第二話 ルヴァンとネフェルティ
「な、何しやがるっ!
いきなり、つか、何しにきやがったぁ!?」
「ニャハハ♪もっちろん、あたしも人間の世界に行くからよっ!」
「あ、あんだとおぉ!?
なんでお前までっ!」
「で、例のお嬢ちゃんは、ど~こ~か~し~……らっ!」
俺の叫びなど無視、グリンッとバカ姉の顔が横を向く。
まん丸な目の中の縦長な瞳孔が、飛空挺から離れた所で頭を抱えてへたり込んだままのパオラを見つける。
その瞬間、ネフェルティの口がニマァ~と開く。牙がキラリと光る。
「え、おい、ちょっと待て」
「ニャハハハハハーーッッ!!」
俺の話も制止も全く聞かず、ネコな姉は一瞬身を屈め、瞬時に飛びかかっていた。
「ニャアーーーッッ!!人間だにゃーっ!」
「ひぃんええーーーっっ!!お助けえーーーっっ!!」
全く止める間もなく、今度はパオラをオモチャにし始めた。
防寒着に爪を立ててビリビリに引き裂き、長い銀髪を引っ張り、ザラザラの舌で頬を舐めまくる。土まみれになりながら必死に逃げ出せば、後ろから再び飛びかかって力任せに抱きしめる。
「止めんかいっ!」
ぼこっ!
「あにゃっ!?」
俺の鉄拳を頭にくらって、ようやくこのバカはパオラを離した。あ~あ、パオラ泣いてんじゃねーか。シクシク涙をこぼすパオラを引き離し背中に守りつつ、バカ姉を睨み付ける。
「な、何のマネだ!?いきなり何しやがる!」
「にゃはは~、人間なんて珍しいから、思わずやっちゃったのだー♪」
あーあーそうだろうよ、こいつはそうだろうよ。
とにかく好奇心旺盛、珍しいモノや細かく動く小さなモノが大好き。
で、そーゆーのを見つけると、必ず飛びかかる。爪を食い込ませ、牙を突き立て、散々ぶんまわしていじくりまくりもてあそび、ボロボロになるまで遊ぶ。
そして、飽きたらポイ。
完全なネコ女。
つか、昔みたいに俺に来るならともかく、パオラに行くんじゃねえ。
「で、何でお前が来てるのかってンだ!
オメーの領地はどうしたよ?」
「はっはっは!だいじょーぶ。
我が街ジブエル・アル・ターリクは、あたしが居ても居なくてもどーでもいいのよ!
何故なら、ワーキャット達とエルフ達と妖精達とが、難しいお仕事をぜーんぶしてくれるから♪」
「いばるなーっ!」
こ、こいつは……。
ネフェルティは、誰がどう見ても政治に向いた頭はしていない。それはバカ姉自身も良くわかってた。自由奔放で自分勝手で気まぐれ、好奇心旺盛で堅苦しいのは大嫌い。
なわけで、姉貴には冒険の世界が与えられた。
領地は魔界西南の彼方、エストレマドゥーラ半島。
そこは姉貴と同じネコに近い部族、ワーキャットが多く住む。
そしてそのさらに南方、海峡を越えたところには未開の大地、『黒の大陸』が広がっている。
この『黒の大陸』はインターラーケン山脈を超える人跡未踏の地だ。
魔族と呼べるような知能の高い生物は発見されていないが、恐ろしく強力なモンスターがウヨウヨしているらしい。
例え腕に覚えある者でも、余りに広大な森林で遭難するか、治療法の発見されていない病に倒れるのがオチという、恐ろしい大陸だ。
だがそれだけに、魔界では手に入らない珍品や貴重品が見つかる。
そんなわけで、冒険心で一杯のネフェルティが飛びついた。
エストレマドゥーラ半島の先端にジブエル・アル・ターリクという街を、つか探検隊の前線基地を築き(ほとんどルヴァン兄貴が派遣したエルフ達がやったけど)、『黒の大陸』を探検しまくってる。
支配地域に住む魔族の統治とか、政治はぜーんぶ部下に任せっきり。執事団に就任したワーキャット族とか、侍従長の妖精とか、顧問のエルフ達とか、姉貴のワガママに振り回されて胃に穴が開きそうとかなんとか。
それでも姉貴率いる探検隊が持ち帰る沢山の貴重な素材や動植物のおかげで、領地の運営は順調という。
「と、ゆーわけで、だニャ♪」
「何が、ニャ♪だ。おかしな訛りを付けやがって」
「いやー、ワーキャット族の方言が移っちゃったニャ。
と~も~か~く~。冒険と聞いて、アタシが黙って居られるワケないのだぁー。
はっはっは!諦めたまえよ、トゥーン君」
「うるせえ!
これは高難度の潜入作戦だぞ、ゾロゾロと大人数で行けるか」
「隠密行動が基本の潜入作戦、だからこそアタシの力が必要にゃのだ」
「ぐ……」
確かに、隠密行動という点で姉貴に太刀打ち出来るヤツは、そうそういない。
だからこそ『黒の大陸』の探検を、モンスターに襲われて死ぬこともなく無事にこなしている。
でもこいつが毎回無事に戻ってくる一番の理由は、何をどれだけ食っても大丈夫な、鋼の胃袋を持つからだと思う。
つっても、邪魔だ。あー邪魔だ。コイツの悪ふざけに付き合ってられるか。
「つかよ、人間の支配地域に魔界の王族が二人も行くなんて、危険すぎるぜ。護衛をゾロゾロ付けることもできねーんだ。
だから、この作戦は少数精鋭、つまり俺だけに任せて、姉貴は引っ込んでな」
「そ、れ、は……ムリ!」
「何でだよ」
「弟よ、その理由は、ルヴァン兄さんに聞くといーぞ」
といって姉貴がビッシと指さす先、さっき開けられた篭の扉からタラップを降りてきたのは、黒メガネのルヴァンだ。
ルヴァン、だよな……あれ?
なんで髪が真っ白なんだ?
それに、なんでヨロヨロになってる?
両隣をエルフに支えられながら、青ざめた顔で髪も白くなったルヴァンが降りてくる。
なんだか分からねーけど、とにかくネフェルティの件は聞かねーと。
「パオラ、俺から離れんじゃねーぞ」
「あうう、ぐす、わ、分かっただよぉ~、うう、ぐす」
半泣きのままのパオラを連れて兄貴の方へ行く。遠くへ逃げてたリアも戻ってきて、俺の後ろをついてくる。
俺の姿を見つけた兄貴は、眼鏡をクイッと直しながら軽く会釈した。だがその手も小刻みに震えてるぞオイ。
「ひ、久しぶり、ですね……トゥーン君」
「お、おう、一体、どうしたよ?髪が真っ白って、魔力がゼロじゃねーのか?」
「色々、ありまして、ね」
ルヴァン兄貴の魔力は頭から長い髪にかけてチャージされる。なので魔力を使いすぎれば、魔力ラインも輝きを失う。つまり、今は全魔力を失った状態だ。
だが、この次兄の魔力量は相当なモノだ。その魔力が、チャージも間に合わないくらいの速さで一気に失われるなんて。
何があった?
「あれが、原因、ですよ」
そういって兄貴は篭の後方を見やる。その視線の先には、篭の後方にパックリ開いた扉から引き出される、なにか巨大な箱が数個あった。
あれが連絡にあったヤツか。
「あれって、もしかして連絡のあったインターラーケン越え用の、アレか?」
「そう、です。最新型の、飛空挺……いえ、もはや飛空挺などという、旧世代の代物とはかけ離れた存在と言えるでしょう。
あの試作機は、『ソッピース』と名付けました。
従来の飛空挺を遙かに超える、ワイバーン並みの速度を安定して生み出す魔力推進機を搭載した飛翔用アイテムです。飛空挺が『浮遊』するアイテムとするなら、これは本来の意味で『飛翔』するのですよ。
飛空挺は簡単に言うなら、機体に軽い空気を詰め込んだ、いわば風船です。そのため自力で推進力を得るには大変な魔力を用いて『念動』をかけるか、ワイバーンに曳航させるしかありませんでした。
しかし、この最新型機は違います。魔力推進機は魔力を直接に推進力へと変換し、機体を前方へ進めるのです。これにより、飛空挺とは比べものにならない速度を、しかもワイバーンですら飛べない高々度にて可能としたのです。
しかも、この機体が画期的なのは推進力だけではありません。高々度では気温も気圧も低下し搭乗者を時には死に至らしめます。ですがこの機体は気密性を保ち気圧と気温を維持する……」
後ろでルヴァン兄貴が解説してるが、長いっての。
眠くなるお話は右から左に聞き流しながら、俺達は篭の後ろで開かれる箱に、その中にあるアイテムに視線が釘付けだ。
ドワーフ達によって箱が開かれると、その中には小型の飛空挺の胴体と、大小幾つかの翼が入っていた。ドワーフ達は速やかにそれらを寄せ集め、組み立て、巨大な飛翔用アイテムへと変えていく。
その形状は、飛空挺が風船なら、これはツバメに近い。表面の素材は黒く塗装された鉄板を繋ぎ合わせたのがメイン。前面の一部分はガラスに覆われ、そこから内部が見える。機体後方には魔力推進器とかいう、樽みたいな形のモノが組み込まれてる。
「すぅ……すっげえだなやぁ……」
「おう、スゲエだろ」
「ふわぁ、こんなのでトゥーン様とパオラちゃんはぁ、オルタ村へ行くんだねぇ」
「ああ、ンで……兄貴、何故にネフェルティが一緒なんだよ?」
長々と一人で講義をしていた兄貴は、ようやく自分の世界から戻ってきた。
オホン、と咳払いして誤魔化し、俺の質問に答える。
「実は、あの機体は、推進力を生むためには膨大な魔力が必要なのです。しかも、まだ試作機なため、操縦には高度な技術を必要とします。
そしてインターラーケン越えをするとなれば航続距離も相当なもの。その上、何人も搭乗すれば重量も増し、必要となる魔力量は桁外れです。同時に、操縦者には高い技量と勘と、何より卓越した反射神経と判断力が必要となるのです。
その二つの条件を同時に満たすのは、ネフェルティだけだったのですよ。だから試験操縦者として訓練を積んでいたのです」
「そーなのだー。ニャッハッハ!」
ふんぞり返って高笑いをするバカ姉。
俺は歯ぎしりしちまうぜ。
て、操縦者……だと?
「あーっ!
この輸送船を操縦してたの、お前かーっ!?」
「そのとーりぃ!」
「な、なんて操縦しやがんだっ!
ぶつかるところだったじゃねーか!」
「ふはははは、ギリギリに止める訓練だったのニャ。この姉の技量に恐れおののけ」
「居直るな!」
悔しいが、兄貴の言うとおりだ。
ネフェルティはバカだけど、馬でもワイバーンでも飛空挺でも帆船でも何でも自在に操る事が出来る。探検のため、あらゆる乗り物を扱う訓練を受けてある。だがそれ以上に、とにかく反射神経がどうとかいう以上に、センスとでもいうべきヤツが優れてるんだ。
そして、こんな見たこと無いシロモノをいきなり俺に操縦しろ、といわれても無理。そのため操縦者が同行するとは事前に聞いていた。けどまさか、よりによって、コイツしかいないなんて。
考えただけでも頭が痛い……頭?
「そうだ、んで結局、その頭どーした?なんで真っ白なんだ?」
「これ、ですか……」
疲れ果てたように溜め息をつき、くぃ……と力なく黒メガネを上げる。
「先ほど説明したとおり、魔力推進器は膨大な魔力を必要とします。
インターラーケン山脈を往復するとなると、ネフェルティ一人の魔力では足らない危険があるのですよ。
そのため、魔力供給者と操縦者を分けられるシステムが必要だったのです」
「え?
てことは、その髪は」
「ええ。ネフェルティの飛行訓練に付き合っていたら、魔力を根こそぎ吸い取られたのですよ。
もう三日も経つというのに、いまだに真っ白なままですよ。
元に戻るまで何週間かかるのやら……」
ぽん、と右肩を叩かれた。
後ろを振り向けば、バカ姉がにやぁ~っとイヤな笑みを浮かべてる。
「というわけで、次はトゥーン君だよ」
「な、何で俺が!?
自分の魔力を使えよ!」
「理由はかーんたん。
魔力を吸われながらだと、力が抜けて操縦しづらいからな~のよ~ニョホホホホ」
本当に頭が痛い。
こんなんで、上手くいくのかぁ?