第十二部 第一話 夜襲
街は、燃えていた。
勢い余って砂浜にめり込んだ小舟から飛び降りた俺達の前に、悲鳴を上げて逃げまどう人間達がいる。
街の各所から火の手が上がり、夜着のままの人間達が大声を張り上げている。
女達は子供の手を引いて火から遠ざかろうとする。男達は避難誘導したり、消火のために湖水を桶に入れてリレーしたり。
だが多くの者は無様に右往左往するばかり。
中には馬や馬車に財産を乗せて逃げようとする者もいるが、無秩序に走り回る人間に邪魔されて動けない。
そして、そこかしこで怒号と騒乱が発生している。パニックも広がっているようだ。
「ど、どうなってるだよ……?」
「まさか、トゥーン様のお連れの方の仕業、なのですか?」
「ん、んなワケあるか。
あいつらは街を迂回して、山の中を通ってるんだ。
間違っても街に降りてきたりしない。
つか、あの二人だけで街を火に包めれるかよっ!」
そうだ、こんなことは有り得ない。
あの二人だけで街一つを焼き討ちできるほどの炎はおこせない。
街に近寄るはずもない。人間だらけの敵地ど真ん中にノコノコ現れるようなバカじゃない。
じゃあ、あいつらを発見した人間達との戦闘で街が焼かれた――ンなわけあるか!
正体不明の超兵器を持った人間達の大群だぞ、戦闘になりゃしない。
一瞬で殺される。
だが、事実、街は燃えている。人間達が混乱に陥ってる。
誰だ、誰がやったんだ?
まさか兄貴達が山を越えて救助に……有り得ない。
撃墜されたことすら知らないんだから。
混乱する人間達と同じく、俺の頭も混乱している。
パオラも横でアタフタしてる。
イラーリアは近くを走っていた人間の女へ駆け寄っていった。その女は白い夜着のまま胸に赤子を抱いている。
「申し訳ありませんっ! 何が起こってるのですか!?」
「わ、わかんないよっ!
教会で鐘が鳴り響いて、起き出したら、いきなり街が火に包まれててっ!」
それだけ答えると女は街の外へ向かって走り去った。
俺も近くの連中を捕まえて尋ねる、バケツリレーをしていた男達数人へ。
「な、なあ、ちょっとゴメンッ!」
「うるせえっ! 今、取り込み中だ!」
「みりゃわかんだろ!?」
「俺達の店が燃えちまうんだよ!!」
リレーの先を見れば、一階が店舗らしい建物の一部に火がついている。
確かに俺の質問に答えてられる余裕はないらしい。
しょうがない、別の奴を探す。
その時、小道の奥から荷車を押す一団が走ってきた。横に並走して必死に尋ねる。
「ちょ、ちょっといいかっ!?」
無視された、つか気付かれなかった。
そのまま走り去ろうとする。
えーい、こっちも必死なんだよ!
「ちょ、ちょっとだけでいいんだ!
一体、何が起きたんだ!?」
力一杯、大声をあげる。
そしたら、ようやくこっちを見てくれた。
「し、知らねえだよっ!」
「街のあちこちで突然火事が起きたんだべよっ!」
「中心から逃げてきた連中は、魔族がどうとか言ってたぜ!」
それ以上の話は聞ける状況じゃない。
俺は走るのをやめ、船の方へ戻ろうと振り向いた。
そしたら、浜辺に乗り上げた船で逃げようと、子供達を連れた何人かの人間が取り付いていた。
それを止めようとする修道女二人との間で押し問答になってる。
「ま、まってくんろ!
その船は修道院のモンだべ、もってかれたら困るだ」
「ぃやかましい! 一大事なんだよ!」「魔族が襲ってきたんだっ!」「街中で暴れてるのよっ! うちの子達だけでも逃がさないと!」
「落ち着いて下さい!
私達は修道院から来ました。
修道院の門は救いを求める者を拒みません。
ですが、一体、何が起きたのですか!?」
神を信じる者には修道女という肩書きが有効らしい。
パニックになっていた大人達が冷静さを取り戻し、事情を話し始めた。
「さっき、街中に魔族が現れて、無茶苦茶に火を付けてまわってたんだ」
「それだけじゃないよ。逃げる者を後ろから、女子供まで手当たり次第に殺してた!」
「獣の頭を持ってて、不気味な魔族だよ!!」
「ああ、恐ろしい、こんなところまで魔族の手が……。
さぁ、もういいだろう?」
「ここにいたらヤバイ、早く逃げないと!」
敵襲だったのか、それでこの大混乱か。
だが、魔族?
獣の頭だと?
獣の頭と言えばベウル兄貴だ。
だが兄貴はヴォーバン要塞司令官で、人間との戦線を担う将軍。
こんなところまで来るはずがない。今回の作戦にも関わってない。
万一、俺達を救助に来たとしても、いきなり一人で人間の街を焼いてまわるはずがない。
そんなことをしたら、救助どころの話じゃない。
もしかして、ネコ姉?
いや、それもないぞ。
あれは獣の頭、という感じじゃない。人間の頭にネコの耳と、尻尾が生えてるという感じだ。
それに好奇心旺盛なだけで、残虐さはない。悪ふざけは酷いけど、ふざけれる時と場合は選んでる。
つか、得意なのは隠密行動だ。
無差別に火を付けて回る、なんて派手なことをするヤツじゃないんだ。
わけが分からない。どうなってる?
まとまらない思考で頭がグルグル回り始めていたところ、イラーリアの声で我に返った。
「やむを得ません。
私はこの人達と共に修道院へ戻ります。
どうか、トゥーン様もお元気で。
さぁ、パオラも一緒に」
「え!?
い、一緒と言われてもだなやぁ~」
「そうだな、パオラも修道院へ……って、ダメだ。
こんな一大事だ、修道院も大騒ぎになってるぞ。
船でパオラが戻ったら見つかる」
「あ、そ、そうですわね。
私ったら、かなり動転してますわ。
それでは私だけ、この人達と共に修道院へ戻ります。
パオラ、決して無茶をしちゃダメよ!」
「分かっただっ!」
別れの挨拶もそこそこに、イラーリアは小舟に乗れるだけの人を乗せ修道院へ向かった。
いくつもの松明を掲げながら、大急ぎで船は湖へとこぎ出していく。
残ったのは俺とパオラ。
パオラは今は村にも修道院にも戻れない。どっかで身を隠さないと。
そして、俺は……。
「俺は街の中心部へ行く。
パオラ、お前は今は逃げろ。
騒ぎが収まってから修道院に戻るんだ」
「そ、そんな、お一人で、危ねーべよ!」
「行けっ!
話してる暇はねえっ!」
返答なんか聞いてられない。
俺は燃え上がる街の中心めがけて走り出した。
魔力はフルチャージにはほど遠いが、それでも指が全て青黒く染まってる。
桁外れの量が溜まってる。
少々の事態には対応できる。
いるはずのない魔族による、人間の街への夜襲。
こんな戦線から遠く離れた土地への焼き討ち。
どう考えても変だ。有り得ない。
事実を見ないと、真相を確かめないと。
はやる心を抑えて石畳を走る。
だが、悲鳴を上げながら中心街から逃げてくる人間の群れに阻まれた。
前へ進む事も難しい。
「えーい、面倒だっ!」
この服もヒラヒラしてるし裾が長くて邪魔、一番下から腰まで破ってスリットを入れる。
うーん、足が出る、スースーする。
でも動きやすくはなったから、良しとしよう。
全身に魔力を巡らし肉体強化。
跳躍し、壁をよじ登り、人の流れから抜け出す。
目立つとか、魔力セーブとかは、もう無視!
一気に建物の屋根へと上がると、変わり果てた街の姿が見えた。
あちこちで燃え上がる民家や建造物で、『暗視』を使うまでもなく見渡せる。
赤茶けたタイルで覆われた屋根が並ぶが、そのあちこちから灰色の煙が立ち上る。
そこかしこの窓から真っ赤な炎が噴き出す。
炎に追われた人々が逃げ惑う。
鋳鉄製のバルコニーが崩れ落ちて曲がってる。
泣き叫ぶ子供が立ちつくしている、親とはぐれたのか。
燃え落ちそうなほどに火が広がった民家の前で、炎の中に飛び込もうとする男女を周囲の人間達が力ずくで抑え込んでる。
恐らく、家族が火の中に取り残されたんだ。
様々なモノが燃える臭いが混じり合い、街全体に立ちこめてる。
鼻につく刺激臭が吐き気を起こす。
「ぅくっ……!」
喉まで上がってきた嘔吐物を力ずくで飲み込む。
余計なことを考えるな、俺は俺のやるべきことをやるんだ。
彼方に煙で霞む鐘楼を頼りに、屋根を渡って中心街へ向かう。
屋根と屋根の間を飛び越えると、路地に血まみれで倒れている人間の姿を見かけた。
老若男女、何人もが血だまりの中で動かない。
どうやら無差別に殺して回ってるというのも本当らしい。
街の中心へ向かうほどに逃げる人間の姿は少なくなる。
だが同時に、俺と同じく街の中心へ向かう人間の姿もあった。
それも隊列をなした男達が。
「あれは……?」
身を伏せて下を覗き込み、男達の姿を確認すると、それは人間の兵士達だった。
皮鎧みたいな軽装備で胴体を覆い、兜を被り、手には槍や弓を構えてる。
十人ほどの小隊が街の中心へ向けて全力で走っていた。
「おいっお前っ!」
突然、背中から声。
反射的に跳ね飛び、宙に身を躍らせる。
着地と同時に身構えて声の主を探すと、そこには人間の兵士が立っていた。
屋根の上に立ち、弓を構えてる。
俺へ向けて、真っ直ぐ。