第二話 パオラ
「ふ……ん。修道女、ねぇ」
修道女、つか修道士。聞いたことがある。
人間の中には、奴らが崇める神を信仰することに全てをかける連中がいるらしい。
魔族にもそれぞれの神がいて、司祭がいる。
まだアベニン半島から魔族が追い出される前の情報だし、セイガンとやらが何かは知らないが、まぁ似たようなものだろう。
「俺は、トゥーン。
トゥーン=インターラーケンだ」
簡潔に名乗る。
が、パオラとかいう娘は聞いちゃいない。
しきりに自分の首元を触って、慌て出す。
「あんれ?あんれあんれっ!?
無いだ、オラのアンクが無いだ!」
さらにベッドや周囲も探し出す。起きあがってベッドの下を覗き込む。
リアとは違った方向で五月蠅そうなヤツだ。
慌てふためいた娘は俺に詰め寄ってきた。
「あ、あの!わだすのアンク知らねーだか!?
大事なモンなんだす。あれがなくっちゃ、毎朝のお祈りもできねーだよ!」
「……お前の荷物は、お前を助けて治療したときに、全部回収してある。
まだ山に残ってるモノもあるかもしれねーが、捜索させてる最中だ」
「ほ、ほんとだすか!?
あー、よかっただよ。修道女のクセにアンク無くしただなんて、神様に顔向けできねーだ」
アンクが何かは知らないが、どうやら祈りのための祭器らしいとは予想がついた。
一安心したところで、改めて俺に向き直って深々と礼をする。
「どこの騎士様かはしらねーだども、ほんに助けて下さってありがとうごぜましただ。
あの崖から落ちたときゃあ、絶対死んだと思いましただよ」
「礼には及ばねえ。領主としての責務だ」
「領主……?」
「ああ。俺はこのインターラーケンの領主。
トゥーン=インターラーケンだ」
パチクリと、大きな青い眼が何度も瞬きする。
アゴが外れるんじゃないかというくらい大きく口を開ける。
そして、慌てて床に膝をついて平服し出した。
「そ、それは!とんだご無礼を致しましただ!
まさか領主様が、こんなお若い方だったとは。
しかも領主様御自らが、わだすなんぞの看病をして下さってたなんぞ、夢にも思わなかったですだ!」
「あー、気にすんな。
ド田舎だからな。しかも領地をもらったばっかで、まともな兵士もいやしない。
だからしょうがなく、俺が自分で見張り番をしてたわけだ」
そういって恐縮してるパオラを立たせる。
恐縮はしているが、怖がる様子はない。魔界で魔族を目の前にして。
そうか……こいつ、俺を人間と勘違いしたな?遭難したとき魔界側へ落ちたことに気付いてないわけだ。
俺は勇者以外の普通の人間を実際に見たのは初めてだが、俺ソックリの姿だとは学んだ。外見上の違いは魔王一族の証、四肢の魔力ラインだけだろう。足の魔力ラインは鎧で見えない。手は露出してるが、恐らく気付かれていない。
しめしめ、これは利用できる。
俺は窓際にオーク材の小さな猫足テーブルと椅子二つを持ってくる。
壁際の棚からカップを取りだし、ポットからお茶を注いで、テーブルに置いた。
「ま、飲みな」
まずは落ち着いつかそうかとお茶を入れてみた。
だが、娘はますます恐縮して後ずさる。
「そ、そんな!
オラみてーな田舎モノの修道女なんぞに、領主様がお茶を入れて下さるなんぞ、信じられねーだよ!
もったいねーこってすっ!」
「構うな。
今は人手がいねーんだ。こんなのも自分でやらなきゃならねえ」
ひとしきりペコペコ礼をしたパオラは、ようやく椅子に座ってお茶をすすった。
俺も反対側の椅子に座る。
「それで、お前は何故に遭難していたんだ?どうして山へ登っていた」
「はぁ、お恥ずかしいんだすが、実は……」
パオラの話は、要約すると以下の通り。
山の麓のオルタ村生まれ。
子供の頃に教会に預けられ、最近は修道会に入り、マテル・エクレジェ女子修道院で修行していた。
以前から、村からかなり下にある街に騎士や僧侶や職人の一団がやってきて、何かの工事を始めていた。
で、その中から騎士の一団が村にやってきて、山を登りたいので案内できるヤツはいないかと尋ねた。
村からは山に詳しい羊飼い数人が名乗り出た。同時に、一行の道中の安全を祈るために自分が同行した。
「なんで、おめーが?どうみても山登り向きにはみえねーが」
「いんや。わだすの家は羊飼いで、こうみえてもわだすは山に慣れてるでよ。自慢じゃねーけど、足腰はつえーだ。
でんもぉ、さすがにおっとろしい山だったで。あのツェルマット山は……」
夏ということもあり、一行はどうにか山頂近くまではこれた。
だが、それ以上を登るのは危険と羊飼い達は止める。
しかし騎士の一人が話を聞かずに山越えへ向かってしまった。
その騎士が戻ってくるまで薄い空気の中で待機していた一行。
だが、ふと見上げれば、誰も登ったことのない山脈の最高峰がある……。
「……登りたくなった、てか?」
「んだす。
騎士様達は、一番高いトコに皇国の旗を立てるんだて。
ここが神聖なる神の領域で、人間のために分け与えられた地だと示すっつーてましただ。
あと、山向こうの魔族の地を調べたいと。
わだすも修行がてら、山頂にアンクの一つも立てようかと」
「で、嵐に巻かれて失敗した」
「んだす」
恥ずかしそうに肩をすぼめる。
俺としては、勝手に領有権主張してんじゃねーっ!……と言いたい所だが、我慢。
今はコイツにしゃべれるだけしゃべらすのが先だ。
今まで全く交渉が出来なかった人間が、自分からベラベラしゃべるなんて、なかなかあるもんじゃない。
「で、風に旗が飛ばされてもぅて。
皆が止めるのも聞かず、慌ててわだすが拾いにいったんだす。
けんど、嵐が酷うなってしもうて、戻るに戻れず、道にも迷い。
どこか雨風を避けれるとこはねーだか、と山をさまよってただよ。
そしたらなんか、崖の下に、光をみつけたで。
こら神のお導きかと崖を下りていたら、いきなり足を踏み外しましたで」
「で、倒れたところを俺の部下が発見した」
「ですだなや。
いんやー!神様が守って下さっただなやぁ。
おまけに、こげな若くて美しい領主様と出会えるだなんて、ほーんに神様のお導きですだ!」
「そうかも、な……」
俺は当たり障りのない返答をしながら、慎重にパオラを観察する。
ニコニコ嬉しそうに茶をすすってる。ウソを言ってる様子はない。
服は俺の寝間着、黒の長袖シャツとズボン。ちょっと裾が余ってる。
若くて美しい、か。見る目のあるヤツだな、ウンウン。
だが、敵である魔族の、しかも王子だと知ったら……どうかな?
「ほんで、領主様」
「トゥーン=インターラーケンだ」
「へぇ、その領地の名前がインターラーケンと申されましただか?」
「ああ」
「はて?
ンだども、この近くにンな名前の土地があっただなや?」
「ああ、あるぜ。ここは田舎過ぎて知ってるヤツも少ねえがな」
「あ、いえ、これは失礼いたしましただ。
オラの方が田舎育つ過ぎて、世間を知らなさすぎなんで」
「構わんさ」
俺もカップを持ち上げて茶をすする。
すると、娘が変な顔をした。
俺の手をジッと見つめている。
つられて俺も見る。青黒いラインが走る、鋭い爪が生えた指だ。
「領主様、なんだか、妙な手袋を着けておいでで?」
「着けてねーよ」
「だども、なんだか、その手に、爪が……入れ墨ですだか?」
「ああ、これか?」
カップを置いて手をパオラの顔の前に出す。
青い眼が、俺の手指をジッと見つめる。
青黒いラインが輝き、波打つ。
「ひぃっ!?」
「驚いたか」
俺の魔力のラインが蠢く。その動きにあわせてパオラの眼も動く。眉間にシワが寄っていく。
恐る恐るという感じで、小さな口が開いた。
「こらまた、奇っ怪な……あ、いや、失礼な事を申しましただ」
「人間には無いからな。珍しいだろ」
「へ?人間には、無い……だか?」
「ああ。
これは、魔王一族の証、だからな」
もったいぶって言ってやった。
ふっふっふ、とうとう言ってやったぞ。
恐れおののけ。
聞くことは聞いた。あとは、魔王一族の恐ろしさを……あれ?
なんだかキョトンとしてるぞ。
じぃ~っと俺の手を見て、次に俺の顔を見て、両方を見比べて……。
「……ぷふっ」
ふ、吹き出しやがった。
しかもケラケラ笑いやがる。
軽く睨み付けたら、ようやく馬鹿笑いを止めた。
「あはははっ!あはは……。
りょ、領主様……冗談が過ぎるだ。オラが田舎モノだからって、バカにしたらいけねーだ」
「なんで、バカにしてると思うんだよ」
「だ、だって、魔族っつーのは、こう……」
パオラは額に両の人差し指を付けて考え込む。
「えーっと、だなや……。
豚が二本足で歩いてるヤツとか。
頭に角を生やした、岩みたいな巨人とか。
飛竜を操る大トカゲとか。
毛むくじゃらの獣人とか。
んで、そんなバケモノを率いるのはオオカミ頭のヤツだべ」
「ああ、なるほどな。
ベウル兄貴のヴォーバン要塞や、トリグラヴ山にいるラーグン兄貴のドラゴンか」
「へ?ぼーばん……兄貴、だか?」
「ああ。
どうやらお前は知らないらしいが、魔族には人間ソックリの姿のヤツも珍しくねえんだぞ」
「は、はいな?人間、ソックリ?
そら、人間をたらし込むため……人間に、化けた…だけ、だなや」
「俺が、化けたように見えるか?」
「い、いんや……。
でも、魔族は悪魔そのもので、触れるだけで穢れて、人間を喰らうバケモノで……」
もう一度、パオラは俺の手を見る。
ウネウネと動く魔力ラインを凝視してる。
だんだん顔が青ざめ、脂汗を流し出す。
「じょう、だん……だな、や?」
「マジだ」
「ちょっとぉ、あんたぁ!」
いきなり窓から声がした。
俺達が振り向けば、窓枠にリアが立っていた。どうやら無事に回復したか。
蝶の羽を広げ、腰に手を当て目をつり上げてる。
「人間のクセにぃ、何でトゥーン様とおしゃべりしてんのよぉ!
捕虜なんだからぁ分際をわきまえなさぁい!」
ビシッとパオラを指さす。
刺された方は顔が引きつってる。
唇が震え、腰が椅子から浮く。
「き……」
押し殺した声が漏れる。
ようやく状況を理解したか。
さぁ、ようやく恐れおののけ……?
「きゃあーっ!めんこいーっ!」
叫ぶやいきなりリアを抱きしめた。
今度はリアの顔が引きつる。逃げようともがく。
俺は呆気にとられる。
「ちっちゃいべー!綺麗な羽だべー!妖精だべーっ!」
「ぎゃあーっ!何よアンタぁ!離しなさいよぉっ!」
「どうなされた!?トゥーン殿、何事か!?」
「トゥーン様、どうされたじゃ!?」
クレメンタインやベルン、他の妖精達も、カルヴァまで部屋に飛び込んでくる。
そんな中、周囲に気付かないパオラは、もがいて嫌がるリアを抱きしめ続けていた。




