第二話 聴
聖堂の裏口から覗き込むと、そこは何の変哲もない小部屋だった。
イラーリアが先に入って中をキョロキョロと確かめる。
チョイチョイと手招きされたがすぐには入らず、まずは入り口で室内へ向けて『魔法探知』。
あんまり広範囲にかけると礼拝堂内の連中に魔力を感知されるので、慎重に範囲を限定する。
よし、魔力を付与された物は存在しない。
イラーリアは俺を招き入れ、静かに扉を閉める。ピンク色の唇を耳元へよせて囁く。
「大丈夫ですわ。
ここは街から離れた小さな村の、さらに離れ小島ですから。
狼藉者が侵入したことなんて過去になかったそうなので、警戒なんか全くしていませんよ」
「魔力を付与した祭具とかも置いていないのか?」
「そういう物は聖堂の祭壇か、地下倉庫ですわ。
修道のため、なるべく魔法に頼らぬ生活をしていますので」
「ふーん。
それと、他の連中は?」
「大方は神学校で、神父様の帰りを待ってますわ。
他の方は村へ渡ったでしょう。
司教様とお会いになられているのは、神父様とマザー・ロミーナ……この修道院の院長ですわ」
院長の名前を言うとき、僅かに眉の間にシワが寄った。
目の上のたんこぶか、口うるさいヤツかもな。
盗みに来たワケじゃないので法具やマジックアイテムに興味はない。安全が保てるならそれでいい。
粗末な机と椅子と暖炉、それに鍋やら食器やらが収まった棚。食堂か何かか。
それを抜けて廊下に出る。人の気配はない。
「司教様は恐らく、二階の応接室と思いますけど……」
足音を殺しながらドアの並ぶ廊下を進む。
小さな礼拝堂、集会室など、耳を澄まして各部屋の様子を探る。
ふむ、一階にはだれもいないらしい。
気付かれないよう石造りの階段を登り、二階の廊下に上がると、奥から話し声が聞こえてきた。
どうやら応接室のようだ。
角から顔をだしてのぞいてみると、扉の前に修道服を着た男が立っている。ちゃんと警戒しているのか。
ふん…ゴツゴツとした強面だ。体格も相当なモノ。
清貧とかいって質素な食事をしていたら、あんな体格にはなれねーぜ。
「あらあら、あれは司教様お付きの助祭様ですわね。
これでは近寄れませんわ」
「そうでもねえさ」
廊下の様子を慎重に探る。
応接室は一番奥の部屋。そこへ向かって扉が並んでいる。
応接室以外に人が居る様子はなく、イラーリアの話からも誰かいる可能性は低い。
それは聖堂の周囲も同じ。
室内には神父と院長と司教と助祭。
他のヤツは知らないが、護衛役の助祭とやらは腕が立つはずだ。
近寄れば気付かれるだろう。
建物は石造りで、壁や柱は石で出来てる。かなり頑丈な作りだな。
床は木の板が規則的に並ぶ。天井も木の梁と板か。
窓から外の方は石の壁にゴテゴテと飾りだか彫像だかがあちこちについる。
盗み聞きの方法はありそうだな。
しずしずとお盆を持って歩く修道女。盆の上には水差しとコップ数個。
扉前に立つ助祭の目が黒い服を着た女を射るように睨み付ける。
だが気にする様子はなく助祭の前まで歩いてくる。
修道女の礼に、助祭の男も応じる。
「司教様方にお水をお持ちしました」
「失礼、お待ちを」
低くかすれた声と共に、助祭は素早く手を合わせ印を組む。
同時に「神の僕に真の相を偽ることあたわざる……」と、早口で呪文が紡がれる。
手から淡い光が放射され、修道女を包む。
肉眼で魔法の放射光が見えるほど強烈な探知魔法。
内部を物理的に見通す魔法、『探査』だ。
魔力の有無と流れを知る『魔法探知』のように広範囲は調べられないが、代わりに魔力と関係なく詳細に把握できる。
もちろん、挨拶も同意も無しに体の深部まで見通すなど、本来なら重大なマナー違反だ。
それも女性、修道女相手ならなおさら。
だが男は詫びれる様子も何もなく、当然のように行っている。
そして修道女の方も抗議はしなかった。
探査を終え、印をほどいた男は改めて礼をした。
だが言葉の方は神の僕らしからぬ横柄なものだった。
「喜ばれよ。
そなたは全く清らかなる神の僕と証明された。
通って良い」
「感謝を」
修道女も礼を返し、ドアをノックする。「…誰かね?」という老人のしわがれた声に修道女は答えた。
「イラーリアです。
お話が長引いているご様子でしたので、お水をお持ちしました」
修道女がドアを通るのを確認した助祭は、ふと視線を廊下へ戻す。
だがそこには誰もいなかった。
「シスター・イラーリア!
教室での自習はどうしました!?」
室内には四人の人物がいた。
テーブルに座る者が三人、窓際に立つ長身の男が一人。
テーブルに着席する三人のうち、一人は修道女。
釣り上がった目にかけられた、釣り上がった眼鏡。黒いヴェールの下に帽子を被っている中年女、マザー・ロミーナ。
彼女は耳障りな甲高い声で若い修道女を詰問する。
その隣に座るは黒の長衣、顔の下半分が髭に覆われた老眼鏡の老人、神父だ。
分厚い丸眼鏡をかけ、目を細めている。
そして彼らの正面に座るのは、彼らと同じ黒衣を着ているが、腰には赤紫色の帯を着けている。
服の前面には同じ赤紫色のボタンが並んでいる。
そしてアゴの下も腹も肉がたるんでいる。
最後の一人は窓際に立つ長身の男。
黒の修道服の下は痩せているように見えるが、首筋や手にはしっかりと筋肉がついている。
かなり引き締まった体のようだ。
その灰色の目は窓の外を眺めている。
イラーリアを叱責する修道院長を司教は手で制する。
その手も脂肪でぷくぷくと無様に膨れていた。
「奉仕は神の御心に沿う行いです。聖典にも記されていますよ。
我らは神より賜物を受けているから、神の恵みの良き管理者として、その賜物を互いに仕え合いなさい、と。
自らの修道の時を奉仕に用いたのです。
シスターよりの賜物を受け取りましょう」
神の言葉を用いてイラーリアを擁護する司教。
その言葉は立派なのだが、目線は彼女の目も盆の上の水も見ていない。彼女の体を上から下まで舐め回すように眺めていた。
その視線には、さすがに彼女も身構えてしまう。
「シスター・イラーリア、ありがとう。
私も頂きますよ。
それではビショップ・ルイーニ…」
修道女へ小さく礼をした神父は、ルイーニと呼ばれた司教へ向き直った。
「ペーサロ将軍からの指示あるまで、この島を封鎖せよ、と仰られるのですね?」
「左様」
たるんだアゴの肉を挟んで仰々しく頷く司教。
その指示に修道院長の方は困り顔だ。
「ビショップ・ルイーニ直々の指示とあれば、異論はありませんわ。
ですが、それはいつまでの封鎖なのでしょうか?
あまりに長期間となりますと、さすがに日々の労働はおろか、パンを焼くことも出来なくなってしまいます。
まだ未熟な年若きシスターも多いので、彼らの間に不安が広がりましょう」
「その点はご安心めされよ。
この地に潜んだ凶悪なる魔族を成敗するに、さほどの時はかかりますまい」
「それで、その魔族なのですが……」
話を続けようとした神父。
だが、その目はチラリと横を向く。
マザーとビショップの視線も横へ向く。
何食わぬ顔で話を聞いているシスターへ。
おほん、と神父は咳払い。
「ありがとう、シスター。
それでは自習を続けて下さい。話は後ほど教室で伝えましょう」
「はい。
ビショップ・ルイーニに神のご加護を」
丁寧に祈りの所作を行ったイラーリアだが、その顔には僅かに残念そうな様子が見て取れた。
彼女が部屋を出て廊下を歩き去る音を耳にしてから、改めて神父の話が続く。
「おほん、失礼しました。
それで、その魔族ですが、間違いなく来ているのですか?」
「無論。
レニャーノ近郊における正体不明の物体の墜落、そして先日のメルゴッツォ駐屯地での魔道車暴走。
魔族の仕業に相違ありません」
「なんと……。
では、その魔族は街に潜んでいるのですな?」
「もしくは、その周辺の森に。
既に街道を軍が封鎖し、町や村には部隊を派遣したそうです。
夜間外出禁止令までは出ておりませんが、街道を通ることはなりません。
よって、しばらくは各地が孤立する状態です」
その言葉にマザーと神父は不安げな顔を向け合う。
司教はニッコリと微笑んだ、つもりのようだが、どちらかというとニヤリと笑ったように見える。
「まぁ、大きな戦にはなりますまい。
やつらは神の教えも理解できぬような、下等な地虫程度の知恵しかもたぬ。しかも単独、多くても数体。
軍が早々に成敗するでしょう。
ただ、それまでは危険なため、各地の往来を止めているだけです。
修道院の者達にはしばしの辛抱をお願いしたい」
その言葉にマザー・ロミーナは安堵して胸をなで下ろす。
だが、神父は不安げな表情が消えず、むしろ何かを思案しているように見える。
その神父の顔をビショップ・ルイーニの目が、たるんだまぶたの下から刺すように見つめている。
「それで、神父に一つうかがいたいことが」
と、話を続けようとしたところで、ビショップの舌が停まった。
ジロ、と両目が下へ向く。自分の足下へ。
つられて目の前に座る二人も下を見る。
「マザー・ロミーナよ」
「はい?
なんでしょうか」
いきなり問われたマザーが視線を戻す。
ビショップは視線を戻さない。下を見続ける。
「どうやら、修道女達への教育が行き届いてはおらぬご様子。
彼女たちには、神への信仰と修道女の心構えについて、改めて教える必要があるようですな」
「は、はい?」
いきなり怠慢を叱責されたマザーは、わけが分からず目を白黒させる。
司教は構わずチラリと窓へ、長身の助祭へとアゴを振る。
彼は瞬時に窓から身を躍らせた。
そして、神父へと顔を向ける。
「神は静寂を尊びます。
神父よ、あなたと二人だけで、神に近き場所で信仰について語り合いたい」
瞬間、神父は我に返った。
その顔は少し青ざめ、一粒の汗も浮かんでいる。
一階、応接室の真下の部屋。
俺は聴覚を強化して、司教の話に耳を澄ましていた。
木の床や天井って、結構声が通るんだよなー。
助祭とやらも二人だけじゃ真下までは監視出来ないし。
ここに誰かいると気付かれなければ、『魔法探知』も向けられない。
そんなワケで司教と神父達との話を盗み聞きしていたら、扉がキィィと音を立てた。
見れば、イラーリアがコソコソと入ってくる。
こんな時に何を余計なマネしてくれてんだよ、まったく。
声を潜めて話しかける。
――おい、何してんだ、俺のことはいーから、早く教室とやらへ戻れ。
――そうは参りませんわ。私とて真実をしりたいのですよ。
――バカいってんじゃねえ、こんなところに何人もいたら。
「おい!
そこで何をしている!?」
窓から突然怒鳴られた。
見れば、宙に浮いた助祭が俺達を睨み付けていた。
やっべー、気付かれた!
身構える俺の前に、イラーリアが進み出る。
「はい、お盆と水を片付けておりました」
瞬時に弁解しやがった。
フワフワと体を浮かせる助祭は、フンッと鼻を鳴らす。
視線は冷たい。
高い集中力を必要とし、魔力消費も大きい『浮遊』を楽々と使いこなすとは、なかなかの手練れだな。
そして何食わぬ顔で適当な理由を即座にでっち上げるイラーリアも、相当なモノだ。
やるなコイツ。
そして助祭へ一礼、俺の手を引っ張ってササ~と部屋を出て行く。
聖堂の裏口から出て行く俺達の後ろから、なにやら女の「こら!お前達っ!」なんて声が飛んできた。
すっ飛んできた修道院長のお叱りだ。
俺の手を引いて走るイラーリアが、楽しげに振り返る。
「大丈夫ですわ、上手くいきましたね。
修道院長には背中を見られただけだから、あなたのことは気付かれていないですわ。
助祭様は修道院の者ではないし、トゥーン様は女にしかみえませんので、バレませんでしたわよ!」
まぁ、そうらしいな。
上手くいったなら何よりだ。
話の内容、街道も街も封鎖とはな。ご大層なことだ。
しかし、あの話の内容だと、手紙一枚で済みそうなもんだ。
わざわざ偉そうなヤツが自分で伝えに来るモノとも思えない。
それに気に掛かるのは、神父と司教の話。
もしかしたら、そっちが本当の用事だったのかもしれない。
相変わらず島には人気がない。
司教とやらは神父と「神に近くて静かな所へ二人だけで」行くようだ。
なら、まだ盗み聞きできることがあるかも。