第三話 アンク
それは間違いなく礼拝堂。
目の前には輝くアンク。半透明の丸い球体が三角形に三つ並んだ物体。
その前には祭壇。彫刻が施された足に支えられたテーブルは、上等のテーブルクロスでに覆われている。
金や銀に輝く杯や皿が置かれ、水やワインが注がれている。花瓶には花が飾られている。
周囲は外から見たとおり窓がない。灯りは魔法のランプが各所で光っている。
壁には彫像、まるで生きているかのような聖人達の像が備え置かれている。
ステンドグラスを通過する太陽の光は無いが、確かに礼拝堂だ。
車内にはペーサロ将軍の他に、アンク周囲には白いローブを着た司祭のような人物も三名いた。
司祭と言うより魔導師らしい人達は、宝玉とガラスのパネルに目を向けている。
ペーサロの補佐と警護をしているであろう士官二名も、将軍に付き従っている。
士官達の腰には立派な装飾の付いたレイピア、背には銃を背負っている。
「おお、その娘ッ子達が、例の聖歌隊かね」
魔導師の一人が扉を振り返り、部屋に入ってきた者達へ声をかけた。
将軍は小さく頷き、一応の敬意を払い敬語で答える。
「そうです。
朝の礼拝の時間ですし、戦勝祈願も兼ねて礼拝を依頼しました。
少しお時間を頂きたい」
「おお、構わんよ。
情報の入力もほとんど終わったし、気分転換には良いじゃろ。
穢れ無き乙女の祈りは、アンクの力にもなろうて」
「助かります。
形式的儀礼や式典も軍の規律に必要ですからな。
手続きを守らねば、組織は維持できません」
あまり信心深いとは言えなさそうな、両者の会話。
どうも彼女たちの朝の礼拝を、単なる形式的な儀式として必要としているらしい。
それに、魔導師の言葉には『情報の入力』とか、彼女たちには意味不明な言葉もあった。
もっとも彼女たちには、そんなことには気を止めなかった。
八つの目は礼拝堂に釘付けだったから。
この車両は礼拝堂というには難しい点があった。
どうしてこんなに違うのか、というくらいに通常の礼拝堂と違いすぎる点が。
彼女たち聖歌隊メンバーは修道院の聖堂で日々の礼拝を行ってきたし、対岸にあるサクロ・モンテや街の聖堂も見たことがある。
だから、この違いには面食らった。
アンクが、巨大だった。
何か、ガラスとも水晶とも異なる、半透明で硬質の巨大なアンクが輝いていた。
しかもその輝きは、周囲のライトの光が反射したものではない。それ自身が各球体の各所を点滅させていた。
表面だけでなく内部でも瞬く光は集まったり、流れたり、何かの模様を描いたりしている。
たまに文字を浮かび上がらせることもあった。
瞬きも赤青白と、虹のように多様な色へと変化する。
そのアンクは車両中央に鎮座している。だからアンクによって車両が前後に分けられている状態になっている。
聖歌隊がいる車両後方側は、確かに礼拝堂として作られている。
だが前方側は、ライトが暗くてよく見えない。
何か、指揮車両でみたような宝玉付きの机と、大きなガラス瓶のようなモノが並んでいるのは分かる。
アンクの向こう側を照らしているのは、机の上にある宝玉とアンクが生む光らしい。
向こう側へ行くには、アンクの横にある狭い通路を通らねばならない。
だが今は祭壇で塞がれているようだ。
聖歌隊一行は、あまりに異質なアンクに圧倒されてしまっていた。
見上げるように巨大なアンクの威容に、言葉が出てこない。
いつまで経っても礼拝を始めない彼女たちを笑顔で待ってくれるほど、ペーサロは気長な人物ではなかったようだ。
「時間が無いと言ったはずだ。
早く朝の礼拝と戦勝祈願を行いたまえっ!」
「は! はいっ!」
慌てて応えたヴィヴィアナが、とにかく楽器を部屋の隅に置く。
三人も各自の楽器を置いて、アンクの前にひざまずく。
他の者達も同じくひざまずき、頭の中にすり込まれた聖典の詞を唱える。
「……天の王、ピエトロに降せし真実の神、在らざる所なき者にして、満たざる所なき者よ、生命を賜うの主や、暗澹たる地下に来たる我等の中に居り、我等を諸の穢より潔くせよ、至善者や、底より這い出し獣より我等の霊を救い給え……」
ヴィヴィアナの詞に続いて三人も祈りの詞を唱える。
聖典に記された神の詞に続いて、賛美歌が歌われる。ア・カッペッラ(無伴奏での合唱・重唱)で歌声を響かせた。
大山脈の地下深く、無骨な金属音と駆動音を響かせる魔道車のすぐ後ろにあっても、彼女たちの歌声は涼やかに礼拝堂を満たした。
聖歌の調べが消える。
礼拝車両の前にある魔道車からの重低音だけが響くようになっても、誰も何も口を開かない。
将軍と警護の兵士、そして白いローブを着た魔導師達も、聖歌隊の歌声に聞き惚れてしまっていた。
四人が立ち上がり、将軍へ一礼したところで、ようやく我に返った軍人達が祈りの所作で続いた。魔導師達も深く祈りを捧げる。
将軍は満足げに、強く頷いた。
「うむ、ご苦労だった。戻って良い。
諸君等も突撃に備えよ」
簡潔かつ高圧的な礼と命令。だが聖歌のおかげか、最初の刺々しさは少しは和らいでいた。
ヴィヴィアナは軽く頭を下げて礼拝堂を出ようとした。イラーリアもそそくさと後に続く。
だが、サーラとミケラが再びアンクを見上げていた。
アンクの生む光を魅入られたように眺めるミケラが口を開く。
「あの、これは、本当にアンクだべや?」
これを待っていたかのように答えたのは、将軍以下の軍人ではなく、礼拝堂にいた魔導師の一人だった。
フードを深めに被っているが、その下からのぞく顔は、どうやら初老の男のようだ。
「ほっほ!
いかにも、これこそが本当のアンクじゃよ!
各地の聖堂や礼拝堂に置かれているのは、これら真のアンクを模しただけの、飾りに過ぎないのじゃ」
「これ……ら?」
魔導師の言葉に引っかかったのはミケラではなく、部屋を出ようとしていたイラーリア。
振り返って尋ねる彼女に、男は得意満面という感じで解説を始めた。
「うんむ!
これはピエトロの丘に鎮座する真なるアンク、『システマ=トリニティ』の力を分け与えられた、言わば分体のような」
「導師!」
止めどなく流れ出しそうな魔導師の解説を中断させたのは、将軍の一括だった。
導師と呼んだ男に対し、一応の敬意を払いつつも、鷹のような眼光が突き刺さる。
「これは第一級国家機密です!
不用意な発言は機密漏洩罪にて軍法会議にかけられることを、お忘れ無く」
「わ、わかっとるわい!
ちょっとくらい、えーじゃないかね、まったく……」
「国家機密……ですか?」
その言葉に疑問を呈したのは、既に車両を出ようとしていたヴィヴィアナだ。
首を傾げながら質問を続ける。
「アンクは教会の聖体ではありませんか。
全ての臣民に等しく開かれた教会の扉、その奥で地上に祝福をもたらす存在。
それが何故に国家の機密になっているのでしょうか?
そもそも、アンクが安置された礼拝堂なのに、聖職者がいないなんて……」
当然の疑問。
アンクは教会における信仰の対象なのだから、教会の管理下にあるべき存在。
にも関わらず、各地の教会に置かれたものが飾りに過ぎないという。
本物は国家の機密として保護されている、と。
ここには祈りを捧げる聖職者すらいない。
修道院で神学を学んだ修道女にとっては、なおかつ教会の隠す真実に気付いた彼女らには、無視し得ない事実だ。
だが返答は、説明ではなく警告だった。
「……聖歌隊の諸君にも秘密保持義務がある。
指揮車両において見聞きした事実を口外した場合、最悪の場合は処刑すらあり得る」
異論も反論も許さない強権。
情報収集をしたい彼女たちだが、質問を続けられる状況でないことは明白だった。
四人とも気まずそうに視線を交わし、ヴィヴィアナが一礼するのを合図に、急いで部屋を出ようとした。
「ああ、ああ!
君達、将軍も、ちょっと待ちたまえ!」
呼び止めたのは、導師と呼ばれた初老の男。
他の部下らしき魔導師から何事かを耳打ちされた彼は、慌てた様子で四人を呼び止めた。
既にイライラしていた将軍が舌打ちする。
「いったい、何なのですか!
導師、もうすぐ全軍の総攻撃が開始されるのですよ。
あなたの講義に付き合っている暇はない!」
「突撃するのは第一と第二じゃなかったかね?
この第三陣は雑魚の掃除終わってから、最後にノソノソ地上へ這い出るだけ。
魔王が出てくるまで、第三陣の対魔王専用兵装は出番がないわな。
じゃったら、別に少しくらい付き合ってくれてもええじゃろ」
「……総司令官たる私の、全軍への指揮を妨げる程に、重要な事項でしょうな?」
「これは、かなり面白いことじゃよ。
その価値はあるかもしれん。
ちょっと下がって静かに見ててくれるかな?」
ペーサロは、かなり渋々という感じだが、ともかく一歩後ろに下がって腕組みする。
導師はニヤニヤと薄ら笑いを浮かべながら、聖歌隊の一同をジロジロ見つめる。
他の魔導師は、外にでかけていた聖歌隊全員を礼拝車両内へ促し、ドアを閉める。
そしてサササ……と祭壇へと戻る。
対する聖歌隊の四人には困惑と不安が広がる。
この状況で導師が何をしようというのか、何が将軍の足を止めるほど重要なのか。
思い当たる節は十分にあるが、それが何故に今の状況でバレるというのか。
今すぐ逃げ出したいが、全くの誤解とか無関係な話ということも無いわけではない。
何より疑いを濃くするような対応は避けたい。
恐怖で縮こまり、足が震えるミケラとサーラ。
その二人をヴィヴィアナとイラーリアが庇うように前に立つ。
とはいえ、前に立つ二人にも冷や汗が流れる。
導師は宝玉やアンクに浮かぶ光をザッと確認。
ウンウンと数回頷く。
老人の痩せた手が手招きする。
何なのか分からないが、とにかく聖歌隊の四人は前へ出る。祭壇の近くへ。
そして、もったいぶった咳払いを一つ。
「さて、聖歌隊の諸君。
魔力とは、何か……分かるかな?」
緊張の極みにあった四人は、何を聞かれたのか分からなかった。
キョトンとした彼女らは、この状況と魔力の正体という質問に何の関係があるのか、考えてみた。
聖歌隊だけでなく将軍と部下達も首を捻った。
結局、軍人と聖歌隊の中に答えを見いだした者はいなかった。
四人を代表してヴィヴィアナが口を開く。
「……あの、質問の意味が分からないんですが」
「ああ、気にせんでくれ。
聞かれたことに、そのまま答えてくれればよいよ」
「はあ……?」
やっぱりキョトンとした彼女。
回りの仲間達と視線を交換するが、みんな首を傾げたり横に振ったりで、さっぱり質問の意図が掴めない。
しょうがなく、いつものように笑ったような目のままで答えることにした。
「……世界を創造せし神の力、そのひとかけら。
始まりに主が琴を爪弾き、弦の震えは大地の産声となる。
世界は父が奏でる交響曲、魔力とは世界を形作る音である。
我らは神の力を分け与えられし神の子であり、ゆえにその身を一弦として音を奏でうる。
神の子は父が振る指揮棒に従い、魔力という音を奏でる。
よって、魔力とは世界を形作る弦の震え。
だから神へ歌と楽曲をもって祈りを捧げる……ですね」
ヴィヴィアナの口から淀みなく流れる言葉。
それは教会の教えであり、聖典の記述。
神への信仰という側面から見た魔力の定義。
この回答に、導師は満足げに、同時にニヤリと口の端を歪ませながら頷いた。
「うん、そうじゃね。
神学校では、神学の授業では、そう教えるね。
それも正解の一端、真実の一側面じゃよ。
じゃが別の分野では、別の表現も出来るんじゃ」
導師はフードを外し、顎髭を伸ばし頭頂部まで禿げた頭を外気に晒した。
そして左手を背後に回し、右手の人差し指を指示棒のように振りながら、得意満面で講義をし始めた。
「世界は楽器のようなものじゃ。
具体的には、目に見えぬほど小さな糸の集合体で、本体であるこの世界にひっついておる。
弦の数は、無限に等しい。
この弦が震えるとき、力が生まれる……熱・光・雷、そして魔力。
全ての力は弦の形、震え方の違いにより説明できるんじゃ。
そして、弦の震え方は我らの意志により操作できる。
それが神の力であり神の子の力、意志より生じた魔力じゃよ」
「導師、その講義が現時点において重要なのですか?」
しびれを切らしたらしいペーサロが怒鳴った。
だが導師は詫びれる風もなく、チッチッチ……と出来の悪い生徒をたしなめるように右手の人差し指を振る。
「魔力による弦の震え、それはワシらがリュートを弾くような振るえ方ではない。
それは、存在の有無そのものの振動じゃ。
糸が振動するか否か、ではなく、存在の可能性を決定する。
世界のあり方そのものを定義するんじゃよ」
車内にいるのは聖歌隊と軍人達と魔導師達。
その中で、納得したように講義を聴いているのは魔導師達のみ。
ペーサロ以下の軍人達と、ヴィヴィアナ達聖歌隊は、何が言いたいのか分からず立ちつくすばかり。
「例えば、リンゴ。
リンゴは、我らがリンゴだと思って見ているから、リンゴの姿をしておる。
もし全ての者がリンゴからそっぽを向けば、リンゴの存在をリンゴとして定義する者がいなくなる。
だからリンゴは、その瞬間に本当の姿を現す。
逆に言うと、ワシらがもしよってたかって、リンゴをミカンだと思って見れば、その瞬間にリンゴはミカンになる。
何もない、と思えばリンゴは消えてしまう。
ワシらが弦の振動を変えることが出来るがゆえじゃ。
もっとも今のリンゴの例えは理論上の極論じゃよ。
実際には誰しもリンゴをリンゴだと思っている。
ミカンと思いこもうとしたところで、無意識下でリンゴだと思っておる。
本当に一部の存在がリンゴをミカンと思ったところで、他の大多数がリンゴだと思っておる。
よって、圧倒的な確率でリンゴはリンゴとして決定される。
だから最初にリンゴと定義されたリンゴは、勝手にミカンにならん。
世界を創造せし神は偉大なり、ということじゃな」
聖歌隊は近くにいる士官を見る。
その士官は肩をすくめて、お手上げのゼスチャー。
士官は上官の方を、将軍を見る。
将軍はイライラと指を動かしたり貧乏揺すりをしたりしている。
「これが知性体、そう、例えばネコの生死なら、さらに話は簡単じゃ。
例え他の全ての知性がそのネコを『死んでいる』と思ったとしても、ネコ自身が自分を『生きている』と知覚している。
他者の思いこみより、自分自身の知覚の方が、自分の肉体という自我の領域では遙かに強力なのじゃ。
それに死を望んでいる方だって、そやつが『生きている』と知覚しておる。
じゃから、どんなに死を望まれる極悪人であろうと、いきなり消えたり死んだりしない。
神の魔力が奏でた交響曲、と表現される物理法則。それに従った化学反応や物理的破壊、即ち病気や殺害が死に必要となる。」
将軍の禿頭が、赤く染まり始めた。
総攻撃前の貴重な時間を使って、何の意味があるのか分からない魔法講義をされる。
怒って当然だろう。
「いい加減にしろっ!
何の話だか、さっぱり分からん!
言いたいことがあるなら、手短に、ハッキリ言え!」
もう敬語も使わないほど激怒した将軍が怒鳴る。
彼の側にいる士官達を、聖歌隊すらも代弁する意見だ。
この状況で何の関係がある話かどうか以前に、そもそも何を言ってるのかサッパリ分からない。
対する魔導師達は、まるでバカにしたようにあきれ顔で肩をすくめていた。
軍司令官をもバカにするかのような態度に、将軍の怒りは最高潮に達しようとしている。
その様に、ようやく導師は結論を言う気になったようだ。
「やれやれ、軍人はせっかちでいかんわい。
んじゃ先に結論を言うとしよう」
そういうと、指示棒のように振り回されていた導師の右手人差し指が、ピシッと一点へ向けられた。
聖歌隊の四人へ。
「その娘達は裏切り者じゃ」
次回、第十七部第四話
『裏切り者』
2010年8月26日01:00投稿予定




