第五話 第三陣
リアは素早く水から上がる。
他の三人は緊張した顔で周囲の安全を確認し続ける。
イラーリアが慌てて布を投げよこした。
「グズグズすんな!
さっさと水を拭いて、箱の中に隠れろ!」
「分かってるわよぉ」
急いで体を拭くリア。
その後ろからクレメンタインも上がってくる。
二人とも泳ぐ邪魔にならないようにと、黒のショーツに黒い短いシャツという、最小限の下着しか身につけていない。
「ふぅ、まずは第一段階が終わりましたぞ。
さ、パオラも急いで上がるのです」
「ぷはっ、寒かったべな」
最後に水から上がってきたのはパオラだ。彼女も同じく下着姿。
三人とも大急ぎで水を拭く。
イラーリアはリュートを置いて、楽器など聖具を入れてきた木箱を開ける。
箱の中には石の彫像やアンクの置物など、重量物も入っている。
うぉりゃっ、と力を込めて、それらを箱から取り出した。
「重さは合わせてあるぜ、早く入りな」
言いながらも必死で置物を取りだし、湖に捨てる。
ミケラも別の箱を開け、同じく鉄の燭台や食器を取りだし、音をなるべく立てないように湖へ沈めた。
「今ンとこ、上手く行ってるだよ」
「助かりますぞ。
犬も誤魔化せましたかな?」
おかっぱの髪から水滴を拭き取るエルフに、金色の瞳で警護を気にするミケラが小声で答える。
「大丈夫だべな。
皆さんが着ていた服に、初っぱなから吠え立ててたべ。
駐屯地と修道院を同じ魔族が襲ったって騙せただよ」
「よろしい。
我らも魔力は全て消費してありますぞ。
これで『魔法探知』もすり抜ける事ができます」
「この聖具もマジックアイテムだで、しかも強い魔力を帯びてるだ。
一緒の箱に入ってれば安心だべよ」
クレメンタインはトリニティ軍潜入のため、様々に配慮をした。
特に気をつけたのは、各種探知手段を逃れる方法だ。
耳を逃れるため、聖歌隊の練習と称して故意に大音響をかき鳴らさせた。
荷を運ぶ兵士達に万一にも重量の変化を不審に思われないよう、三人の体重に合わせた重量物を入れておいた。
犬の鼻を逃れるため、あえてネフェルティをはじめとした魔族一同が着ていた服を木箱に入れた。これで犬がいくら吠えようとも不審には思われない。
駐屯地へ入る際に『探査』で箱は調べられている。改めて疑念を抱かれない限り、本来マナー違反である『探査』で再び調べられることもないだろう。
最後の難関、レーダーの『魔法探知』。
それをすり抜けるため、クレメンタインとリアは全魔力を予め消費し尽くしていた。
パオラは幸い、最初から大した魔力がない。
そして彼女たちが隠れる箱は、魔力を帯びた宝玉が幾つも装着してある楽器を入れる箱。
だが残る王族二人の姿は湖水から浮いてこない。
「よぉ、エルフの姐さん」
「クレメンタインです」
「んじゃ、クレさんよ」
「……まぁ、なんと呼んでも構いませぬが」
木箱の底に、長身を必死で屈めて隠れようとするクレメンは少し頬を引きつらせる。
顔を寄せるイラーリアの方は気にする様子もない。
「トゥーン様達はどうしたよ?」
「奴らの『魔法探知』範囲外、湖の向こうで隠れております。
全く驚きましたぞ、なんたる探知範囲ですか!?」
顔を上げるクレメンタインの眼鏡が向く先には、真っ暗な湖があるだけ。
彼女達からは何も見えない。
「トゥーン殿とネフェルティ殿は別の方法を使用するしかありませぬ。
それで、急いで陣地の情報をうかがいたい」
ヴィヴィアナとサーラが周囲を警戒する間、イラーリアとミケラが手早く陣地で見た情報を語る。
体を拭き終えたパオラとリアが一緒に木箱に収まった頃、説明を聞き終えた学芸員はミケラに指示を出す。
彼女の持つハープは指示に従い、一定のリズムと音階を奏で始める。
ハープに描かれた術式と、はめ込まれた宝玉によって増幅された音波は、細かな波を起こしながら湖面を駆け抜けていく――
――岸辺に立つネフェルティは湖の向こうの光に目を、そしてネコ耳を向けていた。
その隣の俺はあぐらをかいて瞑想をしている。
「……ダ、イ、サ、ン、ジ、ン、ニ……」
「第三陣にか、クソ!
もう間に合うかどうか、賭だぜ」
ダメだ、気が散って瞑想なんかしてらんねえ。
魔力は満タン近いんだ、もういいや。
音楽という暗号に変換された陣地の情報、やはり相当に厳しいもんだ。
なにより、この『魔法探知』をすり抜けるのが難しい。
姉貴の耳がピコッとこっちを向いた。どうやら通信が終わったらしい。
「うにゅ~、困ったなぁ。
第三陣は一番最後の部隊だよ」
「第一陣はとっくに出発済み、か。
もしかして、もうインターラーケンまで掘り抜いてるんじゃねーか?」
「う~、わかんニャいなぁ。
どれくらいの速さで掘れるんだろ」
「姉貴が暴走させたときに見たけど、相当の速さだぜ。
あのスピードなら、もう穴が繋がってるかも。
いっそ、今からでもトンネルに無理矢理突っ込んでみるか?」
「ダメだよ、トンネルの中で前後から挟まれちゃう。
それに、あんニャ狭い中で暴れたら、トンネルごとあたし達も埋まっちゃうよ。
焦るのは分かるけど、間に合わニャいかも、しれないけど……」
「間に合わない……かもな。
だが他に方法はなさそうだし、忍び込むしかないわけだ。
んで、姉貴よ」
立ち上がって尻の砂粒をはたき落とす。
湖の畔、草むらの中、周囲に人間の気配はない。
星空を走る雲の下、虫の音が聞こえるだけだ。
「その『魔法探知』の塔、破壊するか止めることは出来そーか?」
「それは無理っぽいにゃー」
地面に置いた荷物を背負いながら答えるネコ姉。
俺はポケットから透明な宝玉を取り出す。
表面には微細な図形や文字が書き込まれているが、それでも透明度を失わず暗い空を映し出している。
ドワーフの職人の中でも最上位の達人が削りだした、魔王一族専用の宝玉だ。
「最初に忍び込んだときでも、警報装置が動いてて入れなかったんだよ。
きっと今じゃ、近寄ることも出来ないね。
聖歌隊の子達でも難しいニャ」
「そうか……。
俺達は魔力をゼロにするわけにもいかないし。
となると潜入は、例の方法しかないか」
「うーん、難しいけど、やるしかにゃいね。
みんにゃが上手くやってくれることを期待しよーよ」
「だな。
手持ちの宝玉は姉貴が持ってたヤツだけ。
仲間は十人にも満たず、援護はない。
俺達魔王一族は信じる神もないから、神頼みすらできねえ。
そのくせ成功するかどうかは運頼みってんだから。
呆れたもんだな」
「そうだね。
でも、やるっきゃニャいよ」
「おう!」
そんな話をしながら、湖を離れる。
レーダーを逃れる方法は、無いワケじゃない。
だが、極めて困難な方法だ。成功の可能性は低い。
まずは南へ、街の方へ向かう。
朝日が昇る。
ツェルマット山の斜面に広がる森と草原を、白い光が照らしていく。
空は急速に黒から青へと塗り替えられていく。
遙か南から、線路の上を鉄道が走ってくる。
黒光りする巨体を、魔力で満たされた文様と宝玉で飾った魔道車が轟音を響かせる。
線路上にいたネズミや鹿が、慌てて森や草むらに逃げていく。
巨大な魔道車は果てしなく長い車両の列を牽いていた。
先頭の魔道車すぐ後ろには、大きく国旗が描かれた白い車両がある。窓はなく、頑丈そうな大きな扉がついた車両だ。
その次には、なにやらゴテゴテと金銀の絵や模様で飾り付けられた、立派な車両が数両続く。窓から見える内装は、レースの付いた分厚いカーテンやら豪華なシャンデリアやら。高官専用の車両なのだろう。
そして後ろには一般兵士や荷物を満載した、普通の客車や貨物車が続いている。
魔道車は一路、北へと走り続ける。
線路の先にあるメルゴッツォ駐屯地へ向けて。
線路はオルタの街の横を通り、駐屯地から街までの道と交差して、駐屯地の一番端にあるトンネルへと続いている。
なので、魔道車が来るのは街からも見ることが出来る。
そして今朝は大勢の人が、魔道車とトリニティ軍第三陣の到着を、今か今かと待ち続けていた。
街から線路を見下ろせる建物や鐘楼は、魔界へ侵攻する軍団を一目見ようという人で鈴なりになっている。
窓やベランダだけでなく、屋根の上にも木の上にも見物人がいる。
彼らはゆっくり走る魔道車へ向けて手を振り、旗を振り、声援と祈りを送っていた。
そして線路にも多くの人が居た。
線路は柵などで立ち入り禁止にしてはいなかったので、すぐ側から車列を見ることが出来る。
近寄れば触ることも出来る。
なので、焼け出された街の人々は、聖戦へと向かう兵士達を激励しよう祝福しようと待ちかまえていた。
一応は駐屯地から警備の騎士達が派遣され、馬上から人々が魔道車の走行を妨害しないよう警備している。
だが、観衆の熱気に、騎士達の制止が追いつかないようだ。
そんな人々が待ちかまえる街の横の線路、その彼方に黒い魔道車の姿が現れる。
とたんに歓声が上がり、興奮が広がる。
気の早い若者達が鐘や楽器を鳴らし、子供達が草原で集めてきた花を撒き、差し入れの食べ物や花束を渡そうとする人々が線路際に殺到する。
魔道車は耳をつんざくような警笛を鳴らし、人々に進路を開けるよう警告を発する。
速度を落とした魔道車の前に騎士達が整列、ゆっくりと行進しながら人の波をかき分ける。
家族を殺され、家を焼かれ、財産を失った街の人々が客車にすがりつくように取り囲む。
――頑張ってくれよ!
――魔族をぶっ殺してェ!
――トリニティ軍に栄光あれ!
――神のご加護をっ!
そんな声援に包まれて列車は進む。
車両の窓は全て開けられ、中から手を伸ばした兵士が花や食べ物を受け取っていく。
昇りゆく太陽に照らされたオルタの地。花吹雪と紙吹雪の下を、列車は一路北へ進んでいく。
次回、第六話『侵攻侵入』
2010年7月31日01:00投稿予定