第三話 小さな赤の花輪
「パオラ、あの山を一人で越えられそうか?」
「そ、そら無理っす」
「だよな……うーむ」
もう夏も盛り。
熱い光りの下、パオラを背に乗せたカルヴァを連れ、南側の山裾へ来た。
最初はカルヴァを怖がってたパオラも、大人しい犬だと分かって、すっかり慣れた。いまじゃ顔をペロペロ舐められてる。つか、こんなドでかい犬なのに、随分と大人しいし頭は凄く良い。
最初に俺へ襲いかかったのは、単に命令されてただけ。
よくしつけられてて、今じゃ俺の命令に完璧に従ってくれる。
それはいいとして、パオラと一緒に山を見上げる。
隣にいる人間の娘、青い眼が彼方を……。
ふーん、なんだかリアに良く似た目だな、同じ青だし。
って、俺は何を見てンだ!?リアも関係ねーだろが!
えーい、おクレの話なんか無視だ無視!
リアも、そりゃ、命を助けてくれたヤツだけど、自分の身を犠牲にしてまで、いや、それとこれとは、その……!
とにかく、迷いを払って前を見る、山頂を見上げる。
人間達の世界と魔族の世界を分ける山脈だ。万年雪、薄い空気、岩だらけで食べ物なし。ハンパな事では越えられないぜ。
結局、「諦めろ。お前はここで一生暮らすか、処刑されるか、二つに一つだ」なんて言うしかないのか。
「テントとか食べ物とか、荷物が沢山いるべ。
少しずつ高い所さ行って、高地に体を慣らして、ようやく越えれたべな。
幾つも中間拠点つーのを造って、そこに村の衆が荷物を運んでっただよ」
「そうか。
パオラは一度越えてるし、インターラーケン自体がかなりの高地にあるから、体は慣れてるだろうな。
けど、それでも無理だろうな」
「だべ。……すまんこってす」
「むー、うーん…。
なあ、魔法とかは使えるか?」
「魔法だすか?わだすは修行中のペーペーだで、大したモンは使えねっす」
「試しに見せてみな」
「へ、へぇ。んだば……そこの石ころを」
「ん、これか?」
パオラの視線の先にあった親指くらいの石ころをヒョイと拾い手渡す。
石を両手の上に乗せて、目を閉じ精神集中。
赤くて小さな唇から呟き声が漏れる、呪文のようだ。
「ピエトロの丘に顕現せし我らが父よ……。
天地を織りなす琴を奏でし唯一の主よ……。
その指が生みし万の旋律が一つを我が前に……」
これが人間の呪文なのか、随分長いなぁ、と思いながら眺めていた。
まだかよ、長すぎんだろ、とイライラしつつ見ていた。
いつまで経っても石には何の変化もないぞ、本当に魔法使えンのか?なんて疑い始めた頃、ようやく石がピクリと動いた。
パオラの手の平の上で、石ころが僅かに浮く。
と思ったら、すぐに落ちた。
おひおひ、ゼイゼイと肩で息をしてるぞ、たったこれだけで……。
「で、出来ただよ……」
「それが、全力か?」
「んだ。こっぱずかしいだ」
額に汗まで流しながら、恥ずかしげに言う。
確かに恥ずかしい。見ているコッチが恥ずかしかった。基本中の基本『念動』を、小石を動かすために、どんだけ時間と体力かけてんだよ。手でぶん投げた方がはえーじゃねーか。
ダメだ、魔法も力もまるで無し。自力での帰郷は不可能だ。
顔が引きつりそうになってる俺に、今度はパオラが尋ねてくる。
「ところで、領主様はどんだけの魔法が使えるだ?」
「俺か?俺は、だな……」
パオラの手に乗ったままの石を右手でつまみ上げる。
そして、人差し指の上に浮かした。
青い眼がパチクリしてる。
「はれ?領主様、いつ呪文を唱えただ?」
「この程度で呪文なんかいらね」
「はらー、呪文無しで魔法を使えるだか。上級者だなや」
「つか、俺ら魔王一族は普段から、体に大量の魔力を溜めてあるんだ。
このラインはチャージ済みの魔力が浮き出たモンだ」
右手をパオラの顔に近づける。
石を浮かす人差し指先端を中心に濃くなり、まるで炎の様に腕全体で揺らぎ踊る。
青い眼は俺の右腕を上から下までじっくりジロジロ。
なんか恥ずかしいぞオイ。
「はえ~……凄いだなや。でも普段からそうだとすっと、一瞬でドデカイ魔法が使えるだべか?」
「ああ、まあな。魔法を使うたびに、イチイチ魔力を溜めなくていいからな。
つってもクセで、魔法を使う前には必ず使用分をチャージしてんだけど」
ついつい胸を張って威張ってしまう。
ふっふっふ、これこそが魔王一族の力。あらかじめ魔力を体内にチャージしてるから、術式を念じるだけで魔法が使える。それも大魔法を連発できるくらい、大量に。
魔法の基本としては、まず精神集中し魔力を溜める必要がある。普通のヤツでも魔力はある程度を体内に溜めれる。が、そのままほっとくと、すぐに霧散してしまう。十分な魔力量維持だけでも技量がいる。
その上で使う魔法の術式を思い浮かべる。別に術式を実際に唱える必要はないけど、唱えた方がやりやすい。
で、魔法を放つ。
宝玉とかに術式を書き込むことで、魔力のチャージだけにすることも出来る。
魔力を溜める肉体の限界量、術式を念じる脳の思考力、その双方のために必要な集中力と精神力、そしてなにより時間。
魔力を普段から大量に溜めているおかげで、どんな大魔法だろうが精神力も時間も極少で済む。術式が書き込まれた宝玉と組み合わせれば、もはや反則的な強さだ。
だから魔王一族は支配者として君臨できる。
なんのかんのいっても、結局は世の中は力が必要だ。
「ほんで、やっぱすっげえ魔法が使えんだべ?」
ふんぞり返った背筋を元に戻して、パオラに軽く魔法を見せることにする。
ふっふっふ、魔王の力におののくがよい。
「今、この石を浮かすだけなら爪の先っちょくらいだな。
俺は肉体強化以外はあんま得意じゃねーけど、このくらいの石なら……あの岩見てな」
ちょっと離れた所に大岩がある。
あの岩に石を思いっきり投げつけてやろうと、全魔力を込めてみた。
バギュンッッ!!
爆風。
小石は岩にめり込み、クモの巣状のひび割れが広がった。
急加速し過ぎて、衝撃波が生んだ突風でカルヴァの毛もパオラの銀髪も周囲の草も薙ぎ払われる。
やりすぎた。パオラも突然のことにビックリして言葉を失ってる。
「……す、すっげえだなぁ……。領主様は、大司教様並の魔法を軽々と使えるだか?」
「お、おう、まあな」
自分でもちょっとビックリしてしまったのを誤魔化し、エッヘンと胸を張る。
カルヴァの上で素直に驚いて感心してる姿を見てると、本当にコイツをどうしたものかと考え込んでしまう。
魔界の王子として、インターラーケン領主として、人間の娘一人など捨て置けばよい……そう分かっちゃいる。分かっちゃいるのに、捨て置けないのは何でだろうな。
「んで、さっきの話だけどよ。まぁ、無理だわな。
なにせここはド田舎だ。お前を送り届けるような余裕はねえよ」
この言葉に、当然だけどパオラの顔は曇る。泉で泣いてた姿も思い出される。
う、うう、そんな顔をすんなよ……!
何かパオラを喜ばせれそうな話はないかと、頭を巡らす。
「あ、あのよ、兄貴や姉貴の中には、お前に会いたいとか歓迎したいとか言うヤツもいるけど、お前はどうだ?
美味いモノ食えるし、楽しいぞ」
「へ、兄様方や姉様方が?
だども、領主様は魔王の子、魔界の王子でなかっただか?」
「んだぞ」
「そったら、もすかすて、魔界の王族皆様が、わだすなんぞのために……?
こ、こら、どえれーこってすっ!」
叫ぶが早いかカルヴァから飛び降りる。
そして俺の前に跪き、手にアンクを握りしめて祈りだした。
「ピエトロの丘におわす三位一体の顕現たる福音様ぁ。
神様のお導きで、魔界の王様方もどえれーお世話をして下さいますだ。
神様も、魔族を邪悪だなんて思わず、領主様始め魔王の御一族様にもお慈悲をお示し下せえ……」
「あー、そーゆーのはいいから。立てっつの」
なんか嬉しいことがあると、すぐに神様へ感謝する。
まぁ、司祭っつーのはそーゆーもんだろうけど。
話が進まねーから後にしろって。
山裾を辿りながら城へ向かう。
見下ろせば湿地帯も夏草に覆われ、立派な草原だ。
カルヴァと俺が踏みしめる草地も花が咲き乱れてる。
白いエーデルワイスとハナシノブ、青のワスレナグサやゲンティアナと様々で、色鮮やか。
「あ、領主様。ちょっと待ってくんろ」
「なんだ、トイレか?」
「ち、違うだ!ちぃーっとだけ待ってて欲しいだ」
急に飛び降りたパオラは少し遠くへ走っていき、茂み近くでしゃがむ。
んだよ、やっぱトイレか……と思ったら、違った。
その辺の草花を摘んで編み始めたようだ。
しばらく待ってたら、息を切らせて慌てて戻ってくる。
手には赤い花を編んだ花輪が二つ。
ハァハァ言いながら、それを俺とカルヴァに差し出した。
「領主様は魔界の方だで、修道女のわだすの祈りだとマズイ気がすんべ。
んだで、わだすからのお礼だす。
こんなんしか出来なくて、済まんですだ」
そういって、俺の頭に小さな赤の花輪を載せた。
カルヴァも頭を下げて、耳の間に輪を載せられる。
ニカッと笑うソバカスの娘、そよ風に長い髪が揺れる。
くそ、変に意識しちまうじゃねーか。
緑の草原。
揺れる色とりどりの花と銀色の髪。
俺の短い黒髪は揺れない。
でも、胸の中が揺れる。
心が揺れる
パオラが、ヴォーバン要塞に取り付く死兵になるってのか?
そんなはずねーだろ。
お前みたいなヤツが、俺達魔族と戦う理由があるのか?
話せば分かるだろうが。
分かってくれてるじゃねえか。
「なあ、パオラよ」
「ん、なんだべ?」
「おめーの村……えーっと、なんつったけ?」
「オルタ村だべよ」
「ああ、それそれ。そこってよー、あー……」
なんだか言うのがこっぱずかしい。
照れ隠しによそ見したり首筋ボリボリ掻いたり。
そんな俺の顔を青い眼が覗き込む。
「なんだべな?」
「う~、その、な、オルタ村ってよ……良いトコか?」
とたんにパオラは満面の笑顔。
「そらー良いトコだでよぉ!
山はココと同じくれーでっかくて、湖は綺麗でぇ、山羊たちはめんこくて、ウチの犬はカルヴァみてーなデッカイのじゃねーけんど、コラードっつんだけど、とっても賢くて、神父様も村長さんも、村のモンたつも、みぃんなええ人だぁ!」
「そ、そか……」
青黒く尖った爪で、自分の右頬をチョイチョイと掻く。
なんか顔が熱いなちきしょーめ。
「俺が……送ろうか?」
「へ?」
よほど意外だったらしい。
何を言われたか分からないって感じで目をパチクリしてる。
「本当は、もう、その、故郷は諦めてここで暮らせって言おうと思ってたんだけどよ。
ちょいと、俺も見てみたくなったな。そのオルタ村っての」
「え、え?えええっ!?
まさか、領主様が、自らオラを、あの山を越えて、連れて行ってくれるだかっ!?」
「あ、ああ、まぁな。出来れば、だ。出来ればだぞ」
「あんがとだすっ!あんがとだすよぉっ!
そう言ってくれるだけで、あだすは嬉しいっす!
そのお気持ちだけで感激だすよぉっ!
やっぱ、あだすがこの土地に来たは、神様のお導きだすよ!間違いねっす!」
そういってパオラは俺の手を握りしめてブンブンと上下に振る。
本当に、今まで見たことのないような満面の、心からの笑顔。
そうだよな。
人間だからって、みんながみんな敵ってワケじゃねえ。
こうやって手を繋げるじゃねーか!
「よし、まぁ、出来るかどうか、城に帰って考えてみるとするか!」
「ひゃあっ!」
パオラをヒョイとかついでカルヴァに載せる。
「す、すっげえ力持ちだなや」
「ふん、当然だぜ」
体格は俺もパオラも大して変わらないけど、こちとら魔王一族。
両手足に走る青黒い魔力ラインのおかげで、この程度のパワーは楽勝だ。
パオラの前にまたがり、白い腹を軽く蹴る。
一声吠えて、全速力で城へ向けて駆け出すカルヴァ。
「しっかりつかまってろよっ!」
「は、はいだすっ!」
白い毛をしっかり握りしめたパオラを後ろに乗せ、草原を走る風を越える。
泉を飛び越え、木々を縫い、走り続ける。