第三話 結集、脱出
インターラーケン西方、山の中腹にある細長い湖、レマンヌス湖。
その湖畔にある妖精の村、ジェネヴラ。そしてその近くの森を切り開いて築かれた、街道敷設工事のための基地。
戦争なんか全く予想していない、本当に単なる工事現場。資材置き場。飛空挺の発着場、という名の草原と荒れ地。そして妖精達が住む集落。
いるのは妖精の領民、オークの出稼ぎ労働者、ゴブリンの金貸し、ドワーフ技術者、エルフ設計技師、巨人族の建設技術者、ワイバーン航空便のリザードマン、etc。
つまり大半が非戦闘員。
武具兵器は無いに等しい。ワーキャットとワーウルフが狩猟用の弓矢や剣を、リザードマンが警護用の武具を持ってるくらい。他にはノコギリ・ハンマー・つるはし、武器になるんだかならないんだか。
宝玉も工事用ばっか。
もちろん戦闘経験も戦闘訓練も、ほとんどゼロ。従軍経験のあるやつも、少しはいるだろうが。
頭数だけなら、そろわないこともない。数だけなら。それでも万はいるトリニティ軍には遠く及ばない。
「……きついぜ……」
雲が広がりつつある夕暮れ、ジュネブラへ着陸した旗艦からタンカで運び下ろされる最中、目の前に広がる光景に溜め息をつく。
隣に立つルヴァン兄貴は澄まし顔だが、髪はほとんど真っ白。俺も指先まで魔力ラインが消えてしまった。二人とも魔力切れ。
俺はここへ来る間に少し休んだし、メシも食った。だがそんな程度じゃ間に合わないほどの疲労が全身に貯まってる。
軍議は続いているが、東西両戦線はインターラーケンにいる俺達には、どうしようもない。
ましてや今後の政治的変動だの混乱だのは、考える余裕もない。
今は目の前の事に集中するしかない。
トリニティ軍迎撃。
それを今いる手勢と援軍だけで行わなければならないんだ。
後ろから『無限の窓』が魔法でふよふよ浮かされて運ばれていく。
もっと頑丈な船に旗艦の機能を移すため、その要となる通信装置を運び込む。
魔法とドワーフ達の太い腕で、船から慎重に下ろされてると、遠くから声が聞こえてきた。
「トゥーン様ぁー!」「ご無事ですかー!?」
声の方を見れば、ボロボロに破れ汚れた修道服を着た連中が、手を振りながら走ってきてた。
パオラ、ヴィヴィアナ、イラーリア、サーラの四人、そしてその後ろからヨタヨタと駆けてくるのはリアだ。
ネフェルティも一番後ろからやってくる。
飛空挺から下ろされた俺のタンカを全員が囲む、と思ったらパオラがいきなり抱きついてきた。
他の連中も次々に、手を握ったり頬を寄せたりしてくる。
ポロポロとあふれる涙が、服にベットリとついたままの血と泥を洗い流していく。
「よかっただぁ! ご無事だっただかぁっ!
わだす、わだすら、ほんに、心配しただよぉ」
「バカァッ、ホントに、ホントにバカぁ!!
トゥーン様がぁ、死んじゃったらぁ、あたしはどうすればいいのよぉっ!?」
「あり、ありがとう、ござい、ました、トゥーン様……。
トゥーン様のお、かげで、皆、無事に逃げ切る、ことが、できまし、た」
「本当だぜ、まったく、無茶しやがって!
あたしらなんか、捨てときゃよかったのに、まったく、まったく、これだから男ってヤツはよぉ、バカだってんだ!」
「本当に、ありがとうございました。
このご恩、一生忘れません。必ずや、この身に代えても報います!」
口々に、それぞれの礼を言う。
全員、無事だ、よかった。
いや待て、全員じゃない。
クレメンタインは!?
「お、おい、クレメンは、あいつはどうした!?」
体を起こして尋ねようとする俺を、後から来たネフェルティが無理矢理寝かせ直す。
そしてウィンクしながらニカッと笑った。
「大丈夫!
今、麓へ今日の最終便で運ばれていったよ」
「そ、そうか、よかった……最終便?」
「うん、最終便。
もう暗くニャるから、明日にょ朝まで飛空挺は飛べニャいよ」
「って、ちょっと待て。
こいつらは?」
泣きながらすがりついてくるコイツらは、明日まで脱出できねーのかよ。
おいおい、明日の朝には総攻撃を開始するかもしれねーのに。
今から無理にでも船を手配してもらおうか、と考えたが、それを言う前にルヴァン兄貴が口を開いた。
「彼女たちには、このまま旗艦に乗船して頂きます」
「な、なぬ!?」
こいつらまで乗船って、なんでだよ。
魔力も体力も使い果たした、ただの女の子達だぞ?
邪魔なだけじゃねーか。
つか、せっかく助けたのに、また危険にさらしてどうするよ?
「何故なら人間達、神聖フォルノーヴォ皇国とトリニティ軍に関する情報を、さらに詳細に得るためです。
大まかな話は聴取済みですが、それでも十分とは言えません。急ぎ、僅かでも多くの情報が必要です。
また、得た情報は速やかにキュリア・レジスに送り、円卓会議とセント・パンクラスで分析検討せねばなりません。
そのため『無限の窓』を設置する旗艦に乗ってもらわねばならないのです」
「むぐ……」
「それと、彼女たちが所持していた聖具である楽器。
各楽器に装着された宝玉の解析も急を要します。
そのため使用者から使用方法を聞く必要があります」
「……くっ、しょうがないか。
でも明日には逃がせよ」
ようやく顔を上げた女達は、涙を拭きながら勇ましい言葉を並べてくる。
「心配しねーでけろ。
わだすでお役に立てるなら、是非に働かせて欲しいべ」
「あたしはトゥーンの侍従長なのぉ!
おバカのあんたはあたしがいないとぉ、また一人で突っ込んじゃうでしょぉ!?」
「トゥーン様のご恩に報いるため、私達も微力を尽くしますわ」
「ミケラの無念を晴らすためにも、あいつの分まで頑張るぜ!」
そんなわけで、女の子達は『無限の窓』の後ろについていった。
どの船かはしらないが、旗艦とされる飛空挺に行くのだろう。
ネフェルティもあいつらの方へ同じく歩いていく。
「あたしは大きな怪我はないし、魔力も結構残ってるから。
今夜はゆっくり休んで、出撃に備えるね。
トゥーンは無理せず引っ込んでにゃよ」
そういって軽く手を振りながら去っていく姉貴。
あいつもかなり魔力を使ったし、疲労も凄いはず。
戦えるかどうか、微妙だな。
タンカで運ばれながら、援軍の方を見る。
魔王、オヤジは相変わらずの大きな青黒い塊だ。
急速に暗くなる発着場の中で青い光を明滅させ、まるで呼吸するかのように魔法を放つ。
つーか、触手のように伸びる何本もの魔力の筋が、ウネウネと武装飛空挺の貨物室を這い回ったり出入りしながら、中の荷物を次々と運び出してる。
あそこまで来ると、魔法なのか何なのか分からない。
そして中身のオヤジ本人は、気持ち悪いほど良く動く触手を背中に生やしながら、珍しく姿をさらして飛空挺の横に立っている。
久々に見るオヤジの中身。青黒い顎髭を切りそろえた、青黒い長髪と目の男。
引き締まった顔で、背後で触手が下ろす荷物の山じゃなく、目の前に整列する兵士達を見渡している。
次々と武装飛空挺から飛び降りて、オヤジの前に並んでいく兵士達。
整列してる兵士達は知っている。魔王城、ル・グラン・トリアノンの警備をしている近衛兵達だ。
宝玉を幾つも装着した鎧と武具を全身にまとい、オヤジに敬礼したり軽く挨拶したりしてる。
魔王への敬意を知らないかのような軽い挨拶をしてるのは、全身毛むくじゃらでネコ耳とネコ尻尾を持つ連中。
ワーキャット族の兵士達だ。
「あーだりー」
「やっと着いたにゃー、疲れたよ~」
「魔王様、お疲れ様っス。
ンじゃ俺ら寝てますんで、戦う時にでも起こしてくれりゃいーっすよ」
それでも近衛兵かと言いたくなるような、だらけた態度。
整列すらもろくにせず、さっさと散っていった。
実は、あれでも強い。瞬発力と柔軟性はピカイチだ。ネフェルティの姉貴と同じく隠密行動と暗殺術に長けてる。
ただ、性格がネコ。規律とか集団行動が苦手。
ちなみにエストレマドゥーラ半島の統治やジブエル・アル・ターリクの運営をしているのは、ワーキャット族の中でも珍しく規律を重んじ集団行動が得意な獅子の家系。
で、フラフラと散っていくワーキャット族を睨み付けている連中が、その横で見事に整列している。
同じく全身毛むくじゃらだが、こちらは犬耳と犬の尻尾を生やしたワーウルフ族の部隊だ。
完璧に直立不動の姿勢を保ち、正確に一定距離を保って整列してる。
整列の最前列中央から隊長が一歩進み出て、カツンと踵を合わせる。それと同時に全員が一糸乱れず踵を合わせる。
胸を張る部隊員達を背に、近衛隊長が大声を張り上げた。
「ル・グラン・トリアノン警備隊、黒狼近衛兵団!
総員四十名、インターラーケン防衛及び人間討伐の任を受け、ここに着任を報告致します!」
全員が同時に完璧な敬礼をする。
さすがは規律と団結で鳴らすワーウルフ族だ。軍団としてなら魔族中最強と謳われてる。
オヤジへの忠誠心が極めて高く、上位魔族の中でも最高に信頼できる。
何でも常に全力な暑苦しさと、ワーキャット族との仲の悪さも有名だけど。
ちなみにワーキャット族を率いるネフェルティ姉貴とワーウルフ族を率いるベウル兄貴の仲の悪さも有名。
まさに水と油。
他にもエルフやゴブリンの魔導師とかが下りてくる。
発着場に広げられた荷物から、次々と武具宝玉が取り出され配られる。
オヤジが引っ張ってきた飛空挺のおかげで、どうにか武器と兵士は揃ったようだ。
「トゥーンさまー!」
発着場の隅から、間の抜けた声がした。
見ると、スコップやツルハシを肩に担いだオーク達が走ってくる。
誰かと思えば、以前ゴブリンの金貸しとケンカしてた奴らだ。
ブヒブヒと息を切らせながら、タンカの横にひざまずいた。俺もタンカを止めてもらう。
「お、おひさしゅーごぜーますだ。トゥーンさま」
「オラ達のことを覚えておいでですだか?
オーバンと、ボドワンと、オラはゴーチェですだよ」
「この前は借金のことで、お、お世話になったんだな。
だから、オラ達も今度のいくさでは、頑張るんだな」
なぬ?
こいつらが戦うって、んな無茶な。
オークは頭が悪くて魔法も使えないし、巨人族みたいに力が強いとかワーキャット族みたいに狩猟に長けてるわけでもない。
軍では、とにかく数が多いので歩兵部隊に採用されてる。が、そもそも今回の戦は数で負けてるっつの。
無駄死にするぞ、止めとけ……とも言えない立場なのが辛い。
今は戦えるヤツが少しでも必要なんだ。
「こ、心意気は立派だ。
お前達の奮戦に期待する」
オーク達は慣れない敬礼で答え、工事用の道具を素振りしながら走り去った。
あれで戦う気か?
発着場の様子を眺めながらタンカに揺られて運ばれる。
すると、本当に意識が遠のいてきた。
く、くそ、もう限界か。
霞む視界の向こう、荷物を下ろし終えたオヤジがこっちへ歩いてくるのが見える。
タンカの横に立つと、満面の笑みで、いきなり俺の頭をワシャワシャ撫で始めた。
「よく生きて帰ってきたね。
本当に安心したよ。
しかも立派に部下を守り、友達を増やして、皇国軍に大打撃まで与えるなんて、驚いてしまった。
まったく、良く頑張った。お前は本当に立派になったなぁ」
「けっ、当然だぜ、いつまでもガキ扱いしてんじゃ……」
こんな大勢の前で頭を撫でられるなんざ、恥ずかしいったらありゃしない。
けど正直、ホッとした。
恥ずかしいけど嬉しくて、安心して、力が抜けた。
そして、とうとう意識が飛んじまった。
何か、ポツポツという音で目が覚めた。
重いまぶたをゆっくり開けると、左に小さな窓が見える。
外はどんよりとした雲で、雨粒が窓に当たる音が続いてる。
俺の体はベッドの上に寝かされていた。
左から誰かの寝息が聞こえる。
チラリと見れば……もう驚かない。リアが一緒に寝てた。
治療で『治癒』を大量に受けたので、低体温にならないよう暖めてくれてたんだ。
俺もリアも、その、下着姿だけど、さすがに、な、慣れたぜ。
なん、たって、キスした仲だし、な。
「……おお、気付かれましたかな?」
聞き覚えのある声が、すぐ右から聞こえた。
目を動かせば、そこには顔の下半分を白ヒゲに覆われた、妖精の老人。
妖精族族長のベルンじいさんだ。
「ここは……?」
「ご安心下さい、飛空挺の中ですじゃ」
回りを見れば、狭い部屋。
確かに飛空挺だ。
目の前には簡単な朝食が置いてある。
どうしてここに、と尋ねる前にベルンの方から話し始めた。
「この機はジュネブラからの、最後の脱出艇ですじゃよ。
魔王様の命で、トゥーン様を無事に麓までお届けせよと仰せつかっております」
ふーん、ジュネブラからの脱出艇なのか。
オヤジの命令ね。
麓まで……最後の、脱出艇!?
即座に飛び起きてベルンの襟首をつかむ。
「ちょっと待て!
最後の脱出艇って、どういうこった!?
オヤジは、戦はどうなったんだよっ!?」
「おぁ! お、お待ちを、トゥーン様!
落ち着いて下され!
魔王様なら、あそこですじゃ」
そういってベルンは窓の外を指さす。
そこには小雨が降る曇天の向こう、雷鳴轟く空間が見えた。
雷光が切り裂く薄暗い空の中、大きな黒い影も見える。
オヤジだ。
「日の出と共に進軍を開始し、ほどなくして人間達の軍団とぶつかりました。
ですが、この戦いの前に力尽きたトゥーン様を麓へ送れ、とのご命令でしたじゃ。
このためインターラーケンを脱出したのです」
「な……なんだとぉーーーー!?!?」
次回、第二十部第四話
『雷雲』
2010年10月22日01:00投稿予定