第二十四部 第一話 セドルントンネル
オルタ、メルゴッツォ湖。
山の中腹にある湖の横には、多くの人々が騒然とする駐屯地があった。
トリニティ軍に編成されず、駐屯地に残っていた兵達がトンネル入り口へ銃と大砲を向けている。
さらには幾重ものバリケードが築かれ、分厚い盾が並んでいる。
入り口を包囲する兵達の後ろから、怒鳴り声が飛んでいた。
「繰り返す!
増援出陣まで、セドルントンネルへの警戒を継続せよ!
準備が整うまで、あらゆる不測の事態に対応するのだ!」
セドルントンネル、と呼ばれたのはトリニティ軍がインターラーケン侵攻に使用した長大なトンネル。
その入り口を取り囲む多数の兵達。
装備はトリニティ軍と比べると貧弱で、銃の数は少なく大方はボウガンと剣と槍。大砲も小型旧式。
数も数百人程度。
駐屯地内では、慌ただしく兵達が走り回る。
残っていた、あるいは新たに皇都から来た魔道車に、長大な貨物車両が連結される。
貨物車へは次々と物資が積み込まれる。
兵達が整列し、点呼を受ける。
駐屯地入り口では、街からの物資が荷馬車で次々と運び込まれている。
トリニティ軍との通信が途絶え、その二日後にトンネルから次々と飛び出してきた伝令の騎馬隊。
顔面を蒼白にした彼らが伝えたのは、魔族を圧倒するはずが逆に次々と撃破される皇国軍の窮地。
もともと逐次投入されるはずだった増援が来るまでの数日間、駐屯地残留の部隊だけで最大限の警戒がなされていた。
そして、再びオルタへ到着した軍用魔道車では、出撃準備が進んでいた。
「な……何か聞こえるだよ!」
トンネル入り口を囲む兵達から叫び声が上がった。
その言葉通り、トンネル奥の暗闇からは軍靴の響きが反響して届いてくる。
同時に多くの男達が大声で呼びかける声も。
「仲間かっ!?」
「まさか、出陣した連中が帰ってきたべか?」
「構えっ!」
一際良く響く声が、武器を構えよと命じる。
その命令に、反射的に各自の武器を構えてしまう。
だが入り口を包囲する兵達には動揺が広がっている。
そこかしこから囁き声が漏れてくる。
「おい……まさか、仲間……なのか?」
「わからん。だが、あれだけの新兵器をもった大軍が、こんなあっと言う間にやられて逃げ帰ってくるなんて……ありえないぜ」
「もすかすて、敵だべか!?」
「魔物共が人間に化けてるって線も、ありだわな」
包囲する兵達の緊張が高まる。
息を潜めて暗いトンネルの先に目と矢と大砲を向ける。
その間にもトンネルから響いてくる靴音と声は大きくなってきた。
声は、どうやら多くの人間達が太陽の光を見て喜ぶものだったらしい。
靴音はもはや全力で駆けてくるものへと変わっていた。
「……った、やったぞ!」
「外だぁっ! 俺達は、生きて帰って来れたんだよっ!」
「お、オルタだよぉ、故郷に戻れたんだぁっ!」
大勢の軍服姿の男達が、浮かれた足取りで飛び出してくる。
やつれ、薄汚れてはいるが、それは確かにトリニティ軍の軍服を着た人間達。
肩を叩き合い、涙を流し、踊る様な足取りで光の下へ続々と姿を現す。
ガツッ!
矢が刺さった。
手を取り合って喜ぶ男達の足下に、数本の矢が突き立っている。
その音にようやく彼らは我に返り、自分達が仲間であるはずの軍に包囲されてることに気付いた。
「動くなっ!」
包囲の後ろに立つ、幾つかの勲章を胸から下げた男、恐らくは現在の駐屯地指揮官が鋭い声を発する。
その声に、続々と飛び出してくる男達も慌てふためき足を止める。
「ま、待ってくれっ!」
「俺達の顔を忘れたのか!? 駐屯地で同じメシを食った仲じゃねーかよ!」
「帰ってきたんだべよ、銃を下ろしてくんろ!」
帰ってきた。
十日ほど前に魔道車で出陣したトリニティ軍が、帰ってきた。
暗いトンネルの中を徒歩で、薄汚れた姿で、数も大幅に減らしている。
しかも最新鋭の装備を配されたはずが、今は誰も武装していない。剣すら持っていない。
その光景が表す意味に気付かない指揮官では無かった。
「き、貴様等、まさか……魔物共に背を向けて、おめおめと戻ってきたのではあるまいな!?」
指揮官の詰問に、疲れ果てた兵達の表情が沈む。
軽やかだった足取りが、重りを付けたかのように鈍くなる。
そして、何があったのか口々に叫び始めた。
「お、俺達は負けてなんかいないっ!」
「そうだべ! 今回は一旦こちらが引くことにしただけだべ!」
「実は後ろに、トンネルの向こうに死にかけた子供達がいるんだ。
私達も驚きましたよ、魔道車の中に子供がいただなんて!」
「大慌てで子供達を助け出して、皇国で治療を受けさせるために」
「殺せっ!!」
指揮官のさらに後ろから、さらに冷酷な命令が飛んだ。
包囲していた全員が振り返ると、そこには駐屯地指揮官よりさらに大量の勲章を胸に付けた軍人がいた。
指揮官よりも高官であるだろう軍人は、大層な装飾が施された剣を引き抜き、切っ先をトリニティ軍の生き残りへと向ける。
向けられた方は恐怖に引きつり、絶望で青ざめる。
「奴らはトリニティ軍などではないっ!
かの精鋭達は、真なる信仰を胸に抱いた皇国軍の鏡たる者達!
決して魔物共に背を向ける臆病者などではなく、地獄の使いに膝を屈する背教徒でもなく、ましてや無様に戦場から逃げ出す卑怯者でもないっ!
そもそも人間のいない魔界で、軍が子供を戦場へ連れて行くわけもないのに、子供を助け出すはずがなかろうっ!」
包囲する兵達は、その高官の言葉を受けて、改めて弓を構え大砲の照準を合わせる。
偽物呼ばわりされた方は驚き、怒り、真相を叫ぼうとする。
「そ、それは違うぞっ!」「聞いてくれっ! とにかく話をっ!」「俺達は魔界で魔王に会ったんだっ!」「そこで色々と聞いて、あいつは魔物なんかじゃなくて」
「奴らは魔物共の走狗である!
撃てぇっ!!」
高官は、指揮官も、その他の兵士達までも話を聞かなかった。
言葉ではなく矢と銃と砲弾が帰ってきた。
トリニティ軍の生き残りは、同じ人間によって殺されることが決定された。
話をしようと前に出ていた者から次々と死んでいく。
矢で頭を射抜かれ、砲弾で体をえぐられ、死体の山と血の池が築かれる。
「ひいぃっ! に、逃げろぉ!」「ち、畜生! 全て魔王の言った通りかよ!」「トンネルに逃げ込めぇ!」
人間界に生還した敗残兵達は、今度は慌ててトンネルへ、魔界への暗い穴へと飛び込んでいく。
結局、オルタの大地を踏みしめた兵達は、一瞬で半分以上が殺された。
まだトンネル入り口にとどまっていた者達や、トンネルから出ていなかった者達が、雪崩を打って線路が続く暗闇へと駆け戻っていく。
後には魔物とみなされた皇国精兵の死体が残った。
「追撃せよ! 一匹たりと生かして返すなっ!」
その言葉に弾かれる様に、バリケードの隙間から盾を押し退けて兵達が飛び出す。
雄叫びを上げ、死体を乗り越え、血だまりを踏みつけて血飛沫をまき散らしながら、トンネルへと殺到する。
だが、トンネルからは灰色の煙が湧き出した。
もうもうとわき上がる煙は視界を遮るだけでなかった。近寄った兵達はことごとく目を押さえ、涙を流し、激しいクシャミに襲われた。
「ど、毒ガスか!?」「違う、う……はっくしょいっ! た、ただの催涙ガスだ!」「ここ、コショウまで混ぜやがったな!? ハクション!」「ぐうおっ! 目が痛えっ!」
命じられたままに追撃をかけた兵達だが、全員がトンネル前でのたうち回ってクシャミをしてる。
その無様な有様に、指揮官も軍高官も顔を真っ赤にして歯ぎしりをする。
「ええい、何をやっとるかっ!」
「風を吹き込めっ! 逃げた奴らに喰らわしてやるんだっ!」
宝玉を掲げる兵士や、魔法を専門にするらしいローブ姿の数名が『風』の魔法を組み上げる。
周囲の風が急激に、不自然に動く。
トンネルへ向けて一気に、催涙ガスを巻き込んで流れていく。
見る見るうちに煙が晴れ、血河と屍の山が再び現れる。
風が止まった。
幾人もの魔導師や幾つもの宝玉で生み出された大気の流れが、ピタリと止まる。
いや、正しくは風がトンネル内にで何かに詰まり、これ以上は吹き込めない。
それどころか、ジワジワと押し返されている。トンネル内に吹き返したはずの催涙ガスが、少しずつ漏れだしてくる。
術者達はさらに魔力を込めるが、それでも煙が押し返される。
暗いトンネルの奥、闇と煙で視界を遮られた向こうから、さらなる『風』が逆方向に生じていたのだ。
ドゥッ!!
突風。
突然の、催涙ガス混じりな風がトンネルから吹き出した。
まるで爆発したかの様な、砂利を巻き上げる風が兵達を、バリケードをも押し返す。
バリケードの隙間を扉代わりに塞いでいた大盾が次々と飛ばされていった。
トンネル近くにいた者達も吹き飛ばされ、バリケードの後ろにいた兵達は風に混じる催涙ガスにのたうちまわって苦しみだす。
風はすぐに止んだ。
催涙ガスの煙も薄れて消えていく。
あとには、さっきと何一つ変わらないトンネル入り口がある。
今度はクシャミと鼻水と涙で顔を歪めた指揮官と高官が、途切れ途切れながらも必死に指示を出す。
するとすぐに作業用のトロッコで、大きな箱が幾つも運ばれてきた。
バールでフタを開けると、中には顔一面を覆うマスクがギッシリと収められている。
マスクを被った部隊が、銃を構えながらトンネルへと向かう。
バリケードの一部だった大盾をトロッコの前面に取り付け、その左右にも盾を構えた兵士を前列に配し、慎重に暗闇の中を進んでいく。
後ろにも幾つものトロッコを押し進めながら、魔法のライトで闇を照らし、先発隊はゆっくり確実に歩き続ける。
闇の中には、既に誰もいない。
先ほどトンネルに逃げ込んだ兵達は、催涙ガスで時間を稼いでるうちに逃げ去ったらしい。
既に逃走する彼らの足音すらも聞こえてこない。
それでも油断せず、大盾の隙間から銃口を構え、一定間隔で『魔法探知』を放ち、罠にも注意する。
ランプを掲げる兵士が、シュッと手を挙げる。
同時に全員が足を止め、銃を構え直す。
ランプの光が照らす先には、闇の中に何かが浮かび上がっていた。
それは、人の姿に近かった。
黒いヒラヒラのドレスに身を包み、首には赤いマフラーを巻いた、女の姿。足にはフワフワの毛皮が隙間からのぞく、ヒールの高い上物のブーツ。
長いピンク色の髪を緩やかにカールさせている、後ろ手に組む小柄な少女。
だが人間ではない。何故なら、その背中には黒い模様が入った白い翼を広げていたから。
魔族の少女が、不敵に笑っている。
挙げられた手が、振り下ろされた。
同時に銃の光が幾筋も少女を貫く。
次回、第二十四部第二話
『冬は去り』
2010年12月9日01:00投稿予定