第六部 第一話 遭難者
爽やかな朝日に照らされ、万年雪の山頂を金色に輝かす山々。
その中程から平地へと突きだした、高い崖。昨夜の雨が細い滝となって落ちてくる。
落下する滝は途中で風に吹かれ、細かな水滴となり、やがて霧となる。
それはインターラーケン山脈を飾る虹へと生まれ変わった。
だから滝の下には滝壺がなく、川もない。
あるのは夏草が生い茂る草原。
そして、その中に倒れている、一人の人間。
茶色い防寒服に身を包んだ人間が、崖下の草むらに倒れていた。
遙か離れた場所から遠巻きに様子を窺うのは、クレメンタイン。
先ほどから双眼鏡を覗き込んだり、周囲の様子を調べたりしている。
背後からは、カルヴァにまたがった完全武装のトゥーンとベルンがやってきた。
「他には何もいねえぞ。ヤツは、間違いなく一人だ」
「恐らくは、勇者と共に登山していた斥候隊の一人でしょうな。
昨夜の嵐で本隊とはぐれ、遭難したのじゃろう」
それだけ言うと、ベルンはそそくさと後ろへ下がっていく。
「そ、それでは後はお願いしますじゃ」
「おう。他の連中の避難も急がせろ。連絡あるまで、絶対に近寄ンじゃねーぞ」
「承知しましたじゃ」
ベルンは文字通りに飛び去っていく。
あとに残るのは、魔界の王子とエルフの学芸員。
トゥーンはカルヴァから飛び降り、身を伏せて恐る恐る双眼鏡を覗き込んでる女へ耳打ちする。
「クレメン、どう見るよ?」
「ヤツは動きがありません。
恐らくは本当に遭難したのでしょう。翼なき者があの崖から落ちたなら、助かりますまい」
「罠、てことは?」
「それも低いですな。
ブービートラップを仕掛けるには、他の仲間がここまで下山せねばなりません。そしてまた登山。
勇者でもあるまいし、そこまでの危険を冒すとは考えられませぬ」
「ふん…」
弓を構え、右目で人間の少し右を狙う。
カシュッ!
放たれた矢は狙い通り、人間の僅か右を飛び、地面に突き立った。
それでも倒れた人間は動かない。
「どーやら、本当に死んでるらしいな」
「ですな。ですが、ご自分で確認に行かれるのはお勧めできませんぞ」
「ケッ、なら……」
行動を読まれて不機嫌になったトゥーンは、カルヴァへ手を振る。その指示に従い、白い大犬は人間へと駆けだした。
倒れる人物にゆっくりと近づき、しきりに臭いを嗅ぐ。
そして、激しく吠えたて始めた。
「お!なんかあったらしいな」
「あ、お待ちを!」
部下が止めるのも聞かず、主は弓を手にしたまま飛び出した。
慌ててクレメンタインも起きあがって走り出す。
その人間はうつぶせに倒れて動かない。
暖かそうなフカフカの茶毛が襟や袖からのぞく、毛皮の防寒服。転落したときに破れたらしく、あちこち裂けて土がついている。
内側が毛に覆われたフードがめくれ、長い銀髪が地面に広がっている。
分厚い手袋に包まれた右手には、なにやら大きな布が握りしめられている。
出血は見えない。
まるで眠っているかのように倒れたままだ。
大きな犬の鼻ツラがツンツンつつき、荒い鼻息が吹き付ける。
朝露が濡らす銀髪は、生暖かい獣の息で揺れる。
それとは別に、毛皮の防寒服も揺れていた。正しくは一定周期で上下している。
「生きてる……こいつ、生きてるぞ!」
「なんですとっ!?」
魔界の王子とエルフの学芸員が覗き込むその顔は、青ざめてるが確かに生気を保っていた。
長い銀髪の下からのぞくのは、ソバカスのある頬、蕾のような唇、長いまつげ、柔らかな輪郭……。
「これは…女ですぞ。それも、かなり若いですな」
「つか、子供じゃねーか?なんでこんなとこで……」
そんな疑問に答えることなく、人間の少女は眠り続けていた。
やれやれだ。
小さくても城は城、牢になるような部屋もある。
だが牢だけあって寒い、寒すぎる。崖から転落して負傷した人間を入れるには問題がある。傷は『治癒』をかけて治したといえ、体力は確実に失われたままだ。
んじゃ妖精達の部屋をと思ったら、妖精達の体に合わせて作られたベッドは小さすぎた。
だったらしょうがない、客間を……と思ったら、これもダメだった。
妖精達ときたら客間を全然準備していなかった。ベッドにマットも何もありゃしない。
リアめ、手抜きしやがって……ううむ、命の恩人だし、文句は言うまい。
「だからといって、トゥーン殿の私室を使うというのは、ですなぁ」
「おまけにトゥーン様自身が見張りに立つなど、いくら武装したままでも、危のうございますじゃ」
クレメンタインとベルンが後ろでオロオロしてる。
まぁ気持ちは分かる。
勇者の一件があったばかりだってのに、人間を魔王の城に入れるなんて。しかも王子のベッドに寝かせるなんて、危なすぎるし厚遇しすぎだ、と思うだろう。
「つってもよ、他に部屋がねーだろ。
それに、魔界の王子ともあろうものが、武器もない人間の小娘にビビるわけにゃいかねえ」
「いえ、最大限の注意を払うという意味ですじゃ」
「クレメンタイン、チェックの結果、危険はないんだろ?」
「は、はい。ボディチェックは入念に行いました。
所持品も服一枚にいたるまで、全て回収しましたし」
こいつには『魔法探知』をかけた。
結果、危険レベルの魔法反応はない、というか魔力がほとんどない。
腕は細くて実戦にはほど遠い。
手に武器を握りしめて出来たようなタコの類もない。
武器も全く持っていなかった。
結論、コイツは非戦闘員。少なくとも勇者のようなバケモノではなく、本当にただの小娘だ。
「それに、インターラーケンで戦えるのは、俺とクレメンの二人だけじゃねーか。
だったら、交代で見張りに立つしかねーだろ?」
「それは、確かにそうですが……」
「つか、こいつにゃ聞きたいことが山ほどある。
まずは丁重に扱ってから、コイツの出方次第だ。
勇者と同じく話を聞かないヤツなら……斬り捨てる」
渋々という感じでクレメンが頷く。
で、当の人間はといえば、俺のベッドでグーグー寝てる。
服は妖精達に俺の寝間着を着せ替えさせた。
気に入らねーが、この人間が着れるサイズの服は、俺のしかなかった。妖精達のは小さすぎ、クレメンやファルコン郵便の鳥人達のは大きすぎ。
け…決して、俺がチビだという意味じゃねえ!
「んで、コイツの容態はどうなんだ?」
質問に答えるのは、人間の脈や呼吸を確認しているクレメンタイン。
まぶたをめくって眼球も確認してる。
「私と妖精共の『治癒』で、ほぼ完治しています。
骨折とかが無いのは奇跡的ですな。
恐らく、崖の上から落ちたわけではなかったのでしょう。また、分厚い防寒着と夏草がクッションになったのですな。
今は、ただ眠っているだけですぞ」
「そうか……。んじゃ、ここは俺だけでいい。クレメン、今はお前は休め。
侍従達はコイツの持ち物を調べろ
ベルンは妖精を連れて遺留品や他の人間の探索を続行。
手空きの連中は、今は休憩。あとで随時交代だ」
指示に従って全員が部屋を出て行く。
まったく、インターラーケンは人手不足だ。
ファルコン宅配便の鳥人達はハルピュイの部下。宅配や各地への伝令の仕事もある。勝手には使えない。
そもそも敵が来るなんて予想もしないド田舎。おかげで兵士がいない。
「はぁ……だからって、魔界の王子ともあろうものが、完全武装で人間の小娘一人を見張り番かよ。
つか、まさか勇者みたいな化け物でもないだろうし、兜くらい外していーだろ」
独り言を言いつつ、兜を脱いで椅子に置く。
人間の方は相変わらずだ。気持ちよさそうに寝てやがる。
その姿は、確かに妖精から羽をとって二倍にしたような感じ。
痩せていて、肌は白く、髪は長い銀色で、年の頃は恐らく10代半ばか。頬にはソバカスがある。
魔法を使えるかもしれない。が、俺の動きより速く、俺を倒せるような大魔法を使うなんて、まず無理だ。
危険性がないことは間違いない。
「あとは目覚めるのを待つだけ。
はぁ……アホらし」
窓から外を見れば、もうお昼。
山からのそよ風に吹かれた白いカーテンが、サラサラと衣擦れの音を立てる。
ベッド横の机を見れば、紅茶が入っていた。侍従の誰かが入れたままで忘れてた。
少し休むか…と窓際に腰掛け、お茶をすする。
「あんま美味くねえなぁ、おいリア……」
リアを呼ぶ。
だが、誰も答えない。
当然だ。リアは下の部屋で休んでる。他の連中も捜索や調査に向かわせた。
あんな五月蠅いのでも、いないと寂しいのか……いや、普段が五月蠅いから、急にいなくなると静かすぎる。
命懸けで俺を守ってくれたリア。
最初に、なんて声をかければいいだろう。
や、やっぱ「ありがとう」か?
それとも爽やかに「お早う」か?
な、なんでこんなこと考えてンだよなんだか恥ずかしいじゃねーかでも命の恩人だし礼を言わないわけには…。
あー気が散る、少し気分を変えるか。
ふぅ、と溜め息一つ。そして外を見る。
相変わらず、万年雪でてっぺんを白くした山脈が見える。
傾斜を下ると草地になり、まばらに木が生え、この平地では湿地帯や森になる。城門前からの傾斜から盆地の底までが、インターラーケンの数少ない平野だ。
こんな道もない場所に城を建ててもなぁ、と最初は思ったが。インターラーケン中央に位置して城を建てれる平地はここだけだった。
穏やかで平和なだけが取り柄かと思ってたのに、あてが外れたぜ。
「はぁんれえ?ここはどこだっぺや?」
黄昏れてた俺を現実に引き戻したのは、鈴のように良く通る声で語られた、妙ちきりんな訛り言葉。
ベッドを見てみれば、例の人間の小娘が体を起こしていた。
ちっ、気付かなかった。油断したな。
「あんでまぁ!なんつーか、お城みたいな所だっぺや。
なーんであたす、こんな所にいるんだべ?」
別に気付かなくても大丈夫だったようだ。
小娘は状況が飲み込めてない。キョロキョロと部屋を見回してる。
警戒心とか殺気とかは全くない。
窓枠に腰掛けてお茶を飲む俺に目がとまった。
透き通るような、青い眼がパチクリしてる。
「目が覚めたか?」
小娘はキョトンとして、次に慌ててコクコクと頭を上下させる。
「へぇ、目が覚めますただ。
えと、んで、ここはどこだっぺ?オメー様は、どなた様だでや?」
「人に名を聞く前に、先ず自分が名乗るべきだろう」
「へ?あ、はぁ、これは失礼致しましただ」
ペコリと頭を下げてから、遭難し倒れてた所を助けられたとは思えぬ元気さで名乗ってきた。
「わだすは、オルタ村のマテル・エクレジェ修道院で修道女をしとります、パオラつーもんですだよ。
あ、修道女つっても、まだ誓願したばっかのペーペーじゃね」
そういって娘は顔を上げ、恥ずかしそうにペロッと舌を出した。
ども、デブ猫です
無事に遠出から帰ってきました。
なんとか一カ月以内で続きを投稿することもできました。
のんびりとですが、続きも投稿していくつもりです。
よろしければ気長なお付き合いをお願いします