第二話 嵐の後に
巨大な宮殿の中は、窓から差し込む夕日で赤く染まっている。
窓の向こうは広大な森、大きな池が見下ろせる。そして森の各所に尖塔を持つ建造物や、それらをつなぐ森の中の道。
窓から見える風景は、全てが宮殿の庭園だった。
魔王と王女は廊下を進む。
カベに付けられたコンソールに置かれたツボ、廊下の隅に置かれた人魚の彫刻、各所に掲げられた絵画。それぞれが宝と呼ばれるに相応しい逸品であること、誰でも一目で分かるほどの芸術品だ。
そして天井は延々と絵画で埋め尽くされている。そこから下がるシャンデリアは、一つ一つが宝石のように輝いている。
蝶の羽を持つ妖精達が飛び回ったり、あちこちで掃除をしている。主たる魔王に気付くと、一様に頭を深く下げる。
廊下に並ぶ重々しい木製のドアの向こう側、各部屋からはガヤガヤと話し声が聞こえる。
そのうち一つを大理石の床を進む魔王とミュウが中をのぞく。そこは上等な赤い絨毯が敷かれた正方形の部屋で、部屋の隅には浴槽のようなものが据えられている。
そこでは、様々な上位魔族が大小の椅子に座り雑談をしている最中だった。
一番大きな椅子に座る、頭に二本の角を生やした巨人。
犬の頭を持った者。
背中が曲がり、皮膚は緑色で小さなコブだらけの小人。
背の高い痩身のエルフ。
顔の下半分を白いヒゲに覆われた、筋肉ダルマのような小男。
その他、様々な魔族が茶を飲みながら言葉を交わしている。
部屋の奥にいた黒ネコ頭に黒スーツの男が、魔王が部屋を覗くと同時に礼をした。
「これはこれは魔王様、ご子息の方々は壮健でしたかニャ?」
その言葉と同時に室内の魔族も魔王に気付き、椅子から立ち上がって礼をした。
直立歩行するトカゲのような魔物が、真っ赤な舌をチロチロ出し入れしながら話しだす。
「我ら各魔族代表との定例会議を中断してまでのこと。
ならば、ただの家族会議でもありますまい。
一体、何事でしたかな?」
「うん、実はインターラーケンで、ちょっと大変な事があってね」
「ほほう、トゥーン殿が領主になったばかりの地ですな。一体、何事ですかな?」
魔王は手短に、要点を代表達に伝えた。その話に魔族の要人達も顔色を変える。
バシャッ!
部屋の隅の浴槽から水がはね、長く美しい金髪の女が上半身を乗り出した。
同時に浴槽の反対側から、鱗に覆われた大きな尾びれも飛び出す。
女は琴線をくすぐるような、心地よい高音の声を響かせる。
「あらあら。すると人間達は、あの山脈を通れる道を発見したかしら?
見つけられなかったら、今度はあたし達の住む海に出てくるかも」
その言葉には緑色の小人が耳障りなキンキン声で同意した。
「あり得るねぇ。
インターラーケン山脈は越えれない。西の端にあるベウル様のヴォーバン要塞はおとせない。東はラーグン様率いるドラゴン族が空から睨んでる。
あとは、海からしか残ってないやなぁ」
「うふふ……。
海にはリトン様と、我ら魚人族がいること、しっかり教えてあげなきゃ」
各魔族代表は、それぞれに勇者出現の報を分析する。
だが、魔王は話を聞くばかりで、意見を述べようとはしない。
その様子に、巨人の男が首を傾げた。
「まおう、よ。
どうか、された、か?」
ゆっくりとした低い声に、青黒い塊は答えない。
「あの、お父様?」
後ろに控えるミュウの声に、塊の表面が慌てたように波打った。
「お父様、どうかされました?」
「あ、うん。大したコトじゃ、ないんだけどね……」
不気味に脈打つ青黒い塊、という外見とは裏腹に穏やかな、ちょっと元気がないような声が返ってくる。
「ついこの間まで、トゥーンもミュウと一緒に僕の側にいてくれたのに……と、思って」
しんみりとした言葉。
しおれた翼を背に持つ老婆が、杖をつきながら前に出る。
「子は、いずれ巣立つもの。悲しむより、子の成長と自立を喜びなされ」
「そうですよ、お父様。それに……」
青黒い塊に、ミュウがそっと手を寄せる。
「私は、いつまでもお父様の側にいますよ」
これに魔族の代表達は、おやおや孝行娘ですな、でもミュウ様もいずれは嫁として……、縁談くらいいくらでも持ってきてあげますニャ、ネコ族などにはもったいない、といった言葉を返す。
だが、娘の言葉を受けた当の本人は何も答えない。
青黒い塊は、青黒い塊のまま動かない。
皆が一通りしゃべり終えた後、ようやくポツリと漏らした。
「今日は、この辺で」
そして皆の返答も聞かず、塊は部屋を飛び出した。その進行方向にある窓が、誰の手も触れられずに開け放たれる。
夕日に照らされた広大な庭園。広々とした空。
青黒い塊は宙へ飛び出した。
塊は、重力に引かれたりしなかった。
まるで花が開くように、青黒い塊だったものが解かれ、広がる。
大きく薄く展開した青黒いものが、大気を受けて膨らんでいく。
一瞬にして、青黒く巨大な翼が広がった。
まるで巨大なコウモリのような左右の翼、その中央部分からは後ろへ尾翼らしきものが伸びている。
翼の付け根部分には、やはり青黒いものがあった。
さっきまでの塊ではない、二本の腕と足を持つ、人型。
背に巨大な翼を生やしたような男が空を舞っていた。
その肉体部分は、相変わらず青黒いもので覆われている。ただし、今度は肉体のラインが浮き出るような、ぴったりとした服を着ているかのように見える。
顔の部分は、壮年の男。青黒い顎髭を切りそろえた、青黒い長髪と目の男。
引き締まった肉体から伸びる巨大な翼が、ゆっくりと羽ばたく。
魔王の体が一気に、夕日で赤く染まった大空へ飛翔する。
反対に、魔王のたった一回の羽ばたきだけで、付近の木々は台風でも受けたかのような突風にさらされた。
枝がこすれあい異音を鳴らす。葉っぱは飛び、鳥が逃げる。魔王が飛び出した窓にも空気の塊が叩きつけられ、ミュウのスカートも風に激しく揺れる。
「お、お父様っ!?」
突風の中、それでもミュウは窓にとりついて父の姿を追う。
だが、既に魔王の姿は空の彼方に小さく見えるだけだった。
羽ばたく翼が、赤く染まる雲の中へと消えていく。
「どうなされたのかしら、急に……」
不思議そうに首を傾げる娘の肩を、鳥人の老婆がポンと叩いた。
「嬉しかったのですよ、先ほどのミュウ様の言葉が」
「え……」
黒猫の男もフゥ……とため息を漏らし、肩をすくめる。
「今頃、きっと魔王様は雲の中で嬉し泣きですニャ。
我らの前で泣くのが恥ずかしかったんですニャ」
「そんな……」
ミュウと魔族代表達が空を見上げる。
魔王の涙に呼ばれたかどうかは分からないが、東からは分厚い雲がやってきていた。
その日の夜、インターラーケン。
魔王城へ向かっていた分厚い雨雲は、トゥーンが治める地では既に雷雨を起こしていた。
「やれやれ、これじゃ足跡も遺留品も流されちまうなぁ」
「ですのぉ」
城の一室で、トゥーンの呟きにベルンが答える。
執務室ではなく、侍従の妖精が寝泊まりする部屋。三段ベッドの一番下では、うつ伏せのリアが寝息を立てていた。
窓から外を眺めるトゥーンの後ろに、ベルンが控える。
ガラスを雨粒が叩き、一瞬の輝きの後に雷鳴が轟く。
「調査にあたっていた者達は、無事に全員戻りました。
嵐が収まり次第、再び山へ調査に向かわせますじゃ」
「ああ。だが、役に立つものは期待はできねえ。
人間が残っていないのだけ確認したら、適当に戻ってきて良いからな」
「承知ですじゃ」
末弟は部屋を出ようと扉へ向かう。その目がチラリと横へ、ベッドで休むリアへと向かう。
「リアでしたら、大丈夫ですわい。心配めさるな」
「心配なんかしてねーよ」
早足で彼は出て行った。
その足でホールへ行くと、薄暗い空間の一部を光が照らしている。階段の踊り場にある監視装置、その前に立つクレメンタイン。
彼女は再生される勇者とトゥーンの戦闘記録をジッと見つめていた。
「まだやってたのか」
主の呼びかけに、彼女は何も答えない。全神経を眼に集めたかのように、一心不乱に映像を睨んでいる。
彼が階段を上がり、すぐ隣に来ても気づかない。
ニヤリと小さく笑い、息を吸う。
そして、叫んだ。
「勇者だっ!」
絹を裂くような悲鳴が城中に響いた。
城を揺るがすような雷鳴と重なり、トゥーンの鼓膜も引き裂かんばかり。
「ひぃぃっ! ひぃ……?
トゥ、トゥーン殿……?」
腰を抜かしてへたり込んだエルフを見下ろしながら、主は腹を抱えて笑っていた。
「わ、悪ふざけが過ぎますぞ!」
「ヒャハハッ! ハハ、わ、ワリイ。つ、つい……」
いまだ笑い声を漏らしながらも、起きあがれないエルフに手を伸ばした。
彼女は顔を真っ赤にしつつ、彼の手を取って立ち上がる。
「ンでよ、なんか分かったか?」
「い、いえ!
やはり、キュリア・レジスでなくば詳細な解析は出来ませぬ」
「そーか。ま、お前もいい加減、休めよ」
「そ、そうですな。ところでトゥーン殿」
「ンだ?」
「今、時間がありますなら、今後の政策や開発計画につき、その、トゥーン殿の執務室にて、お話ししたく思いますが」
「あー、今日はさすがに疲れたな。またにしてくれ」
「そ、そうですか。では、今宵はこの辺で」
クレメンタインは誤魔化すように咳払い、一礼して階段を下りていった。
その様子に彼は少し「?」と首を傾げたが、深くは考えず自分の部屋へ足を向けた。
次の日の朝。
昨夜の雷雨がウソのように、爽やかな青空が広がる。
だが、まだ嵐は収まっていなかった。
本当の嵐が。
「に、に、人間が、またも人間が現れましただっ!」
朝一番で飛び込んできたベルン、前回より更にゼーハーとあえぎながら報告した。
これにて第五部終了です。
第六部は、私はしばらく遠出をしなければなりませんので、それ以後となります
一ヶ月は空けないつもりですが、遅れたときはご容赦を