ってる場合かよ!?」
「ですが、今のトゥーン様では……とても前線には立てませぬ」
控えめに、汗をハンカチで拭きながら言うベルン。
言われなくても分かってる。
悔しいが、その通りだ。
魔力はない。傷こそ癒えたが体はヘロヘロ。
率いるべき兵も無い。居たところで妖精じゃ斥候くらいしか役に立たない。
目の前にはカルヴァと武具一式。漆黒の甲冑と黒剣とコンパウンドボウ(化合弓)。
格好だけなら整えれるが、それだけだ。また一騎駆けなんて、出来るわけもない。
「トゥーン様は見事に人間達の国から戻られ、ネフェルティ様はじめ全員を守り通し、数々の情報を持ち帰りましたじゃ。これだけでも大戦果で御座います。
しかも既に敵軍へ大打撃を与え、分断させ、反撃の機会すら生み出したのです。
ここで後方へ下がったとしても、誰もトゥーン様を責めはしませぬ。
いえ、むしろ全魔族が歓呼の声をもって迎えて下さるでしょう」
「く……」
「トゥーン様はインターラーケン領主としても、為すべき全てを為しました。
我ら領民を、妖精族を最後の一名まで守りきり、無事に逃がしたのですぞ。
もう功を焦る必要はありませぬ。
ここは後々の捲土重来に備え、一端魔王城へ戻り力を蓄えましょうぞ」
そう、その通りだ。
分かっちゃいるんだ。
ベルンの言うことはもっともだ。
魔界の王子として、この地の領主として、全てをやり遂げた。
そして、もう戦えない。
魔力を全て失ってしまった。
今、インターラーケンに戻ったところで、足手まとい以外の何者でもない。
だが、それでも。
唇を噛みしめてしまう。
窓の向こうでは雷雲の中でオヤジが戦っている。
ネフェルティも、ルヴァンも戦ってる。
工事に来てた魔族連中も、オヤジが連れてきた魔王城守備隊も、みんなが戦ってるんだ。
そして敵は強大だ。
あのトリニティ軍は、そして四人の勇者共は、まともに戦ってすら勝てる連中じゃない。
大半はド素人だし、魔王城守備隊だって大人数じゃない。
そもそも数で負けてる。オヤジとネフェルティとルヴァンだけで……。
ルヴァン?
「おい、ルヴァン兄貴はどうしたよ?
俺と同じで魔力が尽きてたじゃねーか」
「は、はい、その通りです。
ですからルヴァン様は前線には立たず、後方で全軍の指揮にあたっておりますぞ。
街道建設にあたっていたティータン様も、遠からず巨人族の皆様を連れて、山を登って駆けつけて」
「いくら巨人族がタフでも、慌ててジュネブラまで登ってきたら、疲れ果ててヘロヘロじゃねーか!」
「あ、いや、その……ですから、巨人の方々はタフですから」
「限度があんだろ!」
「そ、それにハルピュイ様も急ぎ駆けつけて」
「あいつの領地から、どんだけ離れてると思ってンだ!?
いくら翼を持っててオヤジ並に速く飛べるっても、どうやっても間に合わねーぞ!」
あーくそ、考えれば考えるほど勝ち目がない。
この地にいる魔王軍の実質的戦力は、オヤジとネフェルティと近衛兵団だけ。
そのオヤジだって、勇者を四人も相手にしてたら、どうなるか分かったもんじゃないぞ。
完全装備のトリニティ軍と、寄せ集めで数でも負けてるこっちとじゃ、どうにもならねえ。
その時、窓から光が差し込んだ。
雷光かと思ったが、違う。一瞬で消えたりせず、いつまでも光り続けてる。
貨物室の窓からのぞけば、暗雲を貫く一筋の光が見えた。それに照らされるオヤジの巨大な黒い影も。
あの白騎士だ。ヤツの大砲がオヤジを狙ったんだ。
「あれは……クソ!
戦況はどうなってんだよ!?」
「いえ、ですから、ですな、後方へ下がられるトゥーン様が、お気になさることは」
「大ありだ!」
伏し目がちに言葉を濁すベルン。
それだけ言いたくないってことは、相当にヤバイのか。
「命令だ。何も隠さず、ハッキリ言え。
戦況を報告しろ」
「は、はぁ……ですが」
「言えっ!」
歯をむき出して迫る俺の剣幕に、ようやくベルンは報告し始めた――
――夜明けと共に魔王軍は前進を開始した。
時を同じくして、鳥人達と竜騎兵の斥候から、トリニティ軍の進軍も報告された。
寄せ集めで素人ばかりの魔王軍だが、それでも最前線に立つワーウルフの黒狼近衛兵団以下、魔王城守備隊に率いられて前進を続ける。
彼らの頭上では飛空挺団が先行していた。
飛空挺団の先頭には、巨大な黒い翼が広がる。
魔王は飛空挺部隊の最前衛に浮かび、全軍を率いている。
魔力を全て失ったルヴァンと、いまだに情報提供を続けているヴィヴィアナ達は、飛空挺団最後方にいる特大の武装飛空挺に乗船している。
次兄は旗艦から全軍の指揮にあたっていた。
朝だというのに、戦場は夜のように薄暗い。
インターラーケンの空に浮かぶ雲は魔王の直上に集まり、渦を巻き、さらにうずたかく昇り始める。
しかも魔王の動きに合わせて雲が流れていく。
遙か彼方、トリニティ軍から光が瞬いた。
それは砲撃の閃光。
一瞬遅れて一斉射撃の砲撃音が魔王軍の耳に届く。
そして風を切る音と共に、彼らの目前で大地が炸裂した。
最前線の黒狼近衛兵団よりずっと前方に着弾したが、魔王軍地上部隊の出鼻を挫くには十分な威力だった。
恐らくは目測をもとに適当に撃ち込んだだけだろうが、その一瞬で草原も湿地も森も大きくえぐられた。
日が昇っているはずなのに薄暗さが増す戦場を、燃え上がる木々が松明となって照らし出す。
あっと言う間に砂塵で覆われ荒野へと変じた、戦場を。
魔王軍地上部隊は、その一撃で進軍を止めた。
これだけの長射程かつ大火力の砲撃では、トリニティ軍に接近する前に全滅してしまう。
それ以前に、昨日徴兵されたばかりの者達に、この砲弾の雨の下を突撃するなど、できるはずもなかった。
勇猛さで名高いワーウルフ達すら、文字通りの犬死にを恐れて足を止める。
砲撃は、地上にだけ向けられてはいなかった。
空へ向け、赤く光る巨大な矢が大量に放たれる。
それはマジックアローの弾幕。
巨大な魔法の矢が、真っ直ぐに飛空挺団へ向けて、何より魔王へ撃ち込まれる。
雷撃。
雷光が、爆ぜた。
不自然に魔王を中心として集まった雲からの落雷。
電撃はマジックアローを射抜いた。
巨大な矢は瞬時に焼かれ、魔法を形成していた術式は消し炭になり、溜め込まれていた魔力が行き場を失い暴走する。
砕け、魔力は暴発し、勢いを失って落ちていった。
雷撃の雨が降る。
雲のごとく大量に放たれた魔法の矢が、白い輝きに撃たれ、次々と爆発する。
雷は魔法の矢のみならず、幾つかはトリニティ軍へも撃ち込まれた。
だが、人間の軍には当たらなかった。
彼らの上空には、マジックアロー発射直後に障壁が展開されていたから。
マジックアローを全て撃墜した魔王の雷撃をもってしても、人間達の障壁を破ることが出来なかった。
だが、障壁がある以上、人間達もマジックアローを撃てない。砲撃できない。
砲台のみならず、歩兵も騎馬兵も障壁の下に固まって動けない。
そして雷雲からは雨も降り始めた。
徐々に勢いを増し、ほどなくして豪雨になる。人間達の進路を狙っての豪雨に。
雨でぬかるんだ地面に足をとられ、トリニティ軍の進軍速度は著しく低下した。
なおかつ、トゥーンの情報にあった銃の光も雨で封じられる。
魔王軍は前進を続けるが、皇国軍は動けなくなった。
雷撃も雨も止まらず、障壁を解除する暇は無いし銃も使えない。
魔王軍は今が好機と判断。
ワーウルフ族の遠吠えが全魔族の雄叫びへと連鎖し、突撃を開始した。
だが、四つの光がトリニティ軍後方から宙へ舞い上がった。
それはトンネル出口から飛び出した、勇者達四人。
どうやらトゥーン達の追撃に失敗した彼らは、一旦トンネル奥の第三陣へ戻っていたらしい。
恐らくはトンネルの復旧をしていたか、魔力を補給しにいっていたのだろう。
そして魔王出陣を確認し、これを討ち果たすべく出撃した。
トリニティ軍を狙っていた魔王の雷撃が、宙に舞う四人の勇者を狙う。
同時に勇者達が数え切れないほどのナイフを放つ。
鳥よりも速く、軽やかに飛ぶナイフの群れが、雷撃を誘導し勇者達を守る。
いくら魔王の魔力で生み出された雷撃でも、雷は雷。電子の性質には逆らえず、勇者に直撃させられない。
僅かに当たった雷も、彼らの輝く鎧に弾かれ、流されてしまった。
白騎士が遙か彼方から砲撃を放つ。
それは、射線上の雨粒を全て一瞬で蒸発させる熱量を持った、白い光。
しかも正確に魔王の翼の付け根、恐らくは魔王本体が居るだろう場所を狙っていた。
光が、曲がった。
魔王の直前で、まるで鏡にでも当たったかのように、光は空へ弾かれた。
だが雷雲は弾かれた光に当たった。
当たった瞬間に雲が消し飛ぶ。
分厚い雲が切り裂かれ、生じた雲間から青空が顔をのぞかせる。
雷撃の雨は、勇者を迎撃するため数を減らした。
その瞬間をトリニティ軍は逃さない。
障壁を解き、同時に『魔法探知』を放った。
それは、戦場全体を覆うほどの、広範囲な『魔法探知』。
一騎駆けを仕掛けるトゥーンを捉え続けたレーダーだ。
今回は、突撃を仕掛ける魔王軍の地上部隊全軍が捕捉されてしまった。
再び移動砲台からの一斉射。
しかも今度は突撃してくる魔王軍を、魔力の集中する場所を正確に狙って撃ち込んできた。
土砂と、魔王軍の先頭がえぐられた。
最前列にいた魔王城守備隊が、その中でも特に前へ突出していたワーウルフ達が犠牲になった。
恐慌状態になり、慌てて後退する素人の一般魔族達――
「――というわけでして、魔王様が勇者達を倒さぬ限り、魔王軍は進めませぬ」
く、クソッタレ!
予想通りとはいえ、状況は最悪だぜ。
次回、第二十部第五話
『魔力ゼロ』
2010年10月24日01:00投稿予定