第五話 マルアハの鏡
朝日が昇りきった頃、俺とネフェルティは小舟で合流地点へ向かった。
リアとクレメンタインは合流に少し遅れただけ、という僅かな可能性に賭けて。
それは、限りなく低い可能性だと知っているけど。
オルタ・サン・ジュリオの街では勇者と遭遇した。その数日前には勇者が山へ向かっていたのを確認している。
そして、いくら待っても現れない、山から下りてこない、魔族のリアとクレメンタイン……。
もし合流地点で会えなかったら……考えたくない、考えたくないけど、もう、諦めるしかない。
そう覚悟して、俺達は島を後にした。
だがすぐに、そんなことを考えたのがアホらしくなった。
ついでに、何故にリア達が約束の時間に現れなかったのか納得した。
あーあーそうだな遅れて当たり前だな。
マジにお前らの心配をした俺がバカみてえじゃねーか。
こんなガキ共を引き連れて山林の中を進めば、そりゃあ丸一日くらいは遅れるだろうよ。
んでもって、腹ペコで疲れ果ててたんだろうな。だったらこの有様も当然だな。
呆れ果てる俺の目の前には、金髪ショートヘアーの小柄な女――リアと、背が高くおかっぱ頭の白髪眼鏡エルフ――クレメンタインがいた。
二人以外に、人間のガキ共もいた。
何人かは顔も名前も知っている。オルタ村にいたガキ共、パオラの弟と妹だ。村長の手をひいてた娘もいる。
妖精とエルフ、それに人間の子供6人が森の中にいた。
全員、草むらのなかでグースカ寝ていた。だらしなくひっくり返り、いびきをたてている。
そして、隠していた荷物の封は解かれ、戦利品である食料がキレイさっぱり無くなっていた。
「そ、そんな……!?
ウソ、だべな?
そんなの、村が全滅だなんて、ウソ……だなやっ!?」
愕然とするパオラに、クレメンタインの話は容赦なく続いた。
「ウソでは、ありませぬ。
オルタ村は山羊頭の男、トゥーン殿の話にあった勇者に襲われたのです」
寝ているリア達を叩き起こし、無事に再会できたことを喜ぶのもそこそこに、俺達は島へ戻ってきた。
唯一火災に遭わず原型をとどめていた聖堂前、パオラと村の子供達は再会を喜び合った。
だが、山から下りてきた連中の話は、その喜びを上回って余りある悲劇だった。
「私とリアが村を見下ろす山の峰を通っていたとき、村の方から火の手が見えました。
何事かと『鷹の目』で様子を見れば、山羊頭の者が、村人達を次々と殺していたのです。
一通り殺し尽くした奴は、街へ下りていきました。
残っていたのは、大人達が床下や屋根裏で隠していた、この子達のみでしたぞ」
「そ、そんな……?
それじゃ、父ちゃんや、母ちゃんは……エミリアや、ロレダーナは!?
アブラーモまで、村長様も、みんな死んだって……そう言うンだかっ!?」
クレメンタインは何も言わない。ただ視線を逸らす。
パオラは座り込んでしまった。力なく地面に手をつき、小刻みに震えている。
ガキ共がパオラの周囲に集まり、一緒に泣き出す。
俺には、もう、かける言葉が見つからない。
回りを見れば、布をかけられた死体が並んでいた。
生き残った修道女達、その中でも立ち上がる気力のある連中が、回収できる死体を聖堂前に運んできていた。
焼け残っていた布をかけ、祈りの詞を捧げている。
だが半分ほどの娘達は、立ち上がる気力はない。
放心して隅にうずくまる者、いまだに抱き合って泣いている者がいる。
聖堂の中に転がる司教と助祭の死体に、口汚く罵声を浴びせる声も聞こえる。あれはイラーリアの声だ。
クレメンタインの横で、負けず劣らず疲れた様子のリアがその後の話を続けた。
「あいつぅ、なんとぉ、村にいた兵士達まで皆殺しにしちゃったのよぉ!?
でぇ、勇者が去った後、子供達が泣きながら出てくるのが見えてぇ……。
そのぉ~、ほっとくことも出来なくてぇ、連れて来ちゃったワケなのぉ」
「村を調べたのですが、パオラの死体がありませんでした。
なので、もしやトゥーン殿を追って山を下りたのかと。
それに、街へ連れて行けば、人間が子供達を助けてくれると思ったのですが……」
エルフの口から溜め息が漏れる。
あんな有様の街を見れば、当然だろうな。
「でもぉ、子供連れだから足が遅くてぇ。
それに山から見たら、街に火の手が上がってるしぃ。
そうこうしているウチに島からも火が上がっちゃうでしょぉ?
明るくなるまでぇ、とても山を下りる気にならなかったのぉ」
なーるほどね。
後は見たまんまか。
「で、合流地点に行ってみたら、俺の荷物と足跡があった。
中の食料を食べながら、俺が戻るのを待ってたわけだな」
二人は頷く。
はぁ~、とにかく二人が無事で良かった。
これで俺の連れは全員集まったわけだ。俺にとっては喜んでいいことだ。
にしても、人間達の方は、この修道女とガキ共は、どーしたものかなぁ。
少し頭をひねると、やっぱりひねるまでもなく、分かり切った答えだけが出てくる。
やっぱり、どうしようもない。
俺達はサッサと魔界へ帰らなきゃいけない。
俺達の用事は全て済んだんだし、一宿一飯の恩義も義理も十分果たしたろう。
人間同士のゴタゴタは、人間に任せておけばいい。
こいつらは、うーむ、恐らく真相を知った者として、教会の暗部を隠すため、口封じに殺されるだろうか。
神父は俺に「助けて欲しい」なんて言ってたが、出来るわけがない。
それどころか、急いで逃げ出さないと、人間の軍が追ってくるんだ。
冷たいようだがしょうがない。
自分達のことは自分達でやってもらわないとな。
人間無いの争いごとに巻き込まれるわけにはいかないんだ。
簡単な事情説明だけしてサヨナラするとしよう。
でも……パオラは、どうする。
こいつはどうするつもりだろう?
最後に話くらいはしておくべき、かな。
立ち上がってパンパンと手を叩く。
うつむいていた者や、死体に祈りを捧げていた者達が顔を上げる。
「おーっし、全員ここに集まってくれ。
話があるんだ」
のろのろと、まるで幽霊のように力なく集まってくる修道女達。
俺とリアとクレメンタインが聖堂を背にして、半円を描いて女子供が集まる。
ネフェルティは退屈そうにフラフラしてる。
リア達の話、街での闘い、島での事件、村の虐殺……俺達が知ることを手短に皆へ伝えた。
目の前の惨劇に加え、イラーリアやパオラの話もあり、疑う者はいなかった。
疲れ果てた修道女達は、すすり泣いたり、抱き合ったり、怒りに震えながら聞いている。
「……というワケだ。
俺達は人間の軍に追われる身だ、急いでこの地を立ち去る。
お前達はお前達でどうにかしてくれ」
修道女達の反応は薄い。
うつむき、肩を落とし、動く気配もない。
聞こえてくるのは囁き声、呟き声。
――そんな、そんな……。
――信じられない……教会が、修道会が、勇者まで……。
――皇帝陛下と、教皇猊下までが、オルタを、酷い、酷すぎる……。
――勇者も、魔族も、全部嘘だったなんて……
――あたしたちは、神への信仰に捧げた私達は……何だったの……?
どうすればいいのか、分からないんだろうな。
そりゃそうだろう。
もう、こいつらには行き場がないんだから。
人間界のどこにいても狙われる、ネズミのように逃げ回る日陰者の一生。
左にいるリアを見ると、こちらを真っ直ぐ見上げてくる。その目は間違いなく、「早く出発しましょうよぉ」と言ってる。
右にいるクレメンタインは、さっきからアゴに手を当てて考え込み始めた。何を考えているかは知らないが、こいつの事だから、何か意味のあることだろう。
邪魔しないよう声はかけない。
そしてパオラは、弟妹に囲まれて、修道女達の一番前で俺の話を聞いていた。
しきりに回りの修道女を気にしたり、頭を抱えたり、何かを必死に悩んでいる。
「パオラ」
返事がない。
俺の声に気付かず、なにやら祈ったりソワソワしたり。
「パオラッ!」
「ふへっ!?……な、なんだべな?」
大声で名を呼ぶと、飛び上がらんばかりに仰天した。
パチクリと瞬きして俺を見ている。
相変わらず、こいつは緊張感が無いな。
「お前は、どうする?」
「ど、どうする……て、言われても、だなや……」
困り果てて口を閉じる。
まぁ、そうだろうな。
オルタ村は全滅して故郷を無くした、家族はここにいるガキ共だけ。いや、街に兄がいたはずだが、生きてるかは知らない。
修道院にはいられない。
人間の世界に居場所は無い。
お先は真っ暗。
「わ、わだすは、あだすは……」
待っても答えは出ない、そんなことは分かってる。
そして、もう俺には、これ以上は助けられない。
冷たく別れの言葉を言おう、そう思って口を開いた。
「ちょっとみんなっ!」
突然、姉貴の大声が響いた。
なんだなんだと声の主を探してみれば、聖堂の中から手招きしていた。
「何かあるよ、コッチ来てみて!」
ホコリと瓦礫が積もった中に入ってみれば、天井を支えるアーチの向こうに光を放つモノがある。
それは、『マルアハの鏡』。
正面の壁、祭壇の上に掲げられた大きな鏡が光っている……いや、映像だ。
通信装置である『マルアハの鏡』が、何かの映像を映し出しているんだ。
同時に音声も流れてくる。
それは、白の修道服を着た若い女の映像で、声はその女が語るものらしかった。
《……繰り返します。これは皇都ナプレからの緊急通信です。
これよりカゼルタ宮殿にて緊急の会見が行われます。
急ぎ各地の『マルアハの鏡』前に集まり、発表をお待ち下さい》
これは、『マルアハの鏡』が自動受信してるのか。
皇都ナプレ、カゼルタ宮殿。……恐らく、人間の国の支配者、皇帝だか教皇だかが何か言うつもりなのか。
俺とリアとクレメンは聖堂の中へ進み、鏡がよく見える場所へ、ネフェルティの側へ移動する。
画面が変わり、神聖フォルノーヴォ皇国の旗、『トリニティ』が大写しになった。
なにやら荘厳な音楽と合唱も流れてくる。国歌らしいな。
その音色に誘われるように、修道女やガキ共も入ってくる。
合唱が終わると共に、映像が再び切り替わった。今度はド派手な衣装を着た偉そうなカイゼル髭のオッサンが演壇に立ってる。
そいつは何やらもったいぶりながら長ったらしい名とご大層な役職名を名乗った。だが、長すぎの難しすぎで聞き取れなかった。
「なんだ、ありゃ? なっげえ名前だなぁ」
「あれは……えと、簡単に言うと報道官、だべ」
肩越しにチラリと見れば、すぐ後ろにパオラが歩いてきていた。
画面を見ながら話しかける。
「ホウドウカン?」
「んだ。
以前、魔王様に話したっぺよ。
毎週のミサで神祇官様からの神託の後、その週の色んな発表をするべ。
その発表をする方だなや。
名前と役職名が長すぎて覚えられねーって、みんな報道官とだけ呼んでるだよ」
カイゼル髭の報道官とかいうオッサンは画面の中で紙の束を受け取っている。
左手で髭をいじりながら、右手に持った紙一枚目を読み上げ始めた。
非常に力のこもった低い声で、聴いてる連中へ訴えかけるかのように。
それは、まずは沈痛な表情で、神妙な調子で始まった。
《本日は、全臣民に恐るべき事実をお伝えせねばなりません。
ツェルマット山のふもとにあるヴェルガンテ地方の街、オルタ・サン・ジュリオが、魔族の攻撃を受けたのです!》
次の瞬間、鏡からザワザワと騒ぐ声が生じる。
どうやら報道官がいる部屋には大勢の人間がいるらしい。
と思ったら、いきなり人間の後頭部が映った。
大写しになったマントを着た男の後ろ姿で報道官とやらが見えない。
「なんだ、邪魔だな、あいつ。座れよ」
「生の撮影中にはよくあることだべ」
「サツエイ?」
ええと、サツエイ……前にもそんな言葉を……ああ、街で会った兵士達だ。
サツエイハンとか言ってたっけ。
「こン放送は生だから、撮影中のトラブルも映っちゃうだよ」
「ああ、サツエイって、鏡を使った映像を撮ることなのか」
「だべ」
んじゃ、あいつらは戦闘の映像を撮る部隊だったわけか。
あ、あいつらの中の一人が肩に背負ってたアイテム。戦闘で使ってなかったと思ったら、撮影用だったのか。
そんなことを考えてるウチに、立ち上がった連中の後ろ姿が画面を埋め尽くす。
デタラメに報道官への質問が飛ぶ。
《バカな、あんな田舎町を襲撃ですって!?》
《ジュリオの街は東西の戦線から遠く離れているではありませんか!》
《魔族はどうやって山を越えたのですか!?》
《一体、何のために!?》
《被害はどの程度ですか!?》
《その魔族は何体で、どこにいるのか!》
鏡を見ている連中の疑問を代弁するかのような質問が浴びせられる。
報道官が両手を広げ、興奮した連中を静めて座り直させる。
そして改めて髭を撫でながら紙を読み上げ続けた。
《襲撃を受けたのは、驚愕すべき、そして悼むべき事実です。
ですが、まずは落ち着いて詳細を聴いて下さい。
襲撃は二日前から昨日、被害はツェルマット山中腹のオルタ村からジュリオの街にかけて、街道沿いの全ての村と町が受けました。
被害は、甚大。死傷者は多数。
オルタ村は全滅し、オルタ・サン・ジュリオも壊滅的被害を受けました。
侵入した魔族が無差別に殺戮と放火を繰り返し、未だに死傷者数の正確な数字も分かりません。
しかも驚くべき事に、それらは、たった一匹の魔族によってもたらされた被害なのです》
重苦しい口調で、なんとも演技過剰な重苦しさで、紙面が読み上げられる。
画面の下の方、椅子に座って発表を聴いている連中からは、なんということだ……恐ろしい……神よ……、なんて言葉が聞こえてくる。
《……し、かぁしっ!》
いきなり報道官がガバッと顔を上げた。
さっきとはうってかわった晴れやかな顔で、朗々と紙面を読み上げる。いや、もう紙を見ていない。
派手な手振り足ぶりでの独演会みたいになってる。
《我らを守護せし神の顕現たる、ピエトロの丘にまします福音様は、我らを確かに守護しておいででした!
皆の者、ご安心あれっ!
たった一匹でジュリオの街を焼き払った脅威の魔族は、神が遣わして下さった小さな巫女の活躍により、そして、かの街を守りしペーサロ将軍が指揮する軍により、既に討伐されているのですっ!》
とたんに、素晴らしい、さすがは軍だ、下等な魔族など敵ではない、ペーサロ将軍万歳、巫女ってどういうことです?……なんて歓声が沸き起こる。
再び報道官が騒ぎを静める。
いきなり画面が薄暗くなった。
撮影している部屋の明かりを消したらしい。
そして正面の壁に四角い光が映し出された……後ろの壁も『マルアハの鏡』だったのか。
報道官は画面の端、鏡の映像を見るのを邪魔しない場所まで移動する。
《これはペーサロ将軍の部下が撮影した、ジュリオの街での戦闘記録です。
人々を守るため細い指に剣を握り、かの魔族の前に立ち塞がり、身を挺して勝利を導いた奇跡の巫女の勇姿!
その小さな胸に秘めた大きな勇気、健気な献身、そして何より……神への信仰に身を捧げて魔族に立ち向かう闘志!
まさにこれこそ修道女の鏡というべきでしょうっ!》
え……。
ええと、修道女?
魔族と剣を交えた、小さな、えと、何だって??
「え、ちょっと、待て、おい、それって……!?!?」
俺の言葉を待たず画面が切り替わった。
それは、燃え上がるジュリオの街。
赤い炎に照らされた教会前、広場を囲む建物の屋根から撮ったもの。
そこには、確かに修道女がいた。
魔族もいた。
剣を切り結んでいた。
その修道女は、確かに小さい。
足下の裾を大きく破いて作ったスリットから太ももが見えてる。
剣を握りしめ、山羊頭の勇者の剣をしのいでいる……。
俺が。