第三話 最後の手段
かなり陽が傾いた頃、ようやくクレメンタインの質問攻めが終わった。
輪を描いて座る修道女達は少し疲れた様子だ。
俺もリアも正直かなりイライラしたが、情報の有益さも分かってる。黙って話を聞き続けた。
ネフェルティは、あっちこっちで瓦礫を掘り返して面白そうなモノを探したり、魚捕まえたりと遊んでる。ネコ耳だけこっちに向けてるけど、絶対に話を聞いてないな。
オルタ村のガキ共はお昼寝からやっと目覚めた。こいつらには難しい話だったろう。
クレメンは満足した様子ですっくと立ち上がった。
「ご協力、感謝する。
では、我らは日暮れと共に島を去るとしますぞ。
そなたらも、それぞれの故郷へ戻るなりするがよいでしょう」
彼女がこっちへ向き直ると同時に俺達魔族も立ち上がる。
やれやれ、ようやく出発か。
「んで、クレメン。良い案は浮かんだか?」
長身のエルフは、立ちつくす。
ぼそ、と一言呟くように答える。
「インターラーケンは放棄しましょう」
「な……!?」
一番聞きたくなかった言葉。
俺には有り得ない選択肢。
リアは息を呑む。
その理由を彼女は淡々と、感情を失い心が乾いたかのように淡々と続ける。
「やはり、どう考えても時間が足りぬのです。
人間達の魔界侵攻は近日中に行われます。我らには、それより早く魔界へ戻る術がありませぬ。
そして、侵攻を阻止できるのは我らのみ」
「なーに、俺とネフェルティで頑張るさ」
気張って胸を張ったが、クレメンの顔は浮かない。
「違いますぞ……勝っても意味がないのですぞ」
「意味が、ない?」
「ニャ?……どういう意味?」
姉貴の質問に、暗い声で答える。
「確かに、例のメルゴッツォ湖の駐屯地だけなら潰せますな。トンネルも破壊できるでしょう。
ですが、そのためにお二方の全魔力が失われます。
その後は逃げることも出来ず、虚しく討たれることでしょう」
「あんたぁ! なんてことぉ言うのよぉっ!」
本気で怒ったらしいリアの言葉だが、クレメンは意に介する様子がない。
いや、沈んだ目でリアを見る。その哀惜を含んだ視線を受け、口を閉ざしてしまう。
そして、エルフの口は淡々と予想を続ける。
「我らが討たれた後、人間達はトンネルの修理にかかります。奴らの技術力なら、即座に復旧できるでしょう。
よしんば、我らの中のいずれかが生き残り、魔界へ向かったとしても、帰還した頃にはインターラーケンは奪われております。
同時に、インターラーケン滞在中のルヴァン様も、魔力が足りぬため、討たれるやもしれませぬ」
「そ、それは……」
確かにそうだ。
頭に血が上って威勢の良いことを叫んでしまったが、その通りなんだ。
俺と姉貴の魔力は桁外れだ。並の人間なら軍団ごと相手に出来る。だが魔力も失うだろう。
それに、あの銃とかいう武器なら、魔力差と関係なく俺達を殺せる。
他にも驚異的性能のマジックアローもある。まだ知らない武器も沢山あるだろう。
正面から、少人数では勝ち目がない。
そしてトンネルを破壊しても、また掘りなおされる。意味がない。
逃げなきゃ、情報を持ち帰らなきゃ、意味がないんだ。
「おし、それなら……適当に暴れたところでトンズラかませばいーんじゃねーか?
逃げる魔力分だけ残しておけば」
適当なのは俺の思いつきの方だ。
そして当たり前のようにエルフの学芸員は首を横に振った。
「愚策ですぞ。人間を甘く見ております。
あの司教一人ですら所持していた聖具一つで、魔王一族たるお二方と対峙できるのです。
余力など残せる相手ではありませぬ」
「うにゃぁ~……そ、そうだニャ!」
いつの間にか戻ってきてた姉貴が何か閃いたらしい。ちゃんと話を聞いてたのか。
オーバーな身振り手振りで叫びだす。
「そのトンネルを使えば良いのニャ!
トンネルに飛び込んで、入り口壊して、インターラーケンまで走るよ!」
「あぁっ! ネフェルティ様、それ良いアイデアですわよぉ!」
「それだよソレ!
姉貴もたまには良いこと考えるなぁ!」
「無駄です。
それこそ素人考えなのですよ」
姉貴の素晴らしいかに見えたアイデアまでも、あっさりと否定された。
喜びに沸き立とうとしていた俺達三人がコケそうになる。
「ちょぉ、ちょぉっとおぉ!?
今ののどこがダメだって言うのよぉ?」
くってかかるリアに、クレメンタインはすぐには答えようとしない。
まず小さく溜め息をつき、次に大きく息を吸い、エルフらしい長い話を始めた。
「攻城戦の基本なのですよ、地下道というのは。
通常の城ですら、地下からの攻撃に対応しているのです。
例えば、城の一階や地下の各所には水を張った盆を置いています。もし地下道を掘って攻め入る者がいれば、掘削時の振動が地面を伝わり、水面に波紋を起こします。
風も吹かない地下で水面が揺れれば、それは地下からの襲撃の証。奇襲は失敗です。気付かれているのを知らず、浮かれて穴から飛び出てきた者は、袋のネズミ。
これはヴォーバン要塞やトリグラヴ山でも行われていますぞ。でなければ、まずその二カ所にトンネルが掘られていたことでしょう」
ここで一息ついて、さらに講釈が続く。
「これが例の大トンネルなら、さらに奇襲は困難を極めます。
あんな大規模な掘削を昼夜問わず続ければ、地表に近づくに従って振動が大きくなります。水を張った盆など不要、耳に音が届きますぞ。
トンネルを掘れば地下水が噴き出します。その分インターラーケンでは泉の水が枯れます。
そんなもの、奇襲になりませぬ。攻める側が考えぬワケがありませぬ」
「で、でも、掘ってるじゃねーか。実際に」
俺の反論にクレメンは大きく頷いた。
「そうです。そして私もトゥーン殿も妖精達も、穴を掘られていたことに気付きませんでした。
つまり、穴は未だ地表には達していないのです。
人間達は地下深くに息を潜めているのです。
掘削を一旦止め、奇襲の瞬間に、一気に掘り抜くつもりなのです」
「うにゃ!?
と、いうことは……」
「ということは、我らはトンネルを使えぬのですよ。
奇襲前に陣地を襲うはよいでしょう。
ですがインターラーケン目指してトンネルに逃げ込んでも、地下深くで行き止まりなのです。それこそ本当に袋のネズミ。
といって奇襲開始を待てば、間違いなく手遅れ。
侵攻軍が出立した分、陣地は手薄ですので襲いやすかろうことでしょう。ですが、トンネルの先にはインターラーケン占領を済ませた人間の大軍。後ろからは追撃部隊。挟み撃ちですな。
あと、言っておきますが、トンネルの中で暴れれば、落盤で我らも潰れます」
「ぅうあぁあん……」
泣き出しそうなリアの呻き。
姉貴も頭を抱えちまってる。
俺だって、さっきの勢いはどこへやらだ。
考えれば考えるほど悲観的になっちまう。
こっちが泣きてえよ。
どうすりゃ、どうすりゃいいんだよ!?
ここまでくりゃ、親父も本気で戦うだろう。
親父と兄貴達が本気で戦えば、魔族の全てを結集すれば、負けることはない……かもしれない。
けど、ああ、ダメかも。
なんかダメな気がしてきた。
「く、クレメン!?
何か、何か良い案はないのか!?
ほら、こう、一発逆転の、どっかーんという感じの!
一発逆転の……そうだっ!」
閃いたっ!
両手でガッツポーズ。
「侵攻軍に潜入するんだよ!
こっそり魔道車に忍び込んで、侵攻軍と一緒にインターラーケンへ戻るんだ!
そうすりゃあ兄貴のエルフ達やドワーフ達と、俺達とで逆に侵攻軍を挟み撃ちだ!」
「それだニャ!」
「それですよぉっ!」
俺のアイデアにとびついた姉貴とリアだが、クレメンの表情は変わらない。
陰鬱な顔で、深い溜め息をつく。
「可能だと、お考えですかな?」
「え、えっと、なんとか、俺自身は『穏行』使えないけど、姉貴の宝玉もあるし、何とか頑張って……」
「ネフェルティ様とトゥーン様の魔力まで隠せるなら、よいのですが。
奴らが『魔法探知』を一切使わない、お二方が探知系魔法を常に回避しながら潜入できる、というなら……可能でしょう。
ちなみに奴らの『魔法探知』、夜間に上空を滑空していた我らの機体を発見するほど、高度なものです」
有り得ない。
魔族の襲撃を一切警戒しない、なんて有り得ない。
オルタ襲撃は、俺達の侵入を利用した人間の陰謀によるものだ。が、そんな筋書きを書いた以上、『魔族は絶対居ないから、警戒は不要だよー』なんて油断しまくってるワケがない。
あんな高度な『魔法探知』を一度でも使われれば、魔力の塊な俺達の存在は一発でバレる。
てことは、おい、もうダメなのか?
インターラーケンを諦めろってのかよ!?
けど、もしあそこを取られたら……。
「おい、クレメン、わかってんだろ?
もしインターラーケンを人間に盗られたら、魔界は崩壊の危機だぞ。
お前はエルフの学芸員だろ?
魔王一族の参謀役だろうが!?
だったらその頭脳を今こそ見せろよ!
何か起死回生の、万に一つでも、命を賭ければ……」
すがりつきたい気持ちで聞いてはみたが、その声も小さくなってしまう。
何故なら、クレメンタイン自身が俺にすがりつくような目をしていたから。
「命を賭して、起死回生の、気合いと根性で、神風、万に一つ……。
そんな言葉は、敗者の戯言です。
奇跡に期待するのは、敗北が決しているのを自覚しているからですぞ。有り得ないから奇跡なのです。
戦争とは、戦いを始める前に勝敗の九割九分が決しているものですよ。それが戦争なのです。子供のケンカとは違うのですよ。
為政者の役目は、戦争をする前に戦争に勝利すること。勝てぬ戦いはせぬこと。
情報を集め、味方を増やし、兵站を整え、敵を罠にはめる……それすら出来ず、ひたすら精神論と突撃ばかりを唱える者は、為政者たる資格がありませぬ」
「お、俺はンなこと言ってねーぞっ!?」
クレメンタインは、さっきから俺を真っ直ぐ見つめている。
まるで俺の言うことを予想しているかのように、俺の考えを見透かしているかのように。
「では、玉砕するつもりは無い、と……約束して下さいますか?」
言葉に詰まる。
答えられない。
全く見透かされてる。
陣地を襲撃してから全力で逃げる。
侵攻軍にコッソリ忍び込んでインターラーケンへ帰還する。
俺達が地下で大暴れしてるのに兄貴が気付くことに賭けて、トンネルに飛び込む。
もしかしたら、意外に地表までは近くて、自分で掘り抜けるかもしれない。
最悪、トンネル内で大暴れして、復旧不能なまでに全て埋めてしまう。
いっそ逆方向、皇都を襲撃。
自分で自分が嫌になる。
全く、俺はバカだ。頭が悪い。
人間達は、あんなトンネル一本くらい屁でもないだろう。また掘ればいいだけだ。
侵攻軍の中にコッソリ隠れる、なんて不可能。
俺と姉貴は魔王一族、魔力の塊だ。
たとえ『穏行』を使ったって、広範囲な『魔法探知』をかけられれば一発でバレる。
といって先に魔力をゼロにしたらインターラーケンで戦えない。
結局、敗北。
俺達が死んで誰が喜ぶか……人間共だ。
魔王十二子のうち一人でも殺せれば、陣地の一つや二つ安いもの。
俺達が全滅しても、逆方向で皇都に向かっても、人間界の情報が魔界に漏れないという事実に変わりない。
奇襲は大成功だ。
そして皇都で大暴れしようが、皇都の地下に潜伏し情報収集と破壊工作をしようが、手遅れなのは同じ。
魔界はメチャクチャだ。
結局、頭に残ったのは一つ。
たった一つ。
その一つを、あえて口にする。
「……出来ない」
クレメンタインも、リアも、ネフェルティも俺を見る。
真顔で、悲しそうに、そして激しく睨み付けてくる。
でも言葉を続ける。
「俺が一人で行く。
陣地で大暴れしてからトンネルに飛び込んで、壊す。二度と直せないくらいまでぶっ潰す。
お前等はヴォーバン要塞でもトリグラヴ山でも逃げろ。
必ず時間を稼ぐから、情報を魔界へ伝えてくれ」
ふぅ~、と溜め息をつく姉貴は、腰に手を当てて頭を振る。
「それはあたしがやるから、トゥーンはみんなをつれて逃げニャよ」
「ダメだ。
姉貴は隠密行動に優れてる。必ず魔界へ無事に帰れる。
これは姉貴にしかできないんだ」
「だーめ!
あたしなら陣地で暴れてからでも逃げれるよ」
「魔力無しで『穏行』はできないだろうが。
だが、俺なら魔力を全て消費した後は、人間のフリができる。
俺の方が助かる可能性は高い」
まぁ、どっちがやったって同じだ。
人間の軍団に正面から突っ込んで助かる可能性なんて、無い。
トンネルに飛び込んで入り口側を破壊、インターラーケン真下まで来て地上へ掘り進む……魔力も空気も光も無くなるってのに、出来るわけがない。つか掘り進む前に自分が埋まる。
そんなことは姉貴も俺も分かってる。
クレメンタインもリアも分かってることだ。
「そのようなことは看過できませぬ!
我らエルフの使命は主たる魔王一族を、トゥーン様とネフェルティ様をお守りすること!」
「あぁ、あた、あたしだってぇ!
トゥーンが逝くって言うんなら、あたしだって逝くわよぉ!?」
「わだすも、お供しますだよ」
突然、横からパオラが割り込んできた。
いきなりのセリフに俺達はギョッとする。
その沈黙を割り、パオラの言葉が続く。
「実は、さっきから言おうかどうしようか、困ってましただ。
だども……もう、わだすは行き場がありませんだよ。
トゥーン様ぁ、どこへでも付いて行きますだ。わだすもお供させてくんろ」
「な……」
絶句する魔族四人。
ガキ共がパオラにすがりつく。
「ね、ねーちゃん!」「いっちゃうべか?どこにいっちゃうべか!?」「やめれ!し、死んじゃなんねっ!」「あたし達も、連れていっておくれよおっ!」
泣きながらパオラを引き留める。
だが、彼女の笑顔は、優しい声は、もう決意で固まっていた。
子供達の背を撫でながらも、別れの言葉を告げる。
「すまんべ、さよならだぁ。
おめーらなら、まだ皇国にいられるべ。
街にいる兄ちゃんを探しな。もし、兄ちゃんも死んでたら……サクロ・モンテに孤児院があるだよ。そこで助けてもらうだぁ。
なんにも知らねえおめーらまで、殺そうとはしねーだよ。きっと。
わだすのことは忘れなぁ。村のことも、余計なことは言っちゃなんね。
黙って、よい子でいれば、助かるべよぉ」
子供達を慰めながら、俺を真っ直ぐ見る。
俺の目を、正面から見つめる。
涙で潤んだ目を向けてくる。
「トゥーン様、連れてってくんろ。
皇国を逃げるなら、案内をしますだよ。トゥーン様お一人より、わだすと二人で遍歴の修道女のフリをした方が、きっと怪しまれねーべ。
死地へ赴くというなら、あの世までお供しますだ」
「私も、同行させて下さい」
「同じく、お供致しますわ」
さらに言葉が続いた。
見れば、イラーリアとヴィヴィアナが立ち上がっている。
青ざめた顔のヴィヴィアナが、それでも気丈に前へ進み出る。
「私も、外の世界に居場所が無いのです。
なにより、あまりに真実を知りすぎました。心が教会への憎しみに溢れてしまいました。
もはや人間の世界には居られません。どうか、魔界でもあの世でも、ご随意にお引き回し下さい」
「私も、姉妹達の無念を想うと胸が張り裂けそうです。
それで……つっかさぁ……あーもう、ヤメヤメ!
こんなウゼエ言葉使ってられっかよ!!」
いきなり言葉遣いも態度も下品になった。
ペッと地面にツバを吐き捨てる。
「こんなケッタクソわりぃ格好、してられっか!」
ヴェールまでむしり取って地面に投げ捨てた。
「あたいはさ、もうムカついてしゃーねーってのっ!
逃げる当てもなんもありゃしねー。せいぜい場末の酒場で娼婦ってのがオチだ。
こうなりゃヤケだぜ!
その陣地に突っ込んで、仲間の仇を討ってやるっ!
派手にドカーンとやってやろうじゃねーのさっ!」
「お、おい、お前等……」
目が点になった俺を無視して、他の何人かの修道女達まで立ち上がった。
「お姉様、私も、お、お供、しますわ!」
「ジュリオの街を、わだしの家を焼かれて、黙ってなんかいらんねーっぺ!」
いきなりの展開に、魔族四人の方が言葉を無くしてしまった。
あの、いや、人間のお前等が俺達魔族に付き合うことは……。
そう言おうとしたが、その前にクレメンタインの方が口を開いた。
「来て、くれるのですか?」
「はいっ!」「もちろんだぜっ!」「ンだすっ!」
立ち上がった修道女達は口々に答えてくれる。
まだ座る者達も、別に止めようとはしないし反論もしない。
そして俺はといえば、もう、何というか……。
なんだか心強くて、嬉しくて、ありがたくて。
畜生、涙がこぼれちまう。
それはリアも姉貴も同じだった。
そして、クレメンタインが歓喜の声を上げる。
「や、やれますぞっ!」
飛び上がって喜ぶエルフは、長い腕で手当たり次第に抱きついて回る。
やれる?
やれるって……?
まさか、何か、上手い手があるってのか!?
「おいっクレメン!
もしかして、何か上手い手があるってのか!?」
「あるのです、あるのですぞっ!
一発逆転の、命を賭した、起死回生、万に一つの可能性がっ!
この者達が協力してくれるなら、出来るのです!
魔界も、我らも、助かるのですぞっ!」