第四話 赤い光
「アホかぁーっ!!」
急速に太陽の光が失われ、星が天を覆ったインターラーケン山脈上空。
魔力推進器の出力を落とし、風を切り滑空を続ける試作型高々度飛翔機『ソッピース』機内。
狭い機内の前方には座席が縦に三つ並んでいる。前から順にネフェルティの操縦席、パオラの席、そしてトゥーンが座る魔力供給席。
各席の両横は小柄な者なら横向きに通れるくらいの隙間がある。ただし試作機だけあってコードやら管やらがゴチャゴチャに置かれている。全然整理されていない。
その隙間を通った後ろ側は貨物室。この作戦のために準備された、様々な装備や冊子が詰め込まれている。もちろんそれらは安全のため、箱に入れられ固定されている。
で、その荷物の中には不自然な隙間があった。まるで誰かがいたかのような大小の隙間が二つ。
その空間から一人は軽々と、もう一人は隙間にお尻を引っかけながら這い出てきやがった。
「あにゃー、密航者が二人もいたんだねー」
「あんでまぁ!お二人もわだすを見送りに来て下さったかぁ!」
ネフェルティは操縦席に座ったままケロリと、パオラは喜んで二人の手を取り、トゥーンは今にも噛みつきそうな顔で二人を見ている。
そして這い出てきた二人は、居直っていた。
「あたしはトゥーン様の侍従長なのよぉ。そのあたしを置いていこうなんてぇ、認められないのぉ」
「主の危地にも常に寄り添い、知恵を授けるのが我ら学芸員の責務!
なれば此度の作戦にもお供しますぞ!」
「あ、あ……アホだ……」
俺は、もう二の句が継げない。
そんな主へ畳みかけるようにタイギメーブンを投げ続けてきやがる。
「そもそもぉ、魔王第五子と第十二子が自ら敵地潜入作戦だなんてぇ、危険すぎよぉ」
「左様。やはりここは生死を共にする部下が同行せざるをえますまい。それでこそ作戦の成功率も上昇しましょう」
「んだかあ、そうだかあ!
嬉しいっぺよ!
わだすなんぞのために、みんながこんだけ頑張ってくれるだなんて、なんて、なんてお礼をしたらえーだかぁ……」
ぽろぽろと大粒の涙を流すパオラ。
だがあんぐりと開いた俺の口からは、大粒のヨダレが流れそうだ。
ネコ姉が操縦席から耳だけピコっと振り返らせる。
「ところでね、この作戦が人間世界への潜入作戦だって、分かってるかニャ?」
「そ、それは無論」
「当然ですわよぉ」
「んで、アタシは隠密行動がすっごく得意なの。トゥーンは元々が人間ソックリだから、人間に見つかっても騒ぎにならないの。
で、あなた達は、どうかニャ?」
尋ねられた二人の動きは早い。
クレメンは白いおかっぱな髪の中に長い耳を隠す。そして長く白い髪のウィッグをとりだし、上から被って固定。
クシで軽く髪を整えると、なるほど背の高い人間の女に見えなくもない。
「これならバレますまい。そもそも耳を隠しているとすら見られませぬぞ。
パオラよ、いかがかな?」
聞かれた方はコクコクと頷いた。
そしてリアも偽装を続けている。
妖精は意識を集中、大きく息を吸い、ゆっくりと吐く。
顔の前に持ってきた両手で印を組み、口からは呪文の呟きが漏れている。
呪文が唱えられると同時に、背中に生える蝶の羽が光を失い始めた。
淡く輝く妖精族の証は、光を弱め、小さくしぼみ、みるみるうちに背中の中へ吸い込まれていく。
ほどなくして、羽は完全に消えた。背中の服に空いた穴から見えるのは、羽が生えていた跡も何もない、白く瑞々しい柔肌のみ。
呪文を唱え終えたリアは、パオラにウインク。
「妖精には見えないでしょぉ?」
「はわー、羽が消えてしもうただよ。これってどーなってるだ?」
「あたし達の羽ってぇ、空を飛ぶために魔法で生み出したモノなのぉ。実体は無いから破れたりしないしぃ、こうやって消すことも出来るのぉ。
妖精の魔法はぁ、効率よく空を飛ぶために特化してるからぁ、羽を消すとかえって魔力を消耗して疲れちゃうしぃ、それ以外の魔法もぉ、苦手なんだけどねぇ」
「ひんやー、おでれーただ。魔王様の青黒い服みたいのと、同じだやね?」
「そぉそぉ、そんな感じぃ。どぉう?
これなら『人間の可愛い女の子』とかに見えるでしょ?」
「うーん……ちっとヘンだども、見えないことは、ない……だべ。
でも、魔法で体の大きさを変えるとか、ねーだか?」
「あ、そーゆーのはダメぇ。
確かに幻術かけたりとかは出来るけどぉ、それを常にやってると魔力の消費が凄いんだものぉ。
それに『魔法探知』にひっかかっちゃうわぁ。
基本はぁ、魔力を使わない方向で変装しないと、ねぇ。
で、どぉう?このままでもいけるでしょぉ?」
「あー、うーん……」
パオラは首を傾げながらも頷いた。
けど、俺は騙されない。こんな人間がいるもんか。
そもそも体が、いや頭が小さすぎる。子供だと言うこともできやしない。小柄な大人、と言い張れるかどうか、非常に疑わしい。
ダメだ、絶対一発でバレる。
「帰れ」
冷然と、憮然と、毅然と言い放つ。
「どうやってぇ?」
当然と、敢然と、自然と言い返す。
言い返すな!
「分かってるだろうが、改めて説明してやる。
いいか、これは敵地潜入作戦だぞ。パオラを帰すのが主たる目的なんで、深入りする気はないが、それでも危険極まりないんだ。
大人数は、それだけで目立つんだよ!
中途半端な技量のヤツは邪魔なんだ!
オマケにおめーら背が高すぎの小さすぎで、元々が目立ちすぎ!
これは俺とネフェルティの二人でやるから成功率が高いんだ。
つーわけで、お前ら今すぐ、インターラーケンに戻れっ!!」
「それは、どうやって、ですかな?」
今度はクレメンが言い返した。
エルフは知的で理性的じゃなかったんかい!?
学芸員は窓から外を見る。星明かりしかない外は、真っ暗な夜。星が瞬く夜空と真っ暗な地上は、地平線の境目で見分けが付く程度だ。
「この機体は、もはや人間の領内に入っておりますな。今から戻るのは遅すぎますぞ」
「そ、そんな事はねえ。今からトンボ帰りすれば」
「トゥーン殿、魔力が尽きかけておられるご様子」
クレメンタインは、俺の手を見る。
魔力ラインが失われ、ほぼ真っ白になった手。こんな状態、自分でも滅多に見ない。ベウルに地獄の特訓へ放り込まれて以来だぞ。
まるで自分の手じゃないみてーだ。
認めたくないが、その通り。
俺の魔力は大方吸い尽くされた。
離陸と発進時の加速は城門前で術者達がやってくれたが、それでも大量の魔力を消費した。もう俺には機体をトンボ返りさせるだけの魔力はない。
「んじゃしょうがない、姉貴」
「あたしもダメなのだー」
「なんでだよ、姉貴は魔力使ってないだろ?」
「使ってるよー。
この機体、魔力推進器だけじゃなく、姿勢制御や暗視とかにも宝玉使ってるんだから。
それに、ただでさえ試作機だから、アチコチ調子が悪いんだよ。
特に今は地上や周囲の探知に気をつかってるから。こんな真夜中に山の中を飛ぶのは大変だニャ」
言われてみれば、そうだろう。
ここは空気もほとんど無いような空の上、推進器は止めてるが、それでもかなりの速度で夜の闇を飛んでいる。うっかりしたら、山にぶつかったり見当違いの方向へ行ったりするだろう。
「アタシは夜目が利くけど、それでも大変なんだぞ。今からトンボ返りするには、アタシも魔力が足らないかな」
「むぅ」
「というかね、魔力を吸われる気持ち悪さ、体験したかニャ?
あんなのされながら、操縦できないんだねー」
「ぐぐぐ……」
歯ぎしりがとまらねえ。
パオラは「あんがとだすー」と素直に感謝感激。リアとクレメンはふっふーんとふんぞり返ってやがる。
こ、こいつら……人の苦労も知らねえで……。
「で、どうするかニャ?」
「どうするって、戻れないんだろうが」
「だから、この二人の密航者、どうするかニャ?」
「え……ど、どういう意味だよ?」
ネフェルティが耳だけじゃなく、頭も振り返る。
釣り上がった唇の端からは牙が光り、その目は怪しく笑ってる。
密航者はどうするかって、普通、密航者は……船とかだと……。
えーっと、あー……。
「アタシの船だとねぇ、密航者はねぇ、鮫のエサになってもらってるよ」
いっひっひっひ、という感じの押し殺した笑いが狭い機内に響く。
全員が、特に密航者二人が震え上がってる。
追い打ちをかけるように、楽しげに密航者の扱いについて説明してくれやがる。
「だって、未知の世界を探検する調査船は、無駄が一切ニャいんだもん。余計な人員は居ないし、余計な食料も積んでないの。
にゃにより密航者の存在を許すと、次々と同じコトをするヤツが来るんだよ。一攫千金狙いで。
探検隊のメンバーは厳選してるので、お呼びじゃないコを入れるわけにはいっきませーん!」
仲が悪いはずの密航者二人が、恐怖の余り抱き合ってる。
パオラは、余りに冷酷なセリフに言葉を失ってる。
そんな乗客を楽しそうに眺めてから、返答に困る俺を横目に眺めてくる。
「で、どうするかニャ?」
「え、えと、その……」
「アタシは今回はタダの操縦者、それも臨時雇いの、ニャ。
今回の作戦の言い出しっぺはトゥーンだよ。だから、船長はトゥーンなの。密航者二名の処分、トゥーンが決めるんだよ」
「う、うあ、あう……」
今度は俺が冷や汗を流す。
密航者二人を見る……そ、そんなすがりつくような目で見上げてくるなぁ~。
パオラを見る、までもなく「お慈悲を~」という言葉が聞こえてくる。
姉貴を見れば、どうみても困ってる俺を見て楽しんでる。クソ、昔から俺をオモチャにしやがって。
処分っつっても、そんな……。
「あー……」
「トゥーン様ぁ……」「トゥーン殿、どうかお許しを」「その、こんなコト言う立場じゃねーだども、お慈悲をお願いしますだ」「さーてさて、どうするトゥーン君?ほーらほら」
「……だーっ!」
ええい、全く!
こいつら、揃いも揃って人の気も知らねーで、勝手なコトばかり言いやがって!
あーもーくそったれ!
「わーった、わーったよ!連れて行けばいーんだろが!
ただし、絶対に足を引っ張るな。人間に接触するな。何かあったら、容赦なく捨てていくからなっ!
覚悟しとけよっ!」
「分かったわぁ!」
「温情あるお沙汰、感謝いたします!」
「よかっただなやぁ、みんなぁ。やっぱトゥーン様はええ人だでや」
感激する連中に、ふんっ!とそっぽを向く。
向いた先の窓ガラス、映っているのはネフェルティの横顔。
ペロッと舌を出して笑ってる……?
「くそ、乗せられたか」
「何かニャ?トゥーンくーん♪」
「何でもねーよ、あーちきしょー」
そんなこんなで飛翔機は山を越える。
魔力推進をほぼカットした黒塗りの機体は、闇の中を目立つことなく人間の支配地域へと侵入する。
そう、俺達は完全に闇の中に溶け込んだまま、気付かれずに侵入できたと思っていた。
だが、魔王軍と長きにわたり剣を交える人間達は、そこまで甘くはなかった。
真っ暗な地上に、闇の空を見つめる赤い光があることに、俺達は気付いていなかった。