第二話 盾
ミケラは、死んだ。
クレメンタインも生死の境をさまよっている。
仲間を失った少女達はショックと疲労で放心し、動けそうもない。
リアも全魔力体力を失った。
姉貴は、さすがに魔力量も鍛え方も違う。魔力ラインが薄くなってきてはいるが、行動自体は出来そうだ。
そして俺は、動ける。魔力は『治癒』でさらに消費したが、それでも半分近くは残ってる。体力はキツイが『肉体強化』なら得意だ。
何より俺は魔力をチャージしながら『肉体強化』が出来る。
やれる。
周囲を見まわす。
ここはトンネル出口からかなり離れた、山の中腹にある林の中。
瓦礫の山と化したインターラーケン城とは、トンネルを挟んだ反対側にいる。城を攻撃した本隊から距離を取るためだ。
木々はまばらに生えてるだけなので、城があった盆地を広く見渡せる。
今は朝、もうインターラーケンは秋だ。
本当なら爽やかな朝日の下、赤や黄色に染まった木の葉で森は色づいてる、はずだった。
美しい山々が、見えるはずだったんだ。
だが現実には、煙にかすんでろくに見えない。
かすかに見えた遠くの風景も、全て燃えて灰になりつつある。
妖精達が巣を作っていた森も、ルヴァン兄貴とネフェルティが連れてきた部下達の駐屯地も、俺の城さえも、消えてしまった。
消え去った森や草原や城の代わりに、蠢く何かが見える。
彼方に見える黒い虫の大群のようなそれは、人間の大軍だ。
遠いし煙が邪魔で見えにくいが、恐らくは未知の新兵器を山ほど抱えた、完全武装のトリニティ軍第一・二陣。
間に合わなかった。
「作戦は失敗、か……」
虚しく呟く。
誰も、何も答えない。
立ちつくす俺の心も、空っぽだ。
インターラーケンは奪われた。もう取り戻せない。
信じられない。こんな、あっと言う間に陥落するなんて。
人間達を甘く見すぎた。
これから魔界は、山脈を雪崩のように下りてくる皇国軍の脅威にさらされ続ける。
信じられないような新兵器を山ほど抱えた、狂気の殺戮者共に。
アンクの驚異的計算力と高度な魔法で守られた鉄の軍団に。
しかも皇国は例の化け物を、勇者をも複数で投入してきやがった。
オヤジが重い腰を上げても、魔界が総力を結集しても、勝てるかどうか分からない。
いや、各魔族の支持を得ることも、団結を維持することも難しいかもしれない。
確実なのは、魔界が戦火に沈むこと。
それは、地獄。
ドゥンッ!
遙か彼方、空へと登る煙の向こうから、何かが爆発する音が響いた。
ボンヤリと見上げれば、煙の向こうから飛空挺が姿を現した。
それはワイバーン便の飛空挺、そのうちの一隻。
ただし船体から火を噴き、機首を下げて急速に高度を落としている。
撃墜され、墜落しているんだ。
そして地上に衝突、バラバラになる。
積んでいた何かに引火したらしく、炎を吹き上げて爆発した。
ズンッ……。
一瞬遅れて鈍い音が響いてくる。
だが響いてくるのは、爆発音だけじゃない。
人間達の叫び声が、地響きのような音が、後から聞こえてくる。
煙と炎の向こうから、人間達がこちらへ向けて進軍してきてるんだ。
俺達が居る場所はトンネルを挟んだ城と反対側。そのこちら側へ、あえて突っ込んでくる理由は一つしかない。
「来る、か」
さっきまで使っていた剣は、魔道車からの離脱時に捨てた。今は丸腰だ。
姉貴が背負ってる銃は健在。ただ、姉貴は魔力を消費しすぎた。打って出るにはきついだろう。
なら、俺の役目だ。
「姉貴、俺が後衛をやる。銃を」
へろへろの姉貴は素直に銃を手渡す。
見た目は細長いが、意外にズッシリと感じる。
でもま、構えて撃つくらい問題ない重さだ。
「パオラ、服を着ろ。
他の連中も、休んでる暇はない。
逃げるぞ」
まるで幽鬼のように気力の抜けた人間の少女達が、それでも顔を上げる。
俺はクレメンタインの服から『浮遊』の宝玉を取り出す。
そして西の果てを指さす。
「この遙か西に湖が、レマンヌス湖がある。
そこにジェネヴラって街があって、そこまでは魔界からの道が出来てる。
そこまで逃げるんだ」
「じゅ、ジュネブラってぇ、あんな所までぇっ!?」
青ざめた顔を、さらに蒼白にして歪めるリアの叫び。
言いたいことは分かる。ジュネブラを日帰りで視察したときには飛空挺を使った。そのときにジュネブラまでの道のりを空から見たんだから。
今の姉貴の魔力じゃ、しかもこれだけの人数を『浮遊』で運びきるなんて難しい。速度も出ない。
走るしかない。
疲れ果てた女達の足で、道もない森や湿原を走り、追ってくる人間の軍勢から逃げ切るなんて。
無理だ。
だが、やるしかない。
ここで捕まるわけにはいかない。
必ず逃げ切って、オヤジへ人間界の情報を届けるんだ。
それしか魔王軍に勝機はない。
「姉貴、記録用宝玉は持ってるな?」
「も、もちろん」
姉貴の懐から取り出されたのは白の宝玉。
映像や音声を記録する機能を持っている。
もはや、これが最後の希望だ。
「人間界に潜入してから、ずっと記録してたよ。
必ず魔王城へ届けるから、安心して」
「よし、姉貴はクレメンを背負ってくれ。
他のヤツは走るんだ。俺が奴らを足止めする。
途中にも妖精の集落はあるから、そこの連中も全て連れて逃げろ」
「そ、そったら、トゥーン様はどうすべっ!?」「一緒に逃げましょうよぉっ!」
パオラとリアは俺にすがりつく。
他の連中は、気力の欠片も見えない。走るのはおろか、歩けそうにもない。
ミケラの亡骸から、離れようとしない。
立ち上がらない、立てない。
バシュッ!
光が走る。
無造作に構えた銃から放たれた光は、女達の間を貫いた。
焦げた臭いがたちこめる。
全員が、弾かれるように俺から離れた。
「……行け。
俺も後からジュネブラへ行く。
そこで落ち合おう」
それだけ言い残して背を向ける。
軽く手を振りながら、走り出す。
振り向いたりはしない。
そんな必要はない。
人間共へ、トリニティ軍へ、俺達を追ってくる連中へ向けて駆け出す。
姉貴は隠密行動に長けてる。必ず逃げ切ることが出来る。
魔界へ人間界の情報を持ち帰ってくれる。
リアとクレメンだって助けてくれるだろう。
他の連中もバカじゃない。意外と度胸もある奴らだった。信頼できる。
俺に出来るのはここまで。あとはあいつ等次第。
魔族の多くは人間を嫌ってるが、オヤジは話が分かる。きっとパオラ達を大事にしてくれる。
ミュウ姉ちゃんもいるし、安心だ。
ジュネブラには街道敷設のための作業員が居る。飛空挺だってたくさん留まってる。
ルヴァン兄貴がどうなったか知らないが、魔王城へ皇国襲来の報を伝えるくらいは出来たはず。
ジュネブラまで逃げれば大丈夫。救助も援軍も来るさ。
あいつらが逃げ切れるかどうかは俺にかかってる。
足止めに残らなきゃならない。
だからジュネブラで落ち合うなんて嘘だ。
不可能だ。
あいつらを逃がさなきゃ。
奴らの気を引き、進撃を少しでも長く止め、時間を稼ぐんだ。
それがインターラーケン領主としての、魔界の王子としての、最後の義務。
これで、最期だ。
俺はただ、前を向けばいい。
前を向いて死ねばいい。
「あばよ、みんな。元気でな」
届きはしないけど、最後の別れを呟く。
そして、逃げてきた方向へ走り続ける。
「……しっかし、あいつら相手にかよ。
きついなぁ」
ふぅ、本当にきつそうだ。
本隊の第三陣はトンネルの奥で足止めしたし、目の前の連中が乗ってきた車列にも大ダメージを与えた。
なのに、この数はどうだよ。
林を抜けた先、煙と木々が途切れた向こうに見えるのは、万はいそうな人間の軍団。
一体どれだけの大軍を連れてきた知らないが、見渡す限りの大軍だ。
そんなのが山の麓から、こっちへ向かってきてる。
先陣を切るのは騎馬隊。
馬やら巨大な犬やらにまたがった騎士が突っ込んでくる。
その後ろには歩兵隊。主に槍や弓を構えてるが、そこかしこに銃も見えるな。
さらに歩兵の後ろには、なんだか訳の分からないデカい物も見える。攻城兵器に似てるが、遠くてよく見えない。
見上げれば、空にもいる。
大きな翼を羽ばたかせるペガサスにまたがった連中が、銃やら色々と手にしてる。
少なくとも十数騎、実際には遠くにもっといるだろう。
相手にとって、不足無し……か。
はっ! 上等だぜ。
血と泥で汚れた白の従軍聖歌隊服が死に装束ってのは気に入らないが、まあいい。
このトゥーン様の力を見るがいい!
胸一杯に大きく息を吸う。
高く銃を掲げる。
両手足の魔力ラインが青く光り輝く。
そして、俺の領地一杯に響かせるほどに、大声を張り上げた。
「我が名は、トゥーン!
魔界の王子、魔王第十二子、トゥーン=インターラーケンなるぞっ!
さあ、無知で愚かな盲目の羽虫共よ。
この首が欲しければ、くるがよい。
貴様等の汚れた血で、我が衣を紅く染め上げてやろうぞっ!!」
人間共の雄叫びに負けず、俺の名乗りが響き渡った。
先陣を切っていた連中が徐々に近づいてきてる。
そのうちの幾人かが銃を構えた。銃口を真っ直ぐ俺に向けている。
「うぉおおあああっっ!!」
俺は飛び出した。
銃を構えて、最大限に肉体強化して、山腹を走り下りる。
風を切り、岩や林の間を縫い、軽やかに銃撃を避け続ける。
地を駆けながらも銃口を近くにいた小隊へ向け、引き金を引く。
俺の銃撃と、人間達の銃撃が、交錯した。
次回、第十九部第三話
『突撃』
2010年10月2日01:00投稿予定