第五話 サン・ジューリオ島
サン・ジューリオ島。
オルタ湖に浮かぶ小島で、マテル・エクレジェ女子修道院と神学校と、いくつかの教会関連の邸宅があるとのことだ。
神学校は割と最近に建てられたらしい。
見たところ、歩いてもすぐに一周できてしまうような小島だ。
そこに石組みの桟橋やら土台やらを組んでいるから、湖の上にニョキッと石組みの建物が生えてるかのように見える。
中心に立つ背の高い塔が聖堂の鐘楼、その周囲にいくつかの建物がよりそう水滴の形をした島だ。
水面に目から上だけ出したまま様子をうかがう……灯りは見えない。
深夜に何人も起きているはずはないから、鐘を鳴らすための数名が動いているくらいだろうか。
ゆっくりと、なるべく水音を立てないように接近する。
精神統一、闇を見通す魔法『暗視』を使用。
目の中の僅かな光を増幅……白黒の映像がハッキリと浮かぶ。
侵入者を警戒する見張り台も、壁の隙間から矢を放つ矢狭間も、登ってくる敵に石を落とすための出し狭間も何もない。人影も見えない。魔法による結界も探知装置も見えない。
しめしめ、パオラの情報通りだ。まったく警戒していない。
これなら簡単に忍び込めるぞ。
這い上がるのに良さ気な岸壁に張り付き、上の様子を確認……よし、人はいない。
植えられた木の影になって目立たない。
念のために『魔法探知』も使って周囲を確認……全く反応なし。
これなら安全だな。
可能な限り水音を立てないように注意しつつ水からあがる。
あー冷たかった。
すぐに自分の衣服を脱ぎ『炎』の魔法を軽く付与、一気に乾かす。
乾いた衣服で全身の水滴も拭き取る。足下に残る自分の足跡や、這い上がったときの手形が小さな水たまりとして残っている。
これも同じく乾かして消す。
さて、と呟いて見上げれば、石造りの建物。窓は木の板で塞がれている。
これは何の建物だったか……ああそうだ、女子修道院の住居だったな。
確か神父は島の邸宅、女子修道院とは別の、こことは反対側の建物だったはず。
「よし、それじゃ行くとするか……?」
何となく上を見る。
別に何もない、石のカベに閉じた窓が並んでいるだけ。
気のせいか……。
気を取り直して、建物と湖面の間の僅かな隙間を歩き出す。
少し進むと……視線!?
「っ!!」
振り向いたが、やっぱり何もない。
上を見ても何ら変化はない。
星空には大きな雲が浮かび、月が輝き、ちゃぷちゃぷというさざ波の音が聞こえるだけ。
もう一度『魔法探知』を、今度は更に広範囲に対して使ってみるが、やはり大きな反応はない。修道院の各部屋には、中で寝ているのであろう人間達の魔力を感じる。が、それだけだ。別に異常は感じない。
意識を集中して『暗視』を使用、目の光への感度を上げて闇の中を見通してみる……やっぱり誰もいない。
「気のせいか……?」
気を取り直し、島の周囲を慎重に歩いていく。
島は大半を建物と石畳の通路に覆われ、木が生えた地面は少ししかない。
それでも建物が密集しているので身を隠しやすいし、石畳の道は歩きやすい。泥が付かないから足跡も残さずにすむ。
ヒタヒタと小道を進むと、難なく例の神父が住む邸宅とやらに到着した。
途中は誰にも会わずに済んだ。人の気配はない。
やっぱりさっきのは気のせいだったんだろう。
邸宅は他の建物よりは狭いが背の高い、三階建ての石造り。
目の前には木製のドア。ちゃんと閉まってる。
一階にある、入れそうな窓や他の入り口も調べたが、そこもちゃんと閉まってた。
こんな所で戸締まりなんか気にすんなよな。
「んじゃ、上の窓か煙突か……」
見上げると、建物は三階建て。隣の建物が二階建てなので、その屋根に上がれば三階の窓を楽に調べれるな。
身を屈め、全身に魔力を満たす。
十分な休息と瞑想のおかげで、魔力はさらに溜まった。今は爪くらいまで魔力ラインが戻ってる。おかげで、この程度の建物なら……ぬんっ!
跳躍。
神父の家の壁に飛びつく。
なるべく足音を立てないよう、両手足で壁にとりつき衝撃を吸収。
瞬時に小道反対側の石壁へジャンプ!
今度は二階の壁にとりつく。
再び反対側へ!
神父の家の三階の壁に着地。
最後の跳躍、二階建ての建物の屋根に着地。もちろん足音をたてないよう、着地の衝撃は両手足で吸収する。
傾斜した建物の屋根に立ち上がってみれば、島の様子がさらによく分かる。
幾つかの建物は屋根がつながっている。道を挟んだ建物でも、小道の上にアーチ状の橋が渡されている。
どうやら建物の屋根も、通路として使用されている部分があるらしい。
鐘楼のある聖堂とかいう建物だけは他から分離して立ってる、つーか広場の中に立ってる。高さも他から抜きんでている。
で、目的の神父の家はといえば、予想通りだ。三階の窓が僅かに開いたままになっていた。
さすがにここまでキッチリ閉めることはなかったようだ。昼間は暑かったから開けっ放しにしてたのかもな。
「しめしめ……お邪魔しまぁ~す」
入ってみれば、そこは寝室だった。
質素な部屋、ワラの臭いがするベッド、その上に寝てるのはヒゲ面の老人。
こいつがパオラの言ってた神父ってヤツか。
ぐーぐーといびきをかいている。
起きるなよ~、と祈りつつ抜き足差し足忍び足。
きしむ扉に小声で文句をいいつつ廊下へ出る。
木の板が張られた廊下の奥にもう一つの扉、おそらくはそこが神父の執務室だ……おや、半開きになってる。
「こりゃいいや、ついてるぜ」
すり足で足音を殺しつつ、執務室の扉を開ければ、そこは予想通り期待通りの物が並んでいた。
正面には粗末だが大きなデスクと椅子。
右の壁一面を埋め尽くすのは立派な書籍が詰まった棚。
反対側の壁には福音だかなんだか知らないが祭壇らしき物。
あちこちの篭や隙間には丸められた羊皮紙の束。
扉や窓の隙間から漏れる僅かな月明かりでも、そのなかに目的の物があるだろうことは期待十分だぜ。
とはいえ闇に慣れた目でもさすがに暗い。侵入を知られるのは遅れるほど良いので、室内を荒らしたくもない。
「では再び『暗視』で……」
光への感度を上げれば、うん、結構見えるようになってきた。
書棚にある本は……くそ、背表紙の字が読めない。かなり古い言葉か、教会専用の神聖文字を使っているらしいな。
開いてみても文字ばかり。それなりに重要な書物なんだろうが、今は関係ない。元に戻す。
丸められた羊皮紙を取りだして開いてみる。だがこれも読めない文字ばかり。
次々と取り出して開いて元に戻すが、目的のものは出てこない。
「ふーむ、どこだ……?」
よく見れば、デスクの下にも幾つかの羊皮紙と本、それに引き出しがついていた。
これか、と思って椅子をどけ、かがんで覗き込んでみる。
そこには、確かに羊皮紙も引き出しも本もあった。
もう一つ、とっても大きくて意外で余計なものも入っていた。
人間が、一人。
「……っ!?!?!ぅぉっ!!っ!???」
「えへへ、お久しぶりだべ、トゥーン様」
「なっ!?ぇ……ぅおっ!??ぱ、パ……パオラッ!?」
呼吸が止まるかと思った。
必死の思いで大声を上げるのを我慢してみれば、机の下に隠れていたのは、パオラ。
黒の修道服に身を包んだパオラが、机の下で引き出しと本の間に小さくなって隠れ、恥ずかしそうに笑っている。
て……なんでお前がここにっ!?
ここで何をっ!?
「しーっ!静かにするべよ」
口から漏れそうになる叫びが、パオラの小さな手で塞がれた。
さらにそのまま手を捕まれ、机の下へ引っ張り込まれる。余りに意外すぎて驚きすぎて、抵抗する暇もありゃしない。
大きな机とはいえ、その下の空間は狭い。そんなところに二人も入ればさらに狭い。
そして動けない。
だが動けないのは狭くて、というだけではなかった。
音がしたから。
扉の外に床がきしむ音、足音が。
そのまま二人して息を殺し、全神経を耳へ集中させる。
足音は、一方を引きずるような感じだ。少し足が悪いのか?
それでもゆっくりと、確実にこちらへ近づいてくる。
扉の向こう……いや、扉に手をかけて、きしませながら部屋に入ってくる。
机の下からだと足しか見えないが、それはおそらく隣で寝ていた神父だ。
扉に手をかけたまま、暗い室内を見渡しているらしい。
まずいな、灯りをもってないから見つかってないだろうが……室内に入ってこられたらさすがにみつかっちまう。騒がれたらやっかいだ……。
だが、神父は室内に入ってこなかった。
軽く見渡して、すぐに寝室へ戻っていった。
バタン、という音がして、片足を引きずる足音が遠ざかる。
そして、また静寂が帰ってくる。
どうやら、見つからずに済んだか……。
「ふぅ、ヒヤヒヤしたぜ」
「んだべ、危なかっただなや」
俺とパオラ、狭い机の下で安堵の息を漏らす。
て、そうじゃねーだろ!
なんでパオラがここにいるんだよ、オルタ村で隠れてるんじゃなかったのかよ!
どうして神父の部屋に忍び込んでるんだ!?
あれこれ問いただそうと口を開いたが、再び小さな手で塞がれた。
「待つべ、話は後だなや。今は安全な所へ隠れるだよ」
そういって俺の手を引っ張り、サササッと部屋を抜け出す。
廊下の、寝室とは反対側にある小さな扉を開け放ち、シュルリと軽やかに屋根の上へ躍り出た。
俺も訳も分からずパオラの後に続く。
月明かりで照らされた建物の屋根。
くすんだ茶色のタイルの上を、縫うように走る小道と階段。
決して足場がいいわけじゃないが、『暗視』をかけて視野を確保してるので問題ない。
パオラも慣れてるらしく、細く不安定な通路を軽々と走り、古くさくて小さな橋も恐れず渡っていく。
向かう先は聖堂……じゃなかった。その隣にある女子修道院の住居だ。
建物の屋根を渡りながら、ようやくパオラに質問する。
「おい、どういうことだ?
お前はオルタ村で隠れてるんじゃなかったのか?」
半開きになった修道院三階の窓の前で、ようやくこちらに向き直った。
ニカッと楽しそうに笑って答える。
「約束したべ、必ずトゥーン様を帰してあげるって」
「な、そ、そんな約束をした覚えは」
「うんにゃっ!
わだす、絶対トゥーン様を帰してあげるだ。
だから、コレを手に入れに来ただよ」
そういって服の胸元を開き手を突っ込む。
中から引っ張り出されてきたのは、数枚の羊皮紙をまとめて丸めた物。
差し出されたそれらを受け取り開いてみれば、間違いない、地図だ。それもかなり詳細なアベニン半島全土の地図……やっぱりだ、ゴブリン達の地図とはかなり違ってる。
一目見ただけで分かるほど街が増え、街道も入り組んでる。意味不明の記号や線も多い。
危なかった、これが無ければ逃走は困難だった。
思わず手元の地図と笑顔のパオラを何度も見比べてしまう。
「おまえ、まさか、俺のために、こんな危険を……?」
「んだよぉ。
実は祭りの後、トゥーン様より先に家を出てたんだぁ。
そしたら、後ろからトゥーン様が走ってきて、見つかったら怒られると思うて、茂みに隠れただ。
だから、トゥーン様の、『元気でなぁー』って言葉、その、横で聞いてただよぉ。
わだす、嬉しかっただなや」
笑顔で、だけど目尻に涙を浮かべている。
コッチはもう恥ずかしくてしょうがない、まさか聞かれていただなんて。
あーもー、どんな顔をすりゃいーんだよ!?
恥ずかしさのあまりあさっての方を見て頭をかいてると、涙を拭いながら話が続く。
「ほんでもって、昨日の夜に渡し船をちこっと拝借して、コッソリ修道院に戻ってきてんだなや」
「で、神父の部屋に忍び込んでたら、鉢合わせしたわけか。
どーりで窓や扉が開いてるわけだ。
けど、どうやって俺にコレを渡すつもりだった?
どこで会えるかなんてわかんねーのに」
「簡単だべよ。
トゥーン様は、わだすが教えた場所だけを走り回るわけだから、先回りも楽だべ」
「ぐ……それで、机の下に入って待ってたワケか。
しかもいきなり鉢合わせとはよ。
だが、お前だって見つかったら危険だってのに、わざわざこんなことを」
「危険は分かってただども、それでもここへ来たかっただ。
インターラーケンのこと、トゥーン様はじめ魔王様達のこと、敵である人間のわだすを助けるために、命懸けで頑張ってくれた。魔族の皆様のこと……。
どうしても、みんなに聞いて欲しかったんだべよぉ」
「みんな?」
みんなって、どのみんなだ?
いや、修道院のみんな……だよな?
て……おい、まさかっ!?
「まさか、おまえ……他の修道士にっ!!」
「んだす」
「そうですよ、トゥーン様」「神のお導きに感謝致します」「ようこそ、お待ちしていましただぁ!」「キャーッ!ホントに、聞いたとおりのお方だわ!」「ちっちゃくて、めんこい王子様だべよぉっ!!」「あーんっ!見えない見えないよどいてよぉー」
さっきまで半開きだった女子修道院三階の窓。
今は全開になっていて、若い女がぎゅーぎゅーに押し合いへし合いしている。
黒の修道服とか薄手の白い夜着をまとった、修道女達が。