第五話 昔話
踊りの輪から離れた丸太に、村長の婆さんは腰掛けていた。
体の前で杖をつき、目を細めて村人達の姿を見つめている。
しわしわの顔の中でも特大のシワ、にも見える口が開き、かすれた声が漏れてくる。
「わしは、オルタ村を最初に拓いた家族の者でな。この地のことならなんでもしっとるわい」
俺を呼びつけた村長の婆さんは、まるで独り言のように話し始めた。
何の用かは知らないが、こちらから先に何か言う必要があるようにも見えない。ただ黙って聞くことにする。
「他の連中に先立たれ、何時の間にやら一番の長生きになってもうた。
見よう見まねの我流じゃけど、少し魔法も使える。
ということで、死に損ないの婆じゃけど村長なんぞやっとるよ」
少しアゴを振る、横に座れという意味らしい。なので婆さんの右に歩み寄り、丸太に腰掛ける。
そして付き添いの少女へ「皆と一緒に踊っておいで」と命じた。人払いのつもりらしいな。
丸太の上に並んで座る、人間の老婆と魔界の王子。
炎の周りで踊り酒を酌み交わす村人達を眺めながら、話は続く。
「……このオルタ村より奥地に村は、無いはずじゃよ。ここより奥へ立ち入るのは羊飼いや牛飼いだけで、村や人を見た、なんて誰も言うておらん。
わしの知る限り、このツェルマット山ではオルタ村が一番奥地にあるんじゃ。ここより奥地に人間は住んでおらんはずなのじゃよ。
誰か居るとすれば、それは……妖精くらいかのお」
気付いていたのか……!
いや、魔族ともバレたのか?
だが『魔法探知』ではバレなかったはずだぞ。なら怪しい人間だ、というくらいに感じてるのか?
いやいや慌てるな。俺を魔族と気付いたなら、こんな落ち着いて話をしているはずがねえ。つか、この奥地に妖精族がいるのか?
もしそうなら、協力を得られるかも……。
なんとか動揺を隠し、沈黙を保つ。
婆さんの方も、そのまま話を続ける。
「わしが子供の頃、まだこの土地に移り住む前のことじゃ。
わしの生まれた麓の街、オルタ・サン・ジュリオは、まだジュリオ村という名じゃったよ。この辺は広大な深い森で、妖精達がたくさん住んでおった。
湖より下は人間、上の森と山は妖精。わしらは別れて暮らしてたんじゃ」
ゆっくりと、遠い目をしながら語る村長。
どうやら俺が魔族かどうか、という話ではないらしい。
気を落ち着けて、話を聞き続ける。
「昔は、妖精とわしらは仲が良かった。
そりゃあ、森で勝手に木を切ったり獲物を捕ったりすると、住処を荒らされた妖精達が怒って、道に迷わせたりしてきたがの。それは、ほんのイタズラ程度じゃった。
わしも妖精達の祭りの日には遊びに行ったし、収穫祭には山を降りてきた妖精達と杯を酌み交わし共に踊った。羊の毛刈りを手伝ってもらって、礼に牛の乳やチーズを贈ったりもしておった。
ところが、何時のことかのぉ……人間が妖精といがみ合い、住処の木々を切り倒し、追い払い始めたのは……」
深い、あまりにも深い溜め息。
楽しげに踊る村人達が炎に照らされる。楽しげな彼らの姿を見つめつつも、老婆の横顔は憂いを含んでいる。
「村は大きくなり、街になった。
薪や建材などで切り倒さねばならん木々が増えた。
羊たちに食わす草も、建てる家も、何もかも増えた。
森が開かれ、草地が増えると共に、妖精達は山奥へと追いやられた。
若い頃、このオルタ村へ移り住んだとき、それでもまだ妖精達は奥地に住んでおったんじゃ。子供の頃、ともに踊った妖精の男の子が、まだいたんじゃよ」
そこで話は途切れた。
婆さんの目は、俺を連れてきた女の子を見つめている。同じ年頃の男の子、確かアレはパオラの弟の一人、アブラーモとかいうヤツだったか、そいつと手をつないで踊ってる。
そのまま黙って、踊りの輪を眺めている。
「俺は、妖精なんて見たことはない」
一言、そしてハッキリと答える。
これが俺に言える精一杯の答えだ。この地に住む妖精達の行方なんて知らないし。
老婆は落胆したようには見えない。ただ小さく頷いただけだ。予想はしていた答えなんだろう。
「……ある日、騎士達が大勢やってきてな、山へ登っていったんじゃ。帰ってきたとき、騎士達の武器も甲冑も血で汚れておった。以来、妖精達を目にしたことはない……。
わしが知らないような奥地から来た、ならもしかして……とも思ったんじゃが。
妖精達とて、もはやわしらを許しはすまいて。もうわしらには、魔族と共に暮らした時代には戻れんのじゃ」
「……戻りたいのか?」
何の気無しで尋ねただけだ。だが、全身にのしかかる苦悩に押しつぶされつつあるかのように首を左右に振る。
「教会の力は、強い。誰も逆らえん。逆らえば、わしらの生活は成り立たんしな。
そう、あれじゃ。『マルアハの鏡』が教会に置かれてからじゃった。わしらが教会のいうとおりに生きるようになったのは」
んと、『マルアハの鏡』……?
聞いたことがあるな。ああ、あれだ。パオラが言ってた教会の通信装置だ。ピエトロの丘にある大聖堂からの発表やら予言やらを毎週伝えるとかなんとか。
「それって、どの村の教会にも必ず置かれているヤツだな」
「ああ。わしも、足が萎える前には毎週教会へ行ってたからのぉ。
本当に、『マルアハの鏡』から伝えられる予言は素晴らしかった。福音様のお告げのおかげで豊作が続き、村は発展し、他の魔族を恐れず生きられるようになった。
おんし、見たことはあるか?」
「……ない」
正直に答える。
ヘタに嘘を言っても怪しまれる。ここより奥地に隠れ住んでいるような人間の少年なら、『マルアハの鏡』とやらを見たことが無くても不思議はないだろう。
どうしてそんな奥地に住んでいたのか、なんてことは尋ねてこない。村長は話を勝手に続けていく。
「山を降りて、あれを見た方がええ。その方が楽に暮らせるからのぉ。
あの『鏡』が来た頃からじゃ、他の魔族がいなくなったのは。人間だけの、平和な世界が築かれたのは。
ただ……失うもんはある。友達を、妖精の男の子を、わしは失った。
確かに教会の言うことは素晴らしい、予言は良く当たる。じゃがな、少なくとも妖精は、地獄の使いなどではなかったよ。ちょっとイタズラ好きなだけの、友達じゃったんじゃ。
こんなことを言うと、教会に異端審問にかけられるぞ、なんて脅かされるがのぉ。若いモンは年寄りの言うことなんぞ聞きやせん」
老婆の目は、遠くを見つめている。
炎の周りで踊る村人を見ているのかと思ったら、違ったようだ。
遠い遠い、子供の頃を想い出していたんだな。
「その友達、妖精に、会いたいのか?」
「いまさら、もうよいよ。騎士達が来ることを教えることもできたのに、わしは怖くて出来んかった。会わす顔がない。
それに、今の連中は魔族を怖がるからのぉ。会わせてはもらえん。皆、教会と『マルアハの鏡』の言うことが全てじゃよ」
「そうか」
別に俺が魔族とバレたわけじゃなかった。ただ、昔話をしたかっただけか。それも、教会の教えを信じるヤツには話せないことを。
人間の中にも魔族を怖がらないヤツ、話せば分かるヤツ、仲良くやってた昔を懐かしむヤツもいる。だが若い連中は教会と、『マルアハの鏡』の力と教えにドップリ漬かってしまってる、てことか。
そんなことを考えてると、ふと村長がこっちを見つめているのに気が付いた。
「おんしは、ここより山奥に家族だけで暮らしとるとのことじゃが、これからもか?」
「服が直ったら、すぐに村を出る」
「……ま、深くは聞かんよ。何か、深い事情があるんじゃろ?」
黙って頷く。
余計なことを言う必要はない。人間だと思わせることが出来ればそれでいい。
二度とオルタ村に来ることはない。それで彼らに余計な迷惑もかけずに済む。
「パオラは、おんしのことを気に入っておるようじゃな」
「あいつを送りに来ただけだ。用が済んだから帰る。ただ、パオラのことだけは頼む」
「……わかっとるよ。あらぬ疑いをかけられるのは、ゴメンじゃからな」
長老はしばらく俺を見つめ、それから視線を村人達へと戻した。
よっこらせ、と呟きながら、杖を頼りに立ち上がる。腰に手を当て歩き出す……あーあーヨボヨボじゃねーか。あぶなっかしーなぁ。
しょうがないので、婆さんの手をひいてやる。
「済まんね、年はとりたくないよ」
「誰でも生きてれば老いる」
こういうしゃべり方してると、なんだか自分でも気持ち悪い。まぁいいさ、明日の朝までの辛抱だ。
踊りの輪の前に来ると、枯れ木のような手を挙げる。それを合図に音楽は止まり、皆が村長へ注目した。
「みんな、よくお聞き。
パオラは、このトゥーンのおかげで無事にツェルマット山から帰って来れた。
この人は村の恩人だよ」
その言葉に、男達は拳を掲げて雄叫びを上げ、女達は手を叩く。口々に「ありがとうよ、坊主!」「本当に、大した若者だべえ」と、感謝と賞賛の言葉を投げかけてくる。
俺も軽く礼をする。
「ただ、ちょいとこの子の家族は訳ありらしくてね。山の上の方に隠れ住んでいるそうなんだ。パオラもそこに気をつかって、あんな泥棒みたいなマネをしてたそうだよ。
明日には村を出るそうだけど、みんな、余計なことは言うんじゃないよ。知らんぷりを通しな。
この人が山に戻るまで、パオラも村に隠れていた方がいいねぇ。でないと、この若者が何をしに村へ来たのか、どうやって帰って来れたのか、役人に問いつめられちまうからの。
分かったね、パオラや」
「へ、へい!も、もちろんだすよ!」
慌てたように答えるパオラ。
他の村人も、「あんでまぁ、なんか後ろ暗いトコがあんだか?」「野暮なこと、お聞きでないよぉ」「借金か、お尋ね者か…」「これっ!そーゆーこと言うでないわい!」「安心しな、叩けば誰だってホコリが出るのは同じだべよ」と笑顔で賛同する。
どうやら上手くいってくれたか。
ペコリと頭を下げる。
「ありがとう。明日には出て行く。迷惑はかけない。少しの間、黙っていて欲しい」
頭を上げた俺を村人が囲む。パオラが俺の手を取る。
ニコリと笑った長老にも促され、俺は炎の周りへ歩いていく。
人の輪に魔族の王子である俺も混じる。
無邪気に笑うパオラの小さな弟妹達に手を引かれ、リュートと太鼓の音色に合わせて足がステップを踏み出す。
宴は夜遅くまで続いた。