第十九部 第一話 死
俺の領地が、燃えていた。
何かが爆発したかのように土砂がえぐれて吹き飛んでいる。周囲には赤茶けた土や岩が小山と土手を作ってる。
見渡す限りの森は、妖精達が暮らした森は、火に包まれている。炎に巻き上げられた煙と火の粉が空に登っていく。
緑の海みたいだった草原は、何か巨大な物体が這いずり回ったかのように土が剥き出しの荒れ野へ変わっていた。
突撃部隊である第二陣が進軍した跡だ。
蛇の大軍が這いずったかのような痕跡の彼方には、俺の城があったはずだ。
その周囲にはワイバーン便の竜騎兵団や、ドワーフの職人達や、エルフ技術者が駐屯地を形成していたんだ。
今、そこには何もない。
いや、ある。
かつて俺の城だった、瓦礫の山が。
跡形もなく燃え尽きた駐屯地が。
何もかも、塵に変わった。
「俺の……城が、インターラーケンが……」
トンネルから飛び出した俺は、変わり果てた領地の姿に、言葉を失った。
手遅れ。
間に合わなかった。
全て、終わってしまっていた。
「殿!」
クレメンタインの声も、右から左へ通りすぎる。
何も考えられない。
力が抜けていく。
「トゥーン様っ!」「おいっ! しっかりしろよっ!」「お気を確かにっ!」
背中に張り付くパオラの声に、イラーリアとヴィヴィアナの声に、すがりついてくる彼女達に揺すられて、ようやく我に返った。
「逃げるニャッ!!」
姉貴の声に弾かれるように我に返る。
現状を思い出した。呆けていられる場合じゃない。
トンネルを突然飛び出して、上空を漂っていた俺達へ向けて、下から銃口が向けられているんだ。
再び『浮遊』に全魔力と集中力を振り向ける。
トンネル出口は山の麓の斜面にぽっかりと開いていて、その周囲には警備に残ったらしい僅かな兵士しかいなかった。
どうやらトンネル出口付近に残った兵士は少なかったようだ。大方は進撃に加わったんだろう。
そしてその少ない兵士もトンネル内の爆発に気を取られ、俺達がトンネルから飛び出したことに気付いた者は少なかった。
即座に加速、旋回してトンネル付近を離脱する。
幾人かの兵士が空を指さし、慌てて銃撃してくる。
俺達は後ろも見ずに飛び去った。
どこへ、とかは考えていない。ただ、トリニティ軍が進撃したのと逆方向へ向けて、全力で飛んだ。
そこは山の中腹、まだ燃えていない林だった。
空から林の中に澄んだ泉を見つけた俺達は、ようやく地上に降りる。
まるで墜落するみたいに、地上へ叩きつけられるかのように。
姉貴と俺は、ようやく両手と背中に担いでいた仲間を下ろす事が出来た。
そして、後から降り立ったクレメンタインと一緒に、地面に崩れ落ちた。
「トゥーン様っ!?」「ネフェルティ様も、しっかりすんべっ!」「水を、早く!」
妖精と人間の少女達が、慌てて泉の水を手ですくい、疲労のあまり動けなくなった俺達三人の口元へ運ぶ。
女の子達の小さな手に収まった僅かな水を、一気に飲み干す。
彼女たちの指まで舐める勢いで、何度も何度も冷たい水を胃袋へ流し込む。
「……ぶふわぁ~……!
はぁっ! はぁっ、はあ~……」
ようやく、本当にようやく一息をつけた。
今になって全身から汗が噴き出る。
呼吸が苦しい、どれだけ空気を吸い込んでも足りない。
ナイフと矢をかわし続けた手足は、もうガクガクだ。
だが、大きな怪我は無い。
体のあちこちに細かな擦り傷や切り傷、冷気による凍傷とかはある。
白い服は俺の血や土埃で、赤や茶色に汚れてしまった。
それでも、無事だ。
魔力は……さっきの戦闘と、三人抱えての『浮遊』で、かなり消費した。
だがそれでも両手の魔力ラインは青く輝いてる。
大丈夫、まだ半分以上の魔力が残ってる。
体力は厳しいが、少し休めば動けるぜ。
「お……お前等、無事か……?」
肩で息をつきながらも、部下と仲間達へ声をかける。
ギシギシと骨が音を立てる首を、ぎこちなく巡らせる。
そこには、体を起こすことも出来ないクレメンと、疲れ果てた顔を向ける女達の姿があった。
ネフェルティが息も絶え絶えになりながらも返事をする。
「あ、あた……あたしは、大丈夫、だよ……」
俺と同じくヘロヘロで、白い服のあちこちを血で染めた姉貴。
大丈夫とは言ってるが、頬の魔力ラインが薄くなってる。
人間界潜入以来、相当の魔力を消費してる。おまけにさっきの戦闘で散々に銃撃していた。
今も姉貴の背中に担がれてる銃。俺は使ったことがないので、どれだけの魔力を使うのか分からない。
だが相当にエネルギーを食うのは間違いない。
元々が隠密行動専門の姉貴、もう前に出て戦えはしないだろう。
他の連中は、と視線を移す。
リアは何とか泉の側へ這っていき、水面に顔を突っ込むかのように水をがぶ飲みしてる。
もともと戦力としては期待してなかったが、さっきの風の魔法で全魔力を消費している。体力も限界だ。
ヴィヴィアナをはじめ、修道院から来た連中も魔力は使い果たしたろう。
彼女たちの武器である楽器は、各自が肩や首から下げた肩紐に繋がれ、今も健在だ。だがそれを使えるかどうかは分からない。
パオラは、こんな状況でも元気そうだ。未だに起きあがれないクレメンタインを必死に介抱してる。
フラフラとした足取りで水を運んでいたヴィヴィアナが、俺の視線に気付いた。
顔色は青ざめてるが、それでも気丈に微笑んだ。
「私は大丈夫ですよ。
魔力も少し残してますので、安心して下さい」
「ヴィヴィアナ! ミケラと、クレさんが……」
叫んだイラーリアは、うつ伏せたまま起きあがらないミケラの側にいた。
気の強そうだった琥珀色の釣り目が、涙で潤んでいる。
姉貴の口に水を運んでいたサーラも、倒れたままのサーラにもつれそうな足で駆け寄る。
肩紐を細い肩に引っかけていたハープは、地面に放り出された。
「み、ミケラ!? だ、だ、大丈、夫っ!?」
「しっかりしろ! おい、ミケラぁ!」
だがミケラは起きあがれない、何も答えられない。
うつ伏せのままだった体を、二人が仰向けに変える。
空を向いたミケラの頬は赤かった。
ただ、彼女のいつもの真っ赤な頬じゃない。口からこぼれた血で、朱く濡れていたんだ。
よく見たら、彼女の下の地面に血だまりが出来ていた。黒の修道服、腹の部分には焦げた穴が空いている。
銃撃が、腹に当たっていたんだ。
だが、俺はミケラの方には行けない。
俺はクレメンタインの方へ、必死に足を動かしている。
パオラが介抱を続ける俺の部下も、同じく身動きをしない。
「トゥーン様! クレメンタインさ、脚を撃たれてるべよぉっ!」
青ざめたパオラが叫ぶ。
そして地面に横向きで倒れたままのエルフは、さらに顔面蒼白だ。
彼女が着る白い服、その左足の太ももから下が全部、暗赤色に染まってる。
この出血で、必死に俺達についてきてたのか。
「く、クレメン! しっかりしろっ!」
だが彼女は答えない、答えられるはずもない。
首に手をあてると、脈は感じられる。呼吸もある。
だが脈は信じられないほど速いが弱い、体温は低い。汗も凄い。
失血によるショック症状だ。ヘタレてる暇はねえ。
僅かに回復した力を振り絞り、意識を集中させる。
「トゥーン様ぁ!!」
「分かってるっ! パオラ、傷口を押さえろっ!!」
急いで応急の治療に入る。
彼女の服を一気に引き裂き、出血部を確認。
素早く印を組み、早口言葉並みの速度で呪文を呟く。
組み上げた『治癒』で、傷口の再生を加速させる。
「と、トゥーン様……助かるだか!?
クレメンタインさん、死なねーだよなっ!?」
「たりめーだっ!
傷口をしっかり押さえてろよ。『治癒』で傷を塞ぎきるまで、少しでも出血を減らすんだ!」
「はいだすっ!」
パオラは破った布で傷を抑え、俺は『治癒』の魔法を使い続ける。
とはいったものの、出血量はハンパじゃない。
俺は『治癒』が苦手とか、そんな泣き言は言えない。
こんな危険な任務についてきてくれた部下を、死にかけてた俺を介抱してくれたエルフを、俺の子種が欲しいと力説した女を、クレメンタインを必死で治療する。
魔力を惜しまず注ぎ込み、細胞を限界まで活性化させ、高速で増殖させる。
みるみるうちに傷口は塞がっていくのに、目に見えて出血量は減っていくのに、焦る俺にはチンタラと遅く見えてしょうがない。
どうにかこうにか、傷は塞がった。
だが油断できる状況じゃない。俺が大怪我を負ったときと同じだ。
クレメンの体は出血量が多すぎるし、強引な治癒促進で大量のエネルギーが失われたはずだ。
いきなりの心停止や低体温での死亡もあり得る。助かるかどうかは分からない。
そもそも、こんな林の中じゃ満足な看病もできやしない。
「とにかく、一段落はついた。
後は体温を維持するとか、看病しねえと……」
「ん、んだか、とにかく、ありがとうございますべよ、トゥーン様」
ようやく傷口から手を離したパオラ。
傷を押さえるために握りしめていた布は、まだ血がしたたり落ちている。
それをぼんやりと見つめていた彼女は、いきなり弾かれるように顔を上げ、後ろを振り向いた。
それはミケラが倒れていた方向。
「おい、そっちは……」
俺もミケラの方を見る。
横たわったままの彼女は、リアも姉貴も含めた他の全員に囲まれていた。
銃を背負ったままの姉貴とヴィヴィアナが『治癒』を使い続けている。
特に魔力が尽きかけていたヴィヴィアナは、倒れそうになりながらも必死で魔法を放ち続けてる。
リアは血まみれの腹を、出血部を押さえてる。
イラーリアはミケラの胸に両手を重ね、汗をまき散らしながら心臓を押し続けてる。
サーラは心臓マッサージの合間に、血が噴き出して真っ赤に染まった唇に口を重ね息を吹き込む。
ミケラの呼吸が、心臓が、止まったんだ。
「パオラ、クレメンを、暖めてくれ」
「う、あ、で、だども、ミケラが……」
「……頼む!」
頭を下げて懇願する。
俺の必死さに、友達への心配を横へ置いてくれた。
彼女は急いで服を脱ぎ、クレメンタインと素肌を重ね、その上に脱いだ修道服を被せてくれる。
俺は、疲労でガクガクと無様に震える脚で立ち上がり、イラーリアの後ろに立つ。
「代わるぜ」
「あたいは大丈夫だ! それより『治癒』をかけてくれ! 頼む!」
「それは姉貴とヴィヴィアナで十分だ。それ以上は効果がない。
それより心臓を押すのは、お前の細腕じゃ無理だ。
無理せず交代しろ」
「嫌だっ!
ミケラを、ミケラを助けるんだ! みんな一緒に魔界へ行くって、みんなでトゥーン様と暮らすって、約束したんだっ!
こいつも一緒なんだっ! 絶対、絶対に……」
叫ぶイラーリアは代わろうとしない。
必死に心臓を押し続ける。
だが、見る見るうちに汗の量が増えていく。胸を押す力が失われていく。呼吸が荒くなる。
俺は黙ってイラーリアの襟首をつかみ、後ろへ引き倒す。
もはや疲れ果てていた彼女の体は、全く抵抗することも出来ず草むらへ倒れ込んだ。
そのまま大の字になり、起きあがることも出来ない彼女を尻目に、俺はミケラの横に膝立ちになる。
ミケラのふっくらとした両胸の間に掌を重ねて置き、慎重に心臓を押す。
魔王一族の力でやりすぎると少女の細い体では、肋骨をへし折り肺を潰してしまう。
力を加減し、一定のリズムで素早く心臓を押し続ける。
しばしの時が過ぎた。
誰も何も言わず、ただミケラの蘇生を試みる。
腹からの出血は既に止まっていた。
姉貴の魔力なら『治癒』により腹の傷だけじゃなく、他の細かな傷までも治ったはずだ。
そう、ミケラが生きているなら、傷自体は、治ったはずなんだ。
ネフェルティが印を解いて立ち上がる。
そして生気を失ったミケラの頭を挟み、サーラの反対側に腰を下ろす。
「みんにゃ、少し離れて」
その指示に、俺は心臓を押すのを止めて胸から手を離す。
人工呼吸を続けようとするサーラも静止した姉貴は、ミケラの首筋に指を当てる。
ネコ耳を口元に近づける。
そのまま、生命の証を確かめる。
少しして、姉貴が体を起こした。
そして顔を横に振る。
その様に、人間の娘達は言葉を失った。
力尽きて倒れていたイラーリアが跳ね起き、同じく首筋や手首に指を置いて心臓の拍動を捉えようと試みる。
だが、それは叶わなかったようだ。なぜなら、即座に心臓を押そうとしたから。
俺は、いつも強気だった彼女の肩に手を置いた。
その肩は小刻みに震えていた。
「……もう、よせ」
「止めるなぁっ!」
俺の手を振り払った彼女は、琥珀色の目から涙を溢れさせながら、再び仲間の心臓を押し始める。
必死に、渾身の力で押し続ける。
だがもう、まともに心臓を押す力は残されていなかった。
細い腕は心臓を押すことはおろか、自分自身の体すら支えられない。
崩れ落ちた彼女の体、その下で、ミケラは急速に冷たくなっていた。
次回、第十九部第二話。
『盾』
2010年9月30日01:00投稿予定