第二話 望郷
湖畔の村、ジェネヴラ。
インターラーケンの西方、山の中腹にある細長い湖、レマンヌス湖の岸にある。
元々は妖精達が僅かに住むだけの小さな村。森林が広がっているだけの土地だった。だが今は妖精だけでなく、数多くの魔族が集まっている。木の上に巣が作られたジェネヴラの隣には新しく拓かれた村、というより大規模な土木工事のための前線基地が築かれていた。
湖の西から流れ出す川が削りだした深い渓谷に沿って、妖精と鳥人が忙しく飛び回る。
大荷物を載せたワイバーンが遙か上空で編隊をなす。
頭に二本の角を生やした巨人族が切り出された巨岩を運ぶ。
オーク達が楔を打ち込んだり大きなノコギリで石をブロックにしていく。
ドワーフ達が髪の挟まる隙間もないほどの精密さで形を整える。
ネコや犬の頭を持つ者達は、森から食料を探してきて、魔族の労働者へ供給する。
空の中、翼を持つ魔族や竜の間には、卵状の形をした白い物体が空に浮かんでいる。エルフ達が設計した飛行装置、飛空挺だ。
森と渓谷を縫うように走る、いつ消えても不思議はないような獣道は、速やかに百年単位で存在し続ける道路へと姿を変えていた。
「うひょー!もうこんなに進んだのかよ」
ジェネヴラの隣に築かれた前線基地の端、大きな広場に着陸した小型飛空挺のドアを開けた俺の口からは、さっきから感嘆の声しか出てこない。
後ろのリアとクレメンタインも同じようなもんだ。
「本当だわねぇ~……すっごいなぁ……」
「いやはや、流石ですな。
古来より愚かな小競り合いを繰り返し、無意味に疲弊するばかりだった魔界。その間隙を突いた人間達に駆逐される魔族。それらが魔王様の下に手を取り合い、結集した成果ですぞ。
これこそが我らエルフの理想であり、魔王様の目指した魔界の姿です。我らが祖先であるアールヴの時代より悲願とした魔界統一! その意義と可能性は古くから示されていましたが、無念にも何者をもってしても力及ばず成し遂げることは叶わず。
ですがダルリアダ大陸に魔王様が降臨した日こそが! 地獄の様相を描く戦国時代の終焉を告げる……」
狭い飛空挺の中で涙を流し拳を効かす独演会をしてるクレメンはほっといて、俺とリアは外に出る。
インターラーケン城から山脈の麓まで続く長い道。その工事は気が遠くなるほど果てしない、と思われていた。だから兄姉の誰も手を付けなかった。
だが実際に始めてみると、想像を遙かに超えた速度で工事が進んでいく。
麓と城の中間地点にある大きな湖、レマンヌス湖。既にその畔まで大まかな道路がひかれている。もちろんレマンヌス湖もインターラーケンの領地内、ここに町が出来れば収入は跳ね上がる。
材木が積み上がり、丸太小屋が並ぶ前線基地の間を歩く。
忙しく走り回る獣人達、採取した土や岩を片手に設計図を睨むエルフ達、小屋の中ではドワーフの職人が宝玉の表面に術式を彫り込んでいる。
冬が来る前には、ジェネヴラまでの大まかな工事は終わるだろう。来年には城まで道路が繋がるかもしれない。
「さすがぁ、魔王様のお力は凄いですねぇ~」
「ああ、本当だな」
「ところでトゥーン様ぁ、思うんですけどぉ、魔王様って岩の切り出しが上手になりましたねぇ」
「……どこがだ?」
リアの視線の先には巨岩の山。それらはデコボコで、大きさもバラバラで、力任せに掘り出したらしくヒビも多い。
聞き返されたリアが「え~っとぉ……」と返答に困る。
「そ、その、ちょっとだけなんですけどぉ、岩の大きさと形が整ってきた、と思うんですよぉ」
「わかんね」
「よ、よく見て下さいよぉ!
ホラ、ちょっとだけなんですけど、ヒビも減ったしぃ」
と言われても、本当に昔と何も変わってないようにしか見えない。
土木工事の基礎、大岩の切り出しとか道路予定地の大まかな森林伐採とかは、実はオヤジが出張してきて手伝った。
魔王が自ら土木工事をする、というとヘンな感じがする。けどオヤジの場合は全然不思議じゃない。なにせ有り余る魔力を持て余してるンだから。でも戦争とか荒っぽいコトが嫌い。なワケで、オヤジは大規模な土木工事に魔力を使うコトにした。
自分が住むル・グラン・トリアノン城の基礎工事、運河掘削、etc。巨人族やドラゴンのパワーでも、エルフの魔導師が総掛かりでも難しい工事も、オヤジなら出来る。
実のところ、オヤジを魔王として崇めているのは、これが大きいかもしれない。
ただ……下手だ。
パワーがありすぎて細かいコトが苦手。その上、美的センスがない。なので、本当に大まかな基礎工事しか出来ない。
まぁ、あんまりオヤジが全部やってしまうと他の魔族の出番が無くなる。これでいいんだろう。
そんなコトを考えていたら、近くで怒鳴り声が聞こえてきた。
ふと見れば小屋の影で数人の魔族が睨み合っている。直立歩行する豚、オーク族の三人組だ。それと緑の小人、ゴブリン族二人だな。何かゴブリン族が突きつける紙を挟んで言い争ってる。
「そ、そんなハズないんだな!?そんなの、聞いていないんだな!」
「おお、オラ達がバカだと思って、騙そうとしてるンだな!」
そのセリフにゴブリン二人組は、はーやれやれ……という感じで肩をすくめる。
キンキンと甲高い声で、バカにした口調で、ゆっくりと紙を指し示し説明してる。
「だーかーら、字をよく読みなって。こんな簡単な字くらい読めるだろ?
ちゃんと期日は明後日までと書いてるじゃねーか。というか、ちゃんと貸すときに来月までって言ったじゃねーか」
「お、おまえ、そんなの言ってないんだな!いつでもいーよって、言ったんだな!」
「あのな、期日内ならいつでも良い、て意味に決まってるじゃねーか。第一、借用書にサインしといて、その借用書を読まなかったってのか?」
「お、お前がさんざん飲ますからだぞ!酔ってて、わかんなかったぞ!」
あーあー良くある話だな。
まったく、酒は禁止できねーけど、こういうトラブルの種になるから困る。
領主としても、工事の依頼主としても、ケンカ沙汰は見過ごせねーし。
しゃーね、止めるか。
「おい、ケンカは止めな」
「なんだい?こっちは商売の……あ!こ、これはトゥーン様、ご機嫌麗しゅう」
「うわ、王子様だ」「頭がたけーだ」「ははー、平にぃー平にぃー」
「えっへぇん!こちらにおわすはぁ、魔王第十二子、トゥーン=インターラーケン様なるぞぉー、控えおろぅ~」
振り向いたゴブリン達が俺に気付き頭を下げる。オーク達も慌てて地面に膝を付いた。
で、リアは時代がかったセリフでさらに全員を平伏させる。俺はそーゆーの、いらねっての。
すぐに全員立たせて、ゴブリンの手から書面をヒョイと取り上げる。……なるほど、確かに期日は明後日だ。名前は、下手くそな字で幾つか書いてある。
金額は、俺にとってはセコイが、こいつらには大した金額だろう。
「オーバン、ボドワン、ゴーチェ……こりゃお前らの字か?あと、ちゃんと写しを持ってるか?」
オーク達は顔を見合わせ、渋々っつー感じで頷きあう。そしてオークの一人がポケットから写しの書面を取り出す……見比べるが、内容に違いはない。
やれやれ、本当に良くある話だ。金は要るから貸して欲しい、けど返したくない。なんて上手い話はねーっての。ンなのあったら、俺が真っ先に借りるって。
リアがヤーレヤレと手を振る。
「借用書も写しもあったらぁ、終わりねぇ」
「ならしょーがない、ちゃんと返せよ」
「いえ、少しお待ち下さい」
いきなり後ろからクレメンの声がした。どうやら飛空挺に置いてかれたのに気が付いて慌てて追いかけてきたな、汗を垂らして息を弾ませてる。日除けを兼ねた黒のトンガリ帽子を被ってる。
書面の数字を目で追ってから、チラリとゴブリン達を見下ろした。
「この利息、ゴブリン達の利息制限法に照らすと、少し高いようですな」
その言葉に今度はゴブリン達が肩をすくめて視線をかわす。
そんな細かい法律まで覚えて一瞬で金利の計算もするとは、さすがエルフの学芸員。
「なら決まりだ。
オーク共、ちゃんと金は返せ。ただし、ゴブリンの法の範囲内で良い」
「へ、へーい」「わかただよ」「はぁ、今月の仕送り…母ちゃん怒っかなあ」
どうやら納得して立ち去るオーク達。ゴブリン達は俺に再び頭を下げる。
「かような些事に王子の手を煩わせ、面目の次第もございません」
「構わねえさ。ただ、あんまりセコイ商売してんじゃねーぞ。俺達魔王一族でも庇いきれなくなるぞ」
「肝に銘じます。
ところで、トゥーン様。ここで王子に出会うも何かの縁。少しよろしいでしょうか?」
「ん、何だ?」
「実は小耳に挟んだのですが……」
二人組が視線を交わす。その目は鋭い。オーク達に向けていたモノとは違う、明らかな悪意がこもってる。
頷きあった二人は、小声で声を低めて、それでも俺には耳障りなキンキン声で囁いた。
「トゥーン様の下に、人間の小娘が舞い込んだ……というのは真ですかな?」
「……耳が早いな」
パオラの件、もう広まってるのか。
しかも人間に故郷を奪われたゴブリンに……やっかいな話だな。後ろのリアとクレメンタインも少し身構えてるのが伝わってくる。
「その娘、いかがなさるおつもりで?」
「まだ、決まってないぜ」
「ならば……我らに引き渡しては頂けませんかな?」
やっぱ、そう来たか。
後ろのクレメンが、ウォッホンと特大の咳払い。
「差し出がましいぞ、ゴブリンよ。
かの者の扱いは高度に政治的判断を要する。分際をわきまえ、軽挙妄動を慎むのだ」
「お前にゃ聞いてないんだよ、エルフは引っ込んでろ」
「なんですと?金貸し風情が政に口を挟むでない!」
「はっ!
魔王様の威を借りる腰巾着が偉そうに。
理屈倒れのキノコ共に教えてやる、金勘定こそが真の政治ってヤツだ」
「下賤な!金で理想は語れぬ!」
あーあー、またも良くある話だぜ。
魔王たるオヤジがダルリアダに現れて以来、そりゃー魔族同士の小競り合いは確かに激減した。が、いがみ合ってるのは変わらない。俺達魔王一族が間に入らなきゃ、あっと言う間に殺し合いだぜ。
間に入るか……と思ったら、リアが先に割り込んだ。
「もぅっ!いい加減にしてよねぇ。トゥーン様の前で、恥ずかしくないのぉ?」
プンプン怒るリアに言われ、俺をチラリと見た連中は渋々口を閉じた。
柄じゃねーけど、オホンと小さく咳払いして慣れない説教をすることにする。
「クレメン、魔界を平和にとか言ってるエルフがケンカしてどうするよ。落ち着きな」
黒のトンガリ帽子が礼に合わせて前に傾く。
「あと、おめーら。パオラを引き渡して、どうするよ?」
「無論っ!我らゴブリン全氏族が集いし贖罪日の祭りにて、故郷を追われ流浪の民へと堕とされた艱難辛苦を僅かでも癒すべく、その血を、心臓を!我らが神に、同胞達に捧げまする!」
「そうですとも!
かつては共にアベニン半島で商売に勤しんだ我らを裏切り、追い立て、追放した人間共への怒り……。我らも我らの親も子も、子々孫々未来永劫、忘れはしませんぞ!」
「かの人間共に受けた恐怖、哀惜、恥辱……ただ殺すだけでは飽き足りません!
八つ裂きにしたとて……したとて……我らは故郷には……帰れ、ません……」
分かっちゃいた、分かっちゃいたが、それでも溜め息が出る。
パオラが悪いわけじゃない。けど、人間の仕業だ。そして人間はゴブリンを追い払った土地で、こいつらの富で幸せ満喫してるわけだ。だからパオラが幸せに暮らせていたのはゴブリンを追い払ったおかげと、こいつらを苦しめたおかげとも言える。
分かっちゃ、いるけど、な……。
リアもクレメンタインも、悔し涙を流すゴブリン達に何も言えない。
俺は、言わなきゃな。
「悪いが、あいつの使い道は、まだ決まってねーんだ。
それにオヤジなら、憎しみだけに捕らわれちゃいけねえって、きっと言うぜ。だからオヤジはオグルと一緒に、新しい故郷を作ったんだろうが」
「そ、それは、そうですが……ブルークゼーレは、我らの第二の故郷です。ですが……」
「ですが!我らの血肉に、魂に刻まれし苦痛、とても忘れられるものではありません!」
その後も、故郷を失った後のゴブリン達の苦労話を延々と聞かされた。
どこへ行っても強突張りの高利貸しと嫌われ、他の魔族やモンスターに襲われ、流行り病を運んできたと処刑されることもあった。他に頼るモノもないからと、血の滲む想いで金を稼ぎ、あてもなく放浪する苦難の旅……。
帰りの飛空挺内。
ゆっくりと寒い空の中を進む船内、『炎』の術式を組まれた宝玉が発する熱で空気は暖められている。工事現場の熱気も凄かったし、順調な工事には興奮した。
でも、空気は暗い。重い。
延々と自分達の苦労を語り続けたゴブリン達は、どうにか気が晴れたらしくパオラの件は引き下がった。ただ、「ゴブリンとしては、人間の小娘を引き渡して下されば、融資に色を付けれますでしょう」という言葉は残していった。
「パオラちゃん、どうしようかなぁ……」
「あの娘には罪は無いですが……ゴブリン達の望郷の想い、無視しうるものではありますまい」
「望郷、かぁ……。
ねえ、トゥーン様」
「……ぁん?」
夕日で赤く染まる山々を右の窓から眺める二人。
俺は左の窓から外を眺めてる。
「トゥーン様は、帰りたいって思うことぉ、ありますぅ?」
「……ねぇよ。クレメンタインはどうだ?」
聞かれたクレメンは遠い目をする。
その目は北を、遙かダルリアダを想い出しているんだろうか。
「故郷には、母がいます。結婚しろ見合いをしろと口うるさい母ですが、女手一つで私を育ててくれた、大事な母です。
友も、見慣れた山野も、たまに夢に出ます」
「そう、か……」
「トゥーン殿は、望郷の念を抱いたりはしませぬか?」
「いや……仲悪いし、用があれば『無限の扉』で済むし、な。
ゴブリンやパオラの気持ち、正直……よく分かんねえ」
ぼんやり眺める先には万年雪を頂く山々、インターラーケン。あそこにパオラはいる、俺の帰りを待ってるだろう。
どうすればいいのか、まだ答えは出ない。
「パオラちゃん、一人でいるときってぇ、よくボンヤリしてるわぁ……」
「故郷に帰りたいのはゴブリンもパオラも同じですぞ。
ですが、上に立つ者として、軽々しく私情を挟むことは許されませぬ。お分かりですかな?トゥーン殿」
クレメンの話は右から左に聞き流す。よく聞いていたとしても、何か答えと言えることは思い浮かばないだろう。
クレメンは構わず話し続ける。
「あの娘に想いを寄せてはなりませぬ。いずれ別れねばならぬのです。そもそも、単なる同情に過ぎませぬ。
あまり思い入れますと、その時が辛くなりますぞ」
「……誰が、想いなんか寄せてねーよ」
「なら、よいのです」
「そうよぉ、それならいいのぉ」
飛空挺は魔力を受けて進み続ける。
少しずつ大きくなる、近くなるインターラーケン。
飛空挺は真っ直ぐ進むが、俺の心の中はグニャグニャと曲がりくねってる。
どうすりゃいいんだ。
城の前の平地に着陸した飛空挺は、工事現場へ帰っていった。
俺はさっさと飯を食ってベッドに入り込む。
静かな夜。
だがベッドに横になる俺の頭はやかましい、相変わらず考えがグニャグニャとまとまらない。あれこれと考えやら妄想やらが駆けめぐってしまう。
「あーうぜー……。ちょっと散歩して気分変えるか」
ベッドから抜け出して上着を羽織り、窓から月に照らされた庭を見下ろす。
そんなに広くはない庭園の向こうには城壁、その向こうにはインターラーケンでは滅多にない平地が見下ろせる。
虫の音、そよ風に揺れる木の葉、動き回る者もない庭。
いや……何かいる。
庭の真ん中、泉のほとりに人影らしきモノが見える。
「……パオラ?」
よく見えないが、影の大きさから言ってパオラだ。どうやら泉のそばでうずくまっているらしい。
窓枠に足をかけ、音を出さないように注意しながら壁の出っ張りに手足をかけてスルスル降りる。そして抜き足差し足で泉に近づく。
何か聞こえる。
すすり泣く声だ。
泉のほとりでうずくまるパオラは、昼間の姿からは想像付かないほど弱々しく儚げだった。その鳴き声の合間、呟き声が聞こえる。
「……うぅ……父ちゃん、母ちゃん……あうぅ、神父さまぁ……ぐす……」
俺は、どうすればいいのか分からなかった。
パオラにだって家族はいる。そりゃ会いたいだろう。
けど、出来ない。助けられない。
魔族の情報を持ち帰らせるわけにはいかない。いやそれ以前に、あの山を越えて帰してやるには、恐るべき手間とリスクと金が要る。山を迂回するなら兄姉や他の魔族の協力が要る。
この地に来たばかりの俺には、その金も暇もない。兄弟はともかく、そんなことに他の魔族が手を貸すはずもない。ゴブリンなら誘拐と暗殺に来る。
そうと分かってはいた。分かってるんだ。
でも、だったら、なんで俺は木陰からコッソリ覗いてるんだ?
どうして立ち去れないんだ?
俺は、パオラを、どうすればいいんだ?
静かな夜。
パオラのすすり泣く声は、虫の音よりも小さかった。